@サラ☆
三津田さんの物語、10回目です。
ついに結婚した三津田さんは、慣れない家事にあたふたするなか、
旦那様の転勤にともない、朝鮮にいくことになりましたよ。
★結婚したフサコさんは旦那様の仕事で朝鮮へ!
フサコさんは、西大久保の実家の近くに旦那様との新居を構えました。
娘が家事に疎いことを十分に承知していたお母さんは、
毎日午後になるとフサコさんの家の食事の支度をするために、
女中さんをひとり遣わしました。
そういうことでもなければ、フサコさんはもうどうしていいか、
わからなかったでしょう。
家事の手伝いなどほとんどしたこともなかったのです。
「結婚するまで、ご飯を炊いたことすらなかったのよ」とフサコさん。
ですから、女中さんの段取りを一部始終そばで見て、
ときにはやり方を教えてもらいながら、
だんだんに料理を覚えていったのでした。
さて、結婚生活にも少しずつ慣れ、
そのまま平穏な日々が続いていくかと思っていた矢先、
三津田氏の朝鮮への移動の話が持ち上がりました。
任官するには外地に出たほうが早いからというのです。
戦争前は、任官するとどんどん出世して、知事にもなれたとか。
やがては知事夫人というのも、現実味のある将来像でした。
ときは昭和12年(1937年)秋。
まだ結婚して間もないフサコさんは、こうして夫とともに船で朝鮮半島にわたり、
当時の京城(けいじょう、現ソウル)で新生活を始めることになりました。
同じ昭和12年の7月7日には、中国で盧溝橋事件が起きていました。
これをきっかけに日本は戦争へ突入していきます。
長い時間が経過した21世紀の今思うと、
フサコさんの朝鮮での新生活は、
歴史のうねりの中に飛び込んだようなものだったかもしれませんね。
(そういう見方からすると、日本人全員がそうだったわけですが。)