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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

深田久弥●山の文学全集 ヒマラヤの高峰(中)Ⅷ

2021年11月21日 09時48分16秒 | 深田久弥
●チョコリザ
バルトロ氷河のコンコルディアの近くにある。チョゴリザにはいくつかの山頂があり、最も高い南西峰(チョゴリザI)は7,665mに達する。2番目に高い北東峰(チョゴリザII)は7,654mであり、1892年にマーティン・コンウェイがブライドピーク(Bride Peak)と名付けた。
1957年にヘルマン・ブールとクルト・ディームベルガーは、ブロード・ピークの登頂に成功した数週間後にチョゴリザに挑戦した。6月25日にキャンプIを発ち、北東峰から伸びる東稜6,706mのキャンプに到達した。6月27日に7300mに達したが、突然の雪嵐により後退を余儀なくされた。下山中に、ブールは巨大な雪庇を踏み抜いて北面のほぼ垂直な崖に滑落した。遺体はいまだ見つかっていない[1]。

1958年、桑原武夫の率いる京都大学の探検隊がチョゴリザ2峰に初登頂
「花嫁の峰 チョゴリザ」 - 京都大学隊の北東峰初登頂の記録映画、1959年制作。

●ヒマルチュリ
ヒマールは雪山、チュリは頂上を意味します。
マナスルの南方に位置している。主峰は、東峰 (7893m)、西峰 (7540m)、北峰 (7371m) の3峰がある。ヒマルチュリは、麓から垂直的に切り立った巨大な岩壁も大きな特徴である。例えば、ヒマルチュリは、南西の麓を流れるマーシャンギ川 (the Marsyangdi River) から7000mもそそり立っているが、川と峰の水平方向の距離は27kmしかない。
最初に登頂に成功したのは、1960年の慶應義塾大学山岳部OBを中心とした慶大ヒマラヤ登山隊であった
1986年には、登頂を果たした日本大学登山隊4人のうちひとりが、下山途中に滑落して行方不明となった

●ガウリサンカール
ロルワーリン山群
ガウリ・サンカール,の双耳峰
7181mメンルンツェ

●サルトロ・カンリピークK36
シアチェン氷河
カラコルム山脈のシアチェン・ムスターグ山脈とサルトロ山脈の間に位置する
1909年イギリス人のトム・ロングスタッフが発見、現地名でバラを意味するシアチェンと命名した[1]。全長は70kmに及び、極地を除けばタジキスタンのフェドチェンコ氷河 (77km) に次ぐ世界で2番目に長さを有する。
スカルドゥ空港

●イストル・オ・ナールIstor-o-Nal;7389m
世界で68番目に高い独立したピークです。それは7,000メートル以上の標高の11のピークを持つ塊を冠します
ティリチ氷河

ヒンズークシ山脈の第3位の高峰。標高7403メートル。
名称は現地の言葉で「馬蹄 (ばてい) 」を意味し、その山容から名付けられた。
1969年スペインのアングラーダ隊が初登頂に成功。
ヒンズークシ山脈の最高峰;ティリチ・ミール

●ハラモシュ
ギルギット(ハラモシュ)産 ヒマラヤ水晶
ディステギール・サール
カンジュト・サール

●ジャヌー
山容が複雑で見上げると恐ろしげな形をしているので、インドの叙事詩「ラーマーヤナ」に登場する鬼神クンバカルナにちなんで名づけられていて、正式名称はクンバカルナ
「肩のある山」
クンバカルナは世界で32番目に高い山で、登山家の挑戦上では注目に値し、技術的な難しさ、複雑な構造、その垂直方向の起伏、そして頂上近くの特に急な登山の点などで、世界で最も難しい山の1つである。[4]特に北壁は、7,000mを超える高度で達成せねばならない、最も高度な技術を要する登山
巨大で急峻な北壁(いわゆる「化け物の壁」)は、1976年に小西政継の率いる日本チームが、壁の左側から東の尾根に至るルートで初めて登頂に成功した
ヤマタリ氷河の下のグンザ村

●トリスルTrisul
初登頂者: トム・ロングスタッフ ・・・日本に来て富士山や北アルプスにも登った。
3つのピークはトリスル1、トリスルII、トリスルIIIと名付けられています
ナンダの女神を敵から防ぐ「三叉の矛」の意
ガウワールヒマラヤの最高峰;ナンダ・デヴィ
その西には「ナンダの休み場」の意のナンダ・グンティ
東には「ナンダを守る砦」の意のナンダ・コット

