井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

太陽拝による瞑想

2018年01月01日 | 高次元のお話

今日の東京は陽もうらうらと照り渡り、車が少なくなった
新年の空は青く、空気も常よりは清々しくて、温かな1日でした。

手に三角の印を結び、その空間に太陽を入れ「天照大神」とお唱えしつつ
丹田に日輪を落とし込み、そこに据える日拝がよろしいのですが、
太陽に向かう瞑想もまた、気持ち良い浄化が出来ます。

車と人気のないエリアを確保、太陽を振り仰ぎます。目は閉ざし、瞼の裏の
日輪の耀きを「見て」ください。

そして、太陽に語りかけてください。

愛しています、でも、ありがとう、でも。

太陽にも石にも意識があります。
人が投げかける意識に彼らは答えてくれます。

明日、もし天空に陽が輝いていたら、試してみてください。
太陽に呼びかけるつど、閉ざした瞼の空間に陽光は
素敵な動きと輝きで、レスポンスを返してくれます。

直視はくれぐれも、避けてください。

丹田に太陽を日々、落とし込むと同時に眉間にはいたって涼し気な
月を置いてみてください。

掃除をなさるときには、「祓いたまい、浄めたまえ」と唱えつつ。
家事を神事となして吉。家を清々しい結界となしましょう。

我が身は、不変の魂を容れる神殿なりと観じて、浄め大切に。

新年早々、信じていのかどうか、いいかげんなお話でございました。

 

誤変換他、後ほど。


浄化の方法その2

2017年12月31日 | 高次元のお話

太陽の光線が含む「栄養素」という説を何かで読みました。

それによると

金、銀、銅、錫、亜鉛、鉛、鉄、水素、ナトリウム、カルシウム

上記の微量元素だというのですが、これが正しいとすると(私には判断能力無し)

オフ会で、全員が目撃している金粉現象もそれと関係があるのか、ないのか

これもわたくしには分からないのですが

何となく「気」の具現化だという気はしています。

気候の「気」、プラーナですね。

不食の人や仙人は、結局このプラーナを栄養素やカロリーに転換出来る人、という

年末に今日も怪しげなお話でございますが。

浄化というのは、結局太陽光に勝るものなし。

日陰でもいいのです。日の当たる戸外で日陰なら30分。手のひらに3分受けるだけでも

効果はあるとされています。

セロトニンが分泌され、これが夜はメラトニンとなって良質の睡眠をもたらします。

日を浴びない暮らしを長く続けていると、鬱っぽくなることは典型的夜型で書いていた

私の長い間の経験則ですが、セロトニン不足はネガティブな思考になったり、内臓の働きや代謝を下げ、

心身に不安定を呼び込みます。

セロトニンと連携している(という言い方でいいのかしら)、メラトニンは睡眠を誘発すると共に、

強力な抗酸化作用があり、これはつまり老化の抑制。核DNAの保護、ミトコンドリアDNAを保護します。

メラトニンは松果体が分泌するホルモンですが、霊的覚醒もこの器官が関係しているのかもしれません。

以前にも書いたのですが、天照大御神は日本の専有神ではありません。

専有神ではないという言い方が、専門領域ではいかなるものか、わたくしは不学で断言は

出来かねるのですが、ざっくりした言い方をご寛恕願えるなら、日本では別名を大日如来、日天、日光菩薩。

エジプトでは「ラー」と呼ばれる要するに太陽神。 

 

アテン(太陽)を崇拝するファラオアメンホテプ4世と彼の家族
こちらは夕日信仰のようですが・・・・。

 

