井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

神よなぜ沈黙したまうのか

2017年01月23日 | 日記

日拝は、ずっと続けていて日の出る方向に神社さんがあるので、
そこへご挨拶がてら片道25分ほど、散歩することも多く、
上ってまだ時間が浅い、生まれたての太陽の光を正面に
浴びながら、タバコの吸殻を拾って歩きます。

一日三善を心がけているので、その一つ。と言いたいところですが、
実はこれ善にもならない。というのは私自身が昔、日本のみならず
世界の町のあちこちに、ポイ捨てして来ているので回収です。
回収はたぶん、一ヶ月間の拾い集めで私が捨てた分くらいには
達するとは思いますが、過去世現世と悪業を積み重ねてきた
懺悔の思いもあるので、たかだか吸殻拾いが善行とは
おこがましいのですが、やらないよりはいいかな、と。

片道でももく拾いのおっさん(死語?)をやった道を3日後に歩くと、
30本ほどあった吸い殻が、せいぜい10本程度になっていて
きれいになった実感が結構心楽しかったりもします。

日輪拝を始められた方も多いようですが、太陽の直視は
ごく短めになさらないと、目を傷めるかもしれません。
ヨガには太陽を見るやり方もあるようですが、オゾン層が
破壊されつつあり、有害な紫外線が降り注ぐ現代では、
太陽が仇となるケースもあるでしょう。

地上20~30kmのところにあるオゾン層は、厚さ3ミリほどのレースのカーテンの如きものなのだそうですが、地球保護膜破壊の元凶はフロンガスです。

太陽自体に咎のあることではなく、人類の愚行の結果ではありますが、しかしながら、古代エジプトでは「ラー」として、極東日本ではアマテラスオオミカミとして、信仰の対象となってきた太陽は命を育む慈愛の反面、砂漠においては人を苦しめる凶器ともなります。(かといって太陽が失せれば、地球上の生命全てが絶えるのですが)

愛と苛烈の背中合わせ。

擬人化されたごとく、神は人を直接罰したり救済したりする存在ではなく、ヒンドゥに端を発する仏教の世界観から言えば、前生現世来世にまたがる円環の中、人は自身の因果律の中で魂を存続させて行く存在です。
神なるものの巨視的視点から俯瞰で見下ろせば、人の一見理不尽な苦しみも、己のカルマの帰結だという捉え方です。
その一方、根源神の分波(誤変換にあらず)である諸天善神、諸菩薩などは根源神の一つの働きの側面として、救済の働きを担っておわします。

という如きことを、ふと思うのは最近映画館に参りますと、スコセッシ監督の「Silence」の予告編を観るからです。

遠藤周作の原作「沈黙」は読んでないのですが、映画の断片から察するに、キリシタン弾圧の中にあって、最後まで信仰を捨てなかった者たちがなぜ、こうも過酷に責め苛(さいな)められ命を奪われるか、という命題が主旋律の作品であるような。

もし、だとすれば・・・・そこで描かれる神は人格化されていて人を救い導きもする代わり、厳罰に処する神ですが・・・・・言ってしまえば、そのような人格化は宇宙生成のSomething Greatとは異なる、人間が勝手に作り上げた仮想の神ではないか、というのがわたくしの見解です。

述べれば長くなるので、後日に譲りますが・・・・・

以前パーム・サンデーを体感したくて椰子の葉(パーム)を手にした現地の信者たちの熱狂の群衆にもまれながらサン・ピエトロ寺院を訪れ、ローマ法王、当時はヨハネ・パウロニ世にもお目通り叶い、お言葉と握手も賜り、歴史の長い、それゆえ芸術性の高いこの宗教にそれなりの敬意を払ってはいますが・・・・しかし、本音を申せば、神道や仏教の世界観に比して、視野が狭いような気がしています。どういうめぐり合わせか、わたくしはカトリックの長と共に、仏教界の頂点でいらっしゃるダライ・ラマ猊下にもお会いしていて、彼我の宗教に関心がある人々には珍しくもないことでしょうが・・・・わたくしが宗教を考える時、常に世界観の上からは両極端に位置されるお二方のお顔が浮かぶのです。

キリスト教はカトリックとプロテスタントとあり、その中で更に宗派が分かれます。
仏教も然り。

キリスト自身が聖書を記したわけではなく、釈迦も同じく、弟子たちの聞き書き、覚書であり仏典の「如是我聞」、我かくのごとく聞きぬ、はバイブルも同様で、弟子の勘違いや、主観が混在しています。