ヒマラヤの山麓で必ず見かける白い旗、その旗竿の先端に三叉の矛が取り付けられてあるのは、避雷針の役をなすこともある。チベットの土民はイナズマに深い関心をもっていて、それを天空の神聖な霊のようにみなしている。

第6登は1956年6月、夜間登山を試みた。
朝7時50分に頂上に達した。
快晴にも恵まれ4時間も頂上にいた。
登攀に夜間を選んだのはヒマラヤではこれが最初。

●チャムラン●Chamlang
「羽ばたく大きな鳥」を意
メイン(7319m)、東(7235m)、中央(7180m)の3つの主要なサミットがあります。

バルンツェ、チャムラン、アマダブラムはいずれも見るからに険悪な山相を呈していた。
メラピーク

●クン
イタリアの登山家、マリオ・ピアチェンツァ(英語版)が1913年、北東の尾根を辿るルートからクン峰に初登頂している。しかしその後しばらくはクン峰の登頂に成功する者は現れず、2番目の登頂は58年後のインド陸軍の探検隊を待つことになる

パンジャム・ヒマラヤでは断然ナンガ・バルバットが他を圧倒しているが、それに次ぐのがヌン・クン山群である。
パンジャムとは「5つの河の国」という意で、その5つの河とは
サトレジ
ベアス
ラーヴィ
チェナブ
ジェルム
で、いずれも末はインダス河に注ぐ。

●サトパント
ナムチャ・バルワ(Namcha Barwa /
「燃えるような雷電」、「天空に突き刺す長矛」、「天から落ちた石」
対岸のギャラ・ベリ;7150m
この2つは私の夢想中の山である。
ニルカンタ;6596m
シヴリング;6524m・・・キッシュトワー・シブリング
その鋭く整った形において、溜息の出るような美しい山である。

●サルバチュム
プルール・ランジェン・リ
Gangchenpo
タトパニ温泉;タトパニはネパール語で熱い水の意味。湯温は高め

●サイパル

ガッシャーブルムⅣGasherbrum IV
「美しい山」("rgasha" (美しい) + "brum" (山))を意味する。
頂稜は2つの頂をもっている

●トゥインズ
シッキム・ヒマラヤ
ゼム氷河
カンバチェン
カンチェンジュンガとはチベット語で「偉大な雪の5つの宝庫」の意味。
標高8,586mはエベレスト、K2に次いで世界第3位。
主峰の他に西峰=ヤルン・カン(8,505m)、
中央峰(8,478m)、
南峰=カンチェンジュンガII(8,476m)、
カンバチェン(7,903m)が並ぶ。
ラガラ・ヒマール
ルンバサンバ・ヒマール

●アマ・ダブラム
「母の首飾り」という意味[3]。切り立った山肌と稜線が特徴的である[5]。
何本かの登山ルートが開かれているが、どのルートから登るにしても非常に急峻で、高度な登山技術が要求される。
1961年3月13日: ニュージーランドのヒラリー隊が初登頂[3]。
1979年4月30日: ジェフ・ロウ(英語版)が南壁単独初登攀。
1979年10月21日-10月23日: フランス隊が北稜初登攀。
1985年: 山岳同志会の坂下直枝、有明正之が西壁初登攀。
1992年: 山野井泰史(当時27歳)が西壁(6812m)を冬季単独初登壁

チャンボチェ僧院のチョルテンを前景にした氷と岩のアマ・ダブラムは私を魅了せずにはおかなかった。
チャンボチェあるいはイムジャ・コーラから見たもので、マッターホルンのような主峰がそびえ、その左手に副峰が控えている写真である。
テンジン・ヒラリー空港;ルクラ
プマ・ダブラム:6429m;母親のダムラムに対し、娘のダブラムの意

●バトゥラ・ムスターグ
橘瑞超
フンザの王様の居城;バルティット
ハンザ・ナガー Hunza Nagar
カムピレ・ディオールKampire Dior;「老婆の家」という意
バトゥーラ氷河;
バトゥーラ氷河の長さは57kmです。これは、地球上で最大かつ最長の非極性氷河の一つになります。それは東方向に流れます。いわゆる「バトゥラの壁」を持つバトゥーラ・ムズターグ山脈は、南側に沿って広がっています

グルラ・マンダータGurla Mandhata
7694mでチベット最高峰
「天幕形をしている山の王」の意
マナサロワール湖
カイラス山
1985年5月、中国と日本のロープチームが初登頂した

