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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

深田久弥●山の文学全集 ヒマラヤの高峰 Ⅶ

2021年11月16日 14時19分07秒 | 深田久弥
ヒマラヤという言葉は、サンスクリット語の複合語で、ヒマ;Himaは雪、アラヤ;Alayaは居所、つまり「雪の居所」という意である。正しく読めばヒマーラヤである。

ヒマラヤは便宜上その地形によって幾つかに区分されている。東から・・

○アッサム・ヒマラヤ
#最高峰はブラマプトラ河に臨むナムチャバルワ;7756mであって、ヒマラヤ山脈の東端を成している。「燃えるような雷電」、「天空に突き刺す長矛」、「天から落ちた石」の意
ナムチャバルワに並ぶ峰であるギャラペリ (Gyala Peri、加拉白塁、7294m)
標高7600mを越える山としては、(東半球において)最も東に位置している
ナムチャバルワは、世界最高峰の未登頂の山であったが、1992年に初登頂が果たされた。
ナムチャバルワはギャラペリとともに「ヒマラヤに残された最後の秘峰」と称された

○ブータン・ヒマラヤ
チョモラーリ;7314m
クーラ・カンリ;7554m
ヒマラヤは東に近づくほど、樹木が繫茂し、山容もアルプス的な尖峰が少なくなり、ドッシリと大きい東洋風になる。ブータン、アッサムには日本人好みの山が多い。

○シッキム・ヒマラヤ
首都ガントクまでは車が行き、そこから数日の行程でやすやすとヒマラヤの山中の人となることができた。盟主はカンチェンチュンガで、ジャヌー、シニオルチューがある。

○ネパール・ヒマラヤ
8000m以上の高峰7座あり、ヒマラヤのもっとも豪華な部分である。

○ガルワール・ヒマラヤ
8000m峰こそないが、6000、7000mの山に恵まれており、戦前もっとも登山隊の賑わった区域である。最高峰はナンダ・デヴイ:7817mであり、わが国最初のヒマラヤ遠征であった立教隊のナンダ・コット;6867mもここにある。

○パンジャム・ヒマラヤ
ヌン・クン
ナンガ・パルバットはネパールおよびカラコルム以外にある唯一の8000m峰。

○カラコルム
トルコ語族の言葉で、カラは黒、コルムは小石の意。
しかしこの山脈には昔からムス・ターグという名称があった。
ムスは氷、ターグは山の意。
ここには7600mを超える氷雪の山が、ずらりと19座も並んでいて、その中の4座は8000m以上である。大氷河が5つある。
東からシアチェン;72km
バルトロ;58km
ビアフォ;59km
ヒスパー;61km
バトゥラ;58km


○ヒンズークシ山脈
ヒンドゥーはインドの意、クシュは連山の意。
カラコルムから西に伸びた山脈。
7000m以上の山は、ティリチ・ミール;7700mを最高として、約10座数えられる。

#初登頂は、1950年にノルウェー隊により成し遂げられた。この山は、チトラルから望むことができ、中央市場からも容易に見える。またアフガニスタンからも見ることができる。地元の伝説によると、山の上に住むジン(精霊)、悪魔、魔女、妖精のために登ることができない山という。クレバスに落ちたりして毎年のように登山者が犠牲となっている。エベレストよりもずっと登頂が難しく危険な山という説もある。

○パミール高原
「世界の屋根」という言葉は、もとはこのパミール高原をさしたのである。
ここを中心として、中央アジアの諸山脈が分岐するので、Pamir Knot (パミールの結び目)と呼ばれる。東に延びるのが天山山脈、南東に向かうのがカラコルム山脈、東に走るのがコンロン山脈、西に向かってヒンズークシ山脈が派生している。
カシュガル山脈は中国の古典にしばしば出てくる葱嶺で、
その中にムスターグ・アタ;7,509 m:世界43位やコングール等、7000m級の山が並んでいる。

○天山山脈
ハン=テングリ山
ボクド・オーラ
天山山脈を横切って幾つも峠が通じているが、すべて古い時代からの交易路であり、戦乱の舞台でもあった。
#山名はウイグル語で「天の王」を意味
カザフ語名"Kan Tau"は「血の山」という意味。
海抜は6995m(改測標高7010m)である。
1993年 田部井淳子が登頂
2012年 平出和也が登頂

