明治 大正 昭和 著作権切れ小説の公開 

魔風恋風 エンゲーヂ 悪魔の家 君よ知るや南の国 チビ君物語 河底の宝玉 紫苑の園 など

チビ君物語 2

2011年09月30日 | 著作権切れ昭和小説
 おいしい玉子焼



  1

「じゃ、行って来ます」
 肺嚢を背負って脚には新しい茶色のゲートルを巻きつけ、手には昨夜一晩中かかってピカピカにみがきをかけた銃をシッカと握った修三さまが、お玄関で勇ましくアイサツをした。
「気をつけて下さいヨ。又先達(せんだって)の時の様に川におちたりしないでネ、まだ寒いんですからね」
 奥さまが幾分か心懸りの調子で注意をなすった。
「大丈夫。なアに、あの時は狂犬さえ出て来なきゃ川へなどワザワザツイラクしに行くんじゃなかったんです」
「ですからさ、狂犬になんか、からかわないで下さいよ」
「かしこまりました。オイ、利恵子、土産は羊カンだナ」
 帽子をかぶり直しながら、奥さまの横に立って見送っている利イ坊さまに声をかけた。
「あんな事ばっかし云って。お兄さんのお土産は出かける時だけよ、いつも本当に買って来て下さったタメシがないじゃないのオ」
「そうハッキリ云うなよ。今度こそはたしかさ、帰りに日光の方へ廻るからね、羊カンでも絵ハガキでも、木彫のお盆でも、何でも御望み次第だ」
「お羊カンがいいわ、わたし」
「初子は?」
「……」チビくんはドギマギした。
「矢張(やっぱ)し羊カンか。女の子は甘いもんがいいな。そだナ、ヨシ、引受けた」
 ヨイショと銃を持ち直して挙手の姿勢。
「では、イヨイヨ今度こそ行くでありますウ、オワリッ!」
 勢いよく玄関の格子をあけて、修三さまは威ばって出て行く、丸でもうガイセンでもする時の様な得意さである。
 中学最後の軍事教練で、修三さまは今朝から茄子の方へ出かけたのである。去年の春富士山麓の方へ行った時、修三さまは斥候兵(せっこうへい)をつとめて天晴(あっぱれ)功績をあげたが、最後に狂犬に追っかけられてアワを食って川へとび込んで、見事に敵の発見するところとなり、五年A班長悲しや捕虜となって、後々までもの語り草のタネを作って了った。あの時は暖かかったからまだよかったが、今度はまだ時々雪が降る二月の末である。又川へでもおちて風邪でも引いては大変と、奥さまが心配なさるのも無理はない。
「サアサ、利恵子、早くなさい、もう学校へ行かないと遅れますよ。お兄さまのさわぎでスッカリ皆仕事の番が狂っちゃったわね」
 奥さまのうながす声に、利イ坊さまもあわててお茶の間の時計とニラメッコで御飯をたべはじめた。チビくんも毎朝のお仕事の一ツ、お庭を掃きにかかった。
 ―お羊カンを買って来て下さる―
 修三さまの元気な顔、親切な言葉がマザマザと頭に浮かんで来た。どんな場合にもチビくんの事を忘れないで居て下さるやさしい修三さまの心づかいが、わけもなくチビくんにはうれしかった。
 ―明日、明後日、あさっての夜御帰りになる―
 たとえ一日でも二日でも修三さまの御留守は淋しい様な気がしたけれど、お土産をもって帰ってらっしゃる時の事を思うと、とても楽しみだった。
「初子、感心だネ、冷いだろ、早くすませて御飯をお上り!」
 何時の間にか起きていらした利イ坊さまのパパさまが、手水鉢(ちょうずばち)の所でドテラ姿でニコニコと笑っていらっしゃる―。
 パパさまは一週間程前、外国の旅からお帰りになった許りである。修三さまとソックリの御顔、ちがう所はお頭(つむり)の毛が少しばかり薄いのと、お鼻の下にチョビッとヒゲがある位なものである。元気のいい声ややさしくて思いやりがある所等は、修三さまはきっとこのパパから受けついだのであろう。
「ハイ」と首をコックリさせて、チビくんは箒をもつ手に更に力を入れて、サッサッとお庭を掃きはじめた。御掃除を終えて、台所で手を洗って、お茶の間へ行くと、パパさまと奥さまが火鉢を前にして話をしていらした。傍でランドセルを背負いかけ乍ら、利イ坊さまが何やらお鼻を鳴らしている。
「そんな事を云うもんじゃありませんよ、もう十一じゃありませんか、いつまでも赤ちゃんみたいに甘ったれてばかり居て駄目よ」
「パパが旅行をしている間に、利恵子はさかさに年をとったんだナ」
 パパさまがアハハとお笑いになると、利イ坊さまは余計身体をゆすって甘ったれた。
「いやン。パパたち行っちゃったらあたしさびしいンですもの」
「みねやも居るし、初子も居るし、いいじゃありませんか」
「いやだワ、みねやや初子なんか。みねやときたらお料理は下手くそだし、初子なんか相手になんないんですもの―
 いいわヨ、もしあたしの学校へ行ってる間に行っちゃったら、ひどい目にあわせるから。パパもお母さまも折りたたんじゃうわヨ」
 修三さまのお仕込みで覚えた物凄い言葉を云いすてて、遅れ相なので急いで利イ坊さまは学校へ行った。
 その日の午後、パパさまと奥さまは一寸した手廻りの物を小さなスーツケースに入れ、パパさまは奥さまと一寸した手廻りの物を小さなスーツケースに入れ、パパさまが外国から買っていらしたお土産を下げた静岡へ出発なすった。静岡にはパパさまの御父さま母さまがいらっしゃるのである。外国から帰っていらしたご挨拶と久し振りの御機嫌伺いのために、パパさまはお出かけになったのである。
「もう少し経つと利恵子が帰って、定めしプンプン怒る事だろうな」
 汽車が横浜あたりへ差しかかった時、腕時計を見乍ら、パパさまはお笑いになった。
「丁度修三も居ないし、考えて見ると一寸可哀相ですけど。でもみねやも初子も居ますし、一日や二日大丈夫ですわ。たまに留守をさせるのもいいでしょう」
 奥さまは、玄関を入るなり「お母さまア、只今ア」と云ってお茶の間へかけ込んで来る利イ坊さまのいつもの姿を思い出しながら云った。
 やっぱり置いて行かれた、とわかった時、どんなに怒るだろう。きっと又初子に当るんじゃないかしら…?それを思うと、オドオドして利イ坊さまの我ままをもてあましているチビくんの姿が、つづいて思い浮んで来て、少しばかり罪な事をした様な後悔を感ぜられた。

 奥さまの想像は不幸にも適中した。気もそぞろに学校から帰って来た利イ坊さまは、茶の間にかけ込むや、ヒッソリとした気配はすぐピンと置いてけぼりを感じた。それでも思わず「みねやア、お母さまは?」とお手伝いさんの部屋へとびこまずには居られなかった。みねやは裏で洗濯をしていたので、お手伝いさんの部屋は空っぽだった。それが一層泣き出したくてたまらない利イ坊さまの神経を刺激した。
「みねエ、みねやア、アー」と半なきになって、廊下を降りて来たチビくんと衝突した。
「バカ、バカ!」
 つきとばされてチビくんが呆気にとられて立ちつくしている間に、利イ坊さまはドタドタと子供部屋へかけ込んで、ランドセルを部屋の隅ッこにドサリと投げ出すと、例の如くワーッと今にも死に相な悲しい声を出して泣きくずれたのであった。

  2

 みねやはソーッと子供部屋のドアをあけて声をかけた。さっきから三度もチビくんに声をかけさせたのだが、返事もしない相(そう)で、いつまで経っても利イ坊さまが茶の間へ来ないからだった。
「お嬢さまのお好きなチキンライスですよ。それにホラ、欲しい欲しいッて云ってらしたラッキョも買ってありますよ。ネ、小っちゃい花ラッキョ!こないだから、松平さんのお弁当を見て羨ましがってらしたでショ?」
 みねやは利イ坊さまの年に似合わぬ神経質なのをよく知っている。生れ落ちた時からネンネコでおんぶをして育てて来た利イ坊さまである。いくら利イ坊さまである。いくら利イ坊さまが我ままを云って気むずかしい難題をふっかけても平気である。自分の妹の様に思っている。
「さアさ、行くんですヨ、折角あったかくしてあるのにさめちゃいますったら!」
 利イ坊さまのセーターの両脇に手を入れて、ホラショと抱え立たせた。
「いやよ、一人で行くわったら!」
 それをふり放して利イ坊さまはドンドン歩いて行く。どう考えても、パパさまやお母さまが自分をおいてけぼりにして、静岡のお祖父さまの所へ行ってお了いになったのが、口惜しくて仕様がない。そしてみねやや初子と一緒クタにあたしを放って行くなんて!それがたまらなく悲しいのである。
 お茶の間のお膳の上には、ユラユラと湯気の立上っている温くておいし相なチキンライスが円くコンモリと洋食皿に盛られている。
 青磁色のフタ物に、円い小さな小坊主みたいなラッキョが、ツヤツヤと電灯の下で光っている。そして大好きな玉子のお汁(つゆ)。
 いつもだったら上々機嫌でお箸をとるのだったけれど、利イ坊さまはプンプンして暫く主のない火鉢前のお座布団をニラんでいた。いつもはお母さまが坐っていらっしゃる場所だ。
「召上れ、早く。いくらでもお代りがございますよ」
 チビくんと差向いの小さな別膳からみねやが声をかけた。
「いや!」
「アラ、御飯あがらないの?」みねやがビックリした様に目を見はった。
「みねやのお料理なんかイヤ。ヘタクソだから…。食べてやるもんですか!」
 さすがにみねやはムッとしたらしく、サッサと自分やチビくんのお皿に御飯を盛ると、
「さ、初子さん、いただきましょう。じゃ、お先へいただきます。みねやたちは色々御用がありますからね…」と、遠慮もなく食べはじめた。チビくんも利イ坊さまの方を見い見い、御腹が空いているので、一膳二膳と食べた。
 とうとう、利イ坊さまは御飯をたべなかった―何と云う我ままな子だろう?みねやは呆れて、だまって冷くなったチキンライスやお汁を片づけた。
 お腹が空くのに!チビくんは三膳もいただいてもまだもっと食べられ相な自分に比べてとうとう一膳も食べないで、早くから床の中にもぐり込んで了った利イ坊さまのお腹を心配しながら、自分も早く床に入った。
「御用のない時は早く寝ましょう。昨夜は修三坊ちゃまの銃器の手入れやお弁当のこしらえで二時だったでしょう。何だか風邪気で気持がわるくて仕様がないのよ、あたし」
 みねやは台所の棚の無精箱(ぶしょうばこ)の抽出(ひきだ)しからアスピリンを出して飲み乍ら、寝巻に着かえて一足お先へ床に入ったチビくんに云った。
「辛かったら明日の朝寝ていなさいよ、あたしがお台所やるわ」
 チビくんはいたわる様に云った。
「エエ、ありがと。大丈夫よ、今晩こうやッてお薬のんで一汗かけば治っちゃうわヨ」
 チビくんは三十分ばかり、お隣の部屋で寝ている利イ坊さまの事を考えて、眠れなかった。時々、ハーと云うかすかな溜息がもれて来た。利イ坊さまも眠れないのであろう。
 みねやも時々苦し相に寝返りをうっていた。パパさまも奥さまも、そして元気な修三さまも急に一度にいらっしゃらなくなった夜の眠が気にかかってかも知れなかった。

 翌朝、やっぱりみねやの風邪は本物になって了った。頭痛がひどく全身に悪寒を感じて意地にも起きられなかった。
「すまないわね、初ちゃん!」
 チビくんがいやな顔一つしないで甲斐甲斐(かいがい)しくお台所でガスに火をつけたり、お沢庵をきったりしているのを見ると、みねやは心からすまな相に云った。
 利イ坊さまは、いつまでも眠れないで困った挙句一寸ウトウトして、朝起きて来て見ると、みねやが寝込んで了っているので、わけもなく一層不機嫌になって了った。
 チビくんが沸かしたお茶で、チビくんがお膳立てしたテーブルで、チビくんにつけてもらった御飯で、朝飯を食べるのが又たまらなくいやだった。昨夜たべなかったので御腹がグーッと云う、けれどもとうとう意地っぱりの利イ坊さまはお茶漬を一杯たべた丈(だけ)で学校へ行って了った。
「お嬢さん、たくさんあがったでしょう?昨夜強情っぱりして食べなかったから…」
 チビくんが小さな体で御膳をヨイショと御台所へもって来ると、みねやが床の中から声をかけた。
「いいえ、一膳よ」
「マア!何て変な子だろう!」
 みねやはあとの言葉を布団のかげで呟いた。お昼頃になったら起きられるかも知れない、と云って居たみねやは、中々起きられなかった。
「お医者さまを呼んで来ましょうか?」心配相にチビくんは云った。
「いいのヨ。でも、私が寝込んじゃって、小さい人二人じゃ用心がわるいから、家政婦を頼んで頂戴な。奥さまの御留守に本当にすまないンだけど」
 番号をしらべてチビくんはミドリ家政婦会に電話をかけた。
「今とても忙しゅうございましてね。今晩九時頃ですと、今日で済んで帰って来る人が一人あるんですけど…」と云う返事だった。
「困るわね、お夕飯の支度をして貰いたいんだけど。仕様がないワ」チビくんに向い乍ら気の毒相に「あんたしてくれて御飯?」「エエ、あたし出来るわヨ」とチビくんが快よく引受けると「じゃその人帰ったらすぐ来る様に、ッて云って頂戴」みねやは床の中から大義相に云った。
 三時頃になると利イ坊さまが帰って来た。その気むずかしい顔を見ると、チビくんは夕飯の事を思ってドキンとした。みねやが作ったお料理さえ、ヘタクソだと云って食べなかったのである。自分のお料理じゃとても食べて下さる筈がない。それにチビくんの出来るお料理と来たら、おサツを甘く煮ることか、卵焼き位なものである。
「あの、利イ坊さま御ソバとりましょうか、それともホーライ寿司をとりましょうか?」
 恐る恐るチビくんは利イ坊さまにきいて見た。
「おソバなんか大嫌いだってことを知ってるじゃないの。ホーライ寿司なんてつべたいからいやよ」
 ニベもない利イ坊さまの言葉にチビくんは困って了った。
「どうせ又断食なさるんだろうから、何でも初ちゃんの出来るものをこしらえときなさいよ、天のジャクさんだから仕方がない」
 みねやもサジを投げた様に言った。
 仕方がないので、十八番の卵焼きをすることにきめた。玉子を買いに行って帰って来るとポストに二枚のハガキが入って居た。
 
 ―ハイケイ。今宿屋に着いたのであります。六畳の部屋に八人寝るであります。フトンが短くて自分は二寸位足が出るのでイササカ寒い様であります。明暁方より那須の原にて壮烈なる戦いが開かれるのであります。二度と再び川にはツイラクせんであります。日曜の朝日光へ廻って午(ひる)頃帰宅の予定であります。土産の羊カンは金(こん)りんざい忘れんツモリであります。利恵子、初子、タッシャでくらせよ。お兄様拝。

 元気さが目に見える様な修三さまからの絵ハガキである。
 もう一枚は奥さまからだった。

 ―何だか気がかりなので、一寸書きます。利恵子は又我ままをしていませんか?我ままをしてもチッとも徳はありませんよ。みねやや初子の云うことをよくきくのですヨ。パパは四五日御泊りになる相ですが、私は日曜日の朝帰ります。こちらにはとてもおいし相なイチゴが沢山あります。お土産を楽しみにして待っていらっしゃい。    母より。

 チビくんはその二枚をもって、お縁側でテリイをつまらな相になでている利イ坊さまのところへ行った。
「アラ、ラ…」利イ坊さまはとびつく様に絵ハガキを読んだ。見る見る顔色が明るくなって行くのを、傍からチビくんは嬉し相に見つめていた。
「ああ、うれしい。お母さまもお兄さんも明日御かえりになるんだわ」
「テリイ、おいでッ!かけっこしよう」
 お庭に下駄をひっかけると、利イ坊さまは生れ変った様に元気になって、裏庭の方へ走り出した。きっと昨日からのウラミも忘れて、帰っていらっしゃるお母さまや修三さまのお土産を心に描いて喜んで居るのであろう。
「テリイ、赤いイチゴだよ、好き?ウンと持っていらしたらテリイにもあげよオか?」
 キンキンとした声とテリイが吠える声とが、裏庭から次第に原ッぱへ通ずる木戸の方へ遠ざかって行く―
 それをきき乍らチビくんも何となく嬉しい様な気持で、エプロンをかけて甲斐甲斐しくお台所の流しに下りた。

  3

「キャベツきざめて?もし出来たらその開きの下のカゴん中にこないだのが半分残ってるからきざんでね、ザッとお塩でもんで頂戴な」みねやが床の中から一々指図をする。チビくんは大忙しである。
「アーラ、御飯がブウブウ云ってるわ」
「ア、いそいでチヂめて頂戴、あんまりひねりすぎると、パッと消えるから上手くね」
 お釜の下のガスをのぞいたり、キャベツを刻んだり、いつも見ている時は苦もなく出来ると思う事も、やって見るとチビくんには中々大変である。暮れ易い初春の日射しはいつの間にかトップリと暗くなり、外には夕靄が立ちこめて来た。
「アア、草臥(くたび)れたッ!」テリイと共に木戸からお庭へかけ込んで、そのままお茶の間へペタリと坐った利イ坊さまは、寒い夕風に冷くなった手をこすり乍ら大きな声で云った。
(アラ、帰ってらしたワ)チビくんはドキッとした。
「お腹が空いたッ。みねや、御飯まだ?」   
 台所に姿を現した利イ坊さまはエプロンの後姿が、いつも御夕飯の支度をするみねやでなくて、チビくんである事を見て一寸ハッとした。
「まだ?」一寸フクれて利イ坊さま(そうしないと何だか一寸いつもの様でなくバツが悪い様な気がしたのである)。
「エエ、すみません、もうすぐです」
(だって、まだ御飯もうつしかけだし、お茶の間にはお膳立ても出来ていないわ)利イ坊さまはチラとそれを見てとった。真赤になってもじもじして、不きっちょな手付きで御飯を御釜から御鉢にうつしているチビくん。気ばかりあせって御飯はポロポロみんな外へこぼれて居る。その御飯からホヤホヤと湯気が!
 利イ坊さまは黙ってお戸棚の脇にたてかけてある御膳をひっぱり出した。
「ア、いいんですヨ、今あたししますワ」
 益々あわてたチビくんが腰を浮かして泣き相な声を出した。
 きっと自分がノロいので利イ坊さまが又怒ったのだと思ったのだ。
「いいわヨ、あたしだってやれるわヨ―あたし、迚(とて)も御腹がペコペコなのヨ」あとの言葉を申しわけの様に云い乍ら、色々と並べ出した。
「すみません」
 お台所へ来るとチビくんが叮嚀に心から感謝した。
「その手の玉子どオすんの?」
「あの、玉子焼きするんですけど…」そんなものいやアヨ、と云われると思ってドキマギしている。
「あら、わたしに割らしてヨ、ね、あたし玉子割るのは大好き」
 これは本当の事だった。利イ坊さまは今迄にどれだけ玉子をポンと割ってお丼に落す、あの気持のよさそうな事をやりたかったかわからない。でもきっとお母さまが「だめだめ何があなたに出来るもんですか」とおっしゃって決して割らして下さらないのだった。
 今こそ、チビくんの手から玉子を並べてある平たい鑵(かん)を受けとると、オソルオソル利イ坊さまは一ツ、一ツ、玉子を割って見た。何と云う気持のいい作業だろう!バリと云う軽い音と共に殻が破れて、ギュッと指に力を入れてわけると、中から鮮やかな黄色い丸い黄身がすき通る様な白身と共に、スルリと瀬戸物のお丼に落ちる!
「ア、四ツでいいんです、ッテ―」
 尚も面白がってドンドン割ろうとするのを見て、チビくんはびっくりして止めた。
「アラそうオ。じゃ、これ、早く焼いてヨね、とっても御腹がペコペコンなっちゃったのヨ」
 チビくんがこの時とばかり顔を上気させて玉子焼きを拵えている間、利イ坊さまは眼ばたきもせず側(そば)でジッと見ていた。
「ホラ、そう云う時、お母さまやみねや、庖丁(ほうちょう)でやるじゃないの」とワザワザ庖丁をとって来てくれたりした。ひっくりかえしそこなって、折角太くフンワリと巻けた玉子焼きがクチャクチャになったトタン、二人とも「ワーッ」と悲鳴をあげて、顔を見合わせて笑って了った。
「仲よくやっていますね、どオ、上手く行きまして?」その二人の声をきき乍らみねやは、(ヤレヤレよかった!)と云う様な安心した調子で床の中から声をかけた。
「ステキよ!ツギだらけのが出来ちゃった、フフ…」利イ坊さまはヒョイと片眼をつぶってチビくんをつついて、きれいな歯を見せてさも嬉しそうに笑い声を立てた。
 ステキなツギだらけの、物凄い太く大きい玉子焼きが出来上がったのは、もう七時頃であった。二人はお膳に向い合って、フカフカした玉子で美味しそうに舌つづみを打った。
 利イ坊さまには、今迄のどの御馳走よりも数倍美味しい様に思われた。
「チビくん、迚もお料理上手いのね、おどろいちゃった。あたし、お母さまやみねやの作ったよりズッと美味しかったわヨ」翌朝、帰ってらしたお母さまが留守中の事をおききになって、前夜の玉子焼きの話になると利イ坊さまは、心からそう云った。チビくんは傍で真赤な顔をして、うれしそうだった。でも心の中で(だってそりゃその筈ですヨ、利イ坊さまったら前の日からロクに御飯をあがらなかったンですもの…)と、ひそかにケンソンしていた。
 お母さまはニコニコして、
「そりゃよかったわネ。利恵子もこれから時々そうやって御台所とお手伝いしてごらんなさい。何だってそりゃ美味しくいただけてよ」とさとす様におっしゃった。
「そオ?自分でやるとそんなに美味しいの?」
 利イ坊さまは、一大発見をした様にいつまでもそう云って眼を輝かして居た。


 お詫びの文鎮



  1

 オッチニ、オッチニ―
 勇ましいかけ声が裏庭からきこえて来る。修三さまがラジオ体操をしているのだ。今日は日曜日、いつもよりズッとお寝坊したので助手のチビくんはもうとっくにやって了い、修三さま一人である。シャツ一枚になって腕をのばしたりちぢめたり、ウンとゲンコをこしらえてみたり、何だか一人ではしゃいでいる。その足許でテリイが「何だか変テコリンだな!」と云う様な表情でボンヤリとその顔を見上げている。
「おいッ、テリイ、何だってそんな不景気な顔をしてるんだ。朝飯まだかァ?もう少しハリ切れよオ」
 腰にブラ下げてあったタオルをテリイの目の前で振る、と、本当にまだ朝の御飯をたべていないテリイは必死になってワンととびつこうとする。勢いあまって修三さまのズボンにかじりついて了った。
「ワッ、又だア。仕様がないなア、泥んこじゃないか。お前のおかげで又みねやにケンツクくわされるぞ」
 でも、いつもならゲンコでコツンと行くところを、今日はそのままズボンの泥をはらいながらユウユウと表庭の方へ。後見送ってテリイはチョコンと首をかしげている―
「ヤア、いらっしゃい。随分久し振りでしたね」
 修三さまがお縁側からお茶の間へ上って行くと、お火鉢の前にお母さんと向い合っているのはヨシ子叔母さんである。真赤なテガラをかけて大きなマルマゲとかに結っている。ついこの間御嫁に行ったばかり、お母さんの一番下の妹である。
「ウワー凄えナ。すげえものに結いましたね」一人だけの朝御飯の御前の前に坐ってフキンをとりながら、修三さまは感きわまったような声を出した。
「アラ凄くなんてないわヨ」
「凄いヨ。だけどよく似合いますヨ。矢張り日本人は日本人らしい髪がいいですね」
「アラそうオ」
「いつもの叔母さんの頭はよくないや、方々中ブツブツ剪(き)ってあって、コテだらけで、僕きらいさ。それにしてもあの毛でそんな頭よく結えましたね」
「三時間半かかったワ、それに油をひく時の辛さと来たら、本当に正直なところ涙がポロポロ出たわヨ」
「そりゃあどうも御苦労樣でした」
「いいえ、どういたしまして」
 修三さまはこのヨシコ叔母さまが一番好きである。中学校へ入る時、勉強を教えてくれたのは当時女学校の上級生だったこのヨシ子叔母さんである。とても話がよくわかって明朗で―それからもう一ツ、大事な事がある。ヨシ子叔母さんは大変気が大きい。遊びに来るたんびに素晴らしい御土産をもって来て下さるのである。
「叔母さん―」
「ハイ」
「今日、何しに来たか、あててみましょうか?」
「どうぞ…」
「おいわい、でしょう?」
「何の?」
「僕や利恵子の新学年のさ」
「それで…?」
「そのお祝いの品物を、一時も早く…と云うわけです」
「マア修三さんったら…」とお母さんが叔母さんと顔見合わせて笑った。
 修三さまは見事に上級学校の試験に合格した。明後日からいよいよその学校がはじまるのである。一人ではしゃいでいるのもテリイをコツンとやらなかったのも、それから叔母さんのマルマゲを上げたり下げたりして、おセジを云ってるのも、その為である。
「本当によかったわね。パスして」
「叔母さんがいらっしゃらなかったからダメかと思いましたけど…」
「マア口の上手い!中学へ入る時教えてあげたでショ、それがまだ残っていたのヨ」
「チェッ、ウッカリおセジ云うとこうだからなア…」
 叔母さんはニコニコしながらお部屋の隅においてあった紫錦紗(むらさききんしゃ)のお風呂敷を引きよせた。
「どオ、これ?こないだっからワシの時計はモウロクしたって云ってたでしょ?」
 素晴らしい長六角型の腕時計がビロウドのケースと共にお膳の上にのせられた。
「凄えぞオ!ア、バンドもついてらア!」
 御飯も何もそっちのけで、修三さまは新しい贈物を早速腕にまきつけて見た。
「まあ、いいの、こんなのもらって?」お母さまもビックリした様に叔母様を見た。
「こりゃ断然優秀だナア!ありがとう、だから僕ヨシコ叔母さんが一等好きさ」修三さまは大喜びである。(ヨオシ、こんな素晴らしい時計が出来たからには、あのテーブルの抽斗しにモウロクしてイネムリしているボロ時計なんかほっぽっちゃえ!)と決心した。
「これ、利イ坊へよ、どオ?」
 叔母さんはそう云って、一尺位の長さのボール箱からフランス人形をとり出した。
「矢張り優等だったんですってね、えらいわねエ」
「ええ、おかげ様で勉強の方はどうやらなんだけれど、どうも我ままで困るのヨ」
 その時、チビくんがヒョックリ入って来た。修三さまの食べ終わった御膳を下げにである。
「あら、あの子、まだ居るの?」
「ええ。でも近い中に帰ることになったのよ。こないだ満洲へ行ってるあれの父親から手紙が来てね、何だか仕事の方が大変上手く行って、この月の末に母親だけが先に帰って来る相よ。そしたら引きとる、と云うの」
 チビくんの後姿を見乍らお母さまと叔母さまは話していた。
「そんならあの子にも何かもって来てやればよかったわね」
「そうね、でもワザワザそんなこと…」
「じゃアこれ、あの子にやって下さらない?貰いもんなんだけど、利イ坊のお習字の時にと思って持って来たの…」
「何です?」修三さまは、思いやりのある若い叔母さんに感謝しながらその手許をのぞいた。
「文鎮なの。叔父さんのお友達でね、スイスのガラス会社と提携してこう云うものばかりこしらえてる方があるの。とても可愛いでしょう?」
 それは見るからに可愛い感じのするピンク色のガラス製のバラの花で、花びらにかこまれた中央に、小さな磁石がついて居た。
「きれいなもんですね。チビくんは利恵子とちがって、こんなものあんまり貰った事がないからとても喜びますよ」
 その夜、三人は各々、ヨシ子叔母さんからの贈物を枕元において嬉しい眠りについた。

  2
 
「今度の土曜日はあたしがお誕生日よ、お母さま」
 学校から帰ってお八ツをいただきながら、利イ坊さまは一寸余ったれた声を出した。
「そうね。又お友達をお呼びしましょうね」
「晩の御飯、何して下さる?」
「そうねエ、何がほしいの?」
「去年は赤の御飯におサシミやなんかだったでしょ、でも皆さんおサシミ御きらいなのよ、とても悪かったわ」
「じゃア今度は御洋食?」
「ええ。松平さんはね、御塩味のシチュウなら何杯でもあがれるんですって」
「マア、食辛棒ね、ホホ…」
「あのね、御食後にゼリーを作ってね」
「ハイ、ハイ」
 奥さまの側で御雑巾をさしていたチビくんは、思わずクスリと笑って了った。
「マアいやだわ、何わらうの、やな人!」利イ坊さまは自分があんまり色々と食辛棒の注文をしたのが恥しかったので、一寸照れかくしに口をふくらませた。それが余計おかしかったので、チビくんは今度はクックッとこらえきれなくなって来た。
「ホラ、あなたがあんまり食辛棒を云うから、初子が笑ってるじゃないの」
 しかし、利イ坊さまは恥しいよりもシャクにさわった。
「いいわヨッ。笑いなさい、その代りお誕生日にはチッとだって仲間に入れてあげないから…」
「そんな事云うんじゃありません。それにもう初子は帰るんじゃないの、仲よくみんなでお別れをするのよ、ネ」
「いやあなこった、帰るんならサッサとお帰んなさい、セイセイしちゃうわよ」
 又はじまった、と云う暗い表情で奥さまが利イ坊さまをたしなめ様とする前に、御菓子皿の上のチョコレートをツと摑みとると、利イ坊さまはバタバタとお廊下の方へかけ出して行って了った。
 何て我ままな子だろう!どうしてチビくんにばかりああキツくあたるのだろう!チビくんが居るからワザとああ虚勢をはって余計我ままなのかしら…?しかし、もうすぐチビくんが母親の所へ帰って了ったら、きっと淋しがるにちがいない。―
「あの、糸がなくなっちゃいました」
 チビくんの声に奥さまははっと気づいて、針仕事の抽出しから糸巻を出して渡した。
「お母さんのとこへ帰るの、嬉しい?」
 奥さまはやさしく、のぞき込む様にきいた。
「……」チビくんはだまって、何にも云わず、ニッコリ笑っただけだった。

 土曜日が来て、予定通り利イ坊さまのお誕生日の会がひらかれた。
 例によって松平さん、戸田さんの大ダイ親友、その他二三人の御友達がそれぞれプレゼントをもって集まった。
「アーラ、どうもありがとうオ、ステキねエ、この表紙の色―」
 松平さんの贈物は真赤な鹿の子表紙のついた帳面(ノート)だった。
「お姉さんに伊東屋で買って来ていただいたのヨ、ステキでしョ?」
 そう云って戸田さんが負けずに四角い箱の中から、鳥打帽子型になった針山を出してみせた。競馬の騎手がかぶるみたいな緑と黄色のダンダラである。
「可愛いこと!」
 あとの人も動物の形をした箱や、チョコレートやミッキイマウスの縫いとりをしたハンケチなどを持って来た。利イ坊さまはスッカリ有頂天になって了った。新しい敷物を敷いた洋間で自分が女王さまにでもなった様だった。
「何かしましょうヨ、何がいい?」
「そうね、ジェスチュアしましょうか?」
「ジェスチュアってどんなの?」
「ホラ、お豆腐屋さんだとかチンドン屋さんだとか、口は一つもきかないで恰好でやんのヨ」おシャマな松平さんが説明した。
「ああ何だ、モノマネ、ね」戸田さんがホッとした様な調子。
「そうヨ、やさしく言えばそうヨ」松平さんはツンと気どっている。
「さあ、やりましょう」
 そこへガチャリとドアがあいて、お母さまが入ってらした。後から、銀のお盆にお菓子や果物を盛ったのを持って、チビくんがソオッとつづいて入って来た。
「ア、お母さま、あのね、ステキな贈り物こんなにいただいたの…」利イ坊さまは声をはずませてプレゼントを指した。
「マア、いい物ばっかり。皆さん、ありがとうございました。サ、御菓子でも召上れ」
 テーブルの上にチビくんはソッとお盆を下した。
「今、みねやがお紅茶もって来るわ。利恵子、一寸―」
 奥さまは利イ坊さまを隅っこに呼んで、何やらヒソヒソとおっしゃった。利イ坊さまは一寸いやな意地悪相な表情をした。そう云う時には可愛い唇がへの字に曲るので、大きな椅子の蔭で、オズオズそっちの方を見ているチビくんには、それがよオくわかった。
 奥さまが奥へ行ってお了いになると、利イ坊さまは甲高い声を出して、みんなに向って、「サア、やりましョ」とうながした。
 チビくんは、自分を見むいてもくれないのがたまらなく悲しかった。(奥さまは、利イ坊さまにあたしを遊んでやれっておっしゃって下さったのじゃないのかしら…?)今まで随分ムリを云われても一寸もそんな事がなかったのに、はじめて熱い涙がジーッとにじみ出て来た。―
「アラ、半端だワ。そっち三人でこっち二人ヨ、だめヨ、あてる割合が損よ、一人出てやってる中に一人しか残んないンですもの、相談ができないワ」
 戸田さんが不平相に云った。利イ坊さまはチラリとチビくんの方を見た。チビくんは、ポタリ、と涙を敷物の上に落した。
「入る?」しばらくためらった後で、遠くの方から利イ坊さまは声をかけた。
「あたし、とってもあんたにウラミがあるんだけど…だからシャクにさわってんのヨ…、でも仕様がないわ、半端だから、入れてあげるわ。モノマネ、出来るでしョ?」
 チビくんは嬉しそうに顔をあげた。モノマネならよく修三さまが先に立ってなさるのでよく知っていた。
「どうしても入りたいでショ?」
 チビくんはコックンした。
「何か、何かステキな贈物もっていらっしゃいヨ。みなさん、もって来て下さったのヨ。何にも持って来ないなんてズルイわ―」 
 ドキンとしたチビくんの頭には、先だってヨシ子叔母さまからいただいた文鎮が浮かんで来た。
 ウラミがある、シャクにさわっている―その種はあのバラの文鎮にあったのだ。頭のするどい利イ坊さまは、あの文鎮がはじめっからチビくんに贈られたものでない、と云う事がチャンとわかって居た。あのキレイなピンク色のバラの文鎮!考えれば考える程、チビくんが憎らしい、シャクにさわって仕様がなかったのだった。
 チビくんはバタバタとお廊下を走って自分の部屋へかけ込んだ。あったあった、いただいた時のまんまで箱の中のワタにしまってある。
 あたしなんかどうせ要らないんだもの…
 自分で自分の心をあきらめさせながら、再び洋間へ飛んで行った。
 利イ坊さまはチビくんがその文鎮の箱を渡すとき、チッとばかり真剣な顔をした。(こんなムリ云ってズルイ事してこれをとっちゃってもいいのかしら…?)良心がどこかでそうチクチクとつついたけれど―
「マア、キレイねエ、一番ステキねエ!」
 お友達がのぞき込んで驚きの声をあげたのが、利イ坊さまをとうとうズルい子にしてしまった。(悪い子、悪い子、利恵子は悪い子!)
 みんなで遊んでいる最中にも、時々そんな声がどこからか利イ坊さまの胸をつついた。
 みると、チビくんは仲間に入れてもらえたうれしさか、打ってかわった朗らかな表情で戸田さんのお隣に腰かけている―。
 利イ坊さまがそっちを見ると、チビくんはニッコリ笑った。けれどそれは何と云う事なしに、一番大切にしていたものをなくした後の様なさびしい笑い顔だった。

