演劇人 RAKUYU

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移民の父:工野儀兵衛1

2018年06月03日 | 日記
1854年5月23日、父喜市、母ユキの長男として生まれた。
14歳の時、龍王神社の社殿建築を請け負った京都の宮大工
に弟子入りした。そして19歳の春、父の病気のため、三尾浦に
帰り、棟梁として働くこととなった。やがて比井崎村小浦の親類
より妻たつをむかえ、二男一女をもうける。
明治16年、三尾浦に初めて堤防を造るという計画があり、
儀兵衛は入札に参加したが、工費で話がまとまらず、防波堤は
昭和初期まで実現しなかった。
彼は、防波堤を造り、よい漁港をもつことによって漁港の振興や
新しい産業となつ養殖場を創ろうと考えていた。
1886年、防波堤の話がまとまらず悩んでいたとき、横浜に住む
従兄から「カナダは漁業や農業でも有望だから一緒にいかない
か?」との手紙が届いた。
ひとまず、横浜に行こうと決心し、家族に知られぬように家を出
て、横浜に向かった。
懐には2銭銅貨2枚であった。
横浜では芳野勘蔵の家で居候をしながら、大工として働く.カナダ
航路の船員から現地の状況を聞き取り、将来が有望であることを
確かめた。郷里に帰り、弟や友人を誘ったが誰一人として一緒に
行くことを希望する者はなく、単身渡航を決心する。
1888年8月、アビシニア号にて横浜港を出帆した。
船賃代わりに船員食堂のコックやボイラーマンとして働いた。
途中暴風雨にあうも、大工の技術を生かして、船の修理もしていた。