宗派、分派が生じる一因でしょう。

キリストという覚者やゴータマ・ブッダという聖者の悟りを、そもそも文字で伝えることが不可能でしょう。

不可能だから、愛を説いたはずのキリスト教を原因として殺戮が起こります。

という視点で見れば、経典のない神道を清々しく感じます。
古代の人々の自然と向き合って得た、インスピレーションが神道、
見出した神へ至る道筋がすなわち「神道」であろうかと、わたくしは
思っています。

神道もさほど身を入れて勉強しているわけではないので、道半ばの者の言うことですが、その宇宙観の正確さに於いて、神道や仏教徒の直感のほうが、わたくしはキリスト教より優れているように感じます。

誤解なきよう、再度申し上げますがそれは「宗教」という一つの枠に収まったときの言い方であり、キリストや釈迦の、根源神とつながった悟りを比べているわけではありません。

それにしても、十字架の上のキリストが言ったとされる「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」、我が神、 我が神、なにゆえ我を見捨てたまうや」(マタイ27、45、46)の言葉です。

古語的に訳すと典雅に過ぎて実際に生きていた人の言葉としては、実感が湧かないので現代風に言うなら、「神様、神様、なんで私を見捨てちゃったんですか!!」とかなり、差し迫った思いとして伝わって来ます。

この死の間際の言葉が長年、わたくしには大きな謎です。

その後の「復活」がひょっとして、この謎の言葉を救済、あるいは糊塗のためのフィクションか、と実は思いもするのです。

いまだ学びの途次の、未熟な意見です。神学者には、深遠な解釈があるのかもしれません。たぶん、わたくしそれには納得しないであろうという、予感があるのですが。

このキリストの謎の言葉をモチーフにミステリー小説の構想を、ここ10年ほど抱いていて、そろそろ書き時なのかもしれません。
同時に、仏教とりわけ密教の世界観をベースに空海と最澄を、両者に仕えた、というより両者に恋の対象として愛された弟子(男子です)の視線から書いてみたいとも思っていますが、フィクションとはいえ背景や宗教の世界の言語、密教の法具、法衣その他、描写も用語も正確でなければならず、京都に赴き、空海が愛した男弟子の名を確かめ、また空海のこの世のものならざる能筆に接したりも致しましたが、調べが膨大でまだ書いていません。稚児が僧侶の相手として閨に入る(いる)その、お次第にも目を通したいのですが、高野山に秘匿されているという「稚児の草紙」を寺側が公開することはないでしょう。一端を、誰だったか今東光か稲垣足穂の書物で知る程度。
僧侶の男根を灯明に見立て、男同士の性愛を一つの宗教儀式にまでアウフヘーベンしたといおうか、言い訳にしたといおうか微細に渡るらしいその聖なる性愛の手ほどき本は、いかにも日本らしいと思うのです。
つまり卑近なものを美意識で高みへと引き上げるその、やり口が。

話が逸れました。

転びバテレンの頃、日本に来た宣教師は日本植民地化の尖兵であったわけですが、そこは遠藤周作さんは書かれたのか、どうなのか存じ上げません。映画はテーマが他へ行くので、たぶん触れないと思います。

聖人化されていますが、まあ白人による有色人種の植民地化、奴隷化の手先ですね。ご本人たち全てがそれを自覚していたか否かは別として。

敗戦後の日本人の精神ごと根こそぎ、弱体化しようとGHQが打って来た手段の一つが、日本国民から神道を奪いキリスト教化することでした。

カトリックの教育をお受けになられ、また父方実家の祖母がカトリックへ改宗され、いずれ一族郎党カトリック教徒になられるような精神風土の中、お育ちになられた正田美智子さんを、GHQがかなりあの手この手で入内への道筋をつけたと、わたくしはいろんな資料を当たってみた結果の結論です。
館林の正田家に出入りして、まず美智子さまの祖母を改宗に導いた、ジョセフ・フロジャックがキーパーソンだとわたくしは見ています。フロジャック自身も、美智子さんの入内が自らの最高作品(仕事の成果)だと、その著書に誇らしげに述べています。
正田家が、アメリカ産小麦粉を媒としてGHQと密着していたのは、客観的事実です。

 

