井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

金粉日和

2017年10月15日 | 高次元のお話

初めて読まれる方には、何がなんだか・・・でしょうがなぜか「金粉体質」で
体や、衣類、デスクなどに金粉や、金箔、ダイヤモンドの細かい粒みたいなものが
時々、キラキラと現れます。

昨日、左手に金粉・・・というより粉状ではなくかなり光が強い正方形なので、
金箔っぽいの。

写メしてみました。

接写し過ぎて、何がなんだか。黄色にぼーっとしてるのが、そうです。

実際は、もっと光が強く、リアルに金箔でキラキラしてます。

粒(粉)状に現れるときは、複数であることも多いです。

ダイヤモンドを砕いたように、白い光で無数にキラキラ現れる
こともあります。


”ダイヤモンド粒”しきり

2017年10月02日 | 高次元のお話

昨日は、銀座で新人作家さん、それからプロデューサーさんお二人と
お会いしたのですが、「今日は金粉降るな」となんとなく
思っていたら、降ったのは“ダイヤモンド粒”でした。

ダイヤモンドかどうかは解らないのですが、いつもの黄金色の粒ではなく
白く強く光るダイヤモンド上の粉が、最初右手にキラキラ、ついで左手に
ピカピカ。

一人のプロデューサーさんは、私のそういう“体質”を、湧いた金粉を目撃した過去ありでご存知、もうお一方のプロデューサーさんは、そういうことに懐疑的なお方ですが、「現物」を目にしては否定もならず。

新人作家さんは、目を丸くしていましたが。

とにかく、3人の証言者を得たので、安心して書いています。

バッグに金箔が張り付くこともあります。

何なのか、さっぱりわかりません。

 


「アマテラス」が、もっと広がりを持つ時代なのか・・・・・

2017年07月13日 | 高次元のお話

おはようございます。

昨日、コメント欄を通じて「エネルギーワーク」を試みたのですが
何人か受け取ってくださった方がいらしたようで、中には「香り」として
感知した方もいて、これはあり得ることでかつて経験があります。

私は朝夕の湯上がりにローズウォーターを常用しているし(すぐ匂いは飛んで、単に薔薇の気配をまとっている感じになります)、着物の袖には香り袋を
忍ばせています。いずれも、押し付けがましくない自然の香りです。

それが「私」のエネルギーとして届いたのかもしれないし、あるいは「気」じたいが
放っている香りなのかもしれません。
「気」は外国にも届き、通じ合い、これも実験済みです。

「気」を理解している友人たちとお互いパソコンを通じて瞑想を
やったことがあるのですが、3人が3人共パソコンのフリーズをその時、
体験しました。霊的な「気」は電気に影響を与えると聞いたことが
あります。今のパソコンはおそらく、もっと作りが頑丈になっているので、
「気」の影響を受けることも余りないだろうと思いますが・・・・。

今朝も日拝しながら、ふと思ったのですが・・・・・
皇室内の幾つかの強いネガティブな状況は、次のステップに進むための必然であろうかとも思われるのですが、それとともに皇祖神である「アマテラス」が
従来よりもっと大きな広がりを持つ存在になりつつあるのではないか・・・と。

アマテラスはそのエネルギーの本質からして「陽」であり男神ですが、
人間の形をしているわけではなく「エネルギー」であり「存在」です。

人間のセンサーが感知したとき、その放つエネルギーを人間の姿として
変換するのです。

天使も同じことです。羽はありません。背中より放つエネルギーがそのように
人間の次元では感受されています。

単に擬人化に過ぎないアマテラスは、男女どちらでもいいのですがエネルギーの質からしたら男性性であり、伊勢神宮にお祀りされている天照大神は男神です。

今朝の私のインスピレーションでは「アマテラス」という名称で制約されてきた
エネルギーがもはや、他の名称を与えたほうがよい時代になりつつある・・・
ということでした。

言ってみれば「太陽神」です。太陽が放つエネルギーと神聖性に気づいたのは
古代日本人ばかりではなく、エジプトの「ラー」をはじめ世界各地で人々は神として崇めてきたわけです。

