たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

安中・歴史探訪

2013年05月20日 | 日記
K子さんのお誘いを受け今日は安中の歴史の勉強会です








安中の市民文化センターで待ち合わせ徒歩で中山道に向かいました

ここは大名小路と名付けられ、その一角に家老屋敷跡や旧安中藩郡奉行役宅・武家長屋などが点在しています

先ずは旧安中藩郡奉行役宅を見学する事にしましょう

群馬には珍しい曲り家構造で猪狩幾右衛門懐忠が奉行を勤めた所だそうです

(肖像画は当時では珍しい油絵でモデルは学問に秀でた15代藩主・板倉勝明)






そして武家長屋

安中藩はたかだか三万石という小藩でしたので中級武士は一戸建ての住居に住む事も儘ならず

この様な長屋に居住せざるを得ませんでした

庭も現在は庭園風に仕立てて有りますが当時は少しでも生活の足しになるようにと野菜を作っていたと言う事です

我が家も生活の足し用の畑が有りますが何時の世も厳しい世の中、考える事は同じですね




通りに出ますと先日、行われた安政遠足(とおあし)の名残を見つけました

この遠足は安中から県境の熊野神社まで走り抜ける競技で15代藩主の板倉勝明が考案した日本最初のマラソンです







次に向かったのは安中教会

日本人の手によって作られた日本最初の教会で初代牧師は海老名弾正氏で「国登録有形文化財」に指定され

後に同志社大学を創設した新島襄に深く関わりのある教会でも有ります

内部見学は予約制のため叶いませんでした

“ちょっと疲れましたね”と教会の木陰でティータイム




教会と道を挟んだ所に建つのが旧碓氷郡役所

ちょうど新島襄と八重子展が開かれておりました

ご存知、大河ドラマ「八重の桜」の主人公「男勝りの八重子」です






新島襄→安中藩士の長男として生まれる。

アメリカに憧れ21歳で脱国、10年間キリスト教を修めたのち帰国し京都に同志社英学校を設立。二年後に八重と結婚

因みに安中には新島学園があります。46歳死去

エピソード→アメリカの知人に「八重は中々のハンサムウーマンと言って紹介したとか


新島八重子→川崎尚之助と離別後、会津戦争でスペンサー銃を持って奮戦。後に新島襄と再婚。87歳死去


では少し離れていますが(徒歩30分)二人が暮らしたお家訪問といきましょうか

向かう途中、レンガ造りの大きな煙突が道に張り出していました

懐かしい匂いが漂っています

昔ながらの天然鋳造に拘った醤油を作っているという有田屋さんの煙突でした




ここで群馬の画家で有れば知らない人は居ない小林良曹氏(故人)のアトリエを発見

更に驚く事には先日ブログアップした純子さん(Kさんの姪)は小林氏の元奥様だったのだとか

20歳という年齢差を越えて花開いた愛だったのですが周りの冷たい仕打ちに耐え切れず泣く泣く離婚

傷心の純子さんは単独スペインに渡り絵に没頭しつつ独自の画法を生み出していったわけです(私の想像)

(50歩通りとはここから50歩でアトリエですよという洒落た案内)




さあ、ようやく着きました

閉館は4時半。今まさに雨戸を閉め様としている所

残念そうにしている私達を憐れんでか「長い時間は無理ですが、どうぞ」と言って下さいました

写真は新島襄、若かりし頃




ノンビリ散策しながらの歴史探訪

お隣の町で有りながら安中は何時も通過点でしか有りませんでした

新しい発見、価値観を同じくする友人、私の心は清々しい気持ちに満たされた一日となりました





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コメント (4)
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