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由利聖子 チビ君物語 (昭和9年)

2011年09月20日 | 著作権切れ昭和小説
   由利聖子  チビ君物語 『少女の友』昭和9年12月号~11年12月号



 チビ君

  1

「オーイ、チビくん、靴がないぞオ。テリイをさがせエ、テリイをオー」
 玄関で怒鳴っているのは坊ちゃんの修三さまである。利イ坊さまのランドセルを勉強部屋で揃えていたチビくんは、ビックリして、あわててお部屋をとび出して、内玄関の下駄をつっかけると、一直線にテリイの小屋にかけつけた。ある、ある、やっぱりイタズラ犬のテリイがくわえて来ていた。あんなにセッセとチビくんがきれいにピカピカ光らしておいた修三さまの靴がドロンコだ。
 テリイのバカ!うるさく足にまつわりついて来るテリイの頭を靴でコツンと一ツ。キャン、テリイはシッポを後足にまきこんで横ッとびに逃げた。
「ダメよオ、テリイをいじめちゃアー」
 勉強部屋でランドセルを背負いながら、トマトの様に可愛い唇をトンガラした利イ坊さまが、窓からチビくんを怒った。
 こんな事は毎日だ。ツクヅクテリイが憎らしくなって了う。それだのにテリイは又一番チビくんになついて居る。朝お台所の戸をあけると、お使いに行こうとお勝手を出ると、利イ坊さまのエプロンを洗おうとタライにしゃがむと、テリイがマリみたいにとんで来て、チビくんの脚にじゃれつく、顔をなめる。
「チビくんとテリイは姉妹(きょうだい)ぶんだナ。チビで、ふざけンのが好きで、うるさいけど可愛くて……」いつも修三さまはそう云う。
 大たい、初子と云う立派な名をもった女の子をチビくんにして了ったのが修三さまだ。
 修三さまは何でもかんでも綽名(あだな)で呼ばなくちゃ承知しないと云う困った中学生である。校長先生が古ダヌキ、教頭が川ウソ、体操の先生がシャチホコの乾物、用務員のおばさんを、バケツ夫人と云う。顔が長いからだそうである。
「今日、バケツがバケツをもって二階からツイラクしてねェ―」と、いつだったか学校から帰って来て、勉強部屋で利イ坊さまと話をして居た。お八(や)ツを、もって行ったチビくんをつかまえて、「オイ、それでどっちのバケツの底がぬけたと思う?」ときいた。世にもうれし相(そう)な顔だった。
「可哀想に、バケツ夫人の方が腰がぬけてネ、さっそく医者(ホテイ)がかけつけて来たヨ」とこれもお医者を綽名で呼んだ。
 チビくん、十三になったのだけれど、十の利イ坊さまと同じ位しかない。チビくんのお母さんは修三さまの乳母(ばあや)だった。だから修三さまとチビくんは乳兄妹(ちきょうだい)だった。お母さんが満洲へ行ったお父さんのところへ行かなければならなくなって、沢山ある子供をどうしようか、と困っていた時、三番目のチビくんを引とろう、と云って下さったのは修三さまと利イ坊さまのお母さまだった。
 お母さまに連れられて、短いおサゲをトンボみたいにしばってツンツルテンのネルの着物を着て、チョコンとお茶の間の片隅に坐っているチビくん―その時はまだ初子だった―を、学校から帰ってきた修三さまは一目見るなり、
「ヤア、チビくん!」と例の又、何でもかんでも綽名をもって呼ばねば気がすまない調子で、こう呼んだ。いかにも初子はチビだった。残念ながら修三さまのお母さまも初子のお母さんも、そして初子自身も、その「チビくん」はジツにピッタリした綽名である事を承知しないわけには行かなかったのである。
 奥さまは、とても親切な方だった。修三さまのお父さまはこの春にアメリカへいらして、お帰りは来年だった。
 利イ坊さまはたった一人の女の子で又末っ子だったから、チビくんには一寸苦手だった。年のわりにおマセである。おまけに幼稚園時代からF女学校の附属へ入って英語をならったし、小学校に入ってからはもうフランス語をやっている。こんな小さい子がそんなフランス語なんてものをやっていいのかしら…?と、チビくんは時々不思議に思う。チビくんと来たら、英語のエの字どころか、ウッカリすると自分の名前の「初子」をシメスヘンに書いたりする。
「バカねエ、チビくんのバカ、ユウみたいなガルは、フウリッシュ・ガルと云うのヨ」と、利イ坊さまはマセた赤い唇をトンガラかして、英語のわからないチビくんをケイベツしようと威ばるのである。
「何云ってんだイ、おシャマ奴(め)。ガルとは何だイ?チビくんをいじめんのはよせヨ。そんな事云っていじめんなら、お兄さんが、ドイツ後で利イ坊をやっつけるゾ」
 修三さまはお医者さまの学校を受けるので、今年の秋からドイツ後を習いはじめたのである。そう云う風に云われると、今まで威ばってチビくんをやっつけて居た利イ坊さまは、恥しさと口惜しさで真赤になりながら、チビくんをにらみつけるや、バタバタと西洋間の方へとんで行って了うのである。そして急にピアノのフタをあけて、「タンタカタッタッ、タンタカタッタッ……!」と怖しい割れそうな音を出すのである。だから「ミリタリイ・マーチ」がひびいている時は、チビくんと利イ坊さまの国交はダンゼツしているものと思えばいいのである。


  2

「利イ坊、傘をもって行ったかしら…?」
 修三さまも、利イ坊さまも学校へ行って了うと、あとはシーンとしたお邸内である。
 お昼に近い、しずかなお茶の間。奥さまの傍で、自分のに編み直していただく利イ坊さまの古いセーターをほぐして居たチビくんは、奥さまの心配相な声に窓の外を見た。ドンヨリと朝から曇っていた冬空をナナメにきって、ツ、ツと何かおちて来た。
「ア、雨!」
「いいえ、雨だけじゃないのヨ、あれはネ、ミゾレってものヨ」
 利イ坊さまもだけれど、修三さまは今朝は傘を忘れていらした。―
「お傘もって行って来ましょうか」
「そオ、すまないわネ、冷たいのに。丁度みねやが麻布へお使いに行っちゃったんで…じゃ、行って来てネ」
 大きな曲り柄の修三さまの洋傘(こうもり)と、赤い柄のついた十四本骨の洒落た利イ坊さまの傘をもって、お邸を出た。冷たい!あたたかいガスストオヴのついたお部屋に入っていた時は一寸(ちょっと)も気がつかなかったけれど、冬の外(おもて)は、ウスラ寒い空気が冷いミゾレを散らして、とっても寒い!
 向方(むこう)からマントをスッポリかぶった小学生が三四人帰って来る。今日は土曜日だ、みんなおヒケが早い。大いそぎ、大いそぎ。少しでも遅れた日には、又利イ坊さまに英語とフランス語のまじったケン付くをいただく。どうせ日本語だって、利イ坊さまの使う「およそ」だとか「想像以上の…」だとか…云う言葉は、チビくんにはチョッとばかり種類がちがう様に思える。
 お邸を出て、三丁ばかり先のお薬屋さん、丁度、修三さまがお降りになる電車の停留場の真前である。そこへ修三さまの傘を預けた。傘を忘れた日は、帰りにここへ寄ってあずけておく傘を受けとってさして帰ることにきめてあるのである。
 電車通りに沿って少し行くと、F女学校の黒ずんだ建物が見える。通用門を通ってお供の待合室へ行った。沢山のお供のお手伝いさん達が、ベンチに腰をかけて、小さい御主人の授業の終わるのを待っている。編み物をしている人もある。雑誌を読んでいる人もある。今迄にも二三度この待合室へ来た事がある。そのたんびにチビくんはこう思うのである。―
 ―よくまアこの方たちは、ああやって長い間ジーッとして腹がたたないわネエ―
 小さなお嬢さんがいばって外套をきせてもらったり、傘をひらいてもらったりしているのを見ると、何と云う事なしにチビくんは、子供心に腹がたってたまらないのである。
 羨ましくて腹がたつのじゃなくて、そのお手伝いさん達が可哀想になるのだった。チビくんと一ツか二ツ位しかちがわない様なお手伝いさんが、寒そうに肩をすぼめて迎えに来ている事もある。もし自分も利イ坊さまを毎日こう云う風に送り迎えしなくちゃならないのだったら…と思うと、それを決してさせない奥さまが、急に世界で一番、お母さんよりも、えらい、いい、立派な方に思われて来るのだった。
 ―ジリジリジリジリジリッ―
 終業のベルが鳴った。お供のお手伝いさん達は各々立上って外套を着せかけたり、お荷物をうけとったりする用意をはじめた。
 バタバタ、いつも一番にとんで出て来る松平さんのお嬢さんが、姿を現した。つづいて、ドタドタ、バタバタ、後から後から赤や緑のベレエをかぶったお嬢さん達が群がり現れた。
 利イ坊さまは…?背の低いチビくんは一生懸命のび上る様にして、それらのお嬢さんたちの群をキョトキョトと見廻した。利イ坊さまは中々見当らない。―
「ヤンなっちゃうワア、うちのチビすけと来たら…」
 ア、まぎれもなく利イ坊さまの声だ。
「何にも御用なんかしてないくせに、傘一本ももって来てくれないンだもの。きっと又お母さまのそばであたしの本を読んでるか、お兄さまのお机の上でもかっちゃがしているのヨオ」
「そうヨ。あたくし、あの子、大きらい。とてもナマ意気らしいわネエ。大きなねえやさんは好きだけど…」
 相槌うって居るのは、利イ坊さまの親友で、いつも遊びに来るたンびに、自分より身体の小さいチビくんを、さもケイベツするみたいににらんで行く、戸田さんのおテンバお嬢さんにちがいない!チビくんは思わず、かじかんだ手にシッカリ持っていた赤柄の傘を、ピシリとたたき折りたくなった。
「あたくしの傘にお入りあそばせよオ、途中までお送りするわ」
 この声が、チビくんのシャクにさわる心をグット止めた。あわてて、赤いベレエが並んでいる昇降口のタタキへかけて行った。
「あら、来てたの?どうして今迄出て来なかったのよ、今来たんじゃないでショ?ひどいわネ、人を困らせようと思って、ひどいわ、いいわ、いいわヨ。戸田さんに入れてっていただくから…」
 何か云おう、とする間もなく、赤いベレエ帽は並んでミゾレの校庭を走る様に歩いて行く。
「利イ坊様―ッ」
 追いかけ追いかけ、チビくんは必死になって傘を利イ坊さまにさし出した。何がおかしいのか、利イ坊さまは戸田さんと肩と肩を頬と頬をおしつけ合ってキャッキャッ笑いながらなおもドンドン面白い事でもしている様に歩いて行く。―
 電車通りをすぎて、角の薬屋さんも曲って二人は行く!角で戸田さんが別れて行って了えば、傘をさしてくれるだろう、と云う淡いのぞみも消えて、チビくんは泣き出しそうになった。
 傘をもって行って、その傘をささないで帰らせた、と云う事がわかったら、奥さまはどんな顔をなさるだろう!それを思うと恐ろしいやら、悲しいやらで、チビくんは足がすくむ様になった。熱い涙がかじかんだ真赤な手の甲にポトポトと垂れた。
「オイ、チビくん、だろ?傘ありがと。―どうしたンだイ?」
 いつの間にか、後から大股で歩いてきた修三さまがのぞきこむ様に云った。チビくんは黙って片手にもった利イ坊さまの傘をさし出して、半丁ばかり先を走る様にしてゆく利イ坊さまの後姿を涙にぬれた眼で見た。
 修三さまは、だまって傘をうけとると、そのままグングンと大股で利イ坊さまの方へ歩いて行った。
「利恵子ッ!」
 突然、しかも怒気をふんだ修三さまの声に、利イ坊さまはギクッとしてふりかえった。
「又、いじめたナー」
 物凄い修三さまのけんまくに、利イ坊さまはだまって目を伏せて了った。こう云う時の修三兄さまの怖さはよく知っている。どんなヤンチャもイタズラも笑っている兄さまだけれど、勝手な意地悪な我ままだけは決して許さない兄さまだ。
 戸田さんは、二人の危い雲行きを見ると、
「じゃア、さよオなら―」と、電車路の方へ引きかえして行って了った。
「あやまるんだ。そして、お礼を云って、この傘をさして帰るんだ」
 どうなることか、と心配しながらオドオドと近寄って来たチビくんの前に、修三さまは利イ坊さまのベレエ帽のあたまをおしつけて、ピョコンとお辞儀をさせた。
 ワッと、泣声があがった。利イ坊さまも泣きだした。そして、チビくんも泣き出した。





