声欄とえくれあと眼鏡とへそのごまと…

大人と社会について、自らの考え思いで腐していきます。社会への抵抗ではなく挑戦。

『合理的』という言葉は、家族にとって最も不必要で不似合いな言葉かもしれない。

2010-02-16 22:42:29 | 読んで欲しい度☆☆☆
つい先日、おばあちゃんを車椅子に乗せて、いつもの様にうどん屋にむかっていたら、すれ違い際にある言葉が耳に入った。

『合理的にしやなアカンで、おじいちゃん。』と。

見ると40歳ぐらいの女性が70歳ぐらいの男性と歩く速度を合わせて歩いていた。
散歩をしながら他愛もない話をしているのだろう。
2人の会話の内容は、それ以上はわからない。

しかしその一言だけがどうしても引っかかった。

考えてみれば、家族で何をするにも、合理的にいかないことばかりだ。

ご飯を食べに行こうと言っていても、誰かが時間を守らない。それに対して、誰かが腹を立てる。なんとか店に入ったと思ったら、座り位置でモメ、メニューでモメる。ビールの注ぎ方でモメる。誰が支払うかでモメる。2件目に行くかどうかでモメる。家に帰っても、誰が犬の散歩に行くかでモメる。


全くもって、合理性のカケラもない。

しかし反面、そういったやりとりを、やれやれ…と思いながらも楽しんでいる自分がいる。

みんな、そうだろうと思う。

結局、集まってやいやい言うことが目的の一つであって、それが出来ること、許されることこそ家族に属する最大の特権なのかもしれない。