  3

「長い間御世話をおかけしまして、本当に何て申しあげていいか…」
 いよいよチビくんはお母さんに連れられてお家を出て行く事になった。半年の間別れていたなつかしいお母さん、満州から帰って来たお母さん!そのお母さんの側にチョコンと坐ってチビくんは眼を輝かしている。
「チビく…、オッと、初ベエ―」修三さまはいつものくせで危くチビくんと呼びそうにして奥さまの目くばせで訂正した。
「うれしいだろオ、お母さんと一緒になれて…」
「いいえ、かえッて此方さまにおいていただける方が此の子のためにもいいんでございますけど、とに角わからず屋の我まま者でございますのでねエ…」
 チビくんのお母さんは何気なく言ったのだったが、奥さまの横でお人形の着物をこしらえていた利イ坊さまは、ハッとした。
「そんな事ないわ。そりゃア家の利恵子のことヨ。でも二人とも仲よくしてね…」
「くっついて歩いては喧嘩ばかりしてるんだヨ、喧嘩する位ならテンデ寄らなきゃいいんだにね…所謂(いわゆる)喧嘩友達さ。淋しくなるだろう、利恵子が…」
 パパさまがおっしゃる。
「大変仲よくしていただきましてねエ、あのオこれはホンのつまらないものなんでございますけれど、先程この子と外へ出ました時に一寸買って参りましたの。今まで仲よくしていただきましたお礼でございますって、この子が…」
 お母さんは文房具の組合せを利イ坊さまの方へ差し出した。利イ坊さまはチラとそれを見たまま、奥さまの蔭に顔をかくす様にした。
「マ、そんな事いいのヨ、こちらでこそ御餞別をあげなきゃならないんで…」
「でもどうぞ、折角、初子の志ですから」
「そう、じゃ、利恵子、いただきなさい」
「散々意地悪ばかりいたしまして誠にすみませんでした、ってよくお詫びを云ってね―」修三さまが側からからかい半分に云った。
「どうも、ありがとう―」そう云って包みを受け取ると、利イ坊さまは顔を真赤にしてお廊下へとび出した。
 散々チビくんをいじめて、あげくの果に、チビくんが一等大切にしていたあのバラの文鎮をとりあげて了ったのは、たった昨日である。
 もうチビくんは帰って了うのだ。あんなに意地悪我ままをしたのに、一寸もそんな事云わないで、ニコニコしてこれをくれて―
 自分のお部屋へ帰る途中、内玄関の式台の上にチビくんの荷物がつまれてあるのを見た。小さな竹行李と風呂敷づつみが二ツ…。
 風呂敷包みの結び目から、今迄チビくんが普段着ていた紡績の着物の袖口が、はみ出している―
「そうだワ、あたし、いい子になろう」
 大決心をした様に利イ坊さまは大いそぎで子供部屋へ走って行った。
 チビくんがお母さんと新しく借りたお家へついて、風呂敷包みを開いて普段着を着ようとする時、その袂の中からバラの文鎮とそれを包んだお手紙とを発見するだろう。

  今迄は色々とイジワルしてごめんなさいね。これはあなたにおかえしします。これはあなたのものよ。ヒマさえあったら遊びに来て下さい。もうけっして我ままはしませんから。 
       サヨナラ
   チビくんへ    リエ子






君よ知るや南の国 その3 (完)

2011年09月26日 | 著作権切れ大正文学
  二つの心

 今日のまり子の番組は、マスネエの「挽歌(エレジー)」であった。まり子は、その豊かな声量を、しかしいくらか抑えたつつましやかな歌振で静かに歌い出した。垂死の底から起ちあがりながらも、老楽師の、鍛え込んだ腕はたしかなものだった。―歌がすすむにつれて、聴衆は、その肉声と楽の音との、世にもいみじい調和のうちに、その心を揺(ゆす)られ、その魂を誘われて行った。それは深い悲しみの歌だった。しかも知られざる世界の、ほのぼのとしたあかるみをその何処にか感じさせるような、静かな美しい歌だった。
 聴衆は、遂に全くわれを忘れて、恍惚として、それに聴き入った。
 歌が終わった。しばらくは鳴りも止まない拍手が、耳を聾するばかりであった。
「済みませんが、礼奏(アンコール)を願えませんでしょうか。あの騒でございますから」司会者(マネージャー)は、まり子に、―そして、内山老人に対してより多く強縮しながら、こう頼むのであった。老楽師はひどく疲れていたが、すぐに承知して、
「まり子さん。じゃ、あれを歌って下さい。ミニヨンの『君よ知るや南の国』を―」と、まり子に注文を出した。
 それは、亡き母のよく歌ったという歌である。そして、亡き父のこの上もなく愛した歌である。まり子にとって、最も懐かしい歌、親しい歌、そして最も自信をもって歌える歌だった。まり子は、
「え。歌わせていただきます」と答えた。
 二人は再び舞台(ステージ)にあらわれた。



 君よ知るや南の国―
 樹々はみのり花は咲ける。
 風はのどけく鳥は謡い
 時をわかず胡蝶舞う。
 
 まり子は謡いながら、ふと、一つの思出に捕らわれた。
「まり子。『君よ知るや―』を唄って御覧」
 あの朝だった。父の死の数分前だった。父は、そう言って自分に頼むのだった。
「まあ、お父様。朝のお食事をなすってからにしましょうよ」
 そう言って、その時すぐに歌わなかったので、とうとうこの歌をお父様にお聞かせする事が出来なかったのではなかったのか?
 まあ、何という事を考え出したものだろう?とまり子は、一生懸命に歌いながら、二つに動く心の一つで思った。こんな事を考え出したりしてはいけないわ。こんな事を考えていると、私、しくじるわ!いけない、いけない、と自ら叱って見たが、この悲しい思出は、なかなか追いやる事が出来なかった。
 そればかりでない。妙な幻想が、つづいて彼女の心を捕らえた。今、自分のために伴奏をしてくれている人が、あの亡くなったお父様ではなかろうか?いや、お父様だ、お父様だ。―そんな筈はないと思いながらも、どうもそんな気がしてならないのだった。

 光みちてめぐみあふれ
 春とこしえに、空青し―

 まり子の歌う声は、あやしくわななきはじめた。
 そうした、その時、まり子のためにピアノを弾いている老楽師の胸にも、一つの思出が浮かんでいたのであった。―あの二十幾年前の恋人。自分を捨ててその恋敵なる男のものとなってしまった恋人。誓うたというのでもないから、裏切られたと恨む事も出来ない、それ故にこそ、一層、自分には辛いものに思われた恋人。この老いに蝕ばまれた心臓にまで、なお、失恋の痛手を残さしめている恋人のその美沙子のために、丁度このようにして伴奏をした遠い昔が、今、あまりに鮮やかに彼の胸に返って来たのであった。―歌も同じこの歌だった。その声音なり、歌振なりは、寸分ちがわない彼女ではないか。そうだ。彼女が再び自分の前にあらわれたのだ。そうして自分のために歌っているのだ―。
 老楽師の胸にはあの二十幾年前の、若き日の哀歓(あいかん)が、そっくりそのまま返って来た。おお、それは、あまりに色濃い昔の夢のよみがえりであった。
 
 ああ、恋しき邦(くに)へ
 逃れかえるよすがもなし
 わがなつかしのふるさと
 希望(のぞみ)みてるくに

 あやしきおののきを帯びたまり子の声は、老楽師の心臓を残酷なまでに激しく震蕩(しんとう)する。老楽師のキーを打つ指は、おのずから乱れて行った。と共に、まり子の歌う調子も、よろよろとよろめくように乱れて行った。
 聴衆の顔には、あるおどろきの色が浮かんだ。一体どうした事だ?口には言わないが、心には皆一斉にこう言いながら、息をひそめて舞台(ステージ)を見つめた時、突然、ピアノの音が中断してしまった。と、次の瞬間に、二音程(オクターブ)のキーががあんと一度に鳴った。老楽師は、ピアノに凭れて、俯伏(うつぶ)してしまったのであった。
 まり子はびっくりして振返った。そして、ぐったりとピアノに凭れている老楽師の姿を見た時―それは、まり子の眼に、あの「父の死」と寸分ちがわない再現と見えたのであった。
 まり子は、我を忘れて、その方へ走り寄った。そして、その灰色の髪の乱れかかった肩に手をかけて抱き起しながら、思わず、
「おとうさま!」と叫んだのであった。
「美沙子!美沙子!」
 まり子の手に抱き起されながら、老楽師内山邦夫は、そのぼんやりとした眼でじっとまり子の顔を見上げながら、昔の恋人の名を―まり子の母の名を呼んだのであった。
 そのおどろくべき光景は、しばらくの間、聴衆の全部を沈黙させてしまった。
 緑色のカーテンがするするとおろされた。聴衆は総立になった。が、誰も声を出すものはなかった。あまりに激しいショックのために、その意識を麻痺させられていたので。

 老楽師は、しかし最後の息をひきとるまでには、なお、十幾時間の命をあましていた。彼は、まり子の腕に抱かれながら、微笑して永遠の眠についた。
 彼は、その名器として知られた愛用のピアノをはじめとして、すべての財産を、まり子に譲る事を遺言した。彼には、夫人との間に子供がなかった。そして、夫人も、つい一年ばかり前に、腹膜炎という病気で急死したので、まるきり、ひとりぼっちになっていたのであった。
 内山老人とまり子の間にもつれている一つの運命。いままで、まり子にとっては一つの謎でしかなかった運命の姿を、まり子がはっきりと見得たのは、内山老人が死んでからであった。
 信子は一切の事をまり子に話してくれた。信子が、どういう事をまり子に語ったか?信子の話を待つまでもなく、聡明な読者はすでにまり子の謎を解いて下すった事と思うが、念のために簡単に言うと、大体次のようである。
 まり子の母の桂美沙子の処女時代には、その美貌とその天分を以て、丁度今まり子が得ている地位を当時の楽壇に得ていた。従って、彼女はその周囲に多くの憧憬と愛慕とを集めていたが、中にも命にも代えてと彼女を恋した二人の青年があった。一人は大沼哲三だった。一人は内山邦夫だった。二人は、楽壇において並び称された俊才であったが、恋においても、美沙子を中に、互に競争者(ライバル)としてしのぎを削らなければならなかった。が、二人の争いにも拘らず、美沙子は極めて無邪気であった。無邪気な愛子(あいし)は、二人をひとしい微笑を以て迎え、二人にひとしい親しみを以てつきあっていた。彼女も彼等を好いていた。が、彼女の心の秤(はかり)は、どちらにも傾かなかった。愛とはいえても、恋にはならないといった程度の心持は、静かに湛えられた水の如く、どちらへ向っても流れようともしなかったのであった。そして、二人の青年も、あらわに口に出しては求愛の言葉を打出でる事が出来ないで、互に悶々の思の中(うち)に、半年と過ぎ、一年と過ぎていたのであった。
 が、恋は、まことに機会である。ある機会が、哲三と美沙子とを結びつけた。囁きをうなずかれた。申出はきかれた。二人は、傍の者の目にもとまらぬ早業で、一人の妻となり一人の夫となった。大沼哲三は、見事にその競争者を打負かして、恋の勝利者となったのだった。
 恋の勝利者となった哲三は、恋妻の美沙子の伴奏者として、屢々(しばしば)舞台(ステージ)の上から、その幸福を聴衆の上に撒きちらした。実際、二人の結婚は、多くの人々の羨望の的となった。

 君よ知るや南の国―
 樹々はみのり花は咲ける

 美沙子は好んでこの歌を歌ったが、それは実に、彼等の「幸福の歌」であった。
 が、その「幸福の歌」を堪えがたい「苦悶の歌」として聞かねばならぬ一人の男がそこにいた。いうまでもなく内山邦夫だった。二人が舞台に立つ時、その聴衆の中に、そっと身をひそめて、人しれずその歌を聴きすましつつ、その心臓は自ら嚙み裂く如き苦悶におののいていた一人の男―そのみじめな男は、内山邦夫であった。
 が、哲三の幸福も長くはつづかなかった。美沙子は、まり子を生むと間もなく、まだまだ春も盛りの花のいのちを、一夜の嵐に任せてしまった。愛妻の死によってすっかり意気銷沈してしまった哲三は、伸ぶべき才を伸ばさずに、次第に中央の楽壇からも遠ざかって、とうとう田舎住まいに淋しい後の半生を埋めてしまわなければならなくなったのであった。
 反対に、その失恋の痛手を拍車として、一意、芸術の道に驀進した内山邦夫は、死物狂の精進の甲斐あって、遂にわが楽壇の王座を占め、名楽師の名を遠く海の外にまで謳われるようになった。が、その芸術も、その名声も、彼の痛手を癒す事は出来なかった。深く食い込んだ失恋の悩は、美沙子が死に、相手の幸福の全く奪い去られた後までも、それ自身として成長し、返らぬ恨(うらみ)は、いつまでも彼の心臓の棘となって、彼の一生を苦しめつづけたのであった。
 作者の説明は、もうこれで十分であろうと思う。私は、もう十分過ぎるほど、まり子の謎を解いたように思う。


  エピローグ

 内山邦夫の葬式が行われてから半月ほど経ってから、一つの意外な報道が伝えられた。それは、大沼まり子が、榊原礼吉と相携(あいたずさ)えて外遊の途に上るという報道であった。榊原礼吉の外遊は、すでにあらかじめ知られていたが、まり子を同伴するという事実は、人々をおどろかした。そして、礼吉とまり子との間に、婚約が成立しているのだという事実もつづいて伝えられ、より以上に人々をおどろかした。
 それは皆、信子のはからいであった。信子は、礼吉がいかにまり子を愛しているかを知っていた。そして、まり子も亦(また)礼吉を愛している事も知っていた。
「―また、悲劇が起るといけないわ」と信子は、やさしく微笑しながら言った。
「少し早過ぎるとは思うけれど、きめておしまいなさいな。そのうち、またいろいろな人が出て来て、そこにいろいろのね、いろいろの事がもちあがって、あなたはそのために苦しまなければならなくなるかも知れないわ。あなたが苦しむばかりでなく、その人達も苦しめる事になるのよ。だからね、思いきってお約束をしてしまいなさいな」
 まことに信子のこのはからいは、賢明なものではなかったろうか?


君よ知るや南の国 その2

2011年09月24日 | 著作権切れ大正文学
  雲雀(ひばり)の歌



 頼って来た内山邦夫にことわられたまり子は、はしなくも、沢田信子に拾われて、信子の家で、幸福な朝夕を送るようになった。人間の運命というものは、本当に不思議である。
 沢田信子は、その生涯を芸術に捧げて、三十六になる今日まで、清らかな独身をつづけている人であった。郊外の、林に囲まれた静かな家に、年とった母親と、お手伝いさん二人と、あとはライと呼ぶセッターの番犬が一匹。その、ひっそりとした生活は、まり子が加わって急に賑やかに活気づいた。
 信子は、まり子の死んだ母と、姉妹(きょうだい)もただならぬ親友であったという。信子のアルバムの中には、若い頃の信子が、まり子の母の美沙子と一緒に撮った写真があった。
「私が十八、美沙子さんが二十の時よ。ねえ、よく似ていると御自分でも思わない?まるで瓜二つじゃありませんか」
 信子は、まり子の顔と、その、もう黄に薄れた写真とを見くらべて言うのであった。―本当によく似ているとまり子も思った。こんなに若い頃の母の写真は、まり子は、ここではじめて見たのであった。
 まり子は、信子の口から、いろいろと亡き母についての話を聞いた。
「美佐子さんが、結婚なさるって時、私は憤(おこ)ったのよ。いつまでも独身で、お互に頼りあって暮して行こうと前からお約束をしていたのでね。それじゃお約束がちがうって、私、駄々を捏ねて、散々に美沙子さんを困らせたのよ」信子は、そんな風にも話した。「一本気な私だったわねえ。それで腹を立てて、美沙子さんが結婚なすってからは、もうぷっつりとおつきあいを止めてしまいましたの。そのうちに、美沙子さんはお亡くなりになる。―お亡くなりになったと聞いた時は、私、悲しくて悲しくて、いく晩もいく晩も泣き明かしましたの」
 そんな話をきいているうちに、まり子は、そこに、まざまざと母の姿を描き浮かべる。描き浮かべる母の姿は、やがて自分の前にいる信子の姿と一つになる。まり子は、死んだ母が、信子の形を借りて今、自分の前に甦っているのではないかという気がして来る。―本当に、信子がまり子にとって、いかに、優しい親切な母であったろう。
 十日が経ち、二十日が経った。まり子は、すっかりこの家に住みついてしまった。こんなに厄介になっていいのかしら?と最初のうちは、ひどく心苦しい気がしたが、その心苦しさも、信子の、あくまで打ちとけた態度のために打消されて、まり子はすぐに性来ののんびりとした無邪気な気持で、その毎日を楽しむ事が出来るようになった。
 試験的にうたわされたり、弾かされたりしたまり子の成績は、すっかり信子を満足させた。
「耳も確か、声も素敵。大丈夫、お母様にまけない声楽家(ヴォーカリスト)になれますわ。やはり、美沙子さんの娘ですわ。大したものですわ。―でも、讃(ほ)められたからって安心しちゃ駄目よ。勉強が大事よ。みっしりと勉強するのよ。私が仕込んであげますわ」信子は、非常な意気ごみでこう言った。昔の友、たがいに半身かの如く思った昔の友、その忘形見(わすれがたみ)を自分の手で立派な芸術家に仕立てあげるという事は、信子にとっても最も喜ばしい仕事でなければならなかった。
「やはり、あなたのお母様が、あなたを私に引き合せてくれたの。私が美沙子さんを忘れずにいたように、美沙子さんも私を忘れずにいて下すったのね」信子は涙ぐみさえしてこう言ったのであった。
 斯(か)くて、信子は、まり子のために母であり、師であった。信子は、いろいろの曲をまり子に弾いてきかせ、そして、それについて親切に説明してくれる事から、その授業をはじめた。
 シューベルトの『聴け(ハーク)よ聴けよ(ハーク)雲雀(ザ ラーク)』―あの有名な曲を弾いて見せた時は、信子は、その曲の成立についての美しい挿話(エピソード)を、まり子に話してくれた。
「シューベルトが、この曲をつくったのは、丁度、今日のような、こんな日だったのよ。お友達とウインナの料理店(カフェー)で食事をしていたんですって。食事しながら楽しく語り合っていると、窓の外の、畑の上の青空で、雲雀がしきりに鳴いていたんですって。するとね、シューベルトは、卓子(テーブル)の上にあった献立表(メニュー)の裏に、すらすらと書いたのが、この『聴け(ハーク)よ聴けよ(ハーク)雲雀(ザ ラーク)』の曲だったという事ですよ。だからこれは即興曲よ。本当に気持のいい、美しい曲ですわね。―丁度、今日のような長閑(のどか)な春の午後だったのでしょうよ」
 いつの間にか春になっていた。そして、ここ日本の東京の郊外にも、シューベルトが聴いたであろう同じ雲雀が、大空高く囀(さえず)っていた。その雲雀の声を聴きながら、まり子は、彼女自身、その雲雀のように幸福だった。

 雲雀の鳴く春は過ぎて、やがて夏になり、夏もたけてやがて秋めく水色の夕空に、黄金(こがね)の鈴を振るような茅蜩(ひぐらし)の音のする頃となった。
 茅蜩の音は、故郷(ふるさと)の山国の、あの林の蔭にさびしく眠る父の方へと、まり子の心を誘うて行く。幸福なまり子ではあったが、どうかすると、夕ぐれの空に我知らず涙含んでしまう事がないではなかった。
「何か考え込んでいるのね」と、そんな時信子は、優しい微笑みの眼で彼女を抱き寄せた。
「快活のようで、あなたはやはりセンチメンタルね。そういうところもお母様似よ。でも、心を弱くしちゃ駄目。強くならなきゃ駄目」


  知られざる運命

 まり子が、信子の家に引き取られてから、いつの間にか一年近くの月日が流れた。
 一年の月日は、すっかりまり子を大人びさせた。処女の春は今や盛りとなって、まり子の美しさは、誰の目にもついた。と同時に、信子の努力の甲斐は、めきめきとまり子の芸術の進歩に現れた。信子はまだその秘蔵弟子を、舞台(ステージ)に立たせはしなかったが、まり子のすぐれた才能は、早くも人々の口にのぼっていた。母と同じく、まり子の声も、中音(アルト)だった。
「いや、実にすばらしいものだ。この分で二、三年練習すれば、中音歌手としては、東京でもほかに及ぶものはないでしょう。どうぞ、みっしり勉強して下さい。日本には中音の歌手が少い。日本の楽壇のために、勉強して下さらなきゃいけない」
 信子の親しくしている声楽家でその方の権威といわれている中井新吉氏は、ある時、信子の家を訪ねて来て、まり子の歌うのを聴くと、こういって、且(かつ)感嘆し、且激励した。
 もう、そろそろ舞台に立たせてもいい―と、信子も思っていた。

「ねえ、まり子さん」と、ある日、外出先から戻って来た信子は、いつになく改まった調子で、まり子に言った。「私、今日、ある人にあったのよ」
「ある人?―どなたですの?」
「内山邦夫さんにお目にかかったのよ」
「まあ、内山さんに―」内山と聞くと、すぐにまり子は、去年上京当時に、すげなく追い払われた時の事を恨めしく思い出しながら、こう問いかえした、
「ええ、内山さんよ。今日、私、内山さんをお訪ねしたのよ。内山さんは、病気で大変お悪いのよ。で、まるきり知らない仲じゃなし、中井さんにも誘われたので、お見舞いにおうかがいしたのよ」
「まあ、御病気なんですの?」
「ええ。大へんお悪いのよ。―それでね、内山さんが、まり子さん、あなたにお目にかかりたいって仰るのよ。もう今度はむずかしい。生きているうちに、ぜひ一度、お目にかかりたいって仰しゃるのよ。どうぞ、あの娘さんに会わしてくれって、私にお頼みになるのよ」
「まあ、内山さんが、私に会いたいって。どういうわけで、そんな事を仰しゃるんでしょう」
「それにはわけがあるのですよ。―あの時にはせっかく尋ねて来てくれたのに、あんな風にそっけなくして本当にすまなかった。会ってお詫びをしたい。ぜひ一度会わせて貰いたいと仰しゃるんですよ」
「でも、私―」と、まり子は口籠った、
「会うのは、いや?」
 信子は、とつおいつ思案にくれているまり子の様子をじっと見ていたが、
「でもね、それはあなたのお心まかせよ。本当はね、私も、会わない方がいいと思うの、会わない方が、あの人のためにも、あなたのためにもいいと思うの」
「おばさまが、そうお考えでしたら、私、お会いしない事に致しますわ。私、なんだか、お会いしたくないんですもの」
 まり子には、一切の事が、謎であった。あの内山老人が、なぜそんなに自分に会いたがっているか?あの様にすげなく拒絶した自分に、なぜ今更そのように会いたがるのか?まり子にはすべてが不可解だった。が、何かしら、そこに複雑な事情が伏在しているらしい事は、そしてその事情が、ある悲劇的分子を含んでいるらしい事は、朧気(おぼろげ)ながら推測された。人生とか運命とかいうものに対して、ようやく眼を開けかかったまり子は、例えば、早くも風雨の前触を感じて、葉蔭に慄えている小さな一つの蕾だった。
 蕾をば嵐に当てるな。咲きかけた花を、風雨に傷ましむること勿(なか)れ。信子は、知られざる運命の前に、感じ易く瞳をおののかしているまり子を見ると、内山邦夫のせっかくの申出も、断然、ことわるに如(し)くはないと思った。内山の願もあわれである。しかし、その、刺戟的(ストライキング)な会見が、無邪気なまり子の心に、激しい痛みを残すような事があってはならない。
「じゃあね、私、なんとか言っておことわりしときますわ」
 と信子はやさしく言って、
「今更、会いたいなんて、それは、あまりあの人の我儘というものよ。おことわりしたって構う事はないわ。―何でもないのよ。こんな事、あなたにお話しなければよかったわ。あなたももうこの上考えちゃいけないの。何も考えちゃいけないの。何も考えないで、ただ、一生懸命に勉強しなければいけないの!」
 信子は、妙に昂奮して、その眼に涙をさえ浮かべて言うのであった。
 考えてはいけない、なんて言って、何を考えるというのだろう。考えるにも、考える手がかりがないじゃあありませんか?おかしなおばさまね。―と、まり子は心の中でつぶやいたのであった。
 そんな話があってから、十日が経ち、二十日が経って、まり子は、忘れるともなく忘れてしまった頃になって、ある日、やはり外出先から帰った信子が、まり子に言った。
「よかったわ、まり子さん。やはり、会わなくてよかったわ。内山さんは、病気がお癒りになったのですって。ねえ、私、あんなに頑張って、内山さんがお亡くなりになったら、悔いになって遺るかと思って、すっかり苦しんでしまったのよ。けれども、やはり―あなたを会わせなくて本当によかったのよ」
 では、あの人は、あの人が死ぬ時でなければ、会ってはいけない人なのか?まり子は信子の言う事が不思議だった。その、まり子の不審を、敏(さと)くも読み取ったようにして、
「そうなのよ。死ぬ時でなければ、会ってはいけない人なの。内山さんだって、もう駄目だとお思いになったから、会いたいと仰しゃったのよ。臨終(いまわ)の願として、あなたと会いたいと仰しゃったのよ。でなければそんな事仰しゃるわけがない筈だわ!」と信子は、相変わらず昂奮した調子で言った。
 臨終の願として―まり子には、一切のことが、益々わけが判らなくなるのであった。


  雪の夜

 まり子は、沢田信子の秘蔵弟子として、怠りなく勉強した。そして、その進歩には実に驚くべきものがあった。もちろん、それは並々ならぬ天分のためにでもあったが、いかなる天分も、磨かずして光る珠はない。まり子の芸術の、斯(か)くもめざましい進歩は、彼女の一心不乱の勉強の結果であった。
 まり子が、舞台(ステージ)に立つようになったのは、まり子が、はじめて信子の許に身を寄せてから二年あまりの日が経ってからであった。まり子ももう十八だった。彼女の、けばけばしくない、しっかりと落付のある美貌は、そのすぐれたる芸術と共に、強く人々の心を魅(み)した。まり子の師なる沢田信子と共に、当時、声楽界の二大明星と並び謳われていた松井鴇子。その鴇子の秘蔵弟子に、山岸久子という丁度まり子と々同じ年配の歌手があって、まり子より一年程前に楽壇に出て、非常な人気を博していたが、まり子は、やがて、その山岸久子と相対峙するような位置におかれた。久子はぱッと花の咲いたような、豊麗な美貌の持主で、師匠譲りのソプラノだった。久子のソプラノ、まり子のアルト。あくまで華やかに、それはやや淋しく―しかも、そのやや淋しい、やや憂(うれい)を含んだところが、しみじみと沁み入るような魅力で、人々の心を魅した。それに、玄人筋の批評によれば、その芸の真価においては、まり子の方が段ちがいにすぐれているという事であった。
 その上に、そういう世界の人々にありがちな素行上の欠点も、まり子には全くなかった。久子には、随分よくない噂もあって、たとえば、某(なにがし)というバイオリニストと恋愛関係があるとか、某という貴族の息子に愛されているとか、それも、どちらか一人だけならいいが、同時に二人の―いや、もしかしたら、ある富豪の、もう妻子もあるような中年の紳士と、合せて三人の愛を同時に受けているのだそうだとか、真偽の程は保証されないが、兎に角、そんな風な噂が彼女の身辺をとりまいていた。
 そこへ行くと、まり子はあくまでも清浄だった。彼女は、芸術の外のすべてに眼を閉じていた。彼女は芸術の外の何ものをも思わなかった。
 彼女は、そのゆたかな青春を一切芸術の神に捧げてしまった。彼女から、芸術を除いたなら、それは一個の修道女といってもよかった。満都の人気をあつめる美しい声楽家として、華やかな世界に棲みながら、彼女の心は、常に黒い色の喪服をまとうていた。
 だが、いろいろの誘惑は、絶えず彼女に向って手をのばした。
 ある夜の演奏会では、彼女はある貴公子から大きな花輪を贈られた。その花輪には、一葉の名刺が添えられてあった。私はあなたの芸術の心酔者です。一度お会い下さるわけにはまいらないdしょうか?と慇懃な調子で、その名刺には書かれてあった。
「まあ、富永伯爵の若様ではございませんか。音楽好で有名な方ですよ。御自身も大そうお上手にピアノをお弾きになる。あの方からこんなお言葉を頂くなんて、本当におうらやましゅうございますわ」
 その時一緒だった中年のピアニスト―ピアニストとしては屈指の安田柳子(りゅうこ)はこう言って、彼女の光栄を祝福してくれた。が、まり子は、ただ当惑そうに顔を打ちながめたばかりで、その名刺は細かに裂きすててしまった。
 それは一例だった。そんな風な事はまだ外にも沢山あった。
 ある雪の夜であった。丸の内のある所で、郊外の家に帰った事があった。自動車も、電車も同じ舞台(ステージ)に立った人達と一緒だった。それは、ピアニストの安田柳子と、同じくピアニストで、まだ若い榊原礼吉(さかきばられいきち)とだった。柳子は、沢田信子と殆ど同年輩で、ピアニストとしては随分知られた方だが、何処か幇間めいたところがあって、芸(わざ)はすぐれているが人柄に何となく物欲しげなところのある人だった。礼吉は、作曲家として非凡な天分をもっていたが、音楽家というよりも、むしろ詩人らしい感じのする、物静かな、憂鬱な青年だった。まり子は、この人にだけは、ひそかにある好感をもっていた。「私は今晩くらい弾きにくかった事はないわ」と自動車の中で、柳子が、誰にともなく語り出した。
「私、弾いているうちに冷汗が出てたまらなかった!」
「どうしてです?」礼吉が訊いた。
「だって、内山先生が聴いていらしったんですもの」
「内山先生?」
「ええ、内山邦夫先生よ」柳子は、持前の、妙に娘っぽい調子で言った。
「内山さんが、今夜いらしってたんですか?」
「ええ、いらしってよ」
「僕あ、ちっとも知らなかった」
「それがね、聴衆(ききて)の中にこっそりとまじっていらしったのよ。私、最初舞台(ステージ)に立った鴇、それを見つけちゃったの!黒い洋服を着て、すぐ前の側の、一番端のところに、こっそりと坐っていらっしゃるのよ」
「あなたの見ちがいじゃあないのですか?」
「私も、そう思って、アンコールの時にもう一度よく見なおしたの。やはりそうでしたわ。まちがいなく、それは、内山先生でしたわ」
 黙って、それを聞きながら、まり子は、激しい胸騒を禁ずる事が出来なかった。
「内山さんは、近頃健康を回復されたのでしょうか?もうすっかり弱って、殆ど家に閉じ籠ってばかりいられるという事を聞いていますがね」と礼吉は言った。
「もう髪も真白になって―傷ましい御様子に見えましたわ」
 垂死(すいし)の老音楽家が―そして、曾(かつ)てはこの道の王座にいた老音楽家が、この雪の夜にこっそりと、平の聴衆の中に身を忍ばして、若い人達の演奏を熱心に聴いていた。というその事実は、柳子を強縮させたばかりでなく、礼吉の心にも強い感激を煽った。あの人の胸には、まだ芸術の火が燃えているのだ。その老いと病とのために、一度見捨てた芸術の国に、思わずふらふらとさまよい戻ったのであろうその老音楽家の心持!
 それを思うと、感じ易い礼吉は、我知らず涙含(なみだぐ)んだのであった。
 が、まり子の気持は、もっと複雑に働いていた。柳子にそう言われて思い合せたのであったが、まり子も、その老人の姿を見たのであった。すぐ前の、聴衆席のはずれに少し猫背の身体をうずくまるようにして、じっと自分の方をみつめている一人の老人。はっとしながらも、まさかと打ち消したが、その灰色の髪のみだれかかった憔悴した顔の下に、悲しみのおもいを含んで底深くかがやく二つの眼が、正しく、自分に向って凝らされているのを感ずると、彼女の心は不思議にわなないた。あの人だ!彼女は、そう思った。―がやはり、そんなわけはない。自分の見ちがいなのだ、と、再び打ち消して見もしたのだったが―。
 自動車から、電車に移って、電車が四谷に来ると、柳子はそこで降りた。あとは、礼吉と二人だけになった。礼吉は中野に住んでいたので、そこまでは一緒だった。
 雪の夜の電車は、乗客も少く、二人は、一尺ばかりの間隔をおいて並んで腰掛けた。こうして男の人と二人きりになるという事は、まり子にとっては、あまり例のない場合だった。この「場合」が、妙に彼女を胸苦しくした。
 礼吉も同じような気持であるらしかった。礼吉は何か話しかけようとして、言葉の緒(いとぐち)が見つからないという風だった。
「大沼さん」と礼吉は辛うじて口を開いた。「あなた、どうかなさいましたか?」
「いいえ」
「何だか、ひどく顔色がお悪いようじゃありませんか?」
「まあ、そうでしょうかしら?」
「風邪でもお引きになって、熱でもおありんなるんじゃありませんか?」
「いいえ。―ただ、すこし疲れただけ」まり子は聞えるか聞えないかの低声(こごえ)で答えた。
「あなたの今夜の歌い振りは、大そう熱情的(パッショネート)でしたよ」
「まあ!」と、まり子は思わず赤くなった。―礼吉は、今夜、まり子の伴奏者だった。
 そんな事からようやく話の緒が開けて、二人の間には、彼等のたずさわりつつある芸術についての話が、それからそれへと語り出された。
 いろいろの話の末、礼吉が、来年の春、独逸(ドイツ)へ行くという話が出た。
「ようございますわねえ。どのくらい御滞在のつもりでございますの」
「まあ、二、三年―気が向いたらもう少し長くなるかも知れませんが、面白くなかったらすぐ帰って来るつもりです。僕、本当に外国なんかに行きたくはないんですが―」
「でも、やはり外国(あちら)へいらっしゃらなければね―。お羨ましゅうございますわ」
「ですがね、僕近頃、妙なんですよ。今まで芸術芸術で、ただ、そのために夢中になっていたんですが、近頃、何も彼もつまらない気がして来たんです」
「つまらない?―まあ!」
「ええ、つまらないのですよ。芸術なんかつまらない、芸術だけじゃ満足が出来ないって気がして来たんですよ」
「どうしてでございましょう?」まり子は、やや非難の色を見せて言った。
「あなたは、芸術以外の事についてお考えになったことはありませんか?」
「ええ、私、ございません」まり子はきっぱりと言った。
「あなたは、あなたの生涯を―いや、あなたの若さを、ただ芸術のみ捧げて悔いないのですか?」
「ええ、私―」と言ったが、不思議な熱を帯びて、じっと自分をみつめている礼吉の眼を見迎えると、まり子は、思わずたじたじとなった。
 礼吉の言おうとする事がなんであるかは、まり子にも朧気ながら感じられた。こんな風な言葉が、若し外の人の唇を漏れたのなら、まり子は、きっと、つと立ちあがって、彼の傍を離れ去ったに違いないのだが―。
 雪は、薄い紫をまじえた窓外の闇に、ちらちらと飛白模様を織っていた。


