サラ☆の物語な毎日とハル文庫

コミック『鬼滅の刃』全23巻を読んで思ったこと

 

この物語がコミックに連載漫画として登場するまでには、

いろいろ、あーでもない、こーでもないと、やりとりがあったようだ。

 

なにしろ、『鬼滅の刃』の主人公は、はなから竈門炭治郎(かまどたんじろう)ではなく、

最初は盲目で片腕がなく、両足義足という設定のキャラクターだったらしい。

 

担当編集者がいうには、

「中心には普通の人を据え、

周りに異常性のあるキャラクターを配置するとちょうどいい」

 

そりゃそうだ。

読者がいるのだもの。

感情移入できる主人公のほうが、共感しやすい。

 

そこで担当編集者は吾峠呼世晴さんに聞いたそうだ。

「この作品の中に、もうちょっと普通の子はいないですかね」

すると、

「炭を売っている男の子がいて、

その子は家族全員を鬼に殺されたうえに、妹が鬼になっちゃって

男の子は妹を人間に戻すために鬼殺隊に入るんです」という答えが返ってきた。

 

そういう「宿命を背負ったキャラクターは物語を動かす推進力になる」

この子を主人公にできないか…ということで生まれたのがこの『鬼滅の刃』だった…

 

担当編集者へのインタビューからのエピソードです。

 

炭治郎こそは、『鬼滅の刃』に深みとすがすがしさをもたらす究極の主人公と思っているけれど、

以前にそういう成り行きがあったというのは面白い。

 

『鬼滅の刃』の魅力は、鬼を殺すか喰われるかの戦いのさなかにあって、

炭治郎が示す深いやさしさ。

 

 

たとえば第8話。

 

鬼殺隊に入るための最終選別。

炭治郎の刃に頸(くび)を切られて、ぽろぽろと消えていく鬼が

何かを求めるように差し伸べている手

 

炭治郎は「悲しい匂い…」と心の中につぶやき

両手でぎゅっと鬼の手を握ってやる…

「神さま どうか

この人が今度生まれてくる時は 鬼になんてなりませんように」

 

たとえば第43話。

 

那田蜘蛛山の蜘蛛の鬼と対峙した場面。

炭治郎は妹の竈門禰豆子(かまどねずこ)をかばうようにして倒れている。

鬼殺隊の柱の一人である富岡義勇がそこにかけつけて

戦った末に蜘蛛の鬼の頸を切り落とす。

鬼の体は炭治郎のそばにドサッと倒れるのだけれど…

 

炭治郎は…

「小さな体から抱えきれない程 大きな悲しみの匂いがする…」

と感じる。

そして倒れたまま、そっと手を伸ばして、

子どもの姿をした鬼の背中に置くのだ。

 

鬼は思う…

「温かい…

陽の光のような優しい手

思い出した はっきりと

僕は謝りたかった

ごめんなさい 全部全部 僕が悪かったんだ

どうか 許してほしい

 

でも…山ほど人を殺した僕は…地獄に行くよね…

父さんと母さんと…同じところへは…いけないよね…」

 

コミックでは、そこに亡くなった両親があらわれ

「一緒に行くよ 地獄でも

父さんと母さんは塁と同じところに行くよ」と優しく言う。

子どもに帰った鬼は

「全部僕が悪かったよう 

ごめんなさい……

ごめんなさい……」と謝りつづけ、ハラハラと消えてしまう。

 

ここはTVで放映されたアニメでも見たけれど、泣けるシーンだった。

 

 

そして第57話。

 

映画になって上映中の「無限列車」編では、

眠り鬼の術にはまって眠ってしまった炭治郎の夢に

青年が入り込み、無意識の領域にある〝精神の核〟を破壊しようとする。

 

炭治郎の無意識領域の壁を切り裂いて、青年がそこに見たものは

 

「何という美しさ

どこまでも広い 暖かい…」

 

炭治郎の心の中は暖かかった

空気は澄みきって心地よく 

さらに光る小人が存在している

これは炭治郎の優しさの化身である

光る小人は青年が〝精神の核〟を探しているのを察すると

手を引いて案内した

光とぬくもりの発生元である〝精神の核〟を前にして

青年は何もできず ただ泣いた

 

炭治郎が自力で目覚めたために、青年は現実世界に引き戻されるのだけど、

そのときに光る小人を一人つかんで、離さなかったそうだ。

だから、炭次郎の心の一部である光る小人は、青年の心に入り、

暗く沈んでいた心を、明るく暖かく照らしたのだという話。

 

 

その光る小人、欲しい!

 

というか、炭治郎はそんな心の持ち主なんだ。

このように「心」を描いたのを見たことがない。

ほんとにユニークで、作者の描き出した心にあこがれる。

自分がそうなりたいというよりも、

そんな心をもった炭治郎の存在をいいなあと思うのだ。

 

 

このあたりで(7巻)、『鬼滅の刃』のファンになった。

面白いコミックだと思う。

 

 

ただ最後になるにつれ、よく知っている登場人物、

仲間のような感覚でいた人たちが、つぎつぎと鬼舞辻無惨に殺されていくので

「やさしさが…」と浸っている余裕はなくなる。

面白いのは面白いけれど、終わりが近づくにつれて

さびしい、残念な気持ちがわいてくるのは、仕方ないのかな

というのが読み終わって感じたことだった。

 

そんなの求めていないかもしれないけれど

とびっきり明るいハッピーエンドというわけじゃあ・ない。

 

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