記録更新中
何がと言うと、今年一度も蚊に刺されていないと言うことです。
アパートの周りは、木や草が多いのでたくさん蚊がいて、良く部屋に入ってきますが、一度も刺されていません。
さっきも、外から帰って来たら、いっしょに蚊が入って来ましたが、いつの間にか肩の所にいたのでやっけました。
こんなことを書くと、注意しなければなりません。3年前に、今年は一度も風邪をひいたことがないと言ったとたんに、風邪をひき4ヵ月も咳が止まらないことがあったからです。
アパートの周りは、蚊だけではなく、今年はトカゲを3回も見たし、蝉の抜け殻もたくさん落ちています。
昼間は、蝉の声、夜は虫の声を聞きながら風流に仕事をしています。
昨日、ある方からの依頼で「日本キリスト教史 上」の資料探しをしました。
この本かなと思ったもので見つけることができなかったので、家にあったもので関係資料をざっと見ましたが分かりませんでした。
図書館で借りた本も、ずっと後期のものだったのでありません。
夜、資料の上に手を置いて見つかるように祈り、1569年から1570年くらいの所を片っ端から、斜め読みをしましたがありません。
最後に、これしかないと思い、1570年以降を見るとタイトルにそれらしいものがあり、見つけることができました。 かなり、後ろのほうに過去のこととして年代の特定がなく出ていました。
今週の賜物の授業でも、「日本キリスト教史」の中に出てくるフイリピンについて語るように導かれて、久しぶりに少し読みましたが、ほとんど忘れています。10年以上前に描いたものなので、細かいところや名前は忘れてしまうのです。
同じ週に2回も「日本キリスト教史」に関することが出てくるのは、何か語りかけかなーと思つています。
それにしても、資料探しに図書館に行った時間と祈った時間を入れて5時間近くもかかってしまい、か・感謝です。
今日中に仕上げたいと思っていたみ声新聞連載まんが「ブリストルの風」ですが、10年以上前に描いた「日本キリスト教史 上」の問い合わせが読者の方からあり、その資料を探すのに時間がかかってしまいました。
結局、まだ見つかっていないのですが、ご要望に答えられるように祈るのみです。かなりの資料から見つけるわけで、家にないのは、図書館から借りてきましたがどうも違うようです。
本の後ろにある、関係資料を全部細かく探さないとだめなようです。いつになるか検討がつきませんが、感謝ですね。
忠犬ハチ公は、帝国大学(現・東大)教授の上野博