ひまわりママの脳腫瘍闘病記2

~ひまわりのように いつも おひさまのほうをむいて~
28才で発症した2人のママ。4度のオペを経て身障1級になりました

悔しい気はします

2007年03月31日 | 再々発
慌しく過ぎていく毎日。
入院が決まってから、その速度がいよいよ速まったように思います
あれもやりたい、これもしなきゃと心は急いても、一日にできることは、限られていますよね

慌てて考える旅行計画と、仕事のきり、子供の学校の準備・・・
ホントに時間が倍ほしい

昨日、食器洗いやお掃除をしながら思いました。
せっかく2年かかって、やっとここまで家事ができるようになったのに、また「振り出しに戻る」かぁって。

はじめは食器洗いも利き手が変わってしまってやりにくかったっけ。
掃除機をかけるのも、バランスを取るのが難しかったし、結構な運動になるのか、脈が速くなったっけな。
それが、だいぶまともにできるようになりました。
切りモノの少ない簡単な料理ではあるけれど、食卓を調えられるようになったし。

だから正直残念ではあります

仕事も「守備範囲」を広げて、だいぶ「らしく」なってきたのに、休業せざるを得ないのはとても悔しいです。

でも、わたしの気持ちは、すでに臨戦態勢に入っています。
やっぱりやることやって、復帰するしかないんです。

失行がどの程度出るか、わからないから、術後どのくらいで今と同じくらいに戻るのか、それとも同じようにはもう戻らないのか、まったくわかりませんが、主婦業へも仕事へも「復帰」を信じて(今でもどっちもすごく中途半端だけど)まずは自分の頭の中に巣食う腫瘍との闘いに専念しようと思います


たくさんコメントをいただいて、ありがとうございました
みんなのパワーをいただいて、新しい闘いに挑んできます
コメントの中からひとつ。
ちぇぶさん、じゃなかった(ごめんなさい)愛さん。わたしホントに泣いてないから大丈夫だよ。
再々発とわかっても泣く気にはならないんです。
どうしてかな
自分ですべてを知っている以上、執るべき道はひとつ、とわかってる(納得してる)からかな

どうにも前が見えなくなったら、先が見えてしまったら、そのときは泣くかもしれません
でもまだ今は、元気になるつもりなので、再々発も手術も「通過点」でしかないからだと思います。

手術決定

2007年03月29日 | 再々発
行ってきました、今日の外来。
そして入院日と手術日が決まりました
4/10入院、4/16手術。

先生が伝えてくれたカンファレンスの結果は、どの先生方の意見も、「まず再発だろう」ということ、早めに手術が望ましいこと、縦スライスの画像の切除部分の外郭に沿って縦に小さい点々が4つ並んでいるのもたぶん小さい腫瘍だろうということ。

「で、どうする?」
と先生。
「もちろん手術のつもりで来ました。」
と言うと、それじゃ話が早いと言われました
「だってね先生、今保留にして、例えば1ヶ月遅らせたところで、手術には変わりないでしょ?それに、もしその間に大きくなっていたら、切除範囲も広くなっちゃうでしょ?それなら今小さいうちにやってしまったほうがいい」
「その通りだね」

パパいわく、ひまわりと先生は息がぴったり合ってるねと。
物事の決断の早さ、思い切りのよさ、物事をハッキリ言うところが、とても似ているんです。

切除は明らかに出ている腫瘍と小さい「腫瘍の赤ちゃん」を含め、2cm程度。
今度は後ろ寄りなので、どちらかといえば思い切って取れる、と言いました
内側は右脳のぎりぎりまで、深さは脳梁と張り出してきている運動野を傷つけないように、前側は前回、前々回の摘出腔があるので明確です。
脳梁とは、右と左の脳を結んでいる橋ですが、ここを傷つけてしまうと、失行が強く出てしまうんだそうです。
また、深いところは運動野にあたる危険があるので、それは術中調べながら慎重に取ると言っていました。

