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加藤武雄 君よ知るや南の国(大正14年)

2011年09月12日 | 著作権切れ大正文学
加藤武雄 君よ知るや南の国 (『少女画報』大正14年 )

  お伽噺
「それから、お父さん、どうしたんですの?」まり子は、父の口もとを見つめながら、こう次の言葉を促した。
 出窓(テラス)に置いた薔薇の鉢には、鶸色(ひわいろ)の花が一輪、山国の冬の、清冽(せいれつ)な朝の空気に匂うている。老音楽家の大沼哲三は、その窓先の古い腕椅子(アームチェア)に、寝衣(ねまき)のままの身をもたせて、膝の上に新聞をひろげていたが、その新聞に出ていた話だといって、そこへ来た娘のまり子に、一つの話をして聞かせたのである。
―その話というのはこうである。東京のある小さな家庭での出来事。父親が満洲へ出稼に行って死んだ時、母親は八つになる娘に、お父様は天国へいらしった、という風に話した。それまで、母親は、度々、小包郵便で満洲の父親の許へいろいろな品物を送っていたので、娘は、小包郵便にすれば、何でも父親の許へ届くものと考えていた―。
「ところが、父親は天国に行って、再び帰っては来ないと聞いたのでね―」そこまで話して来て、老音楽家は話を滞らせてしまったのである。
「それで、その娘はどうしましたの?」まり子は更にもう一度こう言って催促しなければならなかった。
「そこで、娘は、一つの考えに思いついたのだよ。というのは、娘自身が小包になって天国へ送り届けて貰おう―頑是ない子供心で、まあ、こんな事を考えついたのだね」
「まあ、自分が小包になって?」まり子は仰天しながら言った。
「そうだ。それで切手を自分の額に貼って郵便局へ出掛けて行ったのだよ。そして、『私を天国へ送って下さい』と言って窓口に立ったので、小包係の局員は大笑いに笑って、そんな馬鹿な事は出来ないと言ったのだよ。すると娘は、すっかり失望して、しおしおと郵便局を出て行ったとさ。ところが、出合いがしらに走って来た自動車に轢かれて、娘は、そのまま、死んでしまったのだよ。かわいそうに額に切手を貼ったままだったんだよ」
「まあ、かわいそう!」と、まり子は思わず溜息をついたが、父の話には、どうも腑におちないところがある。八つにもなって、額に切手を貼りつけるなんて―。
「いや、切手を貼らなくても、魂は天国の父親のところへ行ったんだろうよ」父は、何かひどく考え込むような様子で言ったが、まり子が、その記事を探すために、新聞を父の膝からとりあげようとするのを見ると、
「なあに、それはお父様が、今、作ったお伽噺だよ。ははは」と笑った。
「まあ、お伽噺?」
「いまね、亡くなったお前のお母様の事を考えていると、ふと、そんな話を思いついたのさ」父はそう言いながら、壁に添えて置かれた古風なピアノの方へ、涙っぽいような視線を送った。まり子には、父の心持が、よく判るような気がした。父は近頃、しきりに死んだ妻―まり子の顔も覚えていない母の事を考えている。父も亦(また)、きっと自分の額に切手を貼りつけて、天国の母の許へ送られる事を冀(ねが)っているのかも知れない―。
 父は、ピアノを見やりながら言うのであった。
「こうしていると、今でもお前のお母さんがピアノの前にいるような気がする。キーをすべるしなやかな指や、その撫肩の後すがた、まざまざとこの眼に見えるような気がする」
 ―だが、悲しい事には、まり子は、全く母の記憶をもっていないのである。まり子は三つの時に、母と死に別れてしまったのだから。


 
 まり子の父なる老音楽家大沼哲三の妻美沙子は、上の音楽学校の出で、相当に知られた中音(アルト)歌手だった。そしてピアニストとして立っていた哲三は、妻がステージに立つ間はその伴奏者であった。が、妻が死ぬと共に、楽壇を退いて、この信濃の山奥の小さな町にかくれて、もう十六年あまりもの孤独な日を送っている。彼を慰めるものは、妻の記憶と、その妻の若い日のすがたそっくりに生い立ちゆく一人娘のまり子とであった。
「このピアノはね、お父様とお母様とが始めて家庭を持った時、やっと工面して横浜の西洋人から買ったのだよ。はじめて、そのピアノが着いた夜、お母さんは喜んで喜んで、とうとう徹夜して弾いたものだった。翌日隣から家主へ抗議を申し込んだ、なんていう事もあったっけ」
「お父様、そのお話は、もう幾度うかがったか知れませんわ」まり子は、微笑しながら言った。
 父は、今、まり子が運んで来た珈琲(コーヒー)の冷めるのをも忘れて、亡き妻の思出を、それからそれへと辿るのである。
「お母さんは、何が好きだったかな?そうそう、メンデルスゾーンの『春の歌(スプリング・ソング)』だった。それに、ショパンの『ノクターン』も度々きかされたものだった。―だが、美沙子はピアノは駄目だった。何といっても彼女(あれ)は、声楽家(ボーカリスト)だったからなあ」
 それも、まり子が、もう何度きいたか判らない言葉だった。
「お母さんは、何がお好きだったかな、そう、そうー」これは、父の口癖と言ってもいい位だった。
 父は、椅子から離れてピアノの前に立った。そして、ニ調の3をポンと叩いて、
「まり子!『君よ知るやー』を歌ってごらん!」
 ミニヨンの「君よ知るや南の国」は、母が最も得意としたものだそうで、父の、最も愛する曲であった。まり子は、よく父にそれを歌わされた。―が、今朝のまり子は、それを歌う気になれなかった。まり子の胸は、外(ほか)のものでいっぱいになっている。まり子は、今朝、長いあいだ心に秘めていた願(ねがい)を父に打開けようと思っているのである。
「まあ、お父様。朝のお食事をなすってからにしましょうよ」
 まり子は、晴れた日の梢に憩う鳩のようにちょっと小首を傾げて、父に椅子をすすめるのであった。


