斎藤邦明/著
出版社名 短歌新聞社
出版年月 1995年
哀草果が、安達太良縦走は昭和24年、その翌年には朝日連峰を縦走している。
「大朝日荒川谷はいまだ明けず夜ごもる雲の生々とをり」
「太平洋に日は昇りつつ朝日岳の
大き影日本海のうへにさだまる」
「奥羽山脈に接して太平洋の出づる日の
荘厳をわが生涯の奢りとぞする」
さらに昭和26年の飯豊山塊では
「茫々と風吹く月の照る峰に一人息づくわがいのちなり」
「雷の谷に落ちたる響して雪渓陥没にわれの気圧さる」
みちのくの湯殿の山の山峡にながれて落つる星をみにけり
月山を登りてゆけばくしきかも天津雲原目の下に見ゆ
下り来て振返り仰ぐ朝日山の踏みにし雪は雲の間に見ゆ
『朝日連峰』と題する53首。
この作品が発表されたとき、深田久弥は「老登山家;結城哀草果の感受性には、少壮アルピニストが束になってもかなうまい」と絶賛している。
「太平洋に日は昇りつつ朝日岳の
大き影日本海のうへにさだまる」
深田はこの歌を評して
「とは何という雄大さであろう。
山を詠んでこれほど構図の大きな歌もまたとあるまい。
日本海の上にさだまった朝日岳の大きなピラミッド形の影は、今もなお僕の眼底に残っている。
どういふ錯覚か僕はこれまで、それを夕方の景色とばかり思い込んでいたのだが(よく考えればそんな非科学的な現象もないはずなのに)この歌によって、朝陽の影であったことを教えられた。が多年はぐくんできた幻影は容易に払拭し難いものとみえて、僕の眼底にある朝日岳の大きな影は、あの山頂の静かな(実に静かだった)夕方と切り離せなくなっているのは不思議なことである」
『飯豊山塊』から
花崗岩に緑の地衣類張り付きて紫外線の直射が慈(いつくし)むかな
雪渓が三段に断(き)れて脱落し空洞のなかを気体走れり
谷の上の尾根を幾時わたりゐていくらもうごかぬ烏帽子岳の位置
わたりゆく尾根に花崗岩分解し星烏一羽這松を飛ぶ
出版社名 短歌新聞社
出版年月 1995年
哀草果が、安達太良縦走は昭和24年、その翌年には朝日連峰を縦走している。
「大朝日荒川谷はいまだ明けず夜ごもる雲の生々とをり」
「太平洋に日は昇りつつ朝日岳の
大き影日本海のうへにさだまる」
「奥羽山脈に接して太平洋の出づる日の
荘厳をわが生涯の奢りとぞする」
さらに昭和26年の飯豊山塊では
「茫々と風吹く月の照る峰に一人息づくわがいのちなり」
「雷の谷に落ちたる響して雪渓陥没にわれの気圧さる」
みちのくの湯殿の山の山峡にながれて落つる星をみにけり
月山を登りてゆけばくしきかも天津雲原目の下に見ゆ
下り来て振返り仰ぐ朝日山の踏みにし雪は雲の間に見ゆ
『朝日連峰』と題する53首。
この作品が発表されたとき、深田久弥は「老登山家;結城哀草果の感受性には、少壮アルピニストが束になってもかなうまい」と絶賛している。
「太平洋に日は昇りつつ朝日岳の
大き影日本海のうへにさだまる」
深田はこの歌を評して
「とは何という雄大さであろう。
山を詠んでこれほど構図の大きな歌もまたとあるまい。
日本海の上にさだまった朝日岳の大きなピラミッド形の影は、今もなお僕の眼底に残っている。
どういふ錯覚か僕はこれまで、それを夕方の景色とばかり思い込んでいたのだが(よく考えればそんな非科学的な現象もないはずなのに)この歌によって、朝陽の影であったことを教えられた。が多年はぐくんできた幻影は容易に払拭し難いものとみえて、僕の眼底にある朝日岳の大きな影は、あの山頂の静かな(実に静かだった)夕方と切り離せなくなっているのは不思議なことである」
『飯豊山塊』から
花崗岩に緑の地衣類張り付きて紫外線の直射が慈(いつくし)むかな
雪渓が三段に断(き)れて脱落し空洞のなかを気体走れり
谷の上の尾根を幾時わたりゐていくらもうごかぬ烏帽子岳の位置
わたりゆく尾根に花崗岩分解し星烏一羽這松を飛ぶ
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