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君よ知るや南の国 その2

2011年09月24日 | 著作権切れ大正文学
  雲雀(ひばり)の歌



 頼って来た内山邦夫にことわられたまり子は、はしなくも、沢田信子に拾われて、信子の家で、幸福な朝夕を送るようになった。人間の運命というものは、本当に不思議である。
 沢田信子は、その生涯を芸術に捧げて、三十六になる今日まで、清らかな独身をつづけている人であった。郊外の、林に囲まれた静かな家に、年とった母親と、お手伝いさん二人と、あとはライと呼ぶセッターの番犬が一匹。その、ひっそりとした生活は、まり子が加わって急に賑やかに活気づいた。
 信子は、まり子の死んだ母と、姉妹(きょうだい)もただならぬ親友であったという。信子のアルバムの中には、若い頃の信子が、まり子の母の美沙子と一緒に撮った写真があった。
「私が十八、美沙子さんが二十の時よ。ねえ、よく似ていると御自分でも思わない?まるで瓜二つじゃありませんか」
 信子は、まり子の顔と、その、もう黄に薄れた写真とを見くらべて言うのであった。―本当によく似ているとまり子も思った。こんなに若い頃の母の写真は、まり子は、ここではじめて見たのであった。
 まり子は、信子の口から、いろいろと亡き母についての話を聞いた。
「美佐子さんが、結婚なさるって時、私は憤(おこ)ったのよ。いつまでも独身で、お互に頼りあって暮して行こうと前からお約束をしていたのでね。それじゃお約束がちがうって、私、駄々を捏ねて、散々に美沙子さんを困らせたのよ」信子は、そんな風にも話した。「一本気な私だったわねえ。それで腹を立てて、美沙子さんが結婚なすってからは、もうぷっつりとおつきあいを止めてしまいましたの。そのうちに、美沙子さんはお亡くなりになる。―お亡くなりになったと聞いた時は、私、悲しくて悲しくて、いく晩もいく晩も泣き明かしましたの」
 そんな話をきいているうちに、まり子は、そこに、まざまざと母の姿を描き浮かべる。描き浮かべる母の姿は、やがて自分の前にいる信子の姿と一つになる。まり子は、死んだ母が、信子の形を借りて今、自分の前に甦っているのではないかという気がして来る。―本当に、信子がまり子にとって、いかに、優しい親切な母であったろう。
 十日が経ち、二十日が経った。まり子は、すっかりこの家に住みついてしまった。こんなに厄介になっていいのかしら?と最初のうちは、ひどく心苦しい気がしたが、その心苦しさも、信子の、あくまで打ちとけた態度のために打消されて、まり子はすぐに性来ののんびりとした無邪気な気持で、その毎日を楽しむ事が出来るようになった。
 試験的にうたわされたり、弾かされたりしたまり子の成績は、すっかり信子を満足させた。
「耳も確か、声も素敵。大丈夫、お母様にまけない声楽家(ヴォーカリスト)になれますわ。やはり、美沙子さんの娘ですわ。大したものですわ。―でも、讃(ほ)められたからって安心しちゃ駄目よ。勉強が大事よ。みっしりと勉強するのよ。私が仕込んであげますわ」信子は、非常な意気ごみでこう言った。昔の友、たがいに半身かの如く思った昔の友、その忘形見(わすれがたみ)を自分の手で立派な芸術家に仕立てあげるという事は、信子にとっても最も喜ばしい仕事でなければならなかった。
「やはり、あなたのお母様が、あなたを私に引き合せてくれたの。私が美沙子さんを忘れずにいたように、美沙子さんも私を忘れずにいて下すったのね」信子は涙ぐみさえしてこう言ったのであった。
 斯(か)くて、信子は、まり子のために母であり、師であった。信子は、いろいろの曲をまり子に弾いてきかせ、そして、それについて親切に説明してくれる事から、その授業をはじめた。
 シューベルトの『聴け(ハーク)よ聴けよ(ハーク)雲雀(ザ ラーク)』―あの有名な曲を弾いて見せた時は、信子は、その曲の成立についての美しい挿話(エピソード)を、まり子に話してくれた。
「シューベルトが、この曲をつくったのは、丁度、今日のような、こんな日だったのよ。お友達とウインナの料理店(カフェー)で食事をしていたんですって。食事しながら楽しく語り合っていると、窓の外の、畑の上の青空で、雲雀がしきりに鳴いていたんですって。するとね、シューベルトは、卓子(テーブル)の上にあった献立表(メニュー)の裏に、すらすらと書いたのが、この『聴け(ハーク)よ聴けよ(ハーク)雲雀(ザ ラーク)』の曲だったという事ですよ。だからこれは即興曲よ。本当に気持のいい、美しい曲ですわね。―丁度、今日のような長閑(のどか)な春の午後だったのでしょうよ」
 いつの間にか春になっていた。そして、ここ日本の東京の郊外にも、シューベルトが聴いたであろう同じ雲雀が、大空高く囀(さえず)っていた。その雲雀の声を聴きながら、まり子は、彼女自身、その雲雀のように幸福だった。