  願い



 まり子の願いー。
 声楽家を母とし、ピアニストを父に持ったまり子は、山の町の女学校にいる頃から、音楽に関しては稀に見るの才能を発揮した。で、教師たちも、是非、東京へ出て専門の学校に学び、音楽家として立つようにとすすめたし、まり子の若い心も、小鳥の翼のように、明るい華やかな都の空に向ってはばたくのであったが、何をいうにも親子二人きりのたより無い生活(くらし)で、自分が去ったら、父がどんなにさびしくなるだろうと思うと、まり子は、その願を、打出す勇気が無くなるのであった。
「お父さんは、わたしの幸福のために、再婚もなさらず、十幾年も淋しい孤独の生活に堪えて下すったのだわ。私だって、自分の希望なんか捨てて、お父様の幸福を考えてあげなければならないのだわ」
 だが、そう考えるあとからすぐに、
「だけど、こうして山の中に埋もれて行っては、あまりつまらないじゃないかしら?お父さんは、私の幸福を念じていて下さる。私の幸福のためにだって、お父さんはきっと、私の願を容れて下さる筈じゃなかろうか?」
 そうだ。お願して見ようと、また心を取直す。が、さて、言い出そうとして、この二、三年めっきりとやつれの眼立った父の老顔を見ると、やはり言い出す事が出来なくなる。そんな風にして、この二月ばかりというもの、まり子は、毎日妙に苛立たしいような月日を過している。
 が、今朝こそ思いきって言わねばならぬ。いつまで躊躇していても仕方がない。言ってしまおう!
 まり子が、そう決心して、
「お父さん!」と呼びかけたのは、焼麺麭(トースト)と珈琲だけの軽い朝食がすんだ時だった。
「何かな?まり子」父は、やさしい眼をまり子の方へ動かした。
「私、私ー」言いかけて、まり子の声は意気地なくつかえてしまった。お願があるのよーという次の言葉は、なかなか唇から外へ出ないのである。
 老音楽家は、娘の顔をじっと見つめるようにした。―父には、娘の言おうとする事がはっきりと判っていた。近頃、娘が何を考えているか何を煩悶しているか?父の慈愛の眼は、ちゃんとすべてを見抜いていたのであった。―父は、しずかな調子で言った。
「まり子。お前は、何かわしに言いたい事があるのだろう?」
「ええ、お父様」まり子は、一生懸命な眼つきで、父の顔を見上げた。
「わしも、お前に相談があるのだよ」と父は、まり子の細い手を、その老いに硬(こわ)ばった掌でやさしく握りながら、「お前は東京へ出たいのだろう?東京へ出て、勉強したいと思っているのだろう?」
「ええ、お父様」まり子は、何か罪を抱くものが、それを看(み)あらわされた時のように、おどおどと狼狽しながら言った。
「わしも、お前と一緒に東京へ出て暮そうかと考えていたんだがね」
「まあ!」と、まり子は、思わず喜びの声をあげた。父が一緒に東京へ出てくれるーこんなうれしい事はない。まり子は、喜びにおののく声で言った。「そうして下されば、私、どんなにうれしいか知れませんわ」
「いや、しかしね」と父は、静かに言い続けた。
「しかし、東京は、わしにはあまりに思出の多過ぎる土地だ。―それにね、わしはもう老いた。このピアノのようにね。わしはやはり、この山の町に、このお母様の残して行ったピアノと一緒に余生を過そうと思う。お前は、やはり、一人で東京へ出てゆくがいい!」
 父は机の前に行くと、その抽出(ひきだし)から何かとり出して、まり子に見せた。それは一通の手紙と、町の銀行の預金帳とであった。
「この手紙は、もう一月ばかり前に書いておいたのだ。お前の紹介状だよ。東京へ行ったらこれをもって、内山邦夫ーお前も名前は知っているだろう、あの有名な作曲家の内山だーを訪ねてゆくがいい。あの男は、わしの古い友達だから、お前の面倒を見てくれるに相違ない。わしが、自分でお前と一緒に出かけて行ってたのめばいいが、じかに会うよりも、手紙で頼んだ方がいいのだ。一寸、事情があってね。まあ、そんな事は兎に角、内山は、きっとお前を悪くはしてくれないと思うよ」父はここまで言って、一寸言葉を切ったが、
「それからね」と、預金帳をとりあげて、「この貯金は、お母さんがお前に残して下さった意さんだ。僅か千円ばかりだが、幾分か学資のたしにはなるだろう。お父さんも毎月いくらかずつは送ってやれるかも知れないが、それはまああてにはならない。万事は内山あての手紙に書いておいたから、あの男と相談すれば、勉強の方法は考えてくれるだろう?」
 何から何まで、到れりつくせりの父の用意だった。まり子は、感動のために口が利けなかった。彼女は、ただ涙含(なみだぐ)んだ眼で、じっと父の顔を見上げるより外なかった。
 そして、不思議な事にはまり子は、自分の願が、容れられてみるとー案外たやすく容れられてみると、うれしいよりも却ってかなしい気がして来た。たよりないお父様をこうして一人残してゆく―それでいいのだろうか?
 まり子の眼からは、涙が流れはじめた。
「まり子、お前は、どうして泣くのだ?おお、願がかなって、そんなにー泣くほどお前はうれしいのか?」父は、微笑しながら言った。
 いいえ、お父様、うれしくて泣くのではありません―まり子は、こう言いたいのであったが、やはり言うことが出来なかった。
「で、そうときまれば、なるべく早く出発する方がいいな」
 父はやさしく言ったが、やがてじっと眼を閉じて何か深く考え込むようにした。
 まり子は、ようやく涙を収めた眼をあげた。出窓(テラス)の薔薇が、そのぼんやりとした眼に映った。八重咲の鶸色(ひわいろ)の大輪が、うららかな朝の光に映えている。窓の硝子戸(ガラスど)が閉ざされていなかったら、きっと、あの胸にしみるような香(におい)が流れて来るであろう。と思いながら眺めていると、ふと、外側の花びらが二、三枚はらはらと散った。その拍子に、花は軽くはじかれたように打ちふるえた。そしてまた、はらはらと残りの花びらを落した。
「あら、薔薇が散ってしまったわ!」心の中でこう言いながら、まり子は、なおじっと、子房ばかりになった薔薇を見ていると、また何がなしにかなしくなって、ぼんやりと涙が曇って来た。
 と、その時―。
 ピアノのキーが二音程(オクターブ)ほど一度にがあんと鳴った。まり子は、びっくりして振返って見た。そこには、ピアノにもたれて、ぐったりとなった父の姿が目に映じた。翼のように拡げた左右の手は水平にキーを抑えている。そして蒼ざめた頬を譜面板に当てて、それだけでからだの重みを支えているように、両脚は長くカーペットの上に投げ出され、膝のあたりが、ペダルにかかっているのである。
「まあ、お父さま、お父さま!」
 まり子は、気も顛倒(てんとう)しながら走りよって父を抱き起こした。
「お父さま、どうなすったのでございます。お父さま、お父さま!」
 だが、父はもう返事をしなかった。持病の心臓が、急にいけなくなったのであろう。父は、突然、死んでしまったのである。
「お父さま!お父さま!」
 まり子は父の屍骸(しがい)を抱いて、そこに泣き伏してしまった。ーこうして、最愛の娘を都へ送ると共に、老音楽家大沼哲三は自分の魂を、亡き妻の待つであろう天国に送ったのであった。