2cmって画像で見ると、かなり大きいんです
前に摘出した部分も含めると、2cm四方取っちゃったら、右脳は4分の1以上なくなってしまう感じに見えます
ちょっとアセる
ワタシ、正真正銘の「ノータリン」になっちゃうワ昔、同室の人とそう言って笑いあったものだけど

いちばん引っかかったのは、手術の日取りです。
わたしは内心23日にと思っていました。
手術ってことは、数日前には入院になるだろうから、前の週は入院と思っておかなければいけないし、ということは、旅行に行くならその前の週。
教会のイースター(復活祭)という大きい行事が終わった後に出かけよう、と思っていたのです。
ところが1週早まってしまうと、イースターの前、すなわち今日から1週間も経たないうちに出かけることになってしまうんですよね
こんな急じゃ、格安ツアー探そうたって、飛行機利用のツアーはすでに〆切・・・くやし~

でも、脳腫瘍グループのオペは毎週月曜日。
16日を蹴ると23日はすでに手術予定が入ってるというし、30日はできない(たぶん連休中日だから)というし、そうすると5/7になってしまう。
ここで3週間空けるのはけっこう賭けです
先生は3週間後でも、手遅れにはならないと思うとは言うけれど、前の1ヶ月があまり大きくならなかったって、次の1ヶ月もそうとは限りません。
なんせ敵は膠芽腫ですから
それで、もうわたしの手術は16日を予定していたようなので、それでお願いすることにしました。

夜、子供たちを呼び寄せ、ママから報告があると切り出しました。
「今日の病院でね、ママ4/10に入院して、4/16に手術することになりました
「え~、また~?また出てきたの~
そうは言ったけれど、今度は子供たちは泣きませんでした。
「そう。これ取っちゃわなければ、ママは死んじゃう」
そう言われれば子供も「手術はイヤだ」なんて言えません。
パパは、今日見せてもらったMRIの画像を携帯カメラで撮ったのを子供に見せました。
小さすぎてよく見えないので、紙に図を書いて説明しました。
「あ~わけわかんなくなってきた~
といーたんは言い出しましたが・・・
それでもなんとな~くはわかったと思います。
入院期間も、術後の後遺症の可能性も言いました。
「でも、前より短いよね」
強くなったというのか、慣れたというのか・・・
案外あっさりとしたものでした。
親としては、ちょっと安心でもあり、こんなことに慣れていくことに複雑な心境

とにかく、入院まであと2週間もありません。
忙しくなりそうです。

テモダールVS腫瘍

2007年03月27日 | 再々発
4クール目のテモダールが一昨日終わりました
今回は腹痛と頭痛が中心で、吐き気はあまりありませんでした。
吐き気止めを飲んだのは3日目の夜だけ。
頭痛は毎回あります。
ひどい頭痛じゃないけど、嫌なものです。

でもこの頭痛、テモダールが腫瘍と闘ってるからかも
そう思うと、頭痛も効いてるからこそ
痛い場所は闘いの「会場」
だったらわたしはテモダールを応援しなくちゃ

「がんばれ~負けるなテモダール
会場主のワタシが応援するぞ

テモダールが腫瘍と闘っているイメージが頭に浮かびます。
こういうのをイメージ療法っていうんでしょうね。
イメージ療法と聞けども、どうもしっくりこなかったわたしですが、テモダール中だけは、おのずとそう思うようになりました。


明日はお待ちかねの外来の日です。
今日のカンファレンスの結果はどうなったかしら?
電話やメールで聞きたいくらいだけど、それじゃあ明日行く意味がなくなっちゃうから、ぐっとガマンすることにしましょう。

実はちょっと心配もあります。
痙攣や痺れが日常的なわたしは、慣れっこになってしまっていて、いちいち気にしていないのですが、このところ、気がつくと左手の手のひらが痺れていたり、腕のほうまで痺れを感じるときがあります
その後痙攣らしい症状が出て、「発作だったか」と思ったりするのですが、「前からこんなんだったっけ?」と首をかしげたくなります。

