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ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

MINIのいない秋

2010-09-05 19:15:56 | 瞑想?
MINIがいないと寂しいものです。
毎日の通勤も、サスのヨワヨワしたekワゴンだし。シートは合成皮革なので、座っているとめちゃくちゃ汗かくし。
オートマのギアがコラムシフトだし。パーキングブレーキは足踏み式だし。
何もかもが私にとっては「ちょっとイラッとする!」作りです。
「便利な装備よりも、良い性能。」
これが私の車に要求するポイントですからね。それが外れている車は乗っていて微妙です。
座席が私の座高に合わないのが、さらに運転を楽しくないものにしていますが。
妻は扉が2枚なので、MINIにイラッとしているようですが。私は扉が4枚あると、風景に置いたときのあまりのカッコ悪さにがっかりします。
このあたり、車に何を求めているのか、で違ってくるのでしょうね。

楽しい運転がしたいものですね。
長い通勤時間なので、車が楽しくないといかんですね。

居なくなって初めて分かる大切さ。
そんなものを感じている今日この頃です。

重ステでも乗っていればよかったかなあ、なんて思いましたが。

早く帰ってこ~い。
なので、取りあえず思い出の写真なんか載せてみますが。




話題は変わって。
しかし、もう早いもので、あれから一週間なんですね。
もう遠い記憶になりそうな気配もある名古屋での独学者の会ですが。今度はその流れで、共同探索、というものを行う事になりました。
私は最近、自分が主催するのは時間が無いものでけこうサボっていましたが。
以前から、ミクシィの方ではヒビキさん主催でやっておられたのですよ。
そこで、今回、それを行うこととなります。
詳細はまた後ほど。

さて、今日のヘミシンク。
今日は、体外への旅、サポートCDの状態Aを聞きながらの瞑想で。
雑念にまみれてました。

夜が結構寝苦しくて、何度も目が覚めるのですよね、
おかげで今日はちと寝不足です。

イメージもわけの分からないものが多くて。まとまりのないものです。
いろいろな人がごちゃごちゃするところに居て。
そこでまたいろいろなものを見せてきたり。

一つのはなしが勝手に進み出し始めたり。

混沌、から何かが生まれる。そういう感じは受けますね。
ヘミシンク聞いて、「混沌の意識」へと入り込んだような感じです。

こういうとき、「全部雑念だから」と片付けてしまわずに、今そこに感じるでたらめな出来事を見てみるのもまた楽しいものです。
自分の中に、こんな面白い世界観があったのか。
なんて感じで。

一つ見えたイメージで。
どこかの路地裏、チベットとかそういう高地にある町の路地裏で、緑色の服を着た男性といるイメージがあります。
その男性と瞑想について語っているのですが。
こうやって、瞑想する事は、現実世界での五感をさらに鋭敏にさせるためだよ。
という事を言われます。
瞑想により、五感を一度リセットして。これから体験する事を全身で楽しめるように。
そのために瞑想するのだそうで。
だから、重要な物事の前には瞑想する。

そんな事を言ってました。

なるほどねぇ、瞑想もそう考えると楽しくなりそうな気もします。
朝から瞑想すると、一日の楽しい事を、より楽しく感じることができるのかもしれません。

非物質世界の探索が、なぜに現実世界に必要か、という話はありますが。
結局、死んだら分かるのに。なぜに生きている時にそれを知る必要があるのか?

