光が丘からこんにちは

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2013年08月15日 | 歴史

光が丘の歴史 3・・・・・〈インターナショナルな街へ〉

昭和22年、成増飛行場跡地に米軍宿舎グラントハイツが建設されてから10年余り、施設の内容はだんだん縮小され遊休化してきました。

昭和35年頃から土地返還運動が高まってきます。

数々の交渉後の接収解除ののち、返還の展望が開けた昭和44年に区域全体に『光が丘』の町名がつきました。

そして、昭和48年9月30日に念願の全面返還です。

当時、私は小学生。 有刺鉄線に囲まれた敷地内には危険なので入らないようにという朝礼の校長先生の言葉に好奇心を掻き立てられました。

同年代の尾崎豊が1985年に発表したアルバム『壊れた扉から』には、ここグラントハイツを歌った「米軍キャンプ」が入っています。

彼は、練馬区春日町で少年期を過ごし、グラハイ(当時、私達はそう呼んでいました)の周りが遊び場だったようです。

写真は、平成8年の光が丘北部の航空写真です。

グラントハイツ跡地には、光が丘公園・集合住宅街(光が丘団地)・商業施設・体育館・図書館・清掃工場・保育園・小中高校などなどが造られ、ニュータウンが誕生しました。

そして、都営大江戸線の開通。

都心へのアクセスがよく、とても便利になりました。 緑も多く暮らしやすい街です。

(光が丘公園はこちらのブログで)

 最近は、子どもの数が激減し、小学校の統廃合が・・・

昨年、公立小学校の跡地には、アオバ・ジャパン・インターナショナルスクール光が丘キャンパスが開校しました。

再びインターナショナルな街へ

国際的で平和な街になっていくのでしょう

 

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