エジプト神話の太陽神ラー

 ギリシア神話の太陽神ヘーリオス

他に、世界で広汎に太陽は神として崇められてきて、おそらくそれが結局、神の原点なのです。

その太陽神を人間の頭でこねくり回すと、妙に組織だって宗教としての悪に帰結してしまいがちです。

という意味で、日本の神道が最も素朴な太陽賛歌であろうかと思われますが、何か

新たな、太陽神をベースの神がいずれ登場するのかもしれません。

年末お笑い余談ですが、わたくしは自分の過去世の片鱗を幾つか垣間見ているのですが、

過去世を見る感性を教えてくださった師匠いわく、わたくしの過去世の一つが

上記のアペンポテフ4世なのだそうで・・・・・お笑いください。

自分で見る過去世で、エジプトが圧倒的に多いのは事実なのですが。

ただ格好をつけて言っているわけではなく、美輪明宏さんからは「江戸時代、芸者として男を騙したあなたは、

恨みに恨まれて死んじゃってる」

とも言われました故に。

アメンホテプも江戸の芸者も、あたしゃ覚えがござんせん。

友人が、どこだったかなあ、オフィスを構えるビルとしては一流の何とかビルに事務所を置いた時、

「来てくれ」と言うので、出かけたら友人の事務所のあるフロアが、なんとエジプトの置物の

陳列フロアになっていて、いきなりアメンポテフ4世の彫像にご対面。

かと言って、ここのみならず上野の美術館かどこかでもアメンポテフにはお目にかかりましたが、

とりわけ、「あ、これ自分」という意識はなく。

なんだか解らない話はこのへんに・・・・

皇居内の神域では、明け暮れ神官と巫女たちが連綿と続く神事をたゆまず続けていますが、ある事情で

近いうちに、天皇陛下による祭祀、親修は絶えるであろうと、わたくしは思っています。

皇居内の「気」の良質なこと、ただごとならぬものがありますが、神官と巫女たちだけで

この日本のと言ってもいい結界が守りきれるものかどうか?

天照大神が日本の専有神ではない、という方向へ思考を切り替えつつあるのも、

日本は、そして世界は新たな「神パラダイム」へシフトしつつあるのかもしれぬ、と

感じるからです。

すなわち、天皇とは本来最大の祭祀の神官なのですが、そこが仮に機能しないとなると、

わたくしたち一人ひとり個々が、「上」とつながる回路を持たねばならぬ

時代になっているのかもしれぬ、とは前から書いていることです。

キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、もはや行き詰まりの閉塞状況であり、閉塞は

憎しみと争いを生み出し、宗教の本末転倒です。

かと言って、仏教も世界の混沌と争いの解決策には至りませんでした。

それゆえ、神道が人類の新たな宗教的パラダイムになるか・・・・と予測したことも

ありますが、祭祀王が非力ならそれもないのかもしれぬ、

また神道の世界も、俗に堕している部分があり・・・・と思い返し、

しかし感性と思考はやはり、非宗教としての神道ないしは、神道的なるものに

今後の人類の黄金の鍵が潜んでいるように、思うのです。

神道に、教祖はいず経典もなく、本尊も存在しません。戒律も。

その意味では「宗教」ではございませんね。

この大宇宙に赫奕と輝く日輪が強いて言えば、教祖であり経典であり、本尊であろうかと。

そして、規範として振り仰ぐ日輪にのみ思いは収斂するのではなく、太陽をよすがに

宇宙大に広がるものであろうか、とも。

 

本年一年間、ありがとう存じました。

感謝申し上げます。

あなたが光と愛とに包まれてありますよう、祈念申し上げます。

 


浄化の方法 その1

2017年12月30日 | 高次元のお話

浄化と護身について、ご質問がありました。

異次元に関心と知識のない唯物論の人には怪しげな話なので、スルーなさってください。


浄化法はたまに書いてはいますが、いい機会なので記しておきます。
ただ専門家ではなく素人であり、「私はこうやっています」レベルの
方法なので、あくまでも参考までに。

1九字を切る

2粗塩による

3日拝

4イメージング

5水晶

6香り

7鉦

8マントラ(真言、アファメーション)

9祝詞

 

1の九字については、人や場から受ける邪気払いとして「祓い九字」があり、オフ会では
お教えしているのですが、調べたところネットには出ていません。

密教や修験道関連の書籍を渉猟すれば、遭遇するのかもしれませんが
密教関連はとかく「ロイ」と申しまして口伝が多く、公開されて
ないものも多いのです。カタカナで「ロイ」というのは「口伝」という文字の
簡略形ですね。