「アマテラス」が日本の独占物であったというのは、思い込みに過ぎません。
「アマテラス」という太陽の放つ聖性は、世界に遍満しています。

ネット内住民さえいまだ正確には知らない皇室内の過酷なほどのnegativity(ネガティビティ)が、今後の皇室をどのように変容させて行くのか、私には解りません。
「アマテラス」がその字義の制約から解き放たれ、地球規模の神として遍満するようになり、日出ずる国の帝がその要に祭祀王として立たれるのか、あるいは皇室自体が変容の中に溶解してしまうのか・・・・・
単に日本国民統合の象徴的機関として今しばし存在するのか・・・・・

今朝も、エネルギーを送ります。受け取れる人は、どうぞ目を数十秒間つむって、感じてみてください。瞼の裏にもし何か見えたら、レポートをください。

今朝も怪しげなお話でした。

どうぞ、よい1日を。

変換ミスその他、後ほど推敲します。


我が内なる神

2017年07月11日 | 高次元のお話

ジャスムヒーンさんのセミナーに土曜日から出始めて、
今日が最終日の4日目です。

素地がある分野のお話であるせいか、英語は7割がたはそのまま理解でき、
その上に通訳さんの念押しがあるという形で学びの多い数日間です。

ジャスムヒーンさんは、食物なしで20年間ほど暮らしている方ですが
華やかで美しい、そしていきいきとした女性でエネルギーは17歳のように感じます。還暦は過ぎていらっしゃると思いますが。

講義はユーモアと茶目っ気が交えてなされ、演劇性に優れていて表情豊かな講義です。
私など2時間、喋り続けると喉がカラカラになるのですが、ジャスムヒーンさんは
数時間立ったまま動き回りながら喋り続けます。

こんな闊達な講義が出来るようになりたいものだ、とその観点からも学んでいます。

たまに会うお孫さんが、「おばあちゃんもこれ食べて」と口に突っ込んでくれるものは(付き合いで)食べなくもないけれど、そしてそれを美味しいと思うけど・・・という柔軟さでの不食です。

楽しみのために食べるのであって、必要があって食べるのではない、と
これは受講の人たち限定の言葉であり、一般に向けての要請ではありません。

一般が実行できるとするなら、「自分の拳大以上のものは食べない」。

ハンバーガー一つですでに「はみ出る」わけなので、一気には行かないと
思いますが、健康と若さの維持のため、そのラインにわずかでも近づくよう
心がければいいと思います。

プラーナ(気、chi)を必要な栄養素とビタミン、ミネラルに変換する技術を
持たない人は、その握りこぶし大の食物の中で、納得できるバランスで
食すればよろしいでしょう。

ただ食の快楽を捨てる気がない、というならそれもまた選択です。

食物の話題はこれくらいに・・・・

ジャスムヒーンさんは、DOWという言葉を著書でしきりに使われます。

divine one within・・・・・我が内なる神聖、我が内なる神。

ささやかな霊感、というほどのレベルでもない・・・・・私の直感が
感知するセンサーでは、人はもう外側に神を求める時代は
終焉の時を迎えた、とそのように思います。

我が内なる神という言葉それ自体は昔から知っていましたが、それが
いよいよ、人々の心のなかに顕在化しつつある時代になっていると
感じます。

神道で言えばおそらく「神の分け御霊(みたま)」に通底する存在が
DOWか、と思っています。

神社にお祀りされてあるのは円鏡であり、それに対面して拝めば
鏡に映じているのはおのが姿。人は結局、自分に内在する神に
柏手を打っているのではないかと、これは私の感性で
思うことです。

皇室からは、今の流れだと祭祀は消え果てると思われます。
皇居内には祭祀に明け暮れる神官たち、巫女たちが常駐していますが、
祭祀王たる天皇親修の祭祀は、おそらくもう望めません。
何かの神業が起きて、現在の流れが変わらない限りは。