さらに、先週の採血でどこもうまく取れず、麻痺のある左手の手首とひじの内側の動脈からの採血を試みたのですが失敗して、手首はまるでリストカットしましたか?って思われそうなほど盛大に内出血するし、動脈採血の痕はいつまでも痛いし・・・こんな状態ですから、そのせいで左腕が重いのか、それとも腫瘍のせいで重いのか、区別がつきません

再発前に、ほんの時々でしたが、やはり左手から腕にかけての痺れがありました。
それを思うと、今回もそうなのかな?と思ったりしてしまいます。

明日の外来は、いつ手術するのが一番か、という問題が話の中心でしょう。
ダンナも「いつが一番いいのかね・・・」と悩んでいるようです。
もう1ヶ月様子を見るのでもいいのかなと揺れています。
でも、わたしは2回目の時、つまり膠芽腫とわかった手術の時、1,5cmくらいと腫瘍が小さかったことと、グレード4の部分は非常に少なかったことが幸いしました。
それは何と言っても、早い段階で手術したことが奏効したのでしょう。
それを考えると、今回も早いほうがいいんじゃないかな?とは思っています

だんなに言われて思いました。
わたしは、手術もこれからたどる道も、とても客観的にみているんだということを。
感情的に考えてたら、怖くて、不安で、どうしようもないかもしれないナと、これもまるで人ごとのように、客観的に思います。
それも自己防衛のひとつなのかもしれませんね。
いい性格を持って生まれました

MRI

2007年03月20日 | 再々発
MRI撮ってきました。
アヤシイところは消えてなかった。
明らかに拡大してるわけじゃないけど、再発はたぶん間違いなしです。

でも大きさはほとんど変わらないくらい。画像のコントラストの差かもしれないけど、1ヶ月前のはくっきりぽちっと丸い感じなのに比べ、今日のはなんかぼやぼやって感じです。
その分微妙に大きくなったかな?とも見えます。

その近く、摘出腔のへりに沿ってポツポツと4つくらい何か写ってます。それがわたしは気になって、1ヶ月前のを見てみると、4つの一番上と一番下がすでにあるように見えました。ちょうど画像の横に入っている文字があるのでよく見えないんだけど。

グリオブラストーマにあり得ない遅さで、先生は驚いてました。
再発がグレードダウンして現れることってないんだそうです。
だから先生は明らかに大きくなるのを予想してたみたいです。オペの日取りも4/2って考えてたとか(^_^;)

それがこんなに遅くて拍子抜けだったかしら?!
グレード4でこの遅さは考えられないから、テモダールが効いてるのかもしれないねって。

でも進行を遅くすることはできても、敵はグリオブラストーマ。消失させることは、よほど薬と相性がよくなければ難しいのかもしれない。
だってテモダールを今まで3クール飲んで、まさにその時期に反抗するように出てきたわけだから。


今日はとりあえず4クールめのテモダールをもらってきました。明日から飲んでも、仮にオペと決まっても手術には影響ないからって。
今オペがいいのか、もうしばらく様子をみるほうがいいのかは、主治医の先生も悩むところだと言っていました。先生だけでは判断つかないから、来週のカンファレンスでみんなと相談するそうです。

本人としては、なるべく早くやっちゃいたいか、逆にテモダールでもう少し様子をみていきたいか、はたまたカンファレンスの結果に従っていいのか、どう思う?って聞かれました。
「今すぐはちょっと…」とは思います。
動けるうちに、自分の足で歩けるうちに、今後できなくなるかもしれないことはやっておきたい。だからしばらく猶予がほしい。
先生も、それは大切なことだ、と言ってくれました。

仮にオペだと4/16(月)かその翌週になるようです。4/9にはオペの予定が入ってるからって。
わたしとしては、先生方皆がオペは早いほうがいいとおっしゃるのなら、それで行こうと思ってます。
腫瘍を減らす一番確実な方法、ひいては一番延命できる方法ですもんね。
この際少々失行が出ようが、術後重積痙攣が起きようが仕方ないか、と思うんです。
一番大事なのは、少しでも長く子供たちと一緒にいられること。

