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君よ知るや南の国 その3 (完)

2011年09月26日 | 著作権切れ大正文学
  二つの心

 今日のまり子の番組は、マスネエの「挽歌(エレジー)」であった。まり子は、その豊かな声量を、しかしいくらか抑えたつつましやかな歌振で静かに歌い出した。垂死の底から起ちあがりながらも、老楽師の、鍛え込んだ腕はたしかなものだった。―歌がすすむにつれて、聴衆は、その肉声と楽の音との、世にもいみじい調和のうちに、その心を揺(ゆす)られ、その魂を誘われて行った。それは深い悲しみの歌だった。しかも知られざる世界の、ほのぼのとしたあかるみをその何処にか感じさせるような、静かな美しい歌だった。
 聴衆は、遂に全くわれを忘れて、恍惚として、それに聴き入った。
 歌が終わった。しばらくは鳴りも止まない拍手が、耳を聾するばかりであった。
「済みませんが、礼奏(アンコール)を願えませんでしょうか。あの騒でございますから」司会者(マネージャー)は、まり子に、―そして、内山老人に対してより多く強縮しながら、こう頼むのであった。老楽師はひどく疲れていたが、すぐに承知して、
「まり子さん。じゃ、あれを歌って下さい。ミニヨンの『君よ知るや南の国』を―」と、まり子に注文を出した。
 それは、亡き母のよく歌ったという歌である。そして、亡き父のこの上もなく愛した歌である。まり子にとって、最も懐かしい歌、親しい歌、そして最も自信をもって歌える歌だった。まり子は、
「え。歌わせていただきます」と答えた。
 二人は再び舞台(ステージ)にあらわれた。



 君よ知るや南の国―
 樹々はみのり花は咲ける。
 風はのどけく鳥は謡い
 時をわかず胡蝶舞う。
 
 まり子は謡いながら、ふと、一つの思出に捕らわれた。
「まり子。『君よ知るや―』を唄って御覧」
 あの朝だった。父の死の数分前だった。父は、そう言って自分に頼むのだった。
「まあ、お父様。朝のお食事をなすってからにしましょうよ」
 そう言って、その時すぐに歌わなかったので、とうとうこの歌をお父様にお聞かせする事が出来なかったのではなかったのか?
 まあ、何という事を考え出したものだろう?とまり子は、一生懸命に歌いながら、二つに動く心の一つで思った。こんな事を考え出したりしてはいけないわ。こんな事を考えていると、私、しくじるわ!いけない、いけない、と自ら叱って見たが、この悲しい思出は、なかなか追いやる事が出来なかった。
 そればかりでない。妙な幻想が、つづいて彼女の心を捕らえた。今、自分のために伴奏をしてくれている人が、あの亡くなったお父様ではなかろうか?いや、お父様だ、お父様だ。―そんな筈はないと思いながらも、どうもそんな気がしてならないのだった。

 光みちてめぐみあふれ
 春とこしえに、空青し―

 まり子の歌う声は、あやしくわななきはじめた。
 そうした、その時、まり子のためにピアノを弾いている老楽師の胸にも、一つの思出が浮かんでいたのであった。―あの二十幾年前の恋人。自分を捨ててその恋敵なる男のものとなってしまった恋人。誓うたというのでもないから、裏切られたと恨む事も出来ない、それ故にこそ、一層、自分には辛いものに思われた恋人。この老いに蝕ばまれた心臓にまで、なお、失恋の痛手を残さしめている恋人のその美沙子のために、丁度このようにして伴奏をした遠い昔が、今、あまりに鮮やかに彼の胸に返って来たのであった。―歌も同じこの歌だった。その声音なり、歌振なりは、寸分ちがわない彼女ではないか。そうだ。彼女が再び自分の前にあらわれたのだ。そうして自分のために歌っているのだ―。
 老楽師の胸にはあの二十幾年前の、若き日の哀歓(あいかん)が、そっくりそのまま返って来た。おお、それは、あまりに色濃い昔の夢のよみがえりであった。
 
 ああ、恋しき邦(くに)へ
 逃れかえるよすがもなし
 わがなつかしのふるさと
 希望(のぞみ)みてるくに

 あやしきおののきを帯びたまり子の声は、老楽師の心臓を残酷なまでに激しく震蕩(しんとう)する。老楽師のキーを打つ指は、おのずから乱れて行った。と共に、まり子の歌う調子も、よろよろとよろめくように乱れて行った。
 聴衆の顔には、あるおどろきの色が浮かんだ。一体どうした事だ?口には言わないが、心には皆一斉にこう言いながら、息をひそめて舞台(ステージ)を見つめた時、突然、ピアノの音が中断してしまった。と、次の瞬間に、二音程(オクターブ)のキーががあんと一度に鳴った。老楽師は、ピアノに凭れて、俯伏(うつぶ)してしまったのであった。
 まり子はびっくりして振返った。そして、ぐったりとピアノに凭れている老楽師の姿を見た時―それは、まり子の眼に、あの「父の死」と寸分ちがわない再現と見えたのであった。
 まり子は、我を忘れて、その方へ走り寄った。そして、その灰色の髪の乱れかかった肩に手をかけて抱き起しながら、思わず、
「おとうさま!」と叫んだのであった。
「美沙子!美沙子!」
 まり子の手に抱き起されながら、老楽師内山邦夫は、そのぼんやりとした眼でじっとまり子の顔を見上げながら、昔の恋人の名を―まり子の母の名を呼んだのであった。
 そのおどろくべき光景は、しばらくの間、聴衆の全部を沈黙させてしまった。
 緑色のカーテンがするするとおろされた。聴衆は総立になった。が、誰も声を出すものはなかった。あまりに激しいショックのために、その意識を麻痺させられていたので。

