演劇人 RAKUYU

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アウトライン4

2010年03月05日 | インポート

『道成寺』県文公演から3年余り過ぎましたが、今年11月にはもう一つの歴史ドラマ「アリマ皇子」の公演ができる運びとなりました。「アリマ」の話は周知のように全国的に有名で東京ではオペラでやられ、宝塚歌劇団でもアリマや額田王がでた飛鳥ものがありました。

海南インター近くの藤白神社にはアリマの墓があり、毎年イベン

トがやられています。白浜でも『崎の湯』が関係し、南部の岩代

でアリマが歌を詠んだことで知られています。

御坊では岩内1号墳が見つかった頃はイベントもされていまし

た。(どこにあるかご存知でしょうか?)

日本書紀の中に、塩屋連コノシロ、塩屋連オホコという人物が

載っています。アリマの家来で、鮮魚・製塩業を監督していた

豪族だったそうです。おそらく、塩屋という在所名はそこからき

ているのではないでしょうか。

7世紀以降、熊野詣と牟婁の湯は天皇・皇族がよく行幸される

といった観光ルートになってきました。

このアリマが紀州出身の塩屋連コノシロに勧められ湯治に来

た最初だったのではないでしょうか。

今回の「アリマ」の公演内容は紀州にはご縁のある物語です。

是非、劇団RAKUYUの新しい「アリマ」をこの機会に一度

ご覧になってください。

公演日程は11月13・14日2回公演です。

私たち劇団はこのような形で地元の物語に光を当て紹介でき

ればと考えています『地域に根ざした市民劇団・地元劇団の

活動』が目的の1つでもあります。

 御坊の敬老会イベントのお手伝いやこの3月20日には

子どもたちが『和佐の里』で慰問公演をいたします。

いろんな形で地元に必要とされる劇団でいられればとも

思っています。

少し宣伝になってしまいましたが、このように私たちが

住んでいる地元の町にはまだまだ宝となる素材が沢山

眠っています。ダイヤの原石のように・・・

もちろん宝といっても受け取り方は個人によってまちまち

ですからどうかご理解下さい。

きっと皆様の身の回りにも、形は違えども「宝となる素材」

があると思います。

現代のように不安な政治・経済・社会・身の回りの生活と

複雑で大変な時代です。

だからこそ、自分たちの宝を見つけ出す必要があるの

ではないでしょうか。

ぜひ、お宝を手にしてください。

 ご清聴ありがとうございました。


アウトライン3

2010年03月04日 | インポート

2年計画で「かみなが姫・宮子姫物語」の企画構想に入ったのです。幸い、私の恩師が西日本劇作家協会の顧問をしており、今回の構想でもって、地元に残る、財産となるような作品を作れないものかと相談してみました。

いままでのRAKUYUの経験から「そこそこの大作はやれる。」

と思っていました。また、それだけの勢いがありました。

もちろん大勢のボランテイア・お客さんに支えられてのこと

なのです。半年がかりで本を完成し、10ヶ月かかって「道成寺」

宮子と道成ものがたりの公演にこぎつけました。900名あまり

の観客で市民文化会館を盛況にすることが出来ました。

そして、それから半年後、皆様もご存知だと思いますが、お騒

がせしました「1500名で県文をいっぱいにしよう。RAKUYU

県文公演」です。

今から3年前の話になってしまいましたが、私たちにはこの前

のように鮮明に残っています。本当に印象に残っている作品、

公演活動です。貴重な経験でした。

県民文化会館大ホール2000席あまり。

横22m・奥行き17m・高さ8mという、考えられない広さでし

た。そこで『道成寺』を上演できたことは私たちだけでなく、

御坊・日高の地元にとっても自慢になることと思います。

御坊でのセット・美術・音楽は作り変え、出演者も舞台の広

さに合わせ20名近く増やし、当然衣裳も作りなおしを余儀

なくされ、限られた時間でほとんど最初からはじめたような

ものでした。劇団だけではなしえなかった。地元の皆さんに

支えられながらの『道成寺』公演でした。

スタッフ・キャスト・ボランテイア総勢100名に上る人たち

の想いがそこにはあります。

これからもこの「道成寺」という作品は地元の宝として大切

に守り、劇団の屋台骨として存在することになるでしょう。

いつの日か、またどこかで「道成寺」再演のできる時が来

ると思います。その時は、是非、皆様のお力添えをいただ

き「よかったよ。感動したでー」という声が聞けるように、

私たちは日々、精進していければと思っています。

昨年2009年は「ヘレン・ケラー」という小作品を発表しま

したが、非常に質の高い、できばえのいい、お客さんに

感動してもらえる自信作です。

大勢の人の涙を誘いました。

只今、再演の検討に入っています。ご期待下さい。


アウトライン2

2010年03月03日 | インポート

当初、私たち劇団メンバーは子どもから大人まで、男、女、初心者OK「誰でも楽しく参加できる団体」ということで勧誘しています。名前の由来はそこからきています。「楽しく遊ぶ」「しい友達」といった以外にすばらしい言葉RAKUYUが生まれました。

