サラ☆の物語な毎日とハル文庫

カズオ・イシグロの『日の名残り』を読んだ

今年のノーベル文学賞はカズオ・イシグロだった。

毎年、村上春樹は取るだろうかと、興味深く見ているが、

緊張感のある世界が構築されるのにも関わらずきわどい描写が

審査員のお眼鏡にかなわないのかもしれない。

 

カズオ・イシグロの受賞は「えっ」と思わせられた。

ハヤカワミステリ文庫に始終広告が載っているので、ずっと前から知っていたけれど、

けっきょく手に取ったことのない作家だ。

 

村上春樹と対談していたり、映画や日本のテレビドラマにもなっているので

すごく馴染みのある作家にも関わらず、

読んだことはない。

 

人との間に「ご縁」というものがあるように、本との間にも「ご縁」があるのだ。

 

しかし、ノーベル賞が村上春樹ではなく、カズオ・イシグロというところがおもしろい。

おもしろいのなら読みましょうよ、ということで

『日の名残り』を読んでみた。

 

主人公はミスター・スティーブンス。

イギリスの由緒ある名家の執事。

「品格ある執事」のあり方を頑ななまでに追い求めてきた。

 

そのスティーブンスは、新しいアメリカ人の雇い主のすすめで、

一人旅のドライブ旅行に出ることになった。

大きな屋敷の執事の仕事に専念してきたので

何日間も屋敷から外に一歩も出ないこともしょっちゅう。

旅行など縁のない生活だった。

 

それが主人の素晴らしい車、フォードを借りてイギリスの田園地帯を旅することに。

 

この物語は導入部分のプロローグを経て

旅行の第一日目から六日目の夜まで、田園風景や旅のようすを順を追って語り、

その途中途中で、これまでの執事人生を回想するという手法がとられている。

 

イギリスをドライブしている「いま」の時間と、

執事として生きてきた、こまごまとしたシーンの一コマ一コマ

という「過去」の時間が魔法のように織り交ぜられる。

そして、スティーブンスという執事の人生や、英国事情、

背景にある歴史までもが浮かび上がってくる。

 

なにしろ執事はこうあらねばならない

という考えにがんじがらめになっているのだから

父親の死も、女中頭への恋心も優先順位に入らない。

 

「執事たるもののあるべき姿」を実現してきた人生だ。

でも本当iそれでよかったのか? を田園を旅しながら自らに問う。

 

本音は二重にも三重にも蓋をされている。

それが本の終わりのところでようよう姿を見せる。

 

主人を敬慕し、忠義な執事であるという生き方。

でももっと違う生き方、柔軟な人生であってもよかったのではないか。

 

旅の最後にウェイマスという海辺の町の桟橋のベンチに座り、

夕陽が海に沈む情景を見ている。

たまたまそこに居合わせた、小さなお屋敷で執事をしていたという男と話しながら

「私にはダーリントン卿がすべてでございました」

といって静かに泣くスティーブンスの姿に

切々とした思いを感じてしまう。

 

仕方ないじゃない。人生は過ぎ行くのだ。

これまでそうやって、ひたむきに生きてきたんじゃない。

 

だからスティーブンスの最後の言葉を

それでいいんじゃないと、素直に受け止める。

 

★明日ダーリントン・ホールに帰りつきましたら、

私は決意を新たにしてジョークの練習に取り組んでみることにいたしましょう。

ファラディ様は、まだ一週間はもどられません。

まだ多少の練習時間がございます。

お帰りになったファラディ様を、

私は立派なジョークでびっくりさせて差し上げることができるやもしれません。

(ハヤカワ文庫、土屋正雄訳より)

 

驚くのは、この小説をカズオ・イシグロが書いたのは35歳だったこと。

まだ30代なのに老年の男の心境を想像し、ここまで描ききる力量にびっくりする。

 

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