 雲雀の鳴く春は過ぎて、やがて夏になり、夏もたけてやがて秋めく水色の夕空に、黄金(こがね)の鈴を振るような茅蜩(ひぐらし)の音のする頃となった。
 茅蜩の音は、故郷(ふるさと)の山国の、あの林の蔭にさびしく眠る父の方へと、まり子の心を誘うて行く。幸福なまり子ではあったが、どうかすると、夕ぐれの空に我知らず涙含んでしまう事がないではなかった。
「何か考え込んでいるのね」と、そんな時信子は、優しい微笑みの眼で彼女を抱き寄せた。
「快活のようで、あなたはやはりセンチメンタルね。そういうところもお母様似よ。でも、心を弱くしちゃ駄目。強くならなきゃ駄目」


  知られざる運命

 まり子が、信子の家に引き取られてから、いつの間にか一年近くの月日が流れた。
 一年の月日は、すっかりまり子を大人びさせた。処女の春は今や盛りとなって、まり子の美しさは、誰の目にもついた。と同時に、信子の努力の甲斐は、めきめきとまり子の芸術の進歩に現れた。信子はまだその秘蔵弟子を、舞台(ステージ)に立たせはしなかったが、まり子のすぐれた才能は、早くも人々の口にのぼっていた。母と同じく、まり子の声も、中音(アルト)だった。
「いや、実にすばらしいものだ。この分で二、三年練習すれば、中音歌手としては、東京でもほかに及ぶものはないでしょう。どうぞ、みっしり勉強して下さい。日本には中音の歌手が少い。日本の楽壇のために、勉強して下さらなきゃいけない」
 信子の親しくしている声楽家でその方の権威といわれている中井新吉氏は、ある時、信子の家を訪ねて来て、まり子の歌うのを聴くと、こういって、且(かつ)感嘆し、且激励した。
 もう、そろそろ舞台に立たせてもいい―と、信子も思っていた。

「ねえ、まり子さん」と、ある日、外出先から戻って来た信子は、いつになく改まった調子で、まり子に言った。「私、今日、ある人にあったのよ」
「ある人?―どなたですの?」
「内山邦夫さんにお目にかかったのよ」
「まあ、内山さんに―」内山と聞くと、すぐにまり子は、去年上京当時に、すげなく追い払われた時の事を恨めしく思い出しながら、こう問いかえした、
「ええ、内山さんよ。今日、私、内山さんをお訪ねしたのよ。内山さんは、病気で大変お悪いのよ。で、まるきり知らない仲じゃなし、中井さんにも誘われたので、お見舞いにおうかがいしたのよ」
「まあ、御病気なんですの?」
「ええ。大へんお悪いのよ。―それでね、内山さんが、まり子さん、あなたにお目にかかりたいって仰るのよ。もう今度はむずかしい。生きているうちに、ぜひ一度、お目にかかりたいって仰しゃるのよ。どうぞ、あの娘さんに会わしてくれって、私にお頼みになるのよ」
「まあ、内山さんが、私に会いたいって。どういうわけで、そんな事を仰しゃるんでしょう」
「それにはわけがあるのですよ。―あの時にはせっかく尋ねて来てくれたのに、あんな風にそっけなくして本当にすまなかった。会ってお詫びをしたい。ぜひ一度会わせて貰いたいと仰しゃるんですよ」
「でも、私―」と、まり子は口籠った、
「会うのは、いや?」
 信子は、とつおいつ思案にくれているまり子の様子をじっと見ていたが、
「でもね、それはあなたのお心まかせよ。本当はね、私も、会わない方がいいと思うの、会わない方が、あの人のためにも、あなたのためにもいいと思うの」
「おばさまが、そうお考えでしたら、私、お会いしない事に致しますわ。私、なんだか、お会いしたくないんですもの」
 まり子には、一切の事が、謎であった。あの内山老人が、なぜそんなに自分に会いたがっているか?あの様にすげなく拒絶した自分に、なぜ今更そのように会いたがるのか?まり子にはすべてが不可解だった。が、何かしら、そこに複雑な事情が伏在しているらしい事は、そしてその事情が、ある悲劇的分子を含んでいるらしい事は、朧気(おぼろげ)ながら推測された。人生とか運命とかいうものに対して、ようやく眼を開けかかったまり子は、例えば、早くも風雨の前触を感じて、葉蔭に慄えている小さな一つの蕾だった。
 蕾をば嵐に当てるな。咲きかけた花を、風雨に傷ましむること勿(なか)れ。信子は、知られざる運命の前に、感じ易く瞳をおののかしているまり子を見ると、内山邦夫のせっかくの申出も、断然、ことわるに如(し)くはないと思った。内山の願もあわれである。しかし、その、刺戟的(ストライキング)な会見が、無邪気なまり子の心に、激しい痛みを残すような事があってはならない。
「じゃあね、私、なんとか言っておことわりしときますわ」
 と信子はやさしく言って、
「今更、会いたいなんて、それは、あまりあの人の我儘というものよ。おことわりしたって構う事はないわ。―何でもないのよ。こんな事、あなたにお話しなければよかったわ。あなたももうこの上考えちゃいけないの。何も考えちゃいけないの。何も考えないで、ただ、一生懸命に勉強しなければいけないの!」
 信子は、妙に昂奮して、その眼に涙をさえ浮かべて言うのであった。
 考えてはいけない、なんて言って、何を考えるというのだろう。考えるにも、考える手がかりがないじゃあありませんか?おかしなおばさまね。―と、まり子は心の中でつぶやいたのであった。
 そんな話があってから、十日が経ち、二十日が経って、まり子は、忘れるともなく忘れてしまった頃になって、ある日、やはり外出先から帰った信子が、まり子に言った。
「よかったわ、まり子さん。やはり、会わなくてよかったわ。内山さんは、病気がお癒りになったのですって。ねえ、私、あんなに頑張って、内山さんがお亡くなりになったら、悔いになって遺るかと思って、すっかり苦しんでしまったのよ。けれども、やはり―あなたを会わせなくて本当によかったのよ」
 では、あの人は、あの人が死ぬ時でなければ、会ってはいけない人なのか?まり子は信子の言う事が不思議だった。その、まり子の不審を、敏(さと)くも読み取ったようにして、
「そうなのよ。死ぬ時でなければ、会ってはいけない人なの。内山さんだって、もう駄目だとお思いになったから、会いたいと仰しゃったのよ。臨終(いまわ)の願として、あなたと会いたいと仰しゃったのよ。でなければそんな事仰しゃるわけがない筈だわ!」と信子は、相変わらず昂奮した調子で言った。
 臨終の願として―まり子には、一切のことが、益々わけが判らなくなるのであった。