  幻影

 ただ、一緒に電車に乗って、三十分ばかり話し合った、というだけの事だったが、まり子は妙にその雪の夜のことが忘れられなかった。―まり子はどうかすると、放心したようにぼんやりと思い沈む事があった。気がついて見ると、そういう時、彼女の眼の前には、一つの幻影(まぼろし)が立っている。それは榊原礼吉の、男らしい、やや、憂鬱な顔だった。
 が、その礼吉の顔が、どうかすると、全く別の一つの顔におきかえられる事があった。額に垂れた灰色の髪、深い悲しみを帯びた眼―それは、内山邦夫の顔である。
 礼吉と邦夫との二人の間に、どんな関係があるのか?まり子の心では、この二人の事が不思議に相聯関(あいれんかん)して思い浮かべられるのであった。
 その後、まり子は、内山邦夫を見た事はなかった。が、礼吉とは、時々会った。礼吉はよくまり子の伴奏者として、まり子と一緒に舞台(ステージ)に立った。二人は次第に親しみを加えて行った。いや、いつの間にか、親しみ以上の心持が、若い二人の胸に萌(めば)えたとしても、それは無理もない事といわねばならなかった。
 礼吉は、時々まり子の家にも訪ねて来てくれた。信子も、礼吉には好感をもっているらしかった。
「さッぱりして、本当にいい方」信子は、母性的な微笑を浮かべて、こう言った。まり子は、何となく顔の火照(ほてり)を感じた。
 ある日礼吉が、まり子を訪ねて来た時は、生憎(あいにく)―と言っていいか、折よく―と言っていいか、信子が外出して留守だった。
「沢田さん、お留守なのですか?じゃ、僕は帰りましょうか?」礼吉は当惑したように言った。
「まあ、いいではございませんか。先生は、すぐに帰っていらっしゃいます」まり子は、顔を赤らめてこう言った。
「いや」と礼吉も少し顔を赤くして、「僕は別に、沢田さんに用があってお訪ねしたのじゃないのです」
 信子に用があって来たのでないのに、信子が不在と聞いて帰ろうという。礼吉の言葉は意味を成さなかった。まり子の心は、その意味を成さない言葉の前に慄えた。
 まり子は引止めはしなかったが、礼吉は帰ろうとはしなかった。二人は、深い無言のうちに手持無沙汰に向かい合っていた。だが、その無言が、いかに力強く、互の心を運びかわしたか?
「もう、あなたが独逸へいらっしゃる日も近くなりましたわね」沈黙に疲れたまり子は、こんな風に先ず口を切った。
「ええ。あなたとも、もうお別ですよ」
「でも、すぐに帰っていらっしゃるのでしょう?」
「帰って来るあてがあれば―」礼吉は淋しく微笑しながら言った。
「帰って来るあて?それはどういう事でございますの?」
「まり子さん。僕は、ご存じの通り、親もなければ兄弟もない一人ぼっちの身の上ですよ。僕が日本を去ったあと、誰一人僕が帰るのを待ってくれる者はないのですからね」
「私も、親もなければ兄弟もないのですわ。あなたとおなじ事よ」まり子は、自分がこの人にこんな風に心を惹かれるのは、この人も自分と同じ身の上だからではなかろうかと思いながら、情緒的(エモーショナル)な調子で言った。
「そうでしたね。あなたも同じ身の上でしたね・じゃ、あなたも僕と一緒に外国へ行きませんか?」
「あら、だって私は―」まり子は、又してもぱッと顔を赤めて言った。
「いや、冗談ですよ。あなたには、沢田さんという方がついているんですからね」礼吉は真顔で言ったが、再び、冗談めいた調子になって、「じゃ、僕ははやり一人でゆくんだ。はははは」
「本当に、あなたは、もう、帰っていらっしゃらないおつもり?」
「だから、言っているじゃありませんか?帰ってくるあてがありさえすればと」
「誰も待っている者はないとお考えになって?」
「誰が僕を待っていてくれるでしょう?」
 私が待っています!―まり子はこう言いたいのだったが、どうして彼女に、そんな事を言う勇気があり得たろう。まり子はただ聊(いささ)か恨みを含んだ眼でじっと礼吉の顔を打戍(うちまも)りながら、言おうとして言えぬ思いに悶える外ないのであった。
 再び、思い沈黙が来た。
「お邪魔しましたね。僕、帰ります」と、礼吉は椅子から立ちあがった。
「あら、もうお帰りになるの?」
「ええ」
 立ちあがった礼吉は、一寸の間足もとを見つめるようにしていたが、やがて、ポケットから手紙らしいものを取り出すと、否応なしにまり子の手に握らせるようにして、
「まり子さん。あとでこれをお読み下さい。僕は、どうしても言えないのです!言えないのです!」
 そう言いすてると、礼吉は、呆気にとられたまり子をあとに残して、逃げるように帰って行ってしまった。


  受難の時

 玄関まで送り出すことさえ忘れて、ぼんやりとそこに突立っていたまり子は、やがて自分の手に握りしめていた手紙を、わななく指先におしのべて見た。封筒には、裏にも表にも、何も書いてなかった。封をきろうとしたが、まり子の心は意気地なく滞った。その手紙に何が書かれているか、ほぼ想像つくような気がした。それだけに、それを開いて見るのが怖しい気がするのであった。
 彼女は思いきって封を切った。一字一字が彼女の眼の前で、くるくると火の輪を描いた。彼女は句から句へと、益々熱狂的なものになってゆくその手紙を、半分ほど読むと、あとはどうしても読みつづける事が出来なかった。彼女は読みさしの手紙を膝にのせ、その上に両手をのせて、ほっと溜息を吐きながら、ぼんやりと空をみつめるようにした。
 彼女の胸は、五月の若葉のように騒いでいた。うれしいのか、悲しいのか、彼女自身でもわけのわからない不思議な感情だった。そして彼女の眼は、彼女の前に開けた美しい夢をうっとりと追うていた、と同時に、何かしら怖しい運命の影というようなものを、そこに認めておののいていた。
 彼女は、そうして長い間坐っていた。それがどれだけの時間であったか、彼女は気がつかなかった。
 再び勇気を振り起すようにして、彼女がその読みさしの手紙を取りあげた時だった。突然(だしぬけ)に扉(ドア)があいた。はいって来たのは、今、外出先から帰って来た信子であった。
「あら、お帰りなさいませ」まり子は、はッとふり返った。わななく両手は、思わず膝の上の手紙を引摑んでいた。
「唯今」信子はいつもながらの優しい微笑を含んで、「何をしていらっしゃるの?」
「私、先生がお帰りになったのを、ちっとも気がつきませんでした」まり子は詫びるように言った。
「何か考え事をしていらしったのね」信子の敏い眼は、じっとまり子の混乱した表情をのぞき込むようにした。まり子の手のうちに握られている手紙をも、見落としはしなかった。
「いいえ。わたし―」まり子は、顔を赤くして言った。激しい狼狽の中から立直ろうとあせりながら。
「お手紙?」信子は何気ない調子で訊いた。
「ええ、いいえ?」
「どなたからのお手紙?」
「あの、お友達からのでございます」
「そう?」信子の優しい眼には、しかし、ある厳しい表情が交えられていた。
「私の留守にどなたかいらしって?」
 まり子は躊躇した。もし、礼吉が来たのだと言えば、その、今手の中にある手紙がどんな手紙であるか、ひいては、今、自分の胸の中にある思がどんな思であるか?すっかり知れてしまいそうな気がした。
「いいえ。どなたも―」と錆びついた戸の軋(きし)るような声で、まり子は、とうとうこう言ってしまった。
「そう?どなたもいらっしゃらなかったの?」
「ええ」
「そう?」信子は再びそうくり返して、胡散臭そうな眼で四辺(あたり)を見まわしていたが、
「あまり考え事などしてはいけないのよ」と言い捨てるなり、部屋の外へ出て行ってしまった。
 信子が、部屋から出て行くと、まり子はほっと虎口をのがれた思がした。が、自分はとうとううそを言ったのだ、あの師以上の師であり母以上の母である大恩人に対して、とうとううそを言ってしまったのだ。その人を裏切り、その人に対して一つの秘密を持たなければならなくなってしまったのだ。―そう思うと、激しい悔いが蠍(さそり)のように彼女の胸を刺しはじめた。

 まり子が、信子の部屋にはいって行ったのは、それから二十分ばかり経ってからであった。
「先生」そう言うなり、まり子は信子の前に身を投げるようにした。彼女は袂で顔を抑えて激しく泣き出した。
「まあ、まり子さん。どうしたのよ」信子は呆気にとられたようにして言った。
「先生。私うそをついたのでございます。どうぞ、お許し下さい。わたし、先生にうそを言って―どうぞ、先生許して下さいませ」
「泣かなくてもいいのよ。泣かないで、もっとよく話して下さいな」
「先刻(さっき)、先生のお留守に、どなたもいらっしゃいませんと申しました。あれはうそなのでございます。先生のお留守に―」まり子は、ここまで言ったが、どうしても榊原という名が言えなかった。
「榊原さんが来たのでしょう。私、本当は、榊原さんに帰途(かえりみち)でお逢いしたのですよ」
「どうぞ、お許し下さいませ。うそをついたりして私が悪かったのでございます」
「いいのよ。そんなに泣いたりしないでもいいのよ。よく、正直に言ってくれました。私は何とも思ってはいないのよ」
 信子は自分の前に泣くまり子をじっと眺めた。その眼には、深い悲しみの表情(いろ)があった。信子は、まり子のような性格の娘にとっては、恋は一つの受難であるという事を知っていた。恋をする事は苦しむ事だ。その苦しみの時、受難の時がこの娘にも、とうとうやって来たのかしら?この娘の母親も、いかにそのために苦しんだか?自分一人苦しんだばかりでなく、もう一人の男の胸にも生涯癒え難い痛手を与えたのではなかったか?
 信子は今日逢って来た内山老人の事を必然的に、そこに思い浮かべざるを得なかった。あの老人の胸には、三十年前の痛手がまだ大きく口を開いているのだ。そして、血を流しつづけているのだ。
「沢田さん。わしの愚かさを笑って下さい。本当にわたしほど愚かな男があろうか?わしはもう死の傍らに来ている。それなのに、どうだろう、わしの心は二十歳(はたち)の若者と同じように苦しんでいる。わしの心臓は、この激しい痛みに堪えられそうもない」
 老音楽家内山邦夫の、血のにじむような言葉を、信子は思い浮かべて見ずにはいられなかった。


  見残した夢

 榊原礼吉が、独逸に行く日が次第に近くなった。―が、礼吉はまり子の口から、何の返事をも聞く事が出来なかった。礼吉の請い求めるような眼の前に、まり子は、ただおどおどと面(おもて)を伏せた。
「ねえ、大沼さん、あんな手紙を書いて僕はいけなかったでしょうか?」礼吉は、いく度(たび)もの躊躇の末に、ようやくこう訊いた。
「私には判らないのでございます。何とお返事していいか判らないのでございます。―どうぞ、もう少し待って下さいませ」まり子は、こう言うより外なかった。
「少し待って―と仰しゃっても、私はもう外国に行かなければならないのです」
「行ってらっしゃいませ。私、その間に考えておきますから」
「そうですか?」礼吉は嘆息して、「しかし、僕は何時帰って来るか判りません」
「でも、二年経てば帰って来ると仰しゃったじゃございませんか?二年ですわ。二年くらいすぐですわ。私、待っておりますわ。だから、二年経てばきっと帰っていらっしゃらなければいけませんわ」まり子は調子を強めて言った。
 それがまり子の、せい一杯の愛の挨拶だった。そして礼吉も、これだけの挨拶で満足しなければならなかった。

 五月になった。帝国劇場で、東京の名流夫人十数人が中心になって組織している青鳥会(せいちょうかい)という社会団体が主催で、慈善音楽界が開かれる事となった。東京の洋学家の、一流どころの人々のすべてが出演する空前の大演奏会だった。まり子も、会期全部の三日間を通じて、毎日楽壇に立たなければならなかった。大沼まり子の独唱に、榊原礼吉の伴奏。―まり子の人気は場中第一の観があった。各新聞の音楽欄では、今更のようにこの美しい天才音楽家の評判を書き立てた。ある新聞では、まり子の写真に添えてこんな風に書いた。桂美沙子―後に大沼哲三氏の夫人となった大沼美沙子。美貌と情熱と非凡な天分とを以て二十年前のわが楽壇の黎明期に、明星の如く輝いた彼女のことを人々はまだ記憶するであろうか?わがまり子嬢は、実に桂美沙子の忘形見である。そして、まり子嬢をして今日あらしめたのは、偏(ひとえ)に沢田信子氏の心づくしの結果で、亡き友に対する信子氏の情誼の厚さは、正に我が楽壇の一美談といってもいいであろう云々。
 今までにも、まり子の名は、既に楽壇に誇りとなっていたが、まり子の存在をより深く一般社会に印象すべき最初の機会として、今度の演奏会は、まり子にとっては正に晴の舞台(ステージ)であった。
「ね、しっかりしなきゃ駄目よ。今度の演奏会は、あんた一人のための会といってもいいくらいなのだからね」信子はこういってまり子をはげました。
 同時に、礼吉にとっても、それは意味深い舞台(ステージ)だった。礼吉はこれを名残にしばらく故国を見捨てようとするのである。愛する者のために、同じ舞台に立ち、愛する者のためにピアノの調(しらべ)を合せるという事が、それが礼吉にとってせめてもの喜びであり、なぐさめであった。
 やがてその演奏会の第一の夜が来た。劇場は華やかな色の渦を巻いて、聴衆は座席にあふるるばかりだった。野中正子嬢のファウストの「宝石の歌」、吉植京子夫人のローエングリンの「エルザの夢」と、次第に番組がすすんで来て、やがてまり子の番になった。まり子は、ビゼーの歌劇「アルルの女」の中の「おお神の子羊」を歌った。非常な上出来だった。アンコールの拍手が、しばらくの間、鳴りも止まなかった。
「本当によかったわ。申分のない成功よ。本当によかったわ!」信子は両手でまり子を抱きしめるようにして言った。信子の眼には涙があった。
 まり子の眼にも涙があった。まり子は、その幸福感の絶頂にあって、何かしら物がなしい気がしていた。
「まり子!」と、何処かで自分を呼んでいる声がするような気がした。それは、死んだ父の声だった。その後半生を、ただ自分のためにのみ生きていた父、死の際までも自分の未来に望と愛とを寄せていた父―その父が、今更のこの成功を見たらどんなに喜んでくれるであろうと、まり子は思うのだった。
 まり子と、信子と、それから同じ方向に帰る礼吉とが、家への自動車へ乗ろうとして、まず、信子と礼吉が、最後に、まり子が大きな花輪を抱えて、車寄せの方へ降りて行った時であった。
「もし、もし」と、後から、呼びかける声がした。枯葉を押揉むような、しゃがれた力ない声だった。まり子が振返って見ると、そこの、扉(ドア)の蔭に、片側明るく灯影を浴びて、洋服姿の一人の老人が立っていた。すらりとした長身を少し前屈(まえこごみ)にして、髪の白い顔に眼が底深く輝いている。まり子は思わず、
「あッ!」と声をたてた。それは、内山老人であった。
「まり子さん」内山老人は、そう言いながら、片手をまり子の方へさし出した。そして、
「わしはすっかり感心した。素晴らしい!―どうぞわしにお祝を言わせて下さい。―わたしにお祝を言わせて下さい。わしにお祝を言わせて下さい。―わしに握手をさせて下さい」
 まり子は拒む事が出来なかった。
「ありがとうございます」と、口の中でいい案がら、まり子はおずおずと手をさし出した。指の長い、石灰質の多い冷たい手が、わなわなと震えながら、まり子のすこし汗ばんだ手をしっかりと―しっかりと握りしめた。
「まあ、内山先生でございますか!」信子も、小戻(こもどり)して、内山老人に挨拶した。「まあ、今夜、いらっして下さいましたのでございますか?」
「ああ、沢田さん。わしはやって来た。そして、そっと聴いていた。わしは聴いた。すっかり打たれた。まり子さん本当に素晴らしい!」
「ありがとうございます」信子も礼を言った。
「わしは聴いた。―わしは聴いた」内山老人は、目の前の空間に視線をさまよわすようにして、独言めいた、むしろ譫言(うわごと)めいた調子で繰り返した。「わしはすっかり打たれた。こんな感動は、わしの年とった心臓には、すこし強過ぎる。いや、まり子さんは本当に素晴らしい!」
「先生に賞めていただければ、まり子も本望でございます。いいえ、この上もない光栄でございます」
「いや」と、内山老人は来るしげに頭(こうべ)を振って、
「わしはまり子さんにお詫をせにゃならん。まり子さんは、わしを許してくれるでしょうかな?」
「まあ、そんな事を、許すも許さないもございません。まり子にも、すぐ、何も彼も判る時がまいりましょうから」信子は、そっとまり子の方へ眼をやりながら言った。まり子は、その信子の眼に複雑な意味が潜んでいるのを見た。が、二人の会話は、まり子には、依然として解き難い謎だった。内山老人と自分との間に、自分の知らないどんな事情が伏在しているか?それは、依然として解き難い謎であった。
「沢田さん。わしは一つのお願があるのだが、聞いては下さるまいか?」
「どんな事でございましょう」信子は、老人の眼に、せい一ぱいの哀願の表情(いろ)が動いているのを見ると、いたわるようなやさしい調子で問い返した。
「わしは、もう一度、もう一度―」と内山老人は、さも言い難そうに言った。
 もう一度、舞台(ステージ)に立って見たい。というのは、まり子のために伴奏をしたいのだ。明日のプログラムに自分を入れてくれ―そう内山老人は言うのだった。この申出は、すっかり信子をおどろかしてしまった。より以上にまり子をおどろかした。まり子がいかに楽壇の明星とはいえ、内山邦夫と言えば、外国にまで知られた大音楽家である。曾て欧羅巴(ヨーロッパ)に遊んだ時、独仏の世界的大家と技を競うて一歩もひけをとらなかったほどの人である。しかも、もう楽壇を退いている人である。その人が、まり子の伴奏者として、舞台に立とうというのだ。おどろかずにいられようか?まり子は、思わず礼吉と顔を見合せた。
「いや、榊原君。わしの無躾(ぶしつけ)なお願を許して下さい。どうぞ、一度だけ、あなたの位置を、わしに分けて下さい」と内山老人は、食を乞う者に似た卑下をもって、こう礼吉にも哀願するのだった。
「先生。ありがとうございます」信子は感動のおののきを潜めた声で言った。
「沢田さん。あんたはわしの心持を知っていてくれる筈だ。わしの夢だ。見残した夢だ」そう言って、じっと、信子の顔を見た内山老人の眼は涙にぬれていた。

 そのあくる夜の演奏会に、曲目が進んでまり子の番になった時、司会者(マネージャー)は壇上にあらわれて、聴衆に一つの報告をした。大沼まり子嬢の独唱、伴奏者は前野通り榊原礼吉氏の筈であったが、内山邦夫先生の特別の御申出により、臨時に番組を変更して、内山先生に伴奏をお願いする事にした。老大家内山先生の神技は、先生の隠退により、既に接する機会が失われた事と思っていたが、思いがけなくも、今夕、この壇上に先生をお迎えする事が出来ようとは?大沼まり子嬢の光栄は言わずもがな、実に本演奏会の光栄といわなければならない。―聴衆は、この以外の報告にどよめき立った。割れるような喝さいが、場を揺るがして起った。
 やがて、ろうたけた裾模様姿のまり子が、昂奮のために、やや青ざめた顔をして静かに舞台に現れた。つづいて、銀髪を額に垂れた内山邦夫が、真黒なフロック・コートに長身を包んで、前屈の足もとを、一歩一歩じっと抑えつけるようにして、舞台の中央に歩み出ると、聴衆の方に一揖(いちゆう)して、ピアノの前に坐った。
 この花のような新進の声楽家(ヴォーカリスト)と、この垂死(すいし)の床から再び起ちあがった老楽師と、二人の対象は不思議な感動を聴衆の胸にそそった。聴衆は、眼を睜(みは)って舞台を眺め、固唾を呑んで、その老楽師の伴奏の第一音の鳴り出づるを待った。




小原柳巷  秘密小説 悪魔の家(大正6)

2011年09月23日 | 著作権切れ大正文学
注)序章で作家黒岩涙香がいきなり一部ネタばらしをしています。これは先に読まない方が断然良いと思われます。




  小原柳巷  秘密小説 悪魔の家(大正6・1・15~5・30『都新聞』)

 序

 柳巷子著す所の秘密小説「悪魔の家」一篇、これ嘗て都新聞紙上五閲月の久しきに亘りて連載せられ、大なる好評を博したりと伝えらるるものである。一篇の骨子とする所は其名の示す如く所詮秘密である。即ち秘密が此の一篇を通貫するヤマなのだ。而して此の秘密に配するに南米秘露の大深林に棲息する怖るべく厭うべき毒蜘蛛を以てし、結構の奇を愈強めている。
 由来此種の物語の病弊とする所は或は奇を衒わんとして荒唐に陥り、或は徒に新を期して無稽に堕するにあった。是れ冒険小説の一度盛にして衰え家庭小説亦旧時の声望なき所以である。然るに柳巷子の秘密小説は其の本来の性質上此の如き病弊に囚われ易き可能性を有するにも拘らず、巧に病所を逃れ、且つ奇を描くも、怪を写すも更に読者をして何等不自然の感を抱かしめざる所に長所がある。又篇中間々洋臭の脱せざる所あるを以て推せば、或は欧米作家の原作を基礎として此篇を成せるに非ずやとも察せらるれど、斯くまでに書きこなしある点は寧ろ作者を偉とすべきであり、これが為めに作の価値を左右せらるべき理由はない。
 余は兎角詰り勝ちなる吾が興味小説界に此の作者を新に獲たるを喜ぶと同時に、此の興味深き物語を読者に薦むるの機会を得たるを喜ぶものである。
  大正六年 十一月  黒岩涙香誌


  一 奇怪な素性



 自分はこれから世にも稀な、世界に斯様(かよう)な不思議な事実が有り得べき道理が無いと思わるる程奇怪な物語を書く、而(そ)して其れは彼の仮空な化学者の理窟から成った空想や、乃至(ないし)は極めて漠然とした小説家の想像から成った虚構事(こしらえごと)では無く、皆悉く自分―医学士太刀原武夫(たちはらたけお)の一身上に関した、雑気(まじりつけ)無しの事実談である事を本文に入る前に固く読者に誓言(ちか)って置く。
 乃(そこ)で物語は愈(いよいよ)自分の身の上から初まるが、一口に云うと世の中に自分程奇怪な身上を持った者も少かろうと思われる。と云うのは世間の人達には例え乞食の子でも自分の親と云う者があるに拘わらず、何故か自分にはそれが無かった。物心つく時分から自分を育てて呉れたのはお槇(まき)と云える京都生れの老女(ばあや)で其女は自分が大学を卒業(で)る年即ち自分の二十五歳になる迄生きて居たが、此女(これ)が自分の母親(おや)で無かった事は過去った廿五年間の挙動(しぐさ)で充分に解って居た。勿論二十五年間に於て、自分は自分の父母と云う人の何人であるかを一再(ど)ならずお槇に質(たず)ねて見たが何ういう事か平常(ひごろ)饒舌(おしゃべり)なお槇が此話が出る時に限り急に啞(おし)になって「解る時が来れば自然(ひとりで)に解ります」と限(き)り、後はいくら強請(ねだ)っても云わぬのであった。秘(か)くされれば秘くされる程知り度いのが人情で、況して夫れは他人事(ひとごと)ならぬ自分の身上である。区役所から戸籍謄本をとったり其他種(いろん)な手段を尽して、出来る限り調べて見たが依然として知れない。東京府士族亡太刀原秀臣(たちはらひでおみ)養子とのみは解っても、夫れから先きは皆目解らぬ。乃(そこ)で終(おしまい)には自分の身上調は中止事(よすこと)として今日に及んだのであるが、兎も角自分は斯様(こんな)不思議な成育(おいたち)を持って居る身上であると云う事は、お恥かし乍(なが)ら争われぬ事実なのだ。
 而(そ)して自分の身の上に続いて不思議な事は自分の財産である。自分の今日持って居る財産は此物語の末に記す様な次第で偶然手に入った財産であるが、夫れ迄と云うものは―殊に大学を卒業る迄と云うものは、是れも不思議極まる財産に依って生活して来たのである。それと云うのは外でも無い、自分が物心つく様になってから、月の二十五日と云う日には判で押した様に百円の郵便為替が届けられる、而して不思議にも其振出人と振出局とは十度(たび)が十度乍ら違うのである。此の不思議な送金は矢張大学を卒業る迄続いた。最初(はじめ)は変に思ったけれども、是とても何うせ探した処で自分の身上と同様知れる筈はあるまいと思ったから、てんでお槇に質ねる事もせなんだが。夫れでもお槇は気になるかして其為替を封入した書留が届くと何時でも、
「坊ちゃま、また叔父様からお金が届きましたよ」と云うのであった。
「へえ、生みの親さえ解らない己にも叔父があるのかい」と聞くと。
「ええええ有ますとも、非常に親切な叔父様が」と大きく頷いて。夫れから其叔父と云う人は名は云われぬが、名を云えば夫れと知られた探検家であって、為替の振出局の違う事や振出人の極って居ないのは何時も其の部下の人達に出させるからだと云う様な弁解をするのが十八番(おはこ)であった。
 お槇の言(ことば)には信を置かなかったが聞いた処で何れ例の「解る時が来れば自然(ひとりで)に解ります」の一言で逃げられるのを知って居たから。其都度自分はそれを聞流しにして居た。お槇もそれから漸く安心したのか、此様な目に見えた気休めも云わぬ様になったが、愈自分が此十二月大学を削ぐようして、立派な一本立の医学士になろうと云う半歳前の夏になると、持病の喘息から心臓病を併発し、とても回復の見込が無いと云う際になって、自分を其枕辺に呼んだ。而して「お春や妾(わたし)は若様とお話せねばならぬ事があるのだから」と下女のお春を次の間に追やったが、斯う云うのでさえ杜切(とぎ)れ杜切れ、如何にも息苦しい容子(ようす)であった。

  二 油の尽きた灯光

 自分は老女(ばあや)のお槇の容子で、其自分に話さねばならぬ話と云うのが如何(どん)な話であるか大抵は想像せられた。而(しか)してそれだけ何となく其話と云うのを聞とう無かった。一つは此の死に瀕した老女がそれが為に死を早めさしむる惶(おそれ)があるのと、も一つは今迄秘密の戸張の中に隠されて居た自分の素性を、急に明るみへ出されるのが何となく空恐ろしく感ぜられたからである。
「お槇や、話と云うのは如何な大切な話か知らんが今でなくたって宜(い)いじゃ無いか、其為にまたぶり返しでもすると取返しが付かんことになるから」自分はお槇の背(せな)を撫擦り乍ら斯う云った。
「いいえ、然(そ)うじゃありません、何(ど)うせ妾(わたし)は今度は助かろうとは思って居ないんですから」と、お槇は其枯木の様に痩せからびた手で自分の手をヒシと握り締め、
「年齢(とし)が年齢で加之(おまけ)にこの病気ですもの、若様が何と仰(おつし)ゃっても、妾(わたくし)の寿命の今日明日限りだと云う事は解って居ります、ですから妾は此際妾の許されて居るだけの事を若様に申上げて死ぬ考えで御座います」果然果然お槇の話と云うのは自分の想像した如く自分の素性(みのうえ)に於ける秘密に就いてである、お槇は此末期の際に臨んで其秘密を自分に語ろうと云うのだ。
 自分は耐え兼ねて叫んだ。
「お槇其話なら尚更の事だ、昔は何でも聞かねばならぬと云うてお前を困らした事もあるが、今では別に何うとも思うて居やしないのだよ、自分の父母は如何者で、自分の叔父と云うのが何の為めに自分に会って呉れぬか、此頃は其様(そんな)事も考えた事は無い、自分を素育(そだ)てて呉れた者を親と云うならお前が自分の親だと自分は思ってるんだ、で若しお前がそれにも拘らず是非話して置かねばならぬと云うなら病気が全快(なお)ってからにして呉れ、ようお槇」
 これは此刹那(せつな)に於ける自分の詐(いつわ)らざる告白であった。油の尽た灯火(ともしび)の様に次第に死の影の濃さを加うるお槇の顔を見ては、如何にして一刻も永く其生命を取止む可きかと云う以外に自分は何事も考える余裕(いとま)が無かったのである。
「まあ勿体無い若様」とお槇は真に自分に斯う云われることを驚懼(きょうく)するものの如く「妾は其お言だけで立派に成仏は出来ます、それにつけても云うて置かねばならぬ事だけは…」と云ってゴホゴホと咳き入るのであった。自分は慌てて枕辺の赤酒(せきしゅ)を飲ましてやるとお槇はそれが喉に通るか通らぬに、直(ただち)に前の話の尾を継いだ、またしても其話の腰を自分の為めに折られるのを恐れたのであろう。
「若様妾は此際出来るものならば何もかも打ちまけてお話申上げ度いので御座いますが、其れが出来ぬと云うのは妾が或人に若様の素性ば何人(なんびと)にも打明けないと云う約束をしましたのと、それから若様が妾の口から素性(おみのうえ)をお聞きになると、夫れが為め飛んでも無い讐敵(かたき)を持たねばならぬ事になるのと此の二つの理由(わけ)が有る故で御座います、ですから極めて漠然と申上げる外は無いので御座いますが、若様のお父様と仰ゃるのは」
 不知(しらず)不知(しらず)お槇の話に引込まれた自分は思わず膝を進めた。
「お槇自分の父と云うのは真実(ほんとう)に有るのかい」
「はい御座いますとも立派に…いいえ詳しくは申上げる事は出来ないので御座いますが、戸籍の上のお父様は或人が勝手に造った人物で…真実のお父様の名は約束が約束で御座いますから申上げる訳には参りませんが、唯若様には世が世ならば斯様(こん)な風に妾などが看護などをして頂く事なぞは夢にも出来ぬ程の尊い身分の方であらせられると云う事だけを申上げて置きます、それから次は例の叔父様と云う人の事で御座いますがこれは」と云って再び赤酒に咽喉を潤した。父母の素性を聞く事が出来なんだらせめては彼の叔父と云う人の名だけでも宜いから聞き度い、自分の心臓は早鐘を撞(つ)き初めた。

  三 最後の手紙

 お槇は苦し気に幾度か太息(といき)を吐いて後更に語り継いだ。
「若様に二十余年と云う長い間仕送りして居た叔父と名乗る方、此方のお名前も約束が有りますから申し上げる事は出来ないので御座いますが唯其方が若様とは縁もゆかりも無い方であり、且つ若様が御卒業と共に再び此世に現われる様な事はあるまいと云う事だけを申上げて置きます」
 何と云う奇怪な言葉(ことば)であろう、縁もゆかりも無い赤の他人が、此世智辛(せちがら)い現代に、二十余年間と云う長い歳月、月々少からぬ仕送りをして置いて、愈々其者が学校を卒業(でる)事になると同時に煙りの如く消え去ると云う事は、ギリシャか羅馬(ローマ)の昔話でもあるなら知らぬ事、開明の今日に殆ど有る得べき筈は無い、自分は斯う思と同時に忽ち或事に考え及ぼした、それと云うのは此隠れたる自分の保護者、即ち自ら自分を叔父と名乗る怪しき人物は自分の為には真実の生みの親で、何かの事情の下に自分に対し親と名乗る事が出来ないのでは有るまいかと云う事である。
 勿論斯様な考えは従来とも起(おこら)ぬでは無かったが、其都度自分は努めて夫れを打ち消そうとして居たのである、何故かなれば苟(いやしく)も自分の倅(せがれ)ともあるべき者に対し、親と名乗る事さえ出来ぬ程の親ならば、何うせ名乗合った処で新たに自分の身の上に一種の苦痛を増すに過ぎぬと考えるのが常であったからである。然るに今お槇の口から斯う云われて見ると、益(ますます)自分の想像が適中したかの様に思われるので思わず眼に見えぬ鬼にでも襲れる様な気がした、而して心中で願わくばお槇の此事に就て此上深く語る事無く秘密は依然秘密の儘墓場まで持って行って呉れる様にと祈った。
「するとお槇、自分は其叔父と云う方の名さえ…縁もゆかりも無い自分を今迄養って呉れた恩人の名さえ知る事が出来ないんだね」轟く胸を押静めて表向(ひょうめん)は極めて平気な体(てい)を装い乍ら、自分はお槇に甘える様に斯う云った。
「はい…それと云うのも皆若様のお為で…唯若様と何の肉親上縁(ゆかり)の無い方だと云う事だけはお槇は神に誓うので御座います」
 取り様に依っては、殊更に血縁の関係が無いと断るだけ妙に聞こえるけれども、此瀕死の病人が臨終に到って迄、天にも地にもたった一人の主人に対し嘘を云おうとも思われぬ、況して神を引合に出して誓うのである、先ず先ず自分もこれで一先(ひとまず)安心というものである。
「ではお槇、縁もゆかりも無い自分の恩人に対して自分は何うして恩を返せば宜いのだい」これは此時に於ける自分の詐らざる心情であったのだ、縁もゆかりも無い人から恩を受ける許りでも随分苦痛なのに夫れを返す事が出来ぬとあれば更に苦痛の増す道理である。
「はい然(そう)仰ゃるのは御無理も無い事で御座いますが、併し向うでは為(せ)ねばならぬ事をしただけの事で…いやいや夫れは云うでは無かった…若し若様が強いて御恩返しをなさろうと云う思召なら、何れ御卒業の時最後の手紙を上げる事と存じますから、其通りになさるのが何よりの御恩返しで…」
 と、茲(ここ)迄云うと又ゴホゴホと咳入った。其容子(そのようす)が如何にも変なので、其次の語(ことば)を聞く暇も無く自分は応急の手当を施したが、其時はもう手晩(ておく)れであった。
「ああこれで妾(わたし)の役目も済んだ…安心して成仏が出来る」
 と、幽かに斯う呟やく様であったが此一句を最後として、忠義無類な老女(うば)のお槇は自分の膝を枕に此世を去ったが之が為めに折角知れかかった自分の素性が又しても素の如く秘密の幕で包まれたのである。併し自分は此場合老女の最後の言を信用する事が、亡きお槇に対して何よりの供養であると信じたので、自分の素性に就いては一切考えぬ事にした、而(そう)して只菅(ひたすら)卒業の日の来るのを待つ事にしたが、愈々其中に卒業の日も近づいて来た。