●エヴェレスト
1852年、「閣下、いま世界で一番高い山を発見しました」
今まで、Peak XV という記号で表されていた一峰が、測量データの整理中、8840mであることがわかったのである。
1849年にはまだ、世界最高峰はカンチェンジュンガと思われていた。
こうして発見された世界最高峰に、前任の測量局長官であったジョージ・エヴェレスト卿の名前が採用された。人名を冠しないという唯一の例外としてマウント・エヴェレストと名づけられた。それから数十年たってから、この山にはチョモルンマ「国の女神」という歴とした名前があることがわかった。

●K2:8611m
インド測量局は、土着の名前の見出せぬ山には、測量記号をつけるだけで済ませた。
K2はカラコルム第2号の意である。
そのカラコルム第2号が奇しくも世界第2の高峰であることがわかったのは、1858年であった。
K2も後になって「チョゴリ」という土着名のあることがわかった。
「チョ」は「大きい」、「リ」は「山」の意である。

K2は大たい直角に交わる4つの山稜ーー
北西、北東、南西、南東
から成るピラミッド峰
1954年、K2はついにその不屈の頂上を、イタリア登山隊に譲った。

●カンチェンジュンガ;8586m
ダージリンから写したカンチェンチュンガの大観の写真
チベット語でKang(雪)-Chen(大きい)-ju(宝庫)-nga(5つ)の意。
「5つの大きな雪の宝庫」ーー仏教でいう「五大宝蔵」である。

#カンチェンジュンガとはチベット語で「偉大な雪の5つの宝庫」の意味。
主峰の他に西峰=ヤルン・カン(8,505m)、
中央峰(8,478m)、
南峰=カンチェンジュンガII(8,476m)、
カンバチェン(7,903m)が並ぶ。
衛星峰に囲まれていて、最高点を中心に半径20Kmの円を描くとその中に7000m以上の高峰10座、8000m級のカンチェンジュンガ主峰と第II峰の2座が入り、壮大さは比類がない。さらにこの山がダージリンの丘陵上から手に取るような近さで眺められることも、この山を古くから人に親しませる理由となった。

五大宝蔵に関する伝説は、この5峰にそれぞれ、金、銀、宝玉、五穀、聖典の5つの至宝が奉安されていると伝えられている。

南西面にヤルン氷河;Jalung Kang
北東面にゼム氷河;Zemu Glacier
南東面にタルン氷河
北西面にカンチェンジュンガ氷河

●ローツェ
チベット語で南峰の意。
ローは南、ツェは峰、つまりエヴェレストの南にあたる峰である。
同様にヌプツェ(ヌプは西の意)は西峰であり、
エヴェレストの北にはチャンツェ(チャンは北の意)がある。
頂上は尖っていて、その上に乗ることができなかった。

●マカルー
ミニャコンカ;1932年アメリカ隊
シア・カンリ;1934年
ブロードピーク;1930年
スターリン峰
レーニン峰
チョモ・レンゾ
マカルーⅡ
1500m射程の雪崩誘発砲
「頂上は鉛筆の尖(さき)みたいだぜ」
マカルーの頂上は尖っていて片手で包めるくらいだった。
そんなに鋭く突き立っているので、ザイルで確保してやっと立てるくらいであった。
バルンツェ
ペタンツェ

●ダウラギリⅠ
8回目の偵察、試登でようやく頂上を陥れた。
サンスクリット語で「白い山」という意
標高は8,167 mで世界第7位
カンチェンジュンガの存在が知られるまでの約30年間、世界一高い山と考えられていた。



●マナスル
「カンブンゲン」;マナスルのチベット名:氷の肩の意
サンスクリット語で「精霊の山」を意
美人郷タルケギャン
てっぺんは切り立って狭く、やっと1人が危うく立てるくらいだった。
インド測量局の測量記号は Peak XXX であった。

●チョ・オユー
信性あるいは精霊を意味するチベット語。
「トルコ玉の女神」女神の住む山
「チョモ」は女神の意。


●ナンガ・パルバット
8000m以上の山は、ネパールとカラコルムに占められている。
ただつ、ナンガ・パルバットだけがパンジャム地方で孤高の気概を示している。
サンスクリット語で「裸の山」の意。
水の都「スリナガール」
世界第一の絶壁といわれる南面のルパル壁。
左手はナンガ・パルバットの巨大な南東壁で、ルパル谷まで4500mも落ちていた。

