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三津木春影  河底の宝玉 二

2012年03月24日 | 著作権切れ大正文学
  五、月光の室に物凄き生首
       ―果然、宝玉函の紛失



 今宵の冒険の此最後の舞台に予等が到着したのは十一時近くであった。帝都の冷湿なる濃霧は既に後(しりえ)に去り、夜は今麗(うらら)かに霽(は)れ渡って居る。一陣の温き風西方より吹き黒雲悠々空を過ぎゆくなべに、一片の半月其切目より折々下界を覗く。可成(かなり)離れても物象の弁別(みわけ)のつく明るさであったが、周英君は馬車の側灯の一つを下ろして予等の為めに途(みち)を照すのであった。
 硝子の破片を植え込んだ頗る高い堀が、グルリと邸を繞(めぐ)って居る。入口は只一ヶ所、其処には狭い鉄の釘絆(かすがい)した扉(と)が閉まっている。それをば我が案内人周英君は、郵便屋のような一種特別な叩き方をした。と、内(なか)から、
「誰彼(どなた)だね」と怒鳴る苛酷な声がする。
「甚吉(じんきち)、己(おれ)だよ。漸く己の叩き振りを呑み込んだと見えるな」
 何やらブツブツ言う声が聞える、鍵のガチャガチャ鳴る音がする、扉は重々しくギーと開いて現われ出たのはズングリとした胸の厚ッたい男、角灯の黄色の光は其突出た顔と、パチクリする疑深そうな眼とを照した。
「ああ、分家の旦那様ですか。けれど御連れの方は誰方ですか。貴方様の他の方についちゃア旦那様から何とも御命令(おいいつけ)がなかったですがね」
「御命令がなかった?驚いたなア!兄には一所に二三人来るかも知れぬと昨夜(ゆうべ)ことわって置いたのに」
「旦那様は今日は一日中お居間から御出ましがないから、私も其様な事はまだツイぞ承りません。貴方も能く御承知の通り、お邸は規則が厳(やかま)しいのです。で、貴方だけはお通し申す事が出来ますが、お連れの方は待って頂かなくちゃアなりません」
 周英君が困却して、連の中には婦人も居る事だからと殆ど哀願したが、門番先生頑として応じない。此門番が博士の旧知でなかったならば予等は一晩中仕事に立往生したかも知れぬ。意外にも以前大学病院で難病を治療してやった事が発見されて、閻魔面が忽ち柔ぎ、漸く通して貰われたのは幸福であった。
 門内に入ると一条(すじ)の小砂利の路が荒れた地面をうねり曲って、一軒のヌッと聳えた家の方へ走っている。四角な殺風景な家で、総て闇の中に沈み、ただ其一角に月光が流れて一つの屋根部屋の窓を照しているのみである。陰暗として死の如き沈黙の中に突立っている宋大なる建物の姿は心に一種の戦慄を与えた。流石の周英君さえ不気味と見えて、手に持つ角灯がガタガタと震えて居る。
「どうも解らない、何か間違いじゃないかな。兄には確に今夜訪ねると言って置いたのに、居間の窓に灯火が射して居ない…あの月が射して居る所が兄の窓です。内は真暗のようじゃありませんか…ああ、玄関側の窓に灯火が見えると仰有るのですか…あれは女中のお捨(すて)の室です。些(ちょっ)とここにお待ち下さい、一つ私が案内を乞いましょう」
 と言う折しも、大きな真黒な家の中より、物に驚いた様な女の悲痛極りなき鋭い泣声が洩れて来る。
「あれはお捨の声です。どうしたんでしょう」
 と周英君は扉に駆け寄って、例の配達夫の叩き方をすると、背の高い一人の婆様が現われたが周英君の姿を見ると大悦びで体を揺すって、まア好かった好かったと叫びながら、二人の体は軈(やが)て扉の内に消え、婆様の声も遠くなる。
 後に呉田博士は周英君の渡し行きし角灯を静に振って、熱心に建物と、路を塞いだ山の様な土砂とを照らし眺める。丸子は怖しさに自分の手を握って列び立って居る。怪しくも微妙なるは恋ちょうものかな。今闇に立てる二人は昨日迄相識(あいし)らざりし者、何等愛情の言葉、愛情の眼色も交わさざりし男女である。而も今宵此難事件の最中にして、互に手は我れにもなく相手の手を求めて居るではないか。予は後にこそ顧みて驚いたが、其夜の其時は彼女にそう為向けるのが最も自然の事のように思われたのである。丸子は後日屡々(しばしば)言うたところによれば、彼女もまた本能的に予に愛を求め保護を求めたのだそうである。斯うして予等両人は子供の如く手を連ねて立っていた。数多の暗き秘密に囲繞(いにょう)されながら心は共に平和であった。
 丸子は四辺(あたり)を見廻しながら、
「何という奇態な処でしょう!」と言った。
「まるで日本中の土竜(もぐらもち)が、此処から残らず逃出した様ですね。先生、私は西大久保の先の岡の中腹で、恰度(ちょうど)これと同じ状態(ありさま)を見ました。尤も其処は人類学教室の連中が発掘した処でありましたが」
「否(いや)、此処も同様さ。これは宝さがしの痕跡(あと)だからな。考えても見給え、山輪兄弟は六年というもの宝玉を探して居ったんじゃ。地面が蜂の巣の様になるのも無理ではないのじゃ」
 此時家の扉がサッと開いて、周英君が駆出して来たが、両御手も前へ突き出して眼には恐怖を湛えている。
「兄に何か間違いがあった様です!何うも驚いて了いました!私の神経ではとても堪りません」
 という其態度(ありさま)は、全く恐怖(おそろしさ)に半分泣きくずれている。大粒の羊皮製の襟飾(カフー)から露れて居るそのビクビクした弱々しい顔には、子供が威嚇(おどか)された時の様な繊弱(かよわ)い哀願的の色が浮出ている。
「兎も角も家へ入ろう」
 と博士が例の底力のある声で決然(きっぱり)と言うと、
「ええ入りましょう!」と周英君が「ほんとに私の頭はもう滅茶苦茶になって了いました」
 一同壁について玄関左側の女中部屋へ入りみれば、お捨婆さんは慄え上って彼方此方(あちこち)と歩き廻っていたが、今しも丸子の顔を見ると余程心が落着いたものと見えて、
「まア何というお美しい温(おだや)かなお顔の方でしょう!」とヒステリー風に啜泣きながらも「貴嬢が来て下すったんでほんとに安心しました。ああ私、今日という今日は寿命の縮まる位心配しましたよ!」
 呉田博士は婆さんの働き労(つか)れた痩せた手を軽く叩いた。而して親切な女らしい慰めも言葉を二言三言囁いてやると、婆さんの蒼白(あおざめ)た頬にみるみる血の気が上って来た。
「旦那様は今日はお室に錠を下して御閉籠りになったまま、終日御外出(いちにちおでまし)にもならず御声もいたしませぬので、つい一時間ばかり前の事でございます。何か変時でも御有りになりはせぬかと思い、私は上って行ってあの酷い有様で厶いますよ。貴君も言って御覧なさいまし。私は御当家には永い間御奉公しまして悲しい御顔も嬉しい御顔も見慣れて居りますけれども、まだ今夜の様な御顔をば見た事がありませぬ」
 今度は博士がランプを執って先頭に立った。周英君は歯の根も合わず振るえていて到底(とても)始末におえぬ。階段を上ろうとするのだが膝がガクガクして登られそうにもないので、予が腕を抱えてやるという始末である。登りながら博士は二度ばかり拡大鏡を取出して、階段敷の上の、我々には眼も止らぬ泥濘(どろ)の汚点(しみ)と見える物の痕を仔細に検査して行く。其のランプを低め、左右に鋭き眼光を配りつつ、一段一段徐々に登って行く。丸子嬢はお捨婆さんと一所に、女中部屋に残っていた。
 三個の階段を登り尽すと、やや長き真直なる廊下に出た。右手には大きな絵を画いた印度の掛毛氈(かけもうせん)が掛り、左手には三つの扉が次ぎ次ぎに列んでいる。博士は依然たる静な規則的な歩調で進んでゆく。其踵に引添うて、予等二人も長き陰影を廊下の床に曳きつつ跟(つ)いて行く。三番目の扉が目指した室である、博士はコツコツと叩いて見たが何の返事もない。把手を廻して開けようとしたが、内から太き閂が掛けてある様子。併し鍵だけは回り、鍵穴も微に明いているので、博士は体を屈めて見たが、忽ちホーと鋭い息を引いて立ち上った。
「中沢君、何かこれは此内で極悪の事が行われたに違いない。君はまア何と思う」
 予は何事ならんと同じく身を屈めて鍵穴から覗いて見たが、余りの怖しさに思わずアッと跳ね返った。月光流れ入りて、漠然たる変り易き光に満つる室内に、見よ、予の方をヒタと真向に眺めて、一個の人間の顔が空に懸って居るではないか。


三津木春影  河底の宝玉(『探偵奇譚 呉田博士 第4編』大正3年)

2012年03月11日 | 著作権切れ大正文学
三津木春影 父は医者。明治学院英語科に学び、早稲田大学英文科を卒業、中学四年生当時、全校でただ1人、外国人と自由に会話ができ、英語力は天才的だったという。

河底の宝玉(『探偵奇譚 呉田博士 第4編』大正3(1914)年1月8日中興館書店)
フリーマン著『ソーンダイク博士の探偵事件』からの翻案であるとされる『探偵奇譚呉田博士』は、明治44年出版の第1編から人気を博し、34歳で著者がこの世を去る大正4年までに、第5編を出版。(過労死とされる)最先端の科学や医学を基礎とした推理小説は、当時世界侵出と近代化を推し進めつつあった明治末期から大正の日本社会において、幅広い年齢層の読者に熱狂的に受け入れられた。

  一、差出人無き真珠の小包
       ―父を尋ねる可憐の一美人
「こういう若い御婦人の方が貴方様にと申して御訪ねで厶(ござ)います」
 と、取次の者が、一枚の女形の名刺を呉田(くれた)博士の卓子(テーブル)に差出した。
 夫(それ)を受取った博士は「なに、須谷丸子(すだにまるこ)、一向に知らぬ名だが、まア通して下さい。いや中沢君外さなくてもよい、君も居た方が好い」
 間もなく、須谷丸子は確乎(しっかり)した歩調(あしどり)で、沈着の態度を装うて我々の室(へや)に入って来た。金髪の色白の若い婦人である。背は小柄で、綺麗な人だ。手袋を深く穿(は)め、此上もなく上品に身を整えて居る。が、何処やらに質素な風のあるのは余(あまり)に裕(ゆたか)な生活(くらし)をして居る人ではあるまい。飾りもなければ、編みもない燻(くす)んだ鼠色の衣装、小さな鈍い色気の頭巾、その片側に些(ちょっ)ぴりと挿(かざ)した白い鳥の羽根がそれでも僅(わずか)に若々しさを添えて居る。顔は目鼻立ちが整うて居るわけでもなければ、容色が美なる訳でもなけれど、その表情がいかにも温淑(おんしゅく)、可憐に満ち、わけても大きな緑色の眼が活々(いきいき)として同情に溢れて居る。自分(自分とは、中沢医学士のことなり、本書は中沢医学士の記録により著述せし故「自分」又は「予(よ)」という文字多し)は随分各国人に接して色々の女を観察したけれども、未だ此様な優雅敏感の女を見た事がない。と同時に自分はまた斯ういう事も見遁(みのが)さなかった。それは博士が勧めた椅子に腰を掛けた時に、彼女の唇が顫(ふる)え、その手が微かに戦いていた事である。何か余程烈しい心の苦悶を抱いて来たらしい。



 偖(さ)て客は口を開いて、
「先生、私、先生の事をば私が只今世話になって居ります築地の濠田瀬尾子(ほりたせおこ)様から承って御伺い致しましたので厶います。何か一度家庭の事件を御願い致しました時に、大層御上手に、また御親切に御骨折り下さいましたと申しますことで」
「濠田瀬尾子さん、はア、極く些細な事で、一度御相談に応じた事が有りました」
「でも、濠田様は大層感謝していらっしゃいます。私のは潜勢、其様な些細な事では厶いません。ほんとに私、自分ながら私の話ほど奇体なことが世に有ろうかと思うので厶いますよ」
「承りましょう」と博士は手を擦合せ、目を光らせて熱心に椅子から体を乗出させる。
 自分は少しく自分の立場に困ったので、「僕は些と失礼します」
 と立ちかけると、意外にも客は手袋の手を挙げて押止め、
「アノ、どうぞ、御迷惑でも御一緒に御聞き下さいますれば幸福(しあわせ)なので厶います」
 と言うので、またもや腰を下ろす。
「手短に事実だけを申上げますれば此様な訳なので厶います」と丸子は言葉をつぎ、「一体私の父は英国印度(インド)植民地駐屯の或聯隊(れんたい)の将校で厶いましたが、私はまだ極く幼い折に母を失いまして英国には他に親戚も厶いませんので僅かの知辺(しるべ)を便りに、横浜のハリス女学校の寄宿舎へ入れさせられまして、そこで十七迄過しました。其卒業の年で厶います、父は聯隊の専任大尉で厶いまして、十二ヶ月間の休暇を得て上海(シャンハイ)に出て参りました。上海へ着きますると私に電報を打ちまして、久振りで早く逢い度い故(から)至急上海の蘭葉旅館(ランバホテル)へ来よと厶いましたので、私も急いで神戸から船で上海に行きまして、其旅館へ参りますと『須谷大尉様は確に当方へ御泊りでは厶いまするが御着の晩些(ちょっ)と外へ御出掛けになりました限り御戻りが厶いません』とのことに其の日は一日待ち暮しましたれど帰りませぬ。で、其夜旅館の支配人の忠告に基きまして、警察へ捜索願を出だし翌朝の諸新聞へ広告も致しましたけれど、何の甲斐もなく、今日に至る迄も更に行衛(ゆくえ)が解りませぬ。父が印度から上海へ参りましたのは、安楽な平和な余生を見付けますためで、それはそれは希望に満ちて参りましたのに、それどころか却て其様なわけになりまして―」
 と言いさして、堪(たえ)やらず咽び返って了う。
「それは何時頃の出来事ですか」
 と呉田博士は手帳を開く。
「今から十年前の十二月三日で厶います」
「荷物はどうしました」
「旅館(ホテル)に残って居りましたが、手懸りになりそうな物は一つも厶いませんでした。着物や、本や、安陀漫(アンダマン)群島(印度と馬来半島との間、ベンガル湾中の群島)から持って参りました珍奇な産物なぞばかりで―父は其島の囚徒監視の為めに出張致して居りましたから」
「上海には御尊父の御友人はなかったのですか」
「私の存じまする所では僅(たっ)た一人厶いました。夫(それ)は山輪省作(やまわしょうさく)様と申しまして、矢張り父と同様ボンベイ第三十四歩兵聯隊の少佐で厶いましたが、此方は父が上海へ参りますより少し以前に退職致しまして上海に御住まいで厶いました。無論其当時山輪少佐にも御問合せ致しましたけれども少佐は父が上海に参った事さえ御存じないとの御返事で厶いました」
「不思議な事件ですな」
 と博士が言った。
「いえ、まだまだ不思議な事が有るので厶いますよ。六年ほど以前の四月の四日、東京英字新聞に『須谷丸子嬢の現住所を知り度し、嬢の利益に関する事件有り』という広告が出ましたのです。然雖(けれども)広告主の姓名(名前)も住所も書いて厶いません。其頃私は現今の濠田様の御邸へ家庭教師に入ったばかしで厶いましたが、濠田様の御勧めに任せて其番地を新聞で答えたので厶います。しますると直ぐ其日の中(うち)に小包で一個の名刺函(めいしばこ)が誰ともなく私に宛て到着致しました。開けて見ますると、非常に大きな立派な真珠が一個(つ)入って居りました。それからと申すもの今日迄六年の間毎年同じ月の同じ日になりますと、一個ずつ真珠が届きまするが、差出人は更に解りませず、宝石商に鑑定して貰いますと、世に珍しい高価な物だと申しますので、コレ、此様に結構な物で厶います」
 と、一個の平い小函を開けて差出すのを覗けば、成程嘗て見ざる真珠の珍品六個が燦然と光って居る。



「実に面白い。それで他に何か新事実が起りましたか」
 と博士が訊く。
「ハイ、それがツイ今日なので厶いますよ。そのために斯うして御伺い致しましたので厶います。実は今朝ほど此様(こん)な手紙を受取りましたので、何卒(どうぞ)先生御覧下さいまし」
「ドレドレ、そちらの封筒を先ず先きに―消印は江戸橋局ですな、日附は十一月七日、ふン!隅に男の指紋があるが…多分配達夫のでしょう。紙質は最上等、一帳十銭以上の封筒です。これで見ると差出人は文房具に贅を尽す人らしい。さて本文は…差出人が書いてない。ええと、文句は、

 嬢よ、今晩正七時、劇場帝国座入口、左より三本目の柱の処に待ち給えかし。若し不用心と思召さば御友人二名を御同伴し給うとも苦しからず。貴嬢は或者より害を蒙らしめられたる不幸なる御身の上なりしが、今宵の御会見によりて幸福の御身に立ち返り給うべし。ゆめゆめ警官をな伴い給いそ。警官を伴い給わば何の甲斐もなかるべし。―未知の友より。

 成程、非常に興味のある怪事件ですな。須谷さん、貴女はどうなさる御意(おつもり)か」
「否(いえ)、夫(それ)を御相談致し度いので厶います」
「では無論参ろうではありませんか。貴女と私と―おお、中沢学士という適当な人がある。手紙には友人二名同伴苦しからずと有りましょう。此中沢君は始終俺(わし)と一所に働く人です」
「ハ、けれど行らしって下さいますか知ら」
 と丸子は嘆願的の声と表情とをした。
 自分は熱心に、
「参りますとも。私でも御役に立てば満足です、幸福です」
「まア、両先生とも御親切に有り難う厶います。私、ほんとに孤独(ひとりぼっち)で厶いましたから此様な時に御相談致す御友人(おともだち)とては一人も無かったので厶いますわ。では今晩六時迄に此方へ上りまして宜(よろ)しゅう厶いましょうか」
「六時よりお遅れなさらぬように。ああ、もう一つ、此手紙の手蹟は真珠の小包の手蹟と同じでしょうか。違いますか」
「小包の方も皆持って参りました」
 と六枚の包紙を差出す。
「ああ、仲々御用意の周到なことじゃ」
 と博士は夫を卓上(テーブル)の上に広げて手紙の文字と比較して見たが、博士の意見では小包の方は悉く態(わざ)と手を違えて書てあるけれど、正に手紙の手蹟と同一人物に相違ないと断定した。
「須谷さん、これは御尊父の御手とは違いましょうな」
「似ても似つかぬ手で厶います」
「そうでしょう。宜しい、では六時に御待承けしましょう。此等の手蹟は暫時御預けを願い度い。事は熟(と)くと研究して見ましょう。今はまだ三時半です。では、サヨナラ」
「では後刻、御免遊ばせ」
 と丸子は活々とした懐かしげの瞥見(べっけん)を我々の顔に投げ、真珠の函を懐中(かくし)に収めて急ぎ出て行った。自分は窓際に寄って、巷を小刻みに歩み行く彼女の後姿を目送した。その鼠色の頭巾と白い鳥の羽根とが群衆の中に消去る迄立ち尽したが、漸く博士の方を振向いて、
「実に人の心を惹きつける力のある女ですな…」
 と感嘆すると、博士は再び煙管(パイプ)に火をつけながら、
「あの婦人がかね。フウ、俺(わし)は気が附かなかった」
「先生はほんとうに自働人形みたいです。時々先生の心は木石のように冷々となることがあります」と真面(むき)になって云うと、
「それが不可(いかん)。個人の質によって判断を偏頗(へんば)ならしむるのが、第一に好くない」
 と、これから、問題の前には人間を単に一個の因子と見做(みな)すという例の先生の非人情論を聞かせられ、人は外貌(みかけ)によらぬものという実例を一つ二つ聞かせられ、最後に丸子の残し行きし手蹟の鑑定が有ったが、博士の観察によれば、苟(いやしく)も日常文字に携わる者は斯(かか)る乱次(だらし)なき筆法を忌む、此手蹟は一面優柔不断、一面自惚(うぬぼれ)の筆法であると罵倒した。そして博士は尚お二三の調査事項が有るから、一時間ばかり外出して来ると出て行かれた。
 自分は窓際に腰かけたが、心は今日の美しき客の上に走って居た。―あの微笑、あの豊麗なる声の調子、彼女の半生を覆いし奇怪なる秘密、夫等が総て胸に湧いた。父の行衛不明の時が十七とすれば今年正に二十七歳である―旨味のある年頃だ。青春が其自覚を失い、人生の経験に触れて少しく落着いた生涯に入らんとする年頃だ。予は腰掛けたままそれから夫と沈思に耽ったが、ゆくりなくも或危険なる思想が頭の中に閃き出したので、衝(つ)と立上って我が机に走り寄り此頃研究中の細菌病理学の論文の中に没頭せんと試みた。我れ何者ぞや、僅に医科大学を卒(お)え、大学院に籍を置く一介の書生の身にして、仮令(かりそめ)にも左(さ)る大それた事を念(おも)う無法さよ。然り、彼女は単位である、因子である―それ以上の者ではない。若し我が将来にして暗黒ならんか、男子決然それに対(むか)うのみ、なまじいに想像の鬼火を以てそれを輝かさんと欲せぬこそよけれ。