さて、断食ペンションから帰京後、1ヶ月にして6キロの減量に
成功しているのですが、ジョージィのイタリアでの受賞を口実に
食べようということで、奥さんが里帰り中でご飯にあぶれている
甥っ子と、それからわたくしが世話になっている方と3人で
ふぐを食べることになり、これでまた1キロ弱戻るかな・・・・と
思いつつ、しかしそれほど頑なな食事制限しているわけではなく、
ふぐの唐揚げと白子を抜き、刺し身と鍋の身、野菜をメインに食べてました。

食事の最中、オーラの話になり、同席の「視える」知人が
私に「甥のオーラ、視えます?」と訊かれたので「藍」と答えたら、
正解でした。(オーラの色は日により、変化します)

わたくしが甥に、「私の視える?」と訊いたら「視えない。視る能力ない」というので、
「ほんとは、誰にも視える。常識で塞いでるだけ。まして私の甥なら視えるはず」

とかなり強引だったのですが、答えを強要したら「紫」と割に即答で、サイキックな知人も、「その通り」と太鼓判です。

面白いもので、当日わたくしは出かける寸前まで着物は紫を選ぼうと思っていて、
あられもない話、下履きも紫だったのです。
それが、出かける前に紫の着物を出すのが億劫になり、虫干しで
三枚ほど吊るしてあった一枚を、適当に来て出かけた、のでした。

当日のわたくしのオーラは紫だったようです。

オーラといい「気」といい、三次元の言語では説明できないものを知覚できてない人に伝えるのは、至難というより盲目の方に色彩を伝えることにも似て不可能なのかもしれません。前世についても同じく。

前夜のいでたちです。

スマホ撮りなので、はっきり解りませんが羽織はベロアレースの
透けたの。黒地に透けた部分(穴)の縁取りがベージュという感じで・・・・帯は皮です。
羽織紐が、緑と茶(和名で言えれば素敵ですが、勉強不足です)

茶に緑が合うのは、自然界の樹木がその幹と葉で教えてくれますが、
案外反物に緑がありません。薄茶の着物に、濃緑で羽織を誂えたく探しているのですが、見つかりません。

茶に、緑の縞が少し入ったのでも面白いと思うのですが。

長襦袢。

草履。

昨夜の「なり」(装い)ですが、3つ掟を承知で破ってます。

足袋が、こはぜのないソックスタイプで片方の親指に、羽を広げた
鷹が金糸銀糸でワンポイント、あります。

あと、羽織に蝶のブローチをつけてます。

極めつけが着物が実は単衣なんです。(最近、こだわらなくなりました)

改まった席ではないので、いいかげんといえばいいかげん。

単衣でも男は下に下着を重ねられ、更に長襦袢が厚手です。
最近は冷暖房があるので、伝統もやや変わってもいいのかも
しれません。

ブローチは、もともと羽織のレースが洋装の上に羽織れる感覚の、
もともと掟破りを志したものなので、ま、いっかということ。

そもそも皮の帯自体が、サッシュともいうべき感覚でこれじたいが
伝統からははみ出ています。

 

*誤変換その他後ほど、推敲致します。

 


13 コメント

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Unknown (カズ)
2017-01-23 20:19:27
先生、こんばんは。

先生がお持ちの情報の中でご回答可能ならばご教示いただきたいのですが・・・。

秋篠宮さまは自虐史観ではなく、我々に近い歴史観・皇室観(男系を繋ぐ)をお持ちなのでしょうか?

ご無礼に当たるかもしれませんが、紀子さまがお二人の内親王をもうけて相当間を空けて悠仁親王を敢えてもうけられました。
これは小泉時代の女系ありきの有識者会議への強いメッセージと考えていたのですが、今では実は親兄弟へのメッセージであったと考えています。

書ける範囲で構いませんので、ご検討宜しくお願いします。
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Unknown (Unknown)
2017-01-23 22:28:48
・あるサイトで、次のような記述に接しました。
「 昨今の皇位継承問題そのものが、「小和田家という外戚の横暴」と受け取られても仕方ない面があるのも確かです。 端的なのは、女系天皇容認の結論を出した、小泉政権での有識者会議。 そのメンバー10人中、8人までが小和田恆氏(雅子様の父)と無関係とはいえない状況です。 つまりは、「愛子様の外祖父の関係者が、愛子様とその子孫を天皇にしようとした」となるわけです。 その実態はまだ明らかになってませんが、それがどうあれ、将来的にはそのように言われても仕方ない部分があった、ということです」
・今回の譲位問題が提起された直後に、小和田氏がスイスで軟禁状態云々の書き込みが、伏見師主宰の「時を斬る」というサイトで報じられました。宮内庁長官交代の件を合わせて考えれば、臣・安倍普三による「信濃町」一派退治なのでしょうか?
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こんばんは (総太郎)
2017-01-24 00:05:27
先生、お疲れ様です。
甥子さん達との楽しいひとときの御様子や着物姿にほっと致します。

