光が丘の歴史 1…・・〈成増飛行場の話〉
今年も終戦記念日が近づいています。
毎年この時期、私の中では、光が丘←グラントハイツ←太平洋戦争←成増飛行場 という光が丘の歴史を確認したい気持ちが強くなり、今年はブログに綴ってみることにしました。
戦争と光が丘の関係・・・光が丘の今むかし。
お時間あったら、おつきあいくださいね。
光が丘は東京都練馬区北部に位置する新興住宅地。
練馬区のイメージ『緑と太陽のまち』にちなんで名づけられ、1969年(昭和44年)に住居表示が施行された比較的新しい地名です。
(ちなみに、この年は弊社増田住宅が不動産屋を開業した年なんですね。)
戦前は田んぼや大根畑に謳われた静かな農村地帯。
そんな静かな村でしたが、1942年(昭和17年)戦局が激しくなると、日本陸軍は首都防衛のため、この地に飛行場を建設しました。それが「成増飛行場」です。
C) CLEAREO FOR TAKEOFF (C) AXLS Plane Gallery (C) WarBird Photos
戦中は、特攻隊の出撃基地ともなった成増飛行場。
きな臭い日の丸がついてますね・・・
The Narimasu airfield in snow, Type 4 Fighter HAYATE (C)松永弘志氏
色々と調べたら・・・
大雪の後は、近隣の女性たちが飛行場の雪掻きをしました・・・なんていうエピソードつきでリアルな写真が見つかりました。
昭和10年生まれの私の父は、近くに飛行機の格納庫があった話や飛行場をねらってB29が富士山のほうから低空飛行できた話を
時々します。
近隣の住民は、さぞかし怖かったでしようね・・・
そして、東京は丸焼けとなり、戦争は終わりました。
つづく