●アンナプルナⅠ
サンスクリットで「豊穣の女神」の意味
人類が足跡を記した最初の8,000 m峰であり、3年後にエベレストが登頂されるまでは人類が登頂した最も高い山であった。
8,000m峰の中では最も登頂者が少なく、2012年3月の時点で、登頂者数191人に対して死亡者数は61人に達する
エルゾーグ率いるフランス隊のアンナプルナ登頂
テントやその他の装備に軽量でコンパクトな化学繊維製品が採用され、「ナイロン部隊」と呼ばれた
2014年10月15日に、アンナプルナ周辺で吹雪とそれに伴う雪崩が発生。43人の死亡が確認された[5]。うち、21人がトレッキング中の外国人で、他はネパール人のガイドやポーターであった。ネパールのトレッキングにおける過去最悪の事故となった。

●ヒドゥン・ピーク;ガッシャーブルムⅠ

●ブロード・ピーク

●ガッシャブルムⅡ;8035m通称ヒドゥン・ピーク
ガッシャブルムと名のつく峰は、ⅠからⅥまであるが、そのうち高いのはⅠからⅣまでで、
Ⅰは最高;8068mで通称ヒドゥン・ピーク
Ⅱはそれより33m低いだけの8035m
Ⅲは7925m
Ⅳは7980m、
つまり高度差100m前後の4峰が立っているわけである。
「ガシャーブルムⅡは鋭い稜線を持ったピラミッド形のピーク」

ゴザインタン:シシャパンマ 8013m
ゴザインタン;「聖者の居所」の意
シシャパンマ「草地のある山」「牛や羊も死に絶え、麦も枯れる地方」
5平方メートルほどの平らな三角形の頂上であった。

●ヌン・クン山「塩の岩山」「水晶の柳」
ヌン峰とクン峰の標高はそれぞれ7,135メートル、7,077メートルとなっている
ヌン峰がインドの現状での最高峰となる
標高6,930メートルのピナクル・ピーク が山塊のうちで3番目に高い峰となる。

●スターリン峰 Pik Stalinイスモイル・ソモニ峰
フェゾチェンコ氷河;世界最長の氷河
レーニン峰
標高は7,495m。
タジキスタンの最高峰。ソビエト連邦が形成されていた時代は連邦の最高峰でもあった
1933年にスターリン峰と名づけられ、スターリンが死去し影響力が薄れると1962年にはコミュニズム峰と改められた。現在の名称になったのは1998年である

●チョモラリ
[グレートネイチャー] 幸福の国の大絶景!ヒマラヤの女神
ジチュ・ダケ;6989m
何人も足を踏み入れることのできない名峰!チョモラリ!

●アピネパール byash, アピ
北側から眺めると頂上の平らなおとなしい山に見えるが、南から望むと、それとは打って変わって険しい岩壁をもった屋根型の山になる。
1960年、同志社大学85年周年の記念事業として同校山岳部のアピ初登頂

●ケダルナートKedarnath Peak
ケダルナートはガンゴトリ氷河の南側の最高峰

●シア・カンリ
中印パ三国国境地帯

●ムスターグ・アタ
山名は、ウイグル語で「氷の山の父」の意味である。
この山はコングール山(標高7,649メートル)のすぐ南にあり、コングール山と共にコングール山脈という独立の山脈を成している
両方の山頂と麓のカラクリ湖のすぐ近くをカラコルム・ハイウェイが通る。カラクリ湖からは山が見渡せる。この山に最も近い街はタシュクルガンである。これは、中国で最も西にあり、パキスタンとの国境に非常に近い街である。

●ラカポシ
「雲の首飾」の意
フンザの谷は高度2000mくらいだから、そこから直ぐにそそり立つラカポシの頂上まで約6000mの標高差である。

●ドゥナギリ
コングール山;標高は7,649m。崑崙(くんるん)山脈の最高峰である。
ムスタグ・アタ山の北にあり、カラクリ湖とパミール高原に近い
中国とパキスタンの間を結びタシュクルガンとカラクル湖の近傍を通るカラコルムハイウェイが建設され、現在では近づくことが容易になった。
コングール・チュベ山;「白い帽子をかぶった山」の意味
チャンガバン;

●テント・ピーク
ネパールピーク
シッキムの首都:ガントク

●ティリチ・ミールティリチミール(Tirich Mir
パキスタンにある山である。標高は7,708mでヒンドゥークシュ山脈の最高峰である。
地元の伝説によると、山の上に住むジン(精霊)、悪魔、魔女、妖精のために登ることができない山という
1950年ノルウェーのアネル・ネス達によるティリチ・ミール主峰(7708m)への初登頂
アネル・ネスによる初登頂以前から、このティリチ・ミールは地元住民からは「呪いの山」と呼ばれ、なんでも象ほどもある巨大な「雪カエル」(??)が住み、山に登ろうとした者を2年以内に呪い殺すと言われていました。
そして、確かにこの地域に入った測量隊のメンバーや登山隊のメンバーが、殺人事件に巻き込まれたり、雪崩で亡くなったり、帰国後2年で病死したり・・・と雪カエルの祟りが起きていたのでしたぁー!!

