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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

de Russie

2018年02月03日 | 旅行

ホテル、決めました。随分、探したのですが結局、庭園に惹かれて
当初のインスピレーション通り。

ホテルde Russie

現役最盛期みたいにスイートをというわけには行かないので、5泊で54万円程度・・・・なので、五つ星なら中クラスの部屋でしょうか。

 

 

 

 

 

久しく泳いでないので、水着はどこにあるのだか? ローマでわざわざ泳ぐかい、とは
思うものの、パスタとピザとワイン太りに備えて・・・・・

なるべく食は控えますが。

 

 


王宮にお泊りはいかが?

2016年10月14日 | 旅行

「ねえ、ご飯食べにタイに行かない? 宿は王宮よ。召使を、3人ほどつけてくれるわよ」

と、某女優さんから電話を受けたのでした。

「召使、3人って何のために」と私。

「さあ。靴を履かせる係、孔雀の羽根で風を送る係、お風呂の脇でバスタオルを捧げ持つ係、とか?」と女優さん。

「落ち着かないから、1人でいさせてくれ」

と、庶民でしかない私は感想を延べ、

「でもなんで、王宮泊なのよ?」

すると女優さんは、

「私の友達が、日本人なんだけど王子の(何番目かの)お嫁さんなの。で、遊びに来てって」

「うーん・・・・これから連ドラにかかるんで落ち着かないんだよね、時間もないし」

と辞退したのですが、この時の私はタイという国をさほど知らず、

王宮泊がどれほど凄いことかも、わからなかったのです。

後に、避寒を兼ねてタイにしばしば渡るようになり、なんなら冬の間はバンコクで

住もうかしら・・・・・とコンドミニアム購入すら考えるようになった頃、

どれほどタイ国の国民がプミポン国王を慕っているかを知り、

タイの政情もいささか理解し始めていました。

その頃、王宮泊の話を思い出したのです。タイで、「どこに泊まっているの?」と

訊かれたら、バーツのお札の肖像画を示し「この方のお家」と言ってみたいなぁ、と。

で、女優さんに電話したのです。

「ねえ、タイの王宮に遊びに行くってあの話、まだ生きてる?」

「いいえ、生きてないわよ」

「え、なんで」

「王子の女問題で、彼女離婚しちゃったのよ。大枚の慰謝料をもらって、今は日本で優雅に暮らしてるわ」

・・・・・・・という顛末なのでした。

今なら、いかに連ドラを抱えていようと一泊二日でも、タイに飛びますけどね。

いえ、なんなら一話目は、JIM THOMPSONのシルクのガウンを羽織り、

召使に孔雀の羽で扇がれながら書いても、おつなものだったのに。

と、そんなことをプミポン国王ご逝去に際し、思い出したのです。

女好きの王子は汚職のタクシン派と結びついて、評判がよろしくないようなのですが、

シリントン王女は人望厚く、秋篠宮家と親交がおありです。

ご葬儀には参列されるのであろうかと、要らぬ気をもんでいるのですが。

いやそれよりも、王位はどなたが継ぐのであろうと、我が日本の現状を鑑みて

気にかかります。

シリントン王女は紫のタイシルクを召していらっしゃることが多く、王女支持の

タイ国民は、パープルの衣服を身につけてその気持を表しています。

王位は評判のよろしくない王子を退けて、王女にと言う希望表明なのかも

しれません。

国王のご逝去に際して、日本の庶民がくだらぬ思い出話などして

恐縮なのですが、王宮泊という言葉をキーワードに、あちらの王室には

親しみを抱いています。

可愛がっていらした、秋篠宮殿下と、そのお子様たちに

もう一度お会いしたかったのではないでしょうか。

 

プミポン国王のご逝去に際し、心からなる哀悼の意をタイ国民の皆様と

 

共に捧げます。

 

 

誤変換その他、文章上の瑕疵は後ほど推敲致します。

 

 


伊勢神宮参拝

2014年12月13日 | 旅行

伊勢市には電車で向かい、駅のコインロッカーに荷物を預け、駅前から延びる

参道を歩いて外宮へ。

「御垣内参拝(みかきうちさんぱい)」というのもしたくて、そのためにスーツにタイという

出で立ちである。

御垣内というのは、通常垣根の外から参拝するのを、内側に入れて頂くのである。

式年遷宮のための寄付を2千円以上すると、内宮外宮共通で誰でも入れて頂ける。

しかし、男はスーツ(上着を来て、スニーカーの類でなければよいと聞いたが、私は

念のためスーツにネクタイをして訪れた)、女性も上着を要求される。

伊勢神宮一帯が砂利道で、ヒールのある靴はお薦めしないが、とりわけ

御垣内参拝は、玉砂利が大きく凹凸が半端ではないから、ピンヒールなど不可能、

要注意。

同行した人も同じことを言っていたが、外宮の「気」のほうが、男性的といおうか

強い。いい意味で荒々しい。

勉強してないので、意味は解らないがひょっとして外宮には内宮を護るごとき

役割でもあるのだろうか。

外宮参拝を終えて、バスで内宮へ。15分ほど乗ったか?