となれば、古来より天皇という祭祀王に頼って来た祈りを私達個々が
担う時代になっているのかもしれない、ということは以前にも
述べました。

以下は、10年ほど前から薄々感じていたことですが宗教と古代よりの
権威が瓦解しているようです。
人が誰か他の人にひれ伏し、崇める時代の終焉であると
感じています。

自分の内なる神と語らいつつ、自らも神への道を歩む、そんな時代が
来つつあるのかもしれません。

ひところ、劇画的に喧伝された2012年。言われていたダイナミックなことは
何も起こりませんでしたが、霊的な目で見れば劇的な変化が生じているようにも思えます。

私がそうなのですがシンクロニシティがとても多い、などその影響なのかもしれません。

あと、ジャスムヒーンさんの講義で印象的だったのが「未来世の自分」という
言葉です。私は自らの過去世の幾つかは視覚化していて、過去世の
あることはシンプルに理解していますが、未来世をいまだ実感的意味では
解っていません。

未来世について、今後探ろうと思います。

時間は一直線ではなく、幾重にも重なり合ったスパイラルであると今のところはそのように理解しています。

怪しげな話は、ここらでストップしておきます。

ということで、chiというスペルが間違っていないかどうかチェックする過程で
なぜか、こういうニュース動画にぶつかりました。

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170711-00000022-jnn-soci

埼玉に現れた光の正体が何なのか解りませんが、昨日セミナーの席でかなり多くの人がUFOを目撃しているという事実と合わせて興味深い映像でした。

私は超常現象の基礎的なことはさまざま経験済みなのですが、UFOについては未体験ゾーンです。

 

誤変換他、後ほど推敲致します。

では皆さん、良い1日をお過ごしください。


皇祖神アマテラスオオミカミは、人類の神でもあろうか

2017年01月02日 | 高次元のお話

「生前退位」というかたちでの「天皇陛下の引退」が、道理には
叶わぬこと、折りに触れ述べています。

女性天皇擁立論は以前からなされてきましたが、生前退位の動きと共に
活発化して来たことに、わたくしは胡乱なものを感じていました。
生前退位と女性天皇説が平行して論じられることに、何の
因果関係もないからです。

わたくしは、女性天皇説は何としても現在の男系天皇から女系天皇への
皇統の上書きを目論む勢力による奸計だと、見做して来ました。

女性天皇と女系天皇とは、違います。歴史にまれにあった女性天皇は、
あくまでも一時の「仮」、つなぎでしかなく愛子さまを天皇に即位させる、ということとは、意味合いが画然と異なります。

まして男子継承者である秋篠宮殿下と悠仁親王殿下がいらっしゃる以上、女性天皇擁立論はお二人の排除論でしかありません。何の意味があるでしょうか。

秋篠宮殿下は宮家で傍系ではありますが、天皇陛下に即位された瞬間に皇統は秋篠宮殿下に移ります。それが嫌な人たちが、何やら画策していたようです。

万世一系というのは、男子だけのDNAで皇統をつなぐのであり、それゆえにこそ日本人は皆、系譜を辿れば神武天皇に行き着く、という一体感が日本人特有のゆるぎのない絆となっていました

わかりやすく言えば、愛子さま天皇となればその伴侶が今上で125代続いた皇統に取って代わる、ということです。(解りやすくするために、愛子さまが今上の次を継ぐならというあり得ない形態を仮に述べています)

皇統の希少性がとたんに薄れ、皇室はその神話性を失います。

神話を排除して、そもそも皇室は存在し得ません。

「天照大神も神武天皇もいない」と言ってのける人たちに、皇室の価値は
無縁です。

形而上の価値観を持ち得ぬ人たち(要するに霊的資質を欠いた唯物主義者たち)は浮世の栄達、権力、成した財産などを誇ってすがる俗物なのであり、皇室の祭祀の力なども解さない人たちです。