  雪の夜

 まり子は、沢田信子の秘蔵弟子として、怠りなく勉強した。そして、その進歩には実に驚くべきものがあった。もちろん、それは並々ならぬ天分のためにでもあったが、いかなる天分も、磨かずして光る珠はない。まり子の芸術の、斯(か)くもめざましい進歩は、彼女の一心不乱の勉強の結果であった。
 まり子が、舞台(ステージ)に立つようになったのは、まり子が、はじめて信子の許に身を寄せてから二年あまりの日が経ってからであった。まり子ももう十八だった。彼女の、けばけばしくない、しっかりと落付のある美貌は、そのすぐれたる芸術と共に、強く人々の心を魅(み)した。まり子の師なる沢田信子と共に、当時、声楽界の二大明星と並び謳われていた松井鴇子。その鴇子の秘蔵弟子に、山岸久子という丁度まり子と々同じ年配の歌手があって、まり子より一年程前に楽壇に出て、非常な人気を博していたが、まり子は、やがて、その山岸久子と相対峙するような位置におかれた。久子はぱッと花の咲いたような、豊麗な美貌の持主で、師匠譲りのソプラノだった。久子のソプラノ、まり子のアルト。あくまで華やかに、それはやや淋しく―しかも、そのやや淋しい、やや憂(うれい)を含んだところが、しみじみと沁み入るような魅力で、人々の心を魅した。それに、玄人筋の批評によれば、その芸の真価においては、まり子の方が段ちがいにすぐれているという事であった。
 その上に、そういう世界の人々にありがちな素行上の欠点も、まり子には全くなかった。久子には、随分よくない噂もあって、たとえば、某(なにがし)というバイオリニストと恋愛関係があるとか、某という貴族の息子に愛されているとか、それも、どちらか一人だけならいいが、同時に二人の―いや、もしかしたら、ある富豪の、もう妻子もあるような中年の紳士と、合せて三人の愛を同時に受けているのだそうだとか、真偽の程は保証されないが、兎に角、そんな風な噂が彼女の身辺をとりまいていた。
 そこへ行くと、まり子はあくまでも清浄だった。彼女は、芸術の外のすべてに眼を閉じていた。彼女は芸術の外の何ものをも思わなかった。
 彼女は、そのゆたかな青春を一切芸術の神に捧げてしまった。彼女から、芸術を除いたなら、それは一個の修道女といってもよかった。満都の人気をあつめる美しい声楽家として、華やかな世界に棲みながら、彼女の心は、常に黒い色の喪服をまとうていた。
 だが、いろいろの誘惑は、絶えず彼女に向って手をのばした。
 ある夜の演奏会では、彼女はある貴公子から大きな花輪を贈られた。その花輪には、一葉の名刺が添えられてあった。私はあなたの芸術の心酔者です。一度お会い下さるわけにはまいらないdしょうか?と慇懃な調子で、その名刺には書かれてあった。
「まあ、富永伯爵の若様ではございませんか。音楽好で有名な方ですよ。御自身も大そうお上手にピアノをお弾きになる。あの方からこんなお言葉を頂くなんて、本当におうらやましゅうございますわ」
 その時一緒だった中年のピアニスト―ピアニストとしては屈指の安田柳子(りゅうこ)はこう言って、彼女の光栄を祝福してくれた。が、まり子は、ただ当惑そうに顔を打ちながめたばかりで、その名刺は細かに裂きすててしまった。
 それは一例だった。そんな風な事はまだ外にも沢山あった。
 ある雪の夜であった。丸の内のある所で、郊外の家に帰った事があった。自動車も、電車も同じ舞台(ステージ)に立った人達と一緒だった。それは、ピアニストの安田柳子と、同じくピアニストで、まだ若い榊原礼吉(さかきばられいきち)とだった。柳子は、沢田信子と殆ど同年輩で、ピアニストとしては随分知られた方だが、何処か幇間めいたところがあって、芸(わざ)はすぐれているが人柄に何となく物欲しげなところのある人だった。礼吉は、作曲家として非凡な天分をもっていたが、音楽家というよりも、むしろ詩人らしい感じのする、物静かな、憂鬱な青年だった。まり子は、この人にだけは、ひそかにある好感をもっていた。「私は今晩くらい弾きにくかった事はないわ」と自動車の中で、柳子が、誰にともなく語り出した。
「私、弾いているうちに冷汗が出てたまらなかった!」
「どうしてです?」礼吉が訊いた。
「だって、内山先生が聴いていらしったんですもの」
「内山先生?」
「ええ、内山邦夫先生よ」柳子は、持前の、妙に娘っぽい調子で言った。
「内山さんが、今夜いらしってたんですか?」
「ええ、いらしってよ」
「僕あ、ちっとも知らなかった」
「それがね、聴衆(ききて)の中にこっそりとまじっていらしったのよ。私、最初舞台(ステージ)に立った鴇、それを見つけちゃったの!黒い洋服を着て、すぐ前の側の、一番端のところに、こっそりと坐っていらっしゃるのよ」