  四 親友の古里村

 待ちもせぬ卒業の日は愈(いよいよ)近づいて来たが、心待ちに待って居た老女(うば)の所謂(いわゆる)叔父が「最後の手紙」と云うのは何時迄も来なかった。自分にしては的(あて)にして居た物が外れたのであるから、鳥渡(ちょっと)は失望したが、併し瀕死の病人には心にもあらぬ事を口走るのがまま有る習いであるから別に気にも止めずに卒業式に臨んだ。愈式も終えて家に帰ろうとすると、大講堂の前でハタと出遭ったのは親友の古里村(こりむら)である。古里村は名を尭(たかし)と云って此七月工科を出て、今は造兵科の助手を勤めて居る工学士である。父は深川で有名な鉄工場の持主で、広い東京でも指を屈(お)って数えられる財産家で、尭は其一人息子なのだが、よく有る財産家の息子に見る嫌味と気障(きざ)な容子(ようす)が未塵(みじん)も無い男なので自分とは良くうまが合い、高等学校時代から親友として許し合った仲なのである。
「オイ太刀原奉公先が極ったそうだね」
 藪から棒に古里村が恁(こ)う云うのである、自分は嘗(かつ)て自分の卒業後の勤め口を探した事も無ければ、また大学の方で前以て相談があった訳でも無い、而して自分一人の量見としては、もう一二年病院の方に助手として研究したいと思って居た最中であるから、今古里村から斯様(かよう)な話を聞くのは全く寝耳に水である。
「馬鹿を云え其様事があるもんか」と自分は真正面に打消した。
「其様事があるもんかって、昨夜松山博士の家に行ったら、君が台湾総督府の附属病院に行く事に極まったと云って居たぜ、併も俸給(サラリー)の点は本年卒業の医学士中の記録(レコード)破りだと云って居たぜ―君に話が無かったのかい」
 松山博士と云えば内科の主席教授で自分の為めには師と云うより寧ろ父と仰ぐ可き程自分を可愛がって来れる老教授である、此老教授の口から親友の古里村が直接に聞いたとあれば最早毫(ごう)も疑う処は無い、夫れにつけても不審なのは彼程自分を助手として使用する事を承諾して置き乍ら急に台湾くんだり迄遣ると云うのは何う云う理由なのだろう自分には博士の考えが解らぬ。古里村は早くも自分の胸中を見抜いたか、
「何でも博士の考えでは助手として自分が使用(つかう)つもりだったが、太刀原の叔父から依頼(たの)まれたのでと云って居たぜ」と附け加えた。
 これで万事が解った、扨(さて)はお槇の最後に臨んで自分に云った如く、愈彼(いよいよかの)自分の叔父と称する、自分の恩人が、此の二十五年間扶育の恩を償わしめる為めに、松山博士に依頼で自分を台湾に連れ寄せるつもりと見える。して見れば此恩人は自分の大学卒業と同時に煙のように消え失せるのでは無く、却て反対に其正体を現わすかも知れぬ。
「古里村そりゃ真実(まったく)かい」と、更に念の為め自分は古里村に駄目を押した「真実(ほんとう)とも―ホラ見玉(みたま)え、小使が我々の方へ急ぎ足に来(くる)で無か、屹度松山博士から君へのお迎だぜ」古里村の語の終らぬ中に両人の傍近く駈けつけた小使は、果して古里村の予言通り自分に教授室迄来る様にと松山博士の言伝を齎(もたら)したのであった。
「ホーラ見ろ、僕の云った事が当ったろう、晩には奢らせるぜ、前川と迄は贅沢は云わんから神田川で沢山だ、宜(い)いかい」
「ああ宜いとも、其問題は別として神田川位はお易い御用だ」
 互いに冗談を云い乍ら右と左に別れた。而うして自分は小使の後に跟(つ)いて教授室に松山博士を訪れた。
「おお太刀原くん、遂茫然(ついうっかり)して居って講堂から教授室に来て貰うのを忘れてね、ハハハ併し善かった、まァお掛け」と何事に無い上機嫌で、傍(かたえ)の椅子を自分に進めるのであった。

  五 松山博士

 医科大学の松山博士と云えば、遂ぞ学生に笑顔一つ見せた事が無いと云われる程生真面目な人なのに、此日のように、云わば未だ大学の制服を脱ぎ切らぬ自分に対して斯様な手厚い待遇をせらるると云(いう)は、余程胸中に嬉いことが蔵(かく)されてある故であろう。
「あの何か御用で…」と、椅子に腰を下ろし乍ら自分は下半部を胡麻塩髯で掩(おお)われた博士の顔を仰いだ。
「ウム君の一身上に関係した事でね」と頷ずいた博士は、卓子(テーブル)の抽斗(ひきだし)から二通の書面を出して自分の前に置いた「二通が二通とも君の叔父さんから私へ当て来たのじゃ、初めのは先月の末に来たのじゃが、其れには君が卒業後或は内地に止(とど)まる希望かも知れんが成るべく殖民地に就職口を見つけて貰い度いと云うのじゃ、私(わし)は其時は君を助手として使う考えで居たから別に君にも話さんで居たが、すると一昨日(おとつい)になって寄越したのは第二の手紙じゃ、まァ読んで見い」と云いさして博士は新しい葉巻(シガー)に火を点じた。
 自分は急いで指示された第二の手紙を拡げて見ると、それは叔父の運動其効を奏し、近く台湾総督府より交渉ある可きを以て、其時は自分を慰(さと)して是非任地に赴かしむる様にと云う意味の書面で、末段を「当人(自分)と雖(いえど)も多年恩義を蒙りし先生のお言葉と、二十五年扶育を受けし叔父の言(ことば)とには叛く様の事無かるべしと存じ候」と結んである。成程自分にして見れば、お槇の臨終に際して誓った言もあり、また夫れが無いとしても、縁もゆかりも無い人から受けた二十五個年の恩義に対して斯う云われた事を叛く事は出来ぬ、況してそれは恩人に対する唯一つの報恩の道であるとすれば尚更である。
「何うじゃ、愈(いよいよ)行かね」と博士は葉巻の灰を指でホトホトと落し乍ら自分の答を促した。
「はい、先生の仰せ次第です」
「然うか、恁(こ)う云う風に云って寄越されて見ると、それでも行かぬと云う訳にも往かんし喃(のう)、じゃ行く事に決定(きめ)たら善いだろう」
「はい、併し私は参るつもりでも未だ総督府の方からは…」
「イヤそれは疾(とう)に来て居る、旅費迄も昨日送って来てるのじゃ」
 自分は其早手廻しには聊(いささ)か驚かされた。
「すると何時参る事にしたら宜いので御座いましょう」
「さァ成可く早(はやく)と云う事じゃから―出来る事なら明日にも出発(たつ)事にしたら何(どう)じゃ」
 明日とはあまり性急である。併し此時自分はお槇の死後家財道具を残らず売払って、森川町の下宿屋に下宿して居たのであるから、今夜と云えば今夜も出発する事が出来る身分なのであった。
「では明日の午後出発(たつ)事に致ます」
「然うか、じゃ其様に私から向うに電報を打って置くから」
 恁うと決定(きま)れば足下から鳥の立つ様に急ぎ立てるのが博士の癖である、自分は早速博士の許を辞して下宿に帰った。帰って見ると一通の書面が置いてある。開いて見ると例の叔父からの手紙である。

 前略、小生は茲(ここ)に貴下の御卒業を祝すと同時に、貴下の為めに叔父として存在する必用無き至りたるを喜び居候、貴下の総督府病院医員として赴任せらるる日は、小生が貴下の叔父として永久に消散する時に御座候、終りに望み貴下に望む一事は、貴下が小生に対し小生の恩を感謝せざるが何よりの報恩なる事に御座候
  月 日   叔父ならぬ叔父再拝
 太刀原賢台侍史(たちはらけんだいじし)

 としてある、何と奇怪な手紙であろう、赤の他人に二十五年と云う長い歳月、一方ならぬ世話をして置て、其恩返しは恩を恩と思わぬが恩返しだと云うのである、世に斯(かか)る恩返しがまたと有ろうか。併し考えて見れば此叔父ならぬ叔父の為す事は、一つとして奇怪で無ものは無い、して見れば此手紙も或は叔父と称する人によっては普通(あたりまえ)なのかも知れぬ。兎も角恁(こん)な理由で自分は台湾に行ねばならぬ事になったが、それから丁度四年目即ち自分が二十九歳の秋になると急に内地に帰らねばならぬ事が生じて来た。

  六 凄い様な美人



 それと云うのは其頃台湾観光の途にあった玻璃島(はりしま)伯の令嬢初音姫が自分の勤めて居る総督府病院に入院せられた為である。
 玻璃島家と云えば日本に於る貴族中の貴族と称せられた程の名門で、前(さき)の伯爵玻璃島直文(なおぶみ)は夙(つと)に大名華族中の、否貴族院切っての雄弁家として聞え、二度迄も内閣に列した程の人物であったが、何故か終生を独身で通し其死ぬる二年前に、今の初音姫を分家の玻璃島男爵家より迎えて養女とし、未だ其配偶者を撰ばぬ中に亡くなられたのである。それは此時から丁度六年前、即ち自分が未だ大学に居た時の事で、当時の新聞を読んで知った記憶が今尚残って居たのだが、其初音姫が偶然にも自分の病院に入院せられたのである。
 病名は軽症なマラリヤで、初音様が持前のお転婆から家来の者を連れて生蕃(せいばん)見物の途中犯されたのである、是れが普通の者なら打捨て置いても差支無い程軽微なものであるが、身分が身分だけに騒ぎも大きい、総督府病院の特等室に御家来御同伴で入院せられたのだ。自分は何故かして性質(うまれつき)、恁ういう連中が酷く嫌いなのであるが、受持が伝染病科の主任と云うので否応なしに其の治療をせねばならぬ事となった。
 令嬢と云うのは本年二十四歳とかだそうだけれども、先天的(うまれつき)麗質(きれい)な故(せい)か、年よりはグッと若く、一寸見た処では何うしても二十歳を越した女とは思われぬ程である。難を云えば眼に険のあるのと、前髪に癖の有るのが難だが、身長(せい)のすらりとした、貴族的の鼻と口元とを持った、これが所謂(いわゆる)美人とでも云うのであろう、何処一点非難す可き処の無い―一口に云えば凄い様な美人である。が自分は単に奇麗だと思う許り、何うも好きにはなられなかった。無論向うでは自分見た様な貧乏書生に好かれなくても沢山だと云うかも知れぬが、自分としては恁んな絵に画いた美人の美しさで、生た美人の美しさで無い、自分は絵に画いた美人よりは、生きて居る十人並みの女が好きだからである。併し好き嫌いを云っては居られぬ自分の職務は医者である、医者は病人を癒すが役目だで、自分は初音姫に対しても、他の医者のする様な、特別な取扱いはせず、普通の患者並に治療を加えた。
 此治療が善かったのか、但しは素々軽微な故であったか、入院してから二週間目には最早退院しても差支無い迄に全快(なお)った。けれども姫は却々(なかなか)退院しない、今度は腸胃が悪いと云い出し初めた。病室は内科の方に移されたが、姫の主治医は自分と云う院長の命令だ。自分は厄鬼(やっき)となって辞退したが、すると院長は、
「姫は是非君が主治医で無いといかんと云うのだからネ、何しろ馬鹿に御気に召したもんだ、ハハハああいう美人の主治医になら僕なんかであったら少々運動費を出してもなって見たいね」と半ばからかう様に云う。自分は思わずムッとした。
「では院長がおやんなすったら宜いでしょう。私の専門は伝染病ですから…」
「ハハハまァ然うムキにならんでも宜い、君の専門は如何にも今では伝染病じゃが、旧(もと)は矢張(やはり)松山博士の門弟で、内科専攻の医学士じゃ無いか、君が愈(いよいよ)厭だと云うなら僕は上官の権力を以て君に命令する許りだ」恁う云われては仕方は無い、台湾では医者も官吏だ、官吏であってみれば上官の命令に背く訳には往(ゆ)かぬ、自分は渋々乍ら姫の主治医とならねばならぬ事となった。

  七 福神と疫病神

 姫が内科の病室に移ってから彼是半月余りになるが、自分は夫(そ)れでも姫が好きには成らなかった。伝染病室に入院してからの日数(ひかず)を通算すると雑(ざつ)と一月許りの日数である、一月と顔を合わして居れば大抵の人間は友人(ともだち)と往かぬ迄も、普通の仲善(なかよし)になる筈であるが自分と姫とは何うした事か其の仲善にすら成り得なんだ。其癖姫の方では勿体ない程打解けて呉れるのだけれ共、自分は然うされれば、される程姫が嫌になる許りである、所詮俗に云う性が合わぬとか、虫が好かぬとか云うものだろう。而(そ)うして独り姫が嫌いな許りで無く、第一其附添の奴等が悉く嫌な奴等許りである。勿論家扶の宮沼老人や、家庭教師の渥美女史は左程厭でも無いが、就中(とりわけ)自分の嫌いなのは姫と乳兄弟だと云う蘭田郁介(らんだいくすけ)である。蜻蛉の様に光らして真中から分た頭の工合から、あまり高くも無い鼻の上にチョコナンと乗せた鼻眼鏡の工合から、鼻の下に短く苅り込んだチョンピリ髯、扨ては新夜光球(しんダイヤ)の留金(ピン)で止めた赤襟(あかネクタイ)まで見る物一つとして癪に障らざるは無い、而して二言目には姫の乳兄弟と云うを引き合に出して、自分が伯爵でもあるかの様に振舞う。其気障さ加減と云ったらたまったもんで無い。
 自分の親の判明(わから)ぬ孤児(みなしご)と云う僻見(ひがみ)がある故(せい)かも知らぬが、恁ういう連中とは一時間と話をして居る気になれぬ、恐らくは話を続けてでも居たら卒倒して了うかも知れぬ。で診察が済むとサッサと自分の居間に引下がって了うのだがそれでも何だかだと自分を呼びに寄越す、自分は一にも姫二にも姫と云って大騒ぎする仲間の気が知れぬのだ。病院の為には福神かも知らぬが、自分にとっては此上も無い疫病神だ、疫病神には一刻も早く立ち去って貰う様にせねばならぬ。自分は斯んな事を考え乍ら、近頃初めかけた毒虫(どくちゅう)の研究をやって居ると、其処へ入って来たのは例の蘭田郁介である、
「御勉強ですね、だがお邪魔しても宜いでしょう」
 恁う云われて見ると、まさかお帰りなさいとも云い兼ねるのが人情だ。
「ええ何うぞ」と手近の椅子を勧めた、
 蘭田は夫れに腰を下して、衣兜(ポケット)の莨入(たばこいれ)を探り乍ら。
「ハハハ毒虫の御研究ですね」と自分の机の上なる、毒虫学を覗き込む、
「ええホンの暇潰しに…勉強と云う程でも無いんです」
 込み上げて来る怒りを押えて、自分はワザと平気の体(てい)を装うた。すると蘭田は得たりと云わぬ許りの顔色で、
「それならばですよ、彼方(あちら)へ入らして下すったら宜いじゃありませんか、姫もあの通り寂しがって居られるのですから」
「有難う、けれども貴族のお相手には平民は向きませんからね、夫れに今日の医者は昔と違い幇間(たいこもち)じゃ無いんですから」
 自分は余程手酷く云ったつもりだが、蘭田は左迄感ぜぬ容子である。
「其処は其処、其処ですよ、姫が貴方で無ければ夜も日も明けぬと云うのは―」
 自分は此無礼極まる蘭田の言に思わずムッとした。
「蘭田さん失礼ですが今日は是れでお帰りを願いましょう、また閑の時ゆっくりお相手をしますから」とクルリ蘭田の方に自分は背を向けた。けれども蘭田は別に怒りもせず、また随って帰ろうともせぬ。
「ハハハハ今の冗談がお気に逆らいましたかな、それなら平にお詫しますよ、だが太刀原さん、まさか貴方だって木や石でもありますまい、入院後の姫の容子がお解りにならんでは無いでしょう」
「いや私は其様事を伺って居る暇はないのです、兎も角も私としては此場合貴方に此室(へや)から御引取下さる事を希望する外はありません」と、自分はニベも無く言い放した。
「ハハハハ帰れと云うなら帰りますがね、それじゃ貴方は姫を…」と蘭田が言いさした時扉(ドア)の外に衣摺(きぬず)れの音が聞こえた。
「オヤ蘭田、姫が何うしたとお云いなの」と、扉(ドア)の間から半身を現わしたのは、紛れもない初音姫である。

  八 玻璃島家の番犬

 思いも掛けぬ姫の来訪に、さしもの蘭田も一方ならず敗亡した体である。
「いいえ其姫様(ひいさま)の御病気が其の…」
「ホホホ沢山よ、散々蔭で人の悪口を云って居た癖に」
「これは飛んでも無い…太刀原君が証人です、決して私は…」
「それなら夫れでも宜いとしよう、だが蘭田、お前は彼室(あちら)へいってお呉れで無いか、妾(わたし)は太刀原さんにお伺いする事があるのだから…」
「はいはいそれは仰ゃる迄もなく―これでも却々(なかなか)粋と云われる蘭田ですよ、では御ゆっくり…」
「まァ厭な蘭田」
「ハハハハこれで『厭な蘭田』と仰ゃられちゃ世話無しです」
 と、急に蘭田の立ち去る容子に、自分は慌ててそれを呼び止めた。
「蘭田さん、貴方一人お帰りになられては迷惑します、お帰りになるなら令嬢も御一緒に…」
「ハハハ然うは往かんですよ、主命と友誼じゃ主命が重いですからね」
 蘭田は尻目に此方を見て嘲笑い乍ら、サッサと室外に去るのであった、跡には姫と自分と二人限り、これには流石の自分もヒタと困(こう)じた。併も姫は自分の困り切って居る容子を興あり気に眺めつつ、溢るる様な微笑を洩らし乍ら自分の真向の椅子に掛けた、
「太刀原さん今日は妾(わたし)貴方に御無理をお願いしに来てよ」
 殆ど膝と膝と摺り合わん許りの距離である、これが蘭田でもある事なら抓み出して了うのであるが、女ではあり殊に院長すらも一目も二目も置く伯爵家の令嬢である、如何に虫が好かぬと云うて然う素気無くも扱かわれぬ。
「私に、然うですか、併し此処では甚だ失礼ですから彼方の応接室へ参りましょう」自分は体よく室内より姫を追い出そうとしたのである。処が姫も然る者、却々其術(なかなかそのて)に乗らぬ。
「ホホホホお堅いのね、此処で沢山よ、妾が此病院の中の室なら何処に入っても宜いと院長から許されて居るのだから…」
 恁う云われて見れば、それでもとは自分も云い兼る、自分は眼を姫の方から反らして、読みさしの毒虫学に注いだ。姫は語を継いで、
「それと云うのはね、貴方に玻璃島家の医師(ドクトル)になって頂こうと云うのよ」
「えッ、えッ、私が玻璃島家の…」
「ホホホホ馬鹿に吃驚なさるのね、妾が恁なに病身(よわい)のですし、それに家族も大勢なのですから…勿論先代から出入の医師はあるのですけれども…妾は是非貴方に聞き入れて頂くつもりよ、宜いでしょう、玻璃島家の抱(かかえ)と云うのなら貴方の御名誉に障るかも知れませんが、唯東京で御開業なすった上に玻璃島家に出入して頂くと云うのなら貴方の御名誉に係る様な事は無いかと思いますが何うで御座いますの…お厭でも無理に聞き入れて頂くつもりで院長にも話してあるのよ」
「えッえっ院長にも…」余りの早や手廻に呆れた自分は恁う叫んだ。
「ええ」と姫は軽く頷いて「ホホホホだって木内(院長の名)は自家(うち)の旧藩の者な上、先代が洋行費まで出して修行さした者ですもの、妾の云う事なら少々位いの無理なら聞いてよ」
 院長の姫に対する態度は、夫れで解ったが、併し自分は飽迄も自分が姫や院長に圧伏せられてオメオメ玻璃島家の番犬になるのは厭だ、何か拒絶の口実をと思ったが夫れも急に思い当らぬ。
「然うですか御厚意は能く解りました、ですが両三日考えさして頂きましょう、第一東京で開業するには夫れ相当の準備も必要(いる)事ですし…」
 自分の腹では恁うして一寸脱れに脱れて居る中に謝絶の口実を発見(みつけ)出そうと云うのである。姫はそれを知るや知らずや。
「では是非然うなさる様にお考えなすってね」と諄(くど)くも念を押して此室を立ち去るのであった、自分としては実に飛んでも無い者に見込れたものである。



  九 阿里少年

 姫と入れ違いに院長もやって来たが、其用向は無論自分をして玻璃島家の抱医者たらしむるにあった事は云う迄も無い。自分は夫れに対しても姫に答えたと同様、三四日間熟考の余地を求めて、久方振に台北市外なる自分の寓居に帰る事にした。
 台北市外の自分の寓居と云うのは市からは一寸(ちょっと)半里程もある、熱帯植物の林に取囲まれた古い支那家屋で独身者の自分には家を構える必用も無い様なものの、然(さ)らばと云うて宿屋生活も自分の研究に不便なので赴任早々借り受けて毎週二日土曜半日と日曜一日とを此家で暮らす事に決定(きめ)たのである。
 留守番には、女中とも小使(ボーイ)とも、執事とも、兼帯の阿里(アーリー)と呼ぶ生蕃(せいばん)の少年が自分の留守を一人で切って廻して居る。
 この阿里少年を自分が雇入れるに就いてはこれも却々面白い奇譚があるのだが、此物語には余り関係が無いから省くとして一口に云えば自分が嘗て四年前阿里山探検の途に上った時、数回(たびたび)生蕃(せいばん)の偵察を勤めたと云う罪で銃殺の刑に処せられんとした少年を救けた、―蕃界勤務(ばんかいきんむ)の巡査隊の長官から貰い受けたのが、今日の阿里少年で、それ以来此憐れむ可き少年は自分に懐いて何うしても再び蕃界に帰ろうとせぬ。
 乃(そこ)で止むを得ず自分は阿里と名づけて小使兼留守番として召使う事にしたのであるが、処が此の少年は生蕃人には不似合な程頭も宜くまた記憶も宜いので、今日では日本語は素より普通の読み書きは一通り出来る。加之(おまけ)に根が蕃界育ちであるから身体の発育などは頗る見事なもので、本年十五歳の少年とは何うしても受取れぬ。随って其腕力の強さも亦(また)驚くべき程で、如何に割引しても内地人の三四人力は慥(たしか)にある上に、其嗅覚や聴覚は野蛮人に特有な、文明人に見る事の出来ぬ程鋭敏なものがあるから自分が一生の研究たる毒虫の標本採集には持って来いの雇人である。で自分も出来る限り可愛がってやるので、阿里少年が自分を慕う事は実に非常なものである。まるで猟犬が其主人に対すると同様だ。自分が乗った馬車が門の前で留るといち早く家から飛び出したのは阿里少年である、平常(いつも)自分が窓口から半身を現わすなり、抱える様にして馬車から降ろすのだ。これは阿里の癖なのである。
「おお阿里か寂しかったろう、併しお土産があるぞ」と、自分は阿里が兼ての注文なる大形の水兵洋刀(ナイフ)を隠袋(ポケット)から出して与えた。
「有難う有難う、これさえ有れば鰐だって水牛だって些(ちっ)とも怖か無いや」と躍上がって打喜ぶのである。
「鰐だの水牛だのは用が無いが肝心の標本は幾何(いくら)か集まったかい」
 鳥渡(ちょっと)云って置くのを忘れたが、阿里少年は、門前の小僧の格で此一二年、美様見真似の毒虫の標本を造るのが頗る上達したので、自分の留守の間には暇に任せて標本を集むる役目を云いつけてあるのだ。
「ええ、縞毒蛇(ハブ)の変ったのが二種(いろ)と黒蜥蜴(とかげ)が三疋、先生のお帰りを待って居たよ」
「然うか、じゃ次の土曜にはまた違ったお土産を買って遣らにゃなるまいね、今度は何が欲しいね」
「洋服が欲しい、白い洋服が欲しいね」
「白い洋服、妙な物が急に欲しくなったもんだね」
「だって此風采(なり)では用が出来ても先生の病院に行かれやしないや」
「用が出来ても?」
「ああだって今週は手紙が二つも来てるんだもの」
 これで阿里少年の急に洋服を欲しがる理由が解った、今まで幾何(いくら)着せようとしても白縮の襯衣(シャツ)に猿股限り着無かった阿里が主人の用を欠まいと思えばこそ俄(にわか)に洋服を着たいと云い出したのである。
「宜し宜し今次(このつぎ)の土曜には屹度(きっと)買って遣る」と其儘阿里少年を先に立てて書斎に入ったが、果して書斎の洋机(デスク)には二通の手紙が載せてあった。

  一〇 路易十四式

 一通は東京なる親友古里村から来たのである事は、其表書(うわがき)を一見して解ったが、今一通は全く見慣れぬ人の手蹟で、加之(おまけ)に差出人の名前さえ記(かい)て無い。これが四年前であれば例の縁もゆかりも無い叔父からと極って居たのであるが、自分が大学卒業と同時に、煙の様に消失せて四年間何の頼りもせなんだ叔父が、四年後の今日となって当時の誓言(ちかい)を無視し手紙を寄越す筈もないので、是は必定(ひつじょう)殖民地に能(よ)く有勝(ありがち)な慈善団体の寄付金勧誘の類かと思ったから後廻しにして先ず古里村の手紙から読む事にした。

 我が親愛なる太刀原兄足下。
 陳(ふる)い言草だが月日の経つのは全く早いものだ、君と別れてからもう四年になる、僕も愈(いよいよ)九月から大学を止めて、今では堂々たる一本立ちの古里村鉄鋼所の技師長様、境遇が変れば容貌(かおかたち)も変ると見えて四年前は痩形の頗る美少年であった僕が、今日ではでっぷり肥った麦酒樽(ビヤだる)の様な腹の出た髭美わしき青年紳士となった。三年経てば赤坊も三歳になる、あの当時到底ものにならぬと君に貶(くさ)された鰌髭(どじょうひげ)は今日では頗る見事な路易(ルイ)十四世式の髯となった。全く君に見せたい夫に引更え君の近頃は、此間も君の夢を見たが、憐れや主人持の情無さ、大学三千の学生中第一と謡われた美男子の君が、場末の町の馬車馬見た様にコキ使われる故だろう、頬は痩せ肉は落ち、見るかげも無い迄に男振を損じた夢であった。夢は逆夢と云うから其れと反対であって呉れれば宜いが、何うも台湾くんだりの病院に四年も居る処を見ると夢が真物(ほんもの)の様に思われてならぬ、紅顔赭(あせ)易し若い時は二度とは来ぬ、また気の利いた情婦(いろ)も出来ない。君も今の中に台湾を引上げて東京に帰ったら何うだ、而して美人を探して家庭と云う人間の巣を造ったら何うだ。
 と恁(こ)う君に勧めると云うのは、実は白状するが僕に近く美にして且つ賢なる女房が出来そうに思われるからだ、年齢は十九とだけ云って置く、外は聞いて呉れるな、僕が命迄もと―も仰山だが―打ち込で居る美人につまらぬ女があるかい、非難と云えば其父親と云うのが娘に似ぬ、厭な男であるが併し娘の美と賢とは之を償うて余りあるのだ、とは云え恁う目的が定まった以上急ぐにも当らぬ、尚充分研究した上で結婚の申込をする考えだが、愈然うなった処で挙式は来春になるだろう、式には是非親友たる君が列(つらな)る義務がある、願くはそれ迄に東京に引揚げられん事を、而して一日も早く僕の愛する者の処女時代に対して、例の深刻なる批評をせられん事を只菅(ひたすら)希望して止まぬのである。余は後便。
     東京にて   古里村生

 としてある。古里村の手紙としては恁(こん)なのはお手柔らかな方だが、それにしても本年十九歳の処女を真面目に恋するに至ったのは甚だ面白い事と云わねばならぬ。
「古里村が女房に持とうと云う程の女だから、何でも余程の美人で、余程しっかりした女に相違無い」と斯う自分は呟いたが、然う云って居る中に何だか自分も古里村が羨ましくなって来た。
「せめて初音姫が古里村の恋人の様に理想的の女だと此方でも負けずに惚気(のろけ)てやるんだが」と思ったが、然う思っただけですら厭な気分になる程の性が合わない女だもの何うして何うして、と我と我が考えの浅墓さを叱った。而うして自分は鳥渡(ちょっと)でも恁な考えを起した事が腹立たしく思われたので、夫れを打消す可く今一通の無名の差出人の手紙の封を切った。すると驚く可し夫れが例の四年前煙の如く消失せた筈の叔父からである。而も其文面には更に驚く可き事が記載されて居るのだ。

  一一 毒蛇の酒精漬

 縁もゆかりも無い、例の叔父から来た手紙は、古里村からのと違って非常に短文である、けれども、自分を驚かした事は古里村の手紙の幾倍するものであった。今これを左に記せば、

 四年以前煙の如く消え失せたる叔父の、茲に再び貴下に書を寄するは、貴下の将来の幸福を思えばなり、貴下は初音姫が這般(しゃはん)の申し込みに対して何故躊躇せらるるや、一たび逃れ去れる幸福は容易に再び来るものに非ず、貴下は貴下将来の幸福の為めに猶予無く姫の申し込みを承諾す可し、これ貴下の将来の為めに非常なる幸福を来たす原因たると同時に、併せて貴下を二十五箇年の間扶育したる叔父に対する唯一報恩の道なりと知る可し。
    月 日  叔父ならぬ叔父再拝
    太刀原賢台梧右(たちはらけんだいごゆう)

 何う考えても不思議極まる手紙である、叔父ならぬ叔父が初音姫の今度の申込みを知って居る事も不思議なら、初音姫に自分が雇われる事が将来の幸福だと云うのも不思議である。而して夫れが叔父に対する唯一の報恩(おんがえし)の道であると云うに至りては実に不思議とも奇怪とも云う可き様は無いのである。
 自分としては姫なり院長なりに対して、三四日間返辞する事の猶予を乞うたのも、実は之を断る口実を発見(みつけ)る為めの手段に過ぎぬのだ。隋って仮令(たとえ)姫に雇入れられる事が自分の将来に対して幾何(いくばく)の幸福を来すにしても、自分は其様幸福は寧ろ御免を蒙り度い。だが此の叔父の手紙、殊に末段の一句は自分の一身を束縛して自分の意の儘にならしめぬだけの力を持って居る。『叔父に対する唯一報恩の道なりと知る可し』と云われて見れば、如何に姫が嫌いだからと云うて其雇入を拒む訳には行かぬ、自分は殆ど泣きたい様な気持がして来るのであった。
「阿里阿里」と、自分は阿里少年を呼んだ。自分が台湾を去るとすれば第一に阿里少年の身の上の始末をつけねばならぬ。
「今持って行きますよ」と、次の間に阿里少年の声がして、忽ち自分が留守の間に採集した例の毒蛇の酒精漬(アルコールづけ)を持って来るのであった。
「阿里よ、もう標本の採集をせずとも宜い事になった」と自分は情無さそうに叫んだ。阿里少年は持って来た標本を自分の洋机の上にドカリと据えて、
「何うして、もう厭になったの」とさも不審そうに自分の顔を打ち守るのである。
「いいや厭になったのでは無い、もう集める事が出来なくなったんだ」と云うと。
「何うして」と阿里少年。
「何うしてって、自分はもう台湾を去らねばならぬ事になったんだからね、近い中に東京へ帰らなきゃならないのだから…」
「そんなら東京で採集したら宜いだろう、僕は先生にさえ恁うしろと教わったら、東京だって標本を集める事は雑作もないや」阿里少年の口吻(くちぶり)を察すれば、自分と一緒ならば東京でも行こうと云う決心らしい、何と云う可憐(いじらし)さであろう、自分の眼には涙の宿るを覚えた。
「だって東京に行くには七日(ななつ)も船の中に寝ねばならぬし、また東京に着けばお前の嫌いな着物も着ねばならんぞ」
「何だ七日位、船の中なら訳は無いや、木の上にだって俺ァ二十日も寝た事がある。着物だって糞ッいくら着物を沢山着てもまさか死ぬ様な事はあるまい」
 此罪の無い言草に自分は思わずプッと吹き出した。
「夫りゃ然うだとも…併し東京は台湾の様に山も無ければ林も無い、それでもお前は行こうと云うのか、自分の生れた土地を捨てても行こうと云うのか」
「ああ先生の行く処なら何処へでも行くよ、先生に捨てられても俺ァ屹度くっついて行くんだ、だって先生に居無くなられると寂しいんだもの…」この殊勝な阿里少年の語(ことば)に、自分は思わずハラハラと涙を流した。
「然うか宜しッ、では屹度お前を連れて行く、お前一人を残して行く様な事をせぬから安心しろ」
「連れてって呉れる、嬉しいなア、じゃ先生と一緒に東京に行くんだね」と、さも嬉し気に躍り上る阿里少年の眼にも涙が宿って居た。


由利聖子 チビ君物語 (昭和9年)

