行雲流水の如くに

生活満足調査の結果についてーーーそれぞれが成熟社会に適応しようとしていることだろうか?

内閣府が行った「国民生活に関する世論調査」によると現在の生活に満足していると答えた人は74.7%になるという。
これは2018年の数字だが2005年をボトムにじりじり上昇している。
この数字をもって安倍政権は「アベノミクス」は成功していると得意げだ。
だがどうも違和感の残る数字だ。

一方で日本銀行が行った調査では、暮らし向きにゆとりが出てきた6.4%、どちらともいえない55.0%、ゆとりがなくなってきた38.1%となっている。(2018年12月)
おそらくこちらのほうが生活実感に近い数字だろう。

内閣府の調査で満足していると答えた人も、「どちらかと言えば」という前提条件付きだろう。
日本人は概してYES、NOをはっきり言わない。そのようなあいまいな返答は調査者の意図的な誘導に利用される可能性もある。
それともう一つ考えられるのは、「モノを消費する」段階から「生活の豊かさ」を楽しもうという方向に変化してきているのか?

この辺りは突っ込んだ調査がないから推測するしかない。
主観的な期待水準を下げて現状に満足するスタンスはあり得る。
ただ若い人たちが早くからこの考えに染まるのはどうかなとは思う。
人生は努力すれば必ず報われるとは限らない。逆にぼーつと生きていても安楽に暮らす人もいる。
このようなことが分かってくるのは還暦を過ぎたあたりだろう。
「若いうちはがむしゃらに生きたほうがいいのでは」と老婆心ながら思うが、いずれにしても個人の生き方は様々だ。

「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
これは親鸞聖人が9歳で仏門に入る決心をして天台座主である慈円を訪ねた。すでに夜だったので「明日の朝になったら得度の式をしてあげよう」と言われた。
そのとき詠まれたのがこの歌と伝わっている。
その真意は、「明日自分の命があるかどうかわからない、だからこそ精一杯大事に生きていきたい」

「生活の豊かさ」とか「心の豊かさ」を望む方向なら望ましいが、安易な現状への妥協であるならば大いに問題である。

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