今回の柄も素敵ですが、やはり、先生のように普段から着こなされていないと私達は駄目かな・・?と思ったりしますね(^_^;)

「沈黙」は篠田正浩監督の1971年東宝・岩下志麻さん・丹波哲郎さん主演版を前から観賞したいと思っていたのですが、未だに未見で、今回の新作版を先に見る事になりそうです。
あちらの方は脚本が篠田監督並びに遠藤周作先生御本人との共同脚本で武満徹先生の音楽だったんですが、篠田監督ファンの友人女性が「素晴らしいから、総太郎さん是非!」と薦められています(^^;
只、小生、素人考えですが、余程、深いキリスト信仰のある方々には感慨深いのかも知れませんが、「究極の状況なら、踏み絵一つ等、躊躇う必要はない!そんな事で神はお怒りにならない!」と説く伝道師の方はいないのか?
また、命を犠牲にする程の信仰が必要なのか?とひねくれて解釈してしまうんですよね(~_~;)(ネット上でも同じような御意見の方がおられました)

本来、人間が幸せになる為の心の糧としての信仰には共感致しますが、どのような宗派であれ信仰の為に命を犠牲にするのは、小生のような俗物には抵抗があります・・。
そんな事も考えながら、新作を観賞させて頂くつもりです・・。

さて、橋本明さんが、本日早速、時事通信社の取材に見解を表明されたようですが「陛下は一代限りの特措法に御不満!公務を減らす事を望んでおられる訳ではない」旨の談話。

誠に分かりやすいですが(苦笑)、
もう、訳が分かりません(-_-;)!
そもそも8月の生前退位御表明に於いて、陛下は「高齢に伴う公務への支障、並びに周囲への
迷惑を掛けたくない」旨を示されていた訳ではなかったのでしょうか?
橋本さん御本人も内心、矛盾に気付いておられるのではないか?と思われますが、もう後戻りが出来ないのでしょうね・・(~_~;)

小生、橋本さんには陛下・皇后様の暴走に歯止めを掛けて下さる、昭和時代の侍従のような役割を期待しておりましたが、失礼ながら、完全にミイラ取りがミイラになってしまわれたような印象です。
橋本さんのお人柄や過去の御発言から推測して
「小和田一族を除去すれば皇室は清浄化」
と思い込まれていた節がありますが、悲しい事は腐敗の根源がGHQを基に、根本からだった事でしょうね・・。
先生が仰る「反則」の御言葉に尽きますが、
出来る事なら、橋本さんには、陛下の真の御友人なら、本当に日本と皇室を愛されるなら「陛下、それは間違ってらっしゃいます!」
「そんな事が、御家族や日本の将来の為になりますか!」と厳しく諌めて頂きたかったです(~_~;)

矛先を納められるなら、これから沈黙を守られる方が橋本さんにとっても都合が良い筈なのですが、これだけスポークスマンをされているのは余程、陛下・皇后様から頼まれていると考えるのが自然でしょうね・・。

橋本さんと連携して、皇室の清浄化を訴えていた西尾幹二先生らも嘆いておられると思います・・(~_~;)

最後になりますが、神山繁さんに続き、松方弘樹さんの訃報まで届き、映画ファンとしては悲しいばかりです・・(~_~;)

小生の周囲には神山さんや松方さんの御友人が多かっただけに、皆様方のお気持ちを考えると・・。
先生の「外科医・有森冴子」で、神山さんが加藤治子さん、寺泉憲さんらと御一緒に出演の(青春のメモリー)もございましたね。

皆様方の御冥福をお祈り致します。
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Unknown ()
2017-01-24 00:41:47
>>言ってしまえば、そのような人格化は宇宙生成のSomething Greatとは異なる、人間が勝手に作り上げた仮想の神ではないか、というのがわたくしの見解です。

私もそう思います。宇宙を冷徹に観察していながら、でも何かを期待しているのが神ではないでしょうか?宇宙が出来て天体同士がぶつかって、たまたますごい確率で生命が誕生する星が出来た。そうした事を興味深く見ているのでは?いわば宇宙は神の実験場です。
神は介入できるけれども、それをしない(もしかしたら介入した時代もあったかもしれません)。介入すれば自分の思い通りになってしまい、それは実験にならないからです。恐竜は神から愛されていなかったから絶滅したのか?と言えばNOでしょう。
神が何を考えているのかはわかりません。でも、もしかしたら「早くここまで登っておいで」と思っているのかもしれません。
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お返事 (井沢満)
2017-01-24 07:24:17
カズさん

>秋篠宮さまは自虐史観ではなく、我々に近い歴史観・皇室観(男系を繋ぐ)をお持ちなのでしょうか?

