日本芸術院会員であり新国立劇場オペラ部門芸術監督の若杉弘さんが亡くなった。74歳!まだ若かった。昨年春は、自身でレールを敷いた新国近現代路線である「黒船」・「軍人たち」を自ら指揮し、昨年夏に闘病生活に入ってからは、「ムチェンスクのマクベス夫人」、「修善寺物語」を無念にも代役の指揮者に任せながらも、新国立オペラ劇場の体裁を、「本物」に少しづつ近づける仕事に身を擦り減らされていたように見受ける。そうした意味で、任期を残して志を全うし得なかったことは、御本人もさぞや無念であったろうし、我々にとっても誠に残念なことである。我が記憶を遡れは、二期会での「パルシファル」や「ラインの黄金」の初演、読響での「グレの歌」の初演等、とにかく日本の音楽会をリードするところには、必ず「若杉」の名前があった。クラシック音楽の世界に入ったばかりの当時の私には、それらは等しく難し過ぎたて近寄れるものではなかったが、常に輝く存在であったことは確かである。一方で、「ジロー」のサロンオペラから始まり、東京室内歌劇場の中心メンバーとなって、地道に様々なオペラの実験的上演もリードした。そうしたオペラの若杉は、結局、ケルンやチューリッヒのオケを始め、ラインやドレスデンというドイツの一流歌劇場の責任ある地位を歴任しながらも、最終的にはびわ湖ホールや新国立劇場でのオペラの仕事に戻って来て立派な業績を残した。なかでも、「ドン・カルロ」を切っ掛けとしてシラー続きで始まった全8作のびわ湖の初期ヴェルディ・オペラシリーズは、ヨーロッパでもなかなか成し得ない画期的な大仕事であったし、それを全日本人ダブルキャストで見事に実現させた慧眼も、根っからの劇場人若杉こそのことであった。東京二期会の「エジプトのヘレナ」の説明会の折、ギリシャ神話をあたかも我が物の如くに語られる氏に驚嘆の念を禁じ得なかった思い出がある。「文庫に入っているので、是非皆さんにもお読みになることをお勧めします。」というようなことだったが、外交官を親に持つということは、誠にこのような西洋的な教養を自然に身に付けるものなのだと驚くと同時に、そうした「西洋的教養」の中でこそオペラは語られるべきだと心から思った。演奏会のプログラミングの妙も常に若杉を聴く楽しみの一つで、幅広い教養から引き出された隠されたストーリーは、常に通を唸らせたものであった。(それに引き代え、演奏はいつも安全運転で面白味には欠けたが、今考えてみれば、それこそが、たくさんの事故の可能性に囲まれた劇場で叩き上げたカぺルマイスターのスタンスだったのかも知れない)氏の遺志は来シーズンの新国プログラミングに確りと残されはするが、得難い音楽家=教養人を亡くしたことは誠に口惜しい限りである。御世話になりました。ご冥福を心よりお祈りします。
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