 まり子が、都に上ったのは、それから一月ほど経ってから、この山国にもようやく春が訪れて来る頃であった。


  紹介状

 平常(ふだん)から親切に、いろいろ面倒を見てくれていた近所の小母さん夫婦と、仲好のお友達でまり子と同じ年頃の娘二、三人とが停車場まで送ってくれた。
「じゃ、気をつけてね」と、小母さんは、眼に涙を溜めて言った。「むこうの様子が思わしくなかったら、すぐに帰っておいでなさいよ」
 お友達の娘達も、眼に一ぱい涙を溜めた顔を並べて、やがて走り出した汽車の窓に、ぽっちりと白く浮かんだまり子の顔を、いつまでも見送っていた。
 午後の十二時に発つこの汽車は、明日の明方には、東京に着く筈だった。―まり子は、あまり乗客の多くない三等室の片隅に小さく坐って、大きな眼をじっと瞠るようにしていた。
「お嬢さん!お1人ですかえ?」不思議そうな顔をして、こんな風に問いかけたりする人もあった。
「へえ?一人で東京へ―へえ?東京へ勉強にー」と、その四十ばかりの商人風の人は驚いたように言った。そして、東京には誰か知った人がいるか?というような事を訊いた。まり子は、牛込に叔父さんがいる。叔父さんのところへ行くのだと答えた。
「叔父さんが?ーああ、それならいいけれど」と、その人は安心したように言った。その人はまり子の様子から、無分別な家出娘か何かだと思ったらしかった。
 叔父さん―まり子に叔父さんなどある筈はなかった。が、まり子は、父が自分のために遺してくれた紹介状の宛名の内山邦夫を心の底から頼り切っていた。お父さんの仲好のお友達だったその人は、きっと親切に自分を迎え取ってくれるだろう?優しい叔父さんとして自分の前に立ってくれるだろう?叔父さん―まだ見ぬ一人の叔父さんとして、まり子は、内山邦夫を、その心に描いているのであった。
 やがて、同室の人達は、思い思いの姿勢で眠ってしまった。中にまり子だけは、身体もしゃんとしたままとろりともしなかった。彼女の昂奮した頭には、過去の事や未来の事が入りまじって、さまざまの画面をはてもなく繰りかえし、巻きかえすのであった。
 新宿に着いたのは、午前六時をちょっと過ぎてからであった。
 こんなに早く訪ねては悪いか知ら?と思ったが、別にどうしようもなかったので、そこからすぐに車を命じて、牛込中町の、内山邦夫の家へと走らした。まだ十分に眠(ねむり)から覚めきらないような朝のすがすがしい風に頬を吹かせて、車の上に揺られながら、まり子は何だか夢のような気がした。長い間、願い望んでいた東京へ、自分は今こうして出て来たのだ。―そう思いながら、それが何だか現実化(リアライズ)できないような気がした。一晩中眠れなかったせいか、頭も少しぼんやりしているようだった。
 そのぼんやりしている頭の中に、ふと死んだ父の顔が浮かんだ。死ぬ少し前上京を許してくれた父への感謝で、思わず涙を流した自分を見て、「まり子よ、お前どうして泣くのだ?」と言った時の、その時の父の顔がふと浮かんで来た。同時にまり子は急に悲しくなって、思わず涙がさしぐんで来た。まあこんな時に泣いたりして、ーまり子は袂の先で涙を払うようにした。
 車はやがて、静かな邸町にはいった。牛込中町―内山邦夫の家は、家というよりも邸という方がふさわしいほど、山国育ちのまり子の眼にはとりわけ堂々たるものに見えた。門の外で車を捨てて、小さな耳門(くぐり)からはいると、植込の間を玉川砂利の道が一うねりうねって、西洋風の玄関(エントランス・ホール)が瀟洒とした感じでまり子の前に現れた。まり子は意気地なくしりごみする心を励まして、柱にとりつけられた鈴釦(ベル・ボタン)をおののく指先で押した。
 取次に出て来たのは、三十ばかりの中年のお手伝いさんだった。この早朝の、いわば時刻はずれの来客ーしかも若い娘がたった一人、しょんぼりとそこに立っているのを見ると、お手伝いさんは、露骨に不審の表情(いろ)を現して、
「どなたでございますか?」と訊いた。
「どうぞ、これをー」と、まり子は、父から貰った紹介状を懐から取出した。そしてお手伝いさんに渡した。まだお目ざめでないがーと、お手伝いさんは一寸躊躇したが、まり子のすがり頼むような顔つきを見ると、兎も角もというように、奥の方に引込んで行った。―しばらくすると別のお手伝いさんが出て来て、主人はまだやすんでいるが、奥様の仰せつけ故、こちらで少しの間待っていて下さいと言って、まり子を応接室の方へ案内した。
 まり子は、応接室の椅子に腰をおろして、その壁に掲げられた大きな油絵だの、炉棚の上にのせてある金銀のまばゆい装飾時計だのを物珍しく眺めながら待っていた。が、さっきのお手伝いさんが、お茶を運んで来たきり、いつまで経っても―その時計の針が八時近くを指すようになっても、まり子の心に描いている叔父さんは、なかなか姿を現してはくれないのであった。
 内山邦夫―という名は如何にも若々しく聞えるが、そして、その名にふさわしい若々しい時代が間違いなく一度はあったに違いないが、今ではもう灰色の髪をした、老人とは言えないまでも、もう中年とは言えぬ年頃の人だった。左様―まり子の父の大沼哲三より、たしか四つだけ年下の筈だった。
 だが、まり子の父が、後の半生を山に隠れて不遇におわったに引きかえ、内山邦夫は、現下楽壇の大家として世に時めいていた。昨夜も彼は、帝都第一と称される彼の楽壇を率いて、帝国ホテルで催された某国の王子(プリンス)の歓迎会に出演したので、その疲もあり、一体が朝寝が習慣なので、まり子が訪ねた時は、勿論まだ寝床の中にいた。で、夫人がまり子の持って来た紹介状を手にして、彼を眠から呼び覚した時に彼はかなり不機嫌だった。
「本当に恐れ入りますけど―こんな手紙をもってまいったのですよ。何ですか、まだ小さな、かわいい娘さんだそうでございます」夫人は、そう言いながら、その手紙を彼の手の中に置いた。
 大沼哲三―と書かれたその署名を見ると、内山の顔には、おどろきの表情(いろ)があった。その封を裂く彼の指先は、わなわなとふるえた。
 その手紙には、大体次のように書かれていた。
 