●チャウカンバショークハンバ Chaukhamba
チャウカンバ1 7,138 m (23,419 フィート)
チャウカンバII 7,070 m (23,196 フィート)
チャウカンバ3世 6,995 m (22,949 フィート)
チャウカンバ4世 6,854 m (22,487 フィート)

標高7000mを超える西ヒマラヤの有名な山頂のひとつ。この場所は、この写真から撮影された、マダヤゲシュワルは、毎年、ヒンズー教の信者や何千人もの巡礼者や観光客の「パンチ・ケダル」の一つです。これはまた、ナンディクンド、有名な高地の湖に向かう途中です。

ガンゴトリ氷河
「4つの柱」の意


●シニオルチュー
ダグラス・フレッシュフィールドによって「世界で最も美しい雪の山」
シッキム・ヒマラヤの出発地;ダージリン
ヒマラヤ登山の発祥地
なによりの魅力はやはりそこからの山岳展望であろう。
D2という測量記号
ゼム氷河

●カン・テンリハン・テングリkhantengri
山名はウイグル語で「天の王」を意味する。「精霊の王」
また、カザフ語名"Kan Tau"は「血の山」という意味。
夕映えに赤く染まった色彩からきた名。
西にはキルギスの内陸湖イシク・クル
1931年 ソ連隊のミハイル・ポグレベツスキが北壁ルートから初登頂
1989年 国際山岳キャンプとして開放される。小野武彦、中野善人、小西浩文らが日本人初登頂
1993年 田部井淳子が登頂
2012年 平出和也が登頂

天山山脈;ボベータ峰:7439m
ソヴィエトの名峰;カン・テンリ
天山山脈はアジアの中央部に東西2500kmにわたる長大な山脈である。
天山、コンロン、ヒンズークシ、カラコルム、これらの山脈はみなパミール高原で結びつく。
「世界の屋根」という言葉はもとはパミールを指したものである。
この大山脈から無数の河が流れでているが、そのうち一滴も大洋にそそいでいない。すべて湖に入るか、沙漠に吸い込まれてしまう。

●カンドゥ
アッサム・ヒマラヤ
チョモラーリ
ナムチャバルワ-Namcha_Barwa
「燃えるような雷電」、「天空に突き刺す長矛」[3]、「天から落ちた石」
ナムチャバルワは、ヤルツァンポ川から5,000mから6,800mの比高をもって聳えている[
ナムチャバルワは、世界最高峰の未登頂の山であったが[10]、1992年に初登頂が果たされた
ナムチャバルワはギャラペリとともに「ヒマラヤに残された最後の秘峰」と称された
雪崩の危険が大きく、1984年の中国隊は1日に500回の雪崩が発生したほどであった
1990年、中国と日本の合同隊が頂上へのルートを偵察した[14]。1991年には、別編成の日中合同隊が7,460mまで到達したが、雪崩のために隊員のひとりであった大西宏が遭難死し、隊は登頂を断念して撤退した

チベットの聖なる湖、ヤムドクツォと、その奥に屹立する聖山クーラカンリ。
リャンカンカンリ(7535m)
未踏の最高峰ガンカー・プンスム

●ティルスリTirsuli

●カンジロバKanjiroba
ツァルカ
鳥葬の風習

●ボグド・オーラ Bogdo Ola
ボゴダ峰
ボゴダ峰(博格達峰)は、中華人民共和国新疆ウイグル自治区の天山山脈にある標高5,445mの山で、ボゴダ山の最高峰である。
ボゴダ峰の側面の角度は70度から80度と急である。1981年に日本の京都山岳会所属の11人が初登頂を行った[2][3]。その下山中に1人の隊員がクレバスに落下して死亡している。

ボグド・オーラは新疆省の首都ウルムチのすぐ東にそびえ立っているだけに、昔から有名だった。

●アンナプルナⅡ
サンスクリットで「豊穣の女神」の意味

●ニルカンタニルカンサ Nilkantha
Nīlakaṇtha (サンスクリット語ニラ="青"、kaṇtha=「喉」)は、ヒンズー教の神の一つであり、シヴァの多くのエピソードです
「青い空」の意
ヒンドゥー神話で破壊の神シヴァにかかわりをもっている。
「青い喉の神」

