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たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

最悪の一日 (湯陽温泉~天安へ)

2014年10月24日 | 韓国
湯陽温泉[10:10]→バス→市外バスターミナル→タクシー→高速バスターミナル
(バス)→2000ウオン  (タクシー)→6600ウオン
★高速バスターミナルと市外バスターミナルを間違えてしまい市外バスターミナルで下車してしまいました


次の写真は昨夜、顕忠祠から帰って立ち寄った湯陽温泉にある市場です

今までアチコチの市場を見てきましたが此処も中々の活気を見せていました

2枚目は雷魚、雄さんは知っていた様ですが私は初めて目にする魚です

その次の写真はご存知ニンニク

テレビのニュースに寄りますと今年は韓国各地でニンニクが取れすぎ

値段が暴落してしまった為、生産者は頭を抱えている様です






目覚めると外は雨でした

温泉の事やバスの乗り場を教えて頂いたりリコンファーム迄して下さった受付嬢に別れを告げ

ホテルを後にこれから天安に向かいます


しかし、私達は彼女のアドバイスに従ったつもりでしたが

方向感覚が狂い反対側のバス停で来るはずの無いバスを待つという・・・

・・・そりゃー幾ら待っても来るはず無いわね

結局やって来たバスの運転手さんの説明にて反対側という事が分かり移動しましたが

90番代のバスは来るのに全て通過してしまうではないですか

その時、雄さんが“先の停留所”と言った運転手さんの言葉を思い出してくれたのです

先のバス停とは街路樹が茂り見えなかったのですね

悪い事に雨に交って風も出てきました

バスに乗ったのが10時を少し回っていましたから約1時間、私達はバスに翻弄されていた事になります


何とかバスに乗る事が出来ました

ところがです

今度は、あろう事か手前の市外バスターミナルが見えた時、雄さんが「ここだ」と言って降りてしまったのです

何となく違和感を感じましたが私も降りない訳にはいきません

やはり其処は高速バスターミナルでは有りませんでした

扶余から天安に着き直ぐに湯陽温泉に向かってしまいましたので雄さんの記憶は曖昧になってしまった様です

側に居た女性に高速バスターミナルまで歩いていけるか問いますと

「かなり有りますよ」という返事が返ってきました

結局、天気も天気なので高速バスターミナル迄はタクシー利用という事に相成った訳です

此処が高速バスターミナル




さて、宿を探さないといけません

運の良い事に雨も上がりましたが吟味したはずの宿は中に入ると見当はずれも良いところ

人間と同じく外見で判断してはいけないという見本の様な雑居ビルの中の宿だったのです

何だか嫌な予感がして、部屋に行きますと

受付のアジュンマの暗い印象に似て部屋もやはり暗い感じ

にも関わらず韓国特有のチャカチャカした内装

まぁ支払いも済ませてしまった事だし一泊だからと言う事で決めましたが、こちらまで暗くなりそうです

気を取り直し駅内のマートで購入したお弁当持参で今日の目的の独立記念館へと向かう事にしました

約30分、目的地に着きますとバスの運転手さんが

「ヒュガヒュガ・オヌル キニョンカンヌン ヒュガ」と言っています

ウソでしょ 今日は休館日? だってJTB発行のワールドガイドには無休って有ったのよ

ガックリしながらバス停の椅子に腰かけお弁当を食べながら折り返しのバスを待つこの哀れさ

これまで何度、日本のガイドブックに騙された事か

今日一日が全て上手く行かなかっただけに余計、腹が立ちます

ここは私の希望の場所でも有りましたので「延泊して明日また来よう」と雄さんが気遣ってくれましたが


天安駅前でこんな物を見つけました






宿に戻り延泊を告げ今日は早目に就寝、こんな日はそれに限ります 




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不滅の李舜臣(イ・スンシン)将軍

2014年10月22日 | 韓国
湯陽温泉(10:10)→(バス)→顕忠祠(11:15)  2800ウオン







この軸に描かれた人物がイ・スンシンですが

死後、功績が称えられてチュンムゴンという最大級の勲功が与えられました

(上の船はレプリカですが慶長の役で活躍した亀甲船です)