  二、劇場前の怪馬車
       ―濃霧を衝きて何処に行く
 呉田博士が帰宅したのは五時半、甚だ上機嫌である。側(かたえ)の茶を啜りながら、
「此事件は大した怪事件でも何でもないらしい。一言にして説明し得べき性質のものじゃ」
「ハハア、ではもう真相がお解りになったのですか」
「いや、まだそう言われては困るが、併し一個(つ)の手懸りになるべき事実は発見した。俺(わし)はあれから英字新聞社へ行って、古い綴込を見せて貰うたところが、丸子嬢の話にあったボンベイ第三十四歩兵聯隊を退いて上海に住うて居った山輪少佐は、今から六年以前の四月二十八日に意外にも東京で死んで居るわい」
「それが何の手懸になるので厶いましょう」
「驚いたな。ではこういう順序に考えて見給え。先ず須谷大尉が行衛不明となった。大尉が印度から上海へ来て訪問するような友人というのは一人山輪少佐あるのみじゃ。然るに同少佐は須谷大尉が上海へ行ったのさえも知らぬと云う。其山輪少佐も四年後に東京で死んだ。其日附は今も話した通り四月二十八日さ。処がそれから一週間も経(たた)ぬうちに、須谷大尉の令嬢は何者よりとも知れず高価なる贈物を受け、爾後(じご)六年間毎年続いて、終(つい)に今回の呼出しの手紙となったではないか。其の手紙は丸子嬢を称して『或る者より害を蒙らしめられたる不幸なる夫人』と云う。彼女にとって父の喪失以外に尚お何の不幸があるだろう。それに贈物が何故山輪少佐の死後直ちに始まったのだろう。こう考えて来ると、少佐の子か何ぞが或秘密でも知って居って、その弁償を丸子嬢に致さんと欲したもののようにも見ゆるではないか。それとも君には他に有力な解釈でもあるのか」
「弁償とすれば実に奇体な弁償ですなあ!それに其の仕方が怪しいように思われますが!丸子嬢に手紙を送るにしても、なぜ六年前に送らなかったのでしょう。手紙には今夜の会見によりて彼女が幸福を得るとありましたが、果して何(ど)の様な幸福を得るでしょうか。まさか父の大尉が生存して居るとも考えられませんが」
「矢張り難しい、難しい」と博士は沈鬱な口調で「併し今夜の探検で万事解決されるだろう。ああ、馬車が来た。丸子嬢が来たのだろう。君、支度が好ければ階下(した)へ降りようじゃないか」
 自分は帽子を冠り、頗る重き杖(ステッキ)を取上げたが、見れば博士は抽斗(ひきだし)から短銃(ピストル)を出して懐中(かくし)に入れた様子、この分では今夜の探検は危険が伴うて居るように自分は思った。
 博士と自分は、丸子の馬車に乗った。丸子は黒い外套を着て居た。其多感らしい顔は落着いては居たが蒼白かった。斯る時にしも尚お多少の不安も感ぜざるものとせば、彼女は男優りと謂わねばならぬ。而)しか)も彼女は完全に自己を制御して居た。そして博士の質問二三に対して躊躇なく答えをした。
「父は山輪少佐とは同じ安陀漫(アンダマン)島の軍隊を指揮して居りました時から、それはそれは少佐とは親密な間柄の様でしたよ。父の手紙に少佐の噂のないのは厶いませんでした。それは兎に角、ここに父の行李の中から発見しました変な一枚の紙切が厶います。何か書いてありますけれど誰にも其異味が解りませぬ。何かの御参考になるかも知れぬと存じまして、只今見付け出して参りました」
 と嬢の差出す紙片を受取った博士は、馬車の中ながら膝の上に拡げて皺を伸し、例の二重の拡大鏡にて仔細に之を検査する。
「純粋の印度製の紙ですな。嘗て板か何かへ針(ピン)で留められた趾がある。ここに描いてある図表は何か沢山の室、廊下なぞを持った或大建築物の一部の設計図らしい。紙の片隅に赤インキで書いた一個の小さな十字形が有りますな。はア、其上に鉛筆で大分消えてはいるが『左から三・三七』と書いてある。それから左の片隅には奇体な象形文字がある。四つの十字形が一列に列(なら)んで其腕が触合って居るような形じゃ。いや。其側にも何かあるわい。莫迦(ばか)に荒っぽい文字じゃな。なに『簗瀬(やなせ)茂十(もじゅう)、真保目宇婆陀(まほめうばだ)、阿多羅漢陀(あたらかんだ)、波須戸阿武迦(はすどあぶか)―以上四人の署名によりて』とある。ふフウ、これが今度の事件と何の様な関係があるやら俺(わし)にはまだ解らぬ!併し何様大切な書類には違いありませぬぞ。これは多分手帳の中に丁寧に蔵(しま)われてあったものですな。さもなくて此様なに両側とも綺麗な筈がない」
「仰る通り父の手帳の中から見付け出しました」
「兎に角非常な必要品になろうも知れぬ大切に保存なすった方が宜しい。いや、此事件は俺が最初に考えたよりは遥に深く、遥に精巧なものかも知れん。俺は考え直す必要がありますわい」
 と言った後は、博士は馬車の背に依り掛って沈思黙考に耽り出した。自分は独り丸子嬢を相手に、低声(こごえ)で彼此(あれこれ)と事件の噂をしつつ進んだ。



 十一月の夕暮れである。未だ七時ならざる日は暗澹として暮れ、濃き細雨(こさめ)の如き霧が大都を覆い尽した。雲泥色(どろいろ)をした雲はぬかるみの巷の上に陰惨として垂れ下って居る。
 銀座通りの両側、家々の瓦斯(ガス)や電灯は朦朧として光を散らす斑点の如く、粘泥の舗石(しきいし)の上に弱々しき円形の微光を投ぐるのみ。商店の陳列窓の黄色の閃光は、蒸気の如き空気を劈(つんざ)いて、人通り繁き街衢(がいく)の上に変転恒なき陰暗たる光輝を撒いた。此等の狭き光の線を横切って疾飛する数多(あまた)の顔―悲喜哀楽種々の限りなき顔の行列を見つつ行く予の心には、言い難き畏怖凄惨の情が起った。顔は闇より光に飛び、光より闇憂鬱にして重苦しき黄昏と目下身を置く不可思議なる仕事とが結び付いて我が心を圧迫し神経的ならしむるのであった。丸子嬢はと見れば、これまた同じ感情に窘(くるし)んでいる態度(さま)が歴々(ありあり)と見える。此間にあって博士一人のみ、些々たる刺激から超越して居る。博士は膝の上に手帳を開き、絶えず懐中電灯の光の下に何をか書き留めつつある。
 帝国座に着く。観客は既に両側の入口に充満して居る。全面大玄関には馬車や、自動車やの乗物が蝟集(いしゅう)して、盛装の紳士淑女を降ろして行く。偖て我々が今しも指定の会合点たる三本目の柱に寄るや否や、早くも一人の馭者(ぎょしゃ)の服装したる小柄の色黒く敏捷なる男が挨拶した。
「ええ、貴方様方は若しや須谷丸子さんの御連中では厶いますまいか」
「私が丸子で厶います。この御二方は私の御懇意な方で厶います」
 と丸子嬢が進み出る。
 男は驚くほど刺し透す如き、また疑問的の眼を我々の上に向けたが、稍(や)や頑固なる態度にて、
「須谷さん、御無礼は御宥(おゆる)し下さいまし。貴女様の御連の方はまさか警察官では厶りますまいな」
「いいえ、盟(ちか)って左様ではありませぬ」
 男は一声鋭い口笛を吹き鳴す。と、一人の別当が一台の四輪馬車に近付き扉を開く。我々に挨拶した男は馭者台に腰掛け、我々三人は夫(それ)に乗り替える。腰をおろす間もなく、馭者は馬を鞭(むちう)って駆け出す。斯(かく)て我々は全速力を以て濃霧の巷を疾駆する。
 思えば奇異なる位置にも身を置くものかな。我々は今未知の使命を抱いて、未知の地に駆けりつつあるのである。今宵の招待が欺瞞であらんとは思わざれども、全然否らずとも言い難い。或は却て良好なる結果を持来すべき旅行であるかも知る可からず、そもまた言い難い。丸子の態度は相変らず沈着である。相変らず決然として居る、自分は其心を慰めんと為めに、友人の南洋に於ける冒険談を試みたが、自分の方が却て興奮していた為めに、話が屡々(しばしば)混線するのであった。
 初めこそ自分は馬車の行手に多少の見込みもあったが、稀に見る濃霧の為めに何処(いずく)を駛(はし)りつつあるや解らなくなった。只随分長途であるという観念があるのみ。併しながら博士に至っては辻広場を過(よぎ)り、曲りくねれる小路を出入する度に其名を呟いて行く。「ははア、妙な方へ来たな。こりゃ本所の方へやって行くな…ソーラ果してじゃ…もう橋の上へ来た…河が微かに見えるだろう」
 成程、隅田川の緩い流れが瞥乎(ちらり)と眼に入る。広い沈黙した河面に船の灯の揺めき居ると見たも瞬時、馬車は忽ち橋を駛り越えて、再び向う岸の巷の迷宮へと衝き進む。



 博士はつぶやいた。「はハア、此分では今夜の招待(おきゃく)は余り賑かな処ではないわい」
 全く我々は何時しか怪しげなる郊外へ運ばれていた。陰気な煉瓦造の家が長く続いて、処々の隅に可厭(いや)に派手派手しい洋館が野鄙(やひ)な輝きを見せて居る。それを通り越すと、各々(めいめい)小(ささ)やかな前庭を持った二階造の別荘が列び、次にはまたもや目立つほど新しい煉瓦屋の長い列が現われた―巨大なる帝都が田舎の方へニュッと伸ばした異形の触覚、それを伝うて我々は駛って行くのだ。兎角して馬車は新しき露台のある一軒の家の前に駐(とま)った。近所の家は空家らしい。馬車の駐った家と雖(いえど)も、勝手の窓を洩るる一条の光線(あかり)のほかは総て黒暗々である。併し馭者の男がホトホトと訪(おとな)う声に、扉は忽ち内より開かれて、一人の印度人らしい僕(しもべ)が現われた。黄色の頭巾、白きダブダブの衣装、同じく黄色の腰帯―そういう東洋風の服装した男が、此辺の平凡なる郊外の家の入口を枠として突立った光景は変に何となく不似合な感じがした。
「大人(たいじん)、お待ち兼ねであります」
 と僕が言う間もなく、奥の方の室より高い笛を吹くような声が聞える。
「真戸迦(まとが)よ、御客様をお通し申せ、ズッと此方へ御通し申せ」

  三、待受けた禿頭の異様の人物
       ―亡父の秘密を物語らん
 灯火微暗(ほのぐら)く、装飾俗悪なる一道の穢苦(むさくる)しき廊下が奥へ続いて居る。我々は印度人の僕に案内されて夫(それ)を進んで行く。右手のとある扉の前に着くと、彼はそれを開く、黄色の光の波が颯(さっ)と我々の上に落ちた。そして光の中央に一人の背の低い男が突立って居る。紅く硬(こわ)き毛がグルリと麓を取巻いて生え、其中にテラテラと禿げた頭頂(てっぺん)が聳えている形は、宛然(さながら)、樅林の中の山峰に髣髴(さもに)たり。彼は突立った儘にて手を擦り合わせる。其顔面(かお)がまた絶えず疳症(かんしょう)のようにビクビク動いて居る。或は微笑み、或は蹙(しか)め、一瞬時だも静止せぬ。自然は此男にダラリと垂下したる唇と、余りにも露出(むきだし)の黄い乱杭歯とを与えた。彼はそれを隠さんと絶時(ひっきり)なしに手を口の辺に持って来る。頭こそ思い切って禿げてはいるが、年輩はまだ若いらしい。後にて聞けば三十を超したばかりであったそうだ。
「須谷丸子さん、能(よ)うこそ御出で下すった、能うこそ…」
 と主人は細く高い声で幾度びか繰返し「御両君、能うこそ。これは私の私室、私にとっては狭いながらも一個の聖所であります。令嬢、実に狭いです。併し私の思い通りに飾ってあります。東京の郊外の砂漠の様な村に於ては美術の豪家(オーシス)です」
 真に我々三人は此室の光景に驚かされた。斯る陰気なる家の中に、斯る豊麗なる室の在るべしとは誰か思おうぞ。最も高貴なる、最も光沢ある窓帷(カーテン)や掛布は四方の壁に垂れ、其間の此処彼処(ここかしこ)には、贅沢に装架したる絵画や、東洋の瓶(かめ)なぞが飾られてある。琥珀色と黒との混りの絨毯はいとも柔かに、いとも厚く、踏めば苔の褥(しとね)の如く足の沈む快さ、その上のに斜めに敷かれた二枚の虎の皮と、室隅(すみ)の蓆(むしろ)の上に立てる大形の水煙管(みずぎせる)とは、一層東洋の豪奢を偲ばせる種である。銀の鳩の形したるランプは、殆ど弁分け難き黄金の針金に繋がれて室の中央に懸っている。そして其光は一種微妙な芳香を空気に漲らせる。
 主人は依然顔面をビクつかせ、且つ微笑みつつ、
「私は山輪周英と申します。貴女は無論須谷丸子さんでしょうおが、この御両君は―」
「此方(こちら)が呉田医学博士で、此方が中沢医学士で厶います」
「ああ、医師(ドクトル)でいらっしゃいますか」と彼は非常に興奮して
「先生は聴診器を御持ちで厶いますか。何なら一つ御診察を御願い致したいもので、実は心臓が悪くないかと日頃そればかりが気掛りでしてな。失礼ですが、是非御診察下さい」
 乞わるるままに自分は彼の心臓を診察したが、何等病気の徴候もない。只全身を戦慄させている所にて見れば恐怖の為めに心身を顚倒させて居るのであろう。
「心臓に異状はありません。何にも御心配に及ばぬでしょう」
 と言うと彼は急に嬉々(にこにこ)して、
「丸子さん、私の心配は一つ大目に見て頂きたい。私は長い事窘(くるし)みましてな、以前から心臓の弁に異状がありはせぬかと疑って居たのです。只今の御診察で安心はしましたが、それにつけても憶(おも)い出すのは貴女の御尊父ですな。心臓を彼(あ)のようにいきませなかったならば、今でもまだ御尊命の筈であったのにと残念に思いますよ」
 自分は嚇(かっ)として此男の面をピシャリと一つ擲(なぐ)ってやろうかと思った。此様な慎重を要する事件の最中にあって、何たる冷淡、何たる出放題の事を言う男だろう。丸子は椅子に腰を下ろした其顔は唇まで蒼白(まっさお)である。
「ええ、父は逝くなったに違いないとは思うて居りました」
 と微(かすか)に言った。



 主人は言葉をつぎ「貴女には今晩は残らず御打明けします。それに或権利をも差上げます。同時に私もその権利を享けます。兄の健志(けんじ)がどう申そうとも関(かま)いません。貴女が此御両君を御連れ下すったのは甚だ満足です。啻(ただ)に貴女の御力となるのみならず、またこれから私が為さんとする事、申上げんとする事の証人となって下さる事が出来る。これだけの同勢ならば兄に対して思い切った対抗も出来ます。このほかにもう局外者は入れたくない―警察官だの役人だのという者は真平御免です。此上他人の容喙(ようかい)なしに、我々は万事を円満に解決する事が出来ます。官吏が混るという事は兄に取っては最大の苦痛なのです」
 と低い椅子に腰掛けたまま、弱々しく水っぽい碧(あお)き眼で物を捜るが如く我々の方に瞬きする。
「貴君がどのような告白をなさろうとも、断じて他人へは洩らさぬつもりです」
 と博士が言うた。自分も首肯(うなず)いて見せた。
「それで安心しました!安心しました!丸子さん、タスカニー産(でき)の赤葡萄酒でも一杯差上げましょうか。それともハンガリア産の葡萄酒はいかが。その他の葡萄酒はないのです。御所望でない。はア、止むを得ません。それならば些(ちょっ)と御免蒙り度いことがあります。私がここで煙草を吸いますが御許し下さいましょうな。東洋の柔かな香の好い煙草です。どうも少し神経的になって居ますから、こういう時には水煙管が何よりの鎮静薬です」
 彼は一本の小蝋燭の火を大きな雁首に持って行く。と、煙が薔薇水(しょうびすい)を通って愉快げにずッずッと立ち騰(のぼ)る。我々三人は半円形に座を占め、頭を突き出し、頤(あご)に手を支(か)って固唾を呑んで控えている。其中でこの突兀(とうこつ)たる禿頭を光らせた不思議なるヒクメキ男は、何とやら不安げに煙草を吸うのであった。
「今度私が此告白を貴女に対って致そうと決心した時に、自分の住所姓名を御打明けするのは何でもなかったのですが、多分貴女は此方の申出を胡散(うさん)に思召して、不愉快な警察官を御同行なさるだろう、ということを怖れましたので、そこで僕の旦助(たんすけ)に先ず御目に掛らせて、然る後に御面会を致そうという順序に致したのでした。私は彼の分別に悉く信用を置いていますから、彼が不満足であったらば其儘事件を進捗させぬように実は命令しました。此様な用心を取りましたことは何卒悪しからず。それと申すのが、父が上海から東京に移り死にましてからは、私は隠遁的の生活をして居りまして、自分で申すも異なものですが、高尚な趣味を持った男と自信して居りますゆえ、私にとっては警察官ほど美的でないものはないのです。私は有ゆる俗悪な実断主義というものに、生れつき怖気(おじけ)を振って居ます。ですから俗人と交際することも稀であります。御覧の如く、身を置く住居なぞも多少高雅の空気を出して居るつもりでして、これでも自分から美術の保護者を以て任じて居るのです。それが私の弱点ですな。御覧下さい、その風景画はコロー(仏国の画家)の真筆です。このサルポトルロサ(伊太利(イタリー)画家)の絵には鑑定家も少し首を傾けるかも知れませんが、此方のブーゲロー(仏国の画家)に至っては断じて真物(ほんもの)です。私の趣味は近世の仏蘭西派に傾いています」
「御言葉の中で失礼で厶いますが」と丸子が口を出した。
「私共は何か貴君が御話が御有りだと仰有いますので御伺い申したので厶いますが、もう夜も更けますことゆえなるべく御用の方は早く承り度う厶います」
「いや、御道理(ごもっとも)ですが、どんなに早く致しても、多少の御暇は掛ります。と申すのは兄の健志が遂この先の砂村の父の住んで居ました家に今も尚お居りますので、是非会うて頂かねばなりませんからです。勿論、御両君も御一緒に、そして一つ兄を説き伏せて頂こうでは厶いませんか。私が正当と信じて取ろうと致した手段について、兄は非常に立腹して居まして、現に昨晩も大激論をやりましたが、否(いや)、彼が怒った時の猛烈さと申したら御想像には迚(とて)も及びません」
「砂村まで行くとしたらば、即刻出掛けられたらば如何(いかが)です」と自分は言うた。
 主人は耳の根まで真紅(まっか)になるほど哄笑して、
「それは及びも附かぬ事です。そんなに不意に押掛けたら兄がまア何というか解りません。いやどうしても相当の準備をしてから御目に掛って頂かねばなりませぬ。第一、これからお話いたす事柄につきましても、未だ私の解らぬ点が数個所あります。ですから私の知れるままを御話し申すに過ぎませんのです」と云うて語り出す。
「私の父と申しますのは、定めてもう御推察でしょうが、曾(かつ)て印度の軍隊に居りました陸軍少佐山輪省作であります。父が退職しましたのが十一年以前、それから私共を伴い上海に参り、間もなく東京に移り、砂村に住居を定めましたが、印度で大分金が出来、莫大の金と珍奇な価値(ねうち)のある沢山の産物とを持って来て、土人の僕二三人を使って居ました。そして夫等の財産で家を買って非常に贅沢な暮しを致しました。私と兄の健志とは双生児(ふたご)でありまして、ほかに兄弟は一人もありませんでした。
 偖(さ)て須谷大尉の行衛不明事件ですが、私は其時の騒ぎを能く記憶して居ます。詳細は新聞で読み、それに大尉が父の友人という事も知りましたゆえ、我々兄弟は父の面前遠慮なく其噂さを致しますと、父も口を出して大尉の行衛につき色々想像説を闘わせたりなどしますので、父がまさか其事件の秘密を胸の奥に隠して居り、全世界中父一人が大尉の運命を知っている人であろうなぞとは、夢にも思い及ばなかったのです。
 併し其中に我々も或る秘密が―或る確実の危険が父の頭上に降り掛っている事を悟りました。父は一人で外出するのを大層怖がりましてな、毎時(いつも)二人の力強い拳闘家を雇うて日頃は門番として使っていました。今日貴方を御迎えに出た旦助、あれが其一人でしたよ。父は何を怖れるのか我々には一言も申しませんでしたが、木の脚ですね、片脚の人などのよく使う、ああいう木の義足を持った者を一番嫌ったのは事実です。一度なぞはそういう男を途中で見掛けて短銃(ピストル)を撃ちかけた事なぞもありましたがな、これが何でもない注文とりに廻り歩く商人だったので、其口を塞ぐために大枚の金を取られたりなぞしたのです。我々は単に父の気紛れとばかり思うていたのですが、其後に至って我々の想像を変らせるべき事件が出来(しゅったい)しました。
 父が印度から移住後五年、即ち今から六年ばかり前の春の事でした。父の許へ印度から一本の手紙が届きましたが、これが父にとって大打撃の手紙であったと見え、朝飯の卓子(テーブル)でそれを読むなり殆ど昏倒し、爾来(じらい)死病に取り附かれたのでした。手紙の内容は更に解りませんでしたが、瞥(ちら)と見た所では文句は短く、且つ悪筆で認(したた)めてあったと思います。父は元来脾臓の誇張する病気で窘んでいたのですが、夫(そ)れから段々悪くなり、其年の四月の末頃には医師からも見放され、父も覚悟致したと見えて、臨終に我々に告白する事があると言い出しました。
 呼ばれて病室に入って行くと、父は枕を力に稍(や)や起返り太い息を吐(つ)いて居ましたが我々の姿を見ると扉を厳重に内から閉めさせて、寝台の両側に腰掛けさせました。そして両手に兄弟の手を握って、苦痛と感動とで途切れ途切れになる声を絞って、実に驚く可き告白を致したのです。それを父の言葉通りに一つ御話して見ましょうか」



  四、臨終の窓を覗く奇怪の髭面
       ―天井の密室に五拾万円の宝玉函
 父の言葉通りだと、ことわって山輪周英は話を進める。
「父は斯う申したのです―己(おれ)は此臨終の時迄も心に押し冠さっている只(たっ)た一つの事がある。それは哀れな須谷大尉の孤児(みなしご)に対する己の処置だ。己は貪欲に呪われて一生其罪のために窘(くるし)んだがここに須谷の娘が少くも当然其半分を受くべき宝がある。それ迄をも慾深の己は横領して居ったのじゃ。それが我身の利益(ため)になったかと言うに毫(すこし)もなって居らん―誠に盲目(めくら)で愚なものは貪慾という事じゃ喃(のう)、ただ宝を握って居るという事のみの嬉しさに、他人へ分ける事を能(よ)う為し得なんだのじゃ。見い、その規尼涅(キニーネ)の瓶の傍に、真珠の尖頭(さき)につけた数珠があるだろう。元々須谷の嬢に贈るつもりであったのが、それさえ手放せ得なんだよ。だからお前達兄弟は、己に代って嬢に印度の宝を分けてやってくれ。が、己が死ぬ迄は何も贈ってはならぬ―数珠をやることさえならぬ。
 そこでお前達に須谷大尉の死んだ真相を話して置こう。一体大尉は長年心臓を患うて居ったのじゃが、誰にも隠して居ったが己一人が知って居た。所で印度在任中、己と大尉とは、或る特別な事情に繋がれて、莫大なる宝を手に入れる事が出来た。それを全部己が上海へ持ち帰って居ったところ、翌年須谷大尉が印度からやって来て、其夜真直(まっすぐ)己の所へ訪ねて参っての、宝の分配(わけまえ)を渡して呉れいと申すのじゃ。彼はホテルから己の家まで徒歩(かち)で参ったそうで、大尉を迎い入れた者は死んだ良張陀(りょうちょうだ)と言う忠義な爺様であった。さて大尉と逢うて見ると、宝の分配の割合について意見が違い、終(しまい)には双方真紅(まっか)になって論じ合うという有様、其うちに嚇(かっ)と憤怒に襲われた大尉はスックと椅子から立ち上がったと思うたが、不意に手を胸へ当てた。顔色は次第に物凄く薄黒く変色する、やがてドタリと倒れたが、倒れる拍子に頭を其の場に在った宝石函の角に強く打付け居った。己は驚いて跼(こご)んで見ると慄然(ぞっ)とした。彼は最う息が絶えて居るではないか。
 何うしたら好かろうと、己は長い間呆然として居縮(いすく)まっていた。無論真先に起った考えは、人を呼ぼうという考えであった。が、顧みれば此場の総てが、己が大尉を殺したとよりほか思われない。激論最中の死と言い、頭部の大傷といい、悉く己の不利益の証拠となる物のみである。それにじゃ、宝玉の一件は己が絶えず秘密秘密にと苦心して居ったのだが、弥々(いよいよ)其筋の者が臨検致すとなれば自然其秘密にも手が付くことになる。大尉自身の言う所によれば、彼が上海着の後の行動は、天地間未だ誰も知る者もないとのこと。然らば彼の消息を強いて他人に知らしむる理由もない、と斯う己は考えたのじゃ。



