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ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

社会を正気に保つ学びとは? powered by masaharu's own brand of life style!

ふたたび「災害復興に役立つ情報活動とは」

2011年03月19日 | 知のアフォーダンス

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 地震、津波、原発事故。被害の状況が少しずつ明らかになるにつれて、あらためて大自然の威力の前に人間がいかに無力かを思い知らされる。だが、危機的状況に立たされた人間が意外にたくましいことも事実だ。これまでも私たちは戦災や震災を乗り越え、残った命と希望の火を絶やさずに生きてきた。東北関東大地震の被害を受けた人々が自ら立ち直るために、阪神淡路大震災における私たちの経験はどのように活かされるだろうか。

 救援活動が進み、ライフラインが復旧すると、被災地はやがて復興に向かう。それは、失われたものの犠牲のうえに、より安全で暮らしやすい社会を創り上げていく過程であり、悲しみを乗り越え、心の傷を癒しながら長い時間をかけて続けられる。1995年に震災を経験した神戸では、10年を経た2005年を節目の年として、それまでの復興の過程を振り返るさまざまなイベントやシンポジウムが開かれたが、この年に神戸のIT企業家有志によって開設されたボランティア・インターネットTVは、今も震災や防災関連の記録を映像として残しつづけている。

 1995.1.17 5:46 阪神・淡路大震災10周年記念事業「復興イベント・インターネット・ブロードバンドTV」には、震災からの復興にあたって神戸が学んだ叡智が集約されていて、きっと、このたびの東北関東大震災の復興にも役立つにちがいない。そのなかに震災復興の過程で求められる情報活動の在り方について考える小さなシンポジウムの記録がある。2005年3月19日(土)に神戸の兵庫県立男女共同参画センターで行なわれた「2005.3.19災害復興に役立つ情報活動」(【一部】集められた震災資料、【二部】被災地での情報活動から見えてきたこと、【三部】討議:災害復興に役立つ情報活動とは、いずれも上記ブロードバンドTV「過去の放映番組」でみられる)と題する、このシンポジウムに私も参加していた。相川康子さん(神戸新聞論説委員)をコーディネーターとする第三部の討議で、まず、震災当時、兵庫県立男女共同参画センターで電話による心理相談を担当しておられた川畑真理子さん(とよなか男女共同参画推進センター相談担当主任)は、震災後の心理相談が情報活動につながっていった経緯を話された。川畑さんたちは、当初、目的を限定しない総合相談として、どんな相談にも対応しておられたが、そのうちに、受けた相談をただ聞くだけでなく、それにどう対処できるか、実際の生活をサポートすることにどうつなげていくかという課題に直面し、そこから「心のケア」を「役に立つ情報をきちんと伝えること」や「現実的に対応すること」としてとらえなおす必要を感じられたのだという。

 実吉威さん(市民活動センター神戸理事長)は、市民が情報の担い手になるという視点から市民のネットワークを形成し、「震災・活動記録室」において情報を残し、伝え、使う活動に取り組んでこられた。その一つとして、復興住宅の供給に関する市の情報が被災者に伝わりにくいことから、それを分かりやすく噛み砕いて作り直す「手引き作り」や「マップ作り」を行い、やがて、行政から流される情報を分かりやすく伝えるだけでなく、行政にたいしても市民の声を伝える双方向のコミュニケーションを行なうことになったという。

 稲葉洋子さん(2005年には国立民族学博物館情報サービス課長)は、震災当時、神戸大学で震災資料の収集活動を行い、「震災文庫」の立ち上げと公開準備にたずさわっておられたが、研究用に資料を収集・保存するだけでなく、市民に使いやすい形で資料を提供するインフラの充実を行ったという。シンポジウムでは、その経緯とノウハウを話された。参考図書:『阪神・淡路大震災と図書館活動 神戸大学「震災文庫」の挑戦』(西日本出版社)

阪神淡路大震災と図書館活動―神戸大学「震災文庫」の挑戦
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「アニマシオン」を教室から解き放て! 報告:大人のための絵本サロン at Lilien Berg

2011年01月12日 | 知のアフォーダンス

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 1月9日、青柳啓子さんによる「大人のための絵本サロン・スペシャル」の第二弾を、小田急線新百合ヶ丘駅に近いウィーン菓子工房「リリエンベルグ」のティールームで行った。参加者はスタッフを含めて16名。リリエンベルグのオーナー横溝さんご夫妻も忙しい仕事の合間に参加してくださった。(参加者の報告が、ブログ「中学生と図書館」「右腕をきたえたい」に掲載されている。)

午前中は「読書へのアニマシオン」の手法を用いて、バーバラ・クーニーの『ルピナスさん』を読んだ。2時間をめどにしたが2時間半が経ったところで昼食時間となった。青柳さんによると、優に3時間はかかるのが普通だという。6歳児以上を対象とした絵本、それも、これまでに一度は読んだことのあるおなじみの絵本だが、それを16人の大人が、ひたすら読み取っていく。だから正しく読めたという保証はまったくないが、予期せぬ展開があって楽しかった。自分一人では気づかなかったことに気づき、知らなかった知識も得られた・・・だけではない。そこから、さらに疑問がわいてきて、思考や想像を掻き立て、新たな発見にいたるという連鎖が、いまも続いている。

アニマドーラの青柳さんは、普段どおりのゆったりとした語り口で私たちを絵本の中に引き入れ、発言をうながし、受容していく。けっして急かさない間の取り方も絶妙だ。集中力が高まってきたところを、少し余韻を残して収束させていくのもアニマドーラの技量である。一連の過程はさりげないが、マニュアルに従ってできるものではない。意識的な体験を繰り返し、アニマシオンにたいする理解が深まるにつれて身についてゆくものだろう。

お昼は、ピタパンとお惣菜とカンパーニュサンドの組み合わせ。田園都市線の藤が丘駅に近いパンドコナ(PAIN de CONA)から取り寄せた。

午後のセッションは、コーヒーアロマの香り立つなかではじまった。まず『読書で遊ぼう アニマシオン 本が大好きになる25のゲーム(モンセラット・サルト著/佐藤美智代・青柳啓子訳、柏書房、1997年)の共訳者でもある青柳さんに「大人のための絵本サロン」や手話による読み聞かせの会「まーの あ まーの」などご自身のやってこられた活動を語っていただき、そのあと、参加者一人一人の問題意識をもちこみながら学校や地域で子どもや大人の学びのためにアニマシオンをどのように活かしていくかを語り合った。

「読書へのアニマシオン」は、集団の遊びを通して一人一人の子どもが、その成長と発達に応じて読書の楽しみ方を知り、自分で好きな本を選んで、どんどん読んでいく力(=「読書力」)をつける活動である。そのために、参加者の多様性と自由意思、思考のための沈黙の時間、学校のカリキュラムの制約から自由であること、といった条件を整えておくことが大切である。この点で、PISAなどの「読解力」の成績を上げることを目標とする方法とは異なる。