韓国ドラマに登場した偉大な将軍イ・スンシン

今日はそのイ・スンシン縁の顕忠祠と生家を訪ねてみました




門を潜って左回りに15分ほど歩きますとイ・スンシンの三男で有るイ・ミョンゴンの墓に行き当たりました

三男はドラマにも登場しましたので観た方はお分かりかと思いますが

幼い頃から知恵と勇猛を兼備し乗馬や弓術に大変優れた人物でしたが

惜しい事に慶長の役の際、21歳の短い生涯を終えてしまったんですよね

因みにイ・スンシンの墓はここから9K離れた牙山市の於羅山に有るとの事です


近くにはイ・スンシンが弓術の練習をした場所で的までの距離は145m有るそうです

私も若い頃、親戚の叔父が弓道の師範をしていましたので通った事が有りますが

距離はもっと短かったので的を射る事も出来ましたが145mは、とてもとても無理でしょうね

そしてこの弓場の周りを囲んでいるなだらかなパンファサンは馬の練習に励んだ山で有り

其処彼処にイ・スンシンの軌跡を追う事が出来ました


書にも長けていたイ・スンシンを目指すチビッ子たち・・・ガンバレ


こちらが武科試験に合格する前から暮していたイ・スンシンの生家ですね

ご先祖の格の高さが伺える重厚な建物です












かなりの面積でしたが、こうして歴史上の人物を追う散策は疲れも何処へやら

むしろ楽しくて次の目的地へと気は焦るばかりでした

その目的地とは顕忠祠

ここはイ・スンシンの精神を称える為に建立された祠堂です








敷地内には橋を挟んで約1900坪の広さの池があり

見学者の憩いの場になっており大勢の観光客の姿が見られました

その近くに休憩舎の様な建物が有りましたので近づき説明板を見ますと其処には「旌聞」と書かれていました

何代かに渡って功績を遺した親族を称える為に沢山の名前(?)が掲げられていましたが

これはいわゆる日本でいう顕彰碑に当たるものでは無いかと推測しました

そしてこの建物はそれらを守る為に後から建てられた物ではないかと思われます




最後にイ・スンシン遺物館を覗いてみる事に致しましょう

イ・スンシンと言えば壬辰倭乱の時の水軍の総司令官ですから

展示物は勿論、戦闘に纏わる物ばかりですが中でも目を引いたのは

イ・スンシンが水軍に居た頃の諸々が書かれている日記でした

もう一つの日記は湖南左水営に赴任の命を受けた時の生活日記でしょうか

(間違っているかもしれません)





