太陽の光線が含む「栄養素」という説を何かで読みました。
それによると
金、銀、銅、錫、亜鉛、鉛、鉄、水素、ナトリウム、カルシウム
上記の微量元素だというのですが、これが正しいとすると(私には判断能力無し)
オフ会で、全員が目撃している金粉現象もそれと関係があるのか、ないのか
これもわたくしには分からないのですが
何となく「気」の具現化だという気はしています。
気候の「気」、プラーナですね。
不食の人や仙人は、結局このプラーナを栄養素やカロリーに転換出来る人、という
年末に今日も怪しげなお話でございますが。
浄化というのは、結局太陽光に勝るものなし。
日陰でもいいのです。日の当たる戸外で日陰なら30分。手のひらに3分受けるだけでも
効果はあるとされています。
セロトニンが分泌され、これが夜はメラトニンとなって良質の睡眠をもたらします。
日を浴びない暮らしを長く続けていると、鬱っぽくなることは典型的夜型で書いていた
私の長い間の経験則ですが、セロトニン不足はネガティブな思考になったり、内臓の働きや代謝を下げ、
心身に不安定を呼び込みます。
セロトニンと連携している(という言い方でいいのかしら)、メラトニンは睡眠を誘発すると共に、
強力な抗酸化作用があり、これはつまり老化の抑制。核DNAの保護、ミトコンドリアDNAを保護します。
メラトニンは松果体が分泌するホルモンですが、霊的覚醒もこの器官が関係しているのかもしれません。
以前にも書いたのですが、天照大御神は日本の専有神ではありません。
専有神ではないという言い方が、専門領域ではいかなるものか、わたくしは不学で断言は
出来かねるのですが、ざっくりした言い方をご寛恕願えるなら、日本では別名を大日如来、日天、日光菩薩。
エジプトでは「ラー」と呼ばれる要するに太陽神。
アテン(太陽)を崇拝するファラオアメンホテプ4世と彼の家族
こちらは夕日信仰のようですが・・・・。
エジプト神話の太陽神ラー
ギリシア神話の太陽神ヘーリオス
他に、世界で広汎に太陽は神として崇められてきて、おそらくそれが結局、神の原点なのです。
その太陽神を人間の頭でこねくり回すと、妙に組織だって宗教としての悪に帰結してしまいがちです。
という意味で、日本の神道が最も素朴な太陽賛歌であろうかと思われますが、何か
新たな、太陽神をベースの神がいずれ登場するのかもしれません。
年末お笑い余談ですが、わたくしは自分の過去世の片鱗を幾つか垣間見ているのですが、
過去世を見る感性を教えてくださった師匠いわく、わたくしの過去世の一つが
上記のアペンポテフ4世なのだそうで・・・・・お笑いください。
自分で見る過去世で、エジプトが圧倒的に多いのは事実なのですが。
ただ格好をつけて言っているわけではなく、美輪明宏さんからは「江戸時代、芸者として男を騙したあなたは、
恨みに恨まれて死んじゃってる」
とも言われました故に。
アメンホテプも江戸の芸者も、あたしゃ覚えがござんせん。
友人が、どこだったかなあ、オフィスを構えるビルとしては一流の何とかビルに事務所を置いた時、
「来てくれ」と言うので、出かけたら友人の事務所のあるフロアが、なんとエジプトの置物の
陳列フロアになっていて、いきなりアメンポテフ4世の彫像にご対面。
かと言って、ここのみならず上野の美術館かどこかでもアメンポテフにはお目にかかりましたが、
とりわけ、「あ、これ自分」という意識はなく。
なんだか解らない話はこのへんに・・・・
皇居内の神域では、明け暮れ神官と巫女たちが連綿と続く神事をたゆまず続けていますが、ある事情で
近いうちに、天皇陛下による祭祀、親修は絶えるであろうと、わたくしは思っています。
皇居内の「気」の良質なこと、ただごとならぬものがありますが、神官と巫女たちだけで
この日本のと言ってもいい結界が守りきれるものかどうか?
天照大神が日本の専有神ではない、という方向へ思考を切り替えつつあるのも、
日本は、そして世界は新たな「神パラダイム」へシフトしつつあるのかもしれぬ、と
感じるからです。
すなわち、天皇とは本来最大の祭祀の神官なのですが、そこが仮に機能しないとなると、
わたくしたち一人ひとり個々が、「上」とつながる回路を持たねばならぬ
時代になっているのかもしれぬ、とは前から書いていることです。
キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、もはや行き詰まりの閉塞状況であり、閉塞は
憎しみと争いを生み出し、宗教の本末転倒です。
かと言って、仏教も世界の混沌と争いの解決策には至りませんでした。
それゆえ、神道が人類の新たな宗教的パラダイムになるか・・・・と予測したことも
ありますが、祭祀王が非力ならそれもないのかもしれぬ、
また神道の世界も、俗に堕している部分があり・・・・と思い返し、
しかし感性と思考はやはり、非宗教としての神道ないしは、神道的なるものに
今後の人類の黄金の鍵が潜んでいるように、思うのです。
神道に、教祖はいず経典もなく、本尊も存在しません。戒律も。
その意味では「宗教」ではございませんね。
この大宇宙に赫奕と輝く日輪が強いて言えば、教祖であり経典であり、本尊であろうかと。
そして、規範として振り仰ぐ日輪にのみ思いは収斂するのではなく、太陽をよすがに
宇宙大に広がるものであろうか、とも。
本年一年間、ありがとう存じました。
感謝申し上げます。
あなたが光と愛とに包まれてありますよう、祈念申し上げます。