2作目も全員参加で沖縄の民話から「笛吹きカナシー」という

作品を30名ぐらいのメンバーで作り上げました。ここでは

ボランテイアで御坊中学校の美術部の生徒さんに協力を

頼みました。舞台いっぱいに横16m高さ6mの背景画を

夏休みの期間を使って製作してくれました。台本にある

「沖縄の熱帯雨林・南国」のイメージを自分たちで考えて

もらっての、初めての共同作業だったようです。彼らにも

いい体験だったと思います。このとき公演していく上での

課題が見えてきました。

まず、いい作品が必要であり、それを作り上げるだけの

人数スタッフ・キャストが必要、そして、会場を満席にでき

るほどのお客さんが必要、呼び込んでくれる運動員の皆

さんが必要、これらの条件が一つになった時、はじめて

大きな動きになっていい作品、いい公演ができるのでは

ないでしょうか。思いと現実は違いますが・・・

この頃から、子どもの数が一挙に増え始めました。そこで

子どもたちだけの演劇発表を企画するようになったのです。

「のらねこハイジ」という作品では20名近い子どもたちが

参加。鶴の恩返しで有名な『夕鶴』では5名の子どもたちが

参加。結成当初からいた子どもたちが成長し、新しく入っ

てきた子どもたちの目標になっていきました。いい意味での

タテ社会が機能しました。そして、この2本立てを持って

再度、龍神村への移動公演を実現させ、今度は龍神の

地元のこどもたちが劇に参加するといった試みもしてみま

した。手ごたえのある感触を得て,帰って来ました。

この後も、子どもたちだけの発表をしています。

劇団の一つの目的でもある「地域社会での青少年の

健全育成」ということが実を結んでいます。

その流れの中、次の作品では外国の童話作品『モモ』に

挑戦です。主役は高校生、小中高生20名が中心で、脇を

大人が固めるといった若いエネルギーを感じる舞台にな

っていました。観客800名、スタッフ・キャスト総勢45名。

この頃から、どうすれば機能的・合理的にすればよいのか。

次から次へと問題が出てきます。効果的な練習・お互いの

チームワーク・綿密な打ち合わせといったように組織的

活動をしていかなければならなくなっていました。ですが、

そこまで受け入れるだけの余裕が劇団にはありません。

全く、ひとつひとつが勉強でした。

そして、目標の1つでもある「地域文化における劇団の

あり方」という問題が提起され、地元の話を劇にした

作品づくりがこれからの目標になってきました。


東ロータリークラブでの講演アウトライン1

2010年03月01日 | インポート

今晩は。少し過ごしやすくなってきましたが油断しないようにした                  いものです。昔から「奈良のお水取り」来るまでは、とよく申しま                   すからねえ。最近は健康のことばかり気になっています。                      はじめまして、2年前劇団代表になりました松本です。このような                   壇上でお話させていただくのは初めてですので取り留めない                    お話になると思いますが、足りないところは補足して温かく見守っ                    てくれますようお願い申し上げます。そして、何か一つでも皆様                            のお役に立つ話ができれば幸いかと存じます。劇団の話になっ                                てしまいますが、何卒、よろしくお願い致します。

今から11年前、5人のメンバーが発起人となって文化団体の

一つとして、音楽関係以外に演劇団体が地元にあってもよい

のではないか、ということで劇団を結成しました。翌年、旗揚げ

公演をおこない、1000名近い観客動員がありました。

当時のことを思い起こしてみますと、初めての地元劇団という

物珍しさ、そして、応援しようという「人の輪」が生まれました。

本当に大勢の人に助けられました。大きな仕事を成し遂げた

という自信が私たち劇団仲間を勢いづけました。

大人・子ども・ボランテイアをいれて50名ほどの大所帯での

公演でしたが、龍神村への移動公演の話が決まりました。

年が明けた2月。記録的大雪で10センチは積もっていました。

10台ほどの車に乗り合わせて、中津・美山・龍神へと3時間

もかかって公演場所へいきました。

子どもたちは行楽気分。無理ないですよねえ。めったに見な

い光景ですから。一晩旅館で休養しての公演です。

幸い、子どもたちは風邪で熱を出す子はいなかったので、

気持ちは充実していたのでしょう。ラッキーでした。

次の日、足元が悪いのでお客さんが来てくれるだろうか

という心配もうそのように、1時間前には村の人が座布団を

もって集まっていたのです。外は寒く並んでいるのが申し訳

なくて、来た人から入ってもらいました。定員500名ぐらいの

会場でしたが、ふたを開けてみると、立ち見の出る盛況ぶり

で通路にまで座布団をおいて観てもらうはめになったのです。

しかも、開演時間が15分遅れてしまったり、ドタバタ続き。

それでも、帰りには皆さん喜んでいたのでホットした次第です。

「春日八郎が来た時以来の大入りやで。」という話でほのぼの

したり、プロの劇団と思っていた人もいたようで「御坊にこんな

劇団があるんや。また来てよ。」とか「がいな人や。村のもん

みんな集まったんとちがうか。」という声に疲れも忘れて、

日高川を下って、帰ってきました。

「はじめよければすべてよし」とよく言いますが、何が起こる

かわからないですよねえ。

ゼロからのスタートで取り組みますので、いつも前途多難。

唯一「やり遂げた」という自信だけが残って、また挑戦して

いけるのかと思います。

こうして、不安と期待の中での劇団誕生となりました。