漫歩マンの健康日記

日々健康を求めて~~

昔のこと

2016-03-28 14:09:38 | 人生
親父が後妻をもらってからワタクシは祖母と一緒に寝て育てられた。
親父と継母は“店の間”で、祖父祖母姉ワタクシは“座敷の間”で過ごし、まるで別家庭のようだった。
もっとも、食事は皆揃って“中の間”で食べたが・・・。

我が家の間取りは、玄関から入ると通路が裏の畑まで通じており、
右側に“店の間”“中の間”~廊下~“座敷の間二部屋”そして“離れ”が並んでいた。
その土間で中の間を過ぎると、廊下と並んで釜戸・お風呂・井戸・台所が続いていた。
釜戸・お風呂は薪をくべて沸かし、井戸はポンプで汲み上げて(家の中に井戸があるなんて今では考えられないが)いた。

 通路の突き当たりに便所があった。(勿論、当時は全て汲み取り式)
座敷の前は庭で、後には形ばかりの防空壕があった。
「空襲警報発令~~!!」の声を聞くと防空壕に逃げ込み、夜には電燈を黒い布で巻いて光を隠していた。

帰国後の親父の仕事は安定せず、転々と職を変えていた。
そんなことで家は貧しく、生計は土地の切り売りで凌いでいたらしい。
“離れ”は貸家にし、座敷の間の2階は滋賀大生の下宿にして家計の足しにしていた。




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