嘆かわしいことには、昨今皇室内及び関係者にもこの種類のスノッブな方々が、まれにいらっしゃいます。

天照大神という日本国民の総氏神女性である、ということを理由に女性・女系天皇の正当性を説く人がいますが、「神」を性という限定性で捉えること自体が誤りです。

神はある「存在」「波動」「力」であり、人ではないので本来無性でありときに両性具有であり(というのも、人間の狭い感覚狭い思考領域での受け取り方に過ぎないのですが)、その性別にこだわることは無意味です。「男性性」が勝る神、「女性性」の傾向がより強い神がいる、という認識でよろしいかと存じます。

狩野芳崖描く「悲母観音像」が豊かな乳房と、ひげとを両方備えていることがその象徴かもしれません。美術には疎いので、私見に過ぎませんが。

わたくしは、まれに天使を可視化することがございますが、大天使ラファエルなど大方がイメージするブロンドで青い目の美しい青年ですが、ただ剣を手に携えた荒ぶる大天使として認識されているミカエルは思いがけず、茶目っ気のあるお方なのが意外でした。

ただ、だからといってお二人の天使が本当にそのような「人間に羽の生えたような形」で存在しているとは思っていません。人間のセンサーが感知する波動が、人間に解りやすい形を取って見せているのだ、とそのように解釈しています。私見です。

同じく、女性として描かれることの多い天照大神が「女」という固定した性にとどまっているとは、わたくしは思いません。「日本書紀」では女性と断定されているものの、天照大神男神説は、あります。

というより、皇祖神としての天照大神の本家本元、伊勢神宮にお祀りされている天照大神は男神です。

平安時代、大江匡房は『江家次第』で伊勢神宮に奉納する天照大神の装束一式が男性用の衣装である事に言及、江戸時代の伊勢外宮の神官度会延経には「之ヲ見レバ、天照大神ハ実ハ男神ノコト明ラカナリ」と記されています。

京都祇園祭の岩戸山の御神体は伊弉諾命・手力男命・天照大神ですが、いずれも男性のお姿。天照大神は「眉目秀麗の男子で白蜀江花菱綾織袴で浅沓を穿く。直径十二センチ程の円鏡を頸にかけ笏を持つ」と岩戸山町には伝えられています。

江戸時代の円空には、天照大神を男性として彫った塑像があります。

従って「天照大神は女性神であるから、女性天皇がいらっしゃるべきだ」という説は成り立ちません。

ただ・・・・・・

「延喜式」に描写されているごとく、「自然神」でいらっしゃるので本来、人間としての性別はお持ちではありません。自然神としての呼び名は「あまてる」として神社にお祀りされます。

神の男性性の側面に照準を当てれば男子として描かれ、女性性の優美やたおちゃかさにフォーカスすれば、女子として人間が「勝手に」感知する、という説明で解って頂けるでしょうか。

推古天皇即位を推進するために「天照大神は女性なので、女性が天皇になってもいい」という論理を持ち出すため蘇我一族あたりが捏造した、と説明する説がありますが、現在もまさにそのとおりですね。

ただこのたび、秋篠宮殿下が「皇太子待遇」となられたことで、皇室費の増大と、したがって警備の充実がなされたことは喜ばしいことかと存じますが、それ以上に秋篠宮殿下が皇位継承権第一位であると打ち出されたことで、ひとまず愛子さま天皇論はひとまず後退したと思ってもよさそうです。

それはそれで、別の問題含みなのですが今回は触れません。結論だけ申し上げれば、わたくしは皇太子殿下が何より大切にしていらっしゃるご家庭、皇太子妃と内親王のおためには、自ら身を引かれ皇太子妃と、内親王の療養に心を尽くされるのがお幸せであろうかと、拝察しています。いつぞや、おっしゃったように皇太子妃の「人格」というごとき、民間の価値観をお持ちなら尚更に。

戸籍を持たぬことに象徴される如く、天皇皇后となられては、通常の人間としての則ではやっていけず、皇太子ご一家と国民双方に、幸せな結果を招くとは思えません。

いくらか話がそれましたが、天照大神とは要するに太陽神なのであり、ゆえに日本だけの神ではなく、世界規模の存在です。

古代ローマで隆盛したミトラ教は、太陽神「ミトラス」を主神としていますが、こちらも男神としての認識です。(ミトラスとアマテラス・・・・なんとなく語感が似通うのも興味をそそられます。スメラミコトのスメラが、シュメールから来ている、というごときレベルの関心ではありますが。