  3

 ミゾレの日のことがあってから、チビくんは今までよりももっともっと修三さまが好きになった。利イ坊さまとは仲よくしようと思っても、利イ坊さまの方でよせつけないのであった。
 修三さまが、病気になった。丁度、暮の忙しい時で、その上おまけに奥さまの年寄ったお母さまが急病で、奥さまはとるものもとりあえず至急お国へお帰りになった。
 その夜は、みんな心配と不安と淋しさで、気ぬけした様だった。修三さまは明日一日でおしまいになる試験の勉強をするために、二階のお部屋に引きこもったきりだった。利イ坊さまも静かに本を読んでいたが早く寝て了った。お母さまにも兄さまにもはなれて、一人ションボリ勉強部屋へ寝に行く姿を見た時、チビくんはたまらない同情を感じた。
 ―夜中だった。本当はまだ十一時前だったのだが、一寝入したチビくんにはそう思えた
「初子さん、すみませんけどね、お医者さまへ行って来て下さいナ」
 お手伝いさんのみねやがあわただしくチビくんをゆり起した。修三さまが急にお腹が痛くて大変だ、と云うのである。金盥(かなだらい)をもってったり、水枕を探したり、みねやは大変だった。
 寒いのもねむいのも忘れて、チビくんは、真暗な路をお医者さまにかけつけた。お医者さまは寝ていて中々起きてくれなかった。寝巻の上に羽織を来た丈(だけ)のチビくんは、ガタガタふるえた。しかし、歯をくいしばりながら何度も何度も戸を叩いて、声をかけた。
 お医者さまがいらして診察なさる間、チビくんは眼(ま)ばたきもしないでジッと、修三さまの顔とお医者さまの顔を見くらべていた。
 修三さまの病気は軽い胃ケイレンだった。あんまり勉強がすぎて、消化力の方がお留守になって了って、故障が起きたのだった。
「お母さまの留守に、主人役が病気になっては駄目じゃないか」
 年とったお医者さまは、蒼い顔をして寝ている修三さまを、元気をだす様にこう云って笑った。お医者様が笑っていらっしゃる様なら、修三さまの病気も大した事はない、…とチビくんはホッとした。気がつくと、何時の間に起きて来たのか、これも白いネルの寝巻の上に羽織をひっかけたまンまの利イ坊さまがピッタリとよりそって、同じ様に心配相に修三さまを見つめて居るのだった。
「もう大丈夫だヨ。みんな寝ておくれヨ」
 元気そうに修三さまは云った。
 心配なオドオドした顔をしているチビさん達、そんな恰好でいつまでも起きていると、風邪を引くぞ、それこそ大変じゃないか!―それでも利イ坊さまもチビくんも動かなかった。利イ坊さまはブルブルふるえて居る。それがハッキリよりそわれて居るチビくんの身体に、つたわって来る。―
「よオお寝(やす)みヨ、いいんだヨ、もう―」
 だまぁって利イ坊は立上がった。お兄さまに怒られるのが怖さに、しかし、襖にピッタリとくっついたまま動かない。
「どうしたんだイ?―オイ、みねや、利恵子をねかしておくれヨ、きっと先生寝呆けてるんだよ―」
 修三さまのフトンの足許へユタンポを入れて居たみねやが、利イ坊を抱く様にして部屋を出て行った。
「チビくん、いいよ、寝たまえ。みねやがここで寝てくれるから…」
 チョコンと枕元に坐っているチビくんを見て又修三さまは(少し厄介だなア、子供ってもンは、中々ねないで、と云う気持で)云った。
 チビくんは一晩中、修三さまの枕元でお世話がしたかったけれど、そう云われてスゴスゴとお部屋を出た。お廊下の角で、利イ坊さまをねかしつけて来たらしいみねやに逢った。
 勉強部屋の前―かすかな泣き声、チビくんははつと立止った。
 利イ坊さまが泣いている!さっきあんなにグズグズしていたのは、ねぼけたんじゃなくて、一人で寝るのがさびしかったのだ。
 チビくんも、つと考えた。みねやが修三さまの御部屋に寝に行って了ったら、チビくんもたった一人だ、広いお茶の間にたった一人!

 翌朝(あくるあさ)―
 あんなにひどかった胃ケイレンもそのまま夢の様に直って、サッパリした気持で、洗面場に立った修三さまは、みねやによびとめられた。
「―フトンは残っていて、姿がないんでございましょ、あたし、びっくりしましたワ。初子さんたら、マア、利イ坊さまンとこへ―」
 修三さまは、勉強部屋の障子をあけて、中をソッとのぞいて見た。
 そこには、赤いメリンスのおフトンをかけて、利イ坊さまとチビくんがシッカリと抱(いだ)き合って、スヤスヤと寝て居るのだった。
「いい子だナ―、チビくんは―」
 修三さまは、何だか自分まで嬉しくなって二人の幼い少女の安らかな寝顔を、シミジミと、もう一度眺めた。