 そうは言いながらも尚おも思案に暮れて居った。其時顔をふと擡上(もちあ)げて見ると、何時の間にやら僕(しもべ)の良張陀が扉口に立って居るではないか。彼は忍足に室内へ辷(すべ)り込んで扉に閂(かんぬき)を掛け、こう言うのだ―大人、御心配し給うな、大人が大尉を御殺しになったことは誰にも知らせるに及びませぬ。屍体を隠して了えば此に上越す手段はないでは厶いませぬか―で、己は自分が殺したのではないと言うたが、彼は頭(かしら)を振って微笑みながら、大人、老爺(おやじ)は残らず次の室で聞きました。喧嘩をなされた御声も聞きましたし、ドウと御擲(なぐ)りなされた音も聞きました。併しそれを口外致すような老爺では厶りませぬ。今は家内中皆眠って居ますから、さア早く屍体を片附けましょう。と言い張るのだ。で己もツイ其気になって了うた。自分の日頃召使う僕にさえ無罪を信じられぬ此身が、何で理屈一方の裁判所の陪審官の前に立って無罪を弁明出来ようぞ。そう思うたから、己は老爺と手伝うて其夜の中に死体の始末をして何喰わぬ顔で居ると、さア四五日してから上海中の新聞が須谷大尉の奇怪なる行衛不明事件について大騒ぎして書き立てたわい。けれども喃、今の話でお前達も合点がいったろうが、己は彼の死に就て責めらるる理由(いわれ)は先ずない。ただ彼の死骸のみならず、宝玉迄も隠して、須谷の分配(わけまえ)を横領したという事実、これは全く己の落度であった。だから己は自分の死後其賠償をしたいのじゃ。兄弟(ふたり)とも、もっと耳を己の口端につけてくれ。其宝玉函の隠してある所はの―と言い掛けた其瞬間、父の顔色が颯と怖ろしく変ったのです。眼を荒らかに見据え、頤(あご)を垂らし、『彼奴(あいつ)を追払え!さア、早く追払え!」と叫びました。其声というものは未だ耳に付いて居ますな。父の見詰めたのは庭に向いた窓でしたから、我々は何事ぞと振向けば、こは什麼(いかに)、一つの人間の顔が闇の中から我々を覗いているのです。窓硝子に鼻を押付けた所の白々したのも認められます。何でも毛深い髭面で、粗暴な残忍な眼を持ち鮎喰を集注したという表情をして居ました。我々兄弟は己れッとばかり窓へ突進しましたが、もう曲者は居りません。再び寝台の許へ戻って見ると、父はダラリと頭を垂れて居るので、脈搏を検(しら)べると全く止まって居ました。
 其夜庭園内を隈なく捜索しましたけれども、曲者の闖入したらしい形跡がない。只窓の直下(すぐした)の花壇の中に人間の片足の足跡が一つ有ったばかりでした。其足跡さえ無かったならば、我々は気のせいで彼(あ)の様な荒い怖しい顔を見たのだと思い定めて了ったかも知れません。併しながら直ぐに他の、而も一層顕著なる証拠が現われて、或秘密の曲者が我々の周囲に徘徊している事が確実になりました。其翌朝の事です。父の室の窓が開けられて、戸棚や手函なぞが掻き捜されてある形跡を発見しましたのみならず、父の死骸の胸の上に一枚の紙の切端が留めてあって、夫(それ)には『四人の署名』という字がなぐり書きにしてありました。何の意味やら、また曲者が何者やら更に当りがつきません。我々兄弟は此奇怪なる出来事を、日頃父の抱いていた恐怖に結び付けて考えて見ましたが、今日に至る迄秘密は依然として秘密のまま、開放されずに残って居るのであります」
 主人はもう水煙管を点(とも)すのを止め、二三分間思案有りげに煙を吹く。予等三人は此異常なる物語に聴き惚れて黙然として坐せるのみ。丸子は父の死去の話を聞かせられた時は急に死人の如く蒼白な顔色となって、自分は昏倒するに非ずやと懼れて、早速卓子(テーブル)の上の水罎(みずびん)の水を一杯勧めると漸く恢復(かいふく)した。博士は放心の体にて眼瞼(まぶた)をば輝く眼の上に垂らして椅子に背を倚(よ)らせて居る。其態(さま)を瞥見した自分は、今度は博士が少くとも其智慧を極度に試験するべき事件に遭遇したのだと思った。山輪周英は自分の物語りし譚(はなし)が、異常の感動を与えたのに得意の顔付して、一人一人順次に眼を移しながら、再び煙を吹いて語り出した。
「既に御想像でもありましょうが、兄と私とは父の話した宝玉の件に夢中となり、数週間、数月間に亘って邸内を隈なく捜索したり掘ったりしましたが、更に出て参りません。其隠し場所が臨終の父の唇に残った儘永久に葬られたのを思うと気も狂うばかりでした。宝玉の立派さは前にお話した数珠を見ても判断が出来ます。此数珠に関しても兄と私とは小争闘(こぜりあい)を致しました。それに付いて居る真珠が実に高価な物であった所から、兄は手放すのを惜しがったのです。兄弟の恥を申す様ですが何方(どちら)かと言えば兄は多少父の欠点を受けついで居ましたからな。尚お兄の考えでは、若し数珠を手放したらば噂の種となって、飛んだ面倒が持上りはすまいかと心配したのです。それを何うにか凭(こ)うにか説き伏せて、丸子さんの御住所を捜り、数珠の真珠を一つ一つ放して毎年同じ月の同じ日に差上げたらば、令嬢も生活上の御困難もなかろうかと、漸く其策を実行したのであります」
「御親切な御考えであった。貴君にとって極めて善い事であった」と博士が賞めた。
 主人は残念そうに手を振って、
「我々は謂わば令嬢の信託人であったのです。兄は兎も角私だけはそう思っていました。財産は沢山あり、私はもう其上の利益は欲しない。であるのに、うら若い婦人を其様な無情の境遇に置くのは非常に悪い趣味であると考えました。が、其問題になるといつでも兄と意見が違う。それで私は寧(いっ)そ別居が得策と、僕の旦助と真戸伽(まとが)爺様(さん)とを連れて一昨年から此の家に移りました。
 所がツイ昨日の事です、一大事件が起りました。それは宝玉函がとうとう発見されたというのです。で、私は兄と相談して即刻丸子様(さん)にあの様な御招待の手紙を差上げました。ですから残る問題はこれから御一緒に兄の宅へ参って各々(めいめい)分配(わけまえ)を要求すれば宜しい。其意見は昨晩兄に申して置きました。其様なわけで、私共は兄に対しては余り歓迎すべき御客様ではないかも知れませぬが兄も待受けては居るだろうと思います」
 周英は話を切って、例の顔をピクピクさせながら贅沢な椅子に腰掛ける。自分等もこの怪事件の新しき発展に心を奪われて、依頼沈黙を続けていたが、博士が真先に飛び上った。
「貴君は初めから終り迄実に善うなすった。其代り我々は多分、未だ貴君にとって不可解なる暗黒の点に、幾分の光明を投じて上げる事が出来ようと思いますわい。兎に角丸子さんの言わるる通りもう時刻も遅いことゆえ、即刻運動に着手しようではありませんか」
 主人は頗る落着き払って水煙管の管を巻き収め、窓帷(カーテン)の背後(うしろ)から莫迦長い外套を取出して残らず釦(ボタン)を掛け、耳まで覆う垂れの下がっている兎の皮製の帽子を冠って漸く身支度が済むと、露れている個所は、感じ易い骨っぽい顔面ばかりである。
「私の体はどうも薄弱です、どうも病身になって了ったのです」
 斯う言いながら、彼は玄関へと案内する。
 馬車は既に玄関に待受けていた。一同が乗り移るや否や驀地(まっしぐら)に駆け出す。周英は車輪の響きを圧する高い声で、絶時(ひっきり)なしに喋り続ける。



「兄は怜悧(りこう)な男ですよ。まア宝玉の所在(ありか)をどうして索(さが)し当てたと思召す。第一に兄はそれが家の内にあると断定したのです。で、家中の凡有(あらゆ)る立方の空間を捜索し、また方々の尺を測って見て一寸でも喰い違いのあるかどうかを調べました。其結果の一つとして斯ういう事を発見しました。それは建物の高さが二十四尺ある、然るに各階の室の高さ、及び室と室との間隔なぞを総て合せてみると二十尺に満たない。つまり四尺という喰い違いが出来ました。此喰い違いは別の個所にはない。家の一番頂上にあるに定(き)まっています。そこで兄は一番上の室の天井へ穴を明けて見ました。すると何うでしょう、天井の上に誰にも知らさぬ様に作った一個の密室があって、室の中央に二本の組合さった桷(たるき)の上に、果して宝玉函が置いてあったでは厶いませんか。早速天井の穴から降ろしましたが、兄の眼分量によれば、宝玉の価値は少くも五十万円を下らぬそうであります。
 五十万の大金と聞くと、予等は思わず円くした眼を見合せた。丸子にして若し果して正当の権利を享受するならば、今日の貧しき家庭教師の境遇より脱して、一躍最も富裕の相続人となるであろう。これ慶すべきか、弔うべきか、自分は恥しけれども此時魂は自我の念に囚われ、心は鉛よりも重く沈んでいた。丸子に向っては二言三言吃りながら祝辞を述べたのみ、後は山輪君の饒舌(おしゃべり)をもよそに鬱々として頭(こうべ)を垂れていた。此周英君は確に依ト昆垤児(ヒポコンデリヤ)、即ち精神系知覚過敏の患者である。夢のように覚えているが、彼は病気の徴候を果し無く話し、藪医者から貰った沢山の秘薬の処方と其作用とについて絶間なく述べ立てた。現に懐中(かくし)の中の鞣皮(なめしがわ)の小箱には夫等の薬が入って居るそうである。其晩予がした返答を彼は恐らく一つだも覚えてはいまい。博士の言う所によれば、自分は周英君に向て、カストル油剤の二滴以上を用いる危険を注意して居たそうである。それは兎に角、馬車が漸く一軒の門の前に止って、馭者が扉を開くべく飛び下りた時には自分はホッとしたのである。
「丸子さん、これが兄の家です」
 周英君は丸子を扶(たす)け下ろしつつ斯う言った。

小原柳巷  秘密小説 悪魔の家 十二 (完結)

2012年01月29日 | 著作権切れ大正文学
  一三〇 ヘン大丈夫だい

 阿里が蜂部の居処を知ってるのみならず、現在今夜何処で、何人に会うと云う事迄知って居ると云うのには、自分を始め一同は、最初はそれを信じ兼たが、段々仔細を聞いて見ると成程と次第に合点が往って来た。
 それと云うのは今から丁度一月許り前の事なそうで、阿里が自分が邸へ帰らなくなってから、三個(みっつ)許り寝た日の夜だと云うから、多分蜂部が瑠璃子を暗殺(ころ)し損ねて姿を隠した翌々日の晩位の事だろうと思うが、阿里は例の如く図書室の二階の自己居間で、独寂しく睡って居ると、夜中になって急に犬が吠え出したとの事である。一体阿里は前にも云った如く、根が生蕃種(せいばんだね)であるから非常に目敏い上に、殊に自分から命令(いいつけ)られてあるから又しても三階の自分の室に盗賊(どろぼう)でも侵入(はい)って来たので無いかと思って、密(そっ)と起出して窓から覗くと、芝庭の隅に据えた長脚子(ベンチ)の上には二人の紳士が腰をかけて居て、それに犬が吠えてるのだったそうだ、其の中一人は後姿で蘭田な事が直ぐ解ったが、も一人は誰やら鳥渡(ちょっと)見当がつかぬ。併し何うも一度出逢った人の様に思われるので尚も瞳を凝らして居ると、其中彼の紳士が犬を追おうとする拍子に、チラと其横顔を月光りで見ると、それが嘗て自分の命で上野から渋谷の停車場迄自働車に乗せてやった赤襟飾(あかネキタイ)だったとの事である。阿里は斯う語り終って、
「其晩はそれっきり帰ったが、それからチョクチョク邸に来るんだ」と話を結んだ。
「然うか、じゃ蘭田の処に来るんだね」と自分が云うと、
「ウンニャ」と阿里は頭を振って「最初(はじめ)は悪人の処に来る風だったが、今ではハイカラの処に来るんだ」
「姫の許(ところ)に?」
「ああ昨夜(ゆうべ)も来たぜ、あんまり滋々(しげしげ)来るから変だと思って昨夜は立聞してやったんだ」
「見付かりゃしなかったかい」
「ヘン大丈夫だい、ハイカラの室は二階の隅っこだろう、室中(なか)からで無いと行かれないと思って油断してらァ、己(おら)ァ其中に窓の傍の欅(けやき)に這い上って枝にぶら下り乍ら話を聞いてやったんだ」欅の枝にぶら下って、二階の話を窃聞きするなどは全く何処迄も阿里式である、自分は思わず笑みを洩らして、
「然うしたら室内(なか)の話は聞こえたかい」と云うと、
「ウンニャ、沢山(たんと)は聞こえなかったが、何でも書類を何うとかして、明晩十一時迄に来ると云う事だけしか聞えなかった、其中に手が草臥(くたびれ)たから帰って寝たんだい」阿里の話はこれだけだが、自分等は大略(おおよそ)の見当がついたと云っても宜い唯何うして姫が彼一味に入ったとは疑問であるが、考え様に依っては、或は自分の素性を糊谷老人から聞知って、それを種に姫を煽ったと思われぬでも無い、併し兎も角も蜂部等が今宵玻璃島家に集まるとすれば、彼の一件書類を再び自分等の手に取戻す事が出来ぬとも限らぬ。栗野などは最早それを手に入れでもしたかの様に打喜ぶのである。
 それから我々の間に、如何にして蜂部等を捕縛し而して彼の書類を奪い返すべきかに就いて相談したが、別にこれぞと云う名案も出ない、矢張り一方警官の応援を頼んで、阿里を案内に踏込んで捕縛(つかま)えるより外は無いと云う事に決った。乃で阿里に此旨を含めて蘭田等に怪しまれぬ中にと邸に帰し、再び警察に電話をかけようとしてると其処へ漸く二名の警官が来た。自分と栗野は交る交る今迄の経過(いきさつ)を述べると、二人の警官も頗る驚いた風であったが、それだけ自分等の計略(はかりごと)には大賛成で、では十時頃私服で来ようと約束して其儘警察に引揚げた。
 それから間もなく夕餐(ゆうめし)となったが済んでから時計を見るとやっと五時半である、十時には未だ四時間以上もある。自分等はそれ迄の時間を消すべく三人で骨牌(トランプ)を始めたが、やがて五六番許りの勝負を済ませた頃、漸く時計は十時を報じた。
「おう十時だ」と三人が云い合した様に呟く拍子に、此時階段を上って来る人の足音が聞えて、やがて入口の扉(ドア)を叩く音がする。



  一三一 阿里の怪力

 瑠璃子が椅子から立って扉(ドア)を開けると、其処には鳥松刑事が私服姿の、先刻の二名の警官を連れて立って居た。警察であるから以来の経過を聞いたと見えて鳥松刑事は、今宵は瑠璃子にも自分にも非常に愛想が宜い。而して瑠璃子も今は鳥松刑事を恐れる理由も消滅(なくな)ったので、二人の間には盛んに一の宮以来の物語が換わされた。
 自分と栗野とは其暇に階下(した)に行って準備(したく)を整えて、再び戻って来たが見ると、警察隊の注意があったのか、それとも自分で気附いたのか、瑠璃子は洋机の抽斗(ひきだし)から二挺の短銃(ピストル)を取り出してせっせと弾丸を充填(こめ)て居る。
「おお短銃ですか、大分事が大業(おおぎょう)ですね」と云うと、
「ええ」と瑠璃子は莞爾して「でも向うは彼様(あんな)悪人ですもの」と、やがて弾丸填(こめ)を終った短銃を一挺宛自分と栗野とに渡した。自分はそれを半袴(ズボン)の隠袋(ポケット)に捻込み乍ら時計を見ると、彼是もう十時半である。それから田川老夫婦を呼んで瑠璃子の保護を頼み、警官隊を促して古里村荘を出た。
 池袋から山手電車に乗って中渋谷で降り、玻璃島家の門前に着くと十一時の鐘を聞いたが、門の潜戸(くぐりど)は阿里の仕業と見えて、別に鍵金(かぎがね)もかけずにあった。五人は足音を忍ばせて漸く玄関前迄忍び込んだが、見ると其処の棕櫚(しゅろ)の蔭には、これも身軽な扮装(いでたち)した阿里が立って居る。
「おお阿里」と思わず自分は声を立てようとすると、飛鳥の如く飛びついて自分の口を押えた阿里は、手早く其の懐中(ふところ)から取り出した一枚の紙片を無言で自分に手渡した。月光(つきあかり)で透し見ると、金釘を並べた様な阿里の手趾で、
「悪人がハイカラの室に集って居ます、皆さんは逃さぬ様に此家を取巻て下さい、私は先生と一緒に悪人の狩出しをやります」と云うのだ、阿里はまるで台湾の蕃界で獣猟(けものがり)でもする了見と見える。自分は読終ってそれを鳥松刑事に渡す、鳥松刑事から栗野、それから二人の警官と云う順に、その紙片が我々仲間を一巡した。
 素より案内者の阿里の云う処であるから、誰一人異議の有るべき筈は無い、否独栗野弁護士のみは自分と一緒に狩出の役目を振られないのが少からず不平の様であったが、それでも阿里が眼を光らして頑張って居るのを見て、自己(おのれ)の要求が容れられぬと覚ったか、不承不承警官隊と共々逃口を固める役目に廻った。斯くて人員の配備は完了(おわ)ったが、何故か阿里は凝と耳を聳(そばだ)てて邸内の様子を窺った儘動こうともせぬ。自分は耐え兼て、
「阿里まだかい」と聞くと、阿里は黙って其指を口に当て、「黙ってろ」と云った様な表情を示した。しょう事無しに自分も口を閉じたが夫れから暫く経つと、もう宜いと云う見極めがついたが、阿里は自分の前に背を出して、手真似で自分に負ぶされと云うのだ。
 どんな事をするつもりかと思ったが、阿里の怪力は予て知って居るから、自分は何の躊躇もせず其背に負われた。すると阿里は驚くべし、五尺五寸体重十五貫と云う自分を、軽々と負った儘、かねて開けて置いたと覚しき玄関前の窓口からスルスルと邸内に忍び込むのである。其処から長い廊下を突当って左に折れ、また突当ると二階に上る階段になるのだが、阿里は其階段すら少しの音も立てずに上るのだ、負ぶさって居る自分は舌を捲いた。階段を上りつめると取っ付きが姫専用の応接間で、幸いな事には其室(そこ)には今宵に限って電灯一つ点て無い。阿里は入口に立った儘暫時室内の様子を窺って居たが、愈大事ないと思ったか、矢張音も無く扉を開けて室内に入り、隣室に接した壁際の長椅子(ソファ)の上に密(そっ)と自分を下ろした。此室と姫の室とは僅に壁一重隔つるのみだ。話声も聞えれば灯光(ともしび)も洩れて来る、自分の心臓は早や激しく鼓動を始めて来た。

  一三二 数十尺の距離

 凝(じっ)と耳を澄まして隣室の様子を窺うと、案に違わず蜂部の声もすれば蘭田の声もする、それに時折姫の声も交って聞える、其様子では何うやら蜂部と蘭田が姫を強迫して居るらしく、姫は極力それを拒んで居る様にも取られた、鍵穴から覗いて見ると、果して姫の前の卓子(テーブル)の上には彼の古銅器が置かれてあって、早や書類は其中から取り出されてある、三人はそれを囲んで何事か相争うて居る。最早猶予してる場合でない、自分の指は短銃の引金にかかった、早速中に飛び込もうとすると、イキナリ後から静かに抱止めた者がある、見ると阿里だ。阿里は逸(はや)る自分を引止めて「未だ早い」と云った様な動作を示すのだ、自分は「何故」と同じく動作で聞き返すと、阿里はそれには答えないで、唯「此室(ここ)を動くな、合図のある迄」と云う意味を手真似で示した儘、何と考えたかさっさと階下に引返すのだ。
 自分はこれで全く独ボチになった訳だ、頼みに思う阿里には出て行かれ、加之(おまけ)に警官はと云えば此家を取巻て居るとは云え、窓の真下に居るとして此室から数十尺の距離があるのだ、自分の心細さと云ったら一通りで無い。併し生蕃種とは云い、根が人一倍悧撥(りこう)な阿里のする事である、何ぞこれには深い考えがあっての事と思ったから、兎も角も其合図と云うのを待とう、長椅子(ソファ)に腰をかけて待って居ると、何うした事か何時迄過っても其合図が無い、其中に隣室では次第に蜂部の声が大きくなって来た。斯うなって来ると阿里の合図よりは、勢い其方に気がとられて来る、自分は再び鍵穴から隣室を覗き込んだ。
 すると驚くべし、何時の間にか姫の前には、火を点した酒精洋灯(アルコールランプ)が据えられて、蜂部はそれで彼の書類を姫に焼棄てろと勧めて居るのだ。自分は思わずハッと胸を踊らしたが、併し幸いな事には、姫は容易にそれを聞入れる模様が無い。果(はて)は蜂部も聊か自烈(じれ)出して来たと見えて、
「じゃ何うしても貴方には此書類が焼け無いと仰ゃるのですか」と、先刻(さっき)から見れば余程声高に斯う云った。
「ええ」と姫は頷いて「何うして妾には其様恐ろしい事が…」
「出来ないと仰ゃる、じゃ貴方は此書類が太刀原医学士の手に…否(いな)玻璃島直文伯の遺子(わすれがたみ)の手に渡って、貴方が此邸を出なければならぬ様になっても、それで宜いと云うんですね」
「ええ致し方が御座いません、素々妾は先代の相続人が無い為に分家から来たのですから…太刀原さんが先代の御血統(おちすじ)だと云う事が判って見ますと、仮令(たとえ)彼方(あちら)で其事を御存じなくとも、此方からお知らせ申した上で、妾の方から身を退くのが当然と思いますわ、それは怖ろしい、妾にはとても其様な怖ろしい事は」と、姫は殆ど身を慄わさぬ許りにして斯う云うのだ。
 流石(さすが)の蜂部もこれで、漸く姫の志を曲げ得ないと覚ったか、
「然うですか判りました、成程伯爵家の姫君の仰ゃる言(ことば)です」
と悄然として頷いたが、
「ああそれにつけても太刀原君と御夫婦にすれば、立派な玻璃島家の相続人が出来るのに…今はそれも出来なくなって了った」と呟く様に云った。扨(さて)こそ、凋(しお)れたと見せた蜂部には斯ういう謀略(はかりごと)があったのだ、而(そう)して故意(わざ)とさも同情に堪えぬと云った顔色で、姫の顔をしげしげと打守るのである。奸悪と云おうか、邪智と云おうか蜂部は斯くして姫を煽(おだ)て込み、其上で無理に彼の書類を姫に焼かそうとするのだ、此方で覗いて居る自分は全く気が気で無い、直ぐにも飛込んで書類を奪い返したいのだが、自烈たい事には未だ阿里から何の合図も無い、阿里は一体何うしたのだろう。