ただ・・・・イギリスの宣教師ジョセフ・エドキンスのように、「アマテラス」の名がミトラスに由来すると主張した人もいます)

エジプトでは「ラー」と呼ばれる太陽神が崇拝されていましたが、絵画を見ると男性神として描かれています。(余談ですが、わたくしはいくつかある輪廻転生の“記憶”の中の1つが、エジプトの神官です)

インドの叙事詩「マハーバーラタ」においては、「ヴィローチャナ」という呼称で、太陽神が登場しています。

中世の「本地垂迹説」で「神仏混淆」が広まると、インド由来の神々が日本に登場し、天照大神には当初、観音菩薩(十一面観音菩薩)が当てられましたが、やがて大日如来となり、「両部神道」が登場するや天照大神は宇宙神である大日如来と同一視され、格段にスケールアップされました。

大日如来も優美な女性のイメージではありますが、しかしその化身は不動明王であり、明らかに「男性性」が勝ります。

このように神々の世界では人間の肉体になぞらえただけの狭い性の観念からは大きく飛翔して融通無碍なのです。ヒトではなく、カミなのだから。
神とは人間でなく、宇宙に遍満するある、一定の傾向を帯びた波動であり、パワーです。形は本来ありません。

人間の性別も肉体という魂の容れ物にして、この三次元に魂を繋ぎ止める錨がある間のことだけで、この三次元を去る時は性別は捨て去ります。
ただ神々と同じく、魂にも男性的側面、女性性の要素の双方が存在します。

ずっと私見を述べています、と再度念のため。

太陽は「陽」で男性性、月は「陰」で女性性、両者相抱擁して円満具足の光を放つ、という捉え方も美しくて、わたくしは好きです。しかし・・・・

陰陽二元論は、日本書紀の国産みにもあり、イザナギを陽神(をかみ)、イザナミを陰神(めかみ)と呼び、男神は陽で、女神は陰とされ、それは神話に「形」を与えるための方便であることは理解しますが、いささか神々が人間よりに寄せられたという印象が否めません。

神々はもっと、不定形の美しい波動です。

波動の粗いのが人間であり、それ以下の動物であり・・・・繊細になるに従って神に近づきます。

ほぼ私見を基調として述べましたが・・・・・神に本来固定された性別はなく、もっと自由な波動であること。
天照大神は要するに、太陽神なのであり日本という枠を越えた広がりを持たれたあるパワー、ある波動であるということを、拙く綴ってみました。

広がりをもつゆえに、現在の皇室のあれこれはさておくとして、皇室はと言うより・・・神道は行き詰った世界を導く道ともなり得るのではないかと、愚考も致します。故に、疎かになりつつある祭祀を無念にも思い、またその身体的疾患により、皇太子殿下には神前に進むための斎戒沐浴が難しく、それゆえご退位を、その上で秋篠宮殿下にご移譲を、と率直なところ民草のひともととして、願っています。

 

語句解説

■本地垂迹説 本地垂迹(ほんじすいじゃく)。神仏習合思想の一つ。日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。← 不肖井沢はこの強引な説は採りません。が、全ては1つという考え方に立てば、まあご自由にというところでしょうか。

■両部神道 両部神道(りょうぶしんとう)。真言宗(密教)の立場からなされた神道解釈に基づく神仏習合思想。両部習合神道(りょうぶしゅうごうしんとう)とも称する。

■『江家次第』 江家次第(ごうけしだい)は、平安時代後期の有職故実書。著者は大江匡房。全21巻(現存は19巻)。

■『延喜式』 延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)である。

 

*誤変換その他、文章の瑕疵は後ほど推敲します。

*皇室に関するコメントは、内容は自由ですが言葉遣いに敬意を
失わぬようお願いします。