まさに地域や図書館の活動として、うってつけではないか。学校でも課外の活動として図書館で行えるはずだ。「読書へのアニマシオン」が日本に紹介されてから14年がたつが、(学校)図書館関係者はどのように受けとめているのだろうか。司書のなかには「子どもに読後の感想を求めてはいけない」とか「指導をしてはいけない」(「読書へのアニマシオン」は指導するもの!?)といった観念にとらわれている人が多いという話があった。(なんというステレオタイプ!)図書館という場所があって、専門の司書いれば、その場所に魂(アニマ)を吹きこむ活動が多様に展開されているはずだ。たとえば、昨年翻訳出版されたフランスの公共図書館60のアニマシオン―子どもたちと拓く読書の世界ドミニク・アラミシェル著/辻由美訳、教育史料出版会、2010年)には、フランスの図書館における多彩な活動が紹介されている。そもそも「アニマシオン」とは、(学校におけるエデュカシオンを補完する)社会教育活動、生涯教育活動のことである。「読書へのアニマシオン」もフランスの公共図書館におけるアニマシオンも、その土壌の上に成り立っているのである。

日本にそのような社会的・文化的な基盤がないとすれば、それを作っていく活動も必要ではないか。子どもだけでなく青少年や大人のためのアニマシオンがあってもいいのではないか。文化的に多様なバックグラウンドをもつ人たちが自らの意志によって主体的に参加して、話し合い、ただ周りに同調するのではなく、それぞれが自分なりの思考活動を通してその場にかかわっていく。そのような場として、私は青柳さんの「大人のための絵本サロン」に共感し、応援したいと思っている。

フランスの公共図書館60のアニマシオン
ドミニク アラミシェル
教育史料出版会

 

<アニマシオン>とは何かを知りたい人には、下記の本をお勧めします。

『アニマシオンが子どもを育てる増山均著、旬報社、2000年)

アニマトゥール フランスの社会教育・生涯学習の担い手たちジュヌヴィエーヴ・ブジョルジャン=マリー・ミニヨン著/岩橋恵子監訳、明石書店、2007年)の第1章

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New Year’s Resolution

2011年01月01日 | 知のアフォーダンス

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 明けましておめでとうございます! 皆さんは新しい年をどんなふうに生きようと思っておられますか

 私は、この3月で70歳になります。第2次世界大戦がはじまった年に生まれてから70年。その間に、社会や自然、家族など私の周りで起こった様々な出来事に様々な影響を受けてきました。それでも、なんとか生きつづけて、こうして平凡な日々を過ごせていることをとてもありがたいと思っています。私は、いま、この年を一つの区切りとして、人生の終盤に向かって新しい一歩を踏み出そうと思っています。これまでの惰性で生きていくのではなく、これまでに培い蓄積してきたものを掘り起こし再構成しながら、皆さんとともに新しい時代を切り開いていきたい。ただ環境の変化に合わせて自分の生き方を変えるのでなく、その環境を変化させている要因のひとつが、たとえ微々たるものであったとしても、ほかならぬ自分自身の意識と行動であることを自覚しながら、目の前の課題のひとつひとつを通して世の中とかかわっていきたい。そんなふうに考えています。自分の行動範囲がいかに狭くても、皆さんとともに正気に生きる道を選んでいけば、世界のどこかで、様々な環境の下で様々な活動を通して同じような精神を貫こうとしている(してきた)人たちと呼応し、響きあうことができるでしょう。そのために私がやるべきことは、「こころ」と「からだ」と「あたま」をひとつにして感受性豊かに世の中とかかわっていくこと。私を取り巻く環境の広がりと微細な変化をとらえて、しなやかに行動していけば、そこから広く深く感じる心が生まれてくるでしょう。そんな自分をいとおしく見つめながら歩んでいきたいと思っています。

 どうか、皆さんにとっても、この一年が充実した年となりますように祈っています!

 

 いま私は、生涯の学びをテーマにした谷川俊太郎さんの「かすかな光へ」という詩の最後一節を思い出しています。全文は一昨年のブログをご覧ください。

 

老人は五感のもたらす喜怒哀楽に学んできた
際限のない言葉の列に学んできた
変幻する万象に学んできた
そしていま自分の無知に学んでいる
世界とおのが心の限りない広さ深さを。

  

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知的活動の場としてのラウンドテーブル(学校図書館自主講座・第1回)

2010年12月04日 | 知のアフォーダンス

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いよいよ自主講座「現代の教育課題に応える学校図書館」がスタートした。司書、司書教諭、その他の教職員や研究者が、これから、およそ月一回のペースで、新しい時代の子どもの学びを支える学校教育と学校図書館のあり方を共に考える。1128日(日)の午後、神戸市勤労会館で行なわれた第一回の会合には、地元の兵庫はもとより、東京、神奈川、奈良、大阪から11名が集まった。この日に出席できなかった人も含めてネット上で話し合いや作業を続けるためのメーリングリストも開設された。日の記録は、こちらをご覧ください。(ブログ「中学生と学校図書館」にも関連記事があります。)

ラウンドテーブル
 
小さな丸いテーブルを囲んで議論をしている研究者たち。その手元にはノートパソコンと飲み物、冊子やメモも無造作においてある。1122日付の朝日新聞(G-7Media Watch)に掲載されたこの写真は、大地震で打撃を受けたハイチの高等教育をオープンエデュケーションで復興支援できないかを議論するMITのシンポジウムのひとコマである。ひとつのテーマをめぐって顔をつき合わせて集中的に話し合う研究者たち。必要な情報やデータは情報ネットワークを通じて手元のパソコンから即座に手に入る。最近よく見かける、このような会議のイメージは、これから21世紀の学校教育と学校図書館のあり方を考えようとしている私たちにとって、きわめて象徴的だ。

ネットワーク時代の知的活動
 かつてソクラテスは、文字や書物が人間の記憶力を衰えさせ知的活動を阻害すると考えて、静的な書物に閉じ込められないダイナミックな対話の必要性を説いた。それに習って、アラン・ケイは「パーソナルでダイナミックなメディア」としてのパーソナルコンピュータのビジョンを描いたという。だが、現実には、本もコンピュータも、かならずしも彼らが予想したように機能したわけではない。書物に逃避して他者との関係を切り結べない者もいる一方で、書物を通して豊かな内的世界を構築し、他者との活発な対話が触発されることも多い。コンピュータのネットワークを通して多くの人とつながりコミュニティを形成することができても、身近な家庭や地域や職場でダイナミックな対話ができないこともある。ニコラス・カー(『ネット・バカ』青土社)によれば、浅く広くつながっていくインターネットの多用によって人は注意が散漫になり、深い読みや他者との共感ができなくなるという。私たちの課題は、ダイナミックな対話による思考を書物やコンピュータに閉じ込めないで、身体も含めた多様なメディアを自覚的に活用して知的活動を行なうすべを身につけることではないか。