20年前参拝した時より、うんと長い歩行に感じた。

鳥の声がしきりで、空気は森閑と澄み渡り、同行の人は風邪で

ずっと咳き込んでいたのだが、伊雑宮、外宮、内宮と神域に身を置いている間、

咳が止んでいた。

外宮の参道半ば・・・・

同行の人が霊感強い人で、「この木のここ、何か来る・・・・」と手をかざしているので

見たら、これは私が気づいたのだが、神様が顕現していらっしゃり、四方へ(光背)オーラを

放っていらした。

とりわけしめ縄も張られず、柵で囲まれているわけでもなく、ひょっとしたらごく最近現れた

神様でいらっしゃるのかもしれない。

星の第一発見者になったような気分を味わったが、気づいた人は他にもいるかもしれない。

しめ縄と柵の結界で保護される前に、素手で触れさせていただけて、幸運なことであった。

このたびの参拝ではなにか、不思議が起きる気がしていたが、これがそうだったのかもしれない。

光背を背負い杉の幹に顕現されていた神様のお姿はいまだ目に焼き付いている。

伊雑宮、外宮、内宮と当然のことながら個人的お願いごとなどいっさいしてはいない。

世界平和、日本の安穏と発展、皇室弥栄。

この3つだけである。

傍流の神様お一人のみには、いささか個人的祈願は込めたのだったが、これも

自分一人だけのことでもない。

無事、外宮内宮と参拝を終えても、まだ10時前。日帰りも十分可能であろう。

精進落としで、おかげ横丁に至る商店街で松阪牛の丼を頼んだのだが、もともとの肉好きではなく、

レアが苦手、とそう言っておいたのだが、それでも生焼け、赤身が気持ち悪く再度頼んでチリチリに火を入れてもらったのに、

ご飯にうっすら血が滲んでいるのを見たら食べたくなくなった。

口の中が気持ち悪いので、口直しに赤福本店に行き、赤福を食べた。

その後、あわびの串焼きを路上で買った。

赤福の本店もそうだが、古い家屋だが路上に面して開いたオープンテラスみたいな

店が多くて、寒い日は入るのに気後れする。

火鉢が置いてあり、おそらく江戸時代からの店のしつらえを

守っているのであろう。

雨に打たれると桜の花びらが浮き出るという和傘を、着物用に買おうかと

思ったのだが、雨に和服はめったに着ないし、傘を東京に持ち帰るのも

難儀なので諦めた。

同行の人が、財布を休ませてあげるという財布用風水座布団を買っていたので

私もつられて、買った。

傘で諦めた桜模様の、財布さん用座布団である。

江戸娘の衣装のような布地の座布団で、愛らしく華やかである。

 


伊勢海老カレー

2014年12月11日 | 旅行

一昨日、昨日と伊勢海老カレーを食べに鳥羽に行って来た。

鳥羽観光ホテル。伊勢湾が窓外にパノラマで広がる高台のホテルであった。

伊勢行きに関しては皆さんからさまざまアドバイスを頂戴し

心丈夫だった。改めて感謝申し上げたい。

伊勢海老カレーだが・・・・・

まずカレーはタイ風カレーであり、パクチー他の香草が味蕾をキック、

具は鳥羽湾の新鮮な魚介が、プチプチと歯の間ではじける。

当初、伊勢海老をカレーでまぶすことに多少の疑問・・・・くどくないか?