2011年09月20日 | 著作権切れ昭和小説
   由利聖子  チビ君物語 『少女の友』昭和9年12月号~11年12月号



 チビ君

  1

「オーイ、チビくん、靴がないぞオ。テリイをさがせエ、テリイをオー」
 玄関で怒鳴っているのは坊ちゃんの修三さまである。利イ坊さまのランドセルを勉強部屋で揃えていたチビくんは、ビックリして、あわててお部屋をとび出して、内玄関の下駄をつっかけると、一直線にテリイの小屋にかけつけた。ある、ある、やっぱりイタズラ犬のテリイがくわえて来ていた。あんなにセッセとチビくんがきれいにピカピカ光らしておいた修三さまの靴がドロンコだ。
 テリイのバカ!うるさく足にまつわりついて来るテリイの頭を靴でコツンと一ツ。キャン、テリイはシッポを後足にまきこんで横ッとびに逃げた。
「ダメよオ、テリイをいじめちゃアー」
 勉強部屋でランドセルを背負いながら、トマトの様に可愛い唇をトンガラした利イ坊さまが、窓からチビくんを怒った。
 こんな事は毎日だ。ツクヅクテリイが憎らしくなって了う。それだのにテリイは又一番チビくんになついて居る。朝お台所の戸をあけると、お使いに行こうとお勝手を出ると、利イ坊さまのエプロンを洗おうとタライにしゃがむと、テリイがマリみたいにとんで来て、チビくんの脚にじゃれつく、顔をなめる。
「チビくんとテリイは姉妹(きょうだい)ぶんだナ。チビで、ふざけンのが好きで、うるさいけど可愛くて……」いつも修三さまはそう云う。
 大たい、初子と云う立派な名をもった女の子をチビくんにして了ったのが修三さまだ。
 修三さまは何でもかんでも綽名(あだな)で呼ばなくちゃ承知しないと云う困った中学生である。校長先生が古ダヌキ、教頭が川ウソ、体操の先生がシャチホコの乾物、用務員のおばさんを、バケツ夫人と云う。顔が長いからだそうである。
「今日、バケツがバケツをもって二階からツイラクしてねェ―」と、いつだったか学校から帰って来て、勉強部屋で利イ坊さまと話をして居た。お八(や)ツを、もって行ったチビくんをつかまえて、「オイ、それでどっちのバケツの底がぬけたと思う?」ときいた。世にもうれし相(そう)な顔だった。
「可哀想に、バケツ夫人の方が腰がぬけてネ、さっそく医者(ホテイ)がかけつけて来たヨ」とこれもお医者を綽名で呼んだ。
 チビくん、十三になったのだけれど、十の利イ坊さまと同じ位しかない。チビくんのお母さんは修三さまの乳母(ばあや)だった。だから修三さまとチビくんは乳兄妹(ちきょうだい)だった。お母さんが満洲へ行ったお父さんのところへ行かなければならなくなって、沢山ある子供をどうしようか、と困っていた時、三番目のチビくんを引とろう、と云って下さったのは修三さまと利イ坊さまのお母さまだった。
 お母さまに連れられて、短いおサゲをトンボみたいにしばってツンツルテンのネルの着物を着て、チョコンとお茶の間の片隅に坐っているチビくん―その時はまだ初子だった―を、学校から帰ってきた修三さまは一目見るなり、
「ヤア、チビくん!」と例の又、何でもかんでも綽名をもって呼ばねば気がすまない調子で、こう呼んだ。いかにも初子はチビだった。残念ながら修三さまのお母さまも初子のお母さんも、そして初子自身も、その「チビくん」はジツにピッタリした綽名である事を承知しないわけには行かなかったのである。
 奥さまは、とても親切な方だった。修三さまのお父さまはこの春にアメリカへいらして、お帰りは来年だった。
 利イ坊さまはたった一人の女の子で又末っ子だったから、チビくんには一寸苦手だった。年のわりにおマセである。おまけに幼稚園時代からF女学校の附属へ入って英語をならったし、小学校に入ってからはもうフランス語をやっている。こんな小さい子がそんなフランス語なんてものをやっていいのかしら…?と、チビくんは時々不思議に思う。チビくんと来たら、英語のエの字どころか、ウッカリすると自分の名前の「初子」をシメスヘンに書いたりする。
「バカねエ、チビくんのバカ、ユウみたいなガルは、フウリッシュ・ガルと云うのヨ」と、利イ坊さまはマセた赤い唇をトンガラかして、英語のわからないチビくんをケイベツしようと威ばるのである。
「何云ってんだイ、おシャマ奴(め)。ガルとは何だイ?チビくんをいじめんのはよせヨ。そんな事云っていじめんなら、お兄さんが、ドイツ後で利イ坊をやっつけるゾ」
 修三さまはお医者さまの学校を受けるので、今年の秋からドイツ後を習いはじめたのである。そう云う風に云われると、今まで威ばってチビくんをやっつけて居た利イ坊さまは、恥しさと口惜しさで真赤になりながら、チビくんをにらみつけるや、バタバタと西洋間の方へとんで行って了うのである。そして急にピアノのフタをあけて、「タンタカタッタッ、タンタカタッタッ……!」と怖しい割れそうな音を出すのである。だから「ミリタリイ・マーチ」がひびいている時は、チビくんと利イ坊さまの国交はダンゼツしているものと思えばいいのである。


  2

「利イ坊、傘をもって行ったかしら…?」
 修三さまも、利イ坊さまも学校へ行って了うと、あとはシーンとしたお邸内である。
 お昼に近い、しずかなお茶の間。奥さまの傍で、自分のに編み直していただく利イ坊さまの古いセーターをほぐして居たチビくんは、奥さまの心配相な声に窓の外を見た。ドンヨリと朝から曇っていた冬空をナナメにきって、ツ、ツと何かおちて来た。
「ア、雨!」
「いいえ、雨だけじゃないのヨ、あれはネ、ミゾレってものヨ」
 利イ坊さまもだけれど、修三さまは今朝は傘を忘れていらした。―
「お傘もって行って来ましょうか」
「そオ、すまないわネ、冷たいのに。丁度みねやが麻布へお使いに行っちゃったんで…じゃ、行って来てネ」
 大きな曲り柄の修三さまの洋傘(こうもり)と、赤い柄のついた十四本骨の洒落た利イ坊さまの傘をもって、お邸を出た。冷たい!あたたかいガスストオヴのついたお部屋に入っていた時は一寸(ちょっと)も気がつかなかったけれど、冬の外(おもて)は、ウスラ寒い空気が冷いミゾレを散らして、とっても寒い!
 向方(むこう)からマントをスッポリかぶった小学生が三四人帰って来る。今日は土曜日だ、みんなおヒケが早い。大いそぎ、大いそぎ。少しでも遅れた日には、又利イ坊さまに英語とフランス語のまじったケン付くをいただく。どうせ日本語だって、利イ坊さまの使う「およそ」だとか「想像以上の…」だとか…云う言葉は、チビくんにはチョッとばかり種類がちがう様に思える。
 お邸を出て、三丁ばかり先のお薬屋さん、丁度、修三さまがお降りになる電車の停留場の真前である。そこへ修三さまの傘を預けた。傘を忘れた日は、帰りにここへ寄ってあずけておく傘を受けとってさして帰ることにきめてあるのである。
 電車通りに沿って少し行くと、F女学校の黒ずんだ建物が見える。通用門を通ってお供の待合室へ行った。沢山のお供のお手伝いさん達が、ベンチに腰をかけて、小さい御主人の授業の終わるのを待っている。編み物をしている人もある。雑誌を読んでいる人もある。今迄にも二三度この待合室へ来た事がある。そのたんびにチビくんはこう思うのである。―
 ―よくまアこの方たちは、ああやって長い間ジーッとして腹がたたないわネエ―
 小さなお嬢さんがいばって外套をきせてもらったり、傘をひらいてもらったりしているのを見ると、何と云う事なしにチビくんは、子供心に腹がたってたまらないのである。
 羨ましくて腹がたつのじゃなくて、そのお手伝いさん達が可哀想になるのだった。チビくんと一ツか二ツ位しかちがわない様なお手伝いさんが、寒そうに肩をすぼめて迎えに来ている事もある。もし自分も利イ坊さまを毎日こう云う風に送り迎えしなくちゃならないのだったら…と思うと、それを決してさせない奥さまが、急に世界で一番、お母さんよりも、えらい、いい、立派な方に思われて来るのだった。
 ―ジリジリジリジリジリッ―
 終業のベルが鳴った。お供のお手伝いさん達は各々立上って外套を着せかけたり、お荷物をうけとったりする用意をはじめた。
 バタバタ、いつも一番にとんで出て来る松平さんのお嬢さんが、姿を現した。つづいて、ドタドタ、バタバタ、後から後から赤や緑のベレエをかぶったお嬢さん達が群がり現れた。
 利イ坊さまは…?背の低いチビくんは一生懸命のび上る様にして、それらのお嬢さんたちの群をキョトキョトと見廻した。利イ坊さまは中々見当らない。―
「ヤンなっちゃうワア、うちのチビすけと来たら…」
 ア、まぎれもなく利イ坊さまの声だ。
「何にも御用なんかしてないくせに、傘一本ももって来てくれないンだもの。きっと又お母さまのそばであたしの本を読んでるか、お兄さまのお机の上でもかっちゃがしているのヨオ」
「そうヨ。あたくし、あの子、大きらい。とてもナマ意気らしいわネエ。大きなねえやさんは好きだけど…」
 相槌うって居るのは、利イ坊さまの親友で、いつも遊びに来るたンびに、自分より身体の小さいチビくんを、さもケイベツするみたいににらんで行く、戸田さんのおテンバお嬢さんにちがいない!チビくんは思わず、かじかんだ手にシッカリ持っていた赤柄の傘を、ピシリとたたき折りたくなった。
「あたくしの傘にお入りあそばせよオ、途中までお送りするわ」
 この声が、チビくんのシャクにさわる心をグット止めた。あわてて、赤いベレエが並んでいる昇降口のタタキへかけて行った。
「あら、来てたの?どうして今迄出て来なかったのよ、今来たんじゃないでショ?ひどいわネ、人を困らせようと思って、ひどいわ、いいわ、いいわヨ。戸田さんに入れてっていただくから…」
 何か云おう、とする間もなく、赤いベレエ帽は並んでミゾレの校庭を走る様に歩いて行く。
「利イ坊様―ッ」
 追いかけ追いかけ、チビくんは必死になって傘を利イ坊さまにさし出した。何がおかしいのか、利イ坊さまは戸田さんと肩と肩を頬と頬をおしつけ合ってキャッキャッ笑いながらなおもドンドン面白い事でもしている様に歩いて行く。―
 電車通りをすぎて、角の薬屋さんも曲って二人は行く!角で戸田さんが別れて行って了えば、傘をさしてくれるだろう、と云う淡いのぞみも消えて、チビくんは泣き出しそうになった。
 傘をもって行って、その傘をささないで帰らせた、と云う事がわかったら、奥さまはどんな顔をなさるだろう!それを思うと恐ろしいやら、悲しいやらで、チビくんは足がすくむ様になった。熱い涙がかじかんだ真赤な手の甲にポトポトと垂れた。
「オイ、チビくん、だろ?傘ありがと。―どうしたンだイ?」
 いつの間にか、後から大股で歩いてきた修三さまがのぞきこむ様に云った。チビくんは黙って片手にもった利イ坊さまの傘をさし出して、半丁ばかり先を走る様にしてゆく利イ坊さまの後姿を涙にぬれた眼で見た。
 修三さまは、だまって傘をうけとると、そのままグングンと大股で利イ坊さまの方へ歩いて行った。
「利恵子ッ!」
 突然、しかも怒気をふんだ修三さまの声に、利イ坊さまはギクッとしてふりかえった。
「又、いじめたナー」
 物凄い修三さまのけんまくに、利イ坊さまはだまって目を伏せて了った。こう云う時の修三兄さまの怖さはよく知っている。どんなヤンチャもイタズラも笑っている兄さまだけれど、勝手な意地悪な我ままだけは決して許さない兄さまだ。
 戸田さんは、二人の危い雲行きを見ると、
「じゃア、さよオなら―」と、電車路の方へ引きかえして行って了った。
「あやまるんだ。そして、お礼を云って、この傘をさして帰るんだ」
 どうなることか、と心配しながらオドオドと近寄って来たチビくんの前に、修三さまは利イ坊さまのベレエ帽のあたまをおしつけて、ピョコンとお辞儀をさせた。
 ワッと、泣声があがった。利イ坊さまも泣きだした。そして、チビくんも泣き出した。





  3

 ミゾレの日のことがあってから、チビくんは今までよりももっともっと修三さまが好きになった。利イ坊さまとは仲よくしようと思っても、利イ坊さまの方でよせつけないのであった。
 修三さまが、病気になった。丁度、暮の忙しい時で、その上おまけに奥さまの年寄ったお母さまが急病で、奥さまはとるものもとりあえず至急お国へお帰りになった。
 その夜は、みんな心配と不安と淋しさで、気ぬけした様だった。修三さまは明日一日でおしまいになる試験の勉強をするために、二階のお部屋に引きこもったきりだった。利イ坊さまも静かに本を読んでいたが早く寝て了った。お母さまにも兄さまにもはなれて、一人ションボリ勉強部屋へ寝に行く姿を見た時、チビくんはたまらない同情を感じた。
 ―夜中だった。本当はまだ十一時前だったのだが、一寝入したチビくんにはそう思えた
「初子さん、すみませんけどね、お医者さまへ行って来て下さいナ」
 お手伝いさんのみねやがあわただしくチビくんをゆり起した。修三さまが急にお腹が痛くて大変だ、と云うのである。金盥(かなだらい)をもってったり、水枕を探したり、みねやは大変だった。
 寒いのもねむいのも忘れて、チビくんは、真暗な路をお医者さまにかけつけた。お医者さまは寝ていて中々起きてくれなかった。寝巻の上に羽織を来た丈(だけ)のチビくんは、ガタガタふるえた。しかし、歯をくいしばりながら何度も何度も戸を叩いて、声をかけた。
 お医者さまがいらして診察なさる間、チビくんは眼(ま)ばたきもしないでジッと、修三さまの顔とお医者さまの顔を見くらべていた。
 修三さまの病気は軽い胃ケイレンだった。あんまり勉強がすぎて、消化力の方がお留守になって了って、故障が起きたのだった。
「お母さまの留守に、主人役が病気になっては駄目じゃないか」
 年とったお医者さまは、蒼い顔をして寝ている修三さまを、元気をだす様にこう云って笑った。お医者様が笑っていらっしゃる様なら、修三さまの病気も大した事はない、…とチビくんはホッとした。気がつくと、何時の間に起きて来たのか、これも白いネルの寝巻の上に羽織をひっかけたまンまの利イ坊さまがピッタリとよりそって、同じ様に心配相に修三さまを見つめて居るのだった。
「もう大丈夫だヨ。みんな寝ておくれヨ」
 元気そうに修三さまは云った。
 心配なオドオドした顔をしているチビさん達、そんな恰好でいつまでも起きていると、風邪を引くぞ、それこそ大変じゃないか!―それでも利イ坊さまもチビくんも動かなかった。利イ坊さまはブルブルふるえて居る。それがハッキリよりそわれて居るチビくんの身体に、つたわって来る。―
「よオお寝(やす)みヨ、いいんだヨ、もう―」
 だまぁって利イ坊は立上がった。お兄さまに怒られるのが怖さに、しかし、襖にピッタリとくっついたまま動かない。
「どうしたんだイ?―オイ、みねや、利恵子をねかしておくれヨ、きっと先生寝呆けてるんだよ―」
 修三さまのフトンの足許へユタンポを入れて居たみねやが、利イ坊を抱く様にして部屋を出て行った。
「チビくん、いいよ、寝たまえ。みねやがここで寝てくれるから…」
 チョコンと枕元に坐っているチビくんを見て又修三さまは(少し厄介だなア、子供ってもンは、中々ねないで、と云う気持で)云った。
 チビくんは一晩中、修三さまの枕元でお世話がしたかったけれど、そう云われてスゴスゴとお部屋を出た。お廊下の角で、利イ坊さまをねかしつけて来たらしいみねやに逢った。
 勉強部屋の前―かすかな泣き声、チビくんははつと立止った。
 利イ坊さまが泣いている!さっきあんなにグズグズしていたのは、ねぼけたんじゃなくて、一人で寝るのがさびしかったのだ。
 チビくんも、つと考えた。みねやが修三さまの御部屋に寝に行って了ったら、チビくんもたった一人だ、広いお茶の間にたった一人!

 翌朝(あくるあさ)―
 あんなにひどかった胃ケイレンもそのまま夢の様に直って、サッパリした気持で、洗面場に立った修三さまは、みねやによびとめられた。
「―フトンは残っていて、姿がないんでございましょ、あたし、びっくりしましたワ。初子さんたら、マア、利イ坊さまンとこへ―」
 修三さまは、勉強部屋の障子をあけて、中をソッとのぞいて見た。
 そこには、赤いメリンスのおフトンをかけて、利イ坊さまとチビくんがシッカリと抱(いだ)き合って、スヤスヤと寝て居るのだった。
「いい子だナ―、チビくんは―」
 修三さまは、何だか自分まで嬉しくなって二人の幼い少女の安らかな寝顔を、シミジミと、もう一度眺めた。



 帰れテリイ

  1



 テリイが仔犬を生んだのはクリスマスの頃だった。
 いつもお台所の戸をガラガラとあけると、待ちかまえていたようにうれしそうに、ワンワン吠えながら足許へすりよって来るテリイの姿が見えないので、チビくんはオヤと思った。
 その朝は霜のひどい、日もよく晴れたとても気持のいいお天気だった。
 いつもの様に裏庭へ出て、深呼吸をした。
 これは修三さまの御仕込みである。清々しい朝の空気の中での深呼吸は、三十分のラジオ体操に数倍マサれり、スベカラく汝深呼吸をせよ、と云うのが修三さまの主義である。
「それに背ものびるよ、きっと。身体も丈夫になるし、背ものびるし、君、すばらしいじゃないか!」
 背がのびる、その言葉がチビくんを深呼吸党にした。毎朝毎朝一生懸命にノビ上る様に深呼吸をする、チビくんの楽しい希望である。
 ドウゾ、背がのびます様に!今朝もまたそのおイノリと共に深呼吸をすます。でもテリイはまだ来ない。いつもなら足へまつわりついて深呼吸の邪魔になるぐらいだのに!
 どうしたんだろう?チビくんは真白に降りた霜をサクサクとふみながら、テリイの小屋へ行った。
 テリイは小屋の中に居る。茶と白とブチの背中が入口から見える。
「テリイ!」
 いつもならとんで出て来るのに、今朝は一体どうしたんだろう、とんで出て来るどころかワンともクンとも云わない。
 小屋の前にしゃがんで、のぞきこむと、
「ウウ―」
 テリイはうなるのだ。仲よしの大好きのチビくんが来たと云うのに!
 見ると、背中を丸くして顔だけこっちへねじむけて、うす暗い小屋の中で、まるで何か怖しいものでも来た時の様に、怒った顔に、「ウウー」と、又、うなる。
「オイ、チビくん、台所でみねやが呼んでるよ」
 手拭を首にまきつけて歯ブラシをくわえた修三さまが、いつの間にかチビくんの後に立っていらした。その声を聞くとテリイは、又一きわ高い声で、イヨイヨ危険がせまった、とでも云い相(そう)な声でウウウ、とうなった。
「アレ、どうしたイ、テリ公!」
 修三さまはしゃがんでのぞきこんだ。しゃがんでのぞきこんだ。
「ヤア、こどもを生んだア!」
 トン狂な修三さまの声に、チビくんはハッとして、あわてて又のぞきこんだ。
 なる程、テリイは仔犬(こども)を生んだのだった。
 気がつかなかったあっち向きのテリイのお腹のあたりに、白や茶の小さい塊がモゴモゴとうごいて居た。道理で、今朝はテリイがお台所へ来なかった筈だ。
「一匹、二匹、ヤ三匹だ」
 修三さまは手をつっこんで仔犬をコロコロとうごかした。
「ウーワンッ」テリイは必死に吠えたてて、その手にかみついた。
「ア痛てて、チェッ、物凄えな、テリ公奴(め)!急に母性愛を発揮しやがんなア」かまれた手を二三度ふりまわして、手拭でゴシゴシ拭いた。
「アレッ血が出てきやがった、ウワーイ、メンソラだ、メンソラだ!」
 チビくんはあわてて、お台所へとんで行って棚の上のメンソラをもって帰って来た。
「どうしたの?奥さまと利イ坊さまと、何事か、と云う顔つきで裏庭へ出ていらした。
「テリイが子どもを生んだんだよ。出してみようと思ったら、いきなりワンとかみつきやがんのさ」
 修三さまはいかにも口惜しそうである。
「見たいわ、お兄さま出してみせてよ」
 利イ坊さまはお鼻を鳴らした。
「よせやい、二度も三度もかみつかれてたまるかい。君やってみたまえよ、君なら大丈夫かも知れない。僕、ふだんいじめてばっかり居るからな―」
 利イ坊さまはしゃがんで恐る恐る手を出した。
 ウ、ウ、テリイはうなる。ビックリして利イ坊さまはとび上った。
「およしなさい、今はだめよ、テリイの気が立っていますからね」
「何故気がたつんだい?」
 修三さまは奥さまの顔を見た。
「何故でも、気が立っているんですよ。子どもをとって行かれると思ってね」
「とって行くつもりじゃないンだがナ、一寸見るだけなんだがなアー」
「ホホ、そんなこと、テリイにわかるもんですか」奥さまは、口をとんがらかしてかまれた手の甲をさすっている修三さまを見て笑った。
「とに角、怪しからん、人間様の真情をゴカイして、コトワリもなしにイキナリかみつくとは、オイ、テリイ、覚えて居れよ、このウラミは必ずかえすからナ」
 修三さまは肩をそびやかしてザクザクと霜の道を大股で台所へ行って了った。学校では柔道剣道拳闘と、その道の豪傑と云われているのに、たかが小ッぽけなフォクステリアのテリイにイキナリ不意打ちをうけて、ムネンの負傷をしたのが、大変お気にさわったらしいのである。それと云うのも、テリイが今まであんまり修三さまにおイタばかりしていた罰かも知れない。裏庭に干しておいた修三さまのゲートルを泥ンコにしたり、竹刀の柄糸(えいと)をかじったり、靴を汚したり…修三さまは、そう云う点ではテリイを目の仇の様にしていたのだから、今度と云う今度は、ガゼン、怒って了ったのもムリもない―。


  2

「お母さま、明日、松平さんと戸田さんが犬をもらいにいらっしゃるんですって」
「そう、どれをあげるの?」
「もち論、パールをぬかしたあとの二匹よ、パールはいくらお仲よしの戸田さんにだって差上げられないわ」
 お正月の楽しいお休みもすんで、学校がはじまったばかりの日、お夕飯の時に、利イ坊さまがテリイの仔犬の事をもち出した。
 テリイが生んだ三匹は、一匹は羊の子の様に真白なの、あとは丸で反対に真黒なのが二匹である。
 利イ坊さまは羊の子の様に真白なのが大のお気に入りで、早速ならいたてのホヤホヤの「真珠(パール)」と云う名をつけた。
「オイ、一寸待てよ、あとの二匹って云うとクロ助とクロ兵衛かい、御冗談でしょ、クロ助の方は、僕の組の加藤にやる約束になってるんだぜ」
「アラ、ずるいわ、お兄さま、そんなお約束、勝手にして」
「勝手なもンかよ、君こそ勝手じゃないか、二匹とも約束して来るなんて」
「だって、テリイは、あたしの犬よ」
 利イ坊さまはベソをかきながら云う。なる程そう云われると修三さまはグッとつかえた。
 テリイは、アメリカへいらしたお父さまが、お友達の所から利イ坊さまのために、もらっていらっしたのである。
「キ、君の犬にしたって、僕のものをメチャクチャにするじゃないか」
 とんでもない所へリクツをもって行った。
「イタズラの事なんかあたしが知った事じゃないわ」
「だからさ、たとえ君の犬にしたところで、損害は僕の方がひどいんだから、だから、―」
「もういいじゃないの、又喧嘩になりますよ」
 おつゆをお椀に盛りながら、奥さまは一寸たしなめるようにおっしゃった。先刻(さっき)から奥さまの横で御飯をよそいながら、チビくんも二人の口争いをハラハラしてきいて居た。
「だから、一匹位、こっちの勝手にしたっていいわけだ、って云うんだよ」
「そんなわけないわ」
「あるよ、損害賠償だ、立派なもんだ」
「ホホ、修三さんの理くつは随分立派なえ、よござんすよ、一匹位、ねえ、お兄さんのお友達にもあげるでしょう」
 奥さまはやさしく利イ坊さまにおっしゃった。
「だって、あたし、困るわ、だって、戸田さんにはもうズッと前からお約束したンだし、松平さんはテリイが赤ン坊の時からほしがってらしたのを、テリイが仔をうんだらそれをあげるって、お約束しといたんですもの」
「何も家のテリイばっかりが犬じゃないよ、何だってそうテリイばっかりねらうんだ」
 修三さまは大きな口をあいてロールキャベツをアグリとほほばり乍ら、モグモグと憎まれ口をきく。
 本当にそうだ、とチビくんも思う。戸田さんにしても松平さんにしてもどっか他のところからお貰いになればいいのに!…と。あんな我ままなお嬢さんの家へもらわれて行っては、クロ助もクロ兵衛も可哀想だわ―と思う。
「明日、戸田さんと松平さんがいらしたらそう云って、どっちかにクロ兵衛ちゃんをおあげなさいナ、ね」―奥さまは慰め顔にこうおっしゃった。
「どうしても二人ともほしいッてば、パールをやるんだ、そしたら丁度みんな片付いていいじゃないか!」
「いやよ、パール、やるもんですか。パールやる位ならテリイをやっちゃうわ」
 利イ坊さまはおハシを降して、本格的の喧嘩の態度である。
「何、テリイをやる?―ワア、面白いや、やれるもんならやって見ろ。僕はセイセイするよ、あんなイタズラ犬の物騒なヤツ、居ない方がサッパリしらア」
 チビくんはびっくりして修三さまの顔を見上げた。テリイをやっちゃう、セイセイする、チビくんにとってはマサに青天のヘキレキである。いくら喧嘩のなり行き上とは云え、修三さまの言葉は、チビくんには例え様もない悲しさをドカンと叩きつけた。
「マアマア、喧嘩はおやめなさい、御飯がこなれませんよ」
 奥さまは困ったと云う様な顔をなすった。
 御飯がすむと、修三さまは、傍にある夕刊をもつと、ドタンバタンと足音高く二階の勉強室へ上って行って了った。利イ坊さまは怒った様な顔をして、奥さまの傍で手工をやりはじめた。
 お台所でみねやと片づけ物をしながら、チビくんの心は、テリイの事で一杯だった。
 テリイ、テリイ!いたずら犬で元気なテリイ!随分困ったおイタをやってチビくんをいじめた事もある。チビくんも憎らしくて蹴っとばしたり叩いたりした事もある。
 生れた仔犬も小さくて可愛いけれど、チビくんはやっぱりテリイが好きだ。
「ねえ、もしテリイが貰われて行くと、子どもが困るでしょう」とチビくんはお茶碗を拭いているみねやにきいた。
「大丈夫よ、だってテリイが居なくなっても、仔犬がもらわれて行っても、同じわけじゃないの…女犬はうるさいのよ、仔犬を生んで。これから又テリイが生みはじめるとそりゃおしまいに困っちゃうでしょうよ」
 みねやまでテリイの居なくなるのを喜んで居る様な口ぶりである。チビくんはガッカリして了った。
 翌朝(あくるあさ)、家を出る時に、修三さまは家中ひびきわたる様な大声で、
「いいか、クロ助は加藤のとこへやるんだよ、もう売約済みなんだからな。今日帰りに加藤を連れて来る、いいだろうね、シカと申し残すぞ」
 利イ坊さまはプンプンとしてすまして御飯をたべていた。奥さまが笑いながら答えた。
「ええ、よござんすよ、そんな事いつまでも云ってないで早く学校へいらっしゃい。何ですね、大きななりをして。中学生じゃありませんか、小学校の子と一緒になりませんよ」
「そうです、全く、中学生と小学生は一緒になりません。ダン然中学生の方が権利があるんです。いいか、利恵子、君は小学生だ、中学生の僕とは一緒にならんぞ、―行って来まあす―」修三さまは意気揚々と学校へ行って了った。
「あの、テリイ、やっちゃうんですか?」
 お昼御飯の時、ソッとチビくんは奥さまにうかがって見た。
「さア、そんな事云ってましたね。もし戸田さん達がもらって行って下されば、連れてっていただく方がいいじゃないの、これから度々子供が生れて、その度にお嫁入り口の事でさわいでたんじゃたまらないものね、―それにお嫁入り口だけの心配ならまだいいけど、ウッカリ死なれたら、可哀想だしね」
 奥さまもみねやと同じ様な事をおっしゃる。
「それにパールは男だし、あれをおいとけば利イ坊の気もすむし…」
 奥さまの後の言葉をきき乍らチビくんは、ポトリ、と、お膳のふちに涙を落した。

  3

「こちらよ、こちらへお廻りになって」
 利イ坊さまの声につづいて、ランドセルを背負った戸田さんと松平さんが、各々(おのおの)お供のお手伝いさんをしたがえて裏庭へあらわれた。
「ホラ、これがパールwよ、すてきでショ」
 柿の木の根元で日向ぼっこをしているパールを抱きあげて、利イ坊さまはおトクイである。
「じゃあたくし、テリイいただくわ、私もとッからテリイ大好きなの、あの茶と白のブチが、もう先ジステンパーで死んだアリスにソックリなんですもの」
 松平さんは、学校でもうお約束ずみと見えて、はじめっからテリイを連れて行くつもりである。
「あたくし、これ、ね」
 戸田さんはクロ兵衛を抱っこしている。
「ええ、そうヨ。クロ助はね、ホラ、さっき学校で申しあげたでショ、お兄さまの方へあげるの…」
「一寸でいいからそれも見せて下さらない?」
「ええ、御らんになるだけならいいわ、きっとテリイの小屋の中に居るのよ」
 利イ坊さまと戸田さんは犬小屋をのぞいて、「テリイ!」「クロベエちゃん!」と呼んだ。
 しかし、小屋の中はカラッポだった。
「みねや、テリイとクロベエちゃんは?」
 利イ坊さまの甲高い声が台所へ走った。
「さあ、―クロい方はさき程、お兄さまとお友達が連れて原っぱの方へいらっしゃいましたけれど…」
「変ね、テリイ、一寸も子どもの傍はなれないんだけど…」
「チビくんは?」
「お昼御飯がすむと、栄屋(さかえや)へ買物に行ったんですけど、どうしたんですか、まだ帰りませんのよ」
「マア、いやだ、あの子が居るとテリイの居所も大ていわかるんだけど…」
「テリイ、尾いてったんじゃなくて?」
 戸田さんが云った。
「そうだわ、きっと。マア憎らしい!丸で自分の犬みたいに思ってるのよ、―いいわ、帰って来たらすぐひったくってやりましょうねえ」
 イジワルさん達は、お縁側で今か今かと、チビくんの帰りを待って居た。
 デパート栄屋のエレヴェーター係の小父さんは、先刻(さっき)から一人の女の子に目をとめて居た。
 その子は赤いメリンスの羽織を着た小さな子だった。一等はじめチョコチョコと小父さんの前へ来て「お砂糖ツボは何階ですか?」ときいた。「五階ですよ」と答えると、丁度停まったエレヴェーターへトコトコかけこんだ。つづいて何か白と茶色のものがエレヴェーターに走りこんだので、見ると、それは小さなテリア種の犬だった。
 空いて居たのでエレヴェーターは女の子と犬をのせてスッと上へ昇って行った。
「今の女の子、犬と五階へ降りたわ」エレヴェーターガールは降りて来ると、ニコニコして小父さんにそう報告した。
 それから一時間ばかりの間に、その女の子は三度も四度もエレヴェーターで降りたり昇ったりした。段々人が混んで来るので、女の子は犬をだき上げた。犬はエレヴェーターが動くたびにピョンピョンはねたり、クンクン鳴いたりした。段々スシ詰めになって来て、小さな女の子はどこの居るか存在がわからなくなった。所が前の人の背中で圧(お)されて苦しまぎれに抱かれた犬が、ワン、ワンと大きな声で吠えた。皆はびっくりし、一様にふりむいた。そして同じ様にほほえみを浮べた。
「お嬢ちゃん、ほんとはエレヴェーターの中へ犬はのせてあげられないンですけどね」七度目にその女の子が降りて来た時、小父さんはニコニコしながら云った。
「ごめんなさい」女の子は恥しそうな顔をしてあやまった。
 そして出て行くのか、と思うと、今度はやはり犬を抱いたまま、トコトコ階段を昇って行った。
「さっきのチビくんね、あの子、もう帰ったかと思ったら、屋上公園に居たの、犬とあそんでたわ。―お使いに来たんなら早く帰んなきゃだめよ、と云ったら、帰ると大変だととても心配相な顔して云うの、何でしょう…」
 交代で屋上公園へいい空気を吸いに云ったエレヴェーターガールが、又降りて来て、小父さんにそう云った。
「さア、大方、家でおいとかないって云う犬でも可愛がってるんだろう…」
 二人は顔を見合わせてほほえんだ。


  4

「ア、帰って来たワ、今ごろ。何してたのヨオッ?」
 真暗になってからヤッと帰って来たチビくんを見るなり、お玄関で、利イ坊さまはカンカンになって唇とトンガラかした。黙ってうなだれたまンま、チビくんは足許で無心にクンクンと鼻を鳴らしているテリイの頭をシッカリと抱きこんだ。
「あんたがいくらやりたくなくったってダメよ。テリイはあたしの犬ですからね」なおも云おうとするのをさえぎって奥さまは優しく、
「テリイをやるのがいやで、道草してたの?今迄どこにいたんです、栄屋?」
 チビくんはコックリした。眼には今にもハラリとこぼれ相にいっぱいの涙が!
(いじらしい子!)奥さまは何かしら胸にグッとこみあげて来るのを感じながら、
「でもネ、折角利恵子松平さんに差上げるってお約束をしたんですからね…。私も何だか可哀想な気がするけど…」
「サ、早くッ、連れてって来て頂戴。松平さんとても怒っておかえりになったわヨッ」
 でも―チビくんは一層シッカリとテリイを、どうしてもはなすまいとする様に抱きしめるのだった。
「ヨシ、僕が連れてってやる。オイ、チビくん、あきらめろヨ。何だ、こんな犬…。オイ、テリイ、来いッ!」
 先刻(さっき)からお玄関の障子の蔭に立っていた修三さまはマントをひっかけて、ワザと威勢よさ相に外へでた。
「テリイ、来いッ、こっちだ!」
 無心のテリイは何も知らずにか、チビくんのふところをすり出て、修三さまのあとへ―
 段々、修三さまの声とテリイの吠える声が遠くへ行く―それをきいている中に、チビくんはたまらなくなって、ワッと泣き伏して了った。利イ坊さまはそれを見ると自分もベソをかき相になった。利イ坊さまの顔を見乍ら奥さまは(やっぱり、テリイを可愛いにちがいない、この子は後悔してるのだ)とお思いになった。
「ヤレヤレ、大変なのさ、僕が門を出て来るとチャンと先まわりして待ってんのさ。とうとうお手伝いさんと書生がヒモで結えちゃってね。やっととんで帰って来たんだよ」修三さまは、帰って来るなりこう云って、フウッと呼吸(いき)をついた。
「帰って来るかも知れないわね」
 利イ坊さまが小さな声で云った。
「ウン」修三さまは一寸暗い顔でうなずいた。
「だって迚(とて)も家に長く居たんですものね」
「何だ、テリイをやった事後悔してんのか?」
 修三さまは勢よく立上った。
「帰って来たら、又連れてくさ。それでも又帰って来たら…」ガサガサガサ、バタバタ、お縁側で大きな音がした。ハッとして修三さまは障子の方へ行った。それより早く、次の茶の間からチビくんがバタバタととび出して来て、障子をあけた。
 テリイだ!手水鉢のところだけ一尺程あけてある雨戸の間から上ったと見え、廊下を泥足だらけにして、開いた障子の間からとびこんで来て、チビくんの懐中へマリの様にとびかかった。引きちぎって来たらしく、二三尺の長さの泥だらけのヒモが、首から垂れて、畳の上に引きずられた。
「テリイ!」
 みんなが、一斉にテリイのところへとんで来た。
「やっぱし、帰ってきたわ」
 勝った者の様に、チビくんは眼をきらきらさせながら叫んだ。 