学校教育と学校図書館(ジョン・デューイの再確認)
 ここで私たちは、教育の基盤をコミュニケーションにおくとしたジョン・デューイの教育論の現代的意義を再確認しておく必要があるだろう。「生存のために自己を変革する教育はコミュニケーションによって成り立つ。コミュニケーションとは、経験を分かち合って共通の財産とする過程であり、それに参加する双方の当事者の資質を変えるものである。」(『民主主義と教育』第1章、足立訳)このようなコミュニケーションの場として、学校の図書室が果たす役割は大きい。「そこは、子どもたちのさまざまな経験、さまざまな問題、さまざまな疑問、子どもたちが発見してきたいろいろな具体的な事実をもち込んでくる場所となるだろう。そこでは、以上のようなことについて議論がなされるとき、その議論の対象となるそれらのうえに新しい光が投げかけられるが、とりわけ他者の経験からくる新しい光、集結された世界の叡智-それは図書室に象徴されているものであるがというものからの新しい光が、投げかけられる場所である。」(ジョン・デューイ(市村尚久訳)『学校と社会・子どものカリキュラム』講談社学術文庫、p.146)その光景は、デューイの著作から100年が経った現在、小さな丸テーブルを囲んでネットワークにアクセスしながら議論する学者たちの姿と基本的に変わらないのではないか。デューイにとって学校の図書室は、子どもたちの経験を反省的なメタ思考へと高める場でもあった。「ここには理論と実践との有機的な関連がある。子どもは、たんに物事を為すというだけではなく、子どもが為していることについての観念もまた、獲得するのである。すなわち、子どもの実践に入りこみ、その実例を豊かなものにしてくれる。ある種の知的概念を当初から獲得してかかるのである。他方、あらゆる観念は、直接的であれ間接的であれ、経験のなかでなんらかの応用を見つけ出し、生活のうえになんらかの影響を与えるものである。いうまでもないことだが、このことが教育における「書物」あるいは読書の地位を決めることになるのである。書物は経験の代用物としては有害なものではあるが、経験を解釈したり拡充したりするうえでは、このうえなく貴重なものである。」(同上)また、デューイにとって「学校というものを、互いに孤立しているような各部分の複合体にするのではなく、一つの有機的な全体をなすようなものにする」(同書、pp.151-152)こと、言い換えれば、教科、学年、体験、高次の思考といった教育活動の領域やレベルごとに分割された知の統合をはかることが肝要であり、その仕掛けとして図書室を学校の教育活動の中心に位置づけていた。
 子どもたちの学びをはぐくむ学校や学校図書館のあり方を見直そうとする私たち自身の学びもまた、デューイに習って現場の実践を高次の認識に高めるラウンドテーブルとしたい。そんな少々長い前置きを私が語った後、今年の夏にオーストラリアの学校図書館を見てこられた慶應義塾普通部の庭井史絵さんから、写真を見せてもらいながら、その印象を語ってもらった。

オーストラリアの学校図書館
 庭井さんによれば、オーストラリアの学校図書館は、おおむね3つの特徴をそなえているという。
・快適な空間
・コミュニケーションの場としての学校図書館
・探究のプロセスやスキルを自覚させる仕掛け
 学校によって規模や豪華さの違いはあるが、どの学校図書館も書架や掲示はもちろん、ソファやラウンドテーブルやコンピュータや電子黒板にいたるまでが、3つの特徴を具現する統一したデザインに組み込まれていて美しい。オーストラリアといえば、ICTの教育に力を入れていて、学校への電子黒板導入率も高いと聞いている。PISA(国際学力到達度テスト)やIEA(国際教育到達度評価学会)の調査などの国際的な学力調査の基盤となるATC21S21世紀型スキルの評価と教授)の研究プロジェクトもメルボルン大学の研究者が中心になっている。そんなことを考え合わせると、国の教育政策と研究者の成果が「協働による問題解決力」という学力観を共有しながら学校教育に反映されていて、そのなかで学校図書館の基本デザインも行なわれているといえるのではないだろうか?
 「学校図書館に情報のストックとフローがあるのは当然という前提で、なおかつ生徒や教員のコミュニケーションを生み出す仕掛けがあり創造的な活動がしやすい環境が整えられていて、同時に学びに必要なスキルの指導も前面に押し出されているという点でオーストラリアの学校図書館はおもしろかったです。さらに、そういう要素が誰にでも分かる形で存在していることが一番、勉強になりました。」という庭井さんのコメントは、まさに日本の学校図書館活動の課題を的確に指摘している。

ブレーン・ストーミング
 
休憩時間をおいて後半は、この日のテーマである「日本の学校教育と学校図書館」について1時間ほどブレーンストーミングを行なった。これから、このときのメモをネット上で共有しながら、すべての発言をカード化し、次回はKJ方でまとめる予定である。

 今後、この自主講座で扱うテーマは下記の通りである。テーマに関心をもって一緒に考えてくださる人なら、いつでも参加していただくことができる。ご連絡ください。

    21世紀に求められる学力と学校図書館

    学習者・メディアの多様性と学校図書館

    自立した学びを促進する学校図書館の環境デザイン

    学校文化に根差した学校図書館活動
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自主講座:現代の教育課題と学校図書館

2010年11月04日 | 知のアフォーダンス

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現代の教育課題に応える学校図書館のあり方を考え、新たな実践の創出に向けたゼミ形式の勉強会を下記の通り企画しました。テーマは壮大ですが、参加者がリラックスした雰囲気のなかで交流し、自由な発想と柔軟な思索を展開することによって、日常の実践から頭ひとつ抜け出し、日本の学校教育と学校図書館をめぐる状況をクリティカルに見通す目をもつことを目指します。


自主講座:現代の教育課題と学校図書館

目 的:現代社会が直面する教育課題の検討を通して、日常的な学校図書館活動を見直し、新たな実践を創出するための方向性を探ります。

対 象:学校教育に何らかの形で関わっている司書、司書教諭、その他の教職員、および研究者など

ガイド:足立正治(テーマの解説、問題提起、基礎資料の紹介などを行ないます。)

進め方:参加者一人ひとりの関心にもとづいて調査・考察・議論を行い、そのプロセスをネット上で公開します。

日 時:初回は、1128日(日)13301630(原則として月1回のペースで開催します。)

場 所:初回は、甲南高等学校・中学校図書館(芦屋市山手町)

    変更→ 神戸市勤労会館407号室(JR・阪急・阪神「三宮」下車。すぐ)

参加費:会場や資料などにかかる経費は参加者で分担します。

企 画:足立正治(ことばの教育研究会・神戸)、佐藤敬子(甲南高等学校・中学校図書館)

プログラム:第1期(総論)として下記のテーマを設定しました。

1.日本の学校教育と学校図書館

米国の学校図書館基準を手掛かりにして、民主主義、コミュニケーション、教育の公共性と学校図書館のかかわりについて考えます。

2.21世紀の教育課題と学校図書館

知識基盤社会とホリスティックな教育観

持続発展教育(ESD)、キャリア教育、拡張的な学びなど

3.学習者・メディアの多様性と学校図書館

   ノーマライゼーション、多文化共生、学習スタイル、リテラシー教育の多様化

4.自立した学びを促進する学校図書館の環境デザイン

快適さとは何か?