「あなたの見ちがいじゃあないのですか?」
「私も、そう思って、アンコールの時にもう一度よく見なおしたの。やはりそうでしたわ。まちがいなく、それは、内山先生でしたわ」
 黙って、それを聞きながら、まり子は、激しい胸騒を禁ずる事が出来なかった。
「内山さんは、近頃健康を回復されたのでしょうか?もうすっかり弱って、殆ど家に閉じ籠ってばかりいられるという事を聞いていますがね」と礼吉は言った。
「もう髪も真白になって―傷ましい御様子に見えましたわ」
 垂死(すいし)の老音楽家が―そして、曾(かつ)てはこの道の王座にいた老音楽家が、この雪の夜にこっそりと、平の聴衆の中に身を忍ばして、若い人達の演奏を熱心に聴いていた。というその事実は、柳子を強縮させたばかりでなく、礼吉の心にも強い感激を煽った。あの人の胸には、まだ芸術の火が燃えているのだ。その老いと病とのために、一度見捨てた芸術の国に、思わずふらふらとさまよい戻ったのであろうその老音楽家の心持!
 それを思うと、感じ易い礼吉は、我知らず涙含(なみだぐ)んだのであった。
 が、まり子の気持は、もっと複雑に働いていた。柳子にそう言われて思い合せたのであったが、まり子も、その老人の姿を見たのであった。すぐ前の、聴衆席のはずれに少し猫背の身体をうずくまるようにして、じっと自分の方をみつめている一人の老人。はっとしながらも、まさかと打ち消したが、その灰色の髪のみだれかかった憔悴した顔の下に、悲しみのおもいを含んで底深くかがやく二つの眼が、正しく、自分に向って凝らされているのを感ずると、彼女の心は不思議にわなないた。あの人だ!彼女は、そう思った。―がやはり、そんなわけはない。自分の見ちがいなのだ、と、再び打ち消して見もしたのだったが―。
 自動車から、電車に移って、電車が四谷に来ると、柳子はそこで降りた。あとは、礼吉と二人だけになった。礼吉は中野に住んでいたので、そこまでは一緒だった。
 雪の夜の電車は、乗客も少く、二人は、一尺ばかりの間隔をおいて並んで腰掛けた。こうして男の人と二人きりになるという事は、まり子にとっては、あまり例のない場合だった。この「場合」が、妙に彼女を胸苦しくした。
 礼吉も同じような気持であるらしかった。礼吉は何か話しかけようとして、言葉の緒(いとぐち)が見つからないという風だった。
「大沼さん」と礼吉は辛うじて口を開いた。「あなた、どうかなさいましたか?」
「いいえ」
「何だか、ひどく顔色がお悪いようじゃありませんか?」
「まあ、そうでしょうかしら?」
「風邪でもお引きになって、熱でもおありんなるんじゃありませんか?」
「いいえ。―ただ、すこし疲れただけ」まり子は聞えるか聞えないかの低声(こごえ)で答えた。
「あなたの今夜の歌い振りは、大そう熱情的(パッショネート)でしたよ」
「まあ!」と、まり子は思わず赤くなった。―礼吉は、今夜、まり子の伴奏者だった。
 そんな事からようやく話の緒が開けて、二人の間には、彼等のたずさわりつつある芸術についての話が、それからそれへと語り出された。
 いろいろの話の末、礼吉が、来年の春、独逸(ドイツ)へ行くという話が出た。
「ようございますわねえ。どのくらい御滞在のつもりでございますの」
「まあ、二、三年―気が向いたらもう少し長くなるかも知れませんが、面白くなかったらすぐ帰って来るつもりです。僕、本当に外国なんかに行きたくはないんですが―」
「でも、やはり外国(あちら)へいらっしゃらなければね―。お羨ましゅうございますわ」
「ですがね、僕近頃、妙なんですよ。今まで芸術芸術で、ただ、そのために夢中になっていたんですが、近頃、何も彼もつまらない気がして来たんです」
「つまらない?―まあ!」
「ええ、つまらないのですよ。芸術なんかつまらない、芸術だけじゃ満足が出来ないって気がして来たんですよ」
「どうしてでございましょう?」まり子は、やや非難の色を見せて言った。
「あなたは、芸術以外の事についてお考えになったことはありませんか?」
「ええ、私、ございません」まり子はきっぱりと言った。
「あなたは、あなたの生涯を―いや、あなたの若さを、ただ芸術のみ捧げて悔いないのですか?」
「ええ、私―」と言ったが、不思議な熱を帯びて、じっと自分をみつめている礼吉の眼を見迎えると、まり子は、思わずたじたじとなった。
 礼吉の言おうとする事がなんであるかは、まり子にも朧気ながら感じられた。こんな風な言葉が、若し外の人の唇を漏れたのなら、まり子は、きっと、つと立ちあがって、彼の傍を離れ去ったに違いないのだが―。
 雪は、薄い紫をまじえた窓外の闇に、ちらちらと飛白模様を織っていた。


