声欄とえくれあと眼鏡とへそのごまと…

大人と社会について、自らの考え思いで腐していきます。社会への抵抗ではなく挑戦。

人生を何かに例えてみる その1~競馬~

2008-12-11 11:43:34 | 読んで欲しい度☆☆☆
人生を競馬の1レースに例えてみよう。

馬は自分。
馬を操る騎手も自分。
この世に生まれた時から、ゲートが開いてレースが始まる。
いや競馬というのは、レースの前から始まっている。
親の血統や育てられ方は、馬にとっては大きな要因だ。

スタートした瞬間に、出の良い馬がいれば、ヨロツク馬、つまづく馬、出遅れる馬までいる。

そうやってじわじわっとスタートして、第1コーナーを回る頃には、大体の順位付けが終わる。
先頭から最後尾まで、長くなるだろう。

さぁレースはこれから。
流れはどうだ。
早い時もあれば、緩い時もある。
その時に、騎手がどう捌くか。
違いはあるが、トップスピードで走り続ける事が出来る優駿はなかなかいない。
だからこそ、騎手の腕が物を言う。

レースの途中で、馬から落ちてしまう騎手もいる。
応援してくれる人もいるだろう。
一緒にスタートした人馬も当然気にかけている。
しかし、残念ながら馬が骨折して動けない時がある。
競馬のルール上、落馬した地点からやり直せることができれば、競争中止にはならない。

先頭を走るのが好きな馬もいる。
後ろの方で足を溜める馬もいる。
それぞれリスクがあって、前にいる馬は早くにバテてしまうことがある。
後ろの馬は、スパートが遅すぎると、足を余す事がある。

そうやってレースを終えるまで走り続けるのだが、馬によってゴールは違う。
第何コーナーまであるのだろうか。
このレースが行われる競馬場がどこなのか誰も分からない。
騎手も初めてのレースだから、どこでスパートを掛ければ良いか分からない。
だから、みんな前の方でレースをしたがるのかも知れない。
しかし、最後の直接はものすごく長いかも知れない。
そうすると、後ろの馬にもチャンスはある。

もしかすると競馬場を選択出来るのかも知れない。


しかしこの競馬は、走り終わった人馬にしか分からない。
走り終わった後に振り返って、やっとわかるのだろう。