解りません。
なぜなら、殿下がそれに関しては語られないので。
そして、胸の内に何を考えていらっしゃろうと、外には過度の私的感情や思想を出さない、それが皇族の節度です。
それで十分と私は考えています。


>今では実は親兄弟へのメッセージであったと考えています。


秋篠宮殿下がこれに関しては、おおやけに語られていたと思うのですが・・・・

「お許しが出たので」と。
つまり、長子である皇太子殿下と雅子妃に対して、出産は遠慮するように、と「どなたか」に禁じられていたということですね。

それが雅子妃にもう年齢的に出産の芽がなくなり、紀子妃もよもや・・・・ということで、妊娠を許可したのでしょう。それが、まさかの妊娠、しかも男子、ということで禁止した側は大きな目算違いしたということで、近年女性天皇擁立論が盛んで、しかし愛子さまの実情が表に出るに連れ下火へ・・・・・それが「生前退位」と天皇陛下が打って出られたのを機に、愛子さま擁立論が再び活気づいたのが、現在です。



Unknownさん

論戦となった時、Unknownが重なると誰がどの意見か発言の所在と責任が不明になるので、固定HNで
ご参加ください。無記名だと、一部のSMAPファンのごとく、2ch的書き捨て書き逃げの場を誘導してしまいます。


コピペ内容については・・・・


>つまりは、「愛子様の外祖父の関係者が、愛子様とその子孫を天皇にしようとした」となるわけです。

小和田氏の画策もむろんありますが、両陛下とりわけ皇太子溺愛と、男女同権主義の皇后陛下のご意志、願いでもあります。


>宮内庁長官交代の件を合わせて考えれば、臣・安倍普三による「信濃町」一派退治なのでしょうか?


でもないですね。政府からは小和田氏救出に、人を派遣していると私が聞いたことが、事実なら。

信濃町退治じたいは、おやりになっていると思います。
ただ、小和田氏と雅子妃がその信濃町関連と聞き及んでいるので、これも事実なら複雑ですね。




総太郎さん

着物は日本人なら似合いますよ。
身辺の若者に強引に着せたら、その時点ですでに似合ってました。ただ、着るごとに身に馴染んで来るのは、事実です。


一度記事に明瞭に書いておいたほうがいいかな・・・・と思ってるのですがWikiがソウル特別市生まれとなっているので、在日説が定期的に出るのです。

正確にはソウルではなく「京城」つまり、併合時の「日本」なんですけどねえ・・・・

ということを市川森一さんにお話したら、バンキシャ!をご覧になっていて、「あんなに着物が似合う在日はいないよ」と言って頂き、溜飲が下がりました。

Wikiに申し入れようと思いつつ、面倒で。「日本人」とは書いているようですが、帰化ってこともあるしねえ・・・・


そのうち、記事できちんと説明します。Wikiへも公開願いってことで。


仁さん


人は神の分け御霊と言われていて、つながっているはずなのが、分離して現在に至っているという説があります。神の分身である人間たちが様々な体験をして、それを神がデータ収集しているというごとき・・・・

そういう意味では実験なのかもしれません。

迷惑な気がしますがw

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ピピ (Unknown)
2017-01-24 22:40:14
先生、お疲れ様です。
遅いメッセージで失礼致します。
お着物、素敵ですね。足袋ソックス?のワンポイントが私にはツボです。江戸の頃の裏に凝るお洒落に通じるように思えました。勝手な感想で申し訳ありません。

自分語りで気恥ずかしいですが、12月に念願叶って京都で地髪で日本髪を結って頂き、芸妓さんのコスプレ(笑)をしてまいりました。高島田の年齢ではないので、ホームページをあさり、幕末物でよく見る芸妓さんの装いでしょうか、潰し島田で襟を返して、帯も重箱という結び方。鬢付け油の香りにウットリでした。
お着物も良い物で、ずっしりと重く、ああ、和服って本当に素敵と再認識致しました。
今は観光地でレンタルして歩いている外国の方や若い方を沢山お見かけしますが、ペラペラで、まあ、良い物をレンタルするわけないとは思いましたが、出来れば良い物を着て、風合いや、染めや諸々のお着物の素晴らしさを味わって頂きたいなあと。