  一三三 此書類を焼ます

 自分は振返って周(あまね)く室内を見廻したが、矢張其辺には阿里の姿が見えぬ。して見れば未だ手筈は整わぬのかと思いなおして、三度鍵穴から彼方の様子を窺った。而して此の蜂部の煽動に対する姫の返事は如何にと胸を躍らせ乍ら耳を欹てた。
 すると前とは違って、今度は姫も一方ならず心を動かした容子だが、それでも黙って吐息をする許り、別に蜂部の言に対しては返辞をしない。併し相手は奸智に長けた蜂部である、姫の心が動いたと見て、それに附け込まぬ様な優しい男では無い。表面(うわべ)は何処迄も落胆し切った風を装い乍ら、またしても姫に聞えよがしの独言をつづけた。
「ああこれで何も彼も水泡(みずのあわ)となった運の宜い奴は瑠璃子だ、偽金遣いの娘が一躍して伯爵夫人となると云うのは、何たる幸福な女だろう」と嘆息する様に云って首を俯垂(うなだ)れた。斯う迄云われて見ると、いくら姫でも嫉妬の凝塊(かたまり)たる女である。ウカウカと蜂部の謀略に釣られた。
「すると若しや太刀原さんが、その瑠璃子とか云う方と…」
と蜂部の顔を守った。
「ええ然うですとも、伯爵家の姫君と云う貴女のある許りで其女と結婚しないだけです」と何処までも空々しい。
「えッ、では其女と…太刀原さんは」
「相許してるんですとも、貴女が伯爵家の姫君で無く、普通の平民の娘でしたら、太刀原君は貴女の傍を去って、其偽金遣いの娘と結婚して居たでしょうよ」其言の中(うち)には自分即ち太刀原健夫は、伯爵と云う肩書で釣るより外に姫の目的を達する道が無いと云う意味が含まれて居るのだ。
 これが瑠璃子ならば、同じ世間知らずでも、此様浅墓(あさはか)な謀略(はかりごと)に乗る筈は無いが、何しろ相手はそれに輪をかけた御大名育ちである。斯う云われると其真偽を確かめる世才すら無いのである。前額(ひたい)に右手(めて)を加えた儘、暫時は深く考えてる様であったが、ややあって、
「ではあの…矢張妾が玻璃島家の相続人で居る中は…彼の方を繋ぎ止める事が…」と云いかけたが急に思い返しでもしたか「いいえ、矢張そうは信じられません、それ程其瑠璃子とか云う方を愛していらっしゃるなれば…譬え妾が伯爵家の相続人で居た処で…」と、悲しさが胸に迫って来たか姫の声がかすれて聞えた。斯うなって来れば愈以て蜂部が得意の場面だ。俄然態度をガラリと変えた。
「ハハハハすると姫には矢張男も女と同様に、地位よりも恋の方を重く見るものと思って居られるんです」
「だって然うで無いでしょうか」
「さァどんなもんですか、よく世間の男のする事を御考えになったらお解りでしょう、縦しまた太刀原君は世間の男と違って居ても…私が貴女ならば見す見す自分の恋人を他に譲る事をしないのだが、併し私が貴女で無い様に、貴女が私で無いのだから」と云って蜂部は嘲る様に打笑うのである。持前の毒舌で続け様に斯う煽るのだ、いかな姫でも胸の炎が燃え立たざるを得ない。
「解りました、もう解りました」と云って顔を上げた時は、姫の眼は嫉妬の怒りに異様の輝きを見せた。
「解ったとは何うお解りになったのです」と蜂部は益々追究の手を強める。
「はい解ったとは」姫は痙攣的に唇をぶるぶる慄わし乍ら
「妾は…妾は…恋の為め良心を欺きます、而して此書類を焼きます…勿論此上は貴方の旅行券にも保証します」と云い様、スックと椅子から立って卓上の書類を打慄う手に確(しか)と掴んだ。将(まさ)に此一瞬時、彼の書類は斯くて姫の手によりて一片の炎と化せんとするのだ、自分は最早此の上猶予して居る事は出来ぬ。
「待てッ」と一声、破れよと許り扉を蹴開き、猛然として姫の室に踊り込んだ。



  一三四 白麿の六連発

 姫は素より、蜂部等にしても、当(まさ)に青天の霹靂であったに相違無い、就中(とりわけ)姫は余程喫驚(びっくり)したらしく、自分の姿を見るなり卒倒せん許りに驚いて、ヨロヨロと後に仆れかけたが、危うく傍(かたえ)の椅子に身を支えて、
「おお…おお…」とのみ語(ことば)も無く、唯其肩に驚愕の濤(なみ)打たせる許りだ。
「貴女は怪しからん事を」と、飛び込み様其手から書類を引たくった自分は、姫の方には再び眼も呉れず、短銃(ピストル)片手にジリリと蜂部の方へ進んだ。すると蜂部は此時漸く度胸が定まったか、顔色も稍(やや)旧(もと)に復して、
「ハハハハとうとう見つかったね、君の根気には全く驚いた」
 と、何処迄太々しいのだろう、両手を洋袴(ズボン)の隠袋(ポケット)に突込んで、卓子(テーブル)の前に立った儘例の気味の悪い笑を洩らし乍ら斯う云うのだ。聞くなり自分の癇癪がムラムラとこみ上げて来た。
「余計な事を聞く必要は無いんだ、さァ書類を…糊谷老人の書類を…」と、驚破(すわ)と云わば引金を引ん許りに、短銃の狙いを定め乍ら更に蜂部の方に進んだ。すると蜂部はこれも一歩一歩後ずさり乍ら、
「ハハハ解った、じゃ此の上此の書類まで奪ろうと云うのだね、ハハハハ君も余程虫の良い男だ、私(わし)の手から娘を奪って、其上この書類まで奪うと云うんだね」と未だ悪たれる。
「悪人!何が娘だ、今贋金遣いの女(むすめ)を云った口で、娘とは何事だ―さァ書類を返せ、書類を」と自分は余りの怒りに言も出ぬ。
「ハハハハじゃ立聞したね、ハハハハ立派な紳士もあったもんだ、書類か、敢て返さぬとは云わん、だが蘭田君とも相談して見にゃ」と、後を見たが、何時の間に姿を隠したのか其処には蘭田の影も無い。これには蜂部も少しく的が外れたか何とも形容の出来ぬ様な苦笑を洩らして、
「ハハハハ蘭田君も何処かに行ったと見える、では愈善人栄え悪人滅びるの大団円かハッハッハッ」と諦めた様な独言(ひとりごと)を云った、それでも未だ書類を返そうとせぬ。自分は今は全く自烈(じれ)て来た。
「まだ余計な事云ってるなッ、宜しッ、じゃア仕方が無い」
 と再び短銃(ピストル)を取上げた。
「待て」と蜂部は自分を制して、「年齢の若いのに気の短い男だ、渡さんじゃ無い、まァ待て渡す」と云う言に、自分は思わず短銃を下げた。而して二三歩前に進んで、
「さァ」と許りに左手(ゆんで)を指延べた。しがた蜂部は矢張両手を隠袋(ポケット)の中でモジモジさせた儘書類らしいものすらも出さない。重ね重ねの虚言に、自分は最早勘弁が出来なくなって来た。
「男らしくも無い、さァ出さんか」と更に一歩前に進んだ。
「ハハハハ今渡すと云ってるのに」と、蜂部はこれも一歩下がって「今渡す、渡すには渡すが一応相談して見んと…」
「相談、今更何人と相談するんだ」
「相談相手か、ハハハハそれは此奴(こいつ)だ」と、云い様蜂部が隠袋(ポケット)から取出した白磨(しろみがき)の六連発!果然彼奴が愚図愚図して居たのは自分の隙を窺って居たのだ。併し斯う思った時は既に晩い、自分の胸先には蜂部の短銃がつき付けられて居た。
「ええッ悪人悪人!」と自分は地団太を踏んだ。自分が口惜しがれば口惜しがる程蜂部は益得意になる。
「ハハハハ何うだ、何うやら君と地位が変わって来たね、じゃ今度は俺の方が君の書類を頂戴するか」と、自分が短銃を持上げたら最後撃つという気勢を示して、今度は反対に蜂部が自分の方に進んで来るのだ。自分は実際進退ここに極った、進むも退くも死である。
「ええままよ、相打だッ」と、短銃を取上げんとする一刹那、後の方から怪鳥(けちょう)の呻(うなり)を発して飛んで来た一個の石塊(いしつぶて)!
「アッ」と云ったかと思うと、蜂部の手からガラリと短銃が滑落ちた。

  一三五 楣先(のきさき)の雨桶

 敢て何人かと怪しむ迄もあるまい阿里の外に此様な離れ業をする者は無いのだ。見ると石塊は狙い違わず、蜂部の眉間に命中した。
「アッ」と叫んで傷所を押えた蜂部は最早叶わじと思うたか、其儘身を翻して奥の間の方へ逃げ出した。自分も続いて追かけ様とすると、其処へ阿里が飛び込んで来た。
「栗野の奴意地悪で短銃を貸さないから晩くなったんだ―彼奴は己が捕えるから、先生は後を気をつけて」と其儘蜂部を追うのである。だが逆上(のぼせ)切った自分には、阿里の言が耳に入る筈は無い、矢張り同じく阿里の跡を追うた。
 茲で一寸(ちょっと)此家の構造を説明して置く必要があるが、二階の上り口が姫の応接間で、続いて書斎、一番奥が姫の寝室だ、而して其室は扉を開けると廊下(ベランダ)になって居て、其行詰りが露台(バルコニー)だ。蜂部は実にこの露台から下に飛び降りようとして逃げ出したのだ。だが平常ならば兎も角、邸内には二三日前から石工が入り込んで煙突の修繕やら石垣の修繕やらが始まって居たらしく、露台の下かに廊下(ベランダ)の下に沿うて尖端錐(きり)の如き花崗石(みかげいし)が幾個となく並べられてある。殊に此時邸を取巻いた警官隊は、漸く此物音を聞きつけて各個(てんで)に短銃を手にして其下に集って来た。後振返れば隙間なく阿里が追かけて来る、流石の蜂部も何うする事も出来まいと思うて見てると、悪人は何処迄も悪人だ、斯うなっても生延びようとするのか石工が露台に掛け残して置いた梯子を伝うてスルスルと屋上に上った。阿里も続いて上ろうとしたが、其時は既に蜂部の手で梯子は同じく屋根の上に引上げられて了った。
 これにはさしもの阿里も少しく困ったらしく、一寸小首を捻って考えて居たが、やがて自分に、
「潜勢は此処に番をしててね」と云うが早いか、姫の寝室前迄引返したと思うと、阿里の姿は彼の大欅(おおけやき)の枝伝いに忽ち屋上に現われた。
「さァ畜生、今度は逃さんぞ」と、阿里は其上で四股(しこ)を踏んだ。斯うなっては蜂部も死物狂いである。
「何をッ」と云うなり其双腕(そのもろうで)満身の力を籠めて彼(かの)竹梯子を振かざした。斯うなって来ると阿里も鳥渡(ちょっと)近よる訳には往かぬ、彼方に更(かわ)し此方に交して居たが、何しろ屋根は滑り易い石板(スレート)葺(ぶき)で、阿里は何うした機(はずみ)か思わず足を踏滑らした、ズルズルと二三尺滑ったと思う時、得たりと蜂部は梯子で阿里の臑(すね)を横擲(なぐ)りにしようとした。アッと思う途端に流石は阿里、早くも梯子の下を屈(くぐ)って飛鳥の如く蜂部に組付いた。梯子は二人の手を離れて下に飛んだが、其拍子に二人も組んだ儘屋根から下へ転がり始めた。三尺、二尺、一尺、あわや二人は真逆(まっさかさま)に屋上から墜落したかと思う間に、早くも阿里は猿の如く楣先の雨桶に握った。而して蜂部はと見れば、これは又如何にせし、阿里の足に摑(しがみ)付いた儘同じく宙にぶら下って居る。
「畜生畜生」と叫び乍ら、阿里はそれを蹴落とそうとするが、斯うなれば蜂部は九死一生の場合だ、蹴られた位で却々其手を放さぬ。
「ハハハハ小僧貴様には気の毒だが、冥途の同伴(みちづれ)だ」と、何と云う悪人だろう、愈遁(のが)れる途(みち)は無いと観念したか、其身体を左右に振り始めた。これではいくら阿里の怪力でも物の十分と保てるもので無い。
「宜しッ、待て阿里」と自分が、一発の下に蜂部を射殺そうと、短銃の引金に手を掛くれば、此時姫が寝室の窓掛は、風も無きにムクムクと動き出して、中から顔を出したのは蘭田郁介だ。
「おお蘭田!」と思わず短銃を下ぐれば、
「ハハハハ見つかったね」と蘭田は例のニヤニヤ気味の悪い笑いを洩し乍ら「僕も漸く此様物を見つけて来たんだがね」
 と云い様、手早く隠袋(ポケット)から取出した一挺の短銃。
「ウーム」と云った儘自分は其処に佇立(たちすく)んだ。屋上では漸く其怪力が尽たか、此時苦し気な阿里の苦叫(くきょう)が聞える。



  一三六 永久に幸福だ

 斯うなって見れば自分が身を殺して阿里を助けるか、阿里を見殺しにして自分が助かるかの二に一つだ、否相手がこれも一命を投出してかかった蘭田であって見れば、縦し阿里を見殺しにした処で自分を殺さずに置く気遣いは無い。よしさらば、自分は悪人蘭田の銃先(つつさき)にかかって命を失うとも、この憐れむ可き阿里少年を助けてやれと、咄嗟(とっさ)の間に思案を決した自分は、再び短銃(ピストル)を取なおし蜂部に向って火蓋を切った。
 轟然一発、また一発、自分の放った短銃は、見事蜂部を数十尺の地上に射落したが、不思議不思議、蘭田から同時に一発見舞われた筈の自分は、別に生命に仔細は無いのである。不審に思って其方を其方を振返れば、意外、意外、自分を射殺す筈の蘭田は反対に何者にか其胸部(むね)を射抜かれ、仰けざまに引くり返って、廊下(ベランダ)に其醜い姿を晒して居る。
「おゝ蘭田は?!」と、思わず自分は斯う呟く拍子に、漸く先刻来の騒ぎを聞きつけて駆けつけた家職の者を従え、此時廊下に姿を現わしたのは姫だ。姫は銃先に未だ煙の消えやらぬ六連発を右手に握った儘、
「さァ一同者(みんなのもの)、新伯爵に御挨拶を…御挨拶を…御挨拶…」と、其美しい唇を嚙んで下俯向いた。



   *       *        *

 我々は蜂部の死骸を探って奪い返した埃及紙(パピルス)―梵語(サンスクリット)と地図見た様なものの書いてある―を持って、再び鎌倉に石和田博士を訪ねた。全国の新聞はそれ以来絶えず糊谷老人の発見した宝物に就いて報道してる。石和田博士は其時(それ)から数か月を澎湖島に近き無人島に過した、而して古来鄭成功(ていせいこう)(国姓爺(こくせんや))の墓と称せられて居た、一つ眼の巨人像の近所を、一生懸命地図に合して探した結果、遂に鄭成功の遺した多くの宝物は堀出された、而して数万円の宝石やら、数十万円の価値(あたい)のある当時の装飾品やら、数百万の金貨やらが続々東京に送って来られた。
 併し是等の莫大なる宝物も、玻璃島家の新主人たる太刀原―否、伯爵玻璃島健夫の所持(もっ)て居る美しい女王には勿論比較にならぬ、この美しい女王は自分と共に、中渋谷の森深き玻璃島家に同棲して居るのだ、自分等は今から八ヶ月前から夫であり妻であるのだ、玻璃島健夫の妻瑠璃子、何と似合(ふさわ)しい名ではあるまいか。
 楽き新婚(ホーネムーン)は、支那海の濤(なみ)飛んで落花(はな)と砕ける澎湖島(ほうことう)に近き無人島の浜辺であった、無論帰途(かえり)には夫婦揃うて鄭成功の墓にも詣でた。
 帰宅してからも自分等は、相変わらず楽く暮して居る、瑠璃子は栗野弁護士の手を経て多くの糊谷老人の遺産を相続した、これで倍々(ますます)財産が増えた訳だ、金があって、容姿(きりょう)がよくって、それで自分に優しくって…云うまい云うまい此上惚気(のろけ)は云うまい、読者にドヤされでもすると大変だ。
 梶浦大尉は今北海道の師団に勤めて居るが、其初音夫人からの手紙で見ると、札幌の或場末の寄席のビラに、コミック手踊(ておどり)の座員として糟場礼子の名を見たとの事である、初音夫人にとっては糟場夫人は自分を育てて呉れた乳母である、手紙の中にもそれを可愛そうに思う様子がほの見えて居たが、併しもう構えつける様な事はあるまい、何となれば初音夫人は彼(あ)れでも玻璃島家の血をひく者だ、悪人と知ってかばう様な婦人では無いからだ。
 阿里も無事、取松刑事も無事、古里村翁夫婦は素より石和田、松山両博士其他事件に関係(かかりあい)のあった人々は皆無事に幸福に其日を送って居る。とは云え自分に比較(くらべ)ると、彼等の幸福はお話にならぬ。自分は世界に唯一つの瑠璃子と云う宝物を持って居る、冗(くど)い様だが此宝物は満身の愛を自分に捧げ、自分も―ホイまたうっかり口が滑った、唯自分等は永久に幸福だとのみ云って置こう。   (大尾 たいび)


小原柳巷  秘密小説 悪魔の家 十一

2012年01月13日 | 著作権切れ大正文学


  一一八 伯爵と其女

 自分の強縮の体を見て、軽い微笑を呉れた栗野弁護士は、吸差(すいさし)の葉巻を灰皿に載せた儘再び語り継いだ。
「貴方の想像の通りです、何時の間にか情夫(おとこ)を拵えて、女は其方に逃げて行って居たのです、行方は直ぐに解ったが何しろ相手が悪い、名は記憶して居りませんが男と云うのは、何でも其自分政府部内に非常に勢力のあった某伯爵の一人息子で、併も女は其時は男の胤(たね)を宿して居たそうです、金があっても此方は町人、未だ憲法も発布せられない以前の事ですから何うとも仕様がありませんや、普通の者なら涙を飲んで引き下がる処ですが、何しろ人一倍強情の老人ですもの、何うにかして復讐しなくてはと、それから日夜復讐に身を委ねて居たそうですが、其頃からそろそろ水戸屋の基礎(いしずえ)がぐらつき始めたのです、だが其親譲りの資産よりも老人にしては復讐の方が大事と見え其方に許りかかって居ると人間(ひと)の一念と云う者は恐ろしい者で、それから一年と経たぬ中に見ン事老人は目的を遂げたとの事です、何ういう風の復讐をしたかと云う事は判然(はっきり)知りませんが、父の話に依ると伯爵と其女との間に生れた小児(こども)を何処かへ窃みかくしたものらしいと云うのでした。其故(そのせい)か間も無く其女も死ねば相手の伯爵も非常に性格が変って来たそうで、後で老人は復讐を仕過(しすぎ)たと云って居たそうです」栗野弁護士の話に詐り無しとすれば、実に糊谷老人の前半生は驚くべき哀話(ローマンス)を以て塡(うず)められて居ると云わねばならぬ。而して其れが何だか他人事でなく、自分の身に関係がある様に思われて、自分は話が進むに従って、自(おのず)と身体の固くなる様な気がした。栗野弁護士は更に語を継いで。
「それは今から三十年程前の事なそうですが、それから十年許りの間と云うものは、復讐を仕過ぎたと云うのでひどく神経を悩まし半病人の様になって、彼方此方(あちこち)と旅行などして居たそうですが、其中に某所で非常な美人を見染め其女と結婚したそうです、前の許婚とは違い単に容姿(きりょう)許りでなく気立も賢夫人と云って宜かった女だったと云う事ですが、何処迄も不幸は老人の身上に続くのか、其夫人は結婚後一年半許りの後、一人の女児を残して死んで仕舞ったそうです、それからと云うものは老人の性格はまたガラリと一変して相場もやれば賭事もやる、結局素性の悪い女に引かかって偽造紙幣の組合に迄入れられたのです」自分は茲まで、黙って聞いて居たが、斯うと聞いては何時迄も前の約束を守って居る訳には往かなかった。
「えッ、えッ、あの老人は―」と叫ぶと、
「黙ってお聞きなさい」と栗野弁護士は叱る様に云って「だが老人は索(もと)より其様事をする様な人物ではありません、だが相手が悪い蜂部昇二と云うゴロツキ相場師と、其妹で某伯爵家の家庭教師をして居た糟場礼子―孰れも貴方の知ってる様な悪人許りです、最初老人の名で開いて居た堂島(大阪)の仲買店は、何時の間にか偽造紙幣を散布する場所となって居たのです、然うなっては全く誰だって抜差が出来ない筈です、法律の制裁を受けるか、其網を脱れるかの二つの一つです、老人は罪無くて法律の制裁を受け度くは無かったと見えて、其最愛の幼児を蜂部に親知らずに託して台湾から南洋の方へ逃げたのです、これは後から考えて見ると飛んでも無い老人の失敗でした、だが老人は最初信用した者は飽迄信用すると云う風の人でしたから、蜂部の妹(糟場夫人)を憎み、其時は蜂部を充分信用し、蜂部も充分信用させる様に仕向たのですから」と云ったが、急に思い出した様に時計を見て
「おお四時になります中央金庫の扉(ドア)が締らない中(うち)に行かねば」と立上った。
 それは自分が最初(はじめ)に例の古銅器を中央金庫に預けて居る事を話して置いたので―。だが自分は其前に聞いて置きたいのは、蜂部に親知らずで預けたと云う女児(おんなのこ)の事である。
「では御一緒に参りましょう…ですが其前に伺い度いのは其の老人の女児(むすめ)と云うのは若しや」と思い切って自分は斯う云った。

