chilimiの部屋

大切なものすべて・・・

目に留まった本・・・

2008-01-28 11:40:25 | 自分の事
今朝の朝刊に『親の家を片づけながら』リディア・フレム 友重山桃 訳
という本の紹介が載っていました。

親を見送った全ての人へ。

亡き親の家を整理する事になった。やがて姿を現したのは、
知らなかった親の素顔と、深い心の傷だった。。。

それは、子供ならば誰もが受ける試練なのだ。(本文より)

以上新聞の紹介より

機会があったら読んでみようと思います。

勇気!!

2008-01-28 11:31:11 | 家族の事
辛くなった時にいつも口ずさむ歌があります・・・

もし自信を無くして くじけそうになったら 良い事だけ良い事だけ
思い出せ・・・で始まるこの歌はアニメ『アンパンマン』の歌なのです

子供向けの歌なのでしょうが、この歌で本当にいつも勇気をもらいます

最近は、三女がアンパンマンのように自分の顔を
ちぎって分けてくれるのですが、食べる振りをした後に、
「元気百倍!!!」と言って三女を喜ばせているつもりが、
本当は自分が元気になっているような気がします

試験シーズン

2008-01-28 11:16:28 | 家族の事
この時期は高校・大学受験もそうですが、色々な検定試験もたくさん重なります。
土曜日は、長女の漢字検定5級、日曜日はやはり長女が英検3級、
主人が資格試験と今週末は試験、試験でした

昨日の試験は2人とも大学での試験でしたが、長女は緊張でお腹が痛くなったり、
手が震えたりしたらしいです

自分の子供の頃を考えると、娘の足元にも及ばないお勉強ダメダメちゃんだったので、小学生でよく頑張ったねと思うばかりです

どちらも合格してくれたらいいなぁと思います




66回目の・・・

2008-01-24 10:17:59 | 家族の事
明日は母の66回目の誕生日です

帰って来てから1度も話をしていないのですが、
今まで、毎年母へのプレゼントは欠かした事がありませんでした・・・

カレンダーに書き込まれた誕生日が近づいて来るのを見ながら、
今日になってしまいました・・・

あたりまえのように思っていた誕生日が、あたりまえでなくなる寂しさは
たとえ様がありません・・・

これから、三女とプレゼントを選びに行ってこようと思います。。。



二女ダウン

2008-01-23 17:30:03 | 家族の事
発表会の練習も始まっているというのに、
二女が、昨日今日とお休みをしています

診察では風邪と言う事でしたが、夕べは咳き込んで布団に吐いてしまい
本人も辛そうですが、雨で洗濯物が~~~

明日は元気になって行けますように

卒業まで・・・

2008-01-23 17:23:15 | 家族の事
6年生の学級委員を引き受けてから、残すところ2ヶ月を切り、
いよいよ最後の大仕事『卒業式』の準備が始まりました

昨日、先生方へ渡す記念品の準備や、当日の段取り、そして役員全員で担任への
お礼の言葉と卒業生全員へのメッセージとして学級委員10名で『世界に1つだけの花』を歌う事など諸々の事を決めてきました

卒業式が間近でない時期には「歌でも歌っちゃう?」なんて冗談で話をしていましたが
ほんとに歌うんだぁという感じです

前日、当日と走り回らなくてはいけなくなりそうなので、
もれなくチビ達が付いて来るとかなり厳しそうで心配ですが・・・

子供達が6年間という長い時間を過ごし、思い出がたくさん詰まった
小学校生活の最後の締めくくりを素晴らしいものにしてあげれればなぁと思います


映画『アース』

2008-01-20 17:48:52 | 家族の事
子供達と一緒に映画『アース』を観て来ました

2歳の三女でさえ「きれいね~」と言う位、地球の生き物や自然の素敵な映像がいっぱいでした

ただ、アースの本当のメッセージは地球温暖化による生態系の崩れや、
人間によって壊されていく自然の姿・・・

『今ならまだ止められる』この言葉が本当に胸に響きました。。。

全世界の人々が幸せに暮らす為に・・・

本当に1人1人が地球の事を考え、これからの子供達の為に生きていけたら
素晴らしいと思いました。


今年の抱負

2008-01-17 14:45:36 | 自分の事
毎年新しい手帳を買うと、1月の最初のページに抱負を
書く事にしています。

年明けからだいぶ日にちが過ぎてしまいましたが、
今年の手帳に書いていた言葉は・・・

『笑おう。とにかく笑おう。笑っていれば幸せが寄って来る』です

これは、『幸せだから笑うんじゃない、笑っているから幸せが来るんだよ』と
たぶんテレビからだったと思いますが、聞こえてきてすごく心に残る言葉だったので憶えていた言葉を今年の抱負にしてみました!!