知能環境論とアフォーダンス

ひろばの創造

場の創造力とアニマシオン

5.学校文化に根差した学校図書館活動

   学校における協働と探究の文化の創出

日本型学校文化の特質と変化への挑戦

学校現場と研究者との協働

アドボカシーの展開

    問い合わせ・参加申込は、左欄の「メッセージを送る」から連絡してください。

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学びを深める沈黙-アートとしての「読書へのアニマシオン」体験

2010年08月15日 | 知のアフォーダンス

 

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8月11日のお昼過ぎ、リッツイン清里で行われた「大人のための絵本サロン・スペシャル」に集まったのは20名。関東、関西の各地と、山梨県内では甲府、甲州、北杜の各市から、司書、会社員、主婦、幼稚園の経営者など。それぞれユニークな活動を行っている多彩なメンバーだ。
 関東と関西から参加した筆者を含む何人かは、前日の10日に小淵沢で合流。そこから清里に向かい、ピクニックバスを利用してキープ牧場、清泉寮、やまねミュージアム、まきば公演などをめぐったあと、甲斐大泉にある金田一春彦記念図書館を訪問。ゆっくり時間を過ごした後、司書さんたちの車に分乗させていただき、牧場通りにあるリッツイン清里に向かった。翌11日の午前中は、これも地元の司書さんたちの計らいで、当初の予定を変更して伝統ある北杜高校の図書館の充実ぶりを拝見し、さらに中央線長坂駅の前に建つモダンな設計の長坂図書館を訪れることができたのは思わぬ収穫だった。

木々に囲まれたリッツイン清里の瀟洒な佇まい、八ヶ岳に抱かれた清里の清々しい空気、おいしい食事、北杜の司書さんたちのホスピタリティあふれるもてなし・・・そんな充実感に浸っているうちに、「大人のための絵本サロン・スペシャル」はしずかに始まった。途中でお茶の時間をはさみ、手作りケーキをいただきながら楽しいおしゃべりがはずむ。あっという間に3時間が過ぎていった。

 

一冊の本に、それぞれの人生や価値観、感じ方を重ね合わせ、観点をさまざまに変えながら、それぞれの読みを寄せ合い、交錯させていくと、思わぬ展開や発見がある。『ぶどう酒びんのふしぎな旅』は、そういうアニマシオンにうってつけの絵本だった。だが、今回の体験を言語化し、報告することは、けっして容易ではない。ことばですくい取ろうとしても、すり抜けてしまう体験こそが自分にとって重要な意味をもつように思えてならないのだ。その場を共有していた者のあいだでは意味をもっていたことばも、異なる場におかれると、違う意味をもったり、意味をもたなかったりする。言語力が乏しいと云われれば、その通りである。私は、無力であり、ただ沈黙するのみである。声に出しておしゃべりをしない、ということではない。頭の中のおしゃべりまでもストップさせて、いま、ここにいる自分と向き合う。そんな沈黙の時間が、学びを深めるために必要だった。

アニマシオンによる読書体験は、たんなる内容理解を越えている。行われた場所、集まった人々、交わされたことば、かもし出された雰囲気など、その場で感じたことのすべてと、時間をおいて振り返ったときの新たな気づきなど・・・さまざまな要因が重なりあって少しずつ内面化され、ときには劇的に、ときには微細に、その人の行動や考え方に影響をあたえ、やがて、その後の人生を変えるかもしれない。

アニマドーラを引き受けてくださった青柳啓子さんは、ことばの余白を大切にしながら「絵本サロン」を導いてくださった。本の選定から場の設定、投げかけることば、立ち居振る舞いについても、私たちは、とくべつに意識することなく楽しい時間を過ごすことができたが、振り返ってみると、あらためて青柳さんの経験の深さと存在の大きさに気づく。

モンセラット・サルトさんによると、子どもが読書を楽しむようになるには、内面化のための沈黙と自発性(主体的参加)が不可欠だという。矢継ぎ早にたたみかける問いや指示が、子どもから内面化のゆとりと自発性をどれだけ奪っていることだろう。クリティカルリーディング、ブッククラブ、リタレチャーサークルなど、さまざまな読書指導の方法が目まぐるしく紹介されているが、このことへの配慮は忘れないでほしい。

 

まだ清里の余韻が残っていて、一回限りで終わってしまうのは、なんだかもったいない気もする。学校図書館や地域にアニマシオンを根付かせるために研修と絵本サロンを組み合わせたプログラムを組んでみるのもいいかもしれない。ゆったりとした時間をとるために合宿も実現したい。思いはかぎりなくふくらんでいく。

 

【付録】

青柳さんがお住まいの丹波山村近くにある甲州市一ノ瀬高橋の山の中で、8月8日から15日まで開催されていた「小さな削ろう会 in 一ノ瀬」のことを教えていただいた。世界中から、ものづくりの職人さんがボランティアで集まって二つの小屋を作るのだという。「昔から伝わる“手道具”を使い、小さな小屋造りを通して、楽しみ、交流を深め、先人の思いを受け継ぎ、21世紀のものづくりの在り方を一緒に考え、次の世代へ伝えていく」のが目的だという。黙々と作業をしている職人さんたちを見ているだけで、時の経つのを忘れるという。その様子は、下記のホームページとブログでうかがえる。

http://www.tatami-world.com/ichinose.html

http://www.tatami-world.com/travel_of_my_search/99/

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ぶどう酒びんのふしぎな旅(大人のための絵本サロンin清里)

2010年07月24日 | 知のアフォーダンス

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 8月11日に開かれる「大人のための絵本サロンin清里」で一緒に読む絵本が決まりました。以下は青柳啓子さんからの案内です。

このサロンでは、1冊の本を読んでアニマシオンの手法を参考に参加者がおしゃべりします。お茶とケーキを味わいながら、みんなで同じものを読んでも、見えてくるものは実に様々。よい絵本には、広くて深―い世界が展開します。ここで過ごせば、よく知っているつもりの本や友人の<新たな顔>を発見することになるでしょう。 大人のための絵本サロンスペシャルin清里-どうぞお友だちを誘って遊びにきてくださいね。


さて、今回の絵本は
 (お持ちの方はぜひご持参ください!

