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ただ見る ささきふさ (昭和5年)

2011年09月20日 | 著作権切れ昭和小説
ただ見る ささきふさ (昭和5年『モダンTOKIO円舞曲』)




  蛾

 真昼の舗道で、私は、珍しく夫君と伴れ立った麻子夫人に行き合った。スポーツマンの時雄さんは、がっちりとした、見上げるような肩の辺に、二歳ばかりの女児の妙に深酷な顔を上下させていた。
「いつの間に?―」
 私は妙に深酷な女児の顔を見、それから夫妻の顔を代るがわるに見ていった。
「どちらに似てて?」
「そうね、どちらにも、―」
 似ていないといいかけてから私は、いうのではなかったと思った。影に似たものが、夫妻の顔を同時に掠め過ぎたからだ。すると私は急に、忘れていた一つのゴシップを思い出した。―麻子夫人は時雄さんとよりは、道家というダンス青年と踊ることの方が多い。」
 彼等とあっさり別れてしまってから、私は十九歳の、よくノートを借りに来た時代の彼女を思い浮べていた。彼女はその頃が肺病の第一期だったらしく、小麦肌なのだが不思議に澄んだ頬に、いつもぽっと美しい血を漲らせていた。女の美しさを私に最初に教えてくれたのは彼女だった。彼女は間もなく病気のために学校を退いた。それから「運動の為に」ダンスを習い出した。次いで「退屈をまぎらす為に」新聞社に入った。そしてスポーツマンの時雄さんと結婚した。だが二三年の間に、いつの間にか母となった今日の彼女の肌は、見違えるように蒼黒く濁っていた。私は整った顔立の彼女の何処からも、もう女の美しさを感じることが出来なかった。
 ―肺病は女を美しくし、それから醜くするものなのかな。それとも生活が、―私は私自身聊(いささ)か憂鬱だった。

 盥のお湯のぼちゃぼちゃの際に、
「お留守?」と張り上げた女の声が聞えた。庭先から呼んでいるらしい。私も湯殿の中で声を張り上げた。
「何誰(どなた)?」
「あたし。」
「麻子さん?」
「え、―」
「お珍しいのね。」
 私はもう一度声を張り上げて女中を呼んだ。
 手早く体を拭うて出て行くと、麻子はまだ庭先に立っていた。
「なぜお上りにならなかったの?」
「でも、―」
「お伴れがあるのじゃない?」
 彼女はもじもじとした。私は直ぐ女中さんに道家さんをお迎えして来いと命じた。
「でも、そうしちゃ居れませんの。実は今日はお誘いに、―。」
「これから、どちらへ?」
 夏の日はもう完全に黒く暮れている。
「藤原邸のダンスへ。」
「私をダンスに?」
「そう仰しゃるだろうと思ったわ。でもついご近所ですし、それにフィリッピインのジャズがとてもいいって話ですから。私達だって今夜は踊りに行くのじゃありませんのよ。」
「怪しいものだ。」と暗闇の中で男の声がした。次いで道家はパナマを白く浮しながら洋室の角から現れた。「しかし僕は絶対に踊りませんよ。」
「私だって、―」
「此お嬢さんのいうことは、あてにならないからな。しかし僕は、―どうです、踊らぬ仲間に、お出かけになりませんか。」
「ウォール・フラワーになりにね。」
「誰も貴女をウォール・フラワーだとは思いませんよ。」
「もうフラワーでもありませんものね。」
「どうや、―」
 道家は開いた上衣の胸の間で、パナマの縁をいじっていた。あれが道家だとホテルの前で教えられた頃の彼は、長髪を油でオール・バックにしたひどく気障なダンス青年だった。がその長髪もいつの間にか白い地が透いて見えるほど薄くなっていた。それと共に気障さも薄くなったらしく、今私の前にこころもち臆して立っている彼は、些(すこし)も反感をそそるところのない中年の紳士だった。
 私の家はごみごみした凹地の一隅に在る。が四辺(あたり)の高台は有名な、かと思うと名も聞かぬブルジョア達によって占領せられている。私は富の高低に土地の高低を加えて考えさせられるのが不快だったので、二階の窓は断然開けて見ぬことにしていた。だが彼等の生活の外郭は、開けぬ窓の戸の節孔(ふしあな)から、逆さになって朝の寝室へ闖入(ちんにゅう)して来る。寝起きの私の目に豆ほどの逆さな風景は、夢の続きのようで、うれしかった。
 道家の運転するクライスラーが、坂を上りきって一曲りすると、樹々の葉越しに輝く数層の窓が現れた。今しがた出た月の光を濾して白く浮いた雲の間で、お城のような高楼の外郭は、―正しくそれは豆ほどの逆さな風景の中の城だった。
 ―なるほど粋(すい)なジャズだ。
 サクソフォーンが階段を曲がったとたんに、雁皮紙(がんぴし)に当った時のような呻りを立てた、次いで床を擦る足の音が、ざあざあとひどく濁って幻滅的に響いてきた。私達は白手袋の下僕(しもべ)の導くまま、眩しい舞踏室の床を踏み、輪舞の外を抜けて奥の一隅に陣取った。
 此建築の内部は、やはり夢の続きのように豪奢を極めたものだった。が集った男女は決して夢の中の男女ではなかった。もう短すぎるスカート、音楽をこなしきれぬ脚、土の着いた靴底、―フィリッピイン等(とう)の六白の目には、無遠慮な軽侮の嗤(わら)いが浮んでいる。
 “Thats you Baby!”
 だが踊る男女は踊る事其事に夢中だ。
 楽士の壇の傍から、浅黒い、がっちりとした紳士が、直線的に私達の隅へやってきた。藤倉氏だなと私は直感的に思った。
「是非お出でいただきたいと思って、実は麻子さんにお願いした次第でした。」
 彼は、やはり浅黒い感じのバスで、直線的な口の利き方をした。是非お出でいただきたいは、是非踊っていただきたいの意であるのに違いなかった。が私はわざとぽかんとした顔で、是非お出でいただきたいをぜひお出でいただきたいとだけしか解し得ぬ風をよそおった。
 ふと私はイブニング・ドレスの肩に、莫迦にひやっこい風を感じた。風はさっと、寄木(よりき)の床を撫でて、向うの窓へ吹き抜けた。木立の向こうには、大きな雲が不隠な速度で走っている。芝生に落ちた明暗の斑点も、―私は危うく声をたてるところだった。ばさりとまともに私の顔を打つものがあったからだ。私は狼狽して窓から首を引込めた。ばさばさと、黒い蛾はシャンデリアの近くまで昇ったかと思うと、突然急な角度で描いて、踊る男女の上に落ちた。棄身な蛾の運動は、飛ぶよりは打当(ぶつか)って行く感じだ。腕を掠めて又一匹、又一匹、―蛾は豪奢な室内装飾を完全に無視して縦横に走った。踊る男女も亦(また)完全に蛾の横行を知らず踊り狂っている。
 “Thats you Baby!”は皮肉に終わった。音楽と共に踊ることを知らなかった人達は、音楽と共に踊り終える術も心得ていない。彼等はもう一度楽士の軽侮を買いながら、てれかくしに時外れな拍手の音をあげ、そしてさっさと自分達の席に引きあげて行った。あとは踏み荒された寄木の床と、踏みつぶされた蛾の屍の雑然たる舞踏場だった。蛾を踏んで、―私は慄然とした。
 ばさばさと、―窓外に聞え出したのは今度は蛾ではなかった。雨の湿気は湯上りの私の皮膚に滲み入る気がした。私は全身の皮膚でその湿気を吸いながら、一種放心状態で、もう一度踏み汚された寄木の床と、踏みつぶされた無数の蛾とを見ていた。
 