他、「結ぶ」「切る」九字の印についてはネットで検索できます。「九字を切る」とでも
して、動画他をチェックなさってみてください。

ただ、悪用はせず心を澄ませて行ってください。

 

2 精製した塩はパワーが失せているので、粗塩を。入浴時にうなじと、胸にすりこむようにして
洗い流す。あるいは、浴槽にひとつまみの塩を入れ、入浴のこと(浴槽は後で洗い流すこと)

「祓いたまい、清めたまえ」とお唱えしつつ、塩による浄化。

旅先のホテルなどの枕元に、ひとつまみの盛り塩を。私はヒマラヤ岩塩の塊を
持参します。

 

3 上りたての太陽にできるだけ近い時間、午前中(午後は避けたほうが無難)、太陽を仰ぎ、
「天照大神」とお唱えしながら、丹田に太陽を下ろし納めます。それを何度か。

両方の親指と中指・人差し指で、三角形を作りその出来た空間に太陽を「入れて」
額から口、喉、胸、お腹へと下ろしていき、丹田で止め、そこに
日輪を収めたと観相(イメージ)する。

三角形の他には、額の上で手の5指を合わせて輪を作る方法もあります。
手のひらで太陽を受け、そのエネルギーが体内を伝わり丹田に蓄電されるイメージも
よいです。

三角形は八咫鏡(やたかがみ)の印として、神道で用いられます。

また親指の他の四指をくっつけた三角は、九字を結ぶ際の「前」に相当して、「日輪印」として
言われますが、初心者は私を含めそう細部にこだわらず、要するに指で作る空間に太陽を
納め、それを丹田におろして行く、程度の理解でよろしいでしょう。

「前(ぜん)」とは、九字の唱え言葉の最後に来るものです。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」

 

背中にも、太陽を浴びましょう。

三番目にしたのは別に意味はなく、実のところ太陽が浄化には最強です。
運気アップにも。

霊感っぽいものがある人には、魔界からのコンタクトがあることがありますが
そのような存在が現れたら「太陽を見よ!」と命じてください。恐れず太陽を
直視する存在なら魔ではありません。

 

4 白光、紫の光、金色の光、ピンとくる色の光をイメージ、それで繭を作り、
自分を包む。日に何度か思い出すつど。浄化と共にバリア作りです。

他者に行うことも出来ます。無限の形、∞ を両手で作りながら相手の身体に
繭をかけていくイメージです。

起き際、眠り際など脳がアルファー波になっている時がベストです。
この時、太陽をイメージしてその光で全身を包んでもよろしいです。

 

5 水晶玉を枕元に置いたり、ブレスレッドでもよいです。「浄化せよ」と命じ時々、陽にさらして
浄化とエネルギー補填してやってください。石にも意識があります。これについてもいつか
述べたほうがよろしいのかもしれません。

6 不浄の存在は良い香りを忌みます。アロマやお香を使いましょう。私的意見ですが、人工の香水は
いかがなものかと思います。セージの葉をアワビの殻の上で燃して、煙をくゆらすのもいい感じです。

7 教会の鐘も、除夜の鐘も伊達ではなく、金属音を魔は嫌います。
仏壇の鉦も。それからかしわ手の、パンパンという音も。

チベッタン・ベルというミニシンバルみたいなものも有効で、これもおそらく通販で取り寄せられるかと
思われます。

 

8 マントラとは「真言」でありアファメーション(宣言)です。意識や心の有りように現実形成力が
あるので、脳内は常にきれいで前向きに明るくありたいのですが娑婆で生きていると、そうもいきません。
そういう時、脳をよい方向へと振り向けるのが「良い言葉の繰り返し」です。

2回目のオフ会でオーラを見る実験をしてもらいましたが、愛してるや可愛いという言葉をかけると
オーラが広がり輝いて、ネガティブな言葉をかけると萎縮するのを皆さんに見てもらいました。
色も、皆さん識別できたようです。

言葉がいかに、人に影響を与えるか。

正当な真言をお唱えしても良いし、自分流でも構いません。

「真言」で検索すれば、大日如来他の神仏をお呼びし、つながるための言葉があります。
その中で、ご自分にぴたっとそぐわしく感じるものを選び常に、口で心中でお唱えください。

