声欄とえくれあと眼鏡とへそのごまと…

大人と社会について、自らの考え思いで腐していきます。社会への抵抗ではなく挑戦。

大食い番組は有害だと思う

2009-03-31 13:41:03 | 読んで欲しい度☆☆
まず、大食いであることは素晴らしい事ではない。
山ほど食べる人もいれば、少しで済む人もいる。
個人の資質の違いだ。

クイズ番組なら話は別だ。
多くの問題に答えられるとは誉められるべき事だ。
資質の違いもあるが、努力をして知識を身に付ける。
それを競うから意味がある。

大食いは努力して身に付けた才能ではないし、努力すべきところではない。
無理をして吐き出すほど食べる理由がわからない。

例えると大食いは燃費の悪い車なのだ。
大量のガソリンを使っても走る距離は普通の車と同じ。
省エネルギーなのは食の細い人であり、むしろこちらの方が誉められるべきではないか。

また食べ方が汚すぎる。
行儀良く食べる事が食べ物に対する最低限の礼儀ではないか。
汚い食べ方をしてまで大食いをする価値がない。


総じて大食いという行為に意味がないのだ。
見る人がいなくなれば、番組も出来なくなる。
理解ある人は見ないようにして頂きたい。

結婚する相手は

2009-03-29 23:16:08 | 読んで欲しい度☆☆☆
『夫婦は愛し合う時間よりも話しをする時間の方が長い』とは誰の言葉だったか。

結婚相手は話の合う人とするのが良いと思う。
それが全てだろう。

他の誰にも理解されていなくとも、二人だけで理解し合っていれば良いのではないか。
例えばお互いに浮気が合意となっていれば、周りの人間がなんと言おうが浮気をしても二人は幸せだろう。

歳をとればとるほど、周りの仲間や友人は疎遠になってしまう。
その中で最後まで残るのがパートナーだろう。
思いを共有できる方が良いに越したことはない。
そのためには話し合わなければならない。

夫婦喧嘩は誰も得をしないから、避けなければならない。
感情的になるだけでは話し合いにはならないし、実は子供が一番気を使うものだ。
ハタチを越えた私からしても、四捨五入して50歳と60歳の親の夫婦喧嘩は不快極まりない。
当の本人達は一日経てばケロッとしている所が、また腹立たしい。

芸能人の離婚原因で価値観の相違とよく言うが、価値観が全く同じ人なんていないだろう。
要はどこまでを許容できるかだろう。
話し合うことはその許容範囲の差異を埋める手掛かりではなかろうか。


なんて事を考えているが、結婚していないので説得力がさらさらない事を実感している。

人と人の関係

2009-03-28 11:26:25 | 読んで欲しい度☆☆☆
客と店員である前に人と人の関係。
雇う側と雇われる側である前に人と人の関係。

傲慢で横柄な態度の客を見掛ける事がある。
コンビニとか居酒屋とか。
アホな奴だなと思う。
そういう所でしか威張れないのだろう。
哀れだと思う。

お金を払うという行為が少し優位な気持ちにさせるのだろう。
お金をもらう店員よりもお金を払う客が偉いという気になる。
しかしサービス、商品、労働の対価としてお金を払うのだから、本来立場は平等なはずだ。

そんな事を考えていなくとも、相手がどんな地位であれ他人に礼を尽くすのが全うな人間である。
そして、レジをしてもらってありがとう。
会社で働いてもらってありがとう。
という感謝の気持ちを持っている人間こそ素晴らしい人間である。

何を勘違いしているのか、お金を払っているのだからと、やってもらうのが当たり前。
それ以上に、殿様かの様に威張る。
そんな人間になってはいけない。

そんな人間を見る度に、人間的にカスだと思っている。
まあ周りの賢い人間は気付いているし、そんな人間に着いていくのは同じような人間だ。

What should I do?