「藤倉さんとお踊りになったのですって?」
「まさか!」
「だって、藤倉さん御自身がそう仰しゃっててよ。」
 藤倉があの晩パートナーとしたのは、ダンス嫌いの私ではなく、踊らないといっていた麻子夫人だった。道家だけは彼自身の言葉を守って、最後まで踊らぬ仲間だった。が私は踊る麻子を見ている彼の目に或寂しさの漂うているのを見逃さなかった。果して、私の耳に入ってきたゴシップによると、麻子夫人は道家のクライスラーを棄てて、藤倉のパカードに同乗し出したとのことである。
 ―蛾だ、蛾だ。
 私は何故(なにゆえ)かいつも道家其人と共に踏みつぶされた蛾の屍を思い浮べる。


  隅の少女

 弱気な久我氏は酔うとなかなか愉快なやんちゃ坊主である。その晩も彼は旗亭(きてい)を出るなり、ダンスだダンスだと、きかなかった。不断が弱気の久我氏だけに、酔った時の彼の意に逆うことは私達には出来なかった。
「ホールは厭だな。」と誰かがいうと、
「K倶楽部を見に行かない?」とその会員になったばかりの少壮代議士がいった。
 何式というのか、とにかく統一のとれた建築の内部は、やはり整然とした、感じだった。三階の舞踏室では老年に近い壮年の紳士達が、此処でだけはさも自信がなさそうに、インストラクターに曳きずられて歩き廻っている。
「あれは今度函館から出た、―」
「H君は政友会だろう。」
「政友会も民政党も此処では、―」
「ダンスはインター・ナショナル、―インター・パーティーかな。」
 だが酔った久我氏はK倶楽部其物の圧迫から早く逃れたいらしかった。彼はとうとう其処では一踊りもせず、円タクを捕えて、フロリダだといった。
 ―芥(ごみ)、芥、芥。
 先ずぴんと来た感じはそれだけだった。いったい何人の二間が、―肺臓に故障のある私は、空気の善悪に対してだけは、ひどく敏感だ。いったい何人の人間が、何本の脚が、―ちょうどインターミッションだったので、ずらりと並んだダンサーの脚が、ホールの壁の腰張りに見えた。罷業の理由の一つに数えられただけあって、ずらりと並んだ脚も真に夥(おびただ)しい感じだったが、がらんとした踊り場のこちらにうようよしている男達の夥しさは、それとは段違(ダンチ)といってよかった。
 “Broadway Mrelody”が始まった。うようよしている男達の中から一人が勇敢に進み出ると、又一人、あとはどやどやと、―壁の裾に残されたダンサー達の顔には、期待と不安とがこんがらかっている。彼女等を拾いに行く男は、見物にとっても救いだ。
 久我氏は同行の映画女優瑤子君を切(しき)りに口説いていた。「ブロードウェイ・メロディー」は既に半ばに達している。
「ね、瑤子さん。」
 瑤子はしぶしぶ久我氏に従った。だが久我氏は踊り場に入るや否や、瑤子を口説いたことなどは忘れてしまったらしかった。彼は男達のうようよの中でまごついている瑤子の方は一顧もせず、まだ壁の裾に残っているダンサーの一人にレゾリュートな歩(あゆみ)を向けた。

