「彼らが本気で編むときは、」という映画を見て、感想がまだです。
タイトルが、読点で終わるのも含めて斬新です。
母になりたい母性の持ち主である性同一性障害の男子(生田斗真)と、
男に走り、母であることが出来ない母性喪失の女子、そこに
遺棄された女児と、その女児の面倒を見る母性喪失女の弟(桐谷健太)、
そして弟は、性同一性障害の男子と暮らし、いずれは戸籍の性別を
変えるということを前提に結婚を決めています。
と、これだけのシチュエーションで、ちょっと書ける人は
脚本にしろ、小説にしろ即書けるぐらい端的で優れたシチュエーションです。
長年この仕事をしているので、冒頭の30秒から3分で作品の仕上がり状態が
解るのですが・・・・
編集段階でカットすべき所を結構残してしまったな・・・・・と冒頭で感じ、
それは結局最後までそうでしたが、できの悪い作品ではありません。
これは女性の感覚で描いたな、と思って後で監督脚本家名を見たら
同一人物で、やはり女性でした。
桜を象徴的にとても美しく撮っています。
図体がでかく、男顔の生田斗真くんを主人公にしたのは正解でした。
存在が物悲しいのです。これで、女性的に小柄で、化粧映えのする俳優が
演じたら、LGBTであることの苦しみと悲しみが表現できなかった
でしょう。(生田くんをきれい、と表現している人たちもいますが)
女の子は、母になりたいと熱望する性同一性障害の男子の元を去り
結局、ふしだらな育児放棄の母親を選ぶのですが、無血縁家族の
形態が多いアメリカでは、不思議に思われるかもしれません。
映画を見ながら、思い出していたのは最近報道された性同一性障害の
女性の自殺でした。
お母様の言葉によると、ふくらんだ胸をかきむしりながら「この胸が、好かんとよ」
と涙を流しながら呻いていたと言います。
無残なことだと思いますが・・・・
しかし、死ぬのは待って欲しかった、と思うのです。
たぶん、その方の生きていらした職場などの生活環境が
狭隘な価値観で固まっていたところなのでしょう。
私が彼女の友人なら、乳房がそれほどあなたの人生を
不幸にしているなら、取っちゃえば? と言います。
反対意見も多いのかもしれませんが、死ぬよりマシでしょう。
そして、その人が生きられる場を求めて、現在の生活空間を
去れば良いのです。
世の中、広く、人さまざまです。
タイでは小学校の頃から、身体は男の子、しかし心は女の子という
存在をさらっと受け入れ、屋台で食を商う男性が女装だったりするのは
日常の光景です。
例えば、タイに職を求め、ついでに伴侶を求めればいいのだし。
国内でも生きられる場所はあります。伴侶は探せばいい。
そういうカップルはいます。ネットワークを使えば、出会いの確率も
高くなるでしょう。
とりわけ大都会のビルの谷間を生活空間とするなら、誰も
人のことなど知ったこっちゃありません。
私など以前書きましたが、耳からミニ金魚鉢のイアリングを下げ、中で
本物の金魚が泳いでいるという・・・・まことに珍奇なお爺さんを
見かけましたが、雑踏の中、目を凝らしているのは私だけで
皆目もくれず歩いていました。
私が知っている最も過激な例は、50歳を過ぎた男性で
既婚者、孫もある男性がいつの頃からか自分が
本質的には女性であることに目覚め、家族に告白、同意を
もらい、好きな男のもとに走ります。
が、相手の男に肉体まで女性にならないと、抱けないと
言われ、その人はタイに飛び「還暦記念」にあっさり男性器を切除、女陰を
人工的に作り、乳房を盛り上げて今は、想い続けていた
男と暮らしています。
性転換もホルモンでバランスを崩し、精神不安定になったり
痛みも大変らしいですが、それでも女性の体を手に入れたかった
のでしょう。(現在の性転換に関しては知らないので、ホルモンバランス云々は
現代では解消しているかもしれません)
既婚者で孫持ちの男が、という批判は当然あるでしょう。身勝手といえば
身勝手です。
一概にこうだと言いきれないのですが、それにつけても乳房が要らないと
命を断った方の心を思うと、無残です。
我慢や絶望とは別の生き方がありますよ、と言ってあげたいのです。
インドに、あるセミナーを受けに渡った事があるのですが、性同一性障害の
人がいて、自己紹介の時その人は淡々とそれを告げ、
女性のグループにいましたが、誰も排斥せず、好奇の目で見ることもなく、
噂にすらならず、私たちは共に学習に励んだのでした。
その方が、性別適合手術を受けているのかどうかは知りません。
生理的に受付けないという人がいるのは仕方ありません。
それはその人の正直な感覚なので、それを否定することはありませんが、
黙って見ぬふりをしているくらいの優しさは欲しい、と思うのです。
ただ一点、人は驚くほど後天的な刷り込みによる洗脳を受けて、
一つの凝り固まった価値観に縛られていて、それは自分をも窮屈に
します。解き放ちましょう。心は自由です。
*誤変換他、文章の瑕疵は後ほど推敲致します。