今後の事

2008-01-17 13:57:40 | 母の病気の事
4日の朝、ケアマネさんと会って話をしました。

本当ならこの日、病院へ行って転院の手続き等をするはずでしたが、
大阪行きが無くなったと言う事で話を進めなければいけなくなり、
細かい事まで詰めて話をしました。

母は、他人が家に入る事を嫌う人で、実際子供の私でさえ小さい頃から、
母の部屋には入れなかったのですが、ヘルパーさんなどもやはり今まで
家へは入れなかったそうです

その事が、ヘルパーさんもケアマネさんもいまひとつ理解できず、
難しい人だと思って頑張っていたという事でした。

では母は何をしてもらっていたかと言うと、自分の家の裏にもう1軒家を借りて
いて、私達が帰省するとそこに寝泊りするのですが(今回も晩は私1人で寝泊りしていました)
その普段は誰も使っていない家の掃除をしてもらっていたのです

それを聞いた時は、お金ももったいないし、体がしんどいのだから
自分の身の回りの事を頼んだらと何度も言ったのですが、
「私達が来た時にきれいな方がいいから」と聞き入れる事はありませんでした。

そして今回、母の家は綺麗好きな母とは思えない位、何もかもがぐちゃぐちゃで
本当にびっくりしたので、これからは母の家の事をしてもらうようにお願いしました。
そして、大阪に来ない以上この事は母にも納得してもらいました。

食事、買い物、家の中の改修と介護しやすいような家具の配置、
そしてこれからの事を考え訪問看護の事、在宅看護に理解が深く往診して頂ける
医師の紹介まで、色々決める事が出来ました。

ケアマネのMさんは、本当に親切で親身になって相談に乗って下さり
帰る前に少しだけ気持ちが楽になりました。

感謝の気持ちでいっぱいですありがとうございました。。。





届かなかった想い・・・

2008-01-17 13:23:14 | 母の病気の事
帰って来てから毎日本当に忙しかったのと、精神的?になのか
主人に「私、夜寝てる?」と聞く位、嫌な夢ばかり見るようになって、
疲れが全くと言っていいほど取れなくなってしまいました・・・

下の二人の病院通いや冬休み中に出来なかった、二女の幼稚園の発表会で
着る衣装作り、溜まっていた家の仕事など等・・・

そして、こういう忙しい中でも義母に色々用事を頼まれるのと、
義父の病院へ行って歩行訓練の手伝いをしたり・・・

ただこれだけだったら、義父の事はやはり大変ですが、
たいした事はなかったと思えるのかもしれません・・・


28日のMRIの結果を受け、母が大阪へ来る準備を毎日進めていました。

29日には、保険会社の方や、大阪の病院に勤務している親類に連絡。
(医療関係ではありませんが、色々聞いてくれるという事)

30日には、ケアマネさんと話をして、年明けにどう動くかの打ち合わせ。
そして、普段はあまり連絡を取っていなかったのですが、
他府県でケアマネをやっている同い年のいとこに連絡を取って、
色々教えてもらったりと、年内に出来る限りの事をしていました。

それなのに・・・
3日の朝、父と母が夕べ話し合って、大阪へは行かない事を決めたと言い出し、
聞いた瞬間、はぁ??????????と言う位驚いたのと、
意味分かんないという怒りで本当に体中に震えがきました

再発という言葉だけを避け、今回の麻痺は腫れが出ていて脳を圧迫している為に、
ステロイド剤を飲まなくなったら、また元に戻ってしまう事、
なるべくならもう1度手術をして取った方がいいのではないか、
主治医や周りの人達から見ても、1人で生活するのは大変だし
無理なのではないか、それら全てを考えて出した結論が大阪行きだったのでは
ないか・・・

そういう全てを話すというより、ぶつけたという表現が当てはまるかもしれませんが、
私の気持ちを聞いて尚、父と母の考えがあまりにも軽く考え過ぎているのと、
今回も前回も私が着いた時の麻痺状態を父は何の介助出来ず、
食事さえもまともに出来ていなかったにも関わらず
「お母さんが千葉に居たいと言うから、これからは俺が全部やるから」と
絶対、絶対、絶対・・・・・・出来る訳が無いのに

『ぶち切れる』という言葉は本当に良くないかも知れませんが、
この時ばかりは完全にぶち切れました

クリスマスに年末年始と家を空け、何もしてあげられなかったうえに、
迎えに行ったばあちゃんは大阪へ来ないと言う・・・

子供達からは毎晩のように泣きながら
「いつ帰って来るの?」「早く帰って来て」との電話や年末には三女が高熱を
出して救急へ受診したり、主人や子供達でさえ大変な思いをしながら、
母が大阪へ来たら皆で助け合おうと頑張ってくれていたし、
再発が分かってから、1人で抱える事の多さに精神的に辛い事の連続で、
パパが送ってくれる携帯の写真やムービーメールを見て泣いては勇気付けられ
していたのに・・・

最後に「ここまで私が言って、色々やってきて、それでも2人で決めたと言うのであれば、今後一切、私は病状も何も聞きたくないから連絡しないで欲しい」
と言いました。
見捨てたんじゃない、私が必要とされなかったんだという悔しさと悲しさ・・・

離れているという事は、私にとって何も出来ず、ただただ心配してオロオロ
するだけでしかありませんでした。
だから今回こそはだったのに・・・

限られた時間なら、本人の希望を最優先にという意見もあると思いますし、
そうさせてあげたいと思う気持ちは当然たくさんありますが、
実際、我が家の場合は私しか居ないのが現実で、
私が千葉へ残って母を見るという事は絶対に無理な事なんです。

この後、母の身内や大阪行きを話していた母の友人の方々へ
大阪へは行かない事になったと連絡をしましたが、母の状況や我が家の
家族環境を知ってくれているだけに、口々にどうしてそんな事を言っているのか、
出来るわけがないのにと言っていました・・・

ケアマネさんに事の次第を話し、明日帰る事を告げると、
どうしても会いたいと言って下さったので、次の日の朝早くに
約束をしました。

この夜は親友が来てくれましたが、帰った後も一睡も出来ず、
布団をかぶって声を出して泣きました。