2009-03-27 13:23:24 | 読んで欲しい度☆☆☆
和訳すると、
『私は何をすべきか。』
砕けた言い方だと、
『さあどうしようか。』

私はこの言葉を何度も自分に問いかける。
特に心が折れそうな時、絶望しそうな時。

この世に産まれてきた以上、私として生きていかなければならない。
だからこそどうしようか。
という意味だ。

他人と比べても、ずば抜けて勉強が出来る訳ではない。
ずば抜けてスポーツが出来る訳ではない。
だから答えが見つからないと社会を憎んでも、社会の中で生きていかなければならない。
結局、自分の中にしか答えはないのである。

mustではなく、shouldだ。
誰かからの命令ではない。
人生はあくまでも自分がどうしたいかであり、それは自発的なものなのだ。

先々、どうやって生きていきたいかを想像する事で、必然的に今何をしなければならないか分かる筈だ。

だから私は迷ってしまった時、途方に暮れそうな時、自分に問いかける。
『What should I do?』
今日も強く問いかけている。

辞書を引く

2009-03-26 08:49:11 | 読んで欲しい度☆☆
辞書をよく引く様にしている。
知らない言葉や何だったかなと思った時はすでに辞書に手が伸びている。
もはや癖になっている。

最近、正しく認識し直した言葉は“僥倖”。
新しく仕入れた言葉はどこかで使う事でより頭に定着する。

また知っている言葉を辞書で調べてみるのもいいものだ。
間違った使われ方、間違った認識が意外と多い事に気付く筈だ。

例えば、独壇場という言葉。
この言葉は先人の誤りが定着したものだという事が分かるだろう。

ダイエットに悩んでいる人は、是非ダイエットという言葉を調べて欲しい。
何のための食事かを正しく認識しているかチェックしてはどうだろうか。

変わるべきか変わらざるべきか

2009-03-23 08:12:31 | 読んで欲しい度☆☆☆
社会に出てしばらくの後、昔の友達に会うと『アイツは変わってしまった。』と思う事がある。
そしてなんとも言えない気持ちになる。
どことなく落ち着かない気持ちだ。

私はまだこの状況を素直に受け入れられないでいる。
人が変わってしまったと思えば、必然的にお互いの関わり方も変わらなければならない。
昔のままの関係ではいられないのだ。
そこに淋しさを感じる。

しかし思えば、人が変わるのは至極当然の事かも知れない。
社会の中で、一人の大人として生活しているのである。
学生のままではいられないのだ。

そうすると、変わらなけらばならないのはこちらの方だろうか。
お互いが大人として付き合う事を求められるのか。
それもまた淋しい。
お互いが大人になるという事は、アホな事しかしていなくてただただ楽しかったあの日には、もう戻れない事を意味する。


誰が悪い訳でもない。
誰がどうする事も出来ない。
変わるべきか変わらざるべきか、どちらが正しいのかはわからない。
ひとつだけわかるのは、それらを受け入れなければならないという事だ。

胸にとめておきたい名言

2009-03-22 06:14:03 | 読んで欲しい度☆☆☆
自信は成功の第一の秘訣である。
―エマーソン

人に小言を言われたときに腹を立てるな。腹の立ったとき小言を言うな
―新島襄

進むときは人まかせ 退くときは自ら決せよ
―河井継之助

これが人生だったのか。よし、さらばいま一度。
―ニーチェ

もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
―魯人

涙とともにパンを食べたことがない者は、ともに人生を語るに値しない。
―ゲーテ

やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ。
―山本五十六



やっぱり、いいこと言うな。
こういう事が言える人間にならないと。
もしかすると、全く同じ事を言っていた市民もいたかも知れない。
しかし、これらの言葉が残っているという事は、残した人の業績や人間性が優れたものだったことの証明だろう。
そういう意味で、こういう人間にならないと。

彼らの言葉を、みんなに聞かせてやりたい。
そして自戒として自分自身に。
皆が胸にとめておけば、それだけで世の中が良くなる様に思う。

で河井継之助って誰。と思った人は自分で調べましょう。
受動的に知ったものと能動的なものだと記憶への残り方が違う。
いや、私も知らないので今から調べようと思う。

水木しげる『水木サンの幸福論 妖怪漫画家の回想』

2009-03-17 14:44:26 | 読んで欲しい度☆☆☆
単純に面白かった。
実に簡単な言葉で書かれているからだ。
小学生でも読めそうだ。

しかし物事を簡単に説明する事は意外と難しい。
幸福論という主観的かつ抽象的な概念なら尚更だ。

具体的に水木サンの幸福の七ヵ条を上げよう。
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

これだけ見ても面白そうだろう。
しかし、これはあくまで第一部に過ぎない。
第二部に生い立ち、特別付録に兄弟との対談と鬼太郎の第一話が入っている。
この水木サンの生い立ちの部分が、幸福論と鬼太郎に説得力を持たせている。
もう大満足のボリュームだ。