 帰れテリイ

  1



 テリイが仔犬を生んだのはクリスマスの頃だった。
 いつもお台所の戸をガラガラとあけると、待ちかまえていたようにうれしそうに、ワンワン吠えながら足許へすりよって来るテリイの姿が見えないので、チビくんはオヤと思った。
 その朝は霜のひどい、日もよく晴れたとても気持のいいお天気だった。
 いつもの様に裏庭へ出て、深呼吸をした。
 これは修三さまの御仕込みである。清々しい朝の空気の中での深呼吸は、三十分のラジオ体操に数倍マサれり、スベカラく汝深呼吸をせよ、と云うのが修三さまの主義である。
「それに背ものびるよ、きっと。身体も丈夫になるし、背ものびるし、君、すばらしいじゃないか!」
 背がのびる、その言葉がチビくんを深呼吸党にした。毎朝毎朝一生懸命にノビ上る様に深呼吸をする、チビくんの楽しい希望である。
 ドウゾ、背がのびます様に!今朝もまたそのおイノリと共に深呼吸をすます。でもテリイはまだ来ない。いつもなら足へまつわりついて深呼吸の邪魔になるぐらいだのに!
 どうしたんだろう?チビくんは真白に降りた霜をサクサクとふみながら、テリイの小屋へ行った。
 テリイは小屋の中に居る。茶と白とブチの背中が入口から見える。
「テリイ!」
 いつもならとんで出て来るのに、今朝は一体どうしたんだろう、とんで出て来るどころかワンともクンとも云わない。
 小屋の前にしゃがんで、のぞきこむと、
「ウウ―」
 テリイはうなるのだ。仲よしの大好きのチビくんが来たと云うのに!
 見ると、背中を丸くして顔だけこっちへねじむけて、うす暗い小屋の中で、まるで何か怖しいものでも来た時の様に、怒った顔に、「ウウー」と、又、うなる。
「オイ、チビくん、台所でみねやが呼んでるよ」
 手拭を首にまきつけて歯ブラシをくわえた修三さまが、いつの間にかチビくんの後に立っていらした。その声を聞くとテリイは、又一きわ高い声で、イヨイヨ危険がせまった、とでも云い相(そう)な声でウウウ、とうなった。
「アレ、どうしたイ、テリ公!」
 修三さまはしゃがんでのぞきこんだ。しゃがんでのぞきこんだ。
「ヤア、こどもを生んだア!」
 トン狂な修三さまの声に、チビくんはハッとして、あわてて又のぞきこんだ。
 なる程、テリイは仔犬(こども)を生んだのだった。
 気がつかなかったあっち向きのテリイのお腹のあたりに、白や茶の小さい塊がモゴモゴとうごいて居た。道理で、今朝はテリイがお台所へ来なかった筈だ。
「一匹、二匹、ヤ三匹だ」
 修三さまは手をつっこんで仔犬をコロコロとうごかした。
「ウーワンッ」テリイは必死に吠えたてて、その手にかみついた。
「ア痛てて、チェッ、物凄えな、テリ公奴(め)!急に母性愛を発揮しやがんなア」かまれた手を二三度ふりまわして、手拭でゴシゴシ拭いた。
「アレッ血が出てきやがった、ウワーイ、メンソラだ、メンソラだ!」
 チビくんはあわてて、お台所へとんで行って棚の上のメンソラをもって帰って来た。
「どうしたの?奥さまと利イ坊さまと、何事か、と云う顔つきで裏庭へ出ていらした。
「テリイが子どもを生んだんだよ。出してみようと思ったら、いきなりワンとかみつきやがんのさ」
 修三さまはいかにも口惜しそうである。
「見たいわ、お兄さま出してみせてよ」
 利イ坊さまはお鼻を鳴らした。
「よせやい、二度も三度もかみつかれてたまるかい。君やってみたまえよ、君なら大丈夫かも知れない。僕、ふだんいじめてばっかり居るからな―」
 利イ坊さまはしゃがんで恐る恐る手を出した。
 ウ、ウ、テリイはうなる。ビックリして利イ坊さまはとび上った。
「およしなさい、今はだめよ、テリイの気が立っていますからね」
「何故気がたつんだい?」
 修三さまは奥さまの顔を見た。
「何故でも、気が立っているんですよ。子どもをとって行かれると思ってね」
「とって行くつもりじゃないンだがナ、一寸見るだけなんだがなアー」
「ホホ、そんなこと、テリイにわかるもんですか」奥さまは、口をとんがらかしてかまれた手の甲をさすっている修三さまを見て笑った。
「とに角、怪しからん、人間様の真情をゴカイして、コトワリもなしにイキナリかみつくとは、オイ、テリイ、覚えて居れよ、このウラミは必ずかえすからナ」
 修三さまは肩をそびやかしてザクザクと霜の道を大股で台所へ行って了った。学校では柔道剣道拳闘と、その道の豪傑と云われているのに、たかが小ッぽけなフォクステリアのテリイにイキナリ不意打ちをうけて、ムネンの負傷をしたのが、大変お気にさわったらしいのである。それと云うのも、テリイが今まであんまり修三さまにおイタばかりしていた罰かも知れない。裏庭に干しておいた修三さまのゲートルを泥ンコにしたり、竹刀の柄糸(えいと)をかじったり、靴を汚したり…修三さまは、そう云う点ではテリイを目の仇の様にしていたのだから、今度と云う今度は、ガゼン、怒って了ったのもムリもない―。


  2

「お母さま、明日、松平さんと戸田さんが犬をもらいにいらっしゃるんですって」
「そう、どれをあげるの?」
「もち論、パールをぬかしたあとの二匹よ、パールはいくらお仲よしの戸田さんにだって差上げられないわ」
 お正月の楽しいお休みもすんで、学校がはじまったばかりの日、お夕飯の時に、利イ坊さまがテリイの仔犬の事をもち出した。
 テリイが生んだ三匹は、一匹は羊の子の様に真白なの、あとは丸で反対に真黒なのが二匹である。
 利イ坊さまは羊の子の様に真白なのが大のお気に入りで、早速ならいたてのホヤホヤの「真珠(パール)」と云う名をつけた。
「オイ、一寸待てよ、あとの二匹って云うとクロ助とクロ兵衛かい、御冗談でしょ、クロ助の方は、僕の組の加藤にやる約束になってるんだぜ」
「アラ、ずるいわ、お兄さま、そんなお約束、勝手にして」
「勝手なもンかよ、君こそ勝手じゃないか、二匹とも約束して来るなんて」
「だって、テリイは、あたしの犬よ」
 利イ坊さまはベソをかきながら云う。なる程そう云われると修三さまはグッとつかえた。
 テリイは、アメリカへいらしたお父さまが、お友達の所から利イ坊さまのために、もらっていらっしたのである。
「キ、君の犬にしたって、僕のものをメチャクチャにするじゃないか」
 とんでもない所へリクツをもって行った。
「イタズラの事なんかあたしが知った事じゃないわ」
「だからさ、たとえ君の犬にしたところで、損害は僕の方がひどいんだから、だから、―」
「もういいじゃないの、又喧嘩になりますよ」
 おつゆをお椀に盛りながら、奥さまは一寸たしなめるようにおっしゃった。先刻(さっき)から奥さまの横で御飯をよそいながら、チビくんも二人の口争いをハラハラしてきいて居た。
「だから、一匹位、こっちの勝手にしたっていいわけだ、って云うんだよ」
「そんなわけないわ」
「あるよ、損害賠償だ、立派なもんだ」
「ホホ、修三さんの理くつは随分立派なえ、よござんすよ、一匹位、ねえ、お兄さんのお友達にもあげるでしょう」
 奥さまはやさしく利イ坊さまにおっしゃった。
「だって、あたし、困るわ、だって、戸田さんにはもうズッと前からお約束したンだし、松平さんはテリイが赤ン坊の時からほしがってらしたのを、テリイが仔をうんだらそれをあげるって、お約束しといたんですもの」
「何も家のテリイばっかりが犬じゃないよ、何だってそうテリイばっかりねらうんだ」
 修三さまは大きな口をあいてロールキャベツをアグリとほほばり乍ら、モグモグと憎まれ口をきく。
 本当にそうだ、とチビくんも思う。戸田さんにしても松平さんにしてもどっか他のところからお貰いになればいいのに!…と。あんな我ままなお嬢さんの家へもらわれて行っては、クロ助もクロ兵衛も可哀想だわ―と思う。
「明日、戸田さんと松平さんがいらしたらそう云って、どっちかにクロ兵衛ちゃんをおあげなさいナ、ね」―奥さまは慰め顔にこうおっしゃった。
「どうしても二人ともほしいッてば、パールをやるんだ、そしたら丁度みんな片付いていいじゃないか!」
「いやよ、パール、やるもんですか。パールやる位ならテリイをやっちゃうわ」
 利イ坊さまはおハシを降して、本格的の喧嘩の態度である。
「何、テリイをやる?―ワア、面白いや、やれるもんならやって見ろ。僕はセイセイするよ、あんなイタズラ犬の物騒なヤツ、居ない方がサッパリしらア」
 チビくんはびっくりして修三さまの顔を見上げた。テリイをやっちゃう、セイセイする、チビくんにとってはマサに青天のヘキレキである。いくら喧嘩のなり行き上とは云え、修三さまの言葉は、チビくんには例え様もない悲しさをドカンと叩きつけた。
「マアマア、喧嘩はおやめなさい、御飯がこなれませんよ」
 奥さまは困ったと云う様な顔をなすった。
 御飯がすむと、修三さまは、傍にある夕刊をもつと、ドタンバタンと足音高く二階の勉強室へ上って行って了った。利イ坊さまは怒った様な顔をして、奥さまの傍で手工をやりはじめた。
 お台所でみねやと片づけ物をしながら、チビくんの心は、テリイの事で一杯だった。
 テリイ、テリイ!いたずら犬で元気なテリイ!随分困ったおイタをやってチビくんをいじめた事もある。チビくんも憎らしくて蹴っとばしたり叩いたりした事もある。
 生れた仔犬も小さくて可愛いけれど、チビくんはやっぱりテリイが好きだ。
「ねえ、もしテリイが貰われて行くと、子どもが困るでしょう」とチビくんはお茶碗を拭いているみねやにきいた。
「大丈夫よ、だってテリイが居なくなっても、仔犬がもらわれて行っても、同じわけじゃないの…女犬はうるさいのよ、仔犬を生んで。これから又テリイが生みはじめるとそりゃおしまいに困っちゃうでしょうよ」
 みねやまでテリイの居なくなるのを喜んで居る様な口ぶりである。チビくんはガッカリして了った。
 翌朝(あくるあさ)、家を出る時に、修三さまは家中ひびきわたる様な大声で、
「いいか、クロ助は加藤のとこへやるんだよ、もう売約済みなんだからな。今日帰りに加藤を連れて来る、いいだろうね、シカと申し残すぞ」
 利イ坊さまはプンプンとしてすまして御飯をたべていた。奥さまが笑いながら答えた。
「ええ、よござんすよ、そんな事いつまでも云ってないで早く学校へいらっしゃい。何ですね、大きななりをして。中学生じゃありませんか、小学校の子と一緒になりませんよ」
「そうです、全く、中学生と小学生は一緒になりません。ダン然中学生の方が権利があるんです。いいか、利恵子、君は小学生だ、中学生の僕とは一緒にならんぞ、―行って来まあす―」修三さまは意気揚々と学校へ行って了った。
「あの、テリイ、やっちゃうんですか?」
 お昼御飯の時、ソッとチビくんは奥さまにうかがって見た。
「さア、そんな事云ってましたね。もし戸田さん達がもらって行って下されば、連れてっていただく方がいいじゃないの、これから度々子供が生れて、その度にお嫁入り口の事でさわいでたんじゃたまらないものね、―それにお嫁入り口だけの心配ならまだいいけど、ウッカリ死なれたら、可哀想だしね」
 奥さまもみねやと同じ様な事をおっしゃる。
「それにパールは男だし、あれをおいとけば利イ坊の気もすむし…」
 奥さまの後の言葉をきき乍らチビくんは、ポトリ、と、お膳のふちに涙を落した。