 ―私の古き友内山邦夫君よ。打絶えてもう二十年に近い。君は、おそらく私が今どこにどうしているかを知ってはいなかろう。私は今山の中の小さな町で老いている。老いてそして病んでいる。私は、もうやがて死ぬるであろう。私は、死の跫音(あしおと)を耳近く聞きながら、この手紙を書く。古き友内山邦夫君よ。どうぞ、私の願を聞いてくれ。私のただ一人の娘を君の手に託したいという私のこの願は、少しむしが好すぎるであろうか?が、すべての事はもうあまり遠く去っている。私はあの私の妻の美沙子にそっくりな私の娘を、君の手許に送り届ける。君はきっと、まり子を愛してくれるだろうと思う。そして、まり子のためにやさしい父となってくれるだろうと思う。私のこの考えは、少しむしが好すぎるかと思うが、しかし、私は君にこの寛大を期待する。古き友内山邦夫君よ、どうぞ、私が敢えて私のまり子を君に託した心持を汲んでくれ。そして、私のこの願を容れてくれ。いや、私は、必ず君が、この願を容れてくれるであろう事を信ずる。まり子は、わが娘ながら、よき素質とよき天分をもっている。まり子は、我が娘ながら、よき素質とよき天分をもっている。まり子は、決して君を失望させる事はなかろうと思う。
 
 ―こんな風に書かれたその手紙を読んでゆく内山邦夫の顔には、さまざまの表情が浮かんで消え、浮かんで消えした。そして、それを読んでしまった時、彼の顔には、その複雑な表情が、複雑に乱れ合ったまま、そのまま凍りついてしまったかのように見えた。


  不思議な返事

「あの、お会いなさいますか?一体、どういう娘なのでございます?」
 夫人は、こんな風に訊いて見たが、彼は、じっと黙りこんだままだった。
「あの、お会いなさいますか?」
「まあ、少し待ってくれ!」と内山は、もじゃもじゃに乱れた髪の中に、もう老年の硬りを見せている指を突込(つつこ)んで、うめくように言った。そして、じっと眼を閉じた。その閉じた眼には、二十年前の彼の生涯の痛手になっている記憶が、それからそれへと一聯(いちれん)の光景(シーン)を展開した。