ご自分の守り本尊というのがいらして、それは生まれ月で決まります。
私の場合は不動明王で、こちらの真言は「ノーマクサーマンダバーザラダンセンダンマーカロシャーダソワタヤウンタラタカンマン」です。

守り本尊とでも検索なさるか、生まれ月による守り本尊となさるとヒットするかもしれません。

あるいは「ありがとう」をずーっと繰り返していてもよいのです。
「愛」や「光」でも構いません。「清らか」「浄化」「きれい」でも。

「ありがとう」は声に出したほうがよいです。歩きながら家事をしながら。
お風呂の中は脳波がアルファ波にまで沈静化していることが多いので、お勧めです。
1万回、10万回唱えることを目指すと、言霊が発動します。
歩きながら「ありがとう」を呟き続けるのもよろしいでしょう。
私は次のマントラも気にいっています。「私は愛です。私は愛します」

最近、人に教えられ唱えてみてパワフルだと感じたのは「私は私の人生に責任を持ちます」
生きることに主体性を取り戻せます。妙な組織に近づいたりはまったりしないように。
というようなこと以前に、人のせい環境のせいとしたり、無意識にでも誰かに何かに
依存している自分に喝を入れ、自分で自分の人生を引き受け形作ってゆく力を
得る気がします、このマントラ

 

9 以下の祝詞(のりと)を暗記するなり印刷して唱えること自体が、不浄払いになります。

 

まず太陽に向かって二礼二拍手する。屋内でも、東に向かい太陽を仰いだと観相する。

 

天津祝詞(あまつのりと)

高天原(たかあまはら)に  神留坐(かむづまりま)す  神漏岐(かむろぎ)  神漏美(かむろみ)の  命以(みことも)ちて
皇親神伊邪那岐(すめみおやかむいざなぎ)の 大神(おほかみ)  筑紫(つくし)の  日向(ひむか)の  橘(たちばな)の  小門(をど)の  阿波岐原(あはぎはら)に  禊祓(みそぎはら)ひ 給(たま)ふ 時に 生坐(あれま)せる  祓戸(はらへど)の 大神等(おほかみたち)
諸々禍事罪穢(もろもろまがことつみけがれ)を  祓(はら)へ 給(たま)ひ  清め 給(たま)ふと  申(まを)す 事の 由(よし)を 天津神(あまつかみ)   国津神(くにつかみ)
八百万神等共(やほよろづのかみたちとも)に 聞食(きこしめ)せと  畏(かしこ)み 畏(かしこ)みも 白(まを)す

 

 

太陽は直視し過ぎると、目を傷めます。

午前8時までが理想です。午前中の太陽であること。

曇天でも雨でも、室内でも東の空に向かい日拝(にっぱい)は可能です。
観相(イメージで)日の出の眩しい太陽を、思い浮かべつつ。

 

皆様の幸せを祈りつつ。

これを読み終わり、何かを感じたり目を閉ざし、何かが視えたりした・・・ら、ご報告ください。
さして意味はありません。単なる好奇心と、今後の参考のためにです。

                      ーーこの項、続くーー

 

誤変換他、後ほど。

 

 

 


魂に志を抱いて生きる

2017年12月22日 | 高次元のお話

朝風呂に、ぼーっと浸かっていると起きたてで脳波がまだ
アルファ波の領域を漂っているせいか、インスピレーションめくひらめきが
あることもたまに、あるのですが・・・・

今朝、脳裏にふっと浮かんだのは「魂に志を持って生きる」という想念です。

志というのは地位とかお金とかそういうたぐいのことでは、ありません。
それらを求めるのも、この世に生まれてきた目的・・・・進化のための魂の
レッスンに役に立たなくはありませんが、もっとストレートに
「宇宙の真理を知る」という志のほうが、生まれて来た
甲斐があるかもしれません。