  一一九 紙幣の偽造者

 したが栗野弁護士はそれに対しては満足な返辞を与えて呉れなかった。
「孰れ古銅器の中を開いて老人の遺言状を読む迄は」と許り、自働車に乗って中央金庫に行く途中も、話の主題は専ら糊谷老人に関した事のみで持ち切った。即ち糊谷老人は南洋の土人の語(ことば)に趣味を持って居てそれを研究して居たが、紙幣偽造の嫌疑で南洋に逃れてからは益(ますます)熱心の度を増して終(おしまい)には回々(ふいふい)教が仏教に更(かわ)って印度から南洋に渡来(わたっ)た当時の事を研究し、処々に散在してある古墳を発掘して、随分沢山の遺物を匿名で内地の博物館に寄贈した事なども物語り、
「其んな風でしたから糊谷老人は此点から云っても尊敬すべき学者でした、それが一度(たび)自分の信用した者の為に、恐る可き悪人の様に誤解せられて死んだと云う事は返す返すも残念です、欲を云えば限りありませんが、せめてもう少し前に蜂部の何ういう人間かが解って、其たった一人の娘に遺すべきものを残し、警戒すべき事を警戒さした上に死なしたかったのですが、然う気付いた時は、今思うと既に墓場に入りかけて居た時なんですね」と暗然として声を曇らした。自分も思わず釣り込まれて、何となく眼に或者の宿るを覚えたが、併し考えて見れば、これで瑠璃子の素性も推察し得る事となったと共に、愈以て昨年九月以来の疑問も明瞭になって来た訳だ、唯解らないのは自分の素性(みのうえ)と蜂部が何故古里村を殺し、更に自分と瑠璃子とを殺さんとしたかであるが、それも孰れ時間が来れば解る事と思ったから、差当り例の古銅器の秘密を知るを楽みに無暗と自働車を急がせた。二十分計りの後に我々を乗せた自働車は中央金庫に着いたが、見れば早や其入口が締って居る、其様事は無いがと番人に聞くと、
「今日から時刻が改正になりまして四時迄です」と一向取合って呉れぬ。時計を見ると成程四時を過ぎて居る。規則とあれば仕方無いので、自分と栗野弁護士とは明日を約して其処から別れる事となったが、自分はそれから再び御殿山の瑠璃子の許に引返した事は云う迄もあるまい。
 自働車から下ると白浜夫人が出迎えて呉れた。取敢えず瑠璃子の様子を聞く、今日はグッと宜いそうで、殆ど全快と云うても然るべく、松山博士も先刻帰られたとの事である。早速其足で瑠璃子の寝室に行って見ると、未だ顔色は悪いが、殆ど元気が旧通(もとどお)りになった瑠璃子は、自分の帰りを非常に喜んで、ワザワザ寝台から下りて迎えて呉れた。自分は瑠璃子の手を握りしめ乍ら今日しも栗野弁護士から聞いた大略(あらまし)を手短に物語り、糊谷老人が瑠璃子の実父らしいと云う想像を話すと、瑠璃子は非常に喫驚(びっくり)して、
「些(ちっと)も存じませんでした。妾は只親切な、何時も美しい贈物を下さる方だと許り…すると其底には其様秘密があったので御座いましたのね」と溜息を吐いた。
「ええ然うですとも」と、それから自分は更に瑠璃子の母親と思わるる女の夭死(わかしに)した事やら、糊谷老人が蜂部兄妹の為に紙幣の偽造射と疑われて内地に居られなくなった事、扨ては蜂部の悪事を残らず話した上、昨年の九月糊谷老人が内地に帰って来たのは、一つは瑠璃子に会う為めであったらしいと物語った。すると瑠璃子は深く自分の親切を謝した末。
「其前に手紙が妾宛に来て居たのでしたから然うとしたら神戸迄参りましたのに…矢張何かの因縁で…」と涙に暮れる。然うだ何かの因縁に相違無い、瑠璃子が一足違いで肉親の父の死際に会う事が出来なんだのも因縁なら、自分が見ず見らずの糊谷老人の死水を取ってやったのも因縁だ、若し自分と瑠璃子との間に何かの尽きせぬ前世の因縁が無かったならば、其時糊谷老人は其娘の介抱に依って目を瞑り、自分と瑠璃子とは永久に見知らぬ他人で居らねばならなかった筈だ。然るに…嗚呼然るに…自分は斯う思うて来ると、あまりの嬉しさにもう胸は充満(いっぱい)だ。

  一二〇 血を吐く思い

 併も瑠璃子は、自分が此様(かよう)な考えを懐(いだ)いて居ると知るや知らずや、頻りに自分の恩になったと云う事を繰返した末、
「この末妾の様な不運の者は、一生の中(うち)に此御恩をお返しする事が出来ますのやら何うやら」と云うのである。正に此時である、此時を逸しては自分の思いを打開ける時は無いのだ。
「恩ですって、私が貴女に何の恩を…もし多少お尽しした事がありとすれば、それは自分の恋した女(ひと)に対してなすべき当然の事で無いでしょうか」且つ吃り、且つ詰まり乍ら思い切って斯う云った自分はヒシと瑠璃子の手を握りしめた。この一言は確に瑠璃子にとっては意外だったらしく。
「えッ…えッ…では…」と、真赤になって、自分の握手から脱れようとする。自分は其手を倍々(ますます)堅く握りしめて。
「イヤお驚きになるのは御尤もです若し私が此様考えを持って居る事と御承知でしたら、貴方は或は私を傍へも寄せて下さらなんだかも知れません…ですが嬢よ、今迄の友情に免じてせめて私の胸の中(うち)だけでも…私はそれが為に決して貴女の愛を強請する事はしないのですから…古里村の生きて居る時貴女との恋仲を見て、血を吐く様な思いで其恋の成効を神に祷った私ですもの、何で…古里村が生きて居たら、怖らくは今でも貴女方の恋の成効を禱って居たでしょう…併し古里村は怖ろしい掌の為に…」と云うと、瑠璃子は、
「其様な事は…其様な事は何うぞ…」と、これも吃り乍ら僅かに斯う云うのみだ。
「イヤ御尤もです」と、自分は瑠璃子の言(ことば)を遮って「私は古里村の死が貴女に何れ程の精神的の打撃を与えたかと云う事も知って居れば、貴方が此場合私に愛されると云う事が何れだけ苦痛だと云う事も知って居る…併し…」と云いかけると、
「否(いえ)…否…そんな事は決して…決して…」と、瑠璃子は何処までも自分の言(ことば)を防ごうとする。だが自分としては、縦しや自分の恋が叶わぬ迄も、云うだけは云わねばならぬのだ。
「貴女は私の恋の発表を恐れて居られる様ですが、それは実に大なる誤解です、私は自分の胸の中を打開けた処で、貴女に何の代償を求めようとするのでは無いのですから…ですから何うぞ私の常に考えて居た事、またこれ迄感じて居た事を…それだけお聞き下さい、勿論未だ貴女の胸の中には古里村の事が刻込まれて居て、私へ注意を向けて下さる余裕の無い事も知って居る、然し自惚かも知れませんが、貴女は現在に於て私を憎んでは居ない筈です…ですが最初は貴女の眼中に私と云う者の無かった事も知って居る、夫故私は私自身の秘密として胸に包んで居た。而して昨日迄もこの胸の秘密を貴女に語ろうとも思わなかったのです、否私は今の今迄貴女が私を憎んで居ないと云う事すら考えて居なかったのです、唯常に考えて居たと云うのは、何時かは貴女に此恋を語る機会を造らねばならぬと云う事でした、処が偶然にも今晩其時が来ました…来たと考えたから私は躊躇を破って貴女に此様事を云うのです、そして私は今夜改めて嘗て貴女を愛し、現に貴女を愛しつつあると云う事を白状します…然うです既に私は貴女を愛して居る、現に貴女を愛して居ると云う外に、適当の言葉を私は知らんのですから…」と熱した調子で斯う云った自分は、三度(たび)瑠璃子の手を握りしめた。
 けれども瑠璃子には何の返辞も無い、唯チラと自分の顔を眺めたが、直ぐ下を俯向いて長い太息(といき)を吐(つ)く、噫(ああ)これで自分の恋は七分迄は不成効と相場が決まった様なものである。



  一二一 我愛する女よ

 斯程まで熱心に説いても、瑠璃子はそれに対して、一言の返辞すらして呉れないのだ、此上は最早強て其の返辞を促す必要も無い、七分処かこれで十分の九分自分の恋は破れて了ったのだ。やがて自分は其の握締めて居た瑠璃子の手を放し、静かに其室から去ろうとした。何故かなれば此上瑠璃子と対座してる事は、恋に破れた自分の耐がたき処たるのみならず、同時に瑠璃子を精神的に苦しめる事となると考えたからだ。
 すると意外にも瑠璃子は其手を放そうとしない、否啻(ただ)に放そうとしない計りで無く、今度は反対(あべこべ)に自分の手を強く握締めるのだ。自分は頗る意外に思い乍らも、
「さァお放し下さい、私は…私の云うべき事は尽ました、此上貴女の御返辞を伺って、絶望の上に絶望したくないのですから」静かに斯う云って、再び其手から離れようとしたが、放そうとすればするだけ、瑠璃子の手は益々固く自分の手を握るのだ。
 「いいえ、いいえ、貴郎はお話する事が尽きても妾は―妾は…」
「えッ、えッ、何と云われるのです」
「はい妾(わたし)は今の今迄貴郎(あなた)が妾を愛して下さるとも思わず、また妾は…」
「えッ、えッ」
「はい、妾の貴郎をお慕いして居たのは…あの友情だと計り思うて居りましたか…」意外意外、これでは何うやら風向が変って来た様だ、自分は嬉しいのやら悲しいのやら、唯胸中が徒らにワクワクする計りだ。
「えッ、では矢張り貴女も友情ばかりでなく…」
「はい、よく考えて見ますと心の底には…」もう此処迄聞けば後は聞く必要は無い、イキナリ自分は瑠璃子の首筋を掻抱いた。而(そう)して、
「おお嬢よ、我愛するものよ」と叫び乍ら、瑠璃子の額に幾度(あまた)熱き接吻を移した。瑠璃子は今はそれを拒もうともせぬ。唯自分のなすが儘に任せて、
「何だか…夢の様…まるで夢の様…」と繰返すのみだ。而して彼(か)の女(じょ)の美しい眼、彼の女の美しい声、彼の女の美しい唇から洩れる美しい微笑、自分こそ真の夢の国に遊んで居る様な気がしたのである。而(そう)して再び我に帰った時瑠璃子はと見れば、これは未だ夢の国に遊んで居るのかして、
「妾は愛されて居(お)る…愛されて居る…」と小さい声で呟いて居る。この静かな、何人も居ない室で、これが自分に云うので無くて誰に云うのだろう。自分は耐かねて再び彼の女を抱きしめた。
「愛して居ますとも…縦し貴女が私を愛して居ない迄も…私は未だ愛した事もなく、再び恋する事も無い程貴女を愛して居る…貴女は今私の腕に抱かれて居る様に、永久に私の愛の懐中(ふところ)に…」と迄は云った様に覚えて居るが、あとは何を云ったのやら、唯涙が止度も無く流れた事許り記憶(おぼえ)て居る、瑠璃子は云うまでも無く―。斯うして自分等二人は、長い時間を夢の様に過した、嬉しくて此上何も話が出来無い、唯呆然(ぼんやり)懐(いだ)き合った儘、
 然うして居る中にフト気がつくと外には看護婦で有ろう、頻(しきり)に扉を叩いて居るのだ。斯う気がついて見れば如何に自分でも一方ならず極りが悪い、急いで近き将来に於て我妻たる可き瑠璃子と握手を換して、早速室内を飛び出した。而して別室に通ずる扉(ドア)を開けて自分の室(へや)と定めてある二階の一室に戻ったが、其嬉しさは容易に消えない。否其様に早く消えてはたまらないが、此夜はとうとう余りの嬉しさにろくに眠らずに了った。ああ此夜の嬉しさ、而(しか)して其刹那の嬉しさ、自分は自分の感情を自ら写し出す筆力(ふで)の無き事を終生の恨みとする、だが我々の恋は遂に成立した、誰が何と云おうと瑠璃子は自分を愛して居るのだ、読者は宜しく察すべしだ。



  一二二 青い絵具

 翌日は栗野弁護士と一緒に、中央金庫から例の古銅器を取出しに行く約束の日だ、十一時半頃自働車を駆って倉庫の所在地に行くと、既に栗野弁護士は其処に自分を待合して居た。面倒臭い手続きを澄まして、疑問の古銅器は再び保管人たる自分の手に戻ったが、乃(そこ)で問題は其古銅器を何処で開く可きかと云う事になった。元来の性質から云えば、其遺言の執行を依頼(たのま)れた、栗野弁護士の出張所で開くべきであるが、彼(ああ)した広告を昨日の新聞に出した今日と云い、殊に蜂部等の悪人が未だ捕縛せられないのであるので、万一の危険を慮(かんが)えて扨てこそ其場所に就て相談する事となったのだ、瑠璃子の宅でと云う話も出たが、それでは矢張危険が無いとは云われぬと思ったので、結局古里村荘ならばと云う事になった。実際古里村荘ならば、自分はこれを自由に使用する事も許されて居るし、また如何に奸智に長けた蜂部にしても、まさか其処迄は気がつくまいと思ったからだ。然う相談が決定(きま)れば一刻も早い方が宜いと考えたから、自分と栗野弁護士とは直様(すぐさま)自働車を飛ばして、池袋なる古里村荘を訪れた、而して二階に通るなり、田川夫婦に命じて近所の錠前屋を呼んで貰った。間も無く小汚気(こぎたなげ)な錠前屋は種々(いろいろ)な道具を持って来た、早速彼の古銅器を見せると、
「こりゃ大分よく接(つい)であります」と首を曲げて感服してる。
「其接目は可成古いかい」と聞くと、
「いいえ、欠目(かけめ)は随分古い様ですが接だのは極近頃です、へえこの錆の様に見えるのは青い絵具を塗って居りますんで、よく騙児(いかさまし)のやる仕事ですよ」と、其儘卓子(テーブル)の上でよく切れる鑢(やすり)でゴシゴシやり初めた。
 自分等は直ぐにも接目が離れるかと、物の二十分許りも見て居たが、却々急に離れそうも無いので暫時次の書斎に退いてそれを待つ事にした。二人とも差向いになれば又しても蜂部の話が出る、自分は宜い序(ついで)だと思って日頃疑問として居た処の、蜂部が何故古里村を殺し、更に自分と瑠璃子迄殺そうとしたかに衝いに就て質ねた。すると栗野弁護士は「それは糊谷老人の前の遺言書を見れば直ぐ解る事です」と冒頭(まくらつき)して、大要次の様な話をするのであった。
 糊谷老人が此前の遺言状と云うのは、矢張栗野弁護士が立会て書れたもので、其当時糊谷老人は非常に蜂部を信用して居た際の事とて、老人の財産は死後当然瑠璃子に遺すか、若し瑠璃子が結婚せずに死んだ場合には、其財産を全部今迄親切に瑠璃子を養育した報酬として蜂部に与えると云う事を書遺したが、後になって糊谷老人は蜂部が毒蜘蛛を飼養(かっ)て置く事に就いて疑いを抱き、遂に再び遺言状を訂正(かきなお)したのを蜂部等が嗅ぎつけたらしいと云うのである。斯う談り終った栗野弁護士は、
「つまり然う云った理由(わけ)だから、蜂部等としては何うかして新しい遺言状を自分の手に入れて、其上結婚をせずに瑠璃子の死ぬ事を希望して居たと見る可きです、然うすれば老人の財産は全部自分等の手に入る次第(わけ)ですからね。古里村君にしても貴方にしても、瑠璃子と結婚しそうな男はすべて殺して了う必用があるじゃありませんか、其上瑠璃子も―ハハハハ随分酷い奴もあったもんです、ハハハハ何故左様(そん)なら蜂部以外の悪人が古銅器を覗(ねら)ったかと仰ゃる、それは貴方は彼(あ)の古銅器の中には、新しい遺言状の外に或秘密が蔵(かく)されてある事を知らぬからだ、彼品さえ横取すれば、遺言状の中に洩れて居た者でも、事実上老人の或物を相続するに宜いと考えたでしょう、悪人と云う奴は兎角眼端(めはし)の利くものです」と大笑するのである。
 これで糊谷老人乃至(ないし)蜂部の秘密が全部明白になったわけだ、唯残って居るものは古銅器の中の秘密―遺言状の外に何んな重大なものが入れてあるかである。自分は胸を躍らし乍ら隣室の鑢の音に耳を澄まして居ると、やがて錠前屋は漸く接目が離れたと報せて来た。愈(いよいよ)これで疑問の古銅器は、遂に内部の秘密を自分等の前に吐き出す事となったのである。

  一二三 急死或は変死

 隣室に行って見ると、漸く彼の古銅器が旧の接目から切断せられた処だ、栗野弁護士が密(そっ)と目配せするので自分は錠前屋に約束の賃銭の外に若干銭(いくばく)かの割増を与えて玄関迄送り出してやったが、引返して来るともう栗野弁護士は早古銅器から先(まず)一封の書面様のものを取出して居る処だ。例に依て黒蝋で幾度となく封じたものであるが、幾度か其れを剥ぎ去ると、中から一葉の美濃判の罫紙に書かれた、下の方には青い長い、領事の消印を捺した書類が出て来た。栗野弁護士はそれを一目見るなり、
「おおこれだ、これが一年前に書改められた老人の遺言書だ、而してバタビヤで書いたものと見えて領事の調印もある」と尚も暫く黙読して居たがやがて「矢張己(おれ)の想像した通りだ、蜂部の正体を観破したと見えて老人は改めて前の遺言を取消し、万一瑠璃子の死んだ場合には財産を全部無条件で養老院に寄付しろとある」と独言(ひとりごと)の様に云ったが、急に気付いた様に自分の方に向きなおって、
「老人が台湾から帰ったのは、これで見ると蜂部が毒蜘蛛で瑠璃子の生命を縮め兼ないと云う心配からですよ、併し船中で悪人につけられて居ると覚ったので、一方私に手紙を寄越すと同時に新しい遺言状を古銅器に入れて貴方に託したと見えます、まァ読んで御覧なさい」と彼の遺言状を自分に手渡しした。拡げて見ると嘗て自分に宛てた依頼状とは違い、ペンは微細(こまか)く綺麗に書かれてある。


 大正―年二月四日、四は茲に此の遺言状を大日本水戸市存在の弁護士栗野武彦氏に託す。
 栗野氏よ、足下が此の古銅器を開く前に、世が最愛の娘瑠璃子が急死或は変死した場合には、其死因に対して厳重なる調査をなさん事を望む。何となれば余は愚にもこれより前、世が最愛の娘瑠璃子を、尤も危険性を帯びたる悪漢蜂昇二に託したればなり。
 蜂部は有毒にして且つ怖るべき秘露(ペリウ)の雷虎叉(ライコサ)を飼養(やしない)居れり。この毒蜘蛛は彼の汰蘭蛛羅族(タランチュラぞく)の一種にして睡眠中の人間に咬み死に至らしむるものなり。南米殊に秘露地方にては其形体の掌に似たるを以て「死の掌デッスハンド)」または「黒き悪魔の掌(ブラックサタンスハンド)」と呼びこれを怖るる事一方ならず而して此の毒蜘蛛の状態普通の医師にありては何等脳溢血と区別し能わざる事なり。されば古来南亜米利加に於ては屡(しばしば)これを暗殺の道具に使用せるは彼地の歴史を読む者の斉(ひと)しく知る処なり。
 余は今日となりては、蜂部が同手段を用いて瑠璃子の生命を奪う事無きやを疑う故に斯くは長々書遺すもの也。
 栗野氏よ、若し不幸にして万一余が最愛の娘が彼に暗殺せられたる場合は、足下は、これに対して足下の適当と信ずる方法を取られたし而して瑠璃子の遺産は結婚後ならば法律の定むる処に依りて其良人(おっと)に、若し未婚の儘暗殺せられたる時は全部無条件に養老院に寄付せん事を望む。
 終りに臨み本遺言状の確実なる事を証する為に、余が在住地バタビヤ領事の調印を添附す。
                 淀岸範治印
 弁護士栗野武彦殿

 読み終るとそれを栗野弁護士に返そうと、何気無く一枚の封筒に入れかけると、今迄自分も栗野弁護士も気がつかなんだが、其中の一枚の封筒の裏に、
「別封の一通を台湾、総督府病院在勤医学士太刀原健夫氏に郵送せられたし」と書いてある、総督府病院の太刀原ならば自分の外にある筈は無い、昨年の九月台湾帰りの船中で初めて知り合となった糊谷老人が其半歳も前に自分に宛た手紙を遺してあるとは、自分は若しや読誤りでないかと更にそれを読みなおした。

