声欄とえくれあと眼鏡とへそのごまと…

大人と社会について、自らの考え思いで腐していきます。社会への抵抗ではなく挑戦。

ダメな自分が後悔せず、楽しく、丁寧に暮らしていくための自分との約束

2012-01-04 08:52:46 | 読んで欲しい度☆☆☆
2012年がやってきました。あぁ月日が流れるのは早いものです。来年の今頃はどうなっていることやら。

だいぶ前に書いた「大切なあなたと長く、楽しく、一緒にいるための自分との約束」という記事が、今の自分を励ましています。
思いを文章にしたことによって、心に残り、時々思い出して決意を新たにし、心に雨風が吹いても決壊することのない防波堤になっています。
ツイッターで誰かが「昔の自分に後押しされている」と言っていましたが、まさにその通り。

ということで、今回はグズで面倒くさがりやでのんき坊主で、ダメダメな自分が悔しないために、楽しく、丁寧に暮らしていくための自分との約束をしておきます。

一、するのが嫌だと思っていることほど大事なこと。時間がかかること。速やかに着手すべき。

一、一時の快楽にかまけてダラダラするのは誰の為にもならないことを自分が一番よく知っている。

一、何事も遅いより早いに越したことはない。必要なことは思い立ったら即行動。

一、今日の自分が明日の自分を創る。未来の自分を創る。

一、できることを一生懸命する。目の前にいる人に精一杯楽しんでもらうことを考える。

一、思考する。整理する。計画する。試行する。実行する。反省する。思考する。整理する。

一、自分の応援団団長は自分。同時に、自分の最大の敵も自分。自分を諦めない!自分に負けない!!

HPって、意外と簡単に作れるものなのですね。

2011-04-15 19:32:16 | 読んで欲しい度☆☆
ホームページつくっちゃいました。それも他人の!勝手に。
民宿やま一荘」のホームページ。

とりあえず無料で考えていたので、簡単に作れる「FC2」か「jimdo」だと思っていました。

今回、使ったのはjimdoです。

テンプレートから選んで作れるので、1日で出来ました。

ちょっと楽しい!けども、SEO対策がいまいちわかっていません。

検索しても出てこないという。。。

ボチボチ勉強します。

『君がオヤジになる前に』堀江貴文

2010-12-24 19:31:55 | 読んで欲しい度☆☆☆
読みました。

久々のブログ更新!

最近、起業とか経営なんかが気になりだした。
ということで、本屋で目についた本書を購入。

購入の決め手は『読者の年齢や社会的な地位を想定して、章立てていたこと。』と『表紙を書いた福本伸行との対談があったこと。』

『25歳の君へ』から始まり、28歳、32歳、35歳、そして最後は『38歳の僕へ』となっている。
この書き方は面白いし、何よりちょうど僕が25歳だ。


対談に惹かれたのは、対談相手としては珍しい福本伸行ということと、対談があることで堀江貴文の独り善がりにはならないだろうと思ったからだ。

本書の内容は、堀江貴文の人生哲学である。
そして、それをもとにした経営哲学や行動哲学とその結果である。
これを主体に、時折自問したり、読者に語りかけたりする。


読者は、堀江氏の与える情報を取捨選択する必要がある。
自分の都合の良いところだけを拾い食いすれば良い。

しかし、自分が年を取れば拾い食うに値する必要な情報も変わっているかもしれない。
28歳になったとき、もう一度読んでみようかと思わせる本だ。


ITビジネスでトップに登りつめた人物のスピード感は感じることができた。
この中から自分が何を参考にするかが大切だ。

今年もまた入院

2010-07-03 11:47:49 | 読んで欲しい度☆☆☆
おばあちゃんが入院しました。そして3週間弱で退院しました。いつもの脅威の回復力で。

今回は脳梗塞でした。脳梗塞の前兆として、ろれつが回らないとか半身の自由が利かなくて歩き方が変になるという特徴があります。
が、いざなってみるとそれが突然でもあまりわからないものです。

ちょうどゴールデンウィーク中、両親が出かけている日、おばあちゃんの部屋をのぞくと、ベッドの前で、下半身を丸出しにして、ひっくり返っていました。
その傍らの畳の上には、トイレから続く便が。
トイレの中も便まみれでした。

それらを弟と片付けましたが、僕たちは『ついにここまで筋力が衰えたか。』と思い、うなだれました。
この状況を受け入れるしかないと思いました。

少し後、おばあちゃんの症状がましになってから、病院につれていくと、脳梗塞と診断され、すぐに手術が必要ということで、(お得意の)救急車で脳外科専門の病院に運ばれました。

後遺症もなく、無事に退院できたのですが、看護士である弟でも症状にすぐに気付けませんでした。
振り返ってみれば、確かにと感じるところはありますが、なかなかわからないものです。