 老楽師は、しかし最後の息をひきとるまでには、なお、十幾時間の命をあましていた。彼は、まり子の腕に抱かれながら、微笑して永遠の眠についた。
 彼は、その名器として知られた愛用のピアノをはじめとして、すべての財産を、まり子に譲る事を遺言した。彼には、夫人との間に子供がなかった。そして、夫人も、つい一年ばかり前に、腹膜炎という病気で急死したので、まるきり、ひとりぼっちになっていたのであった。
 内山老人とまり子の間にもつれている一つの運命。いままで、まり子にとっては一つの謎でしかなかった運命の姿を、まり子がはっきりと見得たのは、内山老人が死んでからであった。
 信子は一切の事をまり子に話してくれた。信子が、どういう事をまり子に語ったか?信子の話を待つまでもなく、聡明な読者はすでにまり子の謎を解いて下すった事と思うが、念のために簡単に言うと、大体次のようである。
 まり子の母の桂美沙子の処女時代には、その美貌とその天分を以て、丁度今まり子が得ている地位を当時の楽壇に得ていた。従って、彼女はその周囲に多くの憧憬と愛慕とを集めていたが、中にも命にも代えてと彼女を恋した二人の青年があった。一人は大沼哲三だった。一人は内山邦夫だった。二人は、楽壇において並び称された俊才であったが、恋においても、美沙子を中に、互に競争者(ライバル)としてしのぎを削らなければならなかった。が、二人の争いにも拘らず、美沙子は極めて無邪気であった。無邪気な愛子(あいし)は、二人をひとしい微笑を以て迎え、二人にひとしい親しみを以てつきあっていた。彼女も彼等を好いていた。が、彼女の心の秤(はかり)は、どちらにも傾かなかった。愛とはいえても、恋にはならないといった程度の心持は、静かに湛えられた水の如く、どちらへ向っても流れようともしなかったのであった。そして、二人の青年も、あらわに口に出しては求愛の言葉を打出でる事が出来ないで、互に悶々の思の中(うち)に、半年と過ぎ、一年と過ぎていたのであった。
 が、恋は、まことに機会である。ある機会が、哲三と美沙子とを結びつけた。囁きをうなずかれた。申出はきかれた。二人は、傍の者の目にもとまらぬ早業で、一人の妻となり一人の夫となった。大沼哲三は、見事にその競争者を打負かして、恋の勝利者となったのだった。
 恋の勝利者となった哲三は、恋妻の美沙子の伴奏者として、屢々(しばしば)舞台(ステージ)の上から、その幸福を聴衆の上に撒きちらした。実際、二人の結婚は、多くの人々の羨望の的となった。

 君よ知るや南の国―
 樹々はみのり花は咲ける

 美沙子は好んでこの歌を歌ったが、それは実に、彼等の「幸福の歌」であった。
 が、その「幸福の歌」を堪えがたい「苦悶の歌」として聞かねばならぬ一人の男がそこにいた。いうまでもなく内山邦夫だった。二人が舞台に立つ時、その聴衆の中に、そっと身をひそめて、人しれずその歌を聴きすましつつ、その心臓は自ら嚙み裂く如き苦悶におののいていた一人の男―そのみじめな男は、内山邦夫であった。
 が、哲三の幸福も長くはつづかなかった。美沙子は、まり子を生むと間もなく、まだまだ春も盛りの花のいのちを、一夜の嵐に任せてしまった。愛妻の死によってすっかり意気銷沈してしまった哲三は、伸ぶべき才を伸ばさずに、次第に中央の楽壇からも遠ざかって、とうとう田舎住まいに淋しい後の半生を埋めてしまわなければならなくなったのであった。
 反対に、その失恋の痛手を拍車として、一意、芸術の道に驀進した内山邦夫は、死物狂の精進の甲斐あって、遂にわが楽壇の王座を占め、名楽師の名を遠く海の外にまで謳われるようになった。が、その芸術も、その名声も、彼の痛手を癒す事は出来なかった。深く食い込んだ失恋の悩は、美沙子が死に、相手の幸福の全く奪い去られた後までも、それ自身として成長し、返らぬ恨(うらみ)は、いつまでも彼の心臓の棘となって、彼の一生を苦しめつづけたのであった。
 作者の説明は、もうこれで十分であろうと思う。私は、もう十分過ぎるほど、まり子の謎を解いたように思う。


  エピローグ

 内山邦夫の葬式が行われてから半月ほど経ってから、一つの意外な報道が伝えられた。それは、大沼まり子が、榊原礼吉と相携(あいたずさ)えて外遊の途に上るという報道であった。榊原礼吉の外遊は、すでにあらかじめ知られていたが、まり子を同伴するという事実は、人々をおどろかした。そして、礼吉とまり子との間に、婚約が成立しているのだという事実もつづいて伝えられ、より以上に人々をおどろかした。
 それは皆、信子のはからいであった。信子は、礼吉がいかにまり子を愛しているかを知っていた。そして、まり子も亦(また)礼吉を愛している事も知っていた。
「―また、悲劇が起るといけないわ」と信子は、やさしく微笑しながら言った。
「少し早過ぎるとは思うけれど、きめておしまいなさいな。そのうち、またいろいろな人が出て来て、そこにいろいろのね、いろいろの事がもちあがって、あなたはそのために苦しまなければならなくなるかも知れないわ。あなたが苦しむばかりでなく、その人達も苦しめる事になるのよ。だからね、思いきってお約束をしてしまいなさいな」
 まことに信子のこのはからいは、賢明なものではなかったろうか?