  一二四 叔父の正体

 併し幾度読み返しても同じ事だ。矢張り別封を総督府病院在勤の自分に送って呉れと云うのだ。怪しみ乍ら自分はそれを栗野弁護士に見せる。
「ああ有りました、これでしょう」と、栗野弁護士が再び古銅器の底を探って取出したのは、一通の手紙と一枚の埃及紙(パピルス)である。先ず埃及紙の方から見ると、これには、例の梵字(サンスクリット)で何か認(したた)めてある外に、何処やらの地図が極めて粗末に画れてある許りだ、そして他の一通は表に台湾総督府病院内太刀原健夫殿として、裏には糊谷老人の本名が書いてある。日附は同じく昨年の二月四日で、最早自分に宛てたものたる事は寸毫(すこし)も疑う処は無い。
 だが念の為め栗野弁護士に相談しようと思って其方を見ると、弁護士は早く開いて読むが宜いと言わぬ許りに、笑を湛えて自分を見てるのだ。自分は思い切って其封を切った。而してそれを読み下すと、愈々以て老人が自分に宛てたものなる事が明瞭になって来たのみでなく、其の内容は悉く自分にとって意外な意外な事許りだ。
 「親愛なる太刀原健夫君」
 君には慥か廿五年間君を扶育(そだて)た、君の叔父ならぬ叔父と称する不思議な人物のある事を記憶して居られる筈だ、而(しか)して其不思議な叔父が、君が大学を卒業(でる)と同時に煙の様に此の世から消え去ると云って遣った手紙の文句も記憶して居られるだろう。君の叔父は其時は全く煙の様に此世から消えてしまえばそれで君に対する義務がすむと思って居た。而して併せて永久に君の前に其「叔父ならぬ叔父」の正体を現わさずに済むと思って居た。だがそれは其叔父の思い違いであった、此頃になって君の叔父は愈々正体を現さねばならぬと痛切に感じて来たのだ。
 それと云うのは君の叔父が往昔(そのむかし)なせし処の復讐が、今となって重きに過ぎた事を頻りに後悔する様になって来たからである。
 君の「叔父ならぬ叔父」は、今より二十九年前、其許婚の女をフトした事から、某(ある)若い伯爵の為めに奪われた、今となって考えて見れば相手は立派な爵位もあり地位もあり加之(おまけ)に金もあって其上非常な美男子だ、君の叔父が女であったならば矢張伯爵に愛を注いだに相違無い、だが其叔父は当時(そのとき)は未だ若かった、許婚の女を盗(とら)れたと云う恨みは火の様に胸に燃えた。而して其の一生を復讐の鬼となって暮らそうと決心した。斯う決心して機会(おり)を待っている中に遂に其時が来た。それは丁度それから一年経った夕立のひどい晩であった、場所は逗子の伯爵家の別荘、君の叔父は其処に忍び込んだが、見ると蚊帳の中には、自分に反(そむ)いて伯爵に従った許婚の女が伯爵との間に出来た不義の凝塊(かたまり)に添乳(そえぢ)をしてるのだ。
 君の「叔父ならぬ叔父」は見るなりカッとなって懐中(ふところ)にして居った短刀で、親子諸共一太刀にと思ったが、考えて見ればそれでは過去一ヶ年間の恨を晴らすには余り呆気なさ過る、如(し)かずじりじり恨のたけを思い知らしてやれと、今から考えて見ると全く鬼の心だ、鬼になって眠って居る母親の懐中(ふところ)から、産れた許りの孩児(あかんぼ)を奪いとり夢覚(さめ)て驚き騒ぐ母親を蹴仆(けたお)し、其儘行方を晦ましたのだ。
 君の叔父は密(ひそか)に神の恩寵を謝して其隠家に帰ったが、困ったのは其小児(こども)の処置だ、いくら憎い女の腹から産れた憎い敵の胤でも、其小児には罪が無い、殊に其小児の父母を苦しめるには小児を殺して了っては何にもならぬ。乃で君の叔父は其家に年久しく事(つか)えて居るお槇と云う乳母の手で密に其罪の子を育てさせる事にした。
 お槇、お槇、その名は自分の永久に忘れる事の出来ない名だ、二十五年間自分を子の如く慈しみ、自分も母の如く慕った老女(ばあや)の名だ、して見れば此の手紙に書かれてある小児と云うのは取もなおさず自分なのだ、而して自分の父親と云う某伯爵とは何人だろう。 



  一二五 復讐を仕過た

 自分は何だか半ば夢の様な気持で其手紙を読み続けた。するとそれには次から次と左の如き驚くべき事柄が記されて居る。
 君の叔父の為には、其小児(こども)は憎むべき敵の末ではあるが、お槇の手で育てさせて居る中(うち)次第に其子が可愛くなって来た、乃(そこ)で其の将来の事を考えて、有りもせぬ戸籍を作り、東京府士族太刀原秀臣と云う幽霊の子として届け、飽迄も伯爵家とは無関係の風を装うた。けれども悪い事は出来ないものだ、伯爵家や小児の母親は何時しか自分の仕業だと云う事を知って、一度ならず其罪を詫び、小児を返して呉れる様に君の叔父に頼んで来た、だが君の叔父と云うのは、それを聞入るべく余りに強情であった、何処迄も知らぬ存ぜぬで押し通した、其結果可愛そうに小児の母親はそれを苦に病んで間も無く死んで了った。君の叔父は其時は聊か復讐を仕過たと思ったが、併し末だ敵の片割れたる伯爵が居るのだから其の小児を決して返そうとしなかった。
 終(おしまい)には伯爵も次第にあきらめたと見えて、君の叔父にも交渉しなくなったが、其代り性格がガラリと変って、人に笑顔一つ見せぬ陰気な人となった、警視総監から内務とトントン拍子に地位は進んだが、遂に一生妻を娶らず、今から四年前に陰気に此世を去った。君の叔父も悪いとは知り乍ら、とうとう二十五年と云う長い間強情を張通した、斯う書いたら大抵解ったろうと思うが、其小児と云うのが君即ち今日の太刀原健夫君で其「叔父ならぬ叔父」と云うのは、此の手紙を君に書き遺した、世間では糊谷老人で通ってる、本名淀岸範治と云う君の生母(はは)の嘗て許婚の夫たりし男だ、而して君の父は明治以来の内務大臣として尊敬せられた、伯爵玻璃島直文氏である。
 君よ、君は何故君の所謂(いわゆる)「叔父ならぬ叔父」が殆ど三十年後の今日となって其正体を現したかを怪しむだろうが、一つは余が信ずる回々教が神の御名を以て「汝復讐せよ然れど其復讐は度を超えて大なるべからず、又断じて正義に悖(もと)るべからず」との教えに深く感じた故(せい)もあるが、一つは此頃になって自分の子の生命が危ういと覚った時の親の心が、しみじみと胸にひびいて来たからだ。
 君よ、余が過去の罪を許せ、而して別紙の誕生証明書を持参して玻璃島家に室伏家令を訪ねよ、室伏家令は喜んで君を迎えるで有ろう、何となれば伯爵の代理となって、屡(しばしば)余に小児の引渡しを頼んで来たのは実に室伏家令だからである。
 而して出来得べくんば―君に未だ心に許した愛人が無かったならば―伯爵家の嗣子として分家から迎えた初音姫を娶られよ、然らば君の生涯は幸福なるべし―淀岸範治(調印)
 として別に一通の自分の誕生証明書を添えてある。自分としては全く意外だ、糊谷老人が自分の「叔父ならぬ叔父」だと云うのも意外なら、現在自分が事(つか)えて居る主人の義父が自分の実父(ちち)と云うのも意外だ。
「ああ意外だ、世の中に此様(こんな)意外な事が有ろうか」と思わず自分が呟く様に云うと、
「ありますとも現に貴君(あなた)が」と栗原弁護士は傍から力を添える様に云って「兎も角も一刻も早く玻璃島家に交渉なさらんと―」
「いいや、それよりはその前に埃及紙(パピルス)の―」
「いや、これは石和田博士で無ければ我々には解らんですから―それよりは先(まず)貴君が玻璃島家」と斯う両人(ふたり)が相争うて居る時、階下から慌だしく田川夫人が上って来た。
「太刀原さん、あの御殿山から大至急の御電話で御座います」

  一二六 半狂乱の自分

 御殿山からと云えば、云わずと知れた瑠璃子からである、大至急の電話とは何事が起ったのだろうと、急ぎ電話口に出ると、相手は瑠璃子かと思いの外白浜夫人である。用向を聞くと驚くべし、先刻自分が出た後で庭園を散歩して居た瑠璃子は、急に其姿が見えなくなったと云うのだ、自分は聞き誤りで無いかと二度も三度も念を押したが、悲しやそれが事実で白浜夫人は一刻も早く自分に来て呉れと云うのだ。
 自分はまるで夢に夢見る心地で、電話を切ってからも呆然と其処に彳(たた)ずんで居ると、後から窃(そっ)と肩に手をかけた者がある、振返って見ると栗野弁護士だ。
「何しろ大変な事が出来たもんですね」と早くも電話の内容を聞取ったものと見えて斯う云うのである。
「ええ」とは答えたが、併し自分はあまりの驚きの為にそれに何と返辞をしたら宜いかすら解らなんだ。すると此様子を見てとった栗野弁護士は、
「何しろ此方(こちら)も大切ですが、彼方(あちら)は尚更相手が蜂部と云う極悪人ですもの」と自分を励ます様に云って「すぐに向うに入らしちゃ何うです、様子によっちゃ此家(ここ)に電話さえかけて下さると私も跡から参りますから」斯う云われて初めて自分も気がついた、成程相手は疑いも無く蜂部に相違無い、而して彼の夜以来一箇月余りも姿を現さなんだ蜂部が、今日になって俄に瑠璃子を誘拐すると云うに至っては、何様其裏面には容易ならざる悪計が企てられてあるものと見るが至当である、殊に自分の罪跡が明瞭となった以上、自暴自棄(やけくそ)まぎれに何様事(どんなこと)を仕かねぬのが悪人の常だから一刻晩れると一刻だけ瑠璃子の身が危い道理である、譬(たと)え分秒の短時間にしろ猶予して居るべき場合で無いと考えたから取敢えず栗野弁護士には、自分が向うに着く迄此家(ここ)に居て貰う事にして、其儘自働車に飛び乗って古里村荘を出た。
 自働車は一時間六十哩(マイル)の全速力で、麦浪(ばくろう)の濤(なみ)打つ反圃(たんぼ)道を矢よりも早く疾駆する、二十分の後にはやがて瑠璃子の宅に着いたが、殆ど半狂乱の自分にはそれが二時間以上も経過した様に思われた。さっそく玄関の電鈴(ベル)を押したが不思議や何時でも直ぐ出て来る筈の白浜夫人は何時迄経っても出て来ない、二度三度続け様に押したがそれでも誰一人玄関に出迎える者が無い、加之(おまけ)に家の中はひっそりと閑として人ッ子一人居る様に思われぬ。
 如何にも其様子が可笑しいので、今度は玄関の前を左に曲がって枝折戸(しおりど)の前に出た、ここを抜けると後の草庭に出る案内は予て知ってるので。枝折戸は別に内側から鍵もかけて無かったと見えて苦も無く開いた。自分は其処から孟宗藪の中を通ずる小径(こみち)を抜けて後庭に出た。而して見るとは無しに前の方を見ると、其処には先刻誘拐せられた瑠璃子が花壇の前に立って如露(じょろ)で盆栽に水をやってるのだ。
 自分は何だか鳥渡(ちょっと)狐にでも憑(つまま)れた様な気がしたが、併し此様に瑠璃子の無事な姿を見ればこれに越した喜ばしい事は無い。未だ生え揃わぬ芝草の上を蹂躙(ふみにじ)り乍ら其方に駆けて行くと足音を聞つけたか、瑠璃子はチラと後を振向いたが、忽ち自分の姿を見付るとさも嬉しそうに微笑んで、其儘如露も何も打棄(うっちゃ)った儘自分の傍に飛んで来た。
「よくまァ早く、妾独ボッチなもんだから寂しくって寂しくって今盆栽に水をやって居た処ですのよ」と、其様子はまるで誘拐騒ぎなどは何処に有ったと云う風である。自分はこれで何が何やら一切訳が解らなくなって来た。
「では何事も無かったんですか」と聞くと、
「え、何うして、何事かあったんで御座いますの」と瑠璃子は不思議そうに自分の顔を打ち仰ぐのである。益々以て解らなくなって来た、して見れば自分は或は全く狐に憑まれたのであったかも知れぬ。
 
 

  一二七 死にかけて居ます

 然うだ、自分は白浜夫人と云う狐に魅(つま)まれたのだと、斯う一口に云って仕舞えばそれ迄だが、併し日頃正直な、瑠璃子に対して何人よりも忠実な白浜夫人が、自分を欺く為に彼の様な電話をかけようとは、何うしても自分には信ぜられなかった。乃(そこ)で自分は先刻白浜夫人からかかった電話から、糊谷老人の遺言状を開いた事から、残らず簡単(てみじか)に物語ると、其都度眼を丸くして驚き乍ら聞いて居た瑠璃子は、自分との話が終ると同時に、
「ではそれこそ蜂部等の悪人の仕業で無いでしょうか、若しや其書類を此方から奪うと云う様な考えから…」と、それから白浜夫人がお正午(ひる)頃使いに出た限り今に戻らぬ事から此家の電話は今朝から一度も使用せられない事など物語って、
「ともしたら、何かの拍子で今日貴方方(あなたがた)の遺言状を開くと云う事を知った悪人の仕業で無いでしょうか」と斯う云うのである。斯う云われて見ると万更自分に心当たりが無いでも無い、第一に昨日栗野弁護士が東京からタイムズにした広告これは従来糟場夫人の記事が載ってからと云うものは、絶えず蜂部等一味の者の注意を引いて居ると思わねばならぬ。第二に栗野弁護士、これとても先代から糊谷老人と深い関係があり、殊に前(さき)に糊谷老人が蜂部を信用して居た時代に書いた遺言状にも立会ったと云えば、これとても悪人の注目を免れぬ処だ。其様此様(そんなこんな)を考えた結果自分等の方でも注意の上に注意を加えて、扨てこそ遺言状を古里村荘で開いたのであるが、併しそれとても悪人等の方で充分注意を払えば、敢えて必ずしも知れ難い事でも無い。唯此場合疑問として残るのは白浜夫人だ、彼の女の先天的(うまれつき)の性質として、彼様(あのよう)な悪人の味方して自分等を欺くとは何う考えても信ぜられぬ処だ。
 自分は茲(ここ)に於て全く惑わざるを得なくなって来た、暫時首を傾げて考えに耽って居ると、
「ね、然うで無いでしょうか、妾の想像が当って無いでしょうか」と瑠璃子は再び自分の返辞を促すのである。
「さァ先刻(さっき)の電話が白浜夫人からで無いと私も然うとしか想像しないのですが…」自分は未だ何処までも白浜夫人を疑いたくはなかった。
「だって」と瑠璃子は自分の煮え切らぬのをもどかしく思ったか「そりゃ妾だって白浜夫人の人格は疑いはしないのよ、だけどどんな人格の人にしろ、他から怖ろしい脅迫に会った時は…殊に白浜夫人だって矢張女ですもの…二人で此様議論してるより、古里村荘に電話をかけて見た方が早道じゃ無くって、それで向うに何事も無かったら白浜夫人の名を詐った誰かの悪戯(いたずら)ですわ」成程負うた児に浅瀬とは此事である。徒らに考えに耽って居る時で無いと思うたから、
「然うです、それが一番だ」と早速自分は電話室に行って古里村荘に電話をかけた。すると果然瑠璃子の想像は遺憾乍ら適中した。電話に出て来たのは栗野弁護士では無く、紛れも無い田川夫人の声だ。
「先刻から電話をお掛けしようと思いましたけれども、何しろ貴方の行先を存じませんものでしたから」とオロオロ声である。これは必定(てっきり)自分の出た後で何事か出来たものと思ったから、
「一体何うしたと云うのだ」と聞くと、
「ええ、あの貴方と御一緒にいらした弁護士の方が…」
「えッ、えッ、栗野弁護士が?」
「ええ、あの死にかけて居ますから…」と斯う云う中も気が急くかして田川夫人は此方の云う事はよくも聞かず、一刻も早く自分に帰って来いと云うのだ。して見れば先刻の電話は、全く瑠璃子の想像の如く悪人等が自分を誘(おび)き出した後で一仕事しようとし掛けた偽電話だったのだ。自分は受話機を耳に宛てた儘今更の様に電話室の中で地団太を踏んだ。

  一二八 眼瞼と瞳

 自分は尚も電話で栗野弁護士の容態を確めようとしたが、何分にも相手の田川夫人は余程慌てて居るらしい様子で、何を問うても、碌に返事をせず、唯一刻も早く自分に帰って来いと云うのみである。それで自分は晩(おそ)くも三十分の後には帰るべき旨を告げて電話を切る、再び瑠璃子の室に帰った。而して電話の模様を話すと瑠璃子も非常に驚いた様子で、直ぐ自分と一緒に古里村荘に行こうと云い出した。云う迄も無く此時は、瑠璃子の健康は既に外出しても差支なき迄に回復して居たし、殊に蜂部等の悪人共が、斯う自分等をつけ睨って居る以上、此家へ一人残して行くのは如何にも気がかりで居た際とて、自分は一も二もなくこれに賛成した。
 それから裏の畑で草を抓(むし)って居る庭番の作助を呼んで留守を命じ、自分は瑠璃子と自働車に同乗して、早速古里村荘に駆けつける事にした。やがて自分等の乗った自働車が向うに着くと、其音を聞きつけて家内(なか)から田川老人が飛び出して来た。
「一体何うしたのだ」と聞くと、
「何うにも斯うにも…兎も角も容態(ようす)を御覧なすって下さい」と、老人は殆ど自分を引摺らぬ許りにして二階の書斎に連れて行くのだ。扉(ドア)を開けて室内(なか)に入ると、其処には田川夫人が附添うて介抱して居たが、見れば成程老人夫婦の驚くも決して無理は無い、中央の嘗て古里村が息を引取った寝台の上には、つい一時間半許り前迄、元気よく自分と語り合うて居た栗野弁護士は、死んだでも無く睡ったでも無く、所詮半死半睡の状態で仰臥(おうが)して居る、瑠璃子は古里村の事を思い出しでもしたか、それを見るなり、真青になって自分の蔭に隠れた。自分は其容態を一見すると同時にそれが普通の病気で無いと直覚した、而して第一に脈を採り次に眼瞼(まぶた)と瞳を検査するに及んで、愈々自分の第一印象の誤らざるを覚った。
「ああこりゃ麻酔剤に中毒(やられ)たんだ」と呟く様に云うと、
「矢張然うで御座いましたか、実は私も然うでないかと思って居りましたが」と田川老人は夫人と共に前後の有様を物語る。それに依ると何でも自分が出てから十分許りすると、急に二階の書斎でドタバタと人の争う様な物音がしたから田川老人は上がって来ようと思ってると間もなくひっそりとなったので其儘意にも止めずに居るとそれから暫く過(た)って何かの用事で二階に上がった、夫人は矢張何の気無しに此室に来て見ると、驚くべし栗野弁護士は麻縄を以て安楽椅子にグルグル巻きに縛りつけられた儘気を失って居たとの事である。斯う語り終った田川老人は、
「早速電話をお掛けしようとは思いましたが、何しろ御行先が解らず、夫婦でマゴマゴして居る時に貴方からお電話がありまして」と、尚も其当時を追想するのか、且(かつ)吃り且渋り乍らさも面目無げに物語るのだ。
「宜し宜し、それで何も彼も解った、なァに大した事じゃない、直ぐ正気になるから」と自分は夫婦の者を慰めた上、阿里に治療具と薬品とを入れた鞄を直ぐ持って来る様、夫人に頼んで玻璃島家に電話をかけて貰った。すると幸いな事には阿里が電話室の傍に居たそうで、直ぐ飛んで来ると云う電話だ。
 乃(そこ)で自分は一方田川夫婦を煩わして、附近の薬局より必要な薬品を買入れしめると同時に、一方瑠璃子を指揮して取敢えず応急の手当を施す事にした。すると其手当が宜かったのか、それとも栗野弁護士の心臓が人並勝れて強壮な故か、それから二十分許り過つと、「ウム」と息を吹き返した。其処へ漸く薬鞄を提げた阿里も駆けつけた。



  一二九 折角の犯人

 気がついたとは云うものの、何しろ普通のコロロホルム剤の更(もう)一層強烈な麻酔剤に中毒(やら)れたのだから直ぐ意識が明瞭なると云う訳には往かぬ、自分は早速阿里が持ってきた鞄を探って興奮剤を取り出し、それを栗野弁護士に与えた。而して時計を眺め乍ら其経過を見てると、秒一秒毎に意識が明かになって、十分許りの後には自分の顔も見分がつく様になって来た。
 自分は更に一杯の葡萄酒を其唇にあてがってやると、やがてゴクリと勢いよく飲み下した栗野は、パッと眼を見開いたなり、ムクムクと寝台の上に起き上って、
「おお矢張君でしたね―そして令嬢も」と瑠璃子の方に向なおった。
「まま暫く寝て居玉え、然う無理をしちゃ…」と止める自分を、
「なァに大丈夫だ」と払い退ける様に起きなおった栗野は
「じゃ矢張―令嬢が無事な処を見ると、蜂部の奴、私の手から書類を奪う為めに君を誘き出したんですね」と、今度は自分に斯う云うのである。
「えッ、じゃあの書類を」と覚えず斯う叫んだ自分は、今更の様に洋机(デスク)の上を見ると、其処にあるべき筈の書類が無い。
「然うです、つまり我々は一杯彼奴(きゃつ)に喰わされたんです」と、栗野はさも口惜しそうに歯嚙(はがみ)をして「君が出られた後(のち)間も無くです、私が其処の椅子に腰を掛けて、洋机に向って書類を見て居ると、急に後に人の気配がするんです、振り返って見ると何時の間に忍び込んだのか、蜂部ともう一人の男が其処に居るじゃありませんか、咎め様とするとイキナリ私に飛びかかって…抵抗はしましたが何しろ二人に一人です、加之(おまけ)に向うは咽(むせ)る様な辛い様な、何とも云い様の無い…今から考えると麻酔薬でしょう、それを浸した手巾(ハンカチ)で私の鼻と口を押えるのです、暫時(しばし)は抵抗しましたが」と、恰も蜂部等が其処にでも居るかの様に、興奮し切った態度で其時の有様を物語るのだ。
 自分は未だ全く麻酔剤が醒め切らぬ栗野を、斯う興奮させる事が、当人の健康上あまり好ましく無いと思ったから、宜い加減にそれを受流して、兎も角も、もう一二時間更に改めて睡眠す可き由を諭し無理にそれを寝かしつけようとした。けれども栗野は日頃柔和(おとな)しいだけ怒り出したら最後却々自分の云う事などは用いない。
「イヤ寝て居られる場合じゃありません、警察に電話をかけん」と又もや寝台の上に起き上るのだ。其処へ階下から田川老人も上がって来て、先刻買物に出かける時警察に訴えた旨を告げ、これも矢張頻(しきり)に寝かそうとしたが、然うすれば然うする程栗野は益々興奮して来る。
「然うだとすれば愈々以て怪しからん訳だ、先刻かけたとすれば、もう警官が来ねばならぬ筈なのに、それに未だ愚図愚図してるとは、これだから僕は田舎の警察が嫌いです、宜しじゃ僕がもう一度催促をする、折角の犯人を逃がす様な事があっては何にもならんから」と、未だ邸内に蜂部等が隠れて居でもするかの様に騒ぎ立てるのである。薬の作用とは云い乍ら、これには殆ど自分も持てあましたが、するとそれ迄黙って栗野の話を聞いて居た阿里は、急に此時窃(そっ)と自分の上着を引いて、
「先生其の蜂部とか云う奴ァ、過日(いつ)か僕が上野の停車場から自働車に載せてやった奴で無いのかい」と、突然妙な事を聞くのである。場合が場合である一同の眼は期せずして阿里の上に注がれた、自分は何故に斯様(かよう)な事を云い出したのかと怪しみ乍らも、「然うだ、何故其様事を聞くのだい」と問うと、阿里は急に得意そうに小鼻の上に皺を寄せ乍ら「何故って、彼奴なら僕は居処を知ってるから聞くんだ、而して今夜彼奴が何処で何人(だれ)と逢うと云う事までチャーンと知ってるんだ」と益(ますます)妙な事を云い出して来た。