  3

「こちらよ、こちらへお廻りになって」
 利イ坊さまの声につづいて、ランドセルを背負った戸田さんと松平さんが、各々(おのおの)お供のお手伝いさんをしたがえて裏庭へあらわれた。
「ホラ、これがパールwよ、すてきでショ」
 柿の木の根元で日向ぼっこをしているパールを抱きあげて、利イ坊さまはおトクイである。
「じゃあたくし、テリイいただくわ、私もとッからテリイ大好きなの、あの茶と白のブチが、もう先ジステンパーで死んだアリスにソックリなんですもの」
 松平さんは、学校でもうお約束ずみと見えて、はじめっからテリイを連れて行くつもりである。
「あたくし、これ、ね」
 戸田さんはクロ兵衛を抱っこしている。
「ええ、そうヨ。クロ助はね、ホラ、さっき学校で申しあげたでショ、お兄さまの方へあげるの…」
「一寸でいいからそれも見せて下さらない?」
「ええ、御らんになるだけならいいわ、きっとテリイの小屋の中に居るのよ」
 利イ坊さまと戸田さんは犬小屋をのぞいて、「テリイ!」「クロベエちゃん!」と呼んだ。
 しかし、小屋の中はカラッポだった。
「みねや、テリイとクロベエちゃんは?」
 利イ坊さまの甲高い声が台所へ走った。
「さあ、―クロい方はさき程、お兄さまとお友達が連れて原っぱの方へいらっしゃいましたけれど…」
「変ね、テリイ、一寸も子どもの傍はなれないんだけど…」
「チビくんは?」
「お昼御飯がすむと、栄屋(さかえや)へ買物に行ったんですけど、どうしたんですか、まだ帰りませんのよ」
「マア、いやだ、あの子が居るとテリイの居所も大ていわかるんだけど…」
「テリイ、尾いてったんじゃなくて?」
 戸田さんが云った。
「そうだわ、きっと。マア憎らしい!丸で自分の犬みたいに思ってるのよ、―いいわ、帰って来たらすぐひったくってやりましょうねえ」
 イジワルさん達は、お縁側で今か今かと、チビくんの帰りを待って居た。
 デパート栄屋のエレヴェーター係の小父さんは、先刻(さっき)から一人の女の子に目をとめて居た。
 その子は赤いメリンスの羽織を着た小さな子だった。一等はじめチョコチョコと小父さんの前へ来て「お砂糖ツボは何階ですか?」ときいた。「五階ですよ」と答えると、丁度停まったエレヴェーターへトコトコかけこんだ。つづいて何か白と茶色のものがエレヴェーターに走りこんだので、見ると、それは小さなテリア種の犬だった。
 空いて居たのでエレヴェーターは女の子と犬をのせてスッと上へ昇って行った。
「今の女の子、犬と五階へ降りたわ」エレヴェーターガールは降りて来ると、ニコニコして小父さんにそう報告した。
 それから一時間ばかりの間に、その女の子は三度も四度もエレヴェーターで降りたり昇ったりした。段々人が混んで来るので、女の子は犬をだき上げた。犬はエレヴェーターが動くたびにピョンピョンはねたり、クンクン鳴いたりした。段々スシ詰めになって来て、小さな女の子はどこの居るか存在がわからなくなった。所が前の人の背中で圧(お)されて苦しまぎれに抱かれた犬が、ワン、ワンと大きな声で吠えた。皆はびっくりし、一様にふりむいた。そして同じ様にほほえみを浮べた。
「お嬢ちゃん、ほんとはエレヴェーターの中へ犬はのせてあげられないンですけどね」七度目にその女の子が降りて来た時、小父さんはニコニコしながら云った。
「ごめんなさい」女の子は恥しそうな顔をしてあやまった。
 そして出て行くのか、と思うと、今度はやはり犬を抱いたまま、トコトコ階段を昇って行った。
「さっきのチビくんね、あの子、もう帰ったかと思ったら、屋上公園に居たの、犬とあそんでたわ。―お使いに来たんなら早く帰んなきゃだめよ、と云ったら、帰ると大変だととても心配相な顔して云うの、何でしょう…」
 交代で屋上公園へいい空気を吸いに云ったエレヴェーターガールが、又降りて来て、小父さんにそう云った。
「さア、大方、家でおいとかないって云う犬でも可愛がってるんだろう…」
 二人は顔を見合わせてほほえんだ。


  4

「ア、帰って来たワ、今ごろ。何してたのヨオッ?」
 真暗になってからヤッと帰って来たチビくんを見るなり、お玄関で、利イ坊さまはカンカンになって唇とトンガラかした。黙ってうなだれたまンま、チビくんは足許で無心にクンクンと鼻を鳴らしているテリイの頭をシッカリと抱きこんだ。
「あんたがいくらやりたくなくったってダメよ。テリイはあたしの犬ですからね」なおも云おうとするのをさえぎって奥さまは優しく、
「テリイをやるのがいやで、道草してたの?今迄どこにいたんです、栄屋?」
 チビくんはコックリした。眼には今にもハラリとこぼれ相にいっぱいの涙が!
(いじらしい子!)奥さまは何かしら胸にグッとこみあげて来るのを感じながら、
「でもネ、折角利恵子松平さんに差上げるってお約束をしたんですからね…。私も何だか可哀想な気がするけど…」
「サ、早くッ、連れてって来て頂戴。松平さんとても怒っておかえりになったわヨッ」
 でも―チビくんは一層シッカリとテリイを、どうしてもはなすまいとする様に抱きしめるのだった。
「ヨシ、僕が連れてってやる。オイ、チビくん、あきらめろヨ。何だ、こんな犬…。オイ、テリイ、来いッ!」
 先刻(さっき)からお玄関の障子の蔭に立っていた修三さまはマントをひっかけて、ワザと威勢よさ相に外へでた。
「テリイ、来いッ、こっちだ!」
 無心のテリイは何も知らずにか、チビくんのふところをすり出て、修三さまのあとへ―
 段々、修三さまの声とテリイの吠える声が遠くへ行く―それをきいている中に、チビくんはたまらなくなって、ワッと泣き伏して了った。利イ坊さまはそれを見ると自分もベソをかき相になった。利イ坊さまの顔を見乍ら奥さまは(やっぱり、テリイを可愛いにちがいない、この子は後悔してるのだ)とお思いになった。
「ヤレヤレ、大変なのさ、僕が門を出て来るとチャンと先まわりして待ってんのさ。とうとうお手伝いさんと書生がヒモで結えちゃってね。やっととんで帰って来たんだよ」修三さまは、帰って来るなりこう云って、フウッと呼吸(いき)をついた。
「帰って来るかも知れないわね」
 利イ坊さまが小さな声で云った。
「ウン」修三さまは一寸暗い顔でうなずいた。
「だって迚(とて)も家に長く居たんですものね」
「何だ、テリイをやった事後悔してんのか?」
 修三さまは勢よく立上った。
「帰って来たら、又連れてくさ。それでも又帰って来たら…」ガサガサガサ、バタバタ、お縁側で大きな音がした。ハッとして修三さまは障子の方へ行った。それより早く、次の茶の間からチビくんがバタバタととび出して来て、障子をあけた。
 テリイだ!手水鉢のところだけ一尺程あけてある雨戸の間から上ったと見え、廊下を泥足だらけにして、開いた障子の間からとびこんで来て、チビくんの懐中へマリの様にとびかかった。引きちぎって来たらしく、二三尺の長さの泥だらけのヒモが、首から垂れて、畳の上に引きずられた。
「テリイ!」
 みんなが、一斉にテリイのところへとんで来た。
「やっぱし、帰ってきたわ」
 勝った者の様に、チビくんは眼をきらきらさせながら叫んだ。 

コラム2 (少女の友 昭和9年)

2011年09月20日 | コラム類
御存じですか                             
       少女の友 よみもの 昭和9年6月号

バラを蕾のまゝ長く保(も)たせる法(はふ)



 いよいよ花のシーズンになりました。中でもバラは皆さんから可愛がられる花ですが、何しろ盛りが短いので、知らない間にバラバラと花瓣(くわべん)が散ってしまひます。
 バラは半開の蕾の時が一ばんいゝですネ。どうしたらつぼみの時期を長くたのしめるか面白い工夫がありますからお試みになつてごらんなさい。
 花屋さんからお求めになる時、或はお庭からお切りになる時、なるべく六部咲き位の蕾をえらんで水揚は普通にし花瓶に合せて切り、その切り口を五分ほど焼いておきます。それは従来と何の變りもありませんが、お庭の垣根などをさがせば必ずクモの巣が二つや三つは見つかります。クモの巣は無色で細いものですからこの絲をそつとつまんで、つぼみにクルクルとからませます。外観を少しも損しないで丁度いいつぼみのまゝで最後まで樂しめます。

牛乳はかうして召上れ

お腹が空いてゐるからといつて、一氣にぐつと飲み下すのはよくありません。空腹時(くうふくどき)は胃の中にたまつてゐる鹽酸(ゑんさん)のために凝結物(こけつぶつ)を作りますから、消化程度を悪くします。で少しずゝゆつくり召し上るのがよろしいが、ビスケツトやパンなどを浸(し)めして一緒にのむ方が胃のために具合がよろしい。
 これからは苺が澤三出ますから、苺にかけて召上る方が多いやうですが、苺の酸のために凝固しますから、ほんたうは感心しません。
 又牛乳を温めると上に薄い幕様のものが出来ますが、これは脂肪分で滋養が多いものですから取り出して捨てたりしないで召し上がれ。