お金も名声も財産も、あの世に持ち越しは出来ません。
唯一持ち越し可能なのが魂に刻印されたこの世での
経験則であり、小なりと言えど「悟り」でしょう。

「志」を持つ、ということは、魂に方向付けをすることです。

宇宙の真理という言葉を使いましたが、これは神仏の領域を垣間見る、と
言い換えても遠からず、です。

魂は、輪廻転生における肉体をこの世に繋ぎ止める纜(ともづな)として、果てない学びを重ねつつ、
この世を去っては生まれ、またこちらに来るなり、別の次元に誕生しては神仏の存在へと近づいて行きます。
神仏もまた、果てしない進化の途次にある存在です。

そして、それらを包括して「在る」存在がSomething Greatという、ある「法則」ある「秩序」
ある「力」ある「波」です。

・・・・・と、知ったふうなことを書くのも私が自らの過去世を幾つか承知しているから、見ているからで、その輪廻転生について書いてくれと要望がありましたが、いずれ。
何度か書いてますが。
単なる思い込みによる妄想ではなく、客観証明できる転生話もその節に述べました。

いずれ、そんなタイミングが来たらまた書いてみます。

ずっと定着して読んでいらっしゃる方ばかりではなく、入れ代わり立ち代わり読者さんも
代わっているだろうし、繰り返すことにも意味があるかもしれず。

 

 

誤変換他、後ほど


「ダイヤモンド粉」キラキラ

2017年11月06日 | 高次元のお話

今朝、某所に所用で出かける道すがらにある神社さんに
久しぶりにご挨拶を・・・・と早めに出かけたのに、通り過ぎて
しまったようで、時間を潰すのに往生したのですが・・・・

ふと手の甲を見たら、「ダイヤモンド粉」がびっしり、キラキラ太陽の
光を浴びて輝いています。

「金粉」はしばしば現れますが、「ダイヤモンド粉」は久々です。

むろんそれが金粉なのか、ダイヤモンド粉なのか他の物質なのか
わからないのですが、金粉と称するそれはわずかに黄金色であり
私がダイヤモンド粉と言うそれは、銀色・・・というよりもっと
透明度の高い、白っぽく微細な輝きなのです。
金粉のように、パラパラという感じではなく、ダイヤモンド粉は
現れると、びっしり・・・というほどでもないですがそれに近いです。

それがどうしたと言われると困るのですが要するに「物質化」という
この世の法則からは逸れた何かがある、ということで私はこの現象を
歓迎しています。

目の前でキラキラしていても、興味のない人は「人体の鉄分が浮いてるんでしょうか」
などと言ってますが、人体の鉄分がキラキラ手の甲にびっしり浮かぶのもまた非科学的
なのですが、目の前にあっても信じたくない人は心理的に「見ないようにする」らしいのも
興味深いことです。(皇室問題に対しても似たような心理かもしれません)

午前中浮いたダイヤモンド粉は、夕方5時を過ぎてもなお手の甲に浮いていました。
帰宅後、習慣でお茶のうがいの後、手洗いはしたのですが。今この拙文を打っているのは
17時9分、手の甲に現れたのが10時20分頃だったので、随分もっています。
指先で強くこすってみましたが、消えません。
スマホで撮影してもおそらく可視化できるほどの強い光ではないと思うのですが。
金粉は、この間撮影してその存在は見て頂けました。これも一粒とりわけ輝きの
強いものだけでしたが。

ちなみに、帰路に寄ろうとした神社さんは忽然と姿を消していました。
・・・・とこれは超常現象ではもちろんなく、単に私の方向音痴が原因です。
それにしても、それほど複雑な場所にあるわけではなく所用のあった地点から
ほぼ直進の位置にある神社さんであり、私は脳の海馬に欠陥があるというより
海馬そのものが欠落しているのかもしれません。

「変」だから、金粉や金箔、ダイヤモンド粉が浮くような変な現象が
起きるのかもね。

 

後述

写してみましたが・・・

 

中指のとりわけ強い光のが辛うじて1片だけ写ってますか・・・・
本当は手の甲に、あちこちキラキラしているのですが。
というより、あるいは写す時の光の角度にもよるのかも。

再度写してみる根気はないけれど。

 

 

誤変換他、後ほど。