閑話休題。その日本の伝統のお衣装を絶対お召しにならない方が次代の皇后になられるかもしれないという現実にクラクラする思いで一杯です。
両陛下におかれましても、畏れ多いですが、一部では徘徊老人呼ばわりされております。
私には未だに何故摂政ではいけないのかが分かりません。あれほど憲法遵守を仰りながらの今回の騒ぎ。1日も早く良い方向に落ち着いてほしいと日々日本の神々に祈っております。祈るしか出来ないことも腹立たしい。
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ピピさん (井沢満)
2017-01-25 06:34:00
>自分語りで気恥ずかしいですが、12月に念願叶って京都で地髪で日本髪を結って頂き、芸妓さんのコスプレ(笑)をしてまいりました。

舞妓さんは知ってましたが、藝妓さんがあるんですね。

外国人にこそ、本物の着物を見て欲しいです。

>その日本の伝統のお衣装を絶対お召しにならない方が次代の皇后になられるかもしれないという現実

今上と皇后陛下の即位の礼のときも、洋装案が出たそうで、伝統を潰していきたい勢力が宮中にあります。
次は、たぶん「ご体調」を理由に、洋装案が相当強く出るのでは・・・と踏んでいます。

衣冠束帯に十二単だからこそ、格式も高くなるのに、洋装ではそこらのイベントです。
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先生本当にシュっと (mai)
2017-01-26 00:30:30
おやせになられて、和装姿が素晴らしいですね。
そしてなんですか?京都で芸奴さんのコスプレ?
先生にはなかなかの女優魂を感じますねーw
思い立ったらある時は断食温泉の旅、またある時は芸奴さんに変身!て
先生のその果てしなく自由なスピリットを心から尊敬します!
感性が本当に柔らかくていらっしゃるのでしょうね
見習いたいです。

ところで話は変わりますが、エホバの神は「私は嫉妬する神である」とおっしゃられたとかユダヤ教の旧約聖書でよろしいのでしょうか(汗)、不勉強でウロ覚えなのですが書かれてるそうですが、
???神様に唐突にそんなことを告白されても困っちゃわないの?あちらの方々は?と思った事を思い出しました。
わたくしたち日本人の神道は
>経典のない神道を清々しく感じます。
>古代の人々の自然と向き合って得た、インスピレーションが神道、
>見出した神へ至る道筋がすなわち「神道」であろうかと、わたくしは
思っています。

まさにこの先生の表現がピッタリ!
私たちの神道は実にたおやかで大らかで限りない優しさに満ちていると日々感じて生きております。

神道も先生の感性も素晴らし過ぎる!
ハレルヤ!(なぜかここでヘブライ語ですが、日本語の「ハレ」にも繋がっていそうな感じが好きで使いましたw)
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勘違いw (mai)
2017-01-26 00:33:17
芸奴さんに変身されたのは先生ではなくてピピさんだったのですねw
大変失礼しました(ペコリ
結構想像できちゃう所が先生のお茶目でキュートな魅力です\(^o^)/
お許しをww
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maiさん (井沢満)
2017-01-26 15:08:35
私の人生でのコスプレ歴は、幼稚園と小学生低学年時の学芸会におけるお遊戯だけでした。
当時は学芸会の花形だったんですw

あ、後一回ジャニーズ関連の舞台で楽屋に行ったとき、光GENJIの諸星くんの衣装を着せられたんだった・・・

「妙に」似合うというのが、その場にいた川合俊一さんたちの感想でしたw

それで思い出したんですが、年若い友人と喋ってる時に、
「私、これでも十代の時は、道歩いてたらスカウトかかってた」

(18で一回、二十歳で一回あったきりなんだけど、いかにもしょっちゅうそうな口ぶりで言ったんですが)

「痩せて来たら、少しずつ昔の顔に近づいてる。またスカウトかかるかな?」
と訊いたら、

「かかるでしょうねえ」

と友人。

「え、ほんと?」

と嬉しさに声が上ずりながら、言った私に、

「CMなんか、すごくよさげです」

「えー、そ、そうかな!?」

「ええ。ベッドで、にっこりと、介護用おもらしパンツの宣伝とか」

・ω・


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