『センチメンタルな旅/冬の旅』荒木経惟

2010-03-14 08:59:33 | 読んで欲しい度☆☆☆
2、3年前に買ったが、何回読んでも泣けてくる。
出来るなら、何の先入観も、何の情報も持たずに見てほしい。
アマゾンのどのレビューも表現できていない。
レビューを見ても、感じる心が薄れるだけ。
写真集を見てからレビューを見れば、それがわかる。

一つ道を入れば

2010-03-13 18:05:10 | 読んで欲しい度☆☆☆
大きな道を歩いています。
人も車もたくさん通っています。
道幅も広く、標識はわかりやすく、目的地に行くには一番の近道です。

一つ道を入れば、人通りは少ないです。
標識もありません。
道は細くて、曲がっていて、自分がどちらに向かって歩いているかわからなくなる時もあります。
大きい道に出たと思ったら、元の場所から少ししか動いていないこともあります。
突然、犬に吠えられてビックリした後、笑い出したくなる時もあります。
『目的地まで細い道を通ってきたんだ。他の人とは違うんだ!』と主張しても、誰も認めてはくれません。


だけど、自分だけは知っているはずです。
困った時にも必死になって、なんとか切り抜けたこと。
他の人が見ていない風景を見てきたこと。
たぶん少しだけ心が強くなったこと。
そして、全てを振り返って、何だか楽しかったこと。

カラカラのトマトに、わいはなるんや

2010-03-07 16:14:26 | 読んで欲しい度☆☆☆
カラカラのトマトを知ってるかい。
ドライトマトのことでない。
僕が勝手にカラカラのトマトと呼んでいるだけなので、わからないだろう。

説明しよう!カラカラのトマトとは、生育の時期に最低限の水しか与えられないトマトのことである。
これによりトマトが持つ本来の能力が最大限に発揮され、その実は甘くなるのだ。
そう成長に必要な水をほとんど与えられないからカラカラのトマト。


どうやら僕は4月から、給料も睡眠時間も必要最低限しか与えられないところに足を踏み入れるようだ。
根だけは腐らせないように、立派な甘い甘いカラカラのトマトに、わいはなるんや。

生きた心地、夢見心地

2010-02-28 13:42:46 | 読んで欲しい度☆☆☆
『ストレス発散はどうしてるの?』と聞かれる事が、最近続いた。
そんなにストレスフリーな人間に見えるだろうか。
確かに、嫌なこともご飯を食べて一晩寝れば大したことではなくなっている。

それは僕が脳天気に、ある種、不真面目に生きているからだと思う。


まず『考えてもわからないことは考えてもわからない。』と思っているから、あまり考えない。


他人の気持ち(あの人は僕のことをどう思っているんだろう?)とか未来のこととか、いくら悩んでも答えなんか出ないものは考えない。
逆にこういったものは、時間が経てば答えがでるものだ。


また、時々『本当に生きているのだろうか。』と思う。

半分、夢の中にいる気持ちで、何か嫌なことがあっても、夢の中の出来事として処理する気持ちが湧いてくるのだ。
つまり、「夢から醒めたら『変な夢見た!』の一言で片付くな」と思ってしまう。
非常に感覚的に。


この『本当に生きているのか』という問いは、デカルトだって同じ感覚だろう。
『全てがウソでも夢でも、疑問に思う私だけは確かに存在している』が『我思うゆえに我あり』だから。
そしてデカルトも『この世界が夢ではないこと』を否定しきれていない…様な気がする。

今日の憎めないさん

2010-02-21 16:35:33 | 読んで欲しい度☆☆☆

『合理的』という言葉は、家族にとって最も不必要で不似合いな言葉かもしれない。

2010-02-16 22:42:29 | 読んで欲しい度☆☆☆
つい先日、おばあちゃんを車椅子に乗せて、いつもの様にうどん屋にむかっていたら、すれ違い際にある言葉が耳に入った。

『合理的にしやなアカンで、おじいちゃん。』と。

見ると40歳ぐらいの女性が70歳ぐらいの男性と歩く速度を合わせて歩いていた。
散歩をしながら他愛もない話をしているのだろう。
2人の会話の内容は、それ以上はわからない。

しかしその一言だけがどうしても引っかかった。

考えてみれば、家族で何をするにも、合理的にいかないことばかりだ。

ご飯を食べに行こうと言っていても、誰かが時間を守らない。それに対して、誰かが腹を立てる。なんとか店に入ったと思ったら、座り位置でモメ、メニューでモメる。ビールの注ぎ方でモメる。誰が支払うかでモメる。2件目に行くかどうかでモメる。家に帰っても、誰が犬の散歩に行くかでモメる。


全くもって、合理性のカケラもない。

しかし反面、そういったやりとりを、やれやれ…と思いながらも楽しんでいる自分がいる。

みんな、そうだろうと思う。

結局、集まってやいやい言うことが目的の一つであって、それが出来ること、許されることこそ家族に属する最大の特権なのかもしれない。