N ’ DA ”

なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

結城哀草果私考

2021年07月14日 11時56分20秒 | 読書・文学
斎藤邦明/著
出版社名 短歌新聞社
出版年月 1995年

哀草果が、安達太良縦走は昭和24年、その翌年には朝日連峰を縦走している。
「大朝日荒川谷はいまだ明けず夜ごもる雲の生々とをり」

「太平洋に日は昇りつつ朝日岳の
大き影日本海のうへにさだまる」

「奥羽山脈に接して太平洋の出づる日の
荘厳をわが生涯の奢りとぞする」

さらに昭和26年の飯豊山塊では
「茫々と風吹く月の照る峰に一人息づくわがいのちなり」

「雷の谷に落ちたる響して雪渓陥没にわれの気圧さる」

みちのくの湯殿の山の山峡にながれて落つる星をみにけり

月山を登りてゆけばくしきかも天津雲原目の下に見ゆ

下り来て振返り仰ぐ朝日山の踏みにし雪は雲の間に見ゆ

『朝日連峰』と題する53首。
この作品が発表されたとき、深田久弥は「老登山家;結城哀草果の感受性には、少壮アルピニストが束になってもかなうまい」と絶賛している。


「太平洋に日は昇りつつ朝日岳の
大き影日本海のうへにさだまる」


深田はこの歌を評して
「とは何という雄大さであろう。
山を詠んでこれほど構図の大きな歌もまたとあるまい。
日本海の上にさだまった朝日岳の大きなピラミッド形の影は、今もなお僕の眼底に残っている。
どういふ錯覚か僕はこれまで、それを夕方の景色とばかり思い込んでいたのだが(よく考えればそんな非科学的な現象もないはずなのに)この歌によって、朝陽の影であったことを教えられた。が多年はぐくんできた幻影は容易に払拭し難いものとみえて、僕の眼底にある朝日岳の大きな影は、あの山頂の静かな(実に静かだった)夕方と切り離せなくなっているのは不思議なことである」

『飯豊山塊』から

花崗岩に緑の地衣類張り付きて紫外線の直射が慈(いつくし)むかな

雪渓が三段に断(き)れて脱落し空洞のなかを気体走れり

谷の上の尾根を幾時わたりゐていくらもうごかぬ烏帽子岳の位置

わたりゆく尾根に花崗岩分解し星烏一羽這松を飛ぶ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