これは私の、最初の頃のテーマみたいなものでしたね。別に知らなくてもいいのに、どうしてそういう情報が世の中にあふれているのか。
それは、今回の緑色の瞑想者が語ったことに、近いのかもしれません。

向こうの世界に行く事で。現実世界の自分にある性質がよりハッキリと現れてきます。
それを自分で見つめなおし。そこにあるものを受け入れていく。
それを繰り返す事で、現実世界に意識を戻したとき。
こちらにある世界の動きを新たな視点で見る事が出来るようになる。
今まで拒否していた物事を受け入れられるようになる。

そういう感じもあるのかな、と思います。

パソコンで、なんか動作が不安定になってきたら。一回リセットすると安定しますよね。
それと同じ感じでわたしはうけとってますね。


世界を語る際、全てを細かく分類して語る方法もあれば、すべてを包括して語る場合もあります。
その二つの目線がないと、バランスが取れないと思うのですよね。

それを一人で行うのが、向こうの世界とこちらの世界を行き来する事、なんかな、と思います。二つの目線で常に世界と自分を見つめていく作業。

世界は分離され、分類されているだけなのか。意識が集まり、一つにまとまっていくのか。
それを自分で確認していくと、世界の見え方がより豊かになるような気もしますね。

まずは、それを体感するには基準が一つ必要になりますね。
調べたり、探索するには、長さを測る道具や重さを測る道具が必要になります。
ヘミシンクの技術、というのは、その長さや重さの一つの「基準」としての役割なのかな、と思います。
同じツールを使うもの同士で比較し、それを検討できますし。
メートルを使う人と、インチを使う人は一緒に仕事すると話をあわせるのに大変ですが。
メートルを使う人同士だと仕事もスムーズに行きます。

「私の手の長さの2倍くらいの木の棒」といわれるよりも。「約60センチの木の棒」といわれる方が分かり易いですよね。

その基準を体に教え込むのがヘミシンクのゲートウェイとか、モンロー研の正式なプログラムなんかな、と思います。
一回覚えると、それで全てを比較して自分で理解しやすい形にできますからね。
なので、向こうの世界を知覚するのにとても有効な手法なのは確かであると思います。
共通の認識を持つ人々が集まって、そこで話すことで情報の共有も可能となりますしね。

私は、最初、その基準を自分の体に教え込むために、ひたすら聞きこみました。
だから、今こうやって基準がなくても探索可能になっているのだと思います。
もう体の中に「フォーカスレベル」という基準が入り込んでいるので。何を見ても「あ、だいたいこれくらいのレベルかな」と思えますし人にも話せます。
これがないと。
「幽界の奥底に眠る、闇の中に潜む霊が。」
とかちょっと表現が恐ろしくなったりもしますけど。

まあ、そんな事を瞑想中に考えたりして、
今後の自分の方向性などを考えていた次第ですね。
別に、世界基準を使わなくても向こうの世界とはアクセスできるのですが。
それを体感するにも、まずは基準を自分で納得して使えない事には。
比較ができませんからね。

私は正式なプログラムを受けてないので、この世界標準規格を人様に教えることはまだできませんが。
自分が勉強してきたやり方、それと、向こうの世界にアクセスするやり方、などは自信をもってお教えできますので。
ヘミシンクを使った、そういうセミナーを今後もやっていきたいとは思っています。
独学者のためのセミナーとか、向こうの世界に接触するやりかた、なんかですね。

で、CD売ってだんだんと資金を集めて。今度は正式なものも受けていって。
もっともっと勉強を進めていきたいなあ、と思ってます。

全てを体験しないことには、やはりその本質は見えてきませんからね。
時間のあるかたは、ぜひいろいろと参加して、自分なりの方法を見つけていってくださいね。

私は、たまたま、先に独学して、本書いて、セミナーやって。
という正式なものをやっている人にとっては「逆じゃんそれ!」と言われそうなやり方なのですが。
まあ、こういう方向の人がいてもいいんじゃないかな、と思います。

皆がみな、交通安全協会費を支払っているわけではないのと同じで(なぜか、ヘミシンク独学上達者には、支払っていない人が多い。私ももちろん払っていません。これは義務ではないのです。払わなくても免許更新案内ハガキは来ます!)、人それぞれに学びの流れがありますからね。
モンロー研にいって体験を進めて本を書いた人や、独学で本を書いた人。私の場合もその一つの例だと、そんな感じで思っていただけたらと思います。