ここで私個人の考え。
幽霊と妖怪は根本的に違うと認識している。
前にも書いたが、幽霊に対してはどうも積極的になれない。
妖怪の存在はより楽しく生きるための一つの要素だろう。
夜中に口笛を吹くと蛇が出る。という類いではないか。
そして、妖怪の原点は木の精や森の精といったものだと思う。
万物に対する畏敬の念が感じられるのだ。


なんにせよ、面白いの一言だ。
人間的に面白い。
そういう人が大好きだ。

私が死ぬまで私の中に、『妖怪水木しげる』がいる事は間違いない。


水木しげる著
水木サンの幸福論 妖怪漫画家の回想
日本経済新聞社
2004年

腹の立つニュース。ほんまに何考えてんねん。

2009-03-14 03:05:46 | 読んで欲しい度☆☆
まずはこのニュースを見てください。
http://news.mobile.yahoo.co.jp/news/view/20090314-00000153-maim_all-soci.html
『中学の臨時コーチがハト殺しを指示…バスケットボール部員が2羽殺す』というニュースです。

ほんま無茶苦茶やな。
何を考えてんねん。
前にここで、『いただきますの意味』は教えられてるんかなと書いたけども、話の次元が違う。
命を何やと思てんねん。
もう一回言う。命を何やと思てんねん。

何点か理解出来ない所がある。

まずひとつ。
ハトがうるさいから、じゃあ殺そうという発想。
これが大人の発想とは信じられない。
利己的と呼ぶにも程がある。

次。
そのハトを生徒に殺させる。生徒はハトの首を切断。
臨時であれ、教育者として大人としてそんな事を指示してどうすんねん。
止めるべき立場やろ。
この生徒らにとって、ハトの首を切断して殺したっていう事実、その時の衝撃・印象・感覚は成長する上で心理的に絶対に影響するはず。
思春期の真っ只中の多感な時期。
もしこの生徒らが将来人を殺して『あのハトを殺した時の感覚が忘れられなかった』って証言したら責任とれんのか。

謝罪して指導から外すだけの中学校の対応。
生徒らの心のケアはしたのか。
この大人を警察へ突き出す事は出来ないのか。
学校は、この大人がどれだけ悪い事をしたかを認識しているのか。


なんちゅう世の中や。
こんな何にも考えていない人間がいると思うだけで、もうゾッとする。

情報を淘汰し判断する

2009-03-12 03:31:52 | 読んで欲しい度☆☆
情報が氾濫する世の中と言われて久しい。
どこに行っても、簡単に情報を手に入れる事が出来る。
情報を遮断出来る場所を探す方が難しい。
しかし情報がないよりはあるほうが良い。

だからこそ情報を鵜呑みにするだけではなく、一度自分自身の中に取り入れ、考えそして判断しなければならない。
必要な情報は取り入れ、不必要な情報を排除する作業であり、その上に自分の意見を確立すべきなのだ。

簡単な例えを上げれば、競馬新聞だ。
大きなレースがある日曜日のスポーツ新聞の一面などには、『大本命〇〇この馬は間違いなし!』と書いてある。
しかし、その新聞の記事をよくよく読むと『一発やってくれる馬は☆☆』とか『調教が素晴らしい馬は##』と書いてある。
隅から隅まで読めば、結局すべての馬が良いという事になるのだ。
おかしな話だが、読者はそれを分かった上で書かれてある情報を参考にして馬券を買うのだ。
情報を淘汰し判断し、買うという行為までが読者に委ねられているため、馬券がハズレても自分を責めるしかない。

競馬なら数分後に結果が分かるが、思想においてはそうではない。
世の中には無数の思想が存在する。
思想において正解は存在しないので、意見の異なる者をただ批判するのは無能の証拠だ。

大切なのは他者を排除する事ではなく、自らの意見がいかに適切であるかを自らに問い続ける事ではないか。
色々な情報を淘汰した上で、一本芯の通った自らの意見を磨き上げる。
それこそが現代人に求められる姿勢ではないだろうか。

たった一つ忠告がある。
思想はどんな時も尊重されるべきだが、その思想が人道的でない行為の起因となる場合は規制されるべきだ。