chilimiの部屋

大切なものすべて・・・

無事に終りました

2008-02-20 20:40:07 | 母の病気の事
昨日、無事に手術が終りました。

もし、一人だったら助からなかったそうです…

私達(二女と私)が駅に着いたと、父が告げると、意識が朦朧として話も出来なかった母が「(私の名)ちゃんが?」と声を出したらしいです…
それが倒れてからの第一声で、看護師さん達も驚いていたみたいです。
病院に着いても、二女と私の事をしっかり認識して、話していました。

術後の説明では、今後の厳しい状況も聞かされましたが、今は命をとりとめた事をとにかく喜びたいと思います。

前回と違い、三日間位は物も食べれない状況かもと聞かされていましたが、今朝、病室に着くと話も出来るし、お腹がすいたと言って、看護師さんの付き添いのもと、午前中には口に食べ物を入れ、夕食は普通に配膳されるという、嬉しいびっくりがありました♪♪♪
母には、病気を吹き飛ばす何かがありそうな気がします…

予約完了

2008-02-18 23:20:32 | 家族の事
明日の朝一番の飛行機を予約しました

何年ぶりかの飛行機でちょっと緊張です

下二人を連れて車で出発しようと支度をしていたのですが、
義母と義父が時期的に凍結や雪等どうしても危ないし、
事故でも起こしたら大変だからとストップがかかり、
一番下の三女だけを預かるので、新幹線か飛行機で
行くようにと言ってくれました。

なので、二女と二人で出発する事になりました。

上手くいけば手術前ギリギリで母に会う事が出来そうです

近所の友人や千葉の友人達に「子供の事は面倒見るから、
何でも言ってね」「心配しないでお母さんの側に付いていてあげて」と
本当にたくさんのありがたい言葉をかけてもらい、
元気出して頑張らなくちゃと気持ちを切り替えています

父の話では、意識が無く目は開けないものの
呼びかけると手を少し握り返すなど反応があると言う事なので、
手術室に入る前に何とか間に合えば・・・


報せ・・・

2008-02-18 16:49:55 | 母の病気の事
今朝、母の容態が急変したと連絡が入りました。

夜中に何回か吐いて、朝には意識がほとんど無く、
起き上がる事が出来ないので、救急車で病院へ搬送すると
いう電話でした。
その後、入院の支度をしてくださったケアマネさんからも連絡が入り、
おおよそ父と同じ状況を聞きました。

病院での処置、検査の結果、脳幹を圧迫している為、
呼吸が上手く出来ず危険な状態なので、手術をしなければ
助からないという事です・・・

しかも15日の金曜日に主治医に受診しているにも拘わらず、
今日の医師(前回の執刀医)に「何でこんなになるまでほっといたんですか」と
言われたそうです

主治医は、2月8日の診察でも、状態が安定しているので、
2月に予定していた手術を見送りましょうと言い、
15日の受診時には3月13日に手術予定を入れたらしいの
ですが、それから中2日しか経っていないこの結果に
執刀医の言葉・・・
また今回も不信感を拭う事が出来ません。
しかも、今日は何度も連絡が入っていますが、先程1番最後に来た連絡では、
手術をしてもこのまま意識が戻るか分からないと言われたそうです。

卒業に向けて役員の仕事はピークですし、義父が退院した事で、
義母にも下2人を見るのは難しいと言われました。
本当に大変な時期に重なってしまいました
21日の木曜日には長女の旅立ちコンサートがあり、指揮者をするという事で
一生懸命練習をしており、本当に楽しみにしていました。

もちろん母の事が優先なのは分かっています・・・
今日も1日、下2人を連れて出発するかどうかを決めかねていました・・・

どうにか気力を振り絞って前に進まないと・・・

バレンタイン

2008-02-18 16:12:28 | 家族の事
書き込みがバレンタインから何日も過ぎてしまいましたが、
3姉妹からパパへの手作りクッキー


外では1つも貰えませんでしたが、
お家ではモテモテパパでした

久しぶりの家族旅行

2008-02-11 10:21:55 | 家族の事
6年ぶりの白浜へ行ってきました

昔は、保養所があったので気軽に行けたのですが、
家族も増えたし、宿を取るとなるとかなりの出費が・・・

白浜には『アドベンチャーワールド』があるのですが、
長女は何度も連れて行っているのに、二女と三女は一度も連れて行って
いないし、パパが私の気分転換をさせてくれようとしてくれたみたいで、
思い切って宿を取って出かけました


昔、元気にショーを見せてくれていたシャチが居なくなっていたのは
少し寂しかったです


ですが、昨年生まれた双子のパンダ『愛浜』『明浜』が
本当に愛らしい姿で見る人を和ませてくれていました


パンダも本当に可愛かったのですが、今回我が家のアイドルに
なったのが、カワウソちゃんです
触らせてもらった感触がまたまた気持ちよくて可愛かったです


今回お世話になったお宿は『海のお魚茶屋 鯛鼓判』さんです。

着いてすぐ、ロビーで鯛焼きとお茶のサービス、2つの大浴場の他に
9つの広い貸切り温泉家族風呂があり、全てサウナも付いていました

食事も食べ切れないほどの量で大満足
朝食にはその場で仕上げる手作り豆腐が付いていて、
あつあつプルプルでとってもおいしかったです

チビ達が部屋で騒ぎまくるので、のんびりまったりとは程遠く
障子やふすまを破かないかとか飾り物を壊さないかヒヤヒヤし通しでした
が、子供達も喜んでくれていたので良かったかなって感じです