「ガンゴトリ山群のはずれには、注目すべきニルカンタとシヴリンがある
その鋭く整った形において、溜息の出るような美しい山である」

●サラグラール Saraghrar
ヒンズークシュ山脈で4番目に高い
ノシャック
チトラル町

ガネッシュ・ヒマール Ganesh Himal
ガネッシュとは、ヒンズー教で女神の名前である。

ディステギル・サールディスタギルサール
Distghil sarはワキ語の言葉で、「内側の牧場の上」
Distghil は丘陵中の牧羊小屋の意
sarは頭または頂上の意
カンジュト・サール
ユクシン・ガルダン・サール(左)とカンジュート・サール(中央)

●バウダ
Gauri Sankar
メルンツェ

●ジョンソン・ピークJongsong Peak ジョンサンピーク

●ピラミッド・ピーク

●ヌプチュー

●ピグフェラゴ

●ムクト・ヒマール

●アイネ・マチン(6282m)
崑崙山脈の東部
チベット語でアムネは老人、マチンは活仏の従者を意味する
現地のチベット族は「神々の山」「山々の王」の意
現地住民により長く登頂が妨げられていたが、1981年5月22日に日本の渡辺義一郎(副隊長)ら上越山岳協会アムネマチン友好登山隊が初登頂した

1920年代から謎の高峰として登山家の注目を集め、一時はエベレスト(8,848メートル)よりも高い山がある可能性が論じられた[
944年3月、米軍機がインドから中国へ向かう途中、高度30,000フィート(約9,100メートル)で飛行中にもかかわらず、機体より少なくとも2,000フィート(約600メートル)も高い山を目撃した、と報告し、これがアムネマチンではないかと疑われた[17]。このニュースは当時、多くの新聞に掲載されたが、ジャーナリストのジョン・クラカワーは、山頂を目撃したというDC-3は、そもそもこの高度(クラカワーは9,300メートルとしている)で飛行することは不可能であり、この話は、第20空軍の将校たちが従軍記者をからかう目的で捏造した作り話だとしている[19]。

1948年4月、アメリカのボールペン製造業者ミルトン・レナルズ(英語版)とパイロットのビル・オドムがC-87で探検を試み、高度9,450メートルでアムネマチンを目撃した、と主張した。

●コングール山
崑崙山脈の西端をなすコングール山脈と呼ばれる小山脈を形成している。ムスタグ・アタ山の北にあり、カラクリ湖とパミール高原に近い。他の山に隠れた山となっているため、1900年ころまでは外国人がよく知られていなかった
最初にコングール山の登頂が試みられたのは1956年であるが、登頂することはできなかった。初登頂は1981年にイギリス隊により成し遂げられた。この時、イギリスのボニントン隊は南面より、日本の京都カラコルムクラブ隊(総指揮小谷隆一、隊長高田直樹)は北面より頂上に迫った。日本隊は3名のアタック隊が帰還せず失敗に終わった。

カシュガルは新疆省の西端にある古い町で、シルクロードの要衝の町であった。
人口の80%は土着のウイグル族など少数民族が占める。カシュガル大都市圏人口は120万人に達する。古くからシルクロードの要衝として、またイスラームの拠点都市としても発展し、国家歴史文化名城に指定されている
タクラマカン砂漠西端に位置するオアシス都市で、中華人民共和国最西端の町である。天山山脈の麓に位置し、標高は1200メートル。地勢は平坦で、土地は肥沃であり、モモ、ブドウ、イチジク、アンズなどの果実を産出する。中央アジアやインド、中国本土から延びる交通路が交わり、古くから交通の要衝であった。1999年12月、南疆鉄道のコルラ-カシュガル間が開通し、ウルムチほか中国各都市からの鉄道アクセスの基盤が整った

●ヌプツェ
主峰のヌプツェI(標高7,861m)の他に、ヌプツェII(標高7,827m)や、ヌプツェ・シャールI峰(標高7,804m)など、7つの峰が東西に連なる。ヌプツェはチベット語で「ヌプ=西、ツェ=峰」の意で、エベレストの西峰であることを意味する。ローツェから西へのびる尾根上約5kmの位置にある。
ヌプツェの初登頂(主峰のヌプツェI)は、1961年5月16日にイギリスの遠征隊によってなされ、デニス・デイビスとシェルパのタシが登頂に成功した。
2017年4月30日、エベレスト西稜からローツェへの縦走を計画していたウーリー・ステックが、高所順応期間にヌプツェを登っている途中、滑落して約1000メートル落下し死去した

●トリヴォールTrivor

●ナンパ

●カイラス

●ラキオト・ピーク

●ネパール・ピーク

●アビ・ガミンAbi Gamin

ムクト・パルバット

バルトロ・カンリBaltoro Kangri

ビック・ホワイト・ピーク

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