自民党総裁選は、早々に菅官房長官で決まってしまった。
その決まり方たるや候補者3人が政策をぶっけ合う前に、二階幹事長が主導して、派閥のボスの談合で決まった。
ここに典型的な日本型組織の意思決定方法が見られる。
日本型組織の源流は鎌倉幕府の成立にある。
源頼朝は、形式主義が一切嫌いで、必要なことがあれば必要な組織を作った。
問題が発生した時に、当事者同士が話し合うということが大原則だった。
そして物事の決定は「稟議制」だ。要するにだれも責任はとらない、みんなで決めました、ということだ。
この流れは今でも同じ。
大企業などでも役員会が始まる前にすべて決まっている。役員会などは単なるセレモニー。
菅義偉と二階博は、日本型組織の意思決定方法にどっぷりつかっている。(裏技もこなせる)
二人は共に、人格に少々問題があって使えると思えばそれを使う機能主義者だ。
一方石破茂や岸田文雄は、本当のどぶ板を踏んでいないから、やり方が中途半端。(裏技使える参謀が必要か)
官房長官と幹事長という職務は、カネと人事権を握るから、この数年で水面下で動く人間を確保済みだろう。
目の前に展開している令和の名を汚すような田舎芝居は、まだ幕が上がったばかりだ。
このような内向きの論理に終始しているようでは世界の大勢から遅れてしまう。
フランス人の歴史家ジャン=マリ・ブイスによれば「理不尽な国ニッポン」で表しているように、
「日本人は集団的鬱状態」ではないか、という指摘が当てはまってしまう。
裏技ばかりでなく、石破茂や岸田文雄の政治スタイルが正当に評価される自民党の自浄努力も必要だろう。
それがかなわなければ野党の出番だが、早く体制の確立の努力してもらいたいものだ。
今の選挙制度の下で二大政党制の緊張感がなくなれば、暗い抑圧された社会が来るような気がする。