コラム2 (少女の友 昭和9年)

2011年09月20日 | コラム類
御存じですか                             
       少女の友 よみもの 昭和9年6月号

バラを蕾のまゝ長く保(も)たせる法(はふ)



 いよいよ花のシーズンになりました。中でもバラは皆さんから可愛がられる花ですが、何しろ盛りが短いので、知らない間にバラバラと花瓣(くわべん)が散ってしまひます。
 バラは半開の蕾の時が一ばんいゝですネ。どうしたらつぼみの時期を長くたのしめるか面白い工夫がありますからお試みになつてごらんなさい。
 花屋さんからお求めになる時、或はお庭からお切りになる時、なるべく六部咲き位の蕾をえらんで水揚は普通にし花瓶に合せて切り、その切り口を五分ほど焼いておきます。それは従来と何の變りもありませんが、お庭の垣根などをさがせば必ずクモの巣が二つや三つは見つかります。クモの巣は無色で細いものですからこの絲をそつとつまんで、つぼみにクルクルとからませます。外観を少しも損しないで丁度いいつぼみのまゝで最後まで樂しめます。

牛乳はかうして召上れ

お腹が空いてゐるからといつて、一氣にぐつと飲み下すのはよくありません。空腹時(くうふくどき)は胃の中にたまつてゐる鹽酸(ゑんさん)のために凝結物(こけつぶつ)を作りますから、消化程度を悪くします。で少しずゝゆつくり召し上るのがよろしいが、ビスケツトやパンなどを浸(し)めして一緒にのむ方が胃のために具合がよろしい。
 これからは苺が澤三出ますから、苺にかけて召上る方が多いやうですが、苺の酸のために凝固しますから、ほんたうは感心しません。
 又牛乳を温めると上に薄い幕様のものが出来ますが、これは脂肪分で滋養が多いものですから取り出して捨てたりしないで召し上がれ。

小豆の煮方

 小豆はなかなか煮るのに時間がかゝるものですが、大根の尻尾を一寸位切つて入れて一緒に煮ますと、役半分位の時間でやはらかく煮上がります。尚昔から小豆には、馬鹿水と云ふやうに、煮立てば少しづゝ水を幾度も差しますが、はじめからどつさり水を入れて煮るよりも、ちよいちよいと水を差す方が早く柔かになるから不思議です。

眼にゴミの入つた時

 道を歩いてゐる時、風で、よく眼の中にゴミが入ることがあります。又汽車の煙の中に混つてゐる灰がらのやうな小さなものが入つて困ることがあります。こんな時には、決して、ヒドク擦つてはなりません。ゴミや、石灰の粉や、砂、小蟲(こむし)などは、眼に入つても、しばらく閉ぢて、じつとしてゐますと、自然に泪が出て来て、眼頭の方へ流れ寄りますから、その時、ソツとハンカチの端でとりのぞきます。又なかなかとれさうにない時は、瞼の上に薄荷水(はつかすゐ)を少しぬつてごらんなさい。泪がポロンポロンと出ますから流れ出します。又はつか水のない時は、冷水の中へ眼を伏せてパチパチと開いて洗ひ去る方法もあります。
 焼けた小鐡片(せうてつぺん)や溶けた鉛、マツチの燐などが入つて眼球に焼きついたのは、冷水で濕した手拭がハンカチ等で抑へて痛みを和らげ乍ら眼科醫へ行きます。もしも、酸類とかアルカリなどのやうな強い腐蝕の薬品などの飛び込んだりした場合は、手早く澤三の冷水で何度も何度も洗つて早速お醫者さんへとんで行きます。入つた直ぐにどんどん水で洗はないと、他の部分まで悪くなつたりする事があります。

香水(かうすゐ)の見分け方

 香水はおしやれの人が使ふものと考へてゐる方がまだあるかもしれませんが、必ずしもさうではありません。あまり毒々しい下品な香(かをり)をさせるのは返つてよくありませんが、これから夏向きになつて汗などのいやな體臭(たいしう)を遠慮なく發散させるのは身だしなみのない方です。よい香水を、ほんの少し、ハンカチや下着などに、かすかに、つけておくのは大變感じのいゝものです。香りはお好みによつて異りませうが、必ず、新鮮な、丸味のある薫(かほり)のものがよいのです。天然の花の香(にほひ)に近いものをお選び下さい。
 香水瓶の蓋をとつて、手の肌にこすつて、アルコールを蒸發させ、その後に残つた香をかひで見て、ツーンと鼻をつくのはいけません。丸味のある上品な香りを残すのがよろしい。又香水は渇いても褐色にしみの付くのは定着剤(香を長く保せるための薬品)が多過ぎるので、あまりいゝ香水とはいはれません。

読者文芸 (少女の友 昭和13年)

2011年09月20日 | コラム類
少女の友 読者文芸 昭和13年 3月号



    少女の友記念時計贈呈    埼玉 幽菫
 少女の友昭和十三年第三號の記念時計を、幽菫(かすみすみれ)さんに贈呈致します。幽さんは主に詩壇に活躍され、毎號そのけんらんな詩才は美しい珠玉を以て詩壇を飾り數多き友だちの憧憬の的となつてゐられました。優れた詩才はむしろ最近老成の形にまで近づかうとしてゐましたが、今此處で早く形を作ることなく一層御精進の上大成の日あることを切に期待申上げます。
 今此處に多年の功成つたことをお祝ひ申し上げる共に此のお室(へや)のお一人として一層お輝きなさいませ。

    よろこび   京都 野原あき子
 こんなに素晴らしいクリスマスプレゼント。先生。本當に有りがたう存じました。嬉しくて嬉しくてたまりません。たゞそれだけ。遠いあこがれのお部屋、などと思ふよりも寧ろ無関心でなければいけないやうな私でしたのに―。
 十四の夏に初て、九鬼洋子の名で、
  名も知らぬ私の好きな白い花に
  蝶がとまつたので嬉しくなつた
 と言ふ幼い…でも、今の私にとつてはもう忘れることが出来ないものが賞に入つてから、友ちやんの訪れとお投書することが月々の大きな喜びでございました。不才な子は先生や皆様にあたゝかく見守られてやつとこゝまで参りました。来月から何にもお投書出来なくなつて寂しいと思ふのは贅澤ですね。お姉さまたち、よろしく。あき子、まだあんまりお姉さまぶれませんので、これからどんなことを書かうかしら、と心配でうれしくて胸がふるへてをります。

     無題     東京 若松不二子
 毎日私は思つてゐる、色々な事を。「考へて何も得られないで疲れるより、むしろ何も考へない方(はう)がよい」こんな文句を何處かで見たと思ふ。それなのに私は考へては頭を前より一層混亂させてやめようともしない。
 内山先生の「行くものをして行かしめよ」のお言葉、今の私にはとても嬉しいもので御座いました。
 どん底のルイジューヴェ 還俗(げんぞく)したお坊さんの様に思はれて仕方がありませんでした。第一印象つて恐ろしいものですわね。一番好き、と言ふには高過ぎる様にも思ひますけど好きですの。ボアイエは二番目でございます。

    病み臥りつゝ  兵庫 銀河
 臥(こや)りつゝ本読む手先冷え来れば渡河(とが)につめたきクリークをおもふ
 いくさ思はせ近づきて来る爆音にこゝろ襲はれ本読みさしぬ
 重々と空揺すり来る爆音に読み聞きしかずかずの犠牲(いけにへ)おもほゆ
 たゝかひのひまに秋草摘みあそび寫眞を見つゝ涙堪へかぬ
 咲きさかる菊に埋れてつはものゝうつれる姿静かなるかな
 臥りつゝ音のみ聞きて夜空に咲く祝勝の花火胸にゑがけり
 祝勝の提灯行列通るなり病臥(べつと)を下りてこよひ我が見つ
 提灯の列は明々(あかあか)と流れ行きぬ 去り惜しみつつ窓を離るゝ
 城まさみ様青柳レイ様昨年はお見舞ひ有難うございました。遅くなりましたが心から御礼申上げます。久美みちこ様星影さやか様どうぞ御返事の御心配なく、それよりもお體をお大事に。緋臘珠(ひらふじゆ)様誰方(どなた)かしら、前から美しいお名と思つてをりましたの。お尋ねの事は先生のお答へのとほりです。野原あき子様お祝ひ申上げます。一層お輝き下さいませ。

    春を迎へて    兵庫 松井敏美
 つとむれど歌にならざり我が想ひ春はくれども冬枯るゝ心はも
 うつせみはすこやかにして春迎ふれど心になほも木枯狂ふ
 逝きし日の夢想はんと久々に提琴(ていきん)にふれし今宵うれしき
 〝白菊″静かな御作、大好きでございました。千草様では?
 月江様、御元氣の御様子で嬉しうございました。貴女より年だけはずつとずつと大きいんですけれど何にも出来ませぬ私、御一緒に御勉強させて頂ければと願つて居ります。いつぞや内地へお歸りの節、お會ひし度(た)うございましたが―。

    幾何    東京都 城まさみ
 息をついてもゆるがない光。そのやうに、冴えた月の夜、無性に幾何を解きたいと思つた。星が流れると、銀色の直線が残る。幾何の感覚であつた。だが、私の教科書は、本棚の奥で、灰色にほこりをかぶつてゐた。
 私は悲しく、咽喉のつまるせつなさで、うす汚れたその表紙を、胸にいだくのであつた。
 内山先生、樂しい友ちやん會有難うございました。昔から尊敬してました蘭青たゑ様や白妙様六條様もお見えになつて嬉しく思ひました。渚の灯(ひ)様、ゆつくりお話がしたかつたのですけれど。北祥子様、再びお目にかゝれました事を喜びます。お氣が向く様になりましたら是非御作お見せ下さいませ。澄玲(すみれい)様、誌上で葦原さんの御話、お待ちしてます。武村美子様、堀川英子様、お友達になれまして嬉しく。では皆様御元氣で。御機嫌よう。

    旅の憶ひ出   兵庫 銀月苑子
 懐かしい筑紫の旅を思ひ出すこの頃。
 雲仙の絹笠山の頂上に足をなげて有明の海に見入ったひととき青草の緑がやはらかな線をゑがいて…こんもりと茂つた木(こ)の間(ま)から白い湯煙が六月の空にとけていつた雲仙国立公園、夕(ゆふべ)はホテルの窓邊からピアノがもれてゐる道を静かに去つた外人の姿をふりかへりつゝ山の道をあるいたものだ。切支丹の匂ひ懐かしい島原の湊(みなと)のさびれた景色が侘びしくも明るい胸に残つてゐる。
 次の日の熊本は雨でも雨にけぶつた熊本の町も好きだつた。ひこさんだんごと云ふ大きな字が何故か忘れられぬ、そして私達のバスを受けもつて案内して下さつた人が途中の博多の町のお人形とそつくりの美しい人だつた。綺麗だつたあの聲(こゑ)を今でもまねて見る私だ。しつとりと雨にぬれてゐた熊本の町を訪れる日がまたあるだらうかとおもふ。

ただ見る ささきふさ (昭和5年)

2011年09月20日 | 著作権切れ昭和小説
ただ見る ささきふさ (昭和5年『モダンTOKIO円舞曲』)




  蛾

 真昼の舗道で、私は、珍しく夫君と伴れ立った麻子夫人に行き合った。スポーツマンの時雄さんは、がっちりとした、見上げるような肩の辺に、二歳ばかりの女児の妙に深酷な顔を上下させていた。
「いつの間に?―」
 私は妙に深酷な女児の顔を見、それから夫妻の顔を代るがわるに見ていった。
「どちらに似てて?」
「そうね、どちらにも、―」
 似ていないといいかけてから私は、いうのではなかったと思った。影に似たものが、夫妻の顔を同時に掠め過ぎたからだ。すると私は急に、忘れていた一つのゴシップを思い出した。―麻子夫人は時雄さんとよりは、道家というダンス青年と踊ることの方が多い。」
 彼等とあっさり別れてしまってから、私は十九歳の、よくノートを借りに来た時代の彼女を思い浮べていた。彼女はその頃が肺病の第一期だったらしく、小麦肌なのだが不思議に澄んだ頬に、いつもぽっと美しい血を漲らせていた。女の美しさを私に最初に教えてくれたのは彼女だった。彼女は間もなく病気のために学校を退いた。それから「運動の為に」ダンスを習い出した。次いで「退屈をまぎらす為に」新聞社に入った。そしてスポーツマンの時雄さんと結婚した。だが二三年の間に、いつの間にか母となった今日の彼女の肌は、見違えるように蒼黒く濁っていた。私は整った顔立の彼女の何処からも、もう女の美しさを感じることが出来なかった。
 ―肺病は女を美しくし、それから醜くするものなのかな。それとも生活が、―私は私自身聊(いささ)か憂鬱だった。

 盥のお湯のぼちゃぼちゃの際に、
「お留守?」と張り上げた女の声が聞えた。庭先から呼んでいるらしい。私も湯殿の中で声を張り上げた。
「何誰(どなた)?」
「あたし。」
「麻子さん?」
「え、―」
「お珍しいのね。」
 私はもう一度声を張り上げて女中を呼んだ。
 手早く体を拭うて出て行くと、麻子はまだ庭先に立っていた。
「なぜお上りにならなかったの?」
「でも、―」
「お伴れがあるのじゃない?」
 彼女はもじもじとした。私は直ぐ女中さんに道家さんをお迎えして来いと命じた。
「でも、そうしちゃ居れませんの。実は今日はお誘いに、―。」
「これから、どちらへ?」
 夏の日はもう完全に黒く暮れている。
「藤原邸のダンスへ。」
「私をダンスに?」
「そう仰しゃるだろうと思ったわ。でもついご近所ですし、それにフィリッピインのジャズがとてもいいって話ですから。私達だって今夜は踊りに行くのじゃありませんのよ。」
「怪しいものだ。」と暗闇の中で男の声がした。次いで道家はパナマを白く浮しながら洋室の角から現れた。「しかし僕は絶対に踊りませんよ。」
「私だって、―」
「此お嬢さんのいうことは、あてにならないからな。しかし僕は、―どうです、踊らぬ仲間に、お出かけになりませんか。」
「ウォール・フラワーになりにね。」
「誰も貴女をウォール・フラワーだとは思いませんよ。」
「もうフラワーでもありませんものね。」
「どうや、―」
 道家は開いた上衣の胸の間で、パナマの縁をいじっていた。あれが道家だとホテルの前で教えられた頃の彼は、長髪を油でオール・バックにしたひどく気障なダンス青年だった。がその長髪もいつの間にか白い地が透いて見えるほど薄くなっていた。それと共に気障さも薄くなったらしく、今私の前にこころもち臆して立っている彼は、些(すこし)も反感をそそるところのない中年の紳士だった。
 私の家はごみごみした凹地の一隅に在る。が四辺(あたり)の高台は有名な、かと思うと名も聞かぬブルジョア達によって占領せられている。私は富の高低に土地の高低を加えて考えさせられるのが不快だったので、二階の窓は断然開けて見ぬことにしていた。だが彼等の生活の外郭は、開けぬ窓の戸の節孔(ふしあな)から、逆さになって朝の寝室へ闖入(ちんにゅう)して来る。寝起きの私の目に豆ほどの逆さな風景は、夢の続きのようで、うれしかった。
 道家の運転するクライスラーが、坂を上りきって一曲りすると、樹々の葉越しに輝く数層の窓が現れた。今しがた出た月の光を濾して白く浮いた雲の間で、お城のような高楼の外郭は、―正しくそれは豆ほどの逆さな風景の中の城だった。
 ―なるほど粋(すい)なジャズだ。
 サクソフォーンが階段を曲がったとたんに、雁皮紙(がんぴし)に当った時のような呻りを立てた、次いで床を擦る足の音が、ざあざあとひどく濁って幻滅的に響いてきた。私達は白手袋の下僕(しもべ)の導くまま、眩しい舞踏室の床を踏み、輪舞の外を抜けて奥の一隅に陣取った。
 此建築の内部は、やはり夢の続きのように豪奢を極めたものだった。が集った男女は決して夢の中の男女ではなかった。もう短すぎるスカート、音楽をこなしきれぬ脚、土の着いた靴底、―フィリッピイン等(とう)の六白の目には、無遠慮な軽侮の嗤(わら)いが浮んでいる。
 “Thats you Baby!”
 だが踊る男女は踊る事其事に夢中だ。
 楽士の壇の傍から、浅黒い、がっちりとした紳士が、直線的に私達の隅へやってきた。藤倉氏だなと私は直感的に思った。
「是非お出でいただきたいと思って、実は麻子さんにお願いした次第でした。」
 彼は、やはり浅黒い感じのバスで、直線的な口の利き方をした。是非お出でいただきたいは、是非踊っていただきたいの意であるのに違いなかった。が私はわざとぽかんとした顔で、是非お出でいただきたいをぜひお出でいただきたいとだけしか解し得ぬ風をよそおった。
 ふと私はイブニング・ドレスの肩に、莫迦にひやっこい風を感じた。風はさっと、寄木(よりき)の床を撫でて、向うの窓へ吹き抜けた。木立の向こうには、大きな雲が不隠な速度で走っている。芝生に落ちた明暗の斑点も、―私は危うく声をたてるところだった。ばさりとまともに私の顔を打つものがあったからだ。私は狼狽して窓から首を引込めた。ばさばさと、黒い蛾はシャンデリアの近くまで昇ったかと思うと、突然急な角度で描いて、踊る男女の上に落ちた。棄身な蛾の運動は、飛ぶよりは打当(ぶつか)って行く感じだ。腕を掠めて又一匹、又一匹、―蛾は豪奢な室内装飾を完全に無視して縦横に走った。踊る男女も亦(また)完全に蛾の横行を知らず踊り狂っている。
 “Thats you Baby!”は皮肉に終わった。音楽と共に踊ることを知らなかった人達は、音楽と共に踊り終える術も心得ていない。彼等はもう一度楽士の軽侮を買いながら、てれかくしに時外れな拍手の音をあげ、そしてさっさと自分達の席に引きあげて行った。あとは踏み荒された寄木の床と、踏みつぶされた蛾の屍の雑然たる舞踏場だった。蛾を踏んで、―私は慄然とした。
 ばさばさと、―窓外に聞え出したのは今度は蛾ではなかった。雨の湿気は湯上りの私の皮膚に滲み入る気がした。私は全身の皮膚でその湿気を吸いながら、一種放心状態で、もう一度踏み汚された寄木の床と、踏みつぶされた無数の蛾とを見ていた。
 
「藤倉さんとお踊りになったのですって?」
「まさか!」
「だって、藤倉さん御自身がそう仰しゃっててよ。」
 藤倉があの晩パートナーとしたのは、ダンス嫌いの私ではなく、踊らないといっていた麻子夫人だった。道家だけは彼自身の言葉を守って、最後まで踊らぬ仲間だった。が私は踊る麻子を見ている彼の目に或寂しさの漂うているのを見逃さなかった。果して、私の耳に入ってきたゴシップによると、麻子夫人は道家のクライスラーを棄てて、藤倉のパカードに同乗し出したとのことである。
 ―蛾だ、蛾だ。
 私は何故(なにゆえ)かいつも道家其人と共に踏みつぶされた蛾の屍を思い浮べる。


  隅の少女

 弱気な久我氏は酔うとなかなか愉快なやんちゃ坊主である。その晩も彼は旗亭(きてい)を出るなり、ダンスだダンスだと、きかなかった。不断が弱気の久我氏だけに、酔った時の彼の意に逆うことは私達には出来なかった。
「ホールは厭だな。」と誰かがいうと、
「K倶楽部を見に行かない?」とその会員になったばかりの少壮代議士がいった。
 何式というのか、とにかく統一のとれた建築の内部は、やはり整然とした、感じだった。三階の舞踏室では老年に近い壮年の紳士達が、此処でだけはさも自信がなさそうに、インストラクターに曳きずられて歩き廻っている。
「あれは今度函館から出た、―」
「H君は政友会だろう。」
「政友会も民政党も此処では、―」
「ダンスはインター・ナショナル、―インター・パーティーかな。」
 だが酔った久我氏はK倶楽部其物の圧迫から早く逃れたいらしかった。彼はとうとう其処では一踊りもせず、円タクを捕えて、フロリダだといった。
 ―芥(ごみ)、芥、芥。
 先ずぴんと来た感じはそれだけだった。いったい何人の二間が、―肺臓に故障のある私は、空気の善悪に対してだけは、ひどく敏感だ。いったい何人の人間が、何本の脚が、―ちょうどインターミッションだったので、ずらりと並んだダンサーの脚が、ホールの壁の腰張りに見えた。罷業の理由の一つに数えられただけあって、ずらりと並んだ脚も真に夥(おびただ)しい感じだったが、がらんとした踊り場のこちらにうようよしている男達の夥しさは、それとは段違(ダンチ)といってよかった。
 “Broadway Mrelody”が始まった。うようよしている男達の中から一人が勇敢に進み出ると、又一人、あとはどやどやと、―壁の裾に残されたダンサー達の顔には、期待と不安とがこんがらかっている。彼女等を拾いに行く男は、見物にとっても救いだ。
 久我氏は同行の映画女優瑤子君を切(しき)りに口説いていた。「ブロードウェイ・メロディー」は既に半ばに達している。
「ね、瑤子さん。」
 瑤子はしぶしぶ久我氏に従った。だが久我氏は踊り場に入るや否や、瑤子を口説いたことなどは忘れてしまったらしかった。彼は男達のうようよの中でまごついている瑤子の方は一顧もせず、まだ壁の裾に残っているダンサーの一人にレゾリュートな歩(あゆみ)を向けた。

 今度は振袖の断髪と久我氏が得意そうにタンゴを踊っている間、芥を吸うことに稍(やや)慣れた私は、ダンサー達の髪や服装やプロポーションなどを仔細に観察していた。仔細に同時に辛辣に、―こんな汗臭い雰囲気の中で、何で彼女と彼女と彼女とはスウェターなど着ていなければならないのか。およそ美的でないスウェターを。スウェターのダンサー、これも確かに復興東京の異観の一つであるのには違いない。―
 だが何という労働、臭い労働、―私の嗅覚は男の体臭や口臭よりは寧ろ機械油や汽船の臭気を堪え易く感じる。それに一回八銭とは、―私は思わず手廻りのものを一回のダンスの報酬で割ってみていた。
 靴下     五〇回
 靴      四〇〇回 
 手提     五〇〇回
 手袋     二〇〇回
 帽子     二〇〇回
 ペティコート 一〇〇回
 イヴニング・ドレス、外套に到っては、換算の限りでない。私は茫然とした。茫然とした私の目に、彼女等のお粗末なワン・ピースや田舎臭いスウェターは、決してもう見にくいものではなかった。すると私には、ロー・ネックのぴらぴらしたドレスをつけ、誇りげに踊っている二三のスターが不思議に思われ出した。其数を八銭において、彼女等は食べなければならない。寝なければならない。着なければならない。一枚のドレスの背後には、いったいどれだけのいたづきと、どれだけのやりくりと、どれだけの屈辱とが隠れているのであろう。私は既に Spleen Tokioの中にあった。
 曇った私の目はふと一点に止って、そして一杯に見開かれた。無心な下ぶくれの顔、鏝(こて)一つあててない頭髪、セーラー型の旧式なスェター。彼女はさっきからあの目立たぬ隅に坐ったままだったのだ。ダンサーの見習いか、彼女は男達の目にとまらないばかりでなく、朋輩のダンサー達からもてんで相手にされていない。孤独なダンサー。彼女の伏せた顔には、待ち設ける気持が微塵も出ていないだけ、好感ばかりが持てる。
「久我クン、久我クン。」
 私は人目を惹くことも忘れて思わず大きな声を立てた。きょときょとと近付いてきた久我氏に、私は是非あの少女と踊ってやってくれとせがんだ。
 臆しがちに立上がった少女は、少しの遊び気もなく、習った通りのステップを踏んでいた。ダンス振りまで楚々たる感じだ。私は何か涙に似たものを呑み下しながら、彼女がいつまでもあのスウェターを着ていてくれればいいと思った。

 次に行った時隅の少女は、―それを書くことは十九世紀の巨匠達に委(まか)せておくことにしよう。私は、―私は昨日ダンス・ホールのマネージャーをしていた伊沢さんにふと偶った。伊沢さんは私の兄の同窓で、女と聞いただけでも涎を垂しそうな男だった。
「愉快だったでしょうね、貴方のことだから。」
「皮肉なものですよ。女達をずらりと前に並べて、僕が訓示を与えるのですからね。」
「聞きたかったわ。」
「新時代のダンサーたるものは、よろしく職業的自覚をもって、―すると不良組が僕の方に秋波を送るのですよ。こいつ僕の弱点を知ってるのかとひやひやしましたがね。実は向うは純然たる職業意識でやっているのですよ。マネージャーさえ抱きこんでおけばとね。大きな誘惑でしたよ。大きな誘惑だった証拠には、僕はとうとう、―新聞では御覧でしょう?」
「しかしダンスはお上手になったでしょうね」
「どうやらチャールストンの出来そこないぐらいはね。」
「チャールストンよりシミーの方が貴方には、―」
「ぴったりし過ぎているので却って気がさして踊れませんよ。」
 別れる時私は彼に、若しフロリダに行くようなことがあったら、あの隅の少女と踊ってやってくれと頼んだ。だがもう彼女はあの隅には坐っていないに違いない。そしておそらくはもうあのスウェターも脱ぎ棄ててしまったに違いあるまい。今は、それに、スウェターを羽織る季節でない。


コラム (昭和四年~)

2011年09月20日 | コラム類
  ※ 性質上、著者名や著作権有無が判じにくいため御指摘あれば削除します


  當世夜話(4)  ぱんたろん

★モンマルトル、サンチャゴ、ジュン、メエゾン・ヤエ、オデッサ、アザミ、等々と数え立てても、どこにバアらしいバア、バア、カッフェらしいカッフェがあるだろう。テエブルの数に比べていたずらに女給の人数が多かったり、見るからにちゃちなデコレエションであったり、滅茶な照明を使ったり、静かにひとりで有閑をたのしむと云うわけには断じて行かないのである。当初のギルビイ、一頃のフレエデルマウス、リッツの食堂付属のバアの様な、お客をあまり構わないバアがあってもいいと思う。柔かいソファと、小さなテエブルと、ダンスレコオドと絵入雑誌と、一杯のジンフィズ、初夏に向かうこの頃思うのはそうしたバアらしいバアである。

★森田屋のショオウインドに各国製のネクタイが飾ってある。あれで見ると、悲しいかな、和製のタイはフランス製やイギリス製のタイに比べて、あまりにもみすぼらしい。実質的にも、模様的にも。話は違うが、ショオウインドにごたくさ品物が並べられてあるよりも、こうして数少なく上品に並べられたショオウインドに、僕は興味を惹かれる。ショオウインドの効果から云っても、そこに手際よく並べられた僅少の品によっても、その店の格式、品質の如何、種類の程度が直観されるのが当然ではなからろうか。

★邦楽座のパラマウントの電気広告、武蔵野館の縦に明滅する電気広告、黒沢商店のコロナの電気広告は都下の電気広告のうちで眼を惹くに足るものである。およそ都会情緒の大半は電気広告におうている。あの御大典当時の朝日新聞社屋上の廻転式電気広告が廃止されずに廻転していたら、と思った者は僕ばかりではあるまい。

★新宿に不二家が開店した。白十字、明治製菓、中村屋。裏にはいると、メリイウイドウ、ウエルテル、ミハト等。昔話になるが、カッフェと云えば扇屋しかなかった頃を思うと、近頃の新宿のカッフェ激増は驚くばかりだ。しかしそれにしても、かなりうまいカクテルと、今は潰れたとか云うワトスンのウイスキイを飲ませた扇屋をなつかしく思い出すのである。

★フタバ屋、アザレの前を通るたびに、ここの二階を気のきいたティイ・ルウムにしたらと思う。閑な奥様、閑な独身者、しゃれた恋人同士のために。カッフェは多い。バアは多い。しかしそれにしても、一軒のティイ・ルウムをさえ持っていない都会を悲しいと思わないか、果して、それが正当に理解されないにしても。

★上野と云うところは発展している様で発展していない街である。上野の山から俯瞰して、そこに何等の近代都市としての美観を見出しがたい。松坂屋の建物にしても、あれに近代建築の魅惑を感ずる者は少ないだろう。時折、何かのついでで上野にでかけるが、そこに見出すのは十年前を思わせる上野の残滓である。或いは、徹底的に上野公園が改造され、池畔の博覧会がカジノに変り近接市区との道路工事が完成されたあかつきに、十年前の上野を忘れしむるのかも知れない。現在の上野の特長も欠点も、あまりに地方人を迎えるに意を用いすぎる点にある。博覧会時期の弥縫的改造以外に何等の改造もされなかった嫌いがある。

★赤坂舞踏場が営業停止を食らった。三十八人のダンサアが免許証を取り上げられた。けれど間もなく、百五十坪のフロオアを有するとか云う新しいダンスホオルが出来る。出来たらでかけて見ようか。
                         「ドノゴトンカ」昭和四年七月


  FASHIOM流行欄  ぱんたろん
 十二月の総決算として、今年の流行界が、どこまで進展して行ったかを、一寸振返って見るのも無駄ではないと思います。
 歳末の忙しい中ですが、流行欄はそこで一寸回想的なパラグラフをはさみます。

  まず断髪
 断髪は日本の都市などは、主として東京、横浜を中心として関東に於て、盛んな流行をしました。が京都大阪は、それに反して、「断髪時代」という現象を、殆んど見ずにお終いになったと言われる様です。
 ですから、断髪は、関西にあっては、まだ一つの奇異をそそる。「えげつない!」という言葉を、彼等はまだ断髪の頭を振返り乍らくり返しますが、東京にあっては、それは、もう「流行」というより、風俗の一部と化しましたことは、ビルディング街の年を老った受付係だって知っています。
 エレベエタ・ガアル、ガソリン・ガアル、ショップ・メイド、タイピスト…多忙な職業婦人の彼女たちは、何の意味なしに切落したバブの簡便な有難さを今日になって漸く身に感じる状態です。
 それは本当に一個の櫛と、スマドレ・ヘヤトニックで、十分なお化粧が出来上がるのですから。何よりもそれは、ビルディングの中の多忙な仕事にピッタリしたものです。
 ヘアピンと、宝石と、ベッコウの櫛と、かみゆいさんのために、バブを軽侮しているのは、有閑夫人と、そしてジンゲルです。

  白粉
 白粉の選び方も驚くほどみんなクレヴアになりました。
 健康な肌色白粉は、都市の女学生諸姉の率先して用いるところとなり、水白粉を一寸なめてみて、品質の高下を判断することなどは、どんなに大人しいお嬢さまも、御承知です。
 舌の感覚で、お白粉を見分けるには、本当は中々デリケイトな心構えが必要なのですが、まず概して強度に刺激を受けるものは、「よからぬ品」とされています。
 が、その刺激の中にも、アルコオル分もあれば、タンサンマグネシヤもあり。アルコオル分の多量な品は、たとえ舌を強度に刺激したとしても、脂肪太りな皮膚の人には、一番適合した品であることも知らなくてはなりません。

  眉の引き方
 眉の引き方は、欧米では益々細く、針のようになるとのことです。
 アメリカなどでは、孤線ももう流行を外れてしまって、斜めの一直線が、喜ばれているということですが、こういう流行こそ、何にも増して、「お顔と相談」です。
 徒らに幾何学的線分の変化を追っていたところで、イットのあるお化粧は出来ません。

  スカアトの長さ
 スカアトの長さは、この数カ年の大問題でありましたが、1929年のラインは、膝の下三インチと或る外国雑誌は報告しています。
 日本婦人の体格に持って来たら三吋(インチ)半ほどでありましょうか。そこへ、スカアトよりも一インチ程高いコオトを召して歩かれる颯爽さは何とも言えないでありましょう。
 なお、婦人のコオトは、略式の場合にも、着物と同じ地や色調などが許されますが、正式のものは黒のラシャ、或は天鳶絨の毛織に限るものであることを御承知下さい。

  イヴニング・ドレス
 婦人服も、イヴニング・ドレスを作るほどになれば、流行にも余程明るくなければなりません。
 イヴニングの生地としては、かたい織地のものが第一です。繻子、琥珀織、波紋織、節織などを、よろしく検討されること。
 色調は、象牙色、晴青色、黒などを主なるものとされることです。

  紳士のいでたち
 いつの間にか、初めに言った総決算から外れてしまいましたが、紳士の方の流行も、今年に至って益々落着いたものとなりました。
 ズボンの太さが八インチから九インチ位に狭められたこと。ラッパズボン等というものは、場末の常設館のレヴウにも姿を見せなくなったようであります。―もともと、これは「カウボオイのパンツからでも流行り出したのだろう」と岡本一平氏の言われる如く「流行」とは凡そ縁遠いものでありましたが。
 ウエスト・コオトでぴったりと腹をしめて、上衣は普通に頬部をえぐり、長さは前号にも記した如く、春よりも一インチ程長く、その代り折り返しのラインを大きく取るというようなことになりました。
 英国紳士の落ちつきと、パリジャンの生粋なところが、一緒に取入れられて来たのでありましょう。

  タバコのハナシ
 そういう服装の紳士が、何気なくバットやエアシップを喫っているのも、洒落た風景ではありますが、本格的に行けば、スリイ・キャッスルか、ウエストミンスタアが何と言っても適わしいところですが、林房雄氏の「都会双曲線」の人物のように、
「ウエストミンスタの金口にかけて」
 などと、淑女へのギャントリを誇示したりしては、まだまだ本当のジャン・デエとは言えません。
 第一、金口などはもう老人の趣味です。それ位なら、
「M・C・Cのコルク巻きにかけて」
 とでもいう方が、まだ面白い。もう一つ、輪をかけて、コルクまきのペエパアだけを(銀座のタバコ屋)で売って居ります)買って来て、太まきのチェリイに、一寸まきつけて、M・C・Cのつもりで煙をふかしているのなどは、もっともスマアトな試みと言わなければなりません。

  クラバッツとボウ
 十二月から一月にかけて、いろいろ儀式が続出します。
 結婚式その他のお目出度い宴会には、燕尾服の白のボウが正式なこと言う迄もありませんが、フロックを以て代用とする時は、黒のボウか、明るい色彩のクラバッツを用いることを忘れてはなりません。
 お目出度い席だからと言って、フロックに白のボウなどは、紳士のエチケットをこの上もなく傷つけるものであることは御注意あれです。ネクタイ・ピンは、お葬式の時にはつけるものではありません。お目出度い時には是非つけなければなりません。
 又、フロックやタキシイドを来て、無暗に、スパッツを穿きたがる人のあるのも、よくないことです。スパッツというものはもとはフランスから流行ったものですが、アメリカで、自動車の運転手が盛んに穿用したことによって一般化せられた代物であります。イタリイでは、リュマチスの患者が、足方の保監のために用いているのもあります。―こう言ったら、日本の紳士諸彦のスパッツ熱も少しは冷めるかも知れません。