こちらの刀は197・5㎝という長剣ですが実際に使われた事はなさそうです

実戦用は此方の方なのでしょうね






韓国軍の亀甲船と菱型の紋が掲げられていますので日本軍の船でしょうか






こちらの絵は(何だか紙芝居的な絵ですね)潮の流れの速い場での戦闘シーンですから

セオウル号の事故が起きた珍島(チンド)辺りでしょうか


結局、最後は流れ弾に当たりこの戦闘で亡くなってしまう訳ですが

その時に残された言葉が「私の死を敵に知らせるな」だったそうですが

勝利を収めたのは韓国軍だったのです

今回、ドラマを思い起こしながらイ・スンシンという人物に触れて

日本人で有る筈の自身がイ・スンシンに傾倒している事に一寸、苦笑しています

何れにしても以前、観た「イ・スンシン」は珍しく引き込まれたドラマでした



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 定林寺址と国立扶余博物館

2014年10月17日 | 韓国
扶余(9:20)→バス→天安(11:15) 7700ウオン
天安→タクシー→湯陽温泉     4500ウオン

定林寺址は私達が宿泊している「アリラン」の近くに有ります

宮南池へ行った時、扶蘇山城へ行った時に必ず目に留まる寺ですが

中に入ってまで見学するほどでもないかなと何時も素通りしていました

今日も博物館へ向かいながら塀越しに眺めただけの定林寺となってしまいました




寺の庭に建つ五層石塔は現存する石塔の内1500年を守って来た最古の塔だそうです

説明に寄れば

木造塔から石塔へ移り変わる初めての様式で比例と構造手法に優れ

軟らかくて温和な百済文化のイメージがそのまま表れているのが感じられる

そう書かれています




博物館は寺址から歩いて10分くらいの所にあります

今日も僅か10分が一時間に思えるほどの暑さでした

観光に雨は困りものですが、こう日照りが続くと日傘をさしている人が恨めしくなります

博物館のメピョソへ行きますと「入場料は入りません、どうぞ見学して下さい」

最初その意味が分かりませんでしたが博物館の本館は8/4迄 工事中で分館での展示だったのです


この胸像は百済聖王です


次の仏像二体は金銅観音菩薩立像と金銅菩薩立像




装飾品なども有りました、博物館の目玉でもある金銅大香炉は撮影禁止だったのが残念






そして私にとって興味深い和楽器

私の使用する筝とは弦の数も地の形も大きさも全く違いますが

一体、どんな弾き方をするのでしょう、どんな音を奏でるのでしょう

一度、聴いてみたくなりました






本来の展示物の主だった物だけしか見る事は出来ませんでしたが来た時期が悪かったと諦めるしかありません

博物館の前の休憩舎で休んでいますと、同じく涼をとるために そこに現れた学生二人

「ヨギソヌン シウォン ハニカ シュイチャ」と言った二人の言葉を雄さんが

「ここが涼しいから休もうか・・・だって・・・」と私に和訳したのが聞こえたのか

綺麗な日本語で「日本から来られましたか?」と話しかけてきました

彼等は現在、大学生で百済の歴史について論文を書くために此処を訪れたのだそうです

8月まで工事中で展示物が僅かしかない事を伝えると残念そうでしたが/font>

一時間余り私達と話をすると爽やかな笑顔を残して分館に向かって行ったのです




明けて6月1日

扶余を後に天安(チョンアン)から湯陽温泉(オニャンオンチョン)に向かいます

今日は暑さも和らぎ薄い上衣が必要な一日でした

公州(コンジュ)に入るとバスは交通会館という建物に向かいハンドルを切りました

そしていきなり客を乗せたまま洗車を始めたのです

こんな事って日本では有り得ない事ですよね




この街が天安です

ここは交通の要所で有り温泉を控えている事もあり昔から賑わいを見せた街だそうです


私達は天安バスターミナルで下車したあと湯陽温泉行のバスに乗っても良かったのですが

天安バスターミナル周辺で温泉は無いかと歩き回ったため(実際のところ天安は温泉地では無かった)