 その記憶がどんなものであるかは、ここで説くのはまだ少し早い。―とにかく、まり子の訪れはこの老音楽家の心に、ある強い衝撃(ショック)を与えたのであった。 
「応接に待たせてあるんだね。じゃ、兎に角会う事にしよう!」ややしばらく経ってから彼は、呻くような調子でこう言った。
 内山邦夫が、まり子に会うために、応接室への階段をのぼって行ったのは、それから三十分ほど経ってからであった。
 待ちくたびれたまり子は、一歩一歩階段をのぼって来る重い跫音を聞きつけると、居ずまいを直して思わず心を引きしめた。彼女は、入口を背にして椅子にかけていたが、全身の注意を背にあつめて、その扉(ドア)の開くのを待ち構えていた。
 と、やがて、扉の開く音がした。まり子は自分の前に現れるであろう人の姿を次の瞬間に予期しながら、眼を壁の上に凝らしていた。―が、扉の開く音がして、人の気配はしながら、その人はなかなか部屋の中へははいって来なかった。
 まり子は、とうとう堪らなくなって振りかえって見た。振りかえって見たまり子の眼は、そこに立っている背丈(せい)の高い老紳士の、じっと此方(こつち)を見つめている二つの眼と合った。濃い眉の下に鋭く輝くその切長の二つの眼―じっと自分の後姿をみつめていたらしいその二つの眼は、まり子の顔を見ると、眼そのものが、「あッ!」と声をあげでもしたように見えた。 
 その老紳士が、内山邦夫である事は、すぐにまり子に判った。まり子は思わず椅子から立ちあがった。―が、まり子が椅子から立ちあがると同時に扉は音を立ててぴしゃりとしまった。そして、老紳士の姿は、もうまり子の眼から消えていた。
 まり子は呆気にとられて、しばらくはそのまま、突立っていた。
 一体どうしたのだろう?と、まり子は不安と怪しみに胸をしめつけられながら、なお二十分ほど、そこに待っていた。
 そこへ先刻(さっきのお手伝いさんがはいって来た。そのお手伝いさんは、気の毒そうな調子で次のように言った。
「あのお気の毒でございますが、旦那様は、今、お目にかかれないそうでございます。それで、この手紙をお渡しするようにとのことでございました」
 まり子は、お手伝いさんの手から、卓子(テーブル)の上に置かれた角型の封筒に眼をやったまま、答える言葉も知らずにぼんやりとしていた。―まり子には、一切の事が判らなかった。
 その手紙の宛名には「大沼哲三様」と書かれている。まり子は、ぼんやりとした眼に、その五文字を映しながら、「だって、お父様はもう生きてはいないもの―」と心の中につぶやいた。
「あの―」とお手伝いさんは一そう気の毒らしい様子になって、「その手紙をお持ち下さるようにとのことでございました。折角いらしって下さいましたけれど―」
「では、会ってはいただけないんでございますか?」まり子は涙ぐんだ眼で、お手伝いさんの顔と手紙とを等分に見ながら言った。
「その手紙を、お父様にお見せ下さるようにとのことでございます」
「でも―」と、まり子は、縋るように言った。「私の父は、もう死んでしまったのでございます」
「まあ、そうでございますか?」と、お手伝いさんは言ったが、しかし、どうも仕方がないという風に、「でも、何しろ旦那様がそう仰しゃるものでございますから―」
 まり子は、力なく内山の邸を出た。まり子は、父の紹介状の効果を疑わなかった。その一通の手紙が自分の運命の扉を開く鍵であることを夢にも疑いはしなかった。それなのに―何という重いがけない事だろう?
 まり子は、すっかり途方にくれた。何が何だが、まり子はちっとも判らない。―まり子は、内山から父への手紙を懐からとり出して、思い切って封を切った。受取るべき父がもうこの世に亡き以上、父に代わって読んでも差支(さしつかえ)はない筈だ。この手紙を読めば、内山の拒絶の理由もわかるであろう―そう思いながらまり子は、わななく心を押ししずめて、その空色の書簡箋(しょかんせん)に書かれた走書(はしりがき)の文字を読んだ。そこには次のように記されていた。

 大沼哲三君。どうぞ、私の狭い心を許してくれたまえ。君の幸福な記憶はすでに遠いかも知れぬ。しかし、私の不幸な記憶は、まだ生々しく私の胸に息づいている。君の折角の信頼に対して、こんな返事をあげなければならぬのを、私は悲しむ。君のお頼(たのみ)は、私にとっては、まだあまりに重い心の荷であることを、どうぞ、君よ、察してくれたまえ!ああ二十年前―しかも、私にはまだそれが昨日なのだ。そして君の美しい娘の姿は、あまりにまざまざと私にあの苦しい昨日を思い出させるのだ。旧き友、大沼哲三君よ、どうぞ、君の折角の頼を受け容れることの出来ない私の心の狭さをゆるしてくれ。

 まり子は、幾度も、くりかえして読んだ。が、一切はやはり謎であった。
 ―まり子は途方にくれた。
「ああ、どうしたらいいだろう?」
 まり子は、路(みち)の真中に立ちどまって、思わずこう言って、ためいきをついたのであった。