ここは、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンズクシュ山脈の3つの末端が出会っているところです。

地形図で見ると北を上にして「Y」の字形に3つの山脈があり、右上に延びるのは、K2やガッシャブルムなどのあるカラコルム山脈。
下にシッポのように延びるのが、その先にエヴェレストやローツェなどなどがあるヒマラヤ山脈。
そして、左方向のアフガニスタン国境へ延びるのがヒンズクシュ山脈。

ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈は名前を聞くことがあると思いますが、ヒンズクシュ山脈はあまり聞かないかもしれません。

ヒンズクシュ山脈には8000m峰が無いので目立たないのかもしれません。8000m峰から周辺への興味も高まっていくこともありますから。

しかし、この地域は古来シルクロードの一部として歴史的にも要所でもあり、古くは747年に唐の高仙芝将軍がヒンズクシュ山脈の峠を越えてギルギットの近くにまで到達した記録も残っています。

ゴザインタン;シシャパンマ
グルラ・マンダータ
カイラス
戦後のさらに大きな政治的変動は、パキスタンのインドからの離脱である。
イスラム教のパキスタンとヒンズー教のインドとはそのために血を流すような騒動をあちこちで引き起こした。

●マナ・ピーク
ラニケトRanikhetはガルワール・ヒマラヤへ入る根拠地の1つで、ダージリンに匹敵。
ガルワールの雄峰カメットの南方5kmに位置する山。
ガルワール・ヒマラヤには8000m級はない。
最高がナンダ・デヴィ;7816m
カメット、次がアビ・ガン、マナ・ピークはその次

●サーセル・カンリSaser Kangri
ナムチャバルワ
ナムチャバルワ・ヒマル (Namcha Barwa Himal) の山々の中での最高峰であるとともに、標高7600mを越える山としては、(東半球において)最も東に位置している[
「燃えるような雷電」、「天空に突き刺す長矛」[3]、「天から落ちた石」
カン:「氷雪」 リ「山」

●カメット
その外観は、2つのピークを持つ平らな頂上エリアをトッピングした巨大なピラミッドに似ています。2008年:日本の登山家、平出和也と谷口圭の2人が初めて南東の顔(6,000フィート)を登りました。夜明けと夕暮れ時、「カメット山の銅色の岩は、そのぶら下がっている氷河に太陽の斜めの光線を反射して、これらの氷河をパチパチと炎で輝かせ、赤い輝きで山を浴びるように見える」。

●カブルー
世界最南端の7,000メートル峰である。
ダージリンのタイガー・ヒルからの山岳展望は有名である。

●ムスダーグ・タワーMuztagh Tower
頂上は2つに分かれていてほとんど同じ高さである。
その間が30mほど低いコルになっている。
2つの峰の距離は360mあった。
1892年のコンウェー隊;「形といい容積といい、この地域で最も見事な岩山」と賞賛し、ムスターグ・タワーという名を与えた。

●ミニヤ・コンカ贡嘎山
由来は、ミニヤ国の白い山という意味
標高7,556メートル。冬虫夏草をはじめとした貴重な薬草の採集地として知られ、麓の倒栽沖には唐代に皇帝から「薬王」の名を授けられたという孫恩妙を祀る廟がある
ヒマラヤ山脈の各峰の標高が正確に測定される前は、標高9,220メートル(30,250フィート)とされ、世界最高峰に位置づけられたこともあり、古くから登山の対象となっている。しかし、急峻なうえにピークが不明瞭で遭難者から「頂上に騙された」と評されるほどの地形不明確な山頂、目まぐるしく変化する天候のために登頂に成功した者は20名に満たず、世界でも屈指の難峰となっている。
1957年 - 中国隊が登頂、山頂に「缶」を埋めたとされるが、下山中に3人が転落死
1981年には北海道山岳連盟登山隊8名の滑落死事件があり、2011年現在、日本人海外遠征隊での最大の犠牲者数である
1994年 - 日本ヒマラヤ協会隊の4名が行方不明。
ミニヤコンカ奇跡の生還
1982年に遭難、両足切断の凍傷を負いながら生還した松田宏也本人による著作。