千畳敷、三段壁の洞窟
白良浜、円月島を眺めながら京都大学の水族館へ初めて行きました
京大の研究の為の水槽を水族館として開放している為に、普通の水族館と違う
マニアックな感じがとても面白かったです

そして今回の最後のビックリは帰りの高速ですごい雪に見舞われたことです

南紀白浜へいったはずが・・・
一時は帰れないかと思ったほど積もり始めたので、相当ドキドキ
ハラハラしましたが、真っ白な雪山はとっても綺麗でした

何とか帰ってきた家の前まで雪が積もっていてビックリしましたが、
パパ、楽しい時間を過ごさせてくれて本当にありがとう



温泉とパンダ

2008-02-07 18:39:02 | 家族の事
明日から1泊で温泉とパンダ行ってきます

年末に実家へ帰った時、母が「どこか温泉に行って大きなお風呂に
足を伸ばして入りたい」と言っていたのが、
ずーっと心の片隅に残っていて、冬休みに我慢してくれていた
子供達を喜ばせたいという気持ちと、母が一緒に行けない寂しさと
何だか複雑です・・・

一緒に連れて行ってあげたかったな


義父の退院が・・・

2008-02-06 17:25:51 | 舅の病気
ここのところ、不定期ですが義父の病院へ行って歩行練習を
手伝ったりしていましたが、いよいよ3ヶ月という期間が迫ってきて
15日に退院と言う事になりました

自分から全くリハビリをしようという気がないのと、義母が義父に対して
常にイライラして「帰って来られても何にも出来ない」「毎日色々考えてしんどい」
「このままだとおかしくなる」と事あるごとに言われ、
見たり聞いたりしているこちらは、母の事だけでも精神的にはかなりきついのに、
義父の事までと正直本当にしんどいです

義父の歩行練習をしている時は、いつも母の事を思い出します。
側に居てこうして出来る事をしてあげたいと・・・

義父は孫や周りの人間がこうして係わってくれるだけで幸せという事に
少しも気づかず、全てが当たり前だと思っている人なので、
心の中ではいつも「お義父さん、あなたは幸せなんですよ。
そして、それは決して当たり前の事じゃないんですよ。
皆が協力し我慢してお義父さんを支えているんですよ。」とつい思ってしまいます

お義父さんは、やる気さえあればどんどん良くなるのだから・・・

義父が退院すると、もしも母の所へ行かなくてはならなくなった時に、
子供達を預ける事も難しくなり、どうしたら良いのか本当に気が重いです


○○組???

2008-02-06 16:56:16 | 自分の事
届いた法被を広げてみました

『セーラー服と機関銃』みたいだと長女と笑いました

地元の友達との思い出がたくさん詰まった法被です!!
もう着る事はないと思いますが大切にしたいと思います。

床の間にでも飾っておこうかな・・・

受診日

2008-02-06 13:54:23 | 母の病気の事
2月1日は受診日でした。

私は、前のような連絡を一切取っていないのですが、
主人の携帯には連絡が入るようです・・・

そのため、今回の受診日も知る事になったのですが、
知ってしまったからには、また遠くから心配しなくてはならず、
この日も1日気分が冴えませんでした

私が帰った後に、2月に手術をすると言っていたらしいのですが、
今回の結果、腫瘍が大きくなっていなかった為、手術はせずに様子を見る
という事になったようです。。。

この心配しか出来ない状況が本当に嫌だったのです・・・

実家から・・・

2008-02-06 13:30:53 | 自分の事
実家から大きな荷物が届きました。

中には、子供の頃から高校生までに友達から届いた年賀状、
成人式に着た振袖の帯や小物、地元の祭りに着ていた法被一式
賞状の額類に通知表、卒業アルバムと学生時代の写真、
そして、子供の頃から我が家にあって、いつか実家を片付ける事に
なった時は、絶対に自分がもらって大切にしようと決めていたコーヒーカップと
ソーサーのセット等。。。

別段、何でもないカップなのですが、なぜかこれだけは自分の幸せな思い出の
ような気がして・・・
子供の頃、お客様が来ると自分でコーヒーを入れて出していた事を思い出します。。。
カップを1つ1つ出しながら、また辛くなってしまいました・・・


荷物の意味が、何でなのか訳が分からず、大阪へ帰って来てから初めて
父へ連絡を入れました。
実家の他に借りていた家を返して、片づけをしているようですが、
私には二人で色々片付けている姿が浮かんでしまい話す事が出来ませんでした・・・