小原柳巷  秘密小説 悪魔の家 十

2011年12月28日 | 著作権切れ大正文学
 一〇七 急に胸騒ぎ



 それは二月に入ってから間もない事で、例年に無き珍しい大雪の降た朝の事であった、姫も此頃では余程乗馬も上手になれば、従って身体もよくなって来たので、其前夜姫と自分との間に翌日の朝早く遠乗をしようと云う約束が出来て居た。
 其為め自分も随分早くから眼を覚して居たが、外を見ると今云った様な大雪なので、いくら姫でも然うは早く起きる事があるまいと思ってると、未だ暗い中に入口の扉(ドア)を叩く者がある、開て見るとそれが意外にも姫であった。見ると早や何時の間に支度を整えたものか、岡の下には其乗馬すら引出して来てるのだ。
「真っ暗いのに」と吃驚(びっくり)して自分が斯う云うと、
「ホホホホだって朝早くと云うお約束でしたもの」と云うのである。これには自分も一言も無い。
「ですが蘭田君なり、阿里なりが…阿里等は昨夜晩(おそ)く臥(ふせ)ったので未だ夜中ですから」
「それなら妾(わたし)と貴方と二人で云ったら宜いわ、第一台湾生れの阿里には此雪に気の毒ですわ、それに蘭田は昨夜風邪の気味だと云って居たんですから」斯う姫に云われて見ると、夫れも然うだと思ったから、自分も急いで乗馬服に着更え、それから姫と邸を出た。
 二月とは云え東京である、殊に此の大雪だから、手網を持つ手も動(やや)ともすればかじけ気味になるが、併し好きな道はまた格別、姫も自分も別に寒いとも思わず雪中を馬を飛ばした。中渋谷から千駄ヶ谷、代々木を経て柏木迄来たが、まだ朝早い故(せい)か、雪の田舎街道には駄馬の足跡すら無かった。自分も聊か疲れ気味なので姫に、
「何うです、これ位にして置て弗々(ぼつぼつ)帰りましょうか」と云った。
「然うね」と姫は考えて「だけど折角此処まで来たのですから」と却々邸に帰ろうとは云わぬ。仕方無しに自分も姫と共に馬を進めたが、此時フト思い出したのは瑠璃子の事である。
「然うだ、瑠璃子に電話をかけるのを忘れて居た」と斯う思うと何だか急に胸騒ぎがして来る、而して今朝に限って瑠璃子の事を忘れて居たと云うのは、若しや何かの前兆でないかと頻りに心配になって来た。すると其様子が自然顔に表われたか姫は、
「何うなすったのですの、莫迦に顔の色が悪いじゃありませんか」と問うのである。
「ええ少し気分が悪くなって来ましたので」
「それや宜けませんわ、では邸へ帰る事にしましょうか」
「然う願えると…」
「では帰りましょうよ…妾が悪う御座んしたね、朝早くお起ししたのですからそれで屹度」
「イヤ然う云う訳でもありますまい」が自分は姫の太(いた)く心配そうな顔色を見ては、何だかそれを欺くには忍びない様な気もしたが、併し瑠璃子には更(かえ)られぬと思ったから、其儘何処までも気分が悪いで押通す事にした。而して馬の頭を素来し道に向けて漸く代々木の近く迄来ると、遥(はるか)向うの行手の方から此方へ向かって一散に馬を飛ばして来る者がある、見ると夫れが阿里だ。
「オヤ阿里じゃ無いのかしら」、と姫は自分に振返った。
「ええ、阿里の様です、何の為めに阿里が」とは云ったが、併し夫れが妙に瑠璃子の凶報を齎(もたら)して来た様な気がするので、早(はや)自分は心臓の激動を覚え初めた、近づく儘に見れば愈其者(いよいよそれ)が阿里である、而して何故か例に似気なく阿里は其顔色さえ変えて居る。



  一〇八 私の恋人です

 やがて阿里は自分等の前迄来るとピタリと馬の足掻(あがき)を停(とど)めた。
「何うした阿里、何事が起ったんだ」こう云う中(うち)も自分は気が気で無い、阿里もセイセイ息を切らし乍ら、
「何うしたって―先生に大至急の手紙が届いたんだい」と、懐中(ふところ)から一通の書面を出して自分に渡した。
「何至急の手紙だ」と封を切る暇もどかしくそれを読み下せば、噫(ああ)自分が先程からの心配は愈事実となって現れた、其の手紙こそは実に我愛の女神たる瑠璃子から自分に寄越したのだ。

 妾は今死に瀕しています、貴方は真に妾の親友(とも)ならば、此の書面(てがみ)を御覧になり次第、急いで此の死にかかって居る友人(とも)の枕辺へ駆けつけて下さい、而して友人の生命を救うて下さい―瑠璃子

 としてある。して見れば自分が先きに心配して居た事が今日に至って実現されたのだ。併し斯うと許りでは何が何やら、一切前後の事情が解らないから、阿里に此手紙を手に入れる迄の順序を聞くと、其の答えは益々以て自分の心配を増す種となるのであった。
 それと云うのは、今朝自分等の出た跡に、一人の牛乳配達が自分を訪ねて来たので、阿里が留守の由を答えると、其男は非常に落胆した様子だから、仔細を聞くと人一人の生命に関わる事だと云って、自分が蜂部家の出入りの牛乳屋なる事を語り、昨夜十一時頃夜の配達に行った時頼まれたと云って彼の手紙を渡し、尚あの様子では生命(いのち)に関わる程の大事が出来たのに相違ないから、直ぐ迎えに行く様にと阿里に云うたとの事である、乃(そこ)で、阿里は自分と瑠璃子の関係を知らぬ乍らも人一人の生命に関わると聞いて自分等の足跡を追うて漸く追付いたと云うのである。
 斯う迄聞けば最早一点の疑い無く怖る可き危難(きけん)が瑠璃子に迫らんとしつつあるのだ、否或は今頃は既に瑠璃子は危難の中に陥って居るかも知れないと思ったから、自分はイキナリ駒の鼻面を後に引返した。而して阿里に、
「では阿里、お前はこれから姫のお伴をして邸に帰って呉れ」と命令して、今度は更に姫に向って「お聞きの通りの訳です、私はこれから其方に参りますから」と其儘手網を引絞った。すると此時迄呆気(あっけ)にとられて居た姫は、斯う云われたので気がついたか、
「でもそれは余り急です、そして其瑠璃子と云う方は貴方の為に何に当る方です」と、斯様(かよう)な場合にさえ嫉妬が燃えるか、姫はヒシと自分の腕にすがった。自分は覚えず嚇(かっ)となった。
「私の為に何に当るかと仰ゃる。それなら云いましょう、瑠璃子と云うのは私の為めに天にも地にもたった一人の恋人です、さァお離し下さい、私はこれから其の恋人を救いに行かねばならんのです」
「いいえ然うと聞いては放しません…貴方の恋人と聞ては尚更…」姫は斯う云って益(ますます)強く獅嚙(しがみ)付くのだ。自分は持前の疳癪(かんしゃく)がムラムラと起った。而して最早いかに諭すも甲斐が無いと思ったから。
「では阿里、後を頼んだぞ」と一言、姫の手を一振颯(さっ)と払い退けて、其儘馬に一鞭呉れた。跡には姫の声として、
「まぁ何と云う心強い…」と云った様に聞こえたが、半狂乱になった自分は素より耳に留ず、馬に鞭を呉れてヒタ馳(はし)りに馳った。だが悲しい事には、如何に名馬でも動物である、何の様に急がした処で限りがある。自分は何故此日に限って自働車に乗らなんだかを後悔したが、併し今更其様事を考えたところで仕方が無いと思ったから、急ぐ中にも心を近道近道と配り、出来るだけ馬を急がせたが、それでも向こうに着いたのは彼是朝の十時過であった。
 早速案内を乞うたが却々誰も出て来ない、そして家中では非常にゴタゴタしてる様子だ、外に待ってる自分は全く気が気で無い、更に続け様に三四度電鈴(ベル)を鳴らすと、漸く白浜夫人が扉を開けて家内(うち)に入れて呉れたが、見れば夫人の顔にも云うに云われぬ憂わしげな色が漂うて居る。



  一〇九 小型の写真

 生来(うまれつき)人一倍呑気に出来て居る白浜夫人の顔色が是れだ。自分はそれだけで何も彼も、一切想像する事が出来た。応接間に通るなり自分は夫人に、
「令嬢は未だ生きて居られますか」と聞いた。すると夫人は非常に喫驚した様子で、
「ええ、真(ほん)の息があると云う許り…何うして夫れを貴方が…」と不審がるのである。
「それは…私には知ってる訳があるのです」と面倒くさいと思ったから自分は斯う云って―「併しそれよりは病気の経過を聞かして下さい、而して医者は何人(どなた)が来てるのです」と夫人に迫った。
「医師(せんせい)で御座いますか、あの紅林(べにばやし)先生が」と夫人も漸く気が落着いたかして「其の経過と云うのは斯うなので御座います」と前置して、前夜来の瑠璃子の様子を物語り初めた。
「何でも昨夜の十一時頃だと覚えて居りますが、令嬢は妾の室(へや)の前の廊下をお通りになって、階下(した)に入らした様で御座いました、而して二十分許りしてからお戻りになった様でしたが、多分平常(いつも)の様に牛乳を召飲(めしあが)りに入らしたのかと存じます、それからお室の扉(ドア)に鍵をお掛けになる音だけは聞いて居りましたが、其中(そのうち)妾も睡って仕舞って…ものの三時間許りの睡ったので御座いましょう、令嬢の叫声で眼を醒したのは丁度二時半で御座いました」とそれから其時の瑠璃子の叫声が異常だったので女中と一緒に瑠璃子の室に駆けつけた事、而して瑠璃子に扉を開けろと云っても、只叫んで許り居て開けようとせなんだが、其処へ蜂部が来て開けた事等を物語った、
「扉を開けて見ると驚くじゃありませんか、令嬢は寝台の脚の処に倒れた儘、全身(からだじゅう)ぶるぶる振るわし乍ら狂人の様に叫んで許り居らっしゃるんですもの、電灯を点けて妾が抱上げましたが、もう其時は妾の顔もお判りにならん様で御座いました、只死…悪魔…掌(て)…掌…と仰ゃって妾の身体に倒れたっ限り、旦那様が火酒(ブランデー)をお飲ませしようとなすったんですが、それすらも駄目で御座いました、それから℡で紅林さんに来て頂いたのですけれども…」と、茲(ここ)まで云うと、流石の呑気夫人も後は急に言(ことば)が出なかった。
 これだ、これだ、自分はこれを恐れて居たのだ、古里村と云い瑠璃子と云い、実に不思議な死の掌に襲われたものと云わねばならぬ。
「では辛うじて息があると云うだけですね」と自分は十のものなら九分九里迄は駄目だと思いつつも夫人に斯う聞いた。
「ええ、紅林さんは自分には何うともして見様が無いと仰ゃいますし…せめて先生でも早く彼方へ…」と夫人はポタポタ涙を零して居る。
「承知しました、併し私の手にも合いますか何うか」と、実際自分の手に合うか何うかを疑いつつ…自分は瑠璃子の死顔を見る様な気で寝室を通った。入ってみると瑠璃子の室は、多分昨夜の儘なので有ろう、着物やら何やらで充満(いっぱい)取乱されて居るが、其中唯一つ自分の胸を強く射たのは、棚の上に自分と蜂部との小形の写真が飾られてある事だ、これぞ一の宮の旅館(ホテル)に於て、彼女が自身親しく写したものである。これだけでも早胸が充満(いっぱい)になった。
 更に眼を転じて瑠璃子を見れば、くぼんだ眼…こけた頬…自分は単に青ざめた顔の色を見ただけで、とても其脈を取るだけの勇気は出なかった。否脈を取る処で無い自分は極度の悲しみの為めに其の傍に居る事が出来なかった。と云って此儘打棄(うっちゃ)って置けば、幾分かの後には其儘通いつつある息すら絶えて了うのであるから、廊下に紅林医師を呼出して、取敢ず近所の病院から二三人医者を呼ぶ事を相談した、紅林も素より異議のあるべき筈は無い。早速白浜夫人を呼んで此事を頼み、序(ついで)に所沢に行って居る梶浦大尉に電報を打って貰うことにした。
 而して蜂部はと云うに今朝医者を頼みに行くと云って出た儘、此時迄まだ帰って来ないのである、何と云う厭な奴だろう、これで人の親と云う事が出来るだろうか。



 一一〇 卑劣なる演劇

 其中に白浜夫人からの電話で、呉竹病院から熊橋医学士も来た、自分とは同級だった関係もあり、また紅林医師とも懇意な間柄であったからそれから三人で種々(いろいろ)打解けて議論を討(たたか)わしたが、矢張瑠璃子の病因が判らない。唯何等かの作用で、極度に神経を悩ました結果だと云う事だけは解ったが、それ以外には一切解らない。
 白浜夫人も女中共も、我々の顔色で其相談の内容が推察出来るか、いずれもうろうろし乍ら心配して居るのに、肝心の父親たる蜂部は未だ帰って来ぬ、自分は若しや逃亡したのではあるまいかと思ったが、まさか然うも聞く訳に行かず、兎も角主人に代って二人の医師に暫く居て貰う事にした。二時半頃になって漸と蜂部が帰って来た、迎いに行った医者は留守だったと云って連て来なかったが、それでも帰るだけは帰って来た。それでは矢張逃亡(にげ)たのでは無かったかと思って居ると、やがて瑠璃子の室に行って、其寝顔を眺めてはホロホロ涙を溢して居る、他人が見たら真実(ほんとう)に泣いてる様に見えるかも知れぬが自分だけは決してそれに欺されなかった。
 斯様事を考えて居る中に、二人の医師は自分に対って松山博士の往診を願ったらと云うのである。松山博士は其名を丈治(じょうじ)と云って、今では医科大学の名誉教授を勤めて居る。自分の為めには先に台湾行の世話迄焼いて呉
れた自分の恩師である。自分は素より然うは思って居たが、あまり我田引水の様に思われるといかぬと考えて今迄遠慮して居たのだ。早速賛成の意を表して、博士に宛てた依頼状を書いてると、其処へ蜂部が入って来た。熊橋医学士や紅林に挨拶した後、自分の顔を見て、非常に驚いた様子である。
「貴方は何うして娘(あれ)の病気な事を御存知でした」と怪しむ様に問うた。
「何うしてって」と自分は漸く書き終わった手紙を白浜夫人に渡し乍ら、
「此辺まで遠乗した序(ついで)に伺ったら、丁度令嬢の御病気の処に出遇(でっくわ)しましたので」と答えた。
「然うですか、じゃあ矢張娘(あれ)が運が尽きなかったんです」と、喜ばしそうに云うのであったが、自分は此蜂部の言(ことば)の中に、尚自分を怪しむ節のある事は直に看破して了った。とは言え今度も蜂部の不機嫌を恐れて居たら、それこそ瑠璃子の生命は到底取止められぬと考えたから、自分は蜂部が何と云おうと、終日此家を去らずに彼の行動を注意してやろうと思って、瑠璃子の寝室の次の間(化粧室)に陣取って居た。するとそれから一時間許り過つと其処へ蜂部がやって来た。今度は先刻(さっき)とはガラリ態度を変えて瑠璃子の病気が全治(なお)るか何うかを聞くのだ。その涙を流して心配そうに溜息をする具合は、自分も或は前に糟場夫人と彼との密談を聞いて居なんだら、或は真実(ほんとう)と信じたかも知れぬが、今日となっては、自分は唯上手な俳優の愁嘆場を演ずるのを見る程に感じない、否却て鬼の念仏の様に思われて、寧ろ其顔の皮を掻抓(かきむし)ってやりたい様な気がするのであった。而して此醜劣な演劇が何時まで続くかと思って、自分は熟々(つくづく)情無く感じて居ると、其処に白浜夫人が松山博士が来られた由を知らせて来た。急ぎ出迎えると博士は自分の顔を見るなり莞爾(にこ)やかに微笑(ほほえみ)を見せて、「手紙では簡単で解らんが、症状は何んなだね」と聞くのである。乃(そこ)で自分は先刻白浜夫人から聞いた処と、三人で診察した口合を物語ると「ウムウム」と頷き乍ら聞いて居た博士は、
「宜し宜し解った、兎も角も一つ診察して見よう」と何うやら確信あるものの如く、瑠璃子の寝室に入った。とは云うものの、いくら松山博士でも診察した上で無ければ、海の物とも山の物とも判断がつく筈は無いから、様子如何(いか)にと其顔色を窺って居ると、此時何処とも無く聞えたのは、例の厭な蜂部の口笛である。



  一一一 十一時から一時

 またしても厭な蜂部の口笛、随分と気にならぬ訳でも無かったが、併しそれよりは瑠璃子の容体の方が気になるので、自分は只菅(ひたすら)に松山博士の顔をのみ打守って居た。其中に漸く診察が終ったので、
「何うでしょう先生」と斯う云って自分は博士の顔を仰いだ。
「左様(そう)だね」と博士は暫時自分の顔を眺めて居られたが、やがて自分の胸中を察せられたか、莞爾笑われて、
「まァ生命だけは取止るかと思うが」と云うのである。自分は此一言に思わず自分が死より蘇生でもしたかの様な気持がして再び、
「じゃ大丈夫ですか、而してあの病症は何でしょう」と聞いた。
「さァそれは今直(ただち)に断言が出来ぬが…兎も角も階下(した)に行こう」と博士はズンズン階段を降りられる。自分も其後に附いて階下の一室に行くと、其室には熊橋医学士も紅林医師も、等しく首を長くして博士の診察の済のを待って居たが、博士の姿を見るなり同じく自分と同様の質問を発するのであった。けれども博士は矢張何処迄も病症に就ては語らない。
「病症は私(わし)に聞くより本人に聞くが一番だ、本人が正気に帰ったら、私の口から聞くより以上の不思議を語るだろうから、その方が興味あるさハハハハ私もこれで幸い新式療法の試験が出来て何よりだ」と計り、後は治療の話にのみ移って、肝心の病症に就ては何事も云わなんだ。併し其容子では、何等か必ずや不思議な発見をされた様に思われたから、自分は三晃迄に、彼の不思議な掌の話をしようと思ってると、生憎また其処に蜂部が入って来た。
「何うでしょう先生、娘は救かりましょうか」と何処までも知ら知らしい。
「ウム助からん事は無い、私に治療を任して下さると…だが私に一切を任せる事が出来ますかな」と斯う云って博士は意味あり気に蜂部の顔を見た。
「ええ娘の命が救かります事なら…」
「じゃ助けてあげよう、治療は今晩十一時から一時までの間、二階ではいかん階下(した)の室に移して下さる様に」博士の此の簡単な一言は、ひどく蜂部の顔色を動かしたが、併し別に反対す可き事でも無いので、早速白浜夫人と女中とに命じて、瑠璃子を階下の寝台に移した。
 自分は素より熊橋医学士にしても乃至(ないし)は紅林にしても、治療の便利の為に瑠璃子を二階から階下の室に移すのは解って居たが、何故博士が其治療をワザワザ夜の十一時から一時迄と云う深夜(よふけ)を撰ぶかに就ては一切解らない、乃で其理由を博士に聞くと、
「ハハハハそれは君らに判らん筈じゃ、斯ういう病気に対する松山式治療法は、発病後二十時間から二十四時間と云う時は尤も好いのでな、まァまァ何んな事をするか手伝いがてら見て居るが宜いさ」と、相変らず不得要領である。だが同じ不得要領でも博士の不得要領なら心配ないと思ったから、寧ろ自分等三人は一刻も早く其治療に手伝うのを楽みにして、時の来るのを待つ事にした、其中に食堂が開かれたと知らせて来たので博士等は其方へ行ったが、何だか自分はあまり気が無いので、此暇に二階に上がって瑠璃子の寝室を検(しら)べて見た。したが矢張別に変った事も無い。
「すると矢張瑠璃子の正気づくのを待たねばならんのか」と斯う考え乍ら長椅子に腰を下ろして思案に耽って居ると、其処に白浜夫人が梶浦大尉が来た由を知らせて来た。早速此方へ通す様に云うと、入違いに軍服姿の梶浦大尉が入って来た。
「もう少し早く来ようと思ったが汽車の都合でね、併し大変な事が出来たもんだね、どんなだい」と、椅子に掛けるなり斯う聞くのである。



  一一二 自働車の響

 それから自分は瑠璃子の発病の状態から経過から、一切取混ぜて手短に大尉に物語った。すると大尉も少なからず驚いた様子で、
「じゃ何の事は無い、そっくり古里村の病気と同じじゃ無いか」と云うのである。
「然うとも」と自分も頷ずいて、「時刻まで同じなんだ、十一時から二時迄の間なんだからね」
「宜しッ、然うと聞けば益(ますます)面白い、今夜は一つ探検するんだね、すると愈其掌(いよいよそのて)と云うのは何物か解ると云うものだ」斯う云われて見ると其れにも一理ある、自分としては此場合、松山博士の所詮(いわゆる)『新式治療』の試験も見度いが、斯う云われて見ると此方もやって見たい。併し考えて見ると、博士の新式治療は後でも見られるが、此様な冒険を再び行(や)る事が出来るか何うかと思ったから、早速大尉と二人で今晩の十一時頃から愈瑠璃子の病室を探検する事に決定(きめ)た。
 愈事が然うと決ると、急に自分は空腹を感じて来たので、大尉に聞くと之も未だ夕飯前だとの事である。乃で二人は連れて食堂に行ったが、博士等は既に引揚げた跡と見えて其室には誰一人居なかった。加之(おまけ)に場合が場合であるから、女中共まで食事の事などは考えないかして、別に是れぞと云う喰物も無い。仕方が無いから自分と大尉とは有合せの、冷肉(ハム)と鶏卵(たまご)と赤酒(クラレット)とで形許りの夕飯を済ませた。
 食堂から出しなに白浜夫人に会ったので、「蜂部は」と聞くと、「書斎で何やら書物(かきもの)をしてる」との事だ。怪しく思ったから其室の前を通りすがりに、素知らぬ体で密(そっ)と室を覗くと、書物処か驚くべし此騒ぎにも拘らず糟場夫人の処へ電話を掛けて居る、何事を相談してるのか聞こうと思ったが、一つは余り声の低いのと、もう一つは梶浦大尉の足音が高いのとで、怪しく思いつつも空しく二階に引揚げねばならなかった。それから自分と大尉との二人は、二階の廊下に据えてある長椅子の上で暫く煙草を吸って居たが、暫くにして遥に上野の鐘が聞えた。時計を出して見ると正に十一時である。
 自分と大尉は互に顔を見合せて云い合した様に懐中電灯を検べたが別に故障もない。乃で愈探検に取り掛ろうとしてると、此時慌ただしく紅林医師がやって来て、愈瑠璃子の治療が始まる由を知らせて呉れた。併し自分は目の前にそれ以上の大事を控て居るので、体よく紅林を追返し、邪魔の入らぬ中にと早速瑠璃子の寝室に入った。入るなり自分は電気のスイッチを捻って見たが、依然室内には何物も見えぬ。蜂部の室はと見ればこれも其処に通ずる扉は固く締切ってあって、併も蜂部は未だ書斎から戻って来ぬらしく、扉は固く締切ってあって、併も蜂部は未だ書斎から戻って来ぬらしく、随って其処にも別に変わった事は無い様である、併しこれからが大事な時であると思ったから、再びパッと電灯を消して、
「斯うして灯光(あかり)も無い室に、話もせずに居たら、誰一人我々の居ると云う事に気がつくまい」と大尉に囁いた。大尉も黙って頷いた。そこで自分は其処に有合う、瑠璃子が常に散歩の時使用する洋杖(ステッキ)を持って、四時間許り前迄瑠璃子の病臥して居た寝台の中に潜り込み、大尉は懐中電灯と短銃とを持って室の隅の窓掛(カーテン)の中に隠れた。
 月は没(かく)れた後の事とて、室外は僅かな星明り、薄い光りが窓から映(さ)し込みはするが、併もこれが為に自分等の居る事が外から見透かされる程でもない。真にお誂え向きの晩とは此様な晩を云うだろうと、やがて起る可き奇怪事を楽みにして待って居たが。一時間許り経っても何事も無い、「ハテ」と考えて居る中に思い出したのは蜂部の口笛である。自分は梶浦には黙(だん)まりで寝台を降り蜂部の室に通ずる扉の処に行って、室内を覗き乍ら何時も蜂部がする通り口笛を吹いて見たが、それでも何事も無い、斯様筈は無いがと再び寝台に潜込むと不思議や此時俄に自働車の響(おと)がした、誰か此家に来た者がある様子だ。
「この深夜(よなか)に誰が来たのだろう」と思ってる時、真に此の瞬間である、天井から白い光りが颯と蒲団に落ちたと思う途端に、軽く自分の頭を撫でたものがある、何者?これぞ爪の様な指を持った、彼の怖ろしい黒い悪魔の掌(て)であるのだ。