小豆の煮方

 小豆はなかなか煮るのに時間がかゝるものですが、大根の尻尾を一寸位切つて入れて一緒に煮ますと、役半分位の時間でやはらかく煮上がります。尚昔から小豆には、馬鹿水と云ふやうに、煮立てば少しづゝ水を幾度も差しますが、はじめからどつさり水を入れて煮るよりも、ちよいちよいと水を差す方が早く柔かになるから不思議です。

眼にゴミの入つた時

 道を歩いてゐる時、風で、よく眼の中にゴミが入ることがあります。又汽車の煙の中に混つてゐる灰がらのやうな小さなものが入つて困ることがあります。こんな時には、決して、ヒドク擦つてはなりません。ゴミや、石灰の粉や、砂、小蟲(こむし)などは、眼に入つても、しばらく閉ぢて、じつとしてゐますと、自然に泪が出て来て、眼頭の方へ流れ寄りますから、その時、ソツとハンカチの端でとりのぞきます。又なかなかとれさうにない時は、瞼の上に薄荷水(はつかすゐ)を少しぬつてごらんなさい。泪がポロンポロンと出ますから流れ出します。又はつか水のない時は、冷水の中へ眼を伏せてパチパチと開いて洗ひ去る方法もあります。
 焼けた小鐡片(せうてつぺん)や溶けた鉛、マツチの燐などが入つて眼球に焼きついたのは、冷水で濕した手拭がハンカチ等で抑へて痛みを和らげ乍ら眼科醫へ行きます。もしも、酸類とかアルカリなどのやうな強い腐蝕の薬品などの飛び込んだりした場合は、手早く澤三の冷水で何度も何度も洗つて早速お醫者さんへとんで行きます。入つた直ぐにどんどん水で洗はないと、他の部分まで悪くなつたりする事があります。

香水(かうすゐ)の見分け方

 香水はおしやれの人が使ふものと考へてゐる方がまだあるかもしれませんが、必ずしもさうではありません。あまり毒々しい下品な香(かをり)をさせるのは返つてよくありませんが、これから夏向きになつて汗などのいやな體臭(たいしう)を遠慮なく發散させるのは身だしなみのない方です。よい香水を、ほんの少し、ハンカチや下着などに、かすかに、つけておくのは大變感じのいゝものです。香りはお好みによつて異りませうが、必ず、新鮮な、丸味のある薫(かほり)のものがよいのです。天然の花の香(にほひ)に近いものをお選び下さい。
 香水瓶の蓋をとつて、手の肌にこすつて、アルコールを蒸發させ、その後に残つた香をかひで見て、ツーンと鼻をつくのはいけません。丸味のある上品な香りを残すのがよろしい。又香水は渇いても褐色にしみの付くのは定着剤(香を長く保せるための薬品)が多過ぎるので、あまりいゝ香水とはいはれません。

読者文芸 (少女の友 昭和13年)

2011年09月20日 | コラム類
少女の友 読者文芸 昭和13年 3月号



    少女の友記念時計贈呈    埼玉 幽菫
 少女の友昭和十三年第三號の記念時計を、幽菫(かすみすみれ)さんに贈呈致します。幽さんは主に詩壇に活躍され、毎號そのけんらんな詩才は美しい珠玉を以て詩壇を飾り數多き友だちの憧憬の的となつてゐられました。優れた詩才はむしろ最近老成の形にまで近づかうとしてゐましたが、今此處で早く形を作ることなく一層御精進の上大成の日あることを切に期待申上げます。
 今此處に多年の功成つたことをお祝ひ申し上げる共に此のお室(へや)のお一人として一層お輝きなさいませ。

    よろこび   京都 野原あき子
 こんなに素晴らしいクリスマスプレゼント。先生。本當に有りがたう存じました。嬉しくて嬉しくてたまりません。たゞそれだけ。遠いあこがれのお部屋、などと思ふよりも寧ろ無関心でなければいけないやうな私でしたのに―。
 十四の夏に初て、九鬼洋子の名で、
  名も知らぬ私の好きな白い花に
  蝶がとまつたので嬉しくなつた
 と言ふ幼い…でも、今の私にとつてはもう忘れることが出来ないものが賞に入つてから、友ちやんの訪れとお投書することが月々の大きな喜びでございました。不才な子は先生や皆様にあたゝかく見守られてやつとこゝまで参りました。来月から何にもお投書出来なくなつて寂しいと思ふのは贅澤ですね。お姉さまたち、よろしく。あき子、まだあんまりお姉さまぶれませんので、これからどんなことを書かうかしら、と心配でうれしくて胸がふるへてをります。

     無題     東京 若松不二子
 毎日私は思つてゐる、色々な事を。「考へて何も得られないで疲れるより、むしろ何も考へない方(はう)がよい」こんな文句を何處かで見たと思ふ。それなのに私は考へては頭を前より一層混亂させてやめようともしない。
 内山先生の「行くものをして行かしめよ」のお言葉、今の私にはとても嬉しいもので御座いました。
 どん底のルイジューヴェ 還俗(げんぞく)したお坊さんの様に思はれて仕方がありませんでした。第一印象つて恐ろしいものですわね。一番好き、と言ふには高過ぎる様にも思ひますけど好きですの。ボアイエは二番目でございます。

    病み臥りつゝ  兵庫 銀河
 臥(こや)りつゝ本読む手先冷え来れば渡河(とが)につめたきクリークをおもふ
 いくさ思はせ近づきて来る爆音にこゝろ襲はれ本読みさしぬ
 重々と空揺すり来る爆音に読み聞きしかずかずの犠牲(いけにへ)おもほゆ
 たゝかひのひまに秋草摘みあそび寫眞を見つゝ涙堪へかぬ
 咲きさかる菊に埋れてつはものゝうつれる姿静かなるかな
 臥りつゝ音のみ聞きて夜空に咲く祝勝の花火胸にゑがけり
 祝勝の提灯行列通るなり病臥(べつと)を下りてこよひ我が見つ
 提灯の列は明々(あかあか)と流れ行きぬ 去り惜しみつつ窓を離るゝ
 城まさみ様青柳レイ様昨年はお見舞ひ有難うございました。遅くなりましたが心から御礼申上げます。久美みちこ様星影さやか様どうぞ御返事の御心配なく、それよりもお體をお大事に。緋臘珠(ひらふじゆ)様誰方(どなた)かしら、前から美しいお名と思つてをりましたの。お尋ねの事は先生のお答へのとほりです。野原あき子様お祝ひ申上げます。一層お輝き下さいませ。

    春を迎へて    兵庫 松井敏美
 つとむれど歌にならざり我が想ひ春はくれども冬枯るゝ心はも
 うつせみはすこやかにして春迎ふれど心になほも木枯狂ふ
 逝きし日の夢想はんと久々に提琴(ていきん)にふれし今宵うれしき
 〝白菊″静かな御作、大好きでございました。千草様では?
 月江様、御元氣の御様子で嬉しうございました。貴女より年だけはずつとずつと大きいんですけれど何にも出来ませぬ私、御一緒に御勉強させて頂ければと願つて居ります。いつぞや内地へお歸りの節、お會ひし度(た)うございましたが―。

    幾何    東京都 城まさみ
 息をついてもゆるがない光。そのやうに、冴えた月の夜、無性に幾何を解きたいと思つた。星が流れると、銀色の直線が残る。幾何の感覚であつた。だが、私の教科書は、本棚の奥で、灰色にほこりをかぶつてゐた。
 私は悲しく、咽喉のつまるせつなさで、うす汚れたその表紙を、胸にいだくのであつた。
 内山先生、樂しい友ちやん會有難うございました。昔から尊敬してました蘭青たゑ様や白妙様六條様もお見えになつて嬉しく思ひました。渚の灯(ひ)様、ゆつくりお話がしたかつたのですけれど。北祥子様、再びお目にかゝれました事を喜びます。お氣が向く様になりましたら是非御作お見せ下さいませ。澄玲(すみれい)様、誌上で葦原さんの御話、お待ちしてます。武村美子様、堀川英子様、お友達になれまして嬉しく。では皆様御元氣で。御機嫌よう。

    旅の憶ひ出   兵庫 銀月苑子
 懐かしい筑紫の旅を思ひ出すこの頃。
 雲仙の絹笠山の頂上に足をなげて有明の海に見入ったひととき青草の緑がやはらかな線をゑがいて…こんもりと茂つた木(こ)の間(ま)から白い湯煙が六月の空にとけていつた雲仙国立公園、夕(ゆふべ)はホテルの窓邊からピアノがもれてゐる道を静かに去つた外人の姿をふりかへりつゝ山の道をあるいたものだ。切支丹の匂ひ懐かしい島原の湊(みなと)のさびれた景色が侘びしくも明るい胸に残つてゐる。
 次の日の熊本は雨でも雨にけぶつた熊本の町も好きだつた。ひこさんだんごと云ふ大きな字が何故か忘れられぬ、そして私達のバスを受けもつて案内して下さつた人が途中の博多の町のお人形とそつくりの美しい人だつた。綺麗だつたあの聲(こゑ)を今でもまねて見る私だ。しつとりと雨にぬれてゐた熊本の町を訪れる日がまたあるだらうかとおもふ。

ただ見る ささきふさ (昭和5年)

2011年09月20日 | 著作権切れ昭和小説
ただ見る ささきふさ (昭和5年『モダンTOKIO円舞曲』)