『ぶどう酒びんのふしぎな旅』

影絵/藤城清治  原作/アンデルセン 訳/町田仁   講談社

ぶどう酒びんのふしぎな旅
藤城 清治
講談社

 屋根裏部屋の窓辺に、おばあさんの飼い鳥の水飲み用につるされた、割れているびんの口。このびんの口が初めてびんになった時からの身の上を思い出していく。その後たどる、ぶどう酒びんの運命とは・・・26歳で刊行した最初のモノクロ絵本を60年後の誕生日にカラーで再度作った影絵アーティスト藤城氏の渾身の作品。氏が一番好きなおはなしだというアンデルセンの短篇に「経験と技術と感動のすべてをこめて」光と影の芸術による新たな命が吹き込まれました。

 さあ、私たちも夏のひととき、びんのおはなしに耳をかたむけてみましょう。

        「ぶどう酒びんのふしぎな旅」チラシ


日時:2010年8月11日(水) 13:30  ~15:30

場所:リッツ・イン・清里  北杜市高根町清里3545-926

参加費:1,000円 (ジュース・ケーキ・コーヒー付き)   必ずご予約ください

アニマドール:青柳啓子さん

宿泊:8月10日「リッツイン清里」での宿泊を希望される方はお問い合わせください。

宿泊の方はサロン参加費を500円に割引いたします

*前日(8月10日)19時より夕食&交流会を開きます。本や図書館のことに関心のある方、ご参加ください。

詳しくは、こちらをご覧ください。http://www.kh.rim.or.jp/~masa-sem/forum/index.htm


リッツイン清里

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「大人のための絵本サロン・スペシャル」へのお誘い

2010年07月05日 | 知のアフォーダンス

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 この夏、清里で「読書へのアニマシオン」の手法を使って一緒に絵本を楽しむ「大人のための絵本サロン・スペシャル」を計画しました。

日時:811日(水)13001500

会場:ペンション「リッツイン清里」(山梨県北杜市清里)

アニマドール:青柳啓子さん

宿泊:810日「リッツイン清里」での宿泊を希望される方はお問い合わせください。詳しくは、こちらをご覧ください。http://www.kh.rim.or.jp/~masa-sem/forum/index.htm

 アニマシオンといえば、読書指導の方法だと思っている人が多いらしい。「読書へのアニマシオン」が普及し、その「作戦」を用いてみんなで本を読み合う姿が多くの学校で見られるようになったからかもしれない。結構なことだ。そう思う反面、どこか違和感もある。「教室」で「教師」が「授業」の一環として行う指導(teaching)や教育(education)とアニマシオンは相容れるのか。スキル(指導技術)としての作戦に目を奪われて、総合的なアートとしてアニマドールの技量を磨くことがおろそかにならないか。「アニマシオン」と「読書へのアニマシオンの作戦」を用いた読書指導を同一視することで、何か大切なことを見落としていないだろうか。

「アニマシオン」の意味を、増山均氏の「人間発達とアニマシオン」という文章で確認しておこう。私なりに要約すると、「遊びや余暇や文化活動を通して、面白さ、楽しさを追求していくことで私たちの精神を活性化し、エデュカシオンだけではじゅうぶんに果たしえない人間の成長と発達を助けるプログラム」ということになる。それに加えて、多様な背景をもつ人々を視野に入れた広い意味での異文化交流という側面も忘れてはならないだろう。このようなアニマシオンをベースにすれば、さまざまな場面で多様な読書活動を展開することができる。たとえば、休日の昼下がりに、公共図書館や公民館、書店やカフェ、レストランといった多様な人々の集まる場所を利用して、読書とおしゃべりを楽しむのもいい。そのようなアニマシオンの担い手として、甲府市のイタリアレストラン「ラ・ベッラ・ルーナ」を拠点にして「大人のための絵本サロン」を続けてこられた青柳啓子さんは、次のように語っておられる。「いいことを言わないと、というのではなく、ただ思ったことを発表する機会は、今の時代の大人にあまりないと思う。短い時間でも、発表の中でそれぞれの個性が見え、知らない人同士でもどこか通じ合っていく。別の人の考えを聞くと発見がある。」「絵本だけでなく、例えば星を見て話してみるなど、場を活性化させるためにいろんな場面で活用できると思う。」(「八ヶ岳ジャーナル2009315日)

では、学校という場で、読書を楽しみ人間的な成長を促すことに重きをおくアニマシオンは、どのように展開できるのだろう? たとえば、課外の活動として学校図書館でアニマシオンを呼びかけてみる。すると、その日に取り上げる本に関心をもっている生徒が、学年を越えて集まってくるだろう。何でもいいから、みんなと話し合いたいという子どもも来るかもしれない。子どもたちに交じって先生方にも参加してもらおう、AETや留学生を誘えれば、なおいい。父母や地域の大人に声をかけることも可能だろう。大切なのは、多声が響き合う場を設定し、そこに多様な人々が自らの意思で選びとって参加することだ。アニマドールをつとめるのは、司書でも教師でも、ベテランの経験者をゲストに招いてもいい。いろんな人が関われば、お互いのやり方を見て学び合うこともできる。そこに、教室の授業とはちがった、ダイナミックな学びの場が生まれる可能性がある。

子どもたちの情熱を掻き立てる。(それは、奇しくも、628日に米国教育長官のアーン・ダンカンがAASLの役員との対話の冒頭で述べたスクールライブラリアンにたいする認識ではないか。)その活動の一環として、「読書へのアニマシオン」を学校図書館活動に取り入れることを提唱したい。
 そんな思いを込めて、青柳さんのアニマシオンを体験し、共に学ぶプログラムを計画しました。どうぞ、ご参加ください。


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もっと、心の壁を超える直接的な対話の場を!

2010年01月12日 | 知のアフォーダンス

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 1月11日付朝日新聞(関西版)の「日本 前へ(9)」は、「哲学カフェ」など、異質な他者との議論や対話を通して心の壁を越えようとする試みが各地で展開されていることを紹介している。「人の意見を聞きながら自分の考えが明確になる」「意見は最初からあるわけではない。議論をしながらつくるもの」という。その点に着目して、大阪大学臨床哲学研究室の先生や院生が進めている哲学カフェ高校での哲学の授業に注目してきた。甲府のイタリアレストラン「ラ・ベッラ・ルーナ」の絵本サロン「おいしい月(左のブックマークを参照)で行われている、一冊の絵本をめぐって多様な参加者が語り合う「読書へのアニマシオン」も、そのような試みの一つといってよいだろう。

