行雲流水の如くに

老荘思想と生きる

万物は陰を背に負い、陽を胸に抱いて行く    老子

万物という言葉を、人に変えるだけで、老子の考え方が身近に迫ってくる。

老子が一貫して求めたのは「心の自由」だったのではなかろうか?

「自分の心の中の声にしたがうことが出来る」ということだ。

 

  

 

ところがこれは、言うは易く行うは難しい。

自由になれるのは植物や動物を相手にしている時ということになる。

植物はものを言わないから良いが、動物は「人間様」の言うとおりになるかというとそうでもない。

だいたい、犬は家族の中で誰が一番自分を好きなのか、ちゃんと感じとっているらしい。

 アザレア

 

「心の自由」ということを突き詰めていくと、「ひとり密かに喜ぶ」ことを見つけることか。

常に不足を叫ぶよりは、心の閑(ひま)を見つけて「自足」の気持ちを持つほうが良い。

 

たのしみは 庭にうゑたる春秋の 花のさかりにあへる時々  橘曙覧

2019.5チューリップ


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コメント一覧

megii123
yusuke1012さん
普通の日常生活を送るうえで、孔子の教えは大事ですね。
家族道徳とか社会秩序を重んじます。
おそらく大部分の日本人は孔子や孟子の教えに共感している(あるいは従っている)のではないでしょうか。
ところが一部の政治家(リーダーたるべき人間)が、この国のかたちを著しく壊している。残念なことです。

一方老子や荘子は「無為自然」を説きました。
突き詰めれば「絶対的自由平等」の世界です。
ところが社会生活を送るうえで、すべてこの考えを押し通すことはできないでしょうね。
そうすると、yusukeさんがご指摘の通り「自分の出来る範囲の中で海や山や川へ赴きーーー」という考えに私も同感です。

コロナ過で毎日息が詰まりますが、こんな時ほど自然との対話を増やすべきなのかもしれません。
yusuke1012
こんばんは!

「自分の心の中の声にしたがうことが出来る」なんとも深く考えさせますね。

また李耳老子は、周の国(古代シナ国家)が衰退することもまた、自然の成り行き(自然現象)だとも述べられたそうで、人は皆、その(自然の)流れに逆らってはならないのだよ、と考えたのかも知れません。

そう考えますと、まことの自由とは、自然の流れに従うことを意味しているのやもしれませんし、自分のできる範囲のなかで海や山や川へ赴き、草木や小動物、また、そこに転がっている小石といったこの世の万物にふれあうことの大切さを知ることで、自分の進むべき道も開けてくる(大道を知る)のだと思います。

そして「言うは易し、行なうは難し」を実践(無から有へ)できたのが、孔子だったんだと私は解釈しております。
megii123
kennちゃん、こんばんは。
孔子もいろいろ勉強になりますが、少し「理」が勝っているような気がします。
その点、老子は「融通無碍」なので乗っかりやすいですね。

犬の散歩で良く行く公園(少し小高いところにあります)で撮りました。
歩いて15~20分くらいでしょうか。
knsw0805
「行雲」さん、こんにちは。
素晴らしい文章です。そして「老子や橘曙覧の引用」も素晴らしいです。今日の文章全体を読めば「行雲」さんの人なりが良く分かります。ひょっとしたら行雲さんとの出会いの中で今日の文章が一番心に響いたかも知れません。私の最近の心境もこの文章の中に集約されています。ところで雪の写真はご自分で撮影されたのですか?そしてご自宅付近ですか?
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