もし、もう少し様子を見てもってことになれば、また5週間後にMRIを撮ります。
5週間後なら腫瘍の成長に対してオペするのもまだ間に合うと思うからと。
MRIの予約は1ヶ月後なんてもちろんいっぱいなんだけど、またまた放射線部にムリ言って一枠空けてもらってました。


さて、何をしようかな?
どこに行こう?
帰りの道すがら、お金もないのに、俄かに旅行を考え始めるわたしたち。
楽しいことを考えていると、再発手術の可能性が高いからというシビアな理由もそっちのけです。
うち沈んでなんていられませんから。


心の中に生きている

2007年03月18日 | 思うこと
5年前に、病院で同じお部屋だった男の子がいます。
不思議なご縁で、お部屋が変わっても、退院しても、家族ぐるみでおつきあいしていました。
その子が亡くなって4年が経ちました。
亡くなる前も、亡くなったときも、そして天国に送ってあげる時にも立ち会ってきた子でしたので、今でもこの子のことは、何かにつけ思い出します

今日、この子のお骨を納骨するということで、とても久しぶりにそのファミリーに会い、教会でお祈りをしました。

4年という月日は長いようで短いものです。
3年生を目前に亡くなってしまったこの子も、生きていたら卒業の年です。
小さかった子がもう卒業と聞いた時は驚いたけれど、気がつけば我が家の子供たちも、4年と2年。
長く会ってなかったその子の兄弟たちは見違えるように大きくなっていました

4年・・・わたし自身も、山あり谷ありの4年だったと思います。
神経膠腫(グレード3)から膠芽腫(グレード4)へ。
治療漬けの5年とも言えるけれども、合間を縫っていっぱい遊びにいったし、有意義にすごしたとも言えます。
大切な4、5年でした。

わたしはそうやって、その間も、そしてまだこれからも、「生きてる証」を刻んでいけるけれど、8歳で終わってしまったその子の人生には、もうつけたしはできません。
あとは時が止まったまま、でもずうっと心のなかで生きています。

卒業式の「呼びかけ」で、かつてのクラスメートが、亡くなったその子のことも入れたい、と言い出して、何か言ってくれるらしい、とお母さんから聞きました。

2年間しか学校に行けなかった友達、しかも院内学級と交互に行っていて、実質2年もなかった友達だけど、8歳の子どもたちはちゃんと心の中にしまっておいてくれたのですね
今でも心の中で生き続けているのですね。
お母さんは、2年「しか」学校に行けなかった、と悲しく思っていたそうですが、それを聞いて、2年「も」行けたと思えたと言っていました。


どれだけ生きたか、ではなく、どう生きたかが大切なのかもしれませんね。
いつまでも、たくさんの人の心の中で生き続けている人の生き様は、きっとすばらしいものだったと言えるでしょうし、しあわせだと思います
そして、心の中にそうした想い出の人がたくさん住んでいる人もまた、しあわせだと思います

外来にて

2007年03月09日 | テモダール(~4クール)
水曜日の外来は、採血結果も良好で、すべてにおいて数値が上がっていました。白血球は3000超えていたし、血小板も好中球も回復していました。
ってこれからまだ少し下がるはずの時期だけど。
ん?もしかして花粉症のアレルギー反応で白血球UPした?!それはあるかもしれない。
いーたんはアトピーだから、白血球かなり多かったもん。
けど血小板や好中球も増えてるんだから、単にアレルギー反応でというより、身体の状態がいいのでしょう。

先生に痙攣の頻度とか聞かれたけれど、正直言ってわかりません。
増えてるか、減ってるか、同じか、と聞くけれど、なんせ1年半も日常的に(軽い)痙攣がある身としては、たいていはやりすごしてしまうから、どれを1回とするのか、横にならないといられないような大きめな発作はいつだったか、書きとめておかない限り、すぐ忘れてしまうんですもん。
ただ、再発疑いになってからというもの、やはりどこかで気にしているのか、気がつくと左手が「あ、痺れてる」と感じることはあります。
今までの発作は動悸や頭のボンヤリ感、身体の変な感じ(悪寒のような)が先で下顎の震えや左半身の痺れは後で感じていた、ように思います…たぶん。
ふらつきを感じることもあるけど、薬の量が上限をオーバーしている副作用かもしれないし、でもそのあと痙攣に繋がることもあったりと、何が何のせいだか区別がつかないんですよね。

