日本を代表する哲学者、西田幾多郎は空襲を目の当たりにして、
「いっさいの書物は焼失しても”歎異抄”が残れば我慢できる」と語った。
私も何か迷いごとがあると「歎異抄」を開くようにしている。
「歎異抄」の中には人間に対する突き抜けた諦念があるからだ。
「火宅無情の世界は、よろづのこと、みなもてそらごと、たわごと、まことあることなき」
親鸞から見たら、今のコロナ騒ぎなど単なるたわごとであろう。
クルマバソウ(車葉草)--薄暗い森に咲く無数の星
近くの雑木林に生い茂っていたササを刈ってやると、ギョウジャニンニクやニリンソウ、そしてこのクルマバソウが広葉樹の林の中で輝きを取り戻した。
コロナ騒ぎの渦中に「自粛ポリス」なる人々が出現しているという。
単純と言えば単純なんだろう。
人間の心には善もあれば悪もある。
そして世の中には不確実なことも多い。
ジューンベリー
後ろのオカメザクラは満開だがもうすぐ散るだろう
運とかツキはあるかどうかと問われたら、私はあると思っている。
世の中、100%実力のみの世界では面白くないではないか。