井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

官能性としての大相撲

2019年05月27日 | 日記

東京の空には一定時間帯、報道か警備のヘリの爆音が
飛び交い、アメリカからの要人の存在をリアルに感じたのだった。

トランプ杯の授与直前から中継を見て、観客総立ちの拍手と歓声、
その華やかに浮き立ったさまに
、国技館に初めて足を踏み入れた時のことを
思い出していた。

(なんだ、真っ昼間からこの淫蕩な雰囲気は)というのが、
升席に腰を下ろした瞬間の
感想だった。

淫蕩というのは、おとしめているわけではなく、江戸の女たちの
口の赤がふと、まなかいを過(よ)ぎり日本の伝統としてのなまめかしさが
脳内に妖しく揺らめいたのだった。陰間茶屋で男買いしていた女たちの
イメージが混在シンクロしている。

「日がまだ高いうちから日本酒、ざわめき、 拍子木・・・・かつての横綱や大関が警備だか整理員だかで、立って蝋人形のように陳列されているし。
私がくらくらした大本が鬢付け油の匂いだった。私の中で他の格闘技との明確な違いは神事云々以前に 官能性なのですよ」

とかつて横綱審議委員を務めていた友人にメールをしたら、

「感じ入ったのは、mが大相撲に官能から入ったこと。ナミじゃない」
と返信があり、自分の感性がいびつで特殊なのかと思っていたのだが、
安心した。

「北の富士という人の、ゆるい着付けの着物姿が色っぽく粋だった」と
再び書き送ったら、この方を友はOL時代から追いかけていたそうで、
御婦人連に大層な人気なのだそうだ。北の富士さんは私は名前しか
知らず、今日見たまま感じたことを綴ったのだが、これも
アンテナは錆びていなかったようで、ほっとした。
脳は鍛えるしかないが、感性はみずみずしくありたい。

というわけで、私の相撲への理解など感性で捉えた搦め手からの
それであり、土俵が結界である神事としての関心でしかない。

私が国技館で感じた官能性は、鬢付け油のそれが誘発したものだった。
お相撲さんの鬢付け油と芸者のそれと、どう違うのか調べてみた。

力士の髪の匂いは「オーミすき油」であり、成分は、木蝋・菜種油・ヒマシ油・香料・トコフェロールとある。

木蝋とはハゼの木の実を収穫して砕き、採取した蝋である。櫨蝋(ハゼロウ)とも。他の油では、力士の激しいぶつかり合いで髪がバラバラになるという。
力士の匂いの元は判ったが、舞妓ちゃんや芸者さんのそれは情報が少なく、
お相撲さんの鬢付け油とはまず製造元が異なり、しかしベースが木蝋で
あることは同じであるようだ。花街にたゆたう姐さん方の髪の匂いも
官能を刺激する。

などと考えているうちに好奇心もだしがたく、鬢付け油を注文したら翌日
届いた。いそいそと太く短いロウソク型をくるんだパラフィン紙をはがすも、あの官能的な匂いとは違う。
ラベルを見たら「かつら用」。買い物は即断即買なのだが、粗忽さも
毎度。

それにしても、国技館で感じたあのしどけない官能性は、テレビでは
無論想像もつかず、足を踏み入れてもそれを察知するのは日本人だけ
かもしれない、という気がする。

中継中の国技館で、トランプ大統領に握手を求める人たちの中に、
以前お会いしたことのある櫻井よしこさんと、金美齢さんに似たお顔を
見たような気がしていたのだが、後の報道によるとご本人たちで
いらした。