先生はいつものように、わたしに両手を伸ばさせて手のひらを上に、次は下に、とさせてみたけれど「変わらないね。やっぱり画像見ないと判断できない」と言いました。
「逆に見なくてもわかるようになっちゃ相当でしょ?」とツッコミを入れちゃうワタシ。

次のMRIで変化があれば第一選択肢はやはり手術、それ以外の方法としては、ガンマやサイバーナイフがあるけれど、グリオーマには効くという確証はないから、と言いました。
サイバーナイフはガンマよりは少し広範囲に照射できるそうですが、浸潤する腫瘍は範囲が明確でなく、照射場所を決めにくいから向かないと言われています。

もし画像を見て、なくなってたら再発じゃなかったってことだし、大きさが変わらなければそのままテモダール継続で様子見てもいいと思う、と先生。

「ねぇ先生、この間の画像で問題のところって大きさどのくらいでしたっけ?」と聞いてみました。「5ミリくらいだったかな?」
「どんなことしてる場所?感覚野の中でも」
「そうだね、特にこれと言って重要なことはしてないところだと思う。今までそのあたりを手術した人をみていると。仮に手術で周囲3cmくらい取ったとしても、2回目の手術の時ほど大きい障害は出ないだろう。考えられるのは、今までできたことが下手になるかも。右手の動きも…」
「切るのは右なのに?右手が?」
脳って不思議。右脳は左半身、と厳密に分かれてない両方に関係している場所もあるのね。
先生は、包丁がうまく使えないとか服がうまく着られない「失行」という障害が出るかもしれないと言いました。
それはそれでけっこう重大なコトだと思うけど…なんせ今のわたし、右手が何ともないからこそいろいろできるんだから。
思ったとおりにできないのは左手onlyでたくさんよ。

とはいえ、もしそうなったらなったで仕方ないことだから、早くに聞いて覚悟できてるほうがいい。
それを聞いてダンナは「もうオペの話してきたの?」と言ったけど、可能性として聞いておくのは悪くない。まだ決まったわけじゃないんだしね。


花粉症真っ盛り

2007年03月06日 | 四季の移ろい
東京より送れること1ヶ月何の花粉か、こちらにも花粉の季節がやってまいりました。
花粉症のわたしは朝晩、鼻がぐしゅぐしゅです
1ヶ月くらい前からきっちり薬を飲んでいるのに、ひどい日は薬もよく効いてくれません
今年は飛散量が多いのでしょうか・・・
もっとも去年は少なかったらしい上、家にこもりきりでしたし、一昨年は病院でしたから、まともに花粉にお目にかかるのは数年ぶりなのかもしれません。

に籠っていても、窓も開けたらおしまいです
子供が外で遊んで帰ってきたり、外に洗濯物を干したりしても、花粉は家に入ってくるんですよね。
とたんにくしゃみが出たり、鼻がムズムズしたり、目がかゆくなったり。
肩から頭が重いのも、きっと花粉症のせいでしょう。
あ~やだやだ

せっかくあたたかくなってきて、お外も気持ちいい季節だというのに、残念ザンネン

そういえば、3クール目のテモダールは3回の中で、一番楽に済みました。
4日目、5日目とだんだんはっきり出てくるはずの吐き気も今回はなく、食欲にもそれほど影響しませんでした
お腹がちょっとしくしくしてたけど。
これだったら、毎月でも全然苦にならないなぁと思った次第です
慣れたのかな

せっかくそう思ったところなのですが、テモダールはしばらくお休みです。
3ヶ月くらい置いて、と言われていますが、休薬期間はまだはっきりとは決まっていません。
この間の処方の時は、なんせMRIの結果がグレーでしたから
明日は、採血メインの外来に行ってきます。