  幻影

 ただ、一緒に電車に乗って、三十分ばかり話し合った、というだけの事だったが、まり子は妙にその雪の夜のことが忘れられなかった。―まり子はどうかすると、放心したようにぼんやりと思い沈む事があった。気がついて見ると、そういう時、彼女の眼の前には、一つの幻影(まぼろし)が立っている。それは榊原礼吉の、男らしい、やや、憂鬱な顔だった。
 が、その礼吉の顔が、どうかすると、全く別の一つの顔におきかえられる事があった。額に垂れた灰色の髪、深い悲しみを帯びた眼―それは、内山邦夫の顔である。
 礼吉と邦夫との二人の間に、どんな関係があるのか?まり子の心では、この二人の事が不思議に相聯関(あいれんかん)して思い浮かべられるのであった。
 その後、まり子は、内山邦夫を見た事はなかった。が、礼吉とは、時々会った。礼吉はよくまり子の伴奏者として、まり子と一緒に舞台(ステージ)に立った。二人は次第に親しみを加えて行った。いや、いつの間にか、親しみ以上の心持が、若い二人の胸に萌(めば)えたとしても、それは無理もない事といわねばならなかった。
 礼吉は、時々まり子の家にも訪ねて来てくれた。信子も、礼吉には好感をもっているらしかった。
「さッぱりして、本当にいい方」信子は、母性的な微笑を浮かべて、こう言った。まり子は、何となく顔の火照(ほてり)を感じた。
 ある日礼吉が、まり子を訪ねて来た時は、生憎(あいにく)―と言っていいか、折よく―と言っていいか、信子が外出して留守だった。
「沢田さん、お留守なのですか?じゃ、僕は帰りましょうか?」礼吉は当惑したように言った。
「まあ、いいではございませんか。先生は、すぐに帰っていらっしゃいます」まり子は、顔を赤らめてこう言った。
「いや」と礼吉も少し顔を赤くして、「僕は別に、沢田さんに用があってお訪ねしたのじゃないのです」
 信子に用があって来たのでないのに、信子が不在と聞いて帰ろうという。礼吉の言葉は意味を成さなかった。まり子の心は、その意味を成さない言葉の前に慄えた。
 まり子は引止めはしなかったが、礼吉は帰ろうとはしなかった。二人は、深い無言のうちに手持無沙汰に向かい合っていた。だが、その無言が、いかに力強く、互の心を運びかわしたか?
「もう、あなたが独逸へいらっしゃる日も近くなりましたわね」沈黙に疲れたまり子は、こんな風に先ず口を切った。
「ええ。あなたとも、もうお別ですよ」
「でも、すぐに帰っていらっしゃるのでしょう?」
「帰って来るあてがあれば―」礼吉は淋しく微笑しながら言った。
「帰って来るあて?それはどういう事でございますの?」
「まり子さん。僕は、ご存じの通り、親もなければ兄弟もない一人ぼっちの身の上ですよ。僕が日本を去ったあと、誰一人僕が帰るのを待ってくれる者はないのですからね」
「私も、親もなければ兄弟もないのですわ。あなたとおなじ事よ」まり子は、自分がこの人にこんな風に心を惹かれるのは、この人も自分と同じ身の上だからではなかろうかと思いながら、情緒的(エモーショナル)な調子で言った。
「そうでしたね。あなたも同じ身の上でしたね・じゃ、あなたも僕と一緒に外国へ行きませんか?」
「あら、だって私は―」まり子は、又してもぱッと顔を赤めて言った。
「いや、冗談ですよ。あなたには、沢田さんという方がついているんですからね」礼吉は真顔で言ったが、再び、冗談めいた調子になって、「じゃ、僕ははやり一人でゆくんだ。はははは」
「本当に、あなたは、もう、帰っていらっしゃらないおつもり?」
「だから、言っているじゃありませんか?帰ってくるあてがありさえすればと」
「誰も待っている者はないとお考えになって?」
「誰が僕を待っていてくれるでしょう?」
 私が待っています!―まり子はこう言いたいのだったが、どうして彼女に、そんな事を言う勇気があり得たろう。まり子はただ聊(いささ)か恨みを含んだ眼でじっと礼吉の顔を打戍(うちまも)りながら、言おうとして言えぬ思いに悶える外ないのであった。
 再び、思い沈黙が来た。
「お邪魔しましたね。僕、帰ります」と、礼吉は椅子から立ちあがった。
「あら、もうお帰りになるの?」
「ええ」
 立ちあがった礼吉は、一寸の間足もとを見つめるようにしていたが、やがて、ポケットから手紙らしいものを取り出すと、否応なしにまり子の手に握らせるようにして、
「まり子さん。あとでこれをお読み下さい。僕は、どうしても言えないのです!言えないのです!」
 そう言いすてると、礼吉は、呆気にとられたまり子をあとに残して、逃げるように帰って行ってしまった。


