ひまわりママの脳腫瘍闘病記2

~ひまわりのように いつも おひさまのほうをむいて~
28才で発症した2人のママ。4度のオペを経て身障1級になりました

これまでの経過 その2

2011年10月14日 | もう何もできない

日々いろんな出来事があり、苦しみや悲しみもありましたが、病と共存しながらも、僕たち家族には小さな喜びや楽しみがたくさんあったと思います。


なるべく長く家で生活できるように、訪問看護に週3回、素敵な訪問ドクターにも週に一度来ていただき、入浴と体調チェックを中心にしたケアを受けながらがんばってきました。ひまわりはこの訪問入浴と、素敵なドクターの訪問をとても楽しみにしていました。
時々発作が治まらなくなり、緊急で大学病院に入院してお世話になることもありましたが、状態が改善されると、また帰ってきました。

ひまわりにとっての一番大きな目標は、この春の大地の小学校卒業を見届けるということでした。

振り返ってみれば、この病を発症した2000年の夏、聞き慣れない病名と、MRI画像の右頭頂部に映った渦のように巻く白い影に不安を覚え、いろいろ調べてみて、絶望的な気持ちになったことを思い起こします。いずみは4歳、大地はまだ1歳半の夏の出来事でした。

この病気を知ったとき、妻は、大地の小学校入学までは生きて見届けたいと強く願いました。そして、子どもたちの太陽として、ひまわりのように明るく生きようと決心しました。それがこのブログの「ひまわりママ」の由来です。

それから時間が過ぎ、幼児だったいずみも大地もいつの間にか大きくなり、思春期を迎えました。発症当時目標とした大地の小学校入学をクリアし、さらに小学校卒業、そして中学入学までも見届けることができたことは、とても大きな喜びです。

子どもたちにとっても、もちろん言葉に言い尽くせない苦しみや悲しみはあることと思います。つねに「母親の死」ということと頭のどこかで向き合いつつ過ごす日々は、幼い子供たちにとって、あまりに重い重荷であるかもしれません。確かに病とともにある生活は制約も多く、多感な彼らにとって不満も多いものであるかもしれませんが、それを覆ってあまりあるほどの喜びと学びもたくさんあったと思うのです。
たくさんの友人たちに無条件に愛され、支えていただいて歩むことのできる喜びは、僕たち家族にとって、とても大きな希望と宝物なりました。感謝でいっぱいです。

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