どちらが正しいわけでも、どちらが素晴らしいわけでもありません。
それを選ぶのは、今聞いている皆様ですので。
いろいろと試されてくださいね。
ただ、私はとても運が良いと思ってますよ。
「探求」をする場合、一つの「形」にこだわってしまうと、その先に進みにくくなるものです。無意識にその「形」が枠となって存在してしまいますので。
枠、を乗り越えるのは大変です。
でも、私は最初からその「枠」がかなりゆるゆるな状態で体験を進めております。
仕事が忙しいのも、休みが取りにくいのも、給料が安いのも、今考えると、良い流れであったのかもなあ、なんて思います。

今の状況が「なんでこんなに皆に比べて不利なんだ!」と思うときでも、後で振り返ってみるとちゃんと意味のある事、というは良くあります。
今を嘆くよりも、今に力を注ぐとそれが将来得るものの重要な基礎となりますので。
見えない未来ならば、とりあえず今に力を注いでみると、何かが先に見えてくると思います。
昨日のマダムの話ではありませんが。

あとは、たまにリラックスするためにメタミュージック聴いたりして。
意識をリセットするためにゲートウェイを聞いたりして。
そうやって楽しみつつのゆるっとした流れがいいものだと思いますね。

瞑想すると、ついつい、いろいろと思考してしまいますが。
今日のブログも瞑想から出てきた独り言みたいなものですね。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
まるの日さん、こんにちは。 (りんパパ)
2010-09-05 19:44:06
 一週間前の、今頃は懇親会で盛り上がっていましたね。
 ほんと、あれから一週間。早いですね。

 共同探索、参加しますよ。
 その時は、よろしくお願いします。
返信する
まるの日さん。こんばんわ。 (ホウラン)
2010-09-05 20:49:17
そういえばもう1週間ですね。
時が立つのはあっという間ですね。

独学でもそうじゃなくても、どっちでも良いんですよね。基本のんびりしてるんで独学で行こうと思ってます。モンロー研のセミナーな必要ならばきっと自然と導かれると楽観的に思ってます。お金無いんで行きたくても行けないっていうのも大きな理由ですね(笑)

返信する
幡生の垣本店長さ?ん (選酋)
2010-09-05 21:05:15
こけしでも突っ込んだら?バカ店長が!貴女が私に言ったこと?冗談よ?
返信する
ここでも、ヘミシンクを行なう意味と必要性が 圭さん独自の表現で語られていますね。 (悩ケン)
2010-09-06 00:39:13
確かに、世界標準規格というのが先行して、それが一つの囚われ意識となるのでしょうね。

各々の意識が自由に行動し、結果 大局的視点で見た場合、世界標準としての意味を持ったものと 気付きを得る方が素直な感じですね。

「今に力を注ぐ」・・圭さんの名言。

‐‐‐

・・代車 変えてもらったらどうですか・・。
返信する
行間からとても心地よい空気が流れてきます。 (ひ゜いた)
2010-09-06 01:36:22
私もヘミシンクを始めて、今まで理屈ではわかっていたものが、腑に落ちた感じです。
仕事も、休みも、給料も、圭さんと同じように、必要なものは必要なだけあらわれます。

今日はなぜか「作が不安定になってきたら。一回リセット」がシンクロしました。
きっとメッセージなのでしょうね。

>世界を語る際、全てを細かく分類して語る方法もあれば、すべてを包括して語る場合も

これは絵を描くときのデッサンの世界観です。
絵を描く人は、この感覚を持ってすればヘミシンクの体験がわかりやすいと思います。

深夜の雨の隙間に、とても心地よい独り言でした。
ありがとうございます☆
返信する
気分は最高(^0^)/ (選酋)
2010-09-06 16:21:45
家の中は静かだし、人の心逆なでするようなものの言い方しる上司も旦那もいないし幸せ??

ゆるりと愛犬のトリミングが出来ますわん!
穏やかな日々はいいですわん!V(^0^)
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