  受難の時

 玄関まで送り出すことさえ忘れて、ぼんやりとそこに突立っていたまり子は、やがて自分の手に握りしめていた手紙を、わななく指先におしのべて見た。封筒には、裏にも表にも、何も書いてなかった。封をきろうとしたが、まり子の心は意気地なく滞った。その手紙に何が書かれているか、ほぼ想像つくような気がした。それだけに、それを開いて見るのが怖しい気がするのであった。
 彼女は思いきって封を切った。一字一字が彼女の眼の前で、くるくると火の輪を描いた。彼女は句から句へと、益々熱狂的なものになってゆくその手紙を、半分ほど読むと、あとはどうしても読みつづける事が出来なかった。彼女は読みさしの手紙を膝にのせ、その上に両手をのせて、ほっと溜息を吐きながら、ぼんやりと空をみつめるようにした。
 彼女の胸は、五月の若葉のように騒いでいた。うれしいのか、悲しいのか、彼女自身でもわけのわからない不思議な感情だった。そして彼女の眼は、彼女の前に開けた美しい夢をうっとりと追うていた、と同時に、何かしら怖しい運命の影というようなものを、そこに認めておののいていた。
 彼女は、そうして長い間坐っていた。それがどれだけの時間であったか、彼女は気がつかなかった。
 再び勇気を振り起すようにして、彼女がその読みさしの手紙を取りあげた時だった。突然(だしぬけ)に扉(ドア)があいた。はいって来たのは、今、外出先から帰って来た信子であった。
「あら、お帰りなさいませ」まり子は、はッとふり返った。わななく両手は、思わず膝の上の手紙を引摑んでいた。
「唯今」信子はいつもながらの優しい微笑を含んで、「何をしていらっしゃるの?」
「私、先生がお帰りになったのを、ちっとも気がつきませんでした」まり子は詫びるように言った。
「何か考え事をしていらしったのね」信子の敏い眼は、じっとまり子の混乱した表情をのぞき込むようにした。まり子の手のうちに握られている手紙をも、見落としはしなかった。
「いいえ。わたし―」まり子は、顔を赤くして言った。激しい狼狽の中から立直ろうとあせりながら。
「お手紙?」信子は何気ない調子で訊いた。
「ええ、いいえ?」
「どなたからのお手紙?」
「あの、お友達からのでございます」
「そう?」信子の優しい眼には、しかし、ある厳しい表情が交えられていた。
「私の留守にどなたかいらしって?」
 まり子は躊躇した。もし、礼吉が来たのだと言えば、その、今手の中にある手紙がどんな手紙であるか、ひいては、今、自分の胸の中にある思がどんな思であるか?すっかり知れてしまいそうな気がした。
「いいえ。どなたも―」と錆びついた戸の軋(きし)るような声で、まり子は、とうとうこう言ってしまった。
「そう?どなたもいらっしゃらなかったの?」
「ええ」
「そう?」信子は再びそうくり返して、胡散臭そうな眼で四辺(あたり)を見まわしていたが、
「あまり考え事などしてはいけないのよ」と言い捨てるなり、部屋の外へ出て行ってしまった。
 信子が、部屋から出て行くと、まり子はほっと虎口をのがれた思がした。が、自分はとうとううそを言ったのだ、あの師以上の師であり母以上の母である大恩人に対して、とうとううそを言ってしまったのだ。その人を裏切り、その人に対して一つの秘密を持たなければならなくなってしまったのだ。―そう思うと、激しい悔いが蠍(さそり)のように彼女の胸を刺しはじめた。

 まり子が、信子の部屋にはいって行ったのは、それから二十分ばかり経ってからであった。
「先生」そう言うなり、まり子は信子の前に身を投げるようにした。彼女は袂で顔を抑えて激しく泣き出した。
「まあ、まり子さん。どうしたのよ」信子は呆気にとられたようにして言った。
「先生。私うそをついたのでございます。どうぞ、お許し下さい。わたし、先生にうそを言って―どうぞ、先生許して下さいませ」
「泣かなくてもいいのよ。泣かないで、もっとよく話して下さいな」
「先刻(さっき)、先生のお留守に、どなたもいらっしゃいませんと申しました。あれはうそなのでございます。先生のお留守に―」まり子は、ここまで言ったが、どうしても榊原という名が言えなかった。
「榊原さんが来たのでしょう。私、本当は、榊原さんに帰途(かえりみち)でお逢いしたのですよ」
「どうぞ、お許し下さいませ。うそをついたりして私が悪かったのでございます」
「いいのよ。そんなに泣いたりしないでもいいのよ。よく、正直に言ってくれました。私は何とも思ってはいないのよ」
 信子は自分の前に泣くまり子をじっと眺めた。その眼には、深い悲しみの表情(いろ)があった。信子は、まり子のような性格の娘にとっては、恋は一つの受難であるという事を知っていた。恋をする事は苦しむ事だ。その苦しみの時、受難の時がこの娘にも、とうとうやって来たのかしら?この娘の母親も、いかにそのために苦しんだか?自分一人苦しんだばかりでなく、もう一人の男の胸にも生涯癒え難い痛手を与えたのではなかったか?
 信子は今日逢って来た内山老人の事を必然的に、そこに思い浮かべざるを得なかった。あの老人の胸には、三十年前の痛手がまだ大きく口を開いているのだ。そして、血を流しつづけているのだ。
「沢田さん。わしの愚かさを笑って下さい。本当にわたしほど愚かな男があろうか?わしはもう死の傍らに来ている。それなのに、どうだろう、わしの心は二十歳(はたち)の若者と同じように苦しんでいる。わしの心臓は、この激しい痛みに堪えられそうもない」
 老音楽家内山邦夫の、血のにじむような言葉を、信子は思い浮かべて見ずにはいられなかった。