私がまだ20代で(20年数年前)入院中、喫煙所でとても親しくなった少し年上のお姉さんがニューハーフさんでした。私が禁煙して10数年は経ちますが、その頃はまだ病院内でも喫煙所が何ヶ所もあって、今よりはずっと自由に吸えていました。
タバコ仲間で親しくなり、何階の患者で何の病気かは言わないまでも、何となく身の上話にまでなった時、そのお姉さんが「私の本名って○太郎って男らしい名前なのよ。呼ばれたからって受付に行くと『奥様?ご姉妹?』って、本人とは思われないの」と。それで戸籍上まだ男性なので、入院手続きは男性の大部屋になってしまったそうです。
「私はいくらカーテンを閉め切ったとしても、他の男の人達5人と同じ部屋には泊まれないって泣いちゃった。でも女性の大部屋には入れられないと断られて、でも希望して個室だと差額ベッド代が1日5千円かかるって。そんなに毎日払えないって泣いちゃった。そしたら重症患者の入る二人部屋で手前にいるおじいちゃんは寝たきりで身寄りもなく面会者もないので、その奥だと差額ベッド代が2千円でどうですか?って。」とのこと。
結局おじいちゃんと相部屋になったけれど、その人がかわいくなっちゃって色々とお世話をするうちに、「私看護婦(当時はまだ女性のみ看護婦、男性は看護士)になりたい。ちゃんと勉強して看護学校に入る」と熱く語るようになりました。
私が退院する頃はお姉さんが手術になってもう会わなくなって、それっきりになりました。携帯電話のない時代のことだから、聞いた連絡先(お店の電話)もつながらなくなって、もう会えませんでした。
このお姉さんが唯一仲良くなったニューハーフさんでした。あとはLGBTの方とはなかなか知り合う機会がありません。
カツ様の的確な分析に頷かされました。
中々、他者からは伺い知れない悩みや苦しみもある筈で、
周囲の対応やアドバイスは難しい問題ですね・・。
本作品も、もし先生が脚本を手掛けてくだされば、どのような切り口となられたか、思いを馳せます・・。
先月のエントリーで、先生の「同窓会」に感動なさった、こういち様の暖かい投稿を思い出しましたが、
当時、先生の許へ寄せられた「自身の結婚前夜に自殺された後輩男性」の体験は、悲しくやりきれないですね・・(~_~;)
先生もご存知だと思うのですが、美輪明宏さんが、若き日にお慕いされていた某男性の御自宅にお邪魔した所、性癖の問題から親族会議でその男性が吊し上げの真っ最中・・。
中座した男性はトイレで首吊り自殺され、美輪さんは男性の無念さを目の当たりにして、
確か「人間が人間を愛して何が悪い!あなた方、恥を知れ!」旨、その場で親族にやり場のない怒りをぶつけられたと仰っていましたね(~_~;)。
「小川宏ショー」始め、様々な媒体で美輪さんが語ってらっしゃったのが忘れられません・・。
様々な悩みを抱えた方々の幸せを願うばかりです・・。
ところで、先程、あちらのエントリーでの学習院OB様の投稿。
ひょっとすると、先生がフジテレビ「おはよう!ナイスデイ」で同席なさったお方ですかね(苦笑)
どなたであれ、性癖については全く構いませんが、皇太子様を暖かく大切に思う御友人が過去から現在に至るまで、どれだけいらっしゃったのか・・?は気にはなりますね(~_~;)
女性が好きな女性。男性が好きな男性。男女ともに好きな男女。性別の異なる意識を持ち性を越境する人。
だいたいこういう定義だと思うのだけれど、知人に性転換者の元男性で女性のみ性的対象と言う人もいますし。
男女の脳というのもさほど明確な個人差は無いと、個人的には考えています。
遺伝子レベルで染色体の数で性別は決定されますがキメラ染色体もあるし。
それらを全て一緒くたにLGBTとし、政治運動などをする団体には激しい拒否感を感じますね。
民主党からレズビアンを表明し差別を無くすといい議員になった尾辻かな子さんは派手な結婚式を同性とあげてその後即別れてしまいました。
アメリカなどのキリスト教規範が道徳になっているところは「同性愛は罪」とされており、同性愛者迫害などがあったのでパレードをしてある程度の政治力をつけたのは理解できます。
同性愛者=異常だから排除。という観念はキリスト教的思考ですから。
日本の場合その部分が非常に曖昧模糊としています。歌舞伎で女形が美しいと思えますし、宝塚で男役の方を凛々しいと思えますし。
日本文化独自の許容性があるように思えます。
だからなおさら「同性愛者」を全面に出した議員候補者に違和感があるんですよね。
欧米のように極端な差別も無く、テレビでは女装タレントが大勢出ていて、CMまで活躍してますよね?
マツコ・デラックスさんなど旬が長いですし。
うまく考えがまとまりませんが、性別に違和感があって不都合なら変えれば良いし、自分の普通を追い求めれば良いのかな?と思います。
世間の普通≠自分の普通なのですから。
そういう意味で日本はおおらかさもあると思います。
法律というルールで縛られないからこその自由もあるんだと悩んでいる子供には伝えたいですね。
どう生きても100年程度なんですから。
好きな事に挑戦すれば良いと思っています。