行雲流水の如くに

命もいらず、名もいらず、始末に困る人でなければ国家の命運を託せない。

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は仕末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にし国家の大業は成し得られぬなり。 西郷隆盛

遅くとも11月後半までには衆議院解散総選挙がある。

どのような指導者を選ぶかでこの国の様相はかなり変わってくるだろう。

10年近くにわたった「節義廉恥(せつぎれんち)を失った安倍・菅政治」を守るのか、それとも訣別するのか、の選択だ。

事実に真摯に向き合わなかったことが(ごまかせると思ったことが)、コロナウイールスを甘く見て「コロナ感染」を抑えきれなかった最大の要因なのだ。

 

自民党の今の流れは安倍・菅政治を守る方向に流れている。

岸田文雄、河野太郎、高市早苗の3候補者は、当初の意気込みはどこへやら、安倍晋三へのごますりに活路を見出そうとしている。

これでは第3次安倍傀儡政権の誕生でしかない。

森友、加計、桜を見る会、河井夫婦へのカネの流れなどが闇に葬りさられる。

唯一石破茂が気を吐いているが、リングの上に上がれるかどうか心もとない。

 

野党が試されるのは野党共闘の本気度だ。

「市民連合」を仲立ちにしてようやく立憲民主、共産、社民、れいわの「共通政策」がまとまった。

小選挙区制のもとに在っては289の議席すべての統一候補を立てるべきだが、少なくと過半数の233(比例候補を入れると465議席)までは候補者一本化すべきだろう。

「小異を捨てて大同につく」が旗印だ。

枝野幸男の指導者としての度量が試されている。

自民党内の抗争に目を奪われることなく、直接国民に働きかけることが「始末に困る政党」になる道であろう


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

megii123
giroku0930さん
「小異を捨てて大同につく」は後漢書・董卓伝より出ているものと思います。
少しぐらいの意見の違いは捨てて、大きな視野に立って協同する必要があること、を意味します。

自民と公明はそれぞれは立場は違いますが、政権維持のために選挙協力をしています。
これを「野合」というのか、「選挙協力」というのかは、あまり意味がないことだと思っています。
ですから野党が政権を獲得するために共闘(選挙協力)を組むのは当然ではないでしょうか。
逆に今まで小異にこだわっていたがために、1強を生み出し、安倍・菅政治の堕落が始まったと言って良いでしょう。

漸く政権交代可能な2大勢力が出来ると考えています。
giroku0930
政党の目的は自己の政治理念を具現化するための政治を行うことで、政権を握ることは目的達成の手段でしかなく、「大同」は政治理念を指し、選挙協力等は「小異」に属すると思います。
本来、小異を捨てて大同につくとは、選挙の怨念・確執を棄てても、共通する政治理念の具現に協力する場合に使用すべきと考えます。枝野氏や支持者の方は、政権を握ることを目的とされていないでしょうか。
megii123
kenさん
小選挙区制での戦い方は、自民・公明方式が出来上がっている以上、同じやり方で戦うべきなんですね。
やっとその辺がわかってきたのでしょう。

自民党にとって維新を取り込むことはもろ場の刃です。
支持者がかぶる可能性があります。
共食いを仕掛けるのも一つの手ですね。
knsw0805
行雲さん、こんにちは。
書いてありますが、
「小選挙区制は289の議席すべての統一候補、少なくと過半数の233は候補者一本化すべき」この戦略が全てだと思います。彼らは公明党がいますし、維新の会も場合によっては懐柔します。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「政治」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事