  クリスマス・プレゼント
 又、御婦人の話に戻りますが、香水、口紅、パウダア、眉墨など化粧品一式をくみ合せて、一箱にしたコティ会社の製品が例年の如く輸入されました。
 あなたのクリスマス・プレゼントとして、これは青年諸氏におすすめ致しましょう。
                         「文藝春秋」昭和四年十二月

  女学校青春期

 府立第一
 下町にあるのは、生粋の東京を意味するためであるかも知れない。
 流石いかめしい。が、校長の市川源三氏は有名な進歩的教育家であるだけ、何となく、そんな匂いがしている。
 気のせいか、生徒の顔が、どれもこれもみんな利口そうだ。といって、モダンずれもしていないし、そうだ、みんな高等師範の学生の卵という感じだ。数学とか化学とかが、何より好きだというような風をしている。肉体的の健康を感じられる前に、精神的な健康を感じられる。―たとえば、ここからも芸術家が出ている。つまりそれが凡そオルソドックなアルト歌い柳兼子女史だというようなわけである。

 府立第六
 昔、といってもそう古い時代を経た学校でもないが、出来たて頃は、何しろ私立学校のうじゃうじゃとうるさい三田界隈のことだ。ここの事を呼んで、「シャン・ナイ・スクール」といったそうだ。その頃の事は知らないが、今はとにかく決してそうではない。校門を入ると、ムッソリーニかヒットラでも演説しそうな地形になっている。そこで、私はひょいと、両手を上げて、たった一つ知っているドイツ語でやって見た。「メッチェン!イッヒ・ハーベ・カイネ・ゲルト!」
 幸い授業中で誰も校庭にいなかった。その演説をだらだらと下ると校庭になっている。つまり道より一段低くなっているのである。
「ここの学校のモットウは何です?」
 と、僕は一人の女学生を摑まえて尋ねて見たら、彼は速座に答えたのである。
「三田の通りを、歩いては不可(いけ)ないってことよ」
 成程、すぐお隣は、慶応大学、三田の通りは陸の王者の遊歩道(プロムナード)だ、余程、この命令が、厳しく云い渡されていると見える。

 双葉女学校
 四谷見附の左手、古色蒼然として何となく中世紀風の香りの豊かな建物。―そうだ。あの煉瓦の色は、南欧のトラピスト、―と思ったとたん、ゆりかごの歌でお馴染のドロテア・ウイクのあのスタイルの西洋尼さんが三人。失礼だが、是は、ドロテア程、色が白く、美しくはなく、従って甘いロマンチシズムはなかったが、とにかく出て来た。フランス語で何か語り合い乍ら、僕の傍をすれ違った。
 ここの生徒には仲々お金持のお嬢さんがいらっしゃるし、ひょいと耳にはさんだ会話だって、
「あら、御免遊ばして、」
 と来た。
 仏蘭西語を教わるんだそうで、みんなひどくしとやかで、校門を入っても、所謂(いわゆる)、近代娘風なキャッキャッ声がきこえなかった。
 うっかと、声高に喋ると、
「おつつしみなさい」とやられるのかも知れない。
 情操教育を重んじるんだそうであるが、その情操はどうも、ロオマン・カソリック風な情操ででもあろうか、卑俗な僕等には何か、こう、オッカなくなっちゃって、とうとう逃げだした。

 自由学園
 田無駅から五六分。明朗な建物だ。陽が当って美しい。
 羽仁もと子といえば、「婦人の友」の主筆であり、「羽仁もと子全集」があの全集時代に、他のものと競って負けなかったといいう、大人物。クリスチャンで、世界平和の謳歌者で、上流家庭好みで、ブルジョワ・イデオロギーで…が、とにかく、日本で相当に、上品御婦人の人気を収纘している、羽仁宗の教祖様だ。これはその一つの機関であり、まア、羽仁宗の本山だろう。
 だから、ここの学生は、みんなお金持でなければやって行けない。寄付金だけでも百円や二百円は一年に一辺位は入用だそうだ。授業料は大学よりも高い。学生は弁当を持って行かない。お母様が当番で学校に来て、みずからお料理を作り遊ばす。おやつも出るんだそうだ。
 服装はみんな自由、―だから、自由学園とはまさかだが、―従って、仲々イキなセーターに踵の高い靴をはいているのがいる。おつき添いが鞄を持っている。お白粉が、眼だたない位ではあるが、つまり、罪にならない程度にうかがわれる。
 体操はデンマーク体操の直輸入。作文の事はレトリック。万事この調子であるらしい。

 聖心女学院
 芝の白金台、古木に包まれた、この学校も、壮大なもので、上品で、そうだ是は英国風とでもいうのだろう。ここも、よき芸術家や、成功せる実業家をパパに持つ幸運な星の下に生れた、断髪が集る所である。
 プリモスを止めて、運転手が、何か金モールのついた救世軍みたいにきちんとした帽をとって、ドアを開けると、豊かな香りを―それは香水をつけているのではなくて、生活の程度が高いと、つい身についた香りが出るものだ。―させて、しとやかに降りて来られる。
 森の木の根には、お嬢様達が三々五々、じっと、雑誌などをひもどいていられる。木の葉越しに、まだらに陽が落ちている。
                       『モダン日本』昭和10年5月 



                        








松田瓊子 紫苑の園 2

2011年09月15日 | 著作権切れ昭和小説
  夕食の後

「ありゃあ、一体なんじゃ?」
 ある日の夕方、用事を思いついてお離れに来た西方婦人に、大伯父さんはひどく眉をひそめて言った。
 婦人は老人の眼のほうを見やると、離れの横のほう、西に面した芝生の傾斜で、紅々(あかあか)ともえる西陽をうけて、少女と子供たちが輪になって、何か奇妙な手ぶり身ぶりをしていた。
「郁さん、あんた正気であんなことをさせておくのかね、あの子たちは一体幾つだと思っていなさるんだ」
 老人の声はいつもの通り、厳(いかつ)く不機嫌だった。
「でもね、伯父様、可愛いじゃございませんか。私、ああして家(うち)のチビたちと一緒に無邪気におどったり遊んだりしているのを見るの大好きですの」
 婦人は子供たちの様子があんまり面白いので、笑いながらいきいきとこう言って、窓からその楽しい輪を見やるのだった。
「うちのチビはよいさ、まだありゃ七つと六つだからな、―しかし女の子らはもうあんなことをさせる間に、縫い物でも手伝わせんきゃいかん、少しは女の道をわきまえさせてやらんか」
「ええ、あれでなかなか考えているんですのよ、それにいつまでもああしておどっていられるものじゃありませんもの、今におどれなくなる時も来るんです。心からああして楽しめるのもほんのしばらくですもの、私、あのくらいの女の子が家の中でめそめそしているより、何の屈託もなくとびはねているほうがうれしいと思いますの」
「へーえ、あんたは呑気じゃ―知らんのかね、私は昨日ちょっと母屋へ用事があって行ったら、下の日本間であの茶目が浴衣の上に跨って箆(へら)をつけておったぞ、お前は幾つになると問うたら、十五だと澄ましておる」
 老人はいよいよ額の皺を深くして書物に目を落した。
 夫人は、今にも噴き出しそうになるのをこらえて、この気むずかしい老人にあついお茶をいれながら、
「お行儀の悪い子ですこと、ええ、もう少し慎むように申しておきましょう―」
「当たり前じゃ」
 もう一度雷のような声がして、お叱言(こごと)は終わりを告げた。
 ちょうどこの時、勉強の合間に下に降りてきた弥生が、台所でフライパンの柄をにぎったまま、笑いこけているよねさんを見て、
「何一人で笑ってるの?」
 と不愉快そうに問うた。
「ワハハ、ごらんあそばせ、ちょっと、あのいつものお澄まし屋の美子嬢ちゃんの面白い恰好を!」
 弥生は窓からのぞくと、例の奇妙なおどりが、今たけなわというところである。
「何してんの!?」
 弥生は呆れ果てて、眉をひそめた。
「あれはね、羅漢サンの進んだのだそうでございますよ、ほれ、ごらんなさい。テレツケテンノヨイヤサとこう両手をかいぐりかいぐり式にグルグルっとまわして、すぐ隣の人の身ぶり手ぶりをまねるのでございますと」
 よねさんは、まるで自分も仲間入りしているようなジェスチャア入りで話してきかせると、弥生はいかにもさげすむような目で、
「一体、なんのためにあんなことをしているの?暇人(ひまじん)ねえ」
「それが、面白いじゃございませんか、明日遠足にいらっしゃるから、明日もお日様出てきて下さいっておまじないの踊りだそうでございますよ。貴女も、そう内にばかりいなさらないで、御一緒にお仲間にお入りなさいましよ」
「プーッ、呆れた、幼稚園の生徒じゃあるまいし」
 弥生は冷たい笑いを残して二階に走り去ってしまった。
「面白味のないお嬢さんだよ」
 よねさんはすっかり興ざめがしたように、ぶつぶつと呟いていた。
 夕陽の丘に、おどりは続いていた。細長いルツ子から肥った横ブ、すらりとした美子、香澄の間にはこれまた小さい汀子、信雄、詩子、時々伴奏に入る万里子のタンバリンのやかましい音―。両手を腰に、ひょいひょいとおじぎをする者、猿飛佐助のような手をする者、お鼻をチョンチョンとつつく者、―芝生にはおどりに合わせて、長いの、ふといの、小さいのと、影も一緒におどっていた。
「皆さん皆さん!今日は靴みがきの日ですよ、おどりが一段落ついたら始めて下さいな」
 台所口から、笑いを含んだ夫人の声が、おどりの輪にとび込んでいった。
「ソーレ!」
 という声と一緒に、少女たちは一斉に玄関からほこりの靴をさげてきていつものように分業でやりだした。
 ずらりと列になって、一番端の人はせっせと泥を落とす、次の人が下みがき、次がクリームをぬり、次の人がフランネルでみがき、次の人が油をつけてみがき込んで仕上げとなる。その早いこと!早いこと!
 詩子はその間を立って廻り、磨き上がったお姉様方の靴を一列に並べると、お離れからはお爺様の靴を持って来るし、も一度玄関に戻って、下駄箱のあらゆる靴をさげてきた。パパの、ママの、いっちゃんのと、
「いっちゃんのもみがいといてあげてね」
 夫人が窓から声をかけるまでもなく、もう靴はちゃんとみがかれてあった。
「ええ、詩子ちゃんがちゃんと持ってきて下さったの、私たちより気がつくのよ」
 香澄はそう言って笑った。
「いっちゃんは、だってお勉強が忙しいでしょう?」
 詩子はいつもの仇気(あどけ)ない面(おもて)をふり仰いだので、ルツ子はこっくりして、
「その通り、その通り」
 と微笑した。
 ピカピカ光る靴を満足そうに運ぶ少女、歌いながら夫人に言いつかったお風呂の水を汲み込む者、割烹着をつけてよねさんの手伝いをする者、―ソロで歌う者もあり、二分で歌う者もあり、三分に変るグループもある。「紫苑の園」のお手伝い時は、こうして楽しい少女たちの歌声で満たされるのだった。歌を歌わなければ仕事ができないか、と大伯父様はおっしゃるけれど―。



 平和な夕べに鳴り渡る、トライアングルの澄んだ音とともに、夕食は開かれるのである。しかし、皆が食堂に落着くまでは、あきさんが玄関にハタキを持って立っていて、一人一人そのハタキで払われるのだ。スカートに芝草をつけている者、靴下がほこり臭い者、頭にごみをつけてくる者が、一人もいないことなど、この園はじまって以来一度だってないことであった。
 食卓には、折々の庭の花が盛られて、御馳走はすっかり用意されている。その夕食が、健康な、元気な少女たちにとって、どんなに楽しく待ちどおしいものであろう。
 いつものならわしのように、高い子供用の椅子にかけた詩子がナプキンを首に巻いていただいたまま小さい可愛い手を胸にくみ合せて、食前の感謝を捧げるのだった。
「神さま、今日もおいしい御飯を下さってありがとう!どうぞおなかのすいた本当に可哀想な子どもたちにもこんなおいしいものをあげて下さい。そして、このお食事に一緒に来て下さい。神さま、詩子おなかがペコペコです。アーメン―」
 誰も決して笑いはしなかった。この小さな女の子のお祈りほどほんとうのお祈りはないのだから。
「ああ、詩子、明朝(あした)の分もお礼しといたから今日は長かったでしょう?」
 詩子は口いっぱいにほおばりながら、真面目にこう言った。
「今日、僕、捨て犬めっけたの、飼ってもいいね?いいね?」
 さっきからいつに似なく黙っていた信雄がこの時、まるで爆発するように口を切った。
「どこで?」
「どんな犬?」
「可愛い?」
「汚かないかしら?」
 皆の視線は一斉に信雄に集まり、さっそく質問の矢がはなたれた。
「汚かあるもんか、とても可愛いんだよ、雑種だけど、あんなすてきなのあるもんか。ねえ、ママ?飼ってもいいねえ?第一、あの犬を放っておいたら、すぐにどこかに持って行かれるにきまっているよ、ねえ?そしたら、疑いもなく殺されるよ、可哀相でしょう?あんなに可愛いのを、殺したら可哀相でしょう?」
 信雄はまったく真剣な面持ちで、夫人に迫るようにこう話しかけた。
「疑いもなくか」
 万里子は、こっそり面白そうに笑った。小さいこの男の子は、とかく生意気な言葉を使いたがるお姉さんたちにとりかこまれているのである。
「パパに伺ってごらん」
 夫人は少し当惑して西方氏をふり仰いだ。
「いいねえ?パパ?ねえ?可愛いんだよ、そりゃあ」
「うん、ノン坊が自分で世話するのならいいだろう。ママに手をかけさせなけりゃいいとしておこう。―どうもノン君は脅迫的だよ」
 お許しが出て有頂天になっている信雄には、パパの最後の言葉が聞えるはずもなかった。文字通り脱兎のごとく走り去ると、勝手口であきさんと争う声が響き、誰も止める暇もなく、クンクンという泥だらけの仔犬を抱いて、眼を光らせて食堂に帰ってきた。
「まあ、可愛い!」
「おお、きたない」
 お箸を捨てて振りむく少女たちが口々に批評をする。
「ノンちゃん、お食事がすんでからでしょう、そんなことをするのは、さ、お庭にはなしておいてご飯をいただいてしまいましょう」
 夫人の言葉に、しぶしぶ仔犬をヴェランダの隅に据えて、信雄は食事に戻ってきたが、その目は絶えず仔犬の方にそそがれて、まるで雨のようにナプキンに御飯粒をこぼしても気がつかずにいる。
「まあ、お兄ちゃまはお行儀の悪いこと、こんなにゴハンツブをこぼしたりして」
 詩子ちゃんが一人ごちして、さっさと席を立ち、何をするのかといぶかっている皆の前に、台所から、大きな猫を抱いて帰って来た。



「やれやれ、何が始まるのかね、詩子、御飯を食べてからにしてくれな」
 パパの言葉をさえぎるように詩子は言った。
「間に合わなくなるのよ、さ、チロチャンお兄ちゃまのゴハンツブをお掃除しな」
 詩子はそう言うと、猫のチロチャンはさっそくこぼれた御飯をペロペロと舐めだした。
「なーる」
 万里子が大袈裟に感心して唸ると、
「おおブルブル」
 ルツ子は本当に身ぶるいして、大いそぎで御飯を済ませ、
「かしこいや」
 横ブは感心して頷いた。
 食事を済ませた香澄、ルツ子、汀子はさっそくどろんこの仔犬をとりまいて興じている。
「ちょっと、愛嬌のある目をしているじゃない?」
 ルツ子がうれしそうな声を立てると、
「ノンちゃんそっくりの―」
 と香澄が言ったので皆笑いだした。
「あら、尾ッポがないわ」
「汀子が頓狂な声をあげる。
「ほんとう!」
「鼻もないわ」
「うそオ!ちゃんとあるわよ」
「あんまり低くて存在が判らないんだわ」
 香澄がそう言って笑った。
「とにかく、長じるとちょっと味のある犬になることはたしかね」
 ルツ子が首をひねってむずかしい声で言う。
「あんまりいじめないでくれよ」
 信雄は気もそぞろで悲鳴に近い声をあげ、ナプキンをつけたままで飛んできた。
 ヴェランダはひとしきり大賑わい。
「犬と猫と、どっちが好き?」
 誰かの出した問いに、
「モチ、犬さ」
「猫よ、きまってる」
「犬よオ、馬鹿にしてるわ」
「猫のほうが利口よ」
 横ブが口を入れる。
「犬のほうが利口にきまってるわ―ほら、リーダーにも出ていたじゃないの、主人のお嬢さんを海から救った犬から、日本の忠犬ハチ公に至るまで、利口という形容詞は犬に限られたものだわ」
 ルツ子が一歩も退かじと論じると、美子が、
「猫は人を見ることを知っているわ、犬は主人なら泥棒でも人殺しでもなつくでしょう?ところがはばかりながら猫は違ってよ。猫はその人格を見てなつくの、決して人格の悪い人にはなつかなくってよ」
 と厳然と言い放った。
「ちょっとちょっと、仔犬さん、風むきが悪くなったわ、あなたしっかり頼むわよ―犬の名誉のために」
 香澄が信雄に抱かれた犬をつつきながら、しみじみ言ったので、皆思わず笑い声を立てた。しかし議論はこれでやめになったわけではない。一方では犬の特性を挙げ、一方では猫の長所を算(かぞ)えてしばらくは夢中である。
「そういうあなたは犬党なの?猫党なの?はっきりきめてちょうだいよ、それによって私の態度もきめるから」
 ルツ子が大真面目で香澄に詰め寄った。
「そりゃ、私ははじめから犬党よ、第一、犬は音楽にとても鋭敏よ、ショパンに『仔犬のワルツ』という曲があるくらいよ。猫は目ばかり光らせるけどまるでだめじゃないの」
 香澄の説にルツ子は手を叩いて叫んだ。
「ヒヤヒヤ!」
「そ、そんなことあるものですか。馬鹿にしちゃ困るわ、第一、猫はねずみを取りますよ、フィッティングトンのお話にあるじゃないの、一匹の猫のおかげで、ねずみのために滅びそうになった国が助かったって」
 万里子が躍起となって、弁じると、ルツ子はその方を睨んで、
「さてはマリボもわが敵だな」
「それに、それに猫はねずみを取ったって猟はできないよ、羊の番だって出来ないよオだ」
 仔犬に膝を泥だらけにされながら、信雄は興奮して、真っ紅な顔を力ませて言った。
「だって、犬はねずみが取れないし、そうしたら、お台所でよねさんが困るわよオだ」
 たった一人、まだ食事が済まない詩子が、いつもに似げなく大きな声でやりかえした。
「詩子ちゃんでかしたり!」
 万里子がよろこんで膝の上のチロチャンを叩いたので、猫は吃驚して逃げていってしまった。
 ルツ子は美子がいないのをいい幸いと、
「美(ヨツ)ちゃんの家の猫ってね、ペルシヤ猫で眼が金と銀だっていうけど、気味が悪いよオ、片眼ずつ色が違ってね、こう、人を見る時、ギロリギロリと光って、うう気味が悪い」
 ちょうどその時、逃げ出したチロチャンを抱いて入ってきた美子が、ルツ子の話を聞きかじって、つんとして、
「いいわよ」
と言った。二人の様子があまり面白かったので、猫党も犬党も、思わず一緒に笑いだして、すっかり議論も喧嘩も吹き飛んでしまったのだった。
「ああ、やっと終局か―やれやれいつまでかかるかと気をもんだよ」
 突然、西方氏の次低音(バリトン)が響いた。
「ノンちゃん、その泥を洗っておやり」
 西方夫人がこう言うと、
「名前をつけてからにしようよ」
 と信雄。
「ピチャンがいいわ」
 ゆっくりと、ぽっつりと詩子がパパの膝から声をかけた。
「ピチャン?!」
 皆、その意味をとりかねて異口同音に―。
「そら、鼻ピチャンだからさ」
 と詩子はなんでもなさそうに答えた。
 またも皆の笑い声。
「傑作」
「詩子ちゃんてユーモリストねえ!」
 皆感心してしまった。
「チェッ、まあいいやね、だけど。さあ来い、ピチャン」
 犬党が三、四人、信雄と一緒にどかどかと部屋を去っていった。
「どうして、こんなつまらないことに、ああ熱中して論じ合えるのかしら」
 部屋の隅で今夜も教科書を開いている弥生が、こう呟いて自問自答していた。
「面白いじゃないの?」
 と汀子が遠慮がちに答えた。
「そうかしら?」
 弥生にも、面白くないでもなかった。しかし、それを素直に面白いと思うことは彼女の自尊心を傷つけることになるのだろう。
「人間は、面白いことだの無駄が言えるくらいでいいんだと思うわ」
 美子が、やや考え深げに言った。
「でも、皆さんのはその分子が多すぎる」
 弥生はすぐに言いかえした。
 西方夫人は、なるほどと思って微笑した。
「それでいいのよ、真面目な時は真面目に考えるもの、いつもいつもそんなに堅くなっていたら人間の心はこちこちになっちまう」
 横ブが口を入れた。弥生はもう黙って本に目を走らせていた。
 信雄も詩子も寝かされた。西方氏は書斎に引っ込んだ。ピチャンも新しいみかん箱の小屋に「紫苑の園」第一夜の夢を結び、チロチャンは万里子の膝の上に眠った。
 少女たちは荒氏の後の静けさで、夫人の持ってきた靴下の籠から一足ずつ手許に取り、我人の区別もなく、あるいは物思い、あるいは小声に歌い、あるいは語り合いながら、穴や鉤裂きをかがっていた。
 鳩時計が九時を告げた。一時間の仕事はおわって、誰言うともなく、皆ヴェランダに集まった。藤棚の彼方の空にまたたく星が美しかったのである。
 開け放たれた窓から、爽やかな夜風が流れ、萌え出た新緑の芽の香りは、窓辺の少女たちをやわらかにつつんでしまった。星明りに芝生も蒼白く、花壇には、花の群れが地上の星と光り、山吹や桜が、夜目にもあざやかに咲き乱れている。
 少女たちの胸はそれぞれ想いにあふれていた。しかし夫人は少女たちの中で、香澄が言いようもない想いに沈んでいる心をいっぱいにしていることを知っていた。



 誰が歌いだしたともなく、少女たちが好んで夕べに、夜に歌うアブトの『たそがれの唄』がソロから二部に、三部になって、グループいっぱいにひろがっていった。
   夜の帳(とばり) 静かに垂れて
   小鳥は塒(ねぐら)に翼を休めつ
   我等も今ぞ御神の御手(みて)に
   うれしうれし安けき夢路
 皆、よくならされているのでコーラスは、いかにもしっくりとして美しかった。
 そして皆は夫人におやすみを告げ、歌は二階まで続いていった。
   月は仄か 静かに暮れて
   窓の戸静けき平和の夕よ
   我等も今ぞ御神の御手に
   うれしうれし安けき夢路…
「どうしてあんな馬鹿さわぎをしたと思うと、まるで別の人のように、沈みきったような様子をしたりして、―一体アサカって、どういう人なんでしょう」
 弥生の幾分反感を持った一人言を、ルツ子はすぐに引き取った。
「あれが本当のアサカなのよ。子供のようおに心からさわぐこともできて、私たちに想像もつかぬ深い心の持ち主なの」
「私、そのアサカが好きだ」
 と美子と横ブは同じようなことを言い合った。


加藤武雄 君よ知るや南の国(大正14年)

2011年09月12日 | 著作権切れ大正文学
加藤武雄 君よ知るや南の国 (『少女画報』大正14年 )

  お伽噺
「それから、お父さん、どうしたんですの?」まり子は、父の口もとを見つめながら、こう次の言葉を促した。
 出窓(テラス)に置いた薔薇の鉢には、鶸色(ひわいろ)の花が一輪、山国の冬の、清冽(せいれつ)な朝の空気に匂うている。老音楽家の大沼哲三は、その窓先の古い腕椅子(アームチェア)に、寝衣(ねまき)のままの身をもたせて、膝の上に新聞をひろげていたが、その新聞に出ていた話だといって、そこへ来た娘のまり子に、一つの話をして聞かせたのである。
―その話というのはこうである。東京のある小さな家庭での出来事。父親が満洲へ出稼に行って死んだ時、母親は八つになる娘に、お父様は天国へいらしった、という風に話した。それまで、母親は、度々、小包郵便で満洲の父親の許へいろいろな品物を送っていたので、娘は、小包郵便にすれば、何でも父親の許へ届くものと考えていた―。
「ところが、父親は天国に行って、再び帰っては来ないと聞いたのでね―」そこまで話して来て、老音楽家は話を滞らせてしまったのである。
「それで、その娘はどうしましたの?」まり子は更にもう一度こう言って催促しなければならなかった。
「そこで、娘は、一つの考えに思いついたのだよ。というのは、娘自身が小包になって天国へ送り届けて貰おう―頑是ない子供心で、まあ、こんな事を考えついたのだね」
「まあ、自分が小包になって?」まり子は仰天しながら言った。
「そうだ。それで切手を自分の額に貼って郵便局へ出掛けて行ったのだよ。そして、『私を天国へ送って下さい』と言って窓口に立ったので、小包係の局員は大笑いに笑って、そんな馬鹿な事は出来ないと言ったのだよ。すると娘は、すっかり失望して、しおしおと郵便局を出て行ったとさ。ところが、出合いがしらに走って来た自動車に轢かれて、娘は、そのまま、死んでしまったのだよ。かわいそうに額に切手を貼ったままだったんだよ」
「まあ、かわいそう!」と、まり子は思わず溜息をついたが、父の話には、どうも腑におちないところがある。八つにもなって、額に切手を貼りつけるなんて―。
「いや、切手を貼らなくても、魂は天国の父親のところへ行ったんだろうよ」父は、何かひどく考え込むような様子で言ったが、まり子が、その記事を探すために、新聞を父の膝からとりあげようとするのを見ると、
「なあに、それはお父様が、今、作ったお伽噺だよ。ははは」と笑った。
「まあ、お伽噺?」
「いまね、亡くなったお前のお母様の事を考えていると、ふと、そんな話を思いついたのさ」父はそう言いながら、壁に添えて置かれた古風なピアノの方へ、涙っぽいような視線を送った。まり子には、父の心持が、よく判るような気がした。父は近頃、しきりに死んだ妻―まり子の顔も覚えていない母の事を考えている。父も亦(また)、きっと自分の額に切手を貼りつけて、天国の母の許へ送られる事を冀(ねが)っているのかも知れない―。
 父は、ピアノを見やりながら言うのであった。
「こうしていると、今でもお前のお母さんがピアノの前にいるような気がする。キーをすべるしなやかな指や、その撫肩の後すがた、まざまざとこの眼に見えるような気がする」
 ―だが、悲しい事には、まり子は、全く母の記憶をもっていないのである。まり子は三つの時に、母と死に別れてしまったのだから。


 
 まり子の父なる老音楽家大沼哲三の妻美沙子は、上の音楽学校の出で、相当に知られた中音(アルト)歌手だった。そしてピアニストとして立っていた哲三は、妻がステージに立つ間はその伴奏者であった。が、妻が死ぬと共に、楽壇を退いて、この信濃の山奥の小さな町にかくれて、もう十六年あまりもの孤独な日を送っている。彼を慰めるものは、妻の記憶と、その妻の若い日のすがたそっくりに生い立ちゆく一人娘のまり子とであった。
「このピアノはね、お父様とお母様とが始めて家庭を持った時、やっと工面して横浜の西洋人から買ったのだよ。はじめて、そのピアノが着いた夜、お母さんは喜んで喜んで、とうとう徹夜して弾いたものだった。翌日隣から家主へ抗議を申し込んだ、なんていう事もあったっけ」
「お父様、そのお話は、もう幾度うかがったか知れませんわ」まり子は、微笑しながら言った。
 父は、今、まり子が運んで来た珈琲(コーヒー)の冷めるのをも忘れて、亡き妻の思出を、それからそれへと辿るのである。
「お母さんは、何が好きだったかな?そうそう、メンデルスゾーンの『春の歌(スプリング・ソング)』だった。それに、ショパンの『ノクターン』も度々きかされたものだった。―だが、美沙子はピアノは駄目だった。何といっても彼女(あれ)は、声楽家(ボーカリスト)だったからなあ」
 それも、まり子が、もう何度きいたか判らない言葉だった。
「お母さんは、何がお好きだったかな、そう、そうー」これは、父の口癖と言ってもいい位だった。
 父は、椅子から離れてピアノの前に立った。そして、ニ調の3をポンと叩いて、
「まり子!『君よ知るやー』を歌ってごらん!」
 ミニヨンの「君よ知るや南の国」は、母が最も得意としたものだそうで、父の、最も愛する曲であった。まり子は、よく父にそれを歌わされた。―が、今朝のまり子は、それを歌う気になれなかった。まり子の胸は、外(ほか)のものでいっぱいになっている。まり子は、今朝、長いあいだ心に秘めていた願(ねがい)を父に打開けようと思っているのである。
「まあ、お父様。朝のお食事をなすってからにしましょうよ」
 まり子は、晴れた日の梢に憩う鳩のようにちょっと小首を傾げて、父に椅子をすすめるのであった。


  願い



 まり子の願いー。
 声楽家を母とし、ピアニストを父に持ったまり子は、山の町の女学校にいる頃から、音楽に関しては稀に見るの才能を発揮した。で、教師たちも、是非、東京へ出て専門の学校に学び、音楽家として立つようにとすすめたし、まり子の若い心も、小鳥の翼のように、明るい華やかな都の空に向ってはばたくのであったが、何をいうにも親子二人きりのたより無い生活(くらし)で、自分が去ったら、父がどんなにさびしくなるだろうと思うと、まり子は、その願を、打出す勇気が無くなるのであった。
「お父さんは、わたしの幸福のために、再婚もなさらず、十幾年も淋しい孤独の生活に堪えて下すったのだわ。私だって、自分の希望なんか捨てて、お父様の幸福を考えてあげなければならないのだわ」
 だが、そう考えるあとからすぐに、
「だけど、こうして山の中に埋もれて行っては、あまりつまらないじゃないかしら?お父さんは、私の幸福を念じていて下さる。私の幸福のためにだって、お父さんはきっと、私の願を容れて下さる筈じゃなかろうか?」
 そうだ。お願して見ようと、また心を取直す。が、さて、言い出そうとして、この二、三年めっきりとやつれの眼立った父の老顔を見ると、やはり言い出す事が出来なくなる。そんな風にして、この二月ばかりというもの、まり子は、毎日妙に苛立たしいような月日を過している。
 が、今朝こそ思いきって言わねばならぬ。いつまで躊躇していても仕方がない。言ってしまおう!
 まり子が、そう決心して、
「お父さん!」と呼びかけたのは、焼麺麭(トースト)と珈琲だけの軽い朝食がすんだ時だった。
「何かな?まり子」父は、やさしい眼をまり子の方へ動かした。
「私、私ー」言いかけて、まり子の声は意気地なくつかえてしまった。お願があるのよーという次の言葉は、なかなか唇から外へ出ないのである。
 老音楽家は、娘の顔をじっと見つめるようにした。―父には、娘の言おうとする事がはっきりと判っていた。近頃、娘が何を考えているか何を煩悶しているか?父の慈愛の眼は、ちゃんとすべてを見抜いていたのであった。―父は、しずかな調子で言った。
「まり子。お前は、何かわしに言いたい事があるのだろう?」
「ええ、お父様」まり子は、一生懸命な眼つきで、父の顔を見上げた。
「わしも、お前に相談があるのだよ」と父は、まり子の細い手を、その老いに硬(こわ)ばった掌でやさしく握りながら、「お前は東京へ出たいのだろう?東京へ出て、勉強したいと思っているのだろう?」
「ええ、お父様」まり子は、何か罪を抱くものが、それを看(み)あらわされた時のように、おどおどと狼狽しながら言った。
「わしも、お前と一緒に東京へ出て暮そうかと考えていたんだがね」
「まあ!」と、まり子は、思わず喜びの声をあげた。父が一緒に東京へ出てくれるーこんなうれしい事はない。まり子は、喜びにおののく声で言った。「そうして下されば、私、どんなにうれしいか知れませんわ」
「いや、しかしね」と父は、静かに言い続けた。
「しかし、東京は、わしにはあまりに思出の多過ぎる土地だ。―それにね、わしはもう老いた。このピアノのようにね。わしはやはり、この山の町に、このお母様の残して行ったピアノと一緒に余生を過そうと思う。お前は、やはり、一人で東京へ出てゆくがいい!」
 父は机の前に行くと、その抽出(ひきだし)から何かとり出して、まり子に見せた。それは一通の手紙と、町の銀行の預金帳とであった。
「この手紙は、もう一月ばかり前に書いておいたのだ。お前の紹介状だよ。東京へ行ったらこれをもって、内山邦夫ーお前も名前は知っているだろう、あの有名な作曲家の内山だーを訪ねてゆくがいい。あの男は、わしの古い友達だから、お前の面倒を見てくれるに相違ない。わしが、自分でお前と一緒に出かけて行ってたのめばいいが、じかに会うよりも、手紙で頼んだ方がいいのだ。一寸、事情があってね。まあ、そんな事は兎に角、内山は、きっとお前を悪くはしてくれないと思うよ」父はここまで言って、一寸言葉を切ったが、
「それからね」と、預金帳をとりあげて、「この貯金は、お母さんがお前に残して下さった意さんだ。僅か千円ばかりだが、幾分か学資のたしにはなるだろう。お父さんも毎月いくらかずつは送ってやれるかも知れないが、それはまああてにはならない。万事は内山あての手紙に書いておいたから、あの男と相談すれば、勉強の方法は考えてくれるだろう?」
 何から何まで、到れりつくせりの父の用意だった。まり子は、感動のために口が利けなかった。彼女は、ただ涙含(なみだぐ)んだ眼で、じっと父の顔を見上げるより外なかった。
 そして、不思議な事にはまり子は、自分の願が、容れられてみるとー案外たやすく容れられてみると、うれしいよりも却ってかなしい気がして来た。たよりないお父様をこうして一人残してゆく―それでいいのだろうか?
 まり子の眼からは、涙が流れはじめた。
「まり子、お前は、どうして泣くのだ?おお、願がかなって、そんなにー泣くほどお前はうれしいのか?」父は、微笑しながら言った。
 いいえ、お父様、うれしくて泣くのではありません―まり子は、こう言いたいのであったが、やはり言うことが出来なかった。
「で、そうときまれば、なるべく早く出発する方がいいな」
 父はやさしく言ったが、やがてじっと眼を閉じて何か深く考え込むようにした。
 まり子は、ようやく涙を収めた眼をあげた。出窓(テラス)の薔薇が、そのぼんやりとした眼に映った。八重咲の鶸色(ひわいろ)の大輪が、うららかな朝の光に映えている。窓の硝子戸(ガラスど)が閉ざされていなかったら、きっと、あの胸にしみるような香(におい)が流れて来るであろう。と思いながら眺めていると、ふと、外側の花びらが二、三枚はらはらと散った。その拍子に、花は軽くはじかれたように打ちふるえた。そしてまた、はらはらと残りの花びらを落した。
「あら、薔薇が散ってしまったわ!」心の中でこう言いながら、まり子は、なおじっと、子房ばかりになった薔薇を見ていると、また何がなしにかなしくなって、ぼんやりと涙が曇って来た。
 と、その時―。
 ピアノのキーが二音程(オクターブ)ほど一度にがあんと鳴った。まり子は、びっくりして振返って見た。そこには、ピアノにもたれて、ぐったりとなった父の姿が目に映じた。翼のように拡げた左右の手は水平にキーを抑えている。そして蒼ざめた頬を譜面板に当てて、それだけでからだの重みを支えているように、両脚は長くカーペットの上に投げ出され、膝のあたりが、ペダルにかかっているのである。
「まあ、お父さま、お父さま!」
 まり子は、気も顛倒(てんとう)しながら走りよって父を抱き起こした。
「お父さま、どうなすったのでございます。お父さま、お父さま!」
 だが、父はもう返事をしなかった。持病の心臓が、急にいけなくなったのであろう。父は、突然、死んでしまったのである。
「お父さま!お父さま!」
 まり子は父の屍骸(しがい)を抱いて、そこに泣き伏してしまった。ーこうして、最愛の娘を都へ送ると共に、老音楽家大沼哲三は自分の魂を、亡き妻の待つであろう天国に送ったのであった。

