おはようございます。
義母が亡くなって一週間が過ぎました。
昨日、オリンピックを観ながら
病院から連絡が入った時間、息を引き取った時間になると
「先週の今頃は・・・」と一週間前のことが想い出されました。
義母は、亡くなる6日前から熱を出していました。
熱を出すのはいつものことでしたが
今までの様子とは違って、弱々しく、顔の表情も辛そうでした。
私たち家族は、今まで乗り越えてきたから大丈夫だろう・・・ と思う反面
95歳という年齢を考えると、いつ急変してもおかしくないとも思っていたのです。
運命の日の夕方まで
主人と私が交代で義母に付き添ってました。
「お腹が痛い、おしっこが出ない・・・」と、しきりに訴える義母。
土曜日なので先生は病院内には居ず
看護師さんに伝え、痛みどめの座薬、湿布をして頂きました。
お腹をさすってあげて、少しでも楽になる方向へ身体を向かせ
「起こしてちょうだい」という義母を私の腕に頭を乗せ、胸に抱きました。
「おばあちゃん、これでいい?」というと頷く義母。
汗でびっしょり・・・ 枕のタオルがすぐビショビショになるんです。
しかし、お腹の痛みが強くて
「看護婦さ~ん、看護婦さ~ん」と、何度も大きな声で呼んでました。
看護師さんも私も
「今、お薬を使ったから、もうすぐ痛みがなくなるよ、もうちょっと我慢してね・・・」
と おばあちゃんをなだめながらお腹をさすりました。
世間話、孫のことなどの話をすると、頷いて笑顔になったり
「朝から何も食べてないから、お腹が空いた」と訴えたり・・・
まさか、そんな義母がその日の夜に急変するとは思いませんでした。
月曜日になれば、先生に診てもらえる、そして原因が判ると思っていたのです。
痛みが和らいで、熱が下がったことを確認して
「おばあちゃん、心細くなったら『家に電話してちょうだい』とお願いしてね」
と言い、バイバイと手を振って帰って来たのが最期でした。
その三時間後
おばあちゃんに「いったい何が起こったんだろ・・・?」と
今更、何を言っても仕方がないことですが、悔しい思いがあることは確かなんです。
何が起こったのかは、おばあちゃんしか判らないことかもしれませんね。
義母の遺言どおりの葬儀を行いました。
親しい人だけの「家族葬」
孫のおばあちゃんを思うお別れの言葉
私の息子が歌う「赤とんぼ」で旅立っていきました。
遺言の中には、子供を思う親心も書かれていました。
『兄弟は仲良くして。
saekoさんに任せます。○○(義妹)と仲良くしてね。
死んでも見てますからね。』
心配症のおばあちゃんらしい決め台詞。
きっと、天国から私たちを見てることでしょう・・・
おばあちゃん、ありがとう。。。
そして、よく頑張ったね。。。
*お骨がある間は、色々忙しいと思います。
今日は、お悔みを頂いたお礼を兼ねて
報告をさせて頂きました。
2012年は、大事な家族との別れの年になってます。
どういう年なのでしょうね。。。
暇を見て気分がいい時に、また書かせて頂きます。
皆さんにも感謝・・・ ありがとうございます。
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