 市場原理主義とグローバル化が進むなか、さまざまな局面で格差が広がり、人々はますます分断されていくようだ。国家、民族、企業や職場、学校、専門職団体から趣味のグループにいたるまで、利害関係や価値観を共有できるグループ内では内向きのコミュニケーションやコミュニティ形成が進む一方で、価値観の異なる他者とは一線を画し、競争・敵対の相手とみて勝利や吸収統合をめざすか、「多様性」を認めるとして干渉や深い関わりを避けようとする。そんな社会だからこそ、共通の課題をめぐって異質な他者と議論し、つながりと協働を生み出す場が求められる。メディア環境の面からみても、電子的なコミュニケーション網が張り巡らされ、仮想の空間が拡大しつつある社会にあって、身体感覚をともなって直接的に触れ合い、アタマとカラダを使うトータルなコミュニケーションの場を確保しておくことが必要である。

 学校教育においても、学校図書館を、そういった「議論」「対話」「協働」の拠点として生かすことができるのではないか、そうしたい、と考えてきた。子どもたちが独りで読書をし、課題に取り組んでいても、書籍や資料を通して多様な人々との対話が行われている。だが、もっと直接的なコミュニケーションを通して、お互いの経験を分かち合い、その時、その場の生の考えや感情を交換し、自分の考えを練ることができる場であってもよいのではないか。ジョン・デューイが考えた学校の図書室の役割は、まさにそのようなものであった。(ジョン・デューイ著、市村尚久訳『学校と社会・子どものカリキュラム』講談社学術文庫、1998, p.146)

 学校図書館は、学年や教科を横断して生徒や教師が常に行き交うだけでなく、さまざまなイベントを企画し、地域の人たちや専門家などをゲストとして招くこともできる。そんな知のプラットホームとしての学校図書館(メディア・センター)を拠点として、地域社会とつながり、新たな出会いを通して心の壁を超えていくメディアの授業を行っている高校がある。先日、神奈川県立相武台高等学校が、女子美術大とのコラボレーションによる授業をまとめた冊子「人生模様」を送ってもらった。高校生が地域の人たちに「あなたの思い出の模様は何ですか?」という質問から始まるインタビューを行った記録と思い出の模様をまとめたものだが、生徒も地域の人たちも生き生きしていて、その出合いがいかに新鮮だったかがうかがわれる。調べ学習の評価をするなら、さしずめインタビューの手法やまとめ方とか、記述の正確さなどを指摘すべきところだろうが、そんなことはいったん棚上げにして、この作品が、とかく「元気がない」「消極的だ」といわれる若者ばかりでなくインタビューを受けた地域の人たちや読者にも活気を生み出している点を高く評価したい。さらに、この授業がインタビューの当事者と指導教師だけでなく、メディアセンターの司書も含めて、じつに多くの身近な個人や組織・団体が関わって行われていることにも注目したい。生徒は「わけもわからず無茶なことをやらされた」といい、先生は「すべて用意周到に段階を踏んで授業を行ったとしたら、私の意図する学びに結びつかない」「可愛い子には旅(=無茶)をさせなければならない」(p.110)という。教師と生徒の絶妙な関係がそこにある。こうして、生徒はかつて経験したことのない達成感と高揚感を味わったにちがいない。教師は、直接的には教えることのできない動機、やる気、活力、生きる力といったものを誘発するような場の提供や接し方を追求していくことが大切だろう。

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読書活動の推進は、学校と地域の図書館機能の充実を軸に!

2009年11月25日 | 知のアフォーダンス

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 民主党政権が進めている行政刷新会議の事業仕訳で初日(1111日)に「廃止」と判定された「子どもの読書活動推進事業」に関する事業内容、仕分けの論点、評価コメントと評価結果が公開されている。

「子どもの読書応援プロジェクト」「子どもゆめ基金」の施策・事業内容

論点の説明

事業仕分けの評価コメントと評価結果

関連サイト

「子どもの読書情報館」

「子どもゆめ基金」

独立行政法人国立青少年教育振興機構

 評価結果とコメントには、ほぼ全面的に賛成である。事業の重複、天下り組織の介在、事業内容の妥当性など、国費を投入して行われてきたこれまでの非効率な活動にもどかしい思いをしてきたが、そこにやっとメスが入った。

 文科省には、この機会に地域と学校の図書館が一体となって実質的な読書活動が推進されるような制度の再設計を求めたい。図書館が資料提供だけでなく資料活用のプログラムを展開することを、もっと奨励すべきだ。公共図書館には、地域におけるさまざまな読書活動推進の取り組みや多様な人的資源、関連諸機関とも連携して、幼児から高齢者までを巻き込んで魅力的な活動プログラムを展開してもらいたい。若者を図書館サポーターとして積極的に活用するのもいいだろう。そのような革新的で創造的な活動プログラムにたいして国が財政的援助を行うことも検討してほしい。

 一方、学校図書館は、学校の教育活動と有機的に結びついた「読書」と「探究」を展開することが求められる。そのためには、子どもたちが、読書力を基盤として多様なメディアやリソースを活用して探究的で拡張的な学びを推進できるようなプログラムを担任教師と協働で立案・実施できる専門職の配置が必要だ。学校図書館法では、12学級以上の学校に「学校図書館の専門的職務を掌る」司書教諭の配置が義務付けられているが、多くの学校で充て職であり、専門職としての意識に乏しい。今後、「学校司書」や「司書教諭」の専門化と専任化を推進する方向性を打ち出すべきだ。知識基盤社会に向けた学校図書館の概念・役割・ビジョンを明確にしたうえで、抜本的な制度改革と人材の育成が急がれる。

ネット中継

 インターネット中継や公開されている資料に目を通してみると、仕分け作業が決して上滑りなものになっていないことが分かる。「廃止」「見直し」「削減」と判定されたからといって、必ずしも事業の意義を否定されたわけではない。目的達成のために、税金の有効な使い方を含めて事業そのものの再検討をすべきであろう。官僚や事業の代表者が、問われている問題に的確に答えないで、事業の意義や理念を延々と説いたり言い訳する姿に惑わされてはいけない。繰り返し放映される断片的なテレビの映像やニュースキャスターのコメントに振り回されずに、仕分け評価の是非を私たち一人一人が判断することが大切だ。

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「小学生の図書貸し出し最多 1人35冊」!?

