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1999年10月 所要時間9:40(歩行時間8:10 休憩1:30)
この山を知ったのはもう8年も前になる。本の名前は忘れたが新潟の妙義山と言う事で紹介されていた。「標高と山の面白みが無関係で有る事を証明する山、標高900m足らずで光明山はその最たるもの。豪雪に鍛えられた岸壁が灌木の衣を纏い深い谷から急峻に立ち上がる様は凄絶」と有れば私のみならず誰しも興味が湧くに違いない。
絶対に登ると思いながらもアプローチの長さに足踏みしていた山に漸く足を踏み入れる日がやって来た。登山口の笠掘ダムに着いたのが夜中の2時頃だったので予定の時間を大幅に回って7時20分の出発である。
ススキの原を抜け七曲峠辺りで下方に笠掘湖(出発点)が望めた。周囲の灌木も次第に色づき始めた様で辺りが明るい。そこから間もなく山腹のトラバースに掛かる手前で展望が開けた。ハッキリとした同定は出来ないが立派な山体は距離的に言って粟ヶ岳に違いない。その右方、これまた立派な山体は守門岳だろうか。
トラバース道に入り振り向いて驚いた。目も覚めるような黄、紅の中に雄さん、「ちょっと待って」と思わずカメラを向けた(アルバムに貼ってある写真はもっと鮮やかなのですが)
長い時間を掛けて山腹を巻いて作られた登山道を絡みながら、ゆっくり高度を上げて木喰上人が修行したと言われる浄土穴、水溜りの様なカバ井戸を通過する辺りでも紅葉の美しさに圧倒されるばかり
漸く前方が開けると行く手に前光明(万之助山)が堂々と立ち上がり、その先に中光明も負けじと肩を怒らせている。嘗て修験道だったのか、村人の信仰の山だったのか判らないが光明山と言う山名からして何らかの関わりが有る事は確かだ。此処までの道すがら路傍の小さな石室に、又は草むらの中にそれこそ見過ごしてしまいそうな小さな石仏が祀られていた。
前光明から僅かに下り中光明に至るか細いトレースを木と木を繋いで張られたロープにバランスを託してトラバースするのだが宛てにして身を託そうものなら空中に投げ出されてしまう。実際、私は道がえぐれた場所でそのロープを当てにしたばっかりに足だけ残し30度くらい谷側に上半身が傾いたのを腿の筋肉で何とかこらえ事なきを得、命拾いをした。
雪崩に磨かれた岸壁が凄まじい中光明山
さて、いよいよ中光明の登りが始まりました。休むのはカメラを向けている時だけ。登山口から中光明迄3時間10分とアルバムに記録して有りましたからザックも下ろさず3時間弱、歩きっぱなし。此処まで良く頑張ったものだと我ながら驚いてしまいました。
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