疲れてしまった為、タクシー利用で温泉に向かう事にしました

行先は決して見栄を張った訳では無く一番有名な「湯陽観光」しか分かりませんでしたので

そう告げると御丁寧にも門を潜り玄関横づけされてしまいました

この写真が湯陽観光の門です


チョット哀れっぽく此処を辞し温泉を探す事にしましたが

前回のトンネ温泉でも、そうでしたが日本の様な温泉場特有な雰囲気が有る訳では有りません

そこで探したのが、このハリントンホテル

面倒臭いので此処に決めてしまいましたが此処は温泉ホテルでは有りません

この女性、英語も日本語も堪能で明るく親切で帰りのリコンファームまで引き受けて下さいました




荷をほどき「イ・スンシン」の生家が有る顕忠祠へ向かいますが、それは次の項で

こちらは湯陽温泉駅

駅前にはセオウル号の遭難者を悼んで黄色いリボンが風になびいています



セオウル号の遭難者の冥福を祈っています

待ってるから力を出して下さい

必ず戻れますからね




話題をちょっと変えます

この写真はバス停の所にかかっていた稲の“はざ掛け”を写した物ですが

お国柄で天日干し方法の違いに興味を魅かれました



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扶蘇山城(プソサンソン)  扶余

2014年10月14日 | 韓国
今日は日本と関わりの深い百済の歴史を尋ねます

昨日、行った宮南池は市街地から南の方角ですが山城は北側の小高い山です

今日も暑く外気温は37.4度

昨日の日本からのメールでは2名の死者が出てしまったのだとか

ここ韓国は湿度が低いのが取り得ですが、それでもアスファルトの照り返しがきつく汗が額に滲みますが

タクシーを使う程の距離では有りません

城門を潜り先ずは三忠祠(サンチュンサ)へ向かいます

ここには百済最後の王の暴挙を諌めた

成忠(ソンチョン)・興首(ホンス)・階伯(ケべク)の三忠臣が祀られています

これは世界史で学ぶところですが

新羅と唐の連合軍に攻撃された百済に加勢したのが日本軍だったのですよね

でも、一旦は退いた連合軍に再び攻められ結局、大敗してしまいます

日本でも高名な蘇我氏は実は百済から亡命した貴族で

この事は戦争を含めて日本書紀に記録されている事実です






ここは街の喧騒も無く緑陰の涼しさに一気に汗が引きましたく

松林に変わった坂道をゆっくり登り石垣だけが残る軍庫址(だと思う)を見た辺り

松の実を探して忙しなく動くリスを見つけました

お願いだから少しジッとしてといった私の想いが通じたのか・・・




この建物は・・・ちょっと分かりません


そして此方はは迎日楼(ヨンイルル)と言い

王や家臣達が朝日を拝し繁栄を祈った場所だそうです


この先、幾筋も走る道に何処を歩いているのか分からなくなってしまい

前から走ってきた男性に百花亭への道を尋ねますと「私が案内します」

話に寄りますと男性は毎日ここでジョギングをしているのだとか

“それでは毎回、わざわざ入場料を払って運動にきているのかしら・・・”そんな疑問が湧いてしまいます

そんな事で好意を有り難く受けた私達でしたが

とにかく付いていくのがやっと

何で韓国の人はこうも歩くのが速いのでしょうかね






半月楼(パンウォルル)に上がってみますか?と仰ったので、ようやく一息つく事が出来ました

此処はとても眺めの良い場所で眼下に白馬江(ペンマガン)と扶余の街並みが一望です








再び早歩きの始まりです

売店を見つけた雄さん「ジュースでも飲みますか?」

そこで自販機に向かいお金を入れようとすると「私が買います」と男性

こちらは案内をして頂いているので

「そうはいきません」と言いますと「いいからいいから」

そんな押し問答が続きましたが結局、ご馳走になる事になってしまいました

毎日、ここをジョギングしているせいか売店のアジュンマとは顔見知りの様で

私達も会話に加わり楽しい一時を過ごしました

この梅ジュース、済州でも飲みましたが中々です




ようやく目指す落下岩上に建つ百花亭が見えてきました

ここには百済滅亡をを知った官女たち約3千名が

節操を守る為にこの落花岩から白馬江に身を投げたという悲話が語り継がれ

今でこそ何事も無かった様に静かに流れる白馬江ですが

当時は落花岩も川の水も<血で染まったと言われています/font>






お母さんが愛情込めて作ってくれたお弁当なんでしょうね

幸せそうな子供たちの笑顔です


「ここから急坂を下りますと皐蘭寺(コランサ)という寺が有ります」

そう言うと男性は道無き雑木の中を駆け上がっていきました

教えて頂いた道を下り寺に着きますと本堂から僧の読経が聞こえています

場所によっては録音された物をスピーカーで流している寺も有りますが此処はライブ

こうでなくてはいけませんよね

今までの早足が祟ったのかベンチに腰を下ろすと一気に汗が・・・

側に有った売店で団扇を二つ購入しましたら耳かきを二つサービスしてくださいました






直ぐ側の御堂では熱心な信者が祈りを捧げています

こんな所をカメラに納めるのは罰当たりでしょうか




ちょっと心が咎めましたので御神水で清めて・・・っと


身を清めたあと白馬江を覗けば今、ちょうど遊覧船が扶余に向かうところでした



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ハス池・宮南池(クンナムチ) 扶余(プヨ)

2014年10月12日 | 韓国



今日は市街地の外れに有る宮南池を散策です

インフォで頂いたパンフレットに寄りますと

韓国最初の人工庭園で634年、宮の南側に池を掘って柳を植え真ん中には島を造ったと記録されており

百済の路子工は日本に渡って飛鳥時代庭園造景技術を伝えたという

蓮華が満開になる7月になると庭園祭りと署童蓮華祭りが開かれる

と記して有りましたが生憎、時期が少し早かった様でハスの花を見る事はできませんでしたが

その代わり水連の優しい花弁が7月の祭りを待つかの様に開花し始めていた事は幸運でした












こちらはコウホネですね






花に見とれて気が付きませんでしたが、よく見ればメダカが泳ぎバンが泳ぎ

トルコ石色をしたトンボが群れをなしているでは有りませんか






それらを私達と同じ目線で見つめる猫の目的は別なのでしょうか

単に日向ぼっこと思いたいですね


とにかく驚くほど広大な面積です

今は緑一色の世界で、それはそれで そぞろ歩くには持って来いなのですが

やはり花(ハス)が咲いていた方が良いのに決まってる









小学生の課外授業でしょうか

こういう風景は微笑ましいものですね




中州で休んでおりますと後ろからご婦人方の賑やかしい声が聞こえてきました

葦の葉影から覗きますとお祭りに向けて枯れた葉の除去作業をする作業員の声でした

偶に大きな笑い声も聞こえます

どんな話をしながら精を出しているのでしょうね




今日も暑い一日です

木陰を求めてセンスを傘代わりに歩いていきますと

柳を揺らす風を受けて寛ぐ姿があちこちの東屋で見受けられました

私達も東屋でしばし風に身を委ねる事に致しましょう




池には島が造られておりまして、古人も遊興に耽ったで有りましょう休憩舎が広大な敷地を引き締めています










一日、たっぷり遊んだ宮南池

何時の間にか陽が西に傾いていました

池に差し込む光は、まるで私達を遠い百済の時代に誘う(いざなう)ようです

そうした時間をもう少し楽しんでみるのも良いかもしれません

私達はもう一度、ハスの迷路に足を踏み込む事にしました


宿に戻る道すがら、おや何て可愛い子犬

雄さんの足元にじゃれ付き離れようとしません

道路の向こうではもう一匹、路駐の車の陰で熟睡

この辺りでは放し飼いしても構わないみたい


残照に浮き出たケぺク将軍の像が見送られて帰った宿までの30分

いい一日でした




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