まつや清の日記 マツキヨ通信

静岡市議会議員 まつや清の日常を毎日更新!

父「100まで生かんきゃの」、母「リハビリして歩きてんだども」

2007年07月21日 | その他
 県・柏崎市、刈羽村の原発立ち入り検査のニュースに「やっと動いてくれた」、安堵。実は、新潟の虹と緑グループで昨日申し入れの準備をしていました。月曜日にと延期。政治と言うものには瞬発力が必要です。

 地震発生後はじめての土・日とボランティア殺到で渋滞の懸念が災害対策本部で発表していたため、今日は小千谷総合病院にいる父、上越市のサンクス米山にいる母を訪ねることにしました。一人で車で走るのは初めての道、緊張します。

 今日は父の82歳の誕生日、抹茶ケーキを買って病院。とにかく外に連れ出そうと車イスの準備。ベッドから右足、左足を床におろし立つまでに相当な時間。何とか座ってもらい、街中へ。車の音、人通り、父の目に何が映っているのか。

 バス停の前でしばらく休み、車の免許の話を始めました。昼食時間が気になり病室に戻ります。既に食事が用意されています。父の分は、家族連れと好意で別の部屋のテーブルに用意してくれていました。じゃ、食べようか。

 すると「トイレ」と言い出します。困った、オムツを部屋で替えてもらうにしても皆食事中。介護スタッフに相談すると「オムツの中で出来るているから食事をしてください」。止む得ず、テーブルにいくも一口で「おなかいっぱい」だ。

 部屋に戻ろうとすると再び「トイレ」。看護師さんに「どうしたらいいんでしょうか」、「じゃ、トイレを使ってください」。えー!「トイレなんか使えるんですか」。「出来る人もいます」。そして何とトイレで大便をしたのです。

 びっくりと言うか感激、できるんだ。「時々自分で出来るんですか」、看護師さん曰く「初めてです」。エー!やれば出来る、感謝です。さぁ、スッキリ、「ご飯食べるか」。そして部屋に戻り髭をそり爪を切ってあげると「外に行きたい」。

 再度、車椅子で街中に。神社や信濃川の橋の欄干で昔話。「100まで生かんきゃの」の一言。刺激があると少し記憶が戻るんだ、を実感。病室に戻って車椅子からは自分でおりようと「歩く練習だ」。ベッドでは、横になるやバタン、すやすや。

 3時間の車椅子で動き放し。疲れたと思います。帰りに看護師さんに父の病院生活を聞きました。事実を淡々と話してくれました。辛くなります。認知症軽減の為の対処は今日のようなこと、しかし、それを出来る人がいますか?と言うこと。

 これが老いというものなのか。そんな想いを持ちながら2時間の道のりで母の所へ。食事時、その後に母を車椅子で海の見える場所に。いろんなことを話しました。母はとにかく生きる意欲があります。「リハビリして一人で歩きてんだ」。

 部屋に戻り、担当の職員にそのことを話しました。彼女はは親切に「充分に分かっています。1週間に2日、理学療法士、作業療法士、ケアマネさんらとミーティグをして段階的に対応しています。あせらず、まだここに来て2週間です」。

 母も納得してくれたのか、静岡に頷いていましたが・・・・。そのあと、テレビ室に連れて行って、NHKのローカルニュース、全国ニュース、大半が地震、柏崎のニュースです。「もうしばらく来れない」ことを伝えて施設を後にしました。

 今日は1日、親孝行と決めていましたが、たまにやって来ての「孝行面」は自己反省もしますが、どうしたものでしょうか。お昼頃、静岡から24日に浜岡問題、県に申し入れの連絡。明日は社民党国会議員団が柏崎入り。揺れ動く1日でした。

 書き終わるや、日本ーオーストラリアPK戦場面、中沢にオー!

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