  謎

 まり子は、全く途方に暮れてしまった。どうしたらいいだろう?
 まり子は、もう一度、その空色の書簡箋に書かれた内山邦夫の返事を読んで見た。
   大沼哲三君。どうぞ、私の狭い心を許してくれたまえ―。
 あの人は、私のお父様がまだ生きているのだと思っている。もう、死んでしまったのに―。
 もう一度、あの人のところへ行って頼んで見ようかしら。
「私のお父様はもう死んでしまったのです。私は、もう帰ろうにも家もない身なのです」そう言って頼んで見ようかしら?
 いいえ。こうしてきっぱりと拒絶された以上、そんな事をしても無駄に違いない。そんなに、無理に頼んだりして、亡き父を恥かしめるような事があってはならない。何か深い事情が、あの人と、死んだお父さまとの間にあるに違いない。それがどんな事情であるか、お父さまに訊いたら判るだろうが、そのお父さまは、もうこの世にいらっしゃらない―。
 まり子は、すべてのものから振りすてられたような気がした。
 その人ひとりを頼りにして出て来たのに、こうしてその人に突き離されてしまって見れば、どうして明日の日が迎えられるかが、先ず第一の心配である。仕方がない。あの町に戻ってしまおうか?ともまり子は考えた。が、あんなにして、出て来たことを考えると、おめおめ帰って行く気にはどうしてもなれない。思わしくなかったら、すぐに帰っておいでと、あの小母さんは言ったけれど、けれどもう、あすこへは帰れない―とすれば、さあどうしたらいいのだろう。
 その時、まり子は、出て来る時に、あの深切なおばさんが、こんな風に言った事を思い出した。
「私の姪が、牛込にいるからね、ついでがあったら、訪ねてやって下さい。矢来(やらい)というところで、番地は一番地、なんでも、伯爵さまとか公爵さまとかの大きな邸のすぐ前だそうだからね。山田っていうんですよ。どうせ貧乏ぐらしだろうけど、気はやさしい者だから何かの頼りにもなるかも知れないからね」
 溺るるものは藁をも掴むという諺があるが、その時、まり子が、一握の藁として思い浮べたのは、その牛込の矢来にいるという、小母さんの姪の事だった。
 まり子は、この思いつきで、やや勇気づけられた。そこの交番で訊くと、矢来はすぐ傍だった。そして、十分ほどの後、まり子はS伯爵の邸の大きな門を見出だすことが出来た。
 が、その邸のすぐ傍だという、小母さんの姪の家はなかなか見つからなかった。
「一番地といっても、広いのですからね。何号か、号数が判っていないと、ちょっと知れにくいのですよ」
 と、とある煙草店で尋ねると、ただ、一番地の山田とだけでは、誰に訊いても判らなかった。同じような門の並んだ、同じような広い横町を、まり子は、ぐるぐると、行ったり来たり、迷宮の廊下のようにさまよい歩いたが、尋ねる家は、その家が意地悪く逃げかくれでもしているように、なかなか見つからないのであった。
 ものの、三十分も、そうしてぐるぐると尋ねまわった末に、ようやく見つけたその家は、ぴたりと戸が鎮(とざ)されていた。まだ寝ているのか知ら?―そう思って見あげる眼の前には、そこの窓の戸に貼りつけられた白い紙が―移転先を記した紙が、まり子の落胆を待ち構えていた。
 移転先、杉並区上井草七百六十三番地―そう、その紙に書かれてあった。
 まり子は、崩折れた気持ちを励まして、更にそこへ尋ねて行こうとしたが、はじめて、東京の土を踏んだまり子には、その杉並区というのが、どの方角に当っているか、どのくらい遠いか、どうして行けばいいのか?さえ判らないのであった。
 が、まり子は一生懸命だった。人に聞いて、飯田橋駅に出て、其処から吉祥寺行の省線電車に乗り、西荻窪の停車場で降りた時は、もうかれこれ正午(ひる)近かった。
 上井草七百六十三番地―。
 そこを探しあてるためには、まり子は、殆ど一時間あまり彷徨をつづけなければならなかった。実際、その判りにくさは、矢来一番地以上だった。
 そして、ようやく、その番地を探しあてたと思うと―おお!一体、それは、何ということなのだろう?それは、山田という家ではなかった。山口という家だった。
「それは、どうもへんですなあ!」と、まり子が玄関先に立ってこれこれで訪ねて来た旨を告げると、その家の主人らしい、勤人風(つとめにんふう)の髭を生した男は、まじまじとまり子の顔を見ながら言った。
「何かのまちがいじゃあないでしょうか?私の家内には、そういう知合いはない筈ですが―」
「まあ!」まり子は、口も利けないほど、まいってしまった。
「名は何というんでしょう?」
「お名前は知りません、ただ、山田さんとだけ聞いて来たものですから―」
「山田さん?」
「ええ」
「ああ、それじゃ違います。私は山口です。山田ではありません」
 そう言われて、まり子は、はじめて、自分の念の入った錯誤に気がついたのであった。まり子は、あの移転の貼紙の、「山口」を、「山田」と読みちがえたのであった。そして、山田という家を尋ねて来たつもりで、山口という家の玄関先に立っていたのであった。
「私、まちがえたのでございます」まり子は、恥かしさのために真赤になりながら言った。
「本当に、失礼いたしました」
「そうでしたか?しかし、どうもお気の毒ですなあ」その人は、髭を引っぱりながら、心から気の毒そうに言った。
 まり子は、逃げるようにその家を出た。まり子は、もう、そこへ倒れてしまいそうになった。はりつめた気持も、こらえ性なく弛んで、足もともよろよろとよろめくのであった。




  奇遇

 再び停車場へ戻ったまり子は、その待合室のベンチにぐったりと腰をかけた。もう一度矢来へ行って山田という家を尋ね直さなければならないと思いながらも、もう、それだけの勇気がなかった。
 まり子は、力ない眼をあげて、線路の上に降る白い雨脚を眺めていた。今朝は、あんなによく晴れていたのに、いつの間に雨が振り出したのだろう?とそんな事を、ぼんやりと考えながら―。
 そして、雨の降るのを眺めているうちに、まり子の眼には、ふと死んだ父の顔が描かれた。
「お父さま!」まり子は、こう呼びかけずにはいられなかった。「お父さま!私は、どうしたらいいのでしょう?どうしたらいいのでしょう?」
 が、父は、それに答えてくれなかった。答えてくれない父は、ただかなしげな眼で、じっとまり子の顔を見ているだけだった。
 まり子は、いつまでも、いつまでも、その薄暗い待合室の片隅の腰掛に腰をかけていた。
 そのまり子の様子は、すこし気をつけてみる人の眼には、きっと不思議に映ったであろう。が、誰もそれだけの注意を払う人はなかった。駅員の一人は、長い間、そこに坐っている少女のある事に目をとめてはいたけれど、誰かを待ち合せているのだろうと思って、それ以上別に、深く気にする風もなかった。
 まり子は、しかし、いつの間にか電気がついて、すっかり夜になってしまったことに気がつくと、こうしてはいられない気がした。
 まり子は、力なく立ちあがって、改札口を入りプラットホームに出て行った。とにかく、新宿まで戻って、それから―。
 それから―?
 それから、どうしていいか?―まり子はもう、その後を考えるだけの元気もなかった。まり子は、極度に疲労していた。その疲労した頭に、ふと、ひらめくように浮んだ一つの考えがあった。
 ―死んでしまおうかしら?死んでお父様のところへ行こうかしら!
 まり子は、父が死ぬ朝、父から聞いた、あの額に切手を貼って天国へ旅だったという少女の話を思い出した。そうだ。私も、あのお伽噺の少女のように、天国に行った方がいいのではないかしら?
 まり子が、目の前に光る線路を眺めながら、そんな事を考えていると、
「もし、失礼でございますが―」と、ふと、まり子に話しかけた人があった。まり子が驚いて振り向いて見ると、髪を七三にわけた優雅な顔立をした四十恰好の婦人が、優しい微笑を湛えた眼で、自分を見ていた。―その婦人が、まり子の傍に坐って、先刻(さっき)から、じっとまり子の様子を眺めていた事に、まり子は気がつかなかったのである。
「あの、だしぬけにこんな事を申し上げては失礼でございますけど、あなた、お名前は何と仰いますの?」
「わたくし―」と、まり子は狼狽しながら言った。「わたくしの名前でございますか?」
「ええ。本当に、だしぬけにおたずねして、失礼なんですけど―」
 まり子は躊躇した。全く見知らぬ人に名前を聞かれて、すぐに返事の出来る者は、おそらくないであろう。
「あの―」と、その婦人は言った。「まちがったらどうぞ御免下さいませ。あなたはもしかしたら、大沼さんと仰しゃりはしないでしょうか?」
 まり子は、おどろかずにはいられなかった。この人は、まあどうして、自分の名を知っているのだろう?
「違いましたろうか?」
「わたし、大沼まり子でございます」
「じゃ、やっぱり―」と婦人の眼には、殆ど狂喜といっていい位の、輝き躍る表情があった。
「やっぱり、そうでしたのね。私、どうも、そんな気がしたもんですから、思いきって声をおかけして見ましたのよ」
「あの、どうして、私をご存じなのでございましょう?」
「あなたのお母さまと、あなたは、まるでそのままなの。まあ、まりちゃん!まりちゃんて仰しゃるの?」
 婦人は、急に打ちとけた調子になって、愛撫に充ちた眼で、まり子を押しつつむようにした。
「私のお母さまを知っていらっしゃいますの?」
「知ってるだんではないのよ。あなたのお母さまとは、大へん仲好でしたの!仲好というよりも、私が、あなたのお母さまに可愛がっていただきましたのよ。もう、遠い昔の事ですけどね」
「まあ!」と、まり子は目を睜(みは)った。
「でも、ここで、あなたにお会い出来るなんて―本当に奇遇ねえ。で、あなたは、今東京に来ていらっしゃるの?」婦人は、母性的な微笑を口もとにただよわしながら、こんな風に問いかけるのであった。


