三     九

いつも ありがとう

四国巡礼2-3

2010-09-27 23:16:44 | 八十八ヶ所巡り
五十一番札所 石手寺

御本尊様・・・薬師如来

御真言・・・ おん ころころ せんだり まとうぎ そわか


写真は 
四国お遍路元祖と言われる 衛門三郎さんの生まれ変わりの男の子が握っていたと言われる石です。

四国お遍路の元祖と伝承される人物、衛門三郎の伝説。

本当は強欲非道な人物だったが弘法大師とのかかわりの中で奇しくも四国巡礼の旅に出る事となる。

平安時代の初期、伊予を治めていた河野家一族である衛門三郎は、浮穴群(松山市恵原辺り)で富豪として権威をふるっていた。

ある日、屋敷を訪ねてきた托鉢の僧を追い払おうと、衛門三郎は僧の鉢を竹ぼうきでたたき壊してしまう。
実はこの僧こそ弘法大師だった。

その翌日から、衛門三郎の八人の子供が次々に死んでしまった。
悲しみの中、大師へのひどい仕打ちを悔んだ衛門三郎は大師の許しを得る為、四国巡礼の旅に出た。
いわゆる四国遍路です。

しかし道中で巡り会う事が出来ないまま、20回もお遍路を重ねた。
大師の後を追っていては巡り会う事が出来ないと考えた衛門三郎は、21回目のお遍路を逆回りで始めた。
その21回目のお遍路の途中、阿波(徳島)の12番霊場、焼山寺の麓で衛門三郎はついに力尽きて倒れてしまう。

そこへ現れたのが弘法大師。
許しを請う衛門三郎に望みはあるかと尋ねた。
出来るなら来世も河野家に生まれ変わりたいと申し出た衛門三郎はそのまま息をひきとった。
その手の中に、大師は「衛門三郎」と刻まれた石を握らせた。

翌年、伊予の豪族、河野家に生まれた男の子の手のひらには、
衛門三郎と刻まれた石が握られていたと言う。

この石は、安養寺に奉納され、寺の名前が改められた。

それが五十一番札所 石手寺。

四国遍路の逆打ちに御利益があるとされるのは、この衛門三郎のエピソードに由来している。
(ドライブお遍路本、おへんろコラムより)



先日 内陣めぐりの本を入手時、お坊さんより 石手寺にその伝説の石があると聴いていました。

五十一番札所 石手寺で 拝見してきました。

ゴルフボールくらいの大きさでしょうか。

写真は 許可を頂いて写させてもらいました。

悲しく 不思議なお話でございます。


そして その翌日、逆打ちをしている、私たち二人は 偶然、衛門三郎さんゆかりのお寺にお参りする事になりました。


三日連休 初日の最終巡拝のお寺は 石手寺として目的の九ヶ寺を巡って、

近くの道後温泉本館 神の湯で お茶とせんべいを戴き、ちょっと間、湯治気分を味わいました。

道後温泉も 人、人、人と たくさんの観光客で賑っていました。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 四国巡礼2-3 | トップ | 四国巡礼2-3 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

八十八ヶ所巡り」カテゴリの最新記事