 まり子が、都に上ったのは、それから一月ほど経ってから、この山国にもようやく春が訪れて来る頃であった。


  紹介状

 平常(ふだん)から親切に、いろいろ面倒を見てくれていた近所の小母さん夫婦と、仲好のお友達でまり子と同じ年頃の娘二、三人とが停車場まで送ってくれた。
「じゃ、気をつけてね」と、小母さんは、眼に涙を溜めて言った。「むこうの様子が思わしくなかったら、すぐに帰っておいでなさいよ」
 お友達の娘達も、眼に一ぱい涙を溜めた顔を並べて、やがて走り出した汽車の窓に、ぽっちりと白く浮かんだまり子の顔を、いつまでも見送っていた。
 午後の十二時に発つこの汽車は、明日の明方には、東京に着く筈だった。―まり子は、あまり乗客の多くない三等室の片隅に小さく坐って、大きな眼をじっと瞠るようにしていた。
「お嬢さん!お1人ですかえ?」不思議そうな顔をして、こんな風に問いかけたりする人もあった。
「へえ?一人で東京へ―へえ?東京へ勉強にー」と、その四十ばかりの商人風の人は驚いたように言った。そして、東京には誰か知った人がいるか?というような事を訊いた。まり子は、牛込に叔父さんがいる。叔父さんのところへ行くのだと答えた。
「叔父さんが?ーああ、それならいいけれど」と、その人は安心したように言った。その人はまり子の様子から、無分別な家出娘か何かだと思ったらしかった。
 叔父さん―まり子に叔父さんなどある筈はなかった。が、まり子は、父が自分のために遺してくれた紹介状の宛名の内山邦夫を心の底から頼り切っていた。お父さんの仲好のお友達だったその人は、きっと親切に自分を迎え取ってくれるだろう?優しい叔父さんとして自分の前に立ってくれるだろう?叔父さん―まだ見ぬ一人の叔父さんとして、まり子は、内山邦夫を、その心に描いているのであった。
 やがて、同室の人達は、思い思いの姿勢で眠ってしまった。中にまり子だけは、身体もしゃんとしたままとろりともしなかった。彼女の昂奮した頭には、過去の事や未来の事が入りまじって、さまざまの画面をはてもなく繰りかえし、巻きかえすのであった。
 新宿に着いたのは、午前六時をちょっと過ぎてからであった。
 こんなに早く訪ねては悪いか知ら?と思ったが、別にどうしようもなかったので、そこからすぐに車を命じて、牛込中町の、内山邦夫の家へと走らした。まだ十分に眠(ねむり)から覚めきらないような朝のすがすがしい風に頬を吹かせて、車の上に揺られながら、まり子は何だか夢のような気がした。長い間、願い望んでいた東京へ、自分は今こうして出て来たのだ。―そう思いながら、それが何だか現実化(リアライズ)できないような気がした。一晩中眠れなかったせいか、頭も少しぼんやりしているようだった。
 そのぼんやりしている頭の中に、ふと死んだ父の顔が浮かんだ。死ぬ少し前上京を許してくれた父への感謝で、思わず涙を流した自分を見て、「まり子よ、お前どうして泣くのだ?」と言った時の、その時の父の顔がふと浮かんで来た。同時にまり子は急に悲しくなって、思わず涙がさしぐんで来た。まあこんな時に泣いたりして、ーまり子は袂の先で涙を払うようにした。
 車はやがて、静かな邸町にはいった。牛込中町―内山邦夫の家は、家というよりも邸という方がふさわしいほど、山国育ちのまり子の眼にはとりわけ堂々たるものに見えた。門の外で車を捨てて、小さな耳門(くぐり)からはいると、植込の間を玉川砂利の道が一うねりうねって、西洋風の玄関(エントランス・ホール)が瀟洒とした感じでまり子の前に現れた。まり子は意気地なくしりごみする心を励まして、柱にとりつけられた鈴釦(ベル・ボタン)をおののく指先で押した。
 取次に出て来たのは、三十ばかりの中年のお手伝いさんだった。この早朝の、いわば時刻はずれの来客ーしかも若い娘がたった一人、しょんぼりとそこに立っているのを見ると、お手伝いさんは、露骨に不審の表情(いろ)を現して、
「どなたでございますか?」と訊いた。
「どうぞ、これをー」と、まり子は、父から貰った紹介状を懐から取出した。そしてお手伝いさんに渡した。まだお目ざめでないがーと、お手伝いさんは一寸躊躇したが、まり子のすがり頼むような顔つきを見ると、兎も角もというように、奥の方に引込んで行った。―しばらくすると別のお手伝いさんが出て来て、主人はまだやすんでいるが、奥様の仰せつけ故、こちらで少しの間待っていて下さいと言って、まり子を応接室の方へ案内した。
 まり子は、応接室の椅子に腰をおろして、その壁に掲げられた大きな油絵だの、炉棚の上にのせてある金銀のまばゆい装飾時計だのを物珍しく眺めながら待っていた。が、さっきのお手伝いさんが、お茶を運んで来たきり、いつまで経っても―その時計の針が八時近くを指すようになっても、まり子の心に描いている叔父さんは、なかなか姿を現してはくれないのであった。
 内山邦夫―という名は如何にも若々しく聞えるが、そして、その名にふさわしい若々しい時代が間違いなく一度はあったに違いないが、今ではもう灰色の髪をした、老人とは言えないまでも、もう中年とは言えぬ年頃の人だった。左様―まり子の父の大沼哲三より、たしか四つだけ年下の筈だった。
 だが、まり子の父が、後の半生を山に隠れて不遇におわったに引きかえ、内山邦夫は、現下楽壇の大家として世に時めいていた。昨夜も彼は、帝都第一と称される彼の楽壇を率いて、帝国ホテルで催された某国の王子(プリンス)の歓迎会に出演したので、その疲もあり、一体が朝寝が習慣なので、まり子が訪ねた時は、勿論まだ寝床の中にいた。で、夫人がまり子の持って来た紹介状を手にして、彼を眠から呼び覚した時に彼はかなり不機嫌だった。
「本当に恐れ入りますけど―こんな手紙をもってまいったのですよ。何ですか、まだ小さな、かわいい娘さんだそうでございます」夫人は、そう言いながら、その手紙を彼の手の中に置いた。
 大沼哲三―と書かれたその署名を見ると、内山の顔には、おどろきの表情(いろ)があった。その封を裂く彼の指先は、わなわなとふるえた。
 その手紙には、大体次のように書かれていた。
 
 ―私の古き友内山邦夫君よ。打絶えてもう二十年に近い。君は、おそらく私が今どこにどうしているかを知ってはいなかろう。私は今山の中の小さな町で老いている。老いてそして病んでいる。私は、もうやがて死ぬるであろう。私は、死の跫音(あしおと)を耳近く聞きながら、この手紙を書く。古き友内山邦夫君よ。どうぞ、私の願を聞いてくれ。私のただ一人の娘を君の手に託したいという私のこの願は、少しむしが好すぎるであろうか?が、すべての事はもうあまり遠く去っている。私はあの私の妻の美沙子にそっくりな私の娘を、君の手許に送り届ける。君はきっと、まり子を愛してくれるだろうと思う。そして、まり子のためにやさしい父となってくれるだろうと思う。私のこの考えは、少しむしが好すぎるかと思うが、しかし、私は君にこの寛大を期待する。古き友内山邦夫君よ、どうぞ、私が敢えて私のまり子を君に託した心持を汲んでくれ。そして、私のこの願を容れてくれ。いや、私は、必ず君が、この願を容れてくれるであろう事を信ずる。まり子は、わが娘ながら、よき素質とよき天分をもっている。まり子は、我が娘ながら、よき素質とよき天分をもっている。まり子は、決して君を失望させる事はなかろうと思う。
 
 ―こんな風に書かれたその手紙を読んでゆく内山邦夫の顔には、さまざまの表情が浮かんで消え、浮かんで消えした。そして、それを読んでしまった時、彼の顔には、その複雑な表情が、複雑に乱れ合ったまま、そのまま凍りついてしまったかのように見えた。


  不思議な返事

「あの、お会いなさいますか?一体、どういう娘なのでございます?」
 夫人は、こんな風に訊いて見たが、彼は、じっと黙りこんだままだった。
「あの、お会いなさいますか?」
「まあ、少し待ってくれ!」と内山は、もじゃもじゃに乱れた髪の中に、もう老年の硬りを見せている指を突込(つつこ)んで、うめくように言った。そして、じっと眼を閉じた。その閉じた眼には、二十年前の彼の生涯の痛手になっている記憶が、それからそれへと一聯(いちれん)の光景(シーン)を展開した。

 その記憶がどんなものであるかは、ここで説くのはまだ少し早い。―とにかく、まり子の訪れはこの老音楽家の心に、ある強い衝撃(ショック)を与えたのであった。 
「応接に待たせてあるんだね。じゃ、兎に角会う事にしよう!」ややしばらく経ってから彼は、呻くような調子でこう言った。
 内山邦夫が、まり子に会うために、応接室への階段をのぼって行ったのは、それから三十分ほど経ってからであった。
 待ちくたびれたまり子は、一歩一歩階段をのぼって来る重い跫音を聞きつけると、居ずまいを直して思わず心を引きしめた。彼女は、入口を背にして椅子にかけていたが、全身の注意を背にあつめて、その扉(ドア)の開くのを待ち構えていた。
 と、やがて、扉の開く音がした。まり子は自分の前に現れるであろう人の姿を次の瞬間に予期しながら、眼を壁の上に凝らしていた。―が、扉の開く音がして、人の気配はしながら、その人はなかなか部屋の中へははいって来なかった。
 まり子は、とうとう堪らなくなって振りかえって見た。振りかえって見たまり子の眼は、そこに立っている背丈(せい)の高い老紳士の、じっと此方(こつち)を見つめている二つの眼と合った。濃い眉の下に鋭く輝くその切長の二つの眼―じっと自分の後姿をみつめていたらしいその二つの眼は、まり子の顔を見ると、眼そのものが、「あッ!」と声をあげでもしたように見えた。 
 その老紳士が、内山邦夫である事は、すぐにまり子に判った。まり子は思わず椅子から立ちあがった。―が、まり子が椅子から立ちあがると同時に扉は音を立ててぴしゃりとしまった。そして、老紳士の姿は、もうまり子の眼から消えていた。
 まり子は呆気にとられて、しばらくはそのまま、突立っていた。
 一体どうしたのだろう?と、まり子は不安と怪しみに胸をしめつけられながら、なお二十分ほど、そこに待っていた。
 そこへ先刻(さっきのお手伝いさんがはいって来た。そのお手伝いさんは、気の毒そうな調子で次のように言った。
「あのお気の毒でございますが、旦那様は、今、お目にかかれないそうでございます。それで、この手紙をお渡しするようにとのことでございました」
 まり子は、お手伝いさんの手から、卓子(テーブル)の上に置かれた角型の封筒に眼をやったまま、答える言葉も知らずにぼんやりとしていた。―まり子には、一切の事が判らなかった。
 その手紙の宛名には「大沼哲三様」と書かれている。まり子は、ぼんやりとした眼に、その五文字を映しながら、「だって、お父様はもう生きてはいないもの―」と心の中につぶやいた。
「あの―」とお手伝いさんは一そう気の毒らしい様子になって、「その手紙をお持ち下さるようにとのことでございました。折角いらしって下さいましたけれど―」
「では、会ってはいただけないんでございますか?」まり子は涙ぐんだ眼で、お手伝いさんの顔と手紙とを等分に見ながら言った。
「その手紙を、お父様にお見せ下さるようにとのことでございます」
「でも―」と、まり子は、縋るように言った。「私の父は、もう死んでしまったのでございます」
「まあ、そうでございますか?」と、お手伝いさんは言ったが、しかし、どうも仕方がないという風に、「でも、何しろ旦那様がそう仰しゃるものでございますから―」
 まり子は、力なく内山の邸を出た。まり子は、父の紹介状の効果を疑わなかった。その一通の手紙が自分の運命の扉を開く鍵であることを夢にも疑いはしなかった。それなのに―何という重いがけない事だろう?
 まり子は、すっかり途方にくれた。何が何だが、まり子はちっとも判らない。―まり子は、内山から父への手紙を懐からとり出して、思い切って封を切った。受取るべき父がもうこの世に亡き以上、父に代わって読んでも差支(さしつかえ)はない筈だ。この手紙を読めば、内山の拒絶の理由もわかるであろう―そう思いながらまり子は、わななく心を押ししずめて、その空色の書簡箋(しょかんせん)に書かれた走書(はしりがき)の文字を読んだ。そこには次のように記されていた。

 大沼哲三君。どうぞ、私の狭い心を許してくれたまえ。君の幸福な記憶はすでに遠いかも知れぬ。しかし、私の不幸な記憶は、まだ生々しく私の胸に息づいている。君の折角の信頼に対して、こんな返事をあげなければならぬのを、私は悲しむ。君のお頼(たのみ)は、私にとっては、まだあまりに重い心の荷であることを、どうぞ、君よ、察してくれたまえ!ああ二十年前―しかも、私にはまだそれが昨日なのだ。そして君の美しい娘の姿は、あまりにまざまざと私にあの苦しい昨日を思い出させるのだ。旧き友、大沼哲三君よ、どうぞ、君の折角の頼を受け容れることの出来ない私の心の狭さをゆるしてくれ。

 まり子は、幾度も、くりかえして読んだ。が、一切はやはり謎であった。
 ―まり子は途方にくれた。
「ああ、どうしたらいいだろう?」
 まり子は、路(みち)の真中に立ちどまって、思わずこう言って、ためいきをついたのであった。


  謎

 まり子は、全く途方に暮れてしまった。どうしたらいいだろう?
 まり子は、もう一度、その空色の書簡箋に書かれた内山邦夫の返事を読んで見た。
   大沼哲三君。どうぞ、私の狭い心を許してくれたまえ―。
 あの人は、私のお父様がまだ生きているのだと思っている。もう、死んでしまったのに―。
 もう一度、あの人のところへ行って頼んで見ようかしら。
「私のお父様はもう死んでしまったのです。私は、もう帰ろうにも家もない身なのです」そう言って頼んで見ようかしら?
 いいえ。こうしてきっぱりと拒絶された以上、そんな事をしても無駄に違いない。そんなに、無理に頼んだりして、亡き父を恥かしめるような事があってはならない。何か深い事情が、あの人と、死んだお父さまとの間にあるに違いない。それがどんな事情であるか、お父さまに訊いたら判るだろうが、そのお父さまは、もうこの世にいらっしゃらない―。
 まり子は、すべてのものから振りすてられたような気がした。
 その人ひとりを頼りにして出て来たのに、こうしてその人に突き離されてしまって見れば、どうして明日の日が迎えられるかが、先ず第一の心配である。仕方がない。あの町に戻ってしまおうか?ともまり子は考えた。が、あんなにして、出て来たことを考えると、おめおめ帰って行く気にはどうしてもなれない。思わしくなかったら、すぐに帰っておいでと、あの小母さんは言ったけれど、けれどもう、あすこへは帰れない―とすれば、さあどうしたらいいのだろう。
 その時、まり子は、出て来る時に、あの深切なおばさんが、こんな風に言った事を思い出した。
「私の姪が、牛込にいるからね、ついでがあったら、訪ねてやって下さい。矢来(やらい)というところで、番地は一番地、なんでも、伯爵さまとか公爵さまとかの大きな邸のすぐ前だそうだからね。山田っていうんですよ。どうせ貧乏ぐらしだろうけど、気はやさしい者だから何かの頼りにもなるかも知れないからね」
 溺るるものは藁をも掴むという諺があるが、その時、まり子が、一握の藁として思い浮べたのは、その牛込の矢来にいるという、小母さんの姪の事だった。
 まり子は、この思いつきで、やや勇気づけられた。そこの交番で訊くと、矢来はすぐ傍だった。そして、十分ほどの後、まり子はS伯爵の邸の大きな門を見出だすことが出来た。
 が、その邸のすぐ傍だという、小母さんの姪の家はなかなか見つからなかった。
「一番地といっても、広いのですからね。何号か、号数が判っていないと、ちょっと知れにくいのですよ」
 と、とある煙草店で尋ねると、ただ、一番地の山田とだけでは、誰に訊いても判らなかった。同じような門の並んだ、同じような広い横町を、まり子は、ぐるぐると、行ったり来たり、迷宮の廊下のようにさまよい歩いたが、尋ねる家は、その家が意地悪く逃げかくれでもしているように、なかなか見つからないのであった。
 ものの、三十分も、そうしてぐるぐると尋ねまわった末に、ようやく見つけたその家は、ぴたりと戸が鎮(とざ)されていた。まだ寝ているのか知ら?―そう思って見あげる眼の前には、そこの窓の戸に貼りつけられた白い紙が―移転先を記した紙が、まり子の落胆を待ち構えていた。
 移転先、杉並区上井草七百六十三番地―そう、その紙に書かれてあった。
 まり子は、崩折れた気持ちを励まして、更にそこへ尋ねて行こうとしたが、はじめて、東京の土を踏んだまり子には、その杉並区というのが、どの方角に当っているか、どのくらい遠いか、どうして行けばいいのか?さえ判らないのであった。
 が、まり子は一生懸命だった。人に聞いて、飯田橋駅に出て、其処から吉祥寺行の省線電車に乗り、西荻窪の停車場で降りた時は、もうかれこれ正午(ひる)近かった。
 上井草七百六十三番地―。
 そこを探しあてるためには、まり子は、殆ど一時間あまり彷徨をつづけなければならなかった。実際、その判りにくさは、矢来一番地以上だった。
 そして、ようやく、その番地を探しあてたと思うと―おお!一体、それは、何ということなのだろう?それは、山田という家ではなかった。山口という家だった。
「それは、どうもへんですなあ!」と、まり子が玄関先に立ってこれこれで訪ねて来た旨を告げると、その家の主人らしい、勤人風(つとめにんふう)の髭を生した男は、まじまじとまり子の顔を見ながら言った。
「何かのまちがいじゃあないでしょうか?私の家内には、そういう知合いはない筈ですが―」
「まあ!」まり子は、口も利けないほど、まいってしまった。
「名は何というんでしょう?」
「お名前は知りません、ただ、山田さんとだけ聞いて来たものですから―」
「山田さん?」
「ええ」
「ああ、それじゃ違います。私は山口です。山田ではありません」
 そう言われて、まり子は、はじめて、自分の念の入った錯誤に気がついたのであった。まり子は、あの移転の貼紙の、「山口」を、「山田」と読みちがえたのであった。そして、山田という家を尋ねて来たつもりで、山口という家の玄関先に立っていたのであった。
「私、まちがえたのでございます」まり子は、恥かしさのために真赤になりながら言った。
「本当に、失礼いたしました」
「そうでしたか?しかし、どうもお気の毒ですなあ」その人は、髭を引っぱりながら、心から気の毒そうに言った。
 まり子は、逃げるようにその家を出た。まり子は、もう、そこへ倒れてしまいそうになった。はりつめた気持も、こらえ性なく弛んで、足もともよろよろとよろめくのであった。




  奇遇

 再び停車場へ戻ったまり子は、その待合室のベンチにぐったりと腰をかけた。もう一度矢来へ行って山田という家を尋ね直さなければならないと思いながらも、もう、それだけの勇気がなかった。
 まり子は、力ない眼をあげて、線路の上に降る白い雨脚を眺めていた。今朝は、あんなによく晴れていたのに、いつの間に雨が振り出したのだろう?とそんな事を、ぼんやりと考えながら―。
 そして、雨の降るのを眺めているうちに、まり子の眼には、ふと死んだ父の顔が描かれた。
「お父さま!」まり子は、こう呼びかけずにはいられなかった。「お父さま!私は、どうしたらいいのでしょう?どうしたらいいのでしょう?」
 が、父は、それに答えてくれなかった。答えてくれない父は、ただかなしげな眼で、じっとまり子の顔を見ているだけだった。
 まり子は、いつまでも、いつまでも、その薄暗い待合室の片隅の腰掛に腰をかけていた。
 そのまり子の様子は、すこし気をつけてみる人の眼には、きっと不思議に映ったであろう。が、誰もそれだけの注意を払う人はなかった。駅員の一人は、長い間、そこに坐っている少女のある事に目をとめてはいたけれど、誰かを待ち合せているのだろうと思って、それ以上別に、深く気にする風もなかった。
 まり子は、しかし、いつの間にか電気がついて、すっかり夜になってしまったことに気がつくと、こうしてはいられない気がした。
 まり子は、力なく立ちあがって、改札口を入りプラットホームに出て行った。とにかく、新宿まで戻って、それから―。
 それから―?
 それから、どうしていいか?―まり子はもう、その後を考えるだけの元気もなかった。まり子は、極度に疲労していた。その疲労した頭に、ふと、ひらめくように浮んだ一つの考えがあった。
 ―死んでしまおうかしら?死んでお父様のところへ行こうかしら!
 まり子は、父が死ぬ朝、父から聞いた、あの額に切手を貼って天国へ旅だったという少女の話を思い出した。そうだ。私も、あのお伽噺の少女のように、天国に行った方がいいのではないかしら?
 まり子が、目の前に光る線路を眺めながら、そんな事を考えていると、
「もし、失礼でございますが―」と、ふと、まり子に話しかけた人があった。まり子が驚いて振り向いて見ると、髪を七三にわけた優雅な顔立をした四十恰好の婦人が、優しい微笑を湛えた眼で、自分を見ていた。―その婦人が、まり子の傍に坐って、先刻(さっき)から、じっとまり子の様子を眺めていた事に、まり子は気がつかなかったのである。
「あの、だしぬけにこんな事を申し上げては失礼でございますけど、あなた、お名前は何と仰いますの?」
「わたくし―」と、まり子は狼狽しながら言った。「わたくしの名前でございますか?」
「ええ。本当に、だしぬけにおたずねして、失礼なんですけど―」
 まり子は躊躇した。全く見知らぬ人に名前を聞かれて、すぐに返事の出来る者は、おそらくないであろう。
「あの―」と、その婦人は言った。「まちがったらどうぞ御免下さいませ。あなたはもしかしたら、大沼さんと仰しゃりはしないでしょうか?」
 まり子は、おどろかずにはいられなかった。この人は、まあどうして、自分の名を知っているのだろう?
「違いましたろうか?」
「わたし、大沼まり子でございます」
「じゃ、やっぱり―」と婦人の眼には、殆ど狂喜といっていい位の、輝き躍る表情があった。
「やっぱり、そうでしたのね。私、どうも、そんな気がしたもんですから、思いきって声をおかけして見ましたのよ」
「あの、どうして、私をご存じなのでございましょう?」
「あなたのお母さまと、あなたは、まるでそのままなの。まあ、まりちゃん!まりちゃんて仰しゃるの?」
 婦人は、急に打ちとけた調子になって、愛撫に充ちた眼で、まり子を押しつつむようにした。
「私のお母さまを知っていらっしゃいますの?」
「知ってるだんではないのよ。あなたのお母さまとは、大へん仲好でしたの!仲好というよりも、私が、あなたのお母さまに可愛がっていただきましたのよ。もう、遠い昔の事ですけどね」
「まあ!」と、まり子は目を睜(みは)った。
「でも、ここで、あなたにお会い出来るなんて―本当に奇遇ねえ。で、あなたは、今東京に来ていらっしゃるの?」婦人は、母性的な微笑を口もとにただよわしながら、こんな風に問いかけるのであった。


  救い



 あまりの事の意外さに、まり子はただ呆気(あっけ)にとられて、その婦人の顔を打戍(うちまも)るより外なかった。
「まあ、私、自分の名前をお聞かせもしないで―」と、婦人はようやくそれに気がついたというように、「私の名はね、沢田信子と申しますの」
 「あら、沢田さん!」まり子は思わず声をあげた。沢田信子といえば、誰知らぬ者もいない名高い音楽家である。つい、先ごろまでは、上野の音楽学校の教授だったが、今ではやめて、ただ、時々、方々の演奏会に姿を見せるだけだ―というような噂を、まり子も新聞か何かで読んだ事があった。
「あなたは、私の名前をご存じでしょうか?」信子は、その母性的の微笑をつづけながら言った。
「よく存じておりますわ」まり子は、言葉に力を籠めて答えた。
「私は、あなたの、お母さまと、大へんお親しくしておりましたのよ。―本当にあなたはあの美沙子さんにそっくりですわ。私、昔の美沙子さんが、そのまま生きかえっていらしったかと思ったくらいですよ。で、まり子さん―今、どうしていらっしゃるの?」
「私、今―」まり子はおどおどとした眼で信子の顔を見上げた。どんなに今自分が困っているか、苦しんでいるか―それを聞いてくれようとするこの深切な婦人の言葉は、まり子にとって渡りの船だった。が、まり子は、思うように口が利けなかった。ただ、涙ばかりが、こみあげて来た。
「お父さまは、たしか、N―の方にいらしった筈ですわね。御丈夫?」
「お父さんは亡くなりました」
「まあ、大沼さん、お亡くなりになりましたの?何時(いつ)?」
「この二月に」
「そう?で、まり子さんは、何時此方へ出ていらっしゃいましたの?」
「あの、今日―、今朝なのでございます」まり子は眼を伏せて答えた。
「今朝?」と信子はおどろいて、「それで、この辺に知った人でもおあんなさいますの?」
「いいえ」まり子は、首を振って、ようやく聞き取れるくらいの声で答えた。
「まあ!―じゃあ、どうしてこんなところに、いらっしゃるの?」信子は、まり子の様子を、仔細に観察するという風にしながら言った。まり子の、ひどく打ちしおれた、涙含みさえした様子が、敏(さと)い、親切な信子の眼に、映らずにはいなかった。
「少し、訪ねる人があって来たんですけど、―わからないんですの」
「訪ねる人が?」
「ええ。私もう困ってしまいましたの」まり子はそう言いながらとうとう泣き出してしまった。今まで張りつめていた気持が急にゆるんだのであった。
「あら―どうしてお泣きになるの?困った事があるって、どんな事?え、どんな事でも私に話して頂戴。私、どんな御相談にでも乗ってあげますわ。え、まり子さん、泣かないで、私に話して頂戴。何も彼もみんな話して―ね」
 まり子は嬉しかった。嬉しいだけに余計に泣ける。まり子は、袂をしっかりと顔にあてて、止めどもなく泣きじゃくった。
「ね、泣かないでもいいのよ。ここであなたに会うなんて、何かのお引合せだわ。ね、泣かないで、その困った事というのを私に話して頂戴」信子はそう言いながら、まり子の肩に手をかけて、その顔をのぞき込むようにした。信子は、まり子の肩が、おこりのついたように慄えているのを、その掌(たなぞこ)に感じた。その慄えようは、ただ、泣いているためばかりではなかった。信子は、驚いて、袂を顔に抑えている手にさわって見た。掌が焦げるかと思うばかりの激しい熱だった。
「まあ、大へんなお熱!」と信子はあわてて、
「こうしていちゃいけないわ。ね、私の家へいらっしゃい。まあ、どうしたというのでしょう。こんなひどい熱のある身体で―早く、静かにやすまなければ、そして、お医者さんに見ていただかなければ―」
 信子は、まり子を抱きかかえるようにして、ホームから外へ連れ出した。今朝からの心労が、昨夜(ゆうべ)の夜汽車で引き込んだらしい風邪の熱をかもして、その今まで内攻していた熱が安心と共に俄(にわ)かに発したのであった。まり子は、どうして信子のために車に乗せて貰い、どうして信子の家に連れ込まれたか―それからの事は、何も彼も、ぼうッとして夢のようであった。そして、ようやく、気がついた時は、まり子は、十畳ばかりの、何処も彼処も綺麗に磨き立てられた部屋の中に、軟らかな蒲団の上に横たわっている自分を見出だした。電気はあかるく、その頭の上にともっていた。額には氷嚢がのせられていた。そして、自分の枕もとには、薬瓶をのせた盆がひっそりと置かれていた。
「ここは何処かしら?一体、私はどうしたのかしら?」まり子は、こう考えて見たが、何も彼もが夢とも現(うつつ)ともなくぼんやりとして、はっきりと形をとらないうちに、またうとうとと深い眠へと引き込まれてしまうのであった。


  母の面影(おもかげ)

 まり子は、うとうととした眠の中で、一つの夢を見ていた。
 春の野である。路の左右には、美しい草花が、目もあやに咲き乱れ、白い蝶や黄いろい蝶がひらひらと舞っている。
 ―どこかから音楽が聞えて来る。まり子は、その音楽に誘われるようにして、ふらふらとその路をあるいて行く。すると、向こうから、静かなあしどりで此方に近づいて来る老人がある。見ると、それは父である。
「あら、お父さん!」まり子は走り寄って、思わずこう声をあげる。父は、黙って、ただにこにこと笑っている。―ふと、気がついて見ると、父のうしろに、女の人が立っている。青ざめた顔をして、その優しい眼には、深い悲しみが湛えられている。それが、母だという事が、まり子にはすぐにわかった。
「お母さん!」とまり子は叫んだ。―と思ったら、眼が覚めてしまった、
「どう?少しは楽におなりなの?」枕もとに優しい声がした。見ると、信子がそこに坐っていた。今、夢の中で見た亡き母のすがたと、そこに坐っている信子のすがたとが、まり子のぼんやりとした頭の中でごっちゃになっていた。
 力なく蒲団の外へ投げ出されていたまり子の手は、信子の手に優しく握られた。
「大分熱がとれたようね。すぐによくなりますよ」信子は優しく言った。
「ありがとうございます。いろいろお世話になりまして」
「お礼などは言わなくてもいいのよ。―だけれどね、まり子さん、あなたは此処にいるって事をお知らせしなくてはいけないわ。何処へお知らせすればいいのだろうね」
「何処も―」まり子は答えた。「私、まだいる所がきまっていないんですの。だから何処も、知らせる所なんかありません」
「まあ、そう―じゃ、このままでいいのね。それなら、いっその事いつまでも私の家にいちゃどう?いずれあとでいろいろお訊きしますけど、今夜はゆっくりとおやすみなさいな」信子は、あくまでもやさしい調子で言うのであった。
 まり子の眼には涙が浮かんだ。まり子は胸一ぱいの感謝の言葉を、どう口にすべきか苦しんだ。とにかく、これで自分も救われたという気がした。死んだお父様やお母様が自分をまもっていて下さるのだ。そして、この人に引合せて下さるのだと思った。
 まり子は再びうとうとしはじめた。戸の外に、しとしとと降る雨の音がした。そして、遠くの部屋から、蓄音器の歌が聞えて来た。まり子には、何の歌だか判らなかったが、それは、シューマン・ハインクの唄う「ジョスランの子守唄」だった。眠れ、眠れ、やすらかに眠れ、というその歌は、まり子の心を次第に、安らかな眠の国へと誘ってゆくのであった。
 あくる日の午後には、もうすっかり熱もとれて、まり子は床から起きあがる事ができた。
 信子の室(へや)には、桃花心木(マホガニー)の大きなピアノが据えられてあった。ピアノの室(へや)には、うずたかく楽譜がつみ重ねられ、赤や黄や紫の美しい夏花の盛られた青磁の花瓶があった。壁には、ベートーベンのマスクが懸っており、その下に大きな花輪がおかれてあった。そして、一方の窓下の机の上には、装幀の美しい新刊の文学書などが載せられてあった。投げやりな中にも趣のある、質素ながらどことなく華やかな空気の漲ったその部屋の、小さな卓子(テーブル)を挟んで、まり子は、信子と相対して坐った。
「そう?内山さんへの紹介状を持って―そう?それで内山さんからことわられたのね、まあ、そう?」信子は、まり子の言葉の一つ一つに深くうなずいて、「折角、頼って来たものを、まあ、内山さんも、あんまり残酷だわね」
「私、何だかちっとも、わけが判らないんですの。―内山先生の許へさへ行けば、きっとお世話して下さるという父の話しだったもんですから―」
「それにはね、やっぱり、わけがあるのよ。まり子さん!」
「私も、何かわけがあると思いました。どういうわけなのでございましょう?」
「そのわけはね―」信子は、言いさして口籠ってしまった。
「知っていらっしゃるのでございますか?」
「ええ。私は知っているのよ」
「どういうわけなのでございましょう?」とまり子が重ねて訊いた。
「でもね、それをあなたにお話しするのは、まだ早すぎるように思われるわ。今に、わかる事なんだから―」
 まり子は、ただ、信子の口もとを打ちまもるより外なかった。
「今に、自然にわかって来ると思いますわ。―ただね、あなたをおことわりになった内山さんのお心持も、ずい分お辛かったろうと私思うのよ。内山さんを恨んではいけませんわ。深い、こみ入ったわけがあるんですからね」
「そうでしょうか?」と言ったが、信子の言葉はまり子にとっては依然として一つの謎でしかなかった。
「とにかく、もうあなたには私がついているんだから、私が何処までもあなたのお身の上は引き受けてあげますから、あなたは心配しなくてもいいのよ。そして、あなたのお母様にまけないような立派な音楽家におなりになるのよ。あなたのお母様の美沙子さんは、本当に天才といってもいいくらいの方だったのよ。ミニヨンの『君よ知るや―』あれ、あなたご存じ?あれが美沙子さんのお得意でしたっけ。ずっと東京にいらっしゃったら、それこそ素晴らしい声楽家としても、もっともっと名高い方におなりになったのでしょうに、いろいろの事情から、田舎に引っ込んでおしまいなさるし、若死(わかじに)をなさっておしまいなさるし―本当に、惜しい方だったわ」信子は、遠い昔を思いかえすようにして、こんな風に語りつづけるのであった。