アンナプルナⅣ7525m
ⅡへはⅣを越えて山稜伝いに行く。
アンアプルナⅡはあと63mで8000mにおよぶ高峰である。

●ナンダ・デヴィNanda Devi
インド第二の高峰で、インドの中に山全体があるものの中では最も高い山
1808年に西欧人がダウラギリの高さを測るまで世界最高峰だと考えられていた。
1936年、「ジョージ・マロリー最後の目撃者」であるノエル・オデールと、ビル・ティルマンが初登頂に成功。1950年にアンナプルナが登頂されるまで、人類が登頂した最高峰であった。
【ナンダ・デビ】ヒマラヤで死亡した登山家7人の遺体収容、まず4人が無言の下山 標高6500メートル、ロープにつながれた状態で発見
投稿日 2019年7月4

主峰と東峰との2つをスックと天空にそびえ立たせて、その均斉のとれた気品のある山容は、おそらく世界中どこにもない見事な双耳峰の典型であった。ナンダ・デヴィに比肩(ひけん)し得る美しい山はまいと折紙をつけている。
ナンダ・デヴィの頂上は、長さ60m、幅6mもある、堅い雪の山稜であった。

●レーニン峰イブンシーナ峰
タジキスタン,キルギス両国の境界にある高峰。パミール高原北部のザアライスキー山脈の最高峰で,標高 7134m。斜面は氷河で覆われている。 1871年発見された当時はソ連の最高峰とされたが,1928年コムニズム峰 (7495m) ,1943年ポベーダ峰 (7439m) の存在が確認された。 1934年ソ連隊が初登頂。

●パウフンリシッキム・ヒマラヤ
カングチェンギャオ
チョミオモ

●プモ・リ
2005年までに500人近くの人々が42人の命を犠牲にしてプモリをサミットした
1962年、ドイツ・スイス遠征のゲルハルト・レンサーによる初登頂。
1988年10月下旬、アイスランド人登山家2人が山で亡くなりました。彼らは30年後の2018年11月にアメリカの登山家によって発見されました。 [15]
1989年、4人のスペイン人登山家のチームがプモリ島の雪崩で死亡し、2001年9月に再び別のスペイン人チームが雪崩で死亡しました。 [8]
2002年10月19日、5人のバスク人登山家が、その上に落ちたセラックによる雪崩によって南東の面を600〜800メートル下に押し流されました。 [13]
2015年4月25日、7.8MのW地震がネパールを襲い、エベレストベースキャンプを襲った地震を含むエベレストとその周辺で雪崩が発生しました。目撃者はそれを「ぷもりから降りてくる巨大な雪崩」と表現した。雪崩はクンブ氷の一部を通って南基地キャンプに入った[16]。 少なくとも19人が死亡

マッシャーブルム●
通称「K1」
二つある山頂を前装式の古い銃に見立ててmashadar(前装銃)とbrum(山)の合成とする説のほか、masha(貴婦人)とbrumの合成とする説などがあるが確たることは不明である
カラコルム山脈中心部を流れ、同山脈の8000m級の峰々への登頂ルートやトレッキングコースとして広く用いられるバルトロ氷河の南部に位置する
1911年になるとワークマン夫妻によって踏査され、さらに1938年には南からのルートで登頂が試みられた。しかしこの際は山頂を目前にして失敗している。その後1955年と1957年の登頂失敗を経て、1960年にクリンチを隊長とするアメリカ・パキスタン合同隊のベルとアンソールドにより、過去何度も登山者を退けた南東壁を通るルートでの登頂が達成された。現在では北西壁ルートと北西稜・北壁ルートによる登頂を含む3回の登頂成功が報告されている。

マッシャーブルム:昔 「K1」 と呼ばれました。カラコルムで最初に測量された峰の意

●マチャプチャレ6993m
この山は、特に神聖な山として地元住民によって崇敬されており、ネパール政府により登山が禁止されている。1度だけ山頂付近まで登られたことがあるが、山頂には足が踏み入れられておらず、未踏峰となっている。
マチャプチャレはネパール語で「魚の尾」の意
「ネパールのマッターホルン」の愛称でも呼ばれる。

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