  見残した夢

 榊原礼吉が、独逸に行く日が次第に近くなった。―が、礼吉はまり子の口から、何の返事をも聞く事が出来なかった。礼吉の請い求めるような眼の前に、まり子は、ただおどおどと面(おもて)を伏せた。
「ねえ、大沼さん、あんな手紙を書いて僕はいけなかったでしょうか?」礼吉は、いく度(たび)もの躊躇の末に、ようやくこう訊いた。
「私には判らないのでございます。何とお返事していいか判らないのでございます。―どうぞ、もう少し待って下さいませ」まり子は、こう言うより外なかった。
「少し待って―と仰しゃっても、私はもう外国に行かなければならないのです」
「行ってらっしゃいませ。私、その間に考えておきますから」
「そうですか?」礼吉は嘆息して、「しかし、僕は何時帰って来るか判りません」
「でも、二年経てば帰って来ると仰しゃったじゃございませんか?二年ですわ。二年くらいすぐですわ。私、待っておりますわ。だから、二年経てばきっと帰っていらっしゃらなければいけませんわ」まり子は調子を強めて言った。
 それがまり子の、せい一杯の愛の挨拶だった。そして礼吉も、これだけの挨拶で満足しなければならなかった。

 五月になった。帝国劇場で、東京の名流夫人十数人が中心になって組織している青鳥会(せいちょうかい)という社会団体が主催で、慈善音楽界が開かれる事となった。東京の洋学家の、一流どころの人々のすべてが出演する空前の大演奏会だった。まり子も、会期全部の三日間を通じて、毎日楽壇に立たなければならなかった。大沼まり子の独唱に、榊原礼吉の伴奏。―まり子の人気は場中第一の観があった。各新聞の音楽欄では、今更のようにこの美しい天才音楽家の評判を書き立てた。ある新聞では、まり子の写真に添えてこんな風に書いた。桂美沙子―後に大沼哲三氏の夫人となった大沼美沙子。美貌と情熱と非凡な天分とを以て二十年前のわが楽壇の黎明期に、明星の如く輝いた彼女のことを人々はまだ記憶するであろうか?わがまり子嬢は、実に桂美沙子の忘形見である。そして、まり子嬢をして今日あらしめたのは、偏(ひとえ)に沢田信子氏の心づくしの結果で、亡き友に対する信子氏の情誼の厚さは、正に我が楽壇の一美談といってもいいであろう云々。
 今までにも、まり子の名は、既に楽壇に誇りとなっていたが、まり子の存在をより深く一般社会に印象すべき最初の機会として、今度の演奏会は、まり子にとっては正に晴の舞台(ステージ)であった。
「ね、しっかりしなきゃ駄目よ。今度の演奏会は、あんた一人のための会といってもいいくらいなのだからね」信子はこういってまり子をはげました。
 同時に、礼吉にとっても、それは意味深い舞台(ステージ)だった。礼吉はこれを名残にしばらく故国を見捨てようとするのである。愛する者のために、同じ舞台に立ち、愛する者のためにピアノの調(しらべ)を合せるという事が、それが礼吉にとってせめてもの喜びであり、なぐさめであった。
 やがてその演奏会の第一の夜が来た。劇場は華やかな色の渦を巻いて、聴衆は座席にあふるるばかりだった。野中正子嬢のファウストの「宝石の歌」、吉植京子夫人のローエングリンの「エルザの夢」と、次第に番組がすすんで来て、やがてまり子の番になった。まり子は、ビゼーの歌劇「アルルの女」の中の「おお神の子羊」を歌った。非常な上出来だった。アンコールの拍手が、しばらくの間、鳴りも止まなかった。
「本当によかったわ。申分のない成功よ。本当によかったわ!」信子は両手でまり子を抱きしめるようにして言った。信子の眼には涙があった。
 まり子の眼にも涙があった。まり子は、その幸福感の絶頂にあって、何かしら物がなしい気がしていた。
「まり子!」と、何処かで自分を呼んでいる声がするような気がした。それは、死んだ父の声だった。その後半生を、ただ自分のためにのみ生きていた父、死の際までも自分の未来に望と愛とを寄せていた父―その父が、今更のこの成功を見たらどんなに喜んでくれるであろうと、まり子は思うのだった。
 まり子と、信子と、それから同じ方向に帰る礼吉とが、家への自動車へ乗ろうとして、まず、信子と礼吉が、最後に、まり子が大きな花輪を抱えて、車寄せの方へ降りて行った時であった。
「もし、もし」と、後から、呼びかける声がした。枯葉を押揉むような、しゃがれた力ない声だった。まり子が振返って見ると、そこの、扉(ドア)の蔭に、片側明るく灯影を浴びて、洋服姿の一人の老人が立っていた。すらりとした長身を少し前屈(まえこごみ)にして、髪の白い顔に眼が底深く輝いている。まり子は思わず、
「あッ!」と声をたてた。それは、内山老人であった。
「まり子さん」内山老人は、そう言いながら、片手をまり子の方へさし出した。そして、