  蛾

 真昼の舗道で、私は、珍しく夫君と伴れ立った麻子夫人に行き合った。スポーツマンの時雄さんは、がっちりとした、見上げるような肩の辺に、二歳ばかりの女児の妙に深酷な顔を上下させていた。
「いつの間に?―」
 私は妙に深酷な女児の顔を見、それから夫妻の顔を代るがわるに見ていった。
「どちらに似てて?」
「そうね、どちらにも、―」
 似ていないといいかけてから私は、いうのではなかったと思った。影に似たものが、夫妻の顔を同時に掠め過ぎたからだ。すると私は急に、忘れていた一つのゴシップを思い出した。―麻子夫人は時雄さんとよりは、道家というダンス青年と踊ることの方が多い。」
 彼等とあっさり別れてしまってから、私は十九歳の、よくノートを借りに来た時代の彼女を思い浮べていた。彼女はその頃が肺病の第一期だったらしく、小麦肌なのだが不思議に澄んだ頬に、いつもぽっと美しい血を漲らせていた。女の美しさを私に最初に教えてくれたのは彼女だった。彼女は間もなく病気のために学校を退いた。それから「運動の為に」ダンスを習い出した。次いで「退屈をまぎらす為に」新聞社に入った。そしてスポーツマンの時雄さんと結婚した。だが二三年の間に、いつの間にか母となった今日の彼女の肌は、見違えるように蒼黒く濁っていた。私は整った顔立の彼女の何処からも、もう女の美しさを感じることが出来なかった。
 ―肺病は女を美しくし、それから醜くするものなのかな。それとも生活が、―私は私自身聊(いささ)か憂鬱だった。

 盥のお湯のぼちゃぼちゃの際に、
「お留守?」と張り上げた女の声が聞えた。庭先から呼んでいるらしい。私も湯殿の中で声を張り上げた。
「何誰(どなた)?」
「あたし。」
「麻子さん?」
「え、―」
「お珍しいのね。」
 私はもう一度声を張り上げて女中を呼んだ。
 手早く体を拭うて出て行くと、麻子はまだ庭先に立っていた。
「なぜお上りにならなかったの?」
「でも、―」
「お伴れがあるのじゃない?」
 彼女はもじもじとした。私は直ぐ女中さんに道家さんをお迎えして来いと命じた。
「でも、そうしちゃ居れませんの。実は今日はお誘いに、―。」
「これから、どちらへ?」
 夏の日はもう完全に黒く暮れている。
「藤原邸のダンスへ。」
「私をダンスに?」
「そう仰しゃるだろうと思ったわ。でもついご近所ですし、それにフィリッピインのジャズがとてもいいって話ですから。私達だって今夜は踊りに行くのじゃありませんのよ。」
「怪しいものだ。」と暗闇の中で男の声がした。次いで道家はパナマを白く浮しながら洋室の角から現れた。「しかし僕は絶対に踊りませんよ。」
「私だって、―」
「此お嬢さんのいうことは、あてにならないからな。しかし僕は、―どうです、踊らぬ仲間に、お出かけになりませんか。」
「ウォール・フラワーになりにね。」
「誰も貴女をウォール・フラワーだとは思いませんよ。」
「もうフラワーでもありませんものね。」
「どうや、―」
 道家は開いた上衣の胸の間で、パナマの縁をいじっていた。あれが道家だとホテルの前で教えられた頃の彼は、長髪を油でオール・バックにしたひどく気障なダンス青年だった。がその長髪もいつの間にか白い地が透いて見えるほど薄くなっていた。それと共に気障さも薄くなったらしく、今私の前にこころもち臆して立っている彼は、些(すこし)も反感をそそるところのない中年の紳士だった。
 私の家はごみごみした凹地の一隅に在る。が四辺(あたり)の高台は有名な、かと思うと名も聞かぬブルジョア達によって占領せられている。私は富の高低に土地の高低を加えて考えさせられるのが不快だったので、二階の窓は断然開けて見ぬことにしていた。だが彼等の生活の外郭は、開けぬ窓の戸の節孔(ふしあな)から、逆さになって朝の寝室へ闖入(ちんにゅう)して来る。寝起きの私の目に豆ほどの逆さな風景は、夢の続きのようで、うれしかった。
 道家の運転するクライスラーが、坂を上りきって一曲りすると、樹々の葉越しに輝く数層の窓が現れた。今しがた出た月の光を濾して白く浮いた雲の間で、お城のような高楼の外郭は、―正しくそれは豆ほどの逆さな風景の中の城だった。
 ―なるほど粋(すい)なジャズだ。
 サクソフォーンが階段を曲がったとたんに、雁皮紙(がんぴし)に当った時のような呻りを立てた、次いで床を擦る足の音が、ざあざあとひどく濁って幻滅的に響いてきた。私達は白手袋の下僕(しもべ)の導くまま、眩しい舞踏室の床を踏み、輪舞の外を抜けて奥の一隅に陣取った。
 此建築の内部は、やはり夢の続きのように豪奢を極めたものだった。が集った男女は決して夢の中の男女ではなかった。もう短すぎるスカート、音楽をこなしきれぬ脚、土の着いた靴底、―フィリッピイン等(とう)の六白の目には、無遠慮な軽侮の嗤(わら)いが浮んでいる。
 “Thats you Baby!”
 だが踊る男女は踊る事其事に夢中だ。
 楽士の壇の傍から、浅黒い、がっちりとした紳士が、直線的に私達の隅へやってきた。藤倉氏だなと私は直感的に思った。
「是非お出でいただきたいと思って、実は麻子さんにお願いした次第でした。」
 彼は、やはり浅黒い感じのバスで、直線的な口の利き方をした。是非お出でいただきたいは、是非踊っていただきたいの意であるのに違いなかった。が私はわざとぽかんとした顔で、是非お出でいただきたいをぜひお出でいただきたいとだけしか解し得ぬ風をよそおった。
 ふと私はイブニング・ドレスの肩に、莫迦にひやっこい風を感じた。風はさっと、寄木(よりき)の床を撫でて、向うの窓へ吹き抜けた。木立の向こうには、大きな雲が不隠な速度で走っている。芝生に落ちた明暗の斑点も、―私は危うく声をたてるところだった。ばさりとまともに私の顔を打つものがあったからだ。私は狼狽して窓から首を引込めた。ばさばさと、黒い蛾はシャンデリアの近くまで昇ったかと思うと、突然急な角度で描いて、踊る男女の上に落ちた。棄身な蛾の運動は、飛ぶよりは打当(ぶつか)って行く感じだ。腕を掠めて又一匹、又一匹、―蛾は豪奢な室内装飾を完全に無視して縦横に走った。踊る男女も亦(また)完全に蛾の横行を知らず踊り狂っている。
 “Thats you Baby!”は皮肉に終わった。音楽と共に踊ることを知らなかった人達は、音楽と共に踊り終える術も心得ていない。彼等はもう一度楽士の軽侮を買いながら、てれかくしに時外れな拍手の音をあげ、そしてさっさと自分達の席に引きあげて行った。あとは踏み荒された寄木の床と、踏みつぶされた蛾の屍の雑然たる舞踏場だった。蛾を踏んで、―私は慄然とした。
 ばさばさと、―窓外に聞え出したのは今度は蛾ではなかった。雨の湿気は湯上りの私の皮膚に滲み入る気がした。私は全身の皮膚でその湿気を吸いながら、一種放心状態で、もう一度踏み汚された寄木の床と、踏みつぶされた無数の蛾とを見ていた。
 
「藤倉さんとお踊りになったのですって?」
「まさか!」
「だって、藤倉さん御自身がそう仰しゃっててよ。」
 藤倉があの晩パートナーとしたのは、ダンス嫌いの私ではなく、踊らないといっていた麻子夫人だった。道家だけは彼自身の言葉を守って、最後まで踊らぬ仲間だった。が私は踊る麻子を見ている彼の目に或寂しさの漂うているのを見逃さなかった。果して、私の耳に入ってきたゴシップによると、麻子夫人は道家のクライスラーを棄てて、藤倉のパカードに同乗し出したとのことである。
 ―蛾だ、蛾だ。
 私は何故(なにゆえ)かいつも道家其人と共に踏みつぶされた蛾の屍を思い浮べる。


  隅の少女

 弱気な久我氏は酔うとなかなか愉快なやんちゃ坊主である。その晩も彼は旗亭(きてい)を出るなり、ダンスだダンスだと、きかなかった。不断が弱気の久我氏だけに、酔った時の彼の意に逆うことは私達には出来なかった。
「ホールは厭だな。」と誰かがいうと、
「K倶楽部を見に行かない?」とその会員になったばかりの少壮代議士がいった。
 何式というのか、とにかく統一のとれた建築の内部は、やはり整然とした、感じだった。三階の舞踏室では老年に近い壮年の紳士達が、此処でだけはさも自信がなさそうに、インストラクターに曳きずられて歩き廻っている。
「あれは今度函館から出た、―」
「H君は政友会だろう。」
「政友会も民政党も此処では、―」
「ダンスはインター・ナショナル、―インター・パーティーかな。」
 だが酔った久我氏はK倶楽部其物の圧迫から早く逃れたいらしかった。彼はとうとう其処では一踊りもせず、円タクを捕えて、フロリダだといった。
 ―芥(ごみ)、芥、芥。
 先ずぴんと来た感じはそれだけだった。いったい何人の二間が、―肺臓に故障のある私は、空気の善悪に対してだけは、ひどく敏感だ。いったい何人の人間が、何本の脚が、―ちょうどインターミッションだったので、ずらりと並んだダンサーの脚が、ホールの壁の腰張りに見えた。罷業の理由の一つに数えられただけあって、ずらりと並んだ脚も真に夥(おびただ)しい感じだったが、がらんとした踊り場のこちらにうようよしている男達の夥しさは、それとは段違(ダンチ)といってよかった。
 “Broadway Mrelody”が始まった。うようよしている男達の中から一人が勇敢に進み出ると、又一人、あとはどやどやと、―壁の裾に残されたダンサー達の顔には、期待と不安とがこんがらかっている。彼女等を拾いに行く男は、見物にとっても救いだ。
 久我氏は同行の映画女優瑤子君を切(しき)りに口説いていた。「ブロードウェイ・メロディー」は既に半ばに達している。
「ね、瑤子さん。」
 瑤子はしぶしぶ久我氏に従った。だが久我氏は踊り場に入るや否や、瑤子を口説いたことなどは忘れてしまったらしかった。彼は男達のうようよの中でまごついている瑤子の方は一顧もせず、まだ壁の裾に残っているダンサーの一人にレゾリュートな歩(あゆみ)を向けた。

