@サラ☆
三津田さんの物語
★プロローグ～2人のフサコさん
時は昭和１０年前後。
昭和６（１９３１）年に満州事変が勃発したのだから、
すでにキナ臭い時代に突入していた時期だ。
徳川幕府からの流れを組む加賀藩（いまの石川県金沢市）前田家のなかでも、
図書家と呼ばれる家柄の次女と三女が、
東京市の広い百貨店の店内で買い物をしていた。
２人がケースのなかをのぞいて、どれにしようか品選びをしていたとき、
ショーケースの向こうにいる女性店員たちが
「ちょっとちょっと、素敵な人が歩いてくるわよ」
と、向こうのほうに視線をやりながら、声をひそめて言葉を交わした。
いったい、どんな方かしら、と２人が振り返ってみてみると、
こちらに向かって歩いてくるその人は、
図書家の長女、前田冨左子だった。
鮮やかな色柄の着物を粋に着こなし、
社交ダンスで鍛えたスっとした姿で気負うことなく、
自分たちを探しながら歩いている。
「なあんだ、お姉さまじゃないの」と思ったが、
たしかに言われてみれば、いつも見慣れているその姿は
娘らしい華やぎと品格に包まれている。
何かと品定めにうるさい百貨店の女性店員に素敵だといわれるなんて、
ちょっとしたものよね…
と、２人は姉の人目をひく姿を自慢に思ったのだった。
さて時は流れて、あと１年でミレニアムというぎりぎり世紀末の
渋谷駅ハチ公前。
（年号はすでに昭和から平成に変わっている。）
気骨ある雰囲気の一人の小柄な老女が、ひと目で待ち合わせとわかる風情で、
背筋をまっすぐに立っていた。
決して高級な仕立てではないけれど、内側に大きな柄の入った
紫色の無地のハーフコートをはおり、
手首には薄紫色の手ごろな値段で買えそうなブレスレットをしている。
耳にも紫色をあしらった四角い大きめのイヤリング。
足元は緑色のパンプス。
肩にかけているのは大輪の黄色い花々を一面にあしらった
ビニール製の大きなトートバックだ。
派手に派手を重ねたような目立つ装いだが、
不思議にしっくりきて品よく可愛らしい。
何がどうというわけではないが、思わず寄っていって、
その雰囲気の恩恵にあずかりたいと思わせる姿だった。
「あのー、三津田冨左子さんですか？」
寄ってきて声をかけたのは朝日新聞記者のＮだった。
老女と待ち合わせをしたのはＮで、じつは取材を申し込んだのだ。
『あなたが選ぶ この人を読みたい』という取材記事のシリーズが
朝日新聞で連載されており、
そこに三津田冨左子、つまりフサコさんを取り上げることになったからだ。
フサコさんの生きがいは新聞への投稿。
すでに何十年とつづけているが、彼女の投稿の気に入ったものを切り抜き、
スクラップに貼り続けたファンの女性がいたのだ。
そして、その女性がシリーズの担当者に
「この人、三津田冨左子さんについて読みたい」と手紙を書いたのが
キッカケだった。
たしかにファンの女性があげている、朝日に掲載された投書の数々は、
おやっと興味をそそられるものばかり。どんな女性だろう…。
編集会議で「次はこの三津田冨左子という年配の女性でいこう、
面白そうじゃないか」という話になり、Ｎが担当になった。
というわけで、フサコさん８７歳の冬。
「明日はどんな楽しいことがあるだろう」と、
ひとり暮らしを腐ることなく強気で生きてきた人生の次のページが、
ゆっくりとめくられた。
これから物語るのは、
フサコさんが大正元年から平成にかけての１００年の人生を、
いかに果敢に生きたか、というお話。
“勇気”という言葉に言いかえてもよさそうな潔さと、
たくさん見つけた楽しみの物語。