  一一三 毒虫雷虎叉

 黒い掌、悪魔の掌、世に此(かく)の如く見憎く、併も此の如く怖ろしき掌が有ろうか。否々それは人間の掌でも無ければ、況して悪魔の掌でも無い―人間の掌の形をした或物である、或物とは何物?!これぞ南米秘露(ペリウ)の大森林中に棲むと聞く、有名なる毒虫汰蘭蛛羅族(タランチュラぞく)(Tarantula)の一種にして、雷虎叉(ライコサ)(Lycosa)と称(よ)ぶ世にも怖るべき毒蜘蛛なのだ。窓越しに淡く室内を照す星明に透し見れば、この怖ろしき毒虫雷虎叉は其見憎き黒褐色の姿を露わして、今やノソノソ寝台覆(ベッドクロッス)の上を歩き初めた。それと見るや性来虫嫌いの梶浦大尉は、「キャッ」と叫んで飛び上がった。自分とても勿論あまり気持の宜い事は無い、早速電灯を点じて寝台から飛降りたが、早や何処に隠れたのか其辺には蜘蛛の形は愚か影さえも見えぬ。
 けれども秘密は遂に露れた、今急に姿を消した雷虎叉(ライコサ)こそは、嘗て自分が一の宮旅館(ホテル)に於て見た、而して瑠璃子もそれ迄に二度も見た怖ろしい悪魔の掌と同じ物だ。斯う正体が判明(わか)って終えば愈度胸がきまる、自分と梶浦大尉とは洋杖(ステッキ)に身を固め、室の隅から天井迄叩きつ廻ったが、肝心の毒蜘蛛は何処に行ったか、皆目姿も見せねば其の逃げた方向すら解らない。
「ああ神よ、私は斯る事を予期せなんだ」探しあぐねた梶浦大尉は、基督信者(クリスチャン)だけに第一に神の名を呼んだ。
「僕だって…」と自分も続いて斯う云った。
「然うだこれだ、これだ」と、尚も大尉は嘆息を繰返し乍ら
「これで古里村の死因も解った、蜂部の奴、彼の前の晩古里村の書斎に彼の毒蜘蛛を放して帰ったんだ」と、半ば独言(ひとりごと)の様に云った。
「然うだ、全くそれに違い無い」と自分も相槌を打ったが、其中に思い出したのは、嘗て読んだ毒虫学の一頁(ページ)である。それに依れば此の怖るべき雷虎叉は、秘露(ペリウ)の深い森林の中に棲んで居るもので、汰蘭蛛羅族(タランチュラぞく)の中では最も有毒な悪虫である。而してこれに一度嚙まれたが最後、人事不省の昏睡状態となり、数時間若しくは数日の後に死に至るとしてある。併も其咬みつく場所は定って髪の中で、加之(おまけ)に其兆候は脳溢血と同一だから普通の医師には判別がつかぬそうだ。秘露の土人は太くこれを恐れ、呼ぶに死の手(アッスハンド)或は悪魔の掌(ブラックサタンスハンド)の名を以てしてると云う事である。自分は此由を梶浦大尉に語ると大尉も其怖ろしさに舌を巻いた。而して、
「したが彼奴(きゃつ)、よく其様怖ろしい動物を飼って置いたもんだ」
 と不思議がる。
「なァに考えて見ると別に不思議は無いさ、彼奴前に南米に行った事があると云うから、其時愛玩用として持って帰り、後に殺人用として使用(もちい)たんだ」と、自分はそれから一の宮以来の出来事を聞かしてやった。すると大尉は益驚きを増して、
「じゃ君も蜂部に殺(やら)れる処だったんだね」と云ったが、急に思い出した様に「それならば夫れで彼の毒蜘蛛を探し出さねば…」と云う。成程夫れに違い無いと思って、自分は再び電灯を消した。而して更に蜂部が吹く様な口笛を吹いた。けれども今度は出て来ない、働した事かと、三度電灯を点けると、居た、居た、寝台の頭の方に隠れて居た、紅白の更紗の覆布(ベッドクロッス)の下の方に、あの見憎い毒蜘蛛がむき出しにしがみついて居た、奴さん急に明るくなったので何うともする事が出来なんだのである、やがてムクムク覆布の下に這い込もうとしたがもう遅い、自分は力任せに擲(なぐ)った一撃の下に、此憎む可き毒蜘蛛も、遂に其の気味の悪い下腹を上に引くり返って死んで了った。自分も大尉も思わずホッと太息を吐(つ)いたが、不思議や此時再び表に当って聞ゆる自働車の響音(ひびき)…。



  一一四 獰猛な性質

 梶浦大尉はそれと聞くなり、
「アッ蜂部を逃がしては」と云い様短銃(ピストル)片手に室内を飛び出した。「然うだ」自分も続いて飛び出したがもう晩(おそ)い、自分等が玄関迄行った時は、既に其辺には自働車の灯光さえ見出す事が出来なんだ。
 自分も大尉も地団太踏んで口惜しがったが、今となって見れば何うとも致し方が無い、万一若(も)しやの念に引かされて蜂部の書斎に引返したが、素より其処は藻蛻(もぬけ)の殻である。室中一面に書類やら衣服やらで散らばって居る処を見れば、先刻(さっき)自分等が夢中になって毒蜘蛛を探して居る中に彼は早くもそれと気附いて、荷造も匆々(そうそう)自働車を呼んで逃げ出したものと見える。自分等は今更の様に其の素早さに呆れたが、併し何時迄も斯うして居られないと思ったから、急ぎ三人の医者を呼んで先刻来の始末を物語り彼の毒蜘蛛の死骸を見せてやった。紅林医師は勿論、熊橋医学士も初めての事とて、殆んど顔の色を変ぬ許りにして驚いたが、独り松山博士のみは思い設けて居たと云わぬ許りの顔色(おももち)で、格別他の二人の様には驚きもしない。
「ハハハハそれで皆もお蔭で宜い学問をした訳だね」と莞爾(にこにこ)笑うて居る。而して所謂『松山式新治療法』結果は甚だ良好だとあるので、自分も大尉も蜂部を取り逃がしたのは残念だが、斯うと聞いて一先安堵の胸を撫下ろし、それから三人の医師立会の上で瑠璃子の寝室の検査を初めた。すると驚くべし壁に取附けた暖炉(ストーブ)の傍の戸棚の戸は、戸を締めると戸棚の底に一吋(インチ)許りの空隙(すきま)が生ずる様な仕組になって居る事を発見した。此戸棚の中は更に鏡戸で仕切がしてあって、其一個の鏡戸の中の後には、同じく四吋許りの小い落戸が造られてある、つまり其処から隣室の疑問の戸棚に通ずる様になって居るのだ。
 それから蜂部の寝室に行って、二個の新式の鍵を壊して見ると、果して其中には水やら、小鳥の死骸やらジャム壺やら種々(いろいろ)なものが入れてある。改めて云う迄も無く此中には、憎む可く怖る可き毒蜘蛛を飼ってあったもので、矢張其中に置いてある厚い印度護謨(ゴム)の手套(てぶくろ)は毒蜘蛛を弄(いじ)くる時に使用いたもの、而(しか)して例のジャム壺と小さな金網の籠とは、同じく彼の毒蜘蛛を他に持運ぶ時に用いたものな事が解った。そこで昨夜の様な場合に毒蜘蛛を使うには何うするかと云うに、此場合には戸棚の中の落戸を仕掛て開きそれから瑠璃子の室に追遣れば宜いのだ、而して夫れを呼び戻す時は例の口笛を吹けば夫れで済むらしいのだ。と斯う云って仕舞えば至極簡単な様だが、あの怖ろしい野生の毒蜘蛛を、これ迄に飼い馴すと云う事は却々容易な事で無く、従って蜂部の如何に怖ろしき獰猛な性質な男だと云う事が判る。自分等は云う迄も無く、紅林医師や熊橋医学士は素より、流石物に動ぜぬ松山博士すらも只管(ひたすら)其奸悪には舌を捲いた。斯う事実が明瞭になって来れば、最早蜂部の過去に於て殺人罪を犯し更に現在に於て殺人未遂犯たる事は疑う余地が無いから、自分は直ぐに王子と下谷の二つの警察に電話をかけた、やがて二人の警官が自転車を飛ばして遣って来る、而して今宵の顛末を聞くなり早速非常線を張ったが、もう其時蜂部は全く何れへか逃去ったと見えて、暁方待っても遂に捕縛せらるるに至らなんだ。
 併し幸いな事には我愛の女神のみは松山博士の治療効を奏して、次第に意識を回復して来たが、神経の激動を恐れてか松山博士は自分の面会を許さない、これは主治医たる者の当然取るべき道で別に何の不思議も無いが、茲に不思議でならぬのは、何故に蜂部が先に古里村を殺し、次に自分を殺そうとし、今また瑠璃子を殺さんとしたのであるか、実に不思議とも奇怪とも云い様が無い事である。

  一一五 瑠璃子の病室

 併し以上の疑問も、蜂部が捕まるか乃至は瑠璃子が回復すれば、孰れ解るに相違無いと思って心待ちに待って居たが、それから二十日余過ても未だ蜂部も捕縛(つかま)らなければ瑠璃子も全快しない。否瑠璃子は大方全快したのだが、要心深い松山博士は、何処までも大事をとって自分に会して呉れないのだ。
 自分はこれが何より情け無く思われたが、併し痩せても枯れても立派な医学士だ、まさか素人臭く許可(ゆるし)も出ないのに逢して呉れろとも云い兼たので、此の二十日間と云うものを蜂部に代って家政の締絞(しめくく)りに送った。勿論自分は未だ雇(やとい)を解れない以上玻璃島家の抱医者で、従って然うは他に寝泊まりの出来る身体で無いのだが、さらばと云うて邸に帰って姫の御機嫌を取る事は真平だと思ったから、これを機会に電話で幾度と無く雇を釈(と)く様に申し込んだ、併し其度毎に姫に種々な理屈や泣言を並べて自分の頼みを聞いて呉れない、而して用事が済む迄幾日でも暇を遣るが用事が済んだら素通(もとどお)り邸へ帰って呉れと云うのだ。斯う云われて見るといくら嫌いな姫にもせよ、苟(いやしく)も自分の主人である以上それでもとも云い兼る。自分は最後に左様(そん)ならせめて阿里だけでも寄越して呉れる様にと云って遣ったが、阿里を寄越すと自分が邸に帰らぬとでも思ったか、姫はそれさえも聞入れて呉れぬ。後には自分も何うでもしろという気になって、扨てこそ此の二十日間を此家で暮らす事となったのである。
 斯くて自分は此の二十日間を此家の臨時主人公となったが、日数こそ僅か二十日間であるが、意外にも近所の人達とも馴染が深くなって、勢い種々な事を夫等の人達から聞く事を得た、即ち蜂部がこれぞと云う職業が無いに拘わらず贅沢な生活をして居た為め是迄近所の注意人物であった事や、瑠璃子と蜂部とが人相から性質まで、何処一つ似た処が無いので、実の親子で無いと云う噂の有った事などが重(おも)なるものであったが、皆孰れも一日も早く蜂部が捕縛(つかま)れば宜いと云うのを見ても其不人望の程度が判るのであった。けれども然うは問屋で卸して呉れないと見えて、蜂部の行方は依然として判明(わから)ない。丁度此の日が瑠璃子が毒蜘蛛に刺されてから二十二日目に当る日だ。
 此日も例の如く自分は二階で新刊の雑誌を読んで居ると、其処に白浜夫人が遣って来て、松山博士から瑠璃子との面会を許す由を伝えて呉れた。自分は二十日余りも同じ家に同居して居て、それで我愛の女神の顔すら今迄見るを得なんだのであるから此の報せに接すると同時に、殆ど古い譬(たとえ)だが天にも昇る様な気がして、急ぎ瑠璃子の病室に入った。見ると彼の夜にも増して血色の悪い瑠璃子は、青い絹ジャケツを着て柱で身体を支え乍ら床の上に半身を起して居たが、自分の姿を見るなり其枯木の様に痩せ細った両腕を突き出して、
「まあ太刀原さん…夢では…夢では…」と云ったきり、後はハラハラと涙を流すのみである。
「おお令嬢」と、自分も何か云おうと思ったが、あまりの嬉しさに言(ことば)が出ない、唯無暗と涙のみこぼれる。断って置くが自分にしても瑠璃子にしても、此刹那に於て流した涙こそは真に世間に云う処の嬉し涙であるのだ。うあがて間も無く松山博士の注意で其室(そこ)を出たが、人間程世に勝手な者は無い、平常(ふだん)には親にも増して有難く思ってる博士に対し、自分は此時程博士が小憎らしく感じた事が無い、「せめてもう四語分位会して呉れたって」と斯う博士を怨み乍ら二階に上る階段の処まで来ると、誰やら自分を追かけて来る者があるので、振返って見ると外ならぬ梶浦大尉だ。手に一枚の新聞を持って急ぎ足に入って来たが、自分に追付くなり。
「オイ今日の東京タイムスを見たかい」と藪から棒に斯う云うのである。



  一一六 ああ気の毒に

「今日の東京タイムス?」
「ウム、これだ、これを見たかと云うのだ」と、大尉は三面下段の記事中に挿(はさ)んである広告を指示した。
「何か変わった事でも」と、斯う云った自分は、何心なくそれを見ると、其処には実に驚くべき広告が掲載せられて居る。

 ▼灰色頭髪の糊谷老人 より或青銅の古器物を託され、それを或人に引渡すべき約束をせし方は、最初の会見を京橋区尾張町新地、弁護士栗野武彦の出張所にてせられ度し。

 と云うのだ、然うだ、今日は三月の一日だ、自分は遂今迄瑠璃子の看病の為めにウカと忘れて居たが、考えて見れば今日は糊谷老人から托された、彼の砲弾形の古銅器を何人かに渡す可き約束の日なのだ。
「何うで矢張り君に関係した事じゃ無いか」と大尉は念を押す様に云った。
「然うだ、僕に関係した事には相違無いが…併し…」と自分。
「併し何うしたと云うのだ」
「何うって其受取人が弁護士らしいから変な様に思われると云うんだ」
「弁護士で無かったら却て変じゃ無いか、兎も角これから直ぐ行って見るさ、或は意外の秘密が発見されぬとも限らないぜ」と、大尉は斯う云って其儘瑠璃子の病室の方に行く。成程大尉の様に考えればそれにも一理あるが、併し自分に妙に思われてならなかったと云うのは栗野武彦と云う名である。栗野武彦と云えば瑠璃子の友人の縁付いて居る青年弁護士で、慥か水戸で開業して居た筈の弁護士である、勿論水戸の弁護士が東京に出張所を持って居ると云うのに何の不思議も無いが、其水戸の本宅では嘗てるり子が最初に黒い掌に見舞われた処なのだ。
 然るに今彼の糊谷老人より託された古銅器の受取人が、其の弁護士の名に依りて広告せられたのである。勢い妙な感じのするも無理からぬ事であるが、とは云え一糊谷老人との間に受取人の資格に就て何の条件も無かった以上、自分の一量見で夫れに背く訳にも往かないと思ったので兎も角も午餐(ひるめし)を済してから其の出張所と云うのを訪問する事にした。
 向うに着いたのは午後の三時過ぎであったが、取次ぎの書生に名刺を出して面会を乞うと、少時(しばらく)待たされてから応接間に通された。やがて鳥渡(ちょっと)見た処三十五六歳の、痩ぎすの身長(せい)の高い、見るから素封家の一人息子と云った風の男が入って来た、而して其男の口から栗野弁護士だと名乗(なのら)れて、自分は少々思惑が違った様な気がした。何故かなれば其未だ会見(あいみ)ぬ時には、何うせ蜂部の知合に善人の有ろう筈は無いと思って居たからである。処が今会って見ると一見して其蜂部などとは一緒にする事の出来ぬ立派な紳士な事が解った。乃で自分から先ず来訪の用向を語り出すと、栗野弁護士は一々熱心に聞き終わって。
「イヤ解りました、実は昨年の九月頃糊谷老人から手紙が来まして、それには何とも書いて無かったのですが、或紳士に青銅の古器物を託してあるから来年の三月一日に受取って呉れる様にとありましたので、折返し其紳士の名を聞いてやりましたが、すると今度は何の返辞も無いので、実は今日になって彼の様な広告を出した様な次第ですよ」と、夫れから糊谷老人の手紙其他証拠になるべき様な二三の書類を出して自分に見せた。
 自分もこれで最早疑う余地も無いと思ったから、糊谷老人の最後の有様から、蜂部の事扨ては瑠璃子の事、最後に例の毒蜘蛛の事迄残らず物語ってやった。すると栗野弁護士は一言毎に合点が往った様に頷いて。
「成程大方其様事だろうと思って居りました、噫(ああ)気の毒に、あの人の宜い老人は、死んでから迄悪人に困(くる)しめられたんですね」と嘆息する様に云った。其口振では明かに、糊谷老人に就いて何も彼も知り抜いてると云う風だ。



  一一七 実は淀岸範治

「然うです、老人が生前信用して居た悪人の為に―だが何故に老人は其程の悪人を信用しなければならなかったのでしょう」敢て自分は今更死んだ糊谷老人の秘密を聞うと思った許りで無く、真に今糊谷老人の蜂部を信用して居た事を不思議に思って居たから斯う尋ねたのである。すると栗野弁護士は、さも我意を得たりと云わぬ許りの顔色(おももち)で。
「然うです、糊谷老人の善人だと云う事を知って居る人には、必ず貴方の様な疑問が起る筈です、それいつけても択ぶ可き者は友人(とも)だと云う事は沁々感じますよ」と冷かかった紅茶を啜り乍ら愈糊谷が半生の秘密を語り出した。
「多分御承知の事と思いますが、糊谷と云うのは老人の本性で無く、実は淀岸範治(よどぎしはんじ)と云うのが真実(ほんとう)の名です何故淀岸範治と云う立派な名があるに拘わらず、糊谷と云う偽名をせねばならなかったと云う事を申しあげる前に、私と老人との関係をお話する必要がありますが、一体私の父と申しますのは古い弁護士で、老人の父の代から其法律事務を依頼された、云わば私迄二代引続いた大事の華客(おとくい)です、で私も父からも聞き自分も交際して、糊谷老人の身上は能く知って居りますが、老人は性来の善人でした。最もこれは其父の血承けた故(せい)もありましょうが―老人の父と云う人ですか維新前後日本橋で水戸屋と云えば、三井大丸に次いだ有名な呉服屋でした、老人は其家の一人息子に生れたのです、だが不幸な老人には附物と見えて、其二十歳の時半歳経たぬ中に続いて両親を失ったそうです、けれども其時代から強情な性質(たち)だったと見えて、老人―否其時は青年でしたろうが、口癖になって居りますから斯う呼ばせて下さい―は其父の遺した幾百万の資産を切盛して、見事水戸屋の基礎(どだい)をビクともさせなかったと云う事は、当時仲間が舌を捲いたものだそうです、其儘何事も無ければ老人が貴方の知って居られる様な悲惨な最期を遂げる筈は無かったでしょうが、其時は既に悪魔は水戸屋の家の棟迄忍びよって居たのです」と栗野弁護士は茲迄云った時に自分は耐え兼ねて横合から口を出した。
「悪魔と仰ゃると…蜂部は既に其の時分から…」
「いいや違います、まァ黙ってお聞きなさい」と栗野弁護士は笑い乍ら自分を矯(たしな)めて「悪魔の形した悪魔なら怖ろしく無いのですが…」
「じゃ悪魔の形をしてない…」
「ええ形処(かたちどころ)か非常な美人だったそうです、何でも老人の為には親の許した許婚(いいなずけ)の間だったそうです」
「其の美人が老人に背いたのですか」
「ええ然うです、老人も非常に其女を愛して、時の来るのを待って居たそうです、すると意外な事が起ったと云うのは、愈式を挙げると云う十日許り前に、突然其女が店から姿を消したのです、何でも其女と云うのは早くから両親に死別(わか)れた孤児同様の女で、其前から淀岸家に引取ってあったそうですが」
「では其女は別に男でも…」又しても茲まで来ると自分は口を辷らした、すると。
「またですか」と栗野弁護士は優しく自分を睨む。
 自分はハッと気がついた。
「イヤ遂ウカと―今度こそ大丈夫です、お話の済む迄は」
 と強縮すると、其様子が可笑しかったか、
「ハハハハ何もそれ程勿体をつける話でもないのですが」と笑い乍ら煙草に火を点じた栗野弁護士は「古い話になりますと遂然うで無くとも混同しますから…」
「全くです、無言の行、今度こそ真実にお話の済む迄は口を出しません」自分は何処迄も強縮の外は無った。