 今度は振袖の断髪と久我氏が得意そうにタンゴを踊っている間、芥を吸うことに稍(やや)慣れた私は、ダンサー達の髪や服装やプロポーションなどを仔細に観察していた。仔細に同時に辛辣に、―こんな汗臭い雰囲気の中で、何で彼女と彼女と彼女とはスウェターなど着ていなければならないのか。およそ美的でないスウェターを。スウェターのダンサー、これも確かに復興東京の異観の一つであるのには違いない。―
 だが何という労働、臭い労働、―私の嗅覚は男の体臭や口臭よりは寧ろ機械油や汽船の臭気を堪え易く感じる。それに一回八銭とは、―私は思わず手廻りのものを一回のダンスの報酬で割ってみていた。
 靴下     五〇回
 靴      四〇〇回 
 手提     五〇〇回
 手袋     二〇〇回
 帽子     二〇〇回
 ペティコート 一〇〇回
 イヴニング・ドレス、外套に到っては、換算の限りでない。私は茫然とした。茫然とした私の目に、彼女等のお粗末なワン・ピースや田舎臭いスウェターは、決してもう見にくいものではなかった。すると私には、ロー・ネックのぴらぴらしたドレスをつけ、誇りげに踊っている二三のスターが不思議に思われ出した。其数を八銭において、彼女等は食べなければならない。寝なければならない。着なければならない。一枚のドレスの背後には、いったいどれだけのいたづきと、どれだけのやりくりと、どれだけの屈辱とが隠れているのであろう。私は既に Spleen Tokioの中にあった。
 曇った私の目はふと一点に止って、そして一杯に見開かれた。無心な下ぶくれの顔、鏝(こて)一つあててない頭髪、セーラー型の旧式なスェター。彼女はさっきからあの目立たぬ隅に坐ったままだったのだ。ダンサーの見習いか、彼女は男達の目にとまらないばかりでなく、朋輩のダンサー達からもてんで相手にされていない。孤独なダンサー。彼女の伏せた顔には、待ち設ける気持が微塵も出ていないだけ、好感ばかりが持てる。
「久我クン、久我クン。」
 私は人目を惹くことも忘れて思わず大きな声を立てた。きょときょとと近付いてきた久我氏に、私は是非あの少女と踊ってやってくれとせがんだ。
 臆しがちに立上がった少女は、少しの遊び気もなく、習った通りのステップを踏んでいた。ダンス振りまで楚々たる感じだ。私は何か涙に似たものを呑み下しながら、彼女がいつまでもあのスウェターを着ていてくれればいいと思った。

 次に行った時隅の少女は、―それを書くことは十九世紀の巨匠達に委(まか)せておくことにしよう。私は、―私は昨日ダンス・ホールのマネージャーをしていた伊沢さんにふと偶った。伊沢さんは私の兄の同窓で、女と聞いただけでも涎を垂しそうな男だった。
「愉快だったでしょうね、貴方のことだから。」
「皮肉なものですよ。女達をずらりと前に並べて、僕が訓示を与えるのですからね。」
「聞きたかったわ。」
「新時代のダンサーたるものは、よろしく職業的自覚をもって、―すると不良組が僕の方に秋波を送るのですよ。こいつ僕の弱点を知ってるのかとひやひやしましたがね。実は向うは純然たる職業意識でやっているのですよ。マネージャーさえ抱きこんでおけばとね。大きな誘惑でしたよ。大きな誘惑だった証拠には、僕はとうとう、―新聞では御覧でしょう?」
「しかしダンスはお上手になったでしょうね」
「どうやらチャールストンの出来そこないぐらいはね。」
「チャールストンよりシミーの方が貴方には、―」
「ぴったりし過ぎているので却って気がさして踊れませんよ。」
 別れる時私は彼に、若しフロリダに行くようなことがあったら、あの隅の少女と踊ってやってくれと頼んだ。だがもう彼女はあの隅には坐っていないに違いない。そしておそらくはもうあのスウェターも脱ぎ棄ててしまったに違いあるまい。今は、それに、スウェターを羽織る季節でない。


コラム (昭和四年~)

2011年09月20日 | コラム類
  ※ 性質上、著者名や著作権有無が判じにくいため御指摘あれば削除します


  當世夜話(4)  ぱんたろん

★モンマルトル、サンチャゴ、ジュン、メエゾン・ヤエ、オデッサ、アザミ、等々と数え立てても、どこにバアらしいバア、バア、カッフェらしいカッフェがあるだろう。テエブルの数に比べていたずらに女給の人数が多かったり、見るからにちゃちなデコレエションであったり、滅茶な照明を使ったり、静かにひとりで有閑をたのしむと云うわけには断じて行かないのである。当初のギルビイ、一頃のフレエデルマウス、リッツの食堂付属のバアの様な、お客をあまり構わないバアがあってもいいと思う。柔かいソファと、小さなテエブルと、ダンスレコオドと絵入雑誌と、一杯のジンフィズ、初夏に向かうこの頃思うのはそうしたバアらしいバアである。

★森田屋のショオウインドに各国製のネクタイが飾ってある。あれで見ると、悲しいかな、和製のタイはフランス製やイギリス製のタイに比べて、あまりにもみすぼらしい。実質的にも、模様的にも。話は違うが、ショオウインドにごたくさ品物が並べられてあるよりも、こうして数少なく上品に並べられたショオウインドに、僕は興味を惹かれる。ショオウインドの効果から云っても、そこに手際よく並べられた僅少の品によっても、その店の格式、品質の如何、種類の程度が直観されるのが当然ではなからろうか。

★邦楽座のパラマウントの電気広告、武蔵野館の縦に明滅する電気広告、黒沢商店のコロナの電気広告は都下の電気広告のうちで眼を惹くに足るものである。およそ都会情緒の大半は電気広告におうている。あの御大典当時の朝日新聞社屋上の廻転式電気広告が廃止されずに廻転していたら、と思った者は僕ばかりではあるまい。

★新宿に不二家が開店した。白十字、明治製菓、中村屋。裏にはいると、メリイウイドウ、ウエルテル、ミハト等。昔話になるが、カッフェと云えば扇屋しかなかった頃を思うと、近頃の新宿のカッフェ激増は驚くばかりだ。しかしそれにしても、かなりうまいカクテルと、今は潰れたとか云うワトスンのウイスキイを飲ませた扇屋をなつかしく思い出すのである。

★フタバ屋、アザレの前を通るたびに、ここの二階を気のきいたティイ・ルウムにしたらと思う。閑な奥様、閑な独身者、しゃれた恋人同士のために。カッフェは多い。バアは多い。しかしそれにしても、一軒のティイ・ルウムをさえ持っていない都会を悲しいと思わないか、果して、それが正当に理解されないにしても。

★上野と云うところは発展している様で発展していない街である。上野の山から俯瞰して、そこに何等の近代都市としての美観を見出しがたい。松坂屋の建物にしても、あれに近代建築の魅惑を感ずる者は少ないだろう。時折、何かのついでで上野にでかけるが、そこに見出すのは十年前を思わせる上野の残滓である。或いは、徹底的に上野公園が改造され、池畔の博覧会がカジノに変り近接市区との道路工事が完成されたあかつきに、十年前の上野を忘れしむるのかも知れない。現在の上野の特長も欠点も、あまりに地方人を迎えるに意を用いすぎる点にある。博覧会時期の弥縫的改造以外に何等の改造もされなかった嫌いがある。

★赤坂舞踏場が営業停止を食らった。三十八人のダンサアが免許証を取り上げられた。けれど間もなく、百五十坪のフロオアを有するとか云う新しいダンスホオルが出来る。出来たらでかけて見ようか。
                         「ドノゴトンカ」昭和四年七月


  FASHIOM流行欄  ぱんたろん
 十二月の総決算として、今年の流行界が、どこまで進展して行ったかを、一寸振返って見るのも無駄ではないと思います。
 歳末の忙しい中ですが、流行欄はそこで一寸回想的なパラグラフをはさみます。

  まず断髪
 断髪は日本の都市などは、主として東京、横浜を中心として関東に於て、盛んな流行をしました。が京都大阪は、それに反して、「断髪時代」という現象を、殆んど見ずにお終いになったと言われる様です。
 ですから、断髪は、関西にあっては、まだ一つの奇異をそそる。「えげつない!」という言葉を、彼等はまだ断髪の頭を振返り乍らくり返しますが、東京にあっては、それは、もう「流行」というより、風俗の一部と化しましたことは、ビルディング街の年を老った受付係だって知っています。
 エレベエタ・ガアル、ガソリン・ガアル、ショップ・メイド、タイピスト…多忙な職業婦人の彼女たちは、何の意味なしに切落したバブの簡便な有難さを今日になって漸く身に感じる状態です。
 それは本当に一個の櫛と、スマドレ・ヘヤトニックで、十分なお化粧が出来上がるのですから。何よりもそれは、ビルディングの中の多忙な仕事にピッタリしたものです。
 ヘアピンと、宝石と、ベッコウの櫛と、かみゆいさんのために、バブを軽侮しているのは、有閑夫人と、そしてジンゲルです。