「わしはすっかり感心した。素晴らしい!―どうぞわしにお祝を言わせて下さい。―わたしにお祝を言わせて下さい。わしにお祝を言わせて下さい。―わしに握手をさせて下さい」
 まり子は拒む事が出来なかった。
「ありがとうございます」と、口の中でいい案がら、まり子はおずおずと手をさし出した。指の長い、石灰質の多い冷たい手が、わなわなと震えながら、まり子のすこし汗ばんだ手をしっかりと―しっかりと握りしめた。
「まあ、内山先生でございますか!」信子も、小戻(こもどり)して、内山老人に挨拶した。「まあ、今夜、いらっして下さいましたのでございますか?」
「ああ、沢田さん。わしはやって来た。そして、そっと聴いていた。わしは聴いた。すっかり打たれた。まり子さん本当に素晴らしい!」
「ありがとうございます」信子も礼を言った。
「わしは聴いた。―わしは聴いた」内山老人は、目の前の空間に視線をさまよわすようにして、独言めいた、むしろ譫言(うわごと)めいた調子で繰り返した。「わしはすっかり打たれた。こんな感動は、わしの年とった心臓には、すこし強過ぎる。いや、まり子さんは本当に素晴らしい!」
「先生に賞めていただければ、まり子も本望でございます。いいえ、この上もない光栄でございます」
「いや」と、内山老人は来るしげに頭(こうべ)を振って、
「わしはまり子さんにお詫をせにゃならん。まり子さんは、わしを許してくれるでしょうかな?」
「まあ、そんな事を、許すも許さないもございません。まり子にも、すぐ、何も彼も判る時がまいりましょうから」信子は、そっとまり子の方へ眼をやりながら言った。まり子は、その信子の眼に複雑な意味が潜んでいるのを見た。が、二人の会話は、まり子には、依然として解き難い謎だった。内山老人と自分との間に、自分の知らないどんな事情が伏在しているか?それは、依然として解き難い謎であった。
「沢田さん。わしは一つのお願があるのだが、聞いては下さるまいか?」
「どんな事でございましょう」信子は、老人の眼に、せい一ぱいの哀願の表情(いろ)が動いているのを見ると、いたわるようなやさしい調子で問い返した。
「わしは、もう一度、もう一度―」と内山老人は、さも言い難そうに言った。
 もう一度、舞台(ステージ)に立って見たい。というのは、まり子のために伴奏をしたいのだ。明日のプログラムに自分を入れてくれ―そう内山老人は言うのだった。この申出は、すっかり信子をおどろかしてしまった。より以上にまり子をおどろかした。まり子がいかに楽壇の明星とはいえ、内山邦夫と言えば、外国にまで知られた大音楽家である。曾て欧羅巴(ヨーロッパ)に遊んだ時、独仏の世界的大家と技を競うて一歩もひけをとらなかったほどの人である。しかも、もう楽壇を退いている人である。その人が、まり子の伴奏者として、舞台に立とうというのだ。おどろかずにいられようか?まり子は、思わず礼吉と顔を見合せた。
「いや、榊原君。わしの無躾(ぶしつけ)なお願を許して下さい。どうぞ、一度だけ、あなたの位置を、わしに分けて下さい」と内山老人は、食を乞う者に似た卑下をもって、こう礼吉にも哀願するのだった。
「先生。ありがとうございます」信子は感動のおののきを潜めた声で言った。
「沢田さん。あんたはわしの心持を知っていてくれる筈だ。わしの夢だ。見残した夢だ」そう言って、じっと、信子の顔を見た内山老人の眼は涙にぬれていた。

 そのあくる夜の演奏会に、曲目が進んでまり子の番になった時、司会者(マネージャー)は壇上にあらわれて、聴衆に一つの報告をした。大沼まり子嬢の独唱、伴奏者は前野通り榊原礼吉氏の筈であったが、内山邦夫先生の特別の御申出により、臨時に番組を変更して、内山先生に伴奏をお願いする事にした。老大家内山先生の神技は、先生の隠退により、既に接する機会が失われた事と思っていたが、思いがけなくも、今夕、この壇上に先生をお迎えする事が出来ようとは?大沼まり子嬢の光栄は言わずもがな、実に本演奏会の光栄といわなければならない。―聴衆は、この以外の報告にどよめき立った。割れるような喝さいが、場を揺るがして起った。
 やがて、ろうたけた裾模様姿のまり子が、昂奮のために、やや青ざめた顔をして静かに舞台に現れた。つづいて、銀髪を額に垂れた内山邦夫が、真黒なフロック・コートに長身を包んで、前屈の足もとを、一歩一歩じっと抑えつけるようにして、舞台の中央に歩み出ると、聴衆の方に一揖(いちゆう)して、ピアノの前に坐った。
 この花のような新進の声楽家(ヴォーカリスト)と、この垂死(すいし)の床から再び起ちあがった老楽師と、二人の対象は不思議な感動を聴衆の胸にそそった。聴衆は、眼を睜(みは)って舞台を眺め、固唾を呑んで、その老楽師の伴奏の第一音の鳴り出づるを待った。