くまのお気楽日記

好きな漫画や映画の話を主にその日あった事や感じた事等をお気楽に書いていきたいと思います。宜しくお願いします。

「真実の剣」

2006-07-20 17:02:21 | 本好き
みなさん、こんにちは。

今日のタイトルはテリー・グッドカインドの「魔導師の掟」から始まる異世界ファンタジーシリーズのシリーズ名です。

本国アメリカでは第10部まで発表されてるそうで、まだまだ続くかなりの長編ですが、日本では先日、第6部「魔教の黙示」第1巻が発売され、早速読了しました。

簡単な内容の説明をしますと、平凡な森の案内人だった青年が、魔法の国から来た女性を助け、父を殺した犯人を捜そうとする内に、邪悪な魔導師でもある専制君主の恐ろしい陰謀と自らの出生の秘密を知るようになる…。
といった始まりです。

くまにとってのこの作品の面白さは、勧善懲悪的な分かりやすさ、主役は決して間違わないし悪役は同情の余地無く邪悪、とでも言いいましょうか、でも一度倒された悪役は、その後ひょんなことから主役を助けたりしたりもして、その悪役ですら恐れるもっと凄い敵が現れる…の連続、みたいな、ちょっと少年漫画によくあるパターンにも思えるんですが、突っ込みつつも割りと好きなんですよね、こういう黄金パターンが。

またそれだけでなく、この作品の特徴的な部分は、主人公側の善に対する考え方がもの凄くシビアだと言うことと、全体的に流れるSMっぽさです。

特に分かりやすいのは、「モルド・シス」と呼ばれる、残虐な専制君主によって、人を調教し奴隷化するための訓練をうけた、プロフェッショナルである美しい女性達、という存在です。
また、彼女達が調教器具(または武器)として使用する「アジエル」という物は、使われた相手に大変な苦痛を与えると共に使った本人にも同じ苦痛を与える、という代物で、苦痛に対する自制を拷問という訓練で体得させられた「モルド・シス」達の自らの歪められた誇りの象徴としてあります。

ちょうど今、「グインサーガ」の40巻あたりを読んでるんですが、アリストートスというイシュトヴァーンに被虐的な狂気の妄執を抱く人物が出てくるので、何となく加虐被虐趣味について考えてしまいます。

昔、思春期の頃、退廃的なものに憧れて、マルキ・ド・サドとかザッヘル・マゾッホ等、語源となった人達の小説も読みかけたことはあるんですが、くまには難しくてさっぱり分からず、最後まで読めず、内容もすっかり忘れてしまいましたが、今、想像してみるに、痛みによって生と死を実感する、というか自己を確信する、また支配し、されることで一時の確定された安心感を得ようとする、というような行為なんでしょうか?
何だか「不安感」というものが根底にあるのか?と考えてしまいます。

へタレで根性無しで痛がりやのくまには、全く理解できないことではありますが、体の痛みは危険を知らせるためにあるもののようですし、心の痛みも何かを知るためにあるものなのかもしれませんし、人との関係で程度の差こそあれ支配関係ってよくあることなんでしょうし、あながち遠い話でもないのかも知れません。

よく自分はSだとかMだとか言うSM論って飲み会なんかで話したりすることがあるかと思うんですが、人間の内面みたいな複雑なものって二極分化されるものでもないので、相対的に言えばですが、S的とかM的とかありますよね。
そこで、くまのSM論ですが
Sの人って自分の加えた行為による相手の反応を重視している感じがしますし、Mの人は加えられた行為による自分の反応を重視してるように思います。
そういう意味でいえば、実はMの方が自己中心的で場を支配している側なのか!?とこんぐらがってきますが…

ちなみにくまは、どちらかと言えばMです。
みなさんは、どちらなんでしょうか? SM 


それでは。