  白粉
 白粉の選び方も驚くほどみんなクレヴアになりました。
 健康な肌色白粉は、都市の女学生諸姉の率先して用いるところとなり、水白粉を一寸なめてみて、品質の高下を判断することなどは、どんなに大人しいお嬢さまも、御承知です。
 舌の感覚で、お白粉を見分けるには、本当は中々デリケイトな心構えが必要なのですが、まず概して強度に刺激を受けるものは、「よからぬ品」とされています。
 が、その刺激の中にも、アルコオル分もあれば、タンサンマグネシヤもあり。アルコオル分の多量な品は、たとえ舌を強度に刺激したとしても、脂肪太りな皮膚の人には、一番適合した品であることも知らなくてはなりません。

  眉の引き方
 眉の引き方は、欧米では益々細く、針のようになるとのことです。
 アメリカなどでは、孤線ももう流行を外れてしまって、斜めの一直線が、喜ばれているということですが、こういう流行こそ、何にも増して、「お顔と相談」です。
 徒らに幾何学的線分の変化を追っていたところで、イットのあるお化粧は出来ません。

  スカアトの長さ
 スカアトの長さは、この数カ年の大問題でありましたが、1929年のラインは、膝の下三インチと或る外国雑誌は報告しています。
 日本婦人の体格に持って来たら三吋(インチ)半ほどでありましょうか。そこへ、スカアトよりも一インチ程高いコオトを召して歩かれる颯爽さは何とも言えないでありましょう。
 なお、婦人のコオトは、略式の場合にも、着物と同じ地や色調などが許されますが、正式のものは黒のラシャ、或は天鳶絨の毛織に限るものであることを御承知下さい。

  イヴニング・ドレス
 婦人服も、イヴニング・ドレスを作るほどになれば、流行にも余程明るくなければなりません。
 イヴニングの生地としては、かたい織地のものが第一です。繻子、琥珀織、波紋織、節織などを、よろしく検討されること。
 色調は、象牙色、晴青色、黒などを主なるものとされることです。

  紳士のいでたち
 いつの間にか、初めに言った総決算から外れてしまいましたが、紳士の方の流行も、今年に至って益々落着いたものとなりました。
 ズボンの太さが八インチから九インチ位に狭められたこと。ラッパズボン等というものは、場末の常設館のレヴウにも姿を見せなくなったようであります。―もともと、これは「カウボオイのパンツからでも流行り出したのだろう」と岡本一平氏の言われる如く「流行」とは凡そ縁遠いものでありましたが。
 ウエスト・コオトでぴったりと腹をしめて、上衣は普通に頬部をえぐり、長さは前号にも記した如く、春よりも一インチ程長く、その代り折り返しのラインを大きく取るというようなことになりました。
 英国紳士の落ちつきと、パリジャンの生粋なところが、一緒に取入れられて来たのでありましょう。

  タバコのハナシ
 そういう服装の紳士が、何気なくバットやエアシップを喫っているのも、洒落た風景ではありますが、本格的に行けば、スリイ・キャッスルか、ウエストミンスタアが何と言っても適わしいところですが、林房雄氏の「都会双曲線」の人物のように、
「ウエストミンスタの金口にかけて」
 などと、淑女へのギャントリを誇示したりしては、まだまだ本当のジャン・デエとは言えません。
 第一、金口などはもう老人の趣味です。それ位なら、
「M・C・Cのコルク巻きにかけて」
 とでもいう方が、まだ面白い。もう一つ、輪をかけて、コルクまきのペエパアだけを(銀座のタバコ屋)で売って居ります)買って来て、太まきのチェリイに、一寸まきつけて、M・C・Cのつもりで煙をふかしているのなどは、もっともスマアトな試みと言わなければなりません。

  クラバッツとボウ
 十二月から一月にかけて、いろいろ儀式が続出します。
 結婚式その他のお目出度い宴会には、燕尾服の白のボウが正式なこと言う迄もありませんが、フロックを以て代用とする時は、黒のボウか、明るい色彩のクラバッツを用いることを忘れてはなりません。
 お目出度い席だからと言って、フロックに白のボウなどは、紳士のエチケットをこの上もなく傷つけるものであることは御注意あれです。ネクタイ・ピンは、お葬式の時にはつけるものではありません。お目出度い時には是非つけなければなりません。
 又、フロックやタキシイドを来て、無暗に、スパッツを穿きたがる人のあるのも、よくないことです。スパッツというものはもとはフランスから流行ったものですが、アメリカで、自動車の運転手が盛んに穿用したことによって一般化せられた代物であります。イタリイでは、リュマチスの患者が、足方の保監のために用いているのもあります。―こう言ったら、日本の紳士諸彦のスパッツ熱も少しは冷めるかも知れません。

  クリスマス・プレゼント
 又、御婦人の話に戻りますが、香水、口紅、パウダア、眉墨など化粧品一式をくみ合せて、一箱にしたコティ会社の製品が例年の如く輸入されました。
 あなたのクリスマス・プレゼントとして、これは青年諸氏におすすめ致しましょう。
                         「文藝春秋」昭和四年十二月

  女学校青春期

 府立第一
 下町にあるのは、生粋の東京を意味するためであるかも知れない。
 流石いかめしい。が、校長の市川源三氏は有名な進歩的教育家であるだけ、何となく、そんな匂いがしている。
 気のせいか、生徒の顔が、どれもこれもみんな利口そうだ。といって、モダンずれもしていないし、そうだ、みんな高等師範の学生の卵という感じだ。数学とか化学とかが、何より好きだというような風をしている。肉体的の健康を感じられる前に、精神的な健康を感じられる。―たとえば、ここからも芸術家が出ている。つまりそれが凡そオルソドックなアルト歌い柳兼子女史だというようなわけである。

 府立第六
 昔、といってもそう古い時代を経た学校でもないが、出来たて頃は、何しろ私立学校のうじゃうじゃとうるさい三田界隈のことだ。ここの事を呼んで、「シャン・ナイ・スクール」といったそうだ。その頃の事は知らないが、今はとにかく決してそうではない。校門を入ると、ムッソリーニかヒットラでも演説しそうな地形になっている。そこで、私はひょいと、両手を上げて、たった一つ知っているドイツ語でやって見た。「メッチェン!イッヒ・ハーベ・カイネ・ゲルト!」
 幸い授業中で誰も校庭にいなかった。その演説をだらだらと下ると校庭になっている。つまり道より一段低くなっているのである。
「ここの学校のモットウは何です?」
 と、僕は一人の女学生を摑まえて尋ねて見たら、彼は速座に答えたのである。
「三田の通りを、歩いては不可(いけ)ないってことよ」
 成程、すぐお隣は、慶応大学、三田の通りは陸の王者の遊歩道(プロムナード)だ、余程、この命令が、厳しく云い渡されていると見える。

 双葉女学校
 四谷見附の左手、古色蒼然として何となく中世紀風の香りの豊かな建物。―そうだ。あの煉瓦の色は、南欧のトラピスト、―と思ったとたん、ゆりかごの歌でお馴染のドロテア・ウイクのあのスタイルの西洋尼さんが三人。失礼だが、是は、ドロテア程、色が白く、美しくはなく、従って甘いロマンチシズムはなかったが、とにかく出て来た。フランス語で何か語り合い乍ら、僕の傍をすれ違った。
 ここの生徒には仲々お金持のお嬢さんがいらっしゃるし、ひょいと耳にはさんだ会話だって、
「あら、御免遊ばして、」
 と来た。
 仏蘭西語を教わるんだそうで、みんなひどくしとやかで、校門を入っても、所謂(いわゆる)、近代娘風なキャッキャッ声がきこえなかった。
 うっかと、声高に喋ると、
「おつつしみなさい」とやられるのかも知れない。
 情操教育を重んじるんだそうであるが、その情操はどうも、ロオマン・カソリック風な情操ででもあろうか、卑俗な僕等には何か、こう、オッカなくなっちゃって、とうとう逃げだした。

 自由学園
 田無駅から五六分。明朗な建物だ。陽が当って美しい。
 羽仁もと子といえば、「婦人の友」の主筆であり、「羽仁もと子全集」があの全集時代に、他のものと競って負けなかったといいう、大人物。クリスチャンで、世界平和の謳歌者で、上流家庭好みで、ブルジョワ・イデオロギーで…が、とにかく、日本で相当に、上品御婦人の人気を収纘している、羽仁宗の教祖様だ。これはその一つの機関であり、まア、羽仁宗の本山だろう。
 だから、ここの学生は、みんなお金持でなければやって行けない。寄付金だけでも百円や二百円は一年に一辺位は入用だそうだ。授業料は大学よりも高い。学生は弁当を持って行かない。お母様が当番で学校に来て、みずからお料理を作り遊ばす。おやつも出るんだそうだ。
 服装はみんな自由、―だから、自由学園とはまさかだが、―従って、仲々イキなセーターに踵の高い靴をはいているのがいる。おつき添いが鞄を持っている。お白粉が、眼だたない位ではあるが、つまり、罪にならない程度にうかがわれる。
 体操はデンマーク体操の直輸入。作文の事はレトリック。万事この調子であるらしい。

 聖心女学院
 芝の白金台、古木に包まれた、この学校も、壮大なもので、上品で、そうだ是は英国風とでもいうのだろう。ここも、よき芸術家や、成功せる実業家をパパに持つ幸運な星の下に生れた、断髪が集る所である。
 プリモスを止めて、運転手が、何か金モールのついた救世軍みたいにきちんとした帽をとって、ドアを開けると、豊かな香りを―それは香水をつけているのではなくて、生活の程度が高いと、つい身についた香りが出るものだ。―させて、しとやかに降りて来られる。
 森の木の根には、お嬢様達が三々五々、じっと、雑誌などをひもどいていられる。木の葉越しに、まだらに陽が落ちている。
                       『モダン日本』昭和10年5月