  救い



 あまりの事の意外さに、まり子はただ呆気(あっけ)にとられて、その婦人の顔を打戍(うちまも)るより外なかった。
「まあ、私、自分の名前をお聞かせもしないで―」と、婦人はようやくそれに気がついたというように、「私の名はね、沢田信子と申しますの」
 「あら、沢田さん!」まり子は思わず声をあげた。沢田信子といえば、誰知らぬ者もいない名高い音楽家である。つい、先ごろまでは、上野の音楽学校の教授だったが、今ではやめて、ただ、時々、方々の演奏会に姿を見せるだけだ―というような噂を、まり子も新聞か何かで読んだ事があった。
「あなたは、私の名前をご存じでしょうか?」信子は、その母性的の微笑をつづけながら言った。
「よく存じておりますわ」まり子は、言葉に力を籠めて答えた。
「私は、あなたの、お母さまと、大へんお親しくしておりましたのよ。―本当にあなたはあの美沙子さんにそっくりですわ。私、昔の美沙子さんが、そのまま生きかえっていらしったかと思ったくらいですよ。で、まり子さん―今、どうしていらっしゃるの?」
「私、今―」まり子はおどおどとした眼で信子の顔を見上げた。どんなに今自分が困っているか、苦しんでいるか―それを聞いてくれようとするこの深切な婦人の言葉は、まり子にとって渡りの船だった。が、まり子は、思うように口が利けなかった。ただ、涙ばかりが、こみあげて来た。
「お父さまは、たしか、N―の方にいらしった筈ですわね。御丈夫?」
「お父さんは亡くなりました」
「まあ、大沼さん、お亡くなりになりましたの?何時(いつ)?」
「この二月に」
「そう?で、まり子さんは、何時此方へ出ていらっしゃいましたの?」
「あの、今日―、今朝なのでございます」まり子は眼を伏せて答えた。
「今朝?」と信子はおどろいて、「それで、この辺に知った人でもおあんなさいますの?」
「いいえ」まり子は、首を振って、ようやく聞き取れるくらいの声で答えた。
「まあ!―じゃあ、どうしてこんなところに、いらっしゃるの?」信子は、まり子の様子を、仔細に観察するという風にしながら言った。まり子の、ひどく打ちしおれた、涙含みさえした様子が、敏(さと)い、親切な信子の眼に、映らずにはいなかった。
「少し、訪ねる人があって来たんですけど、―わからないんですの」
「訪ねる人が?」
「ええ。私もう困ってしまいましたの」まり子はそう言いながらとうとう泣き出してしまった。今まで張りつめていた気持が急にゆるんだのであった。
「あら―どうしてお泣きになるの?困った事があるって、どんな事?え、どんな事でも私に話して頂戴。私、どんな御相談にでも乗ってあげますわ。え、まり子さん、泣かないで、私に話して頂戴。何も彼もみんな話して―ね」
 まり子は嬉しかった。嬉しいだけに余計に泣ける。まり子は、袂をしっかりと顔にあてて、止めどもなく泣きじゃくった。
「ね、泣かないでもいいのよ。ここであなたに会うなんて、何かのお引合せだわ。ね、泣かないで、その困った事というのを私に話して頂戴」信子はそう言いながら、まり子の肩に手をかけて、その顔をのぞき込むようにした。信子は、まり子の肩が、おこりのついたように慄えているのを、その掌(たなぞこ)に感じた。その慄えようは、ただ、泣いているためばかりではなかった。信子は、驚いて、袂を顔に抑えている手にさわって見た。掌が焦げるかと思うばかりの激しい熱だった。
「まあ、大へんなお熱!」と信子はあわてて、
「こうしていちゃいけないわ。ね、私の家へいらっしゃい。まあ、どうしたというのでしょう。こんなひどい熱のある身体で―早く、静かにやすまなければ、そして、お医者さんに見ていただかなければ―」
 信子は、まり子を抱きかかえるようにして、ホームから外へ連れ出した。今朝からの心労が、昨夜(ゆうべ)の夜汽車で引き込んだらしい風邪の熱をかもして、その今まで内攻していた熱が安心と共に俄(にわ)かに発したのであった。まり子は、どうして信子のために車に乗せて貰い、どうして信子の家に連れ込まれたか―それからの事は、何も彼も、ぼうッとして夢のようであった。そして、ようやく、気がついた時は、まり子は、十畳ばかりの、何処も彼処も綺麗に磨き立てられた部屋の中に、軟らかな蒲団の上に横たわっている自分を見出だした。電気はあかるく、その頭の上にともっていた。額には氷嚢がのせられていた。そして、自分の枕もとには、薬瓶をのせた盆がひっそりと置かれていた。
「ここは何処かしら?一体、私はどうしたのかしら?」まり子は、こう考えて見たが、何も彼もが夢とも現(うつつ)ともなくぼんやりとして、はっきりと形をとらないうちに、またうとうとと深い眠へと引き込まれてしまうのであった。