 今度は振袖の断髪と久我氏が得意そうにタンゴを踊っている間、芥を吸うことに稍(やや)慣れた私は、ダンサー達の髪や服装やプロポーションなどを仔細に観察していた。仔細に同時に辛辣に、―こんな汗臭い雰囲気の中で、何で彼女と彼女と彼女とはスウェターなど着ていなければならないのか。およそ美的でないスウェターを。スウェターのダンサー、これも確かに復興東京の異観の一つであるのには違いない。―
 だが何という労働、臭い労働、―私の嗅覚は男の体臭や口臭よりは寧ろ機械油や汽船の臭気を堪え易く感じる。それに一回八銭とは、―私は思わず手廻りのものを一回のダンスの報酬で割ってみていた。
 靴下     五〇回
 靴      四〇〇回 
 手提     五〇〇回
 手袋     二〇〇回
 帽子     二〇〇回
 ペティコート 一〇〇回
 イヴニング・ドレス、外套に到っては、換算の限りでない。私は茫然とした。茫然とした私の目に、彼女等のお粗末なワン・ピースや田舎臭いスウェターは、決してもう見にくいものではなかった。すると私には、ロー・ネックのぴらぴらしたドレスをつけ、誇りげに踊っている二三のスターが不思議に思われ出した。其数を八銭において、彼女等は食べなければならない。寝なければならない。着なければならない。一枚のドレスの背後には、いったいどれだけのいたづきと、どれだけのやりくりと、どれだけの屈辱とが隠れているのであろう。私は既に Spleen Tokioの中にあった。
 曇った私の目はふと一点に止って、そして一杯に見開かれた。無心な下ぶくれの顔、鏝(こて)一つあててない頭髪、セーラー型の旧式なスェター。彼女はさっきからあの目立たぬ隅に坐ったままだったのだ。ダンサーの見習いか、彼女は男達の目にとまらないばかりでなく、朋輩のダンサー達からもてんで相手にされていない。孤独なダンサー。彼女の伏せた顔には、待ち設ける気持が微塵も出ていないだけ、好感ばかりが持てる。
「久我クン、久我クン。」
 私は人目を惹くことも忘れて思わず大きな声を立てた。きょときょとと近付いてきた久我氏に、私は是非あの少女と踊ってやってくれとせがんだ。
 臆しがちに立上がった少女は、少しの遊び気もなく、習った通りのステップを踏んでいた。ダンス振りまで楚々たる感じだ。私は何か涙に似たものを呑み下しながら、彼女がいつまでもあのスウェターを着ていてくれればいいと思った。

 次に行った時隅の少女は、―それを書くことは十九世紀の巨匠達に委(まか)せておくことにしよう。私は、―私は昨日ダンス・ホールのマネージャーをしていた伊沢さんにふと偶った。伊沢さんは私の兄の同窓で、女と聞いただけでも涎を垂しそうな男だった。
「愉快だったでしょうね、貴方のことだから。」
「皮肉なものですよ。女達をずらりと前に並べて、僕が訓示を与えるのですからね。」
「聞きたかったわ。」
「新時代のダンサーたるものは、よろしく職業的自覚をもって、―すると不良組が僕の方に秋波を送るのですよ。こいつ僕の弱点を知ってるのかとひやひやしましたがね。実は向うは純然たる職業意識でやっているのですよ。マネージャーさえ抱きこんでおけばとね。大きな誘惑でしたよ。大きな誘惑だった証拠には、僕はとうとう、―新聞では御覧でしょう?」
「しかしダンスはお上手になったでしょうね」
「どうやらチャールストンの出来そこないぐらいはね。」
「チャールストンよりシミーの方が貴方には、―」
「ぴったりし過ぎているので却って気がさして踊れませんよ。」
 別れる時私は彼に、若しフロリダに行くようなことがあったら、あの隅の少女と踊ってやってくれと頼んだ。だがもう彼女はあの隅には坐っていないに違いない。そしておそらくはもうあのスウェターも脱ぎ棄ててしまったに違いあるまい。今は、それに、スウェターを羽織る季節でない。



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