伊勢海老の味を消さないか? という危惧を抱いていたのだが、

それは杞憂であった。

濃厚美味なタイカレーに、伊勢海老が添えてある、というのがシンプルな

説明。まぶして食べるもよし、濃厚カレーに飽きそうになったら、

海老の淡白さで舌を洗うもよし、という饗応の仕方。

まぶしても、伊勢海老の淡白さは実は強靭で、濃い南国カレーの

味にも負けず、自らの味を主張するのが想像の埒外であった。

味は想像を大きく逸れることはなかったけれど、海老がカレーとは

溶け合わず、また溶けて、海老は海老の存在感を程よく主張することは

意外だった。伊勢海老の性根は淡白なようで勁く、これは日本人とも

相共通する資質かもしれぬ、というのは大仰か。

と、私は絶賛だが、香草のきついタイカレーが不得手な人には

お薦めしない。

もし苦手でなければ、私が生涯で味わったカレーの中で第一位であったと

星5つを進呈する。私はインドでもカレーはさまざま食べてきたし、パキスタン人が

経営するカレーショップで皿洗いのバイトをしていたこともあるから(若いころの

シドニーでだった)、カレーはこれでも本場を食べている。

鳥羽の、伊勢海老カレーがそれでもピカ一であった。

しかし、フロントで伊勢海老カレーを予約しようとしたらフロントマンに

怪訝な顔をされ、「ありません」と言われて本気で焦った。

「え゛」(と、「え」に濁点をつけるニュアンスで)眉をひそめ、

「そのために、来たんです。伊勢海老カレーを食べに東京から鳥羽のこの

もんど岬まで!ランチタイムに間に合うよう、早朝5時起きで来たのです!!」

5時起きは嘘で、徹夜した流れであるに過ぎない。でも起きてはいたので

まるっきり嘘というわけでもない。

私の哀願だか勢いだかに気圧されたように、私がメールで質問した時の

写しを開いて目を通したフロントマンであったが、メールにはもちろん、

「伊勢海老カレー!!」と明記してあるのだ。

これは逃げられないとおもったのか・・・・笑

フロントマンはレストランに、電話していたが

「ございます」という返事。

その時の安堵感。嬉しさ。

いそいそと、海を広々と見はるかすレストランに陣取れば、延々と

出て来ぬカレー。カレーなど、最もてっとり早く出て来るのに、きっと

伊勢海老で手間取っているのだな、と待つことの苦手な私が延々と待つ。

待つことしばし、蓋付き白磁の容れ物に入れてカレーが運ばれてきて、

それと別に更に白米と、伊勢海老がまるごと載っている。

「カレーをおかけしますか」

給仕の黒服氏に言われ「お願いします」

・・・・・まずカレーとご飯を口に含んで悶絶。

タイカレー絶品。これだけでも、訪れる価値あり。

それに、焼いた伊勢海老の至福が添えてあると思われたし。

伊勢海老単独で食し、またカレーと併せて口に含む。

再度説明しておくが、カレーのベースは新鮮な魚介色々入りで

すでにそれだけで、深い味のカレーなのである。

至福のカレーを食し終えたら、あとはもうおまけ。

と言っては申し訳ないが・・・・タクシーで鳥羽から、伊雑宮へと

飛ばしてもらう。乗車約30分、5千円ちょっと。

伊雑宮は亡き親友と20年ほど前に訪れた場所で、それだけで

涙が噴き上げる。

訪れる人も少ない隠れ里のような神社だが私は好きである。

帰りはタクシーを待たせず、敢えて上之郷という無人駅から

電車に乗って鳥羽まで帰り、寒かったが面白かった。

ホテルは「潮路亭」という別館を備えていて、ここは和室専門で

大浴場の温泉がある。

しかし、いつも満室。私は和室より洋室を好むので構わなかったが、

趣味と建物のしつらえは圧倒的に潮路亭がよろしい。

伊雑宮詣でで冷えた体を、潮路亭の露天風呂で温めたのだが、

暮れゆく空を眺めながら浸かる湯の心地よさ。

躰は温かく、頬に吹き抜ける冷たい潮風の、悦楽。

おまけに、湯は真珠風呂。

乳白色の湯がライトを浴びて、キラキラと煌めき、手でかき混ぜると

星雲のごとく渦巻くのだ。

そして湯質のなんという、柔らかさ。

ミキモトパールの企画案らしいが、あられもなく現実的な想像を言うと

真珠を加工する際の屑真珠やら、あこう貝の中の何かやらを入れているのではないか。

半端ではない湯の乳白色と、煌めき方なのであった。

タイのフアヒンで米国系の贅沢なホテルに泊まり、その時味わった

薔薇をこれでもかと浮かべた薔薇風呂の数倍の贅沢感であった。

ちなみに、別館は知らないが洋風ホテルの方の本館の宿泊料金は

土地に比してさほど安くはない。ただし室内も廊下もバスルームも質素。

だが、鳥羽湾がパノラマで広がる窓外の景色込みなら、豪華である。

伊勢海老カレーも細かくは覚えてないが、一人前5千円弱。

別のホテルなら、倍以上する。最初はここを考えたのだが、お参りに不便そうなので

止めた。

東京のホテルでこんなもの食べたらきっと恐ろしい値段。

伊勢海老カレーとパール風呂のホテルを、朝6時半にチェックアウトして、

タクシーで伊勢市へ。朝食を頼んであったので、諦める形になり

少々心残りだった。伊勢海老カレーのあの旨さからすると、バイキング形式の

朝食は果たして・・・・と後ろ髪引かれながら、しかし伊勢神宮は

早朝にお参りしたい。

(明日に続く)