  母の面影(おもかげ)

 まり子は、うとうととした眠の中で、一つの夢を見ていた。
 春の野である。路の左右には、美しい草花が、目もあやに咲き乱れ、白い蝶や黄いろい蝶がひらひらと舞っている。
 ―どこかから音楽が聞えて来る。まり子は、その音楽に誘われるようにして、ふらふらとその路をあるいて行く。すると、向こうから、静かなあしどりで此方に近づいて来る老人がある。見ると、それは父である。
「あら、お父さん!」まり子は走り寄って、思わずこう声をあげる。父は、黙って、ただにこにこと笑っている。―ふと、気がついて見ると、父のうしろに、女の人が立っている。青ざめた顔をして、その優しい眼には、深い悲しみが湛えられている。それが、母だという事が、まり子にはすぐにわかった。
「お母さん!」とまり子は叫んだ。―と思ったら、眼が覚めてしまった、
「どう?少しは楽におなりなの?」枕もとに優しい声がした。見ると、信子がそこに坐っていた。今、夢の中で見た亡き母のすがたと、そこに坐っている信子のすがたとが、まり子のぼんやりとした頭の中でごっちゃになっていた。
 力なく蒲団の外へ投げ出されていたまり子の手は、信子の手に優しく握られた。
「大分熱がとれたようね。すぐによくなりますよ」信子は優しく言った。
「ありがとうございます。いろいろお世話になりまして」
「お礼などは言わなくてもいいのよ。―だけれどね、まり子さん、あなたは此処にいるって事をお知らせしなくてはいけないわ。何処へお知らせすればいいのだろうね」
「何処も―」まり子は答えた。「私、まだいる所がきまっていないんですの。だから何処も、知らせる所なんかありません」
「まあ、そう―じゃ、このままでいいのね。それなら、いっその事いつまでも私の家にいちゃどう?いずれあとでいろいろお訊きしますけど、今夜はゆっくりとおやすみなさいな」信子は、あくまでもやさしい調子で言うのであった。
 まり子の眼には涙が浮かんだ。まり子は胸一ぱいの感謝の言葉を、どう口にすべきか苦しんだ。とにかく、これで自分も救われたという気がした。死んだお父様やお母様が自分をまもっていて下さるのだ。そして、この人に引合せて下さるのだと思った。
 まり子は再びうとうとしはじめた。戸の外に、しとしとと降る雨の音がした。そして、遠くの部屋から、蓄音器の歌が聞えて来た。まり子には、何の歌だか判らなかったが、それは、シューマン・ハインクの唄う「ジョスランの子守唄」だった。眠れ、眠れ、やすらかに眠れ、というその歌は、まり子の心を次第に、安らかな眠の国へと誘ってゆくのであった。
 あくる日の午後には、もうすっかり熱もとれて、まり子は床から起きあがる事ができた。
 信子の室(へや)には、桃花心木(マホガニー)の大きなピアノが据えられてあった。ピアノの室(へや)には、うずたかく楽譜がつみ重ねられ、赤や黄や紫の美しい夏花の盛られた青磁の花瓶があった。壁には、ベートーベンのマスクが懸っており、その下に大きな花輪がおかれてあった。そして、一方の窓下の机の上には、装幀の美しい新刊の文学書などが載せられてあった。投げやりな中にも趣のある、質素ながらどことなく華やかな空気の漲ったその部屋の、小さな卓子(テーブル)を挟んで、まり子は、信子と相対して坐った。
「そう?内山さんへの紹介状を持って―そう?それで内山さんからことわられたのね、まあ、そう?」信子は、まり子の言葉の一つ一つに深くうなずいて、「折角、頼って来たものを、まあ、内山さんも、あんまり残酷だわね」
「私、何だかちっとも、わけが判らないんですの。―内山先生の許へさへ行けば、きっとお世話して下さるという父の話しだったもんですから―」
「それにはね、やっぱり、わけがあるのよ。まり子さん!」
「私も、何かわけがあると思いました。どういうわけなのでございましょう?」
「そのわけはね―」信子は、言いさして口籠ってしまった。
「知っていらっしゃるのでございますか?」
「ええ。私は知っているのよ」
「どういうわけなのでございましょう?」とまり子が重ねて訊いた。
「でもね、それをあなたにお話しするのは、まだ早すぎるように思われるわ。今に、わかる事なんだから―」
 まり子は、ただ、信子の口もとを打ちまもるより外なかった。
「今に、自然にわかって来ると思いますわ。―ただね、あなたをおことわりになった内山さんのお心持も、ずい分お辛かったろうと私思うのよ。内山さんを恨んではいけませんわ。深い、こみ入ったわけがあるんですからね」
「そうでしょうか?」と言ったが、信子の言葉はまり子にとっては依然として一つの謎でしかなかった。
「とにかく、もうあなたには私がついているんだから、私が何処までもあなたのお身の上は引き受けてあげますから、あなたは心配しなくてもいいのよ。そして、あなたのお母様にまけないような立派な音楽家におなりになるのよ。あなたのお母様の美沙子さんは、本当に天才といってもいいくらいの方だったのよ。ミニヨンの『君よ知るや―』あれ、あなたご存じ?あれが美沙子さんのお得意でしたっけ。ずっと東京にいらっしゃったら、それこそ素晴らしい声楽家としても、もっともっと名高い方におなりになったのでしょうに、いろいろの事情から、田舎に引っ込んでおしまいなさるし、若死(わかじに)をなさっておしまいなさるし―本当に、惜しい方だったわ」信子は、遠い昔を思いかえすようにして、こんな風に語りつづけるのであった。