サラ☆の物語な毎日とハル文庫

経済人ロビンソン・クルーソーと農業

ロビンソン・クルーソーの冒険物語は、長い間、経済学、宗教学の研究対象になってきました。

中産階級だったクルーソーが、無人島でどのような 暮らし方をしたのか?
何を学び、何を得、どのように人間的成長を遂げて言ったか……?
興味はつきません。

たとえば、岩波文庫の『ロビンソン・クルーソー』の訳者、平井正穂さんはあとがきで、こんな引用文を紹介しておられます。

クルーソーは「自分が孤島に住みついてから今までに、どういう損益があったか、それを借方、貸方のバランス・シートをつくっているのである。
そして最後に差し引き勘定をして、十分に利益があったことを神に感謝している」(東京大学出版会、1965年、『文学と人間像』所載「経済人ロビンソン・クルーソー」)

そして、『ロビンソン・クルーソー』がいかに経済学的興味の対象となっているかと、述べておられるのです。

その“経済人”としてのクルーソーは、数本の青い芽を、住まいの塀の外、岩場の陰になっているところで見つけます。

それが麦の芽であることを気づいたクルーソーは、麦をとり入れ、パンを焼くことを夢見ます。

「インクの次にはパンが、と言うのは、船から運び出したビスケットがなくなった。
私はこれを非常に大事にしていて、1年以上も1日に1枚しか食べないでいたが、それでも島で穀類ができるようになるまで、1年近くパンなしでいなければならなかった。
穀類ができるようになったことは、確かに奇跡的なことだった。」
こんなふうに、ロビンソン・クルーソーは記述しています。

主食のない食生活は、けっこう辛いものがあります。
炭水化物抜きダイエットをしたことがある人は、わかると思います
炭水化物はエネルギー源なので、これがないと、なかなかお腹の底から元気が湧いてきません。

しかも、「あるけど食べない」のと「ないから食べられない」のとでは、食べたい気持ちがかなり違うのではないだろうか?

クルーソーは、何がなんでもパンを焼こうと熱望し、決心します。

クルーソーのすごいところは、島の生活が15年も経った頃には、2つの農場やヤギの牧場、ぶどう園などをもつようになっていたことです。

この農場から、1年間に必要な穀物を確実に収穫できる農業のシステムを、自分なりにつくり上げたのです。

働き手はクルーソーだけです。(もちろん!!)
多分、厳しい労働だったと思います。
でも、それを成し遂げていった過程を本で読むと、なるほど経済的センスはバッチリだなとも思うのです。

ロビンソンに学ぶ経済的センスとは何か?

● 見通しを立てること
● リスク管理がきっちりしていること
● 実行するにはどうするか、具体案を考え、工夫すること
● 強い意思で実行すること
● トラブルがあれば対処し、間違っている点は修正すること

ロビンソンが穀物を収穫するために行ったもろもろの作業は、こうしたことをちゃんと踏まえたものでした。
だから、成功したともいえます。
もちろん、試行錯誤、失敗の繰り返しでしたけど。
それでも不屈の精神でやり抜きました。

物語はいろんなことを読者に教えるものだけど、ロビンソン・クルーソーの物語はまた、経済的倫理感みたいなものも教えてくれるのです。
「生きる知恵」って言ってもいいんですけどっ(^_^)
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