2009年11月17日 | 知のアフォーダンス

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 1114日付の朝日新聞朝刊に標記の見出しをみつけて、ざっと目を通すが、どうも要領を得ない。短い記事なので全文を記す。 

 小学生が図書館で借りる本の冊数が2007年度、1人当たり35.9冊と過去最高だったことが文部科学省の調査で分かった。前回より2.9冊増えた。文科省は「学校での『朝の読書』などの活動が根づいてきた結果だろう」と分析している。
 調査は、文科省が3年に1度行っている。図書館全体でみると、館数は昨年10月時点で3165館と、これまでで最も多かった。20年前より1.6倍に増えている。
 登録している利用者は3403万人で、本を借りた人数は、のべ17135万人。貸し出された本の冊数も63187万冊と過去最多だった。貸し出し冊数は前回の04年度より5114万冊多くなっている。1人当たり年に18.6冊借りた計算だという。

 まず、この記事には、文科省の調査が何なのかが明記されていない。しかも、見出しに直接的に対応しているのは最初の段落だけで、後は図書館全体の話である。記事は何を伝えようとしているのだろう? ネットを調べているうちに、どうやら1112日に発表された2007年度分の社会教育調査の中間報告結果を根拠にしているらしいことをつきとめて照合してみた。最初の段落は報告の次の部分にもとづいているらしい。

 「うち児童(小学生)に対する貸出業務の実施状況をみると,登録者数,帯出者数及び貸出冊数はそれぞれ399万人,2,043万人,1億3420万冊で,前回と比較すると,それぞれ29万人減(同△6.8%),321万人減(同△13.6%),104万冊減(同△0.8%)となっている。登録者1人当たりの年間利用回数は,6.7回(前回比0.4回増),貸出冊数は35.9冊(同2.9冊増)となりました。」

 1人当たり35.9冊という数値は、図書館の利用登録をしている小学生についてのべたもので、全小学生を対象にしたものではない。しかも、その登録者数は減少傾向にあって、上記の報告によると1995年の790万人に比べて半数近くに減少している。単に文科省の調査結果を圧縮して紹介するだけなら「利用登録をしている小学生の貸し出し冊数が増えた」あるいは「貸し出し冊数の多い小学生が図書館の利用登録をしている」といえばよい。小学生全体の図書館利用の傾向を知りたいところだが、それには、少子化による小学生の総数の変化、貸し出された本の種類、学校図書館における貸し出し状況などのデータを総合的に考察する必要があるだろう。単に文科省の発表を横流しするだけの安易な記事は書いて欲しくないものだ。

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「学びの共同体をはぐくむ学校図書館」を考える連続シンポジウム

2009年02月17日 | 知のアフォーダンス

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 同志社大学司書課程・司書教諭課程主催で「学びの共同体をはぐくむ学校図書館」Developing Learning Communities through School Librariesを考える連続シンポジウムが2回にわたって行われます。

 第1回は,北米からお二人の学校図書館の研究者をお呼びし,collaboration(協働)とinquiry(探究)をキーワードにお話いただきます。それをふまえて第2回は,日本の2つの学校から,学校図書館における職員の配置と協働の体制,情報活用能力の育成などについて,事例を報告していただきます。2つの会を通して,これからの学校図書館のあり方について考えます。詳細は,シンポジウム特設ウェブサイトをご覧ください。

<プログラム>

第1回:200935日(木)16:30-20:00 @同志社女子中・高等学校図書館
司会:Dr. アンドリュー・ウエルトハイマー(Andrew Wertheimer;ハワイ大学)
講演1:Dr. バイオレット・ハラダ(Violet Harada;ハワイ大学マノア校情報・コンピュータ科学部,図書館情報学プログラム教授)
 「学びのスペシャリストとしてのスクール・ライブラリアン:21世紀の学校における協働の重要性」"School Librarians As Learning Specialists: The Importance of Working Collaboratively in the 21st Century School"
講演2:Dr. ジェニファー・ブランチ(Jennifer Branch;アルバータ大学教育学部遠隔教育によるティーチャー・ライブラリアンシップ准教授)
 「すべての児童・生徒にとって意味のある探求の経験:学校における探究の文化の発展に対するティーチャー・ライブラリアンの役割」"Meaningful Inquiry Experiences for All Students: The Role of the Teacher-Librarian in Developing a Culture of Inquiry in Schools"
(ブランチ先生は、探究に焦点をあてた学びFocus on Inquiryの著者です。)

回:2009322日(日)13:00-17:30 @甲南高等学校・中学校図書館
司会:足立正治(甲南高等学校・中学校非常勤講師)
実践報告1:家城清美(同志社女子中・高等学校司書教諭)
 「学校図書館がカリキュラムに組みこまれるまで」
実践報告2:中津井浩子(甲南高等学校・中学校司書教諭),佐藤敬子(同校司書)
 「司書教諭と学校司書が共に専門職として協働する学校図書館」
ディスカッション:コメンテータの発言からフリーディスカッションへ
     宇田川恵理(鳥取県立米子南高等学校司書)
   河野隆一(関西学院中学部・高等部司書教諭)
   児玉英靖(洛星高等学校・中学校教諭;交渉中)
     橋本直樹(同志社大学社会学部4回生)
     山本志保(清教学園中・高等学校教諭)

<お申し込み>
・それぞれのシンポジウムの4日前(31日;318日)までに,シンポジウム特設ウェブサイトからお申し込みください。

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絵本サロン「おいしい月」へのご案内ふたたび

2009年01月08日 | 知のアフォーダンス

 

 昨年5月にも紹介した甲府市青沼のイタリアンレストラン、ラ・ベッラ・ルーナ(La Bella Luna)で行われている大人のための絵本サロン「おいしい月」の活動が、昨年末の山梨日日新聞で紹介されています。主催者の青柳さんに送っていただいた切り抜き(pdfファイル)をアップロードしましたので御覧ください。

絵本サロンの記事(山梨日日新聞2008年12月31日)

 「おいしい月」では、ヨーロッパで生まれた「読書へのアニマシオン」という手法が使われています。アニマシオンとは、遊びを楽しみ、喜ぶことで精神が伸びやかに輝き、魂が活性化されること。参加者が絵本を一緒に読んでおしゃべりをしながら対話と交流を進めるうちに自然に読みが深まっていきます。できるだけ多様な背景をもった人が集まったほうが面白いこの「読書へのアニマシオン」を体験してみたい人は、お店に連絡してください。

2月の会は次の通りです。

■日時:21() 1130 am ~ 参加費:1,500円 (ピッツァ+コーヒー付き!)  
 ラ・ベッラ・ルーナ(La Bella Luna) 甲府市青沼1-11-1☎ 055-228-2995
 前日までにご予約ください
 今回の絵本は、

終わらない夜
セーラ・L. トムソン,ロブ ゴンサルヴェス
ほるぷ出版

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Imagine a Night

Atheneum

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ひとつひとつの迫力ある絵画が、私たちを美しく幻想的な夜の旅へいざなってくれます。作者がゴンサルヴェスの絵に想像力をかきたてられ、各作品に詩をそえた美しい絵本です。

☆「読書へのアニマシオン」については、このブログでも何度か私の見解を書いています。
読書へのアニマシオンはクイズか?
社会文化アニマシオン」と「読書へのアニマシオン」

読書へのアニマシオン」が問いかけるもの:「学校図書館ジャムセッション」に向けてのメモ(2)

 

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大人のための絵本サロン「 お い し い 月 」

2008年05月27日 | 知のアフォーダンス

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 「おいしい月」とは、甲府市青沼のイタリアンレストラン、ラ・ベッラ・ルーナ(La Bella Luna)で行われている大人のための絵本サロンのことである。一回に一冊ずつ絵本を読む。そして、ヨーロッパで生まれた「読書へのアニマシオン」の手法を手がかりにして参加者がおしゃべりをする。お店自慢のピッツアも味わえる至福のひと時を過ごしてみたいと思われる方は、お店に連絡されることをお勧めする。

La Bella Luna

 一度お邪魔したことがあるが、おいしい料理とそこに集う人たちが、とてもいい雰囲気をかもし出していて、魅力的な空間だ。

 勝沼図書館で子どもたちを相手にアニマシオンを実践しておられる主宰者の青柳啓子さんは、文化は与えられるものではないので、まずは「民」のレベルで本をきっかけに人がつながっていけたらいいと思う、とおっしゃる。そして、1冊の絵本をみんなで読むという方法は、参加者どうしの相互コミュニケーションを促すことになり、アメリア・アレナスの鑑賞教育にも共通するものを感じる、とも。まったく同感である。

みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。
アメリア アレナス
淡交社

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みんなで同じものを読んでも、見えてくるものは実に様々。

よい絵本には、広くて深―い世界が展開します。

ここできっと、よく知っているつもりの本や友人の

<新たな顔>を発見することになるでしょう。

絵本もおいしい!

ピッツアもおいしい!

(「おいしい月」案内文より)

  6月1日(日)に開かれる第17回のサロンでは、『ずーっと、ずっと だいすきだよ』(えとぶん ハンス・ウイルヘルム、やく 久山太市、評論社)を読む。

 

ずーっと ずっと だいすきだよ (児童図書館・絵本の部屋)
ハンス ウィルヘルム
評論社

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■日時

6月1日(日)

11:30am

参加費:1,000円

(ピッツァ+コーヒー付き)

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報告:第5回学校図書館ジャムセッション

2007年08月27日 | 知のアフォーダンス

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 第5回学校図書館ジャムセッションは、8月18日、19日の両日、川崎市のカリタス女子中学高等学校で開催されました。1日目88名、2日目52名、学校関係者はもちろん、市民、企業関係者、研究者など多彩な皆さんが参加してくださったおかげで、多様な声を響き合わせる(多様なバックグラウンドを持つ人々の経験をつむぎ合わせる)ジャムセッションのスタイルを維持しながら、盛会のうちに終えることができました。その評価については、皆さんに送付をお願いしている振り返りシートや9月に予定しているスタッフの反省会を待たなければなりませんが、私自身にとっては、2日間のセッションを通して、わが国における新しい学校図書館の概念の萌芽を見ることができたように思います。

 その様子と何人かの参加者がウェブ上で公開しておられる報告へのリンクを、下記のサイトでご覧いただくことができます。

 第5回学校図書館ジャムセッション

 企画会議の一員として私は次のような思いでセッションに臨みました。

・生徒一人ひとりの成長と学びを育む学校教育(学校改革)を担う一員として司書・司書教諭はどのような役割を担うか。

・他の教職員とどのように連携していくか。

・そのような活動を行なう専門職の基礎基本とは何か。

このような問題について、これまでの実践や考え方を批判的に問い直しながら新しい学校図書館の概念を模索したい。

 1日目のセッションでは、おおむね次のような視点が提起され、2日目は、それをもとに参加者各自の問題意識を絡めて議論し、その経過をポスターにまとめて発表しました。

・授業における協働のあり方

・子どもの意欲やヤル気をどのようにとらえて学びへと展開するか

・低学力の子どもをどうするか

・学校の教育体制と学校図書館のかかわり

・メタ認知やメディアリテラシーの考え方を取り入れた学校図書館活動

 今後、何らかの形でセッションの全般にわたる報告と総括を行なうつもりですが、私の個人的な反省点と今後の課題をいくつか記しておきます。

(1)テーマを絞り込んで議論を深めるために2日間のセッションとし、定員を50名に限定しましたが、それでも、一つひとつの発表にたいして十分に議論を尽くすことができませんでした。
 今回のセッションを総括した後で、さらにテーマと人数を絞り込んで合宿をするなどして、さらに議論を深めることで新しい学校図書館のあり方をまとめることができればいいのですが・・・

(2)今回もやはり図書館サイドの参加者が数の上では圧倒的に多かったので議論の内容が偏るのではないかと心配したのですが、さまざまな立場の皆さんが積極的に参加してくださったので多様で刺激的な議論が展開できました。今後、さらに教員サイドの参加者が増えると、もっと議論が深まることが期待できます。

(3)その他、各論のレベルでの反省は、参加者による振り返りシートとスタッフによる総括をふまえた報告にゆだねることにしますが、プログラムの運営について、さまざまな不手際があり、参加者の皆様にご迷惑をおかけしたことを、この場を借りてお詫びいたします。

 「ジャムセッション」は一時的なイベントにすぎませんが、専門職による主体的な学びのスタイルのひとつとして受け止めていただき、各地域、各職場でその時々に生じる課題について、このスタイルによる教職員相互の学び合いが日常的に行われることを期待します。

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HERE COMES EVERYBODY (HCE From Finnegans Wake by James Joyce)

いま、ここに生きているあなたと私は、これまでに生きたすべての人、いま生きているすべての人、これまでに起きたすべての事象、いま起きているすべての事象とつながっていることを忘れずにいたいと思います。そんな私が気まぐれに書き綴ったメッセージをお読みくださって、何かを感じたり、考えたり、行動してみようと思われたら、コメントを書いてくださるか、個人的にメッセージを送ってくだされば嬉しいです。

正気に生きる知恵

すべてがつながり、複雑に絡み合った世界(環境)にあって、できるだけ混乱を避け、問題状況を適切に打開し、思考の袋小路に迷い込まずに正気で生きていくためには、問題の背景や文脈に目を向け、新たな情報を取り入れながら、結果が及ぼす影響にも想像力を働かせて、考え、行動することが大切です。そのために私は、世界(環境)を認識し、価値判断をし、世界(環境)に働きかけるための拠り所(媒介)としている言葉や記号、感じたり考えたりしていることを「現地の位置関係を表す地図」にたとえて、次の3つの基本を忘れないように心がけています。 ・地図は現地ではない。 (言葉や記号やモデルはそれが表わそうとしている、そのものではない。私が感じたり考えたりしているのは世界そのものではない。私が見ている世界は私の心の内にあるものの反映ではないか。) ・地図は現地のすべてを表すわけではない。 (地図や記号やモデルでは表わされていないものがある。私が感じたり考えたりしていることから漏れ落ちているものがある。) ・地図の地図を作ることができる。 (言葉や記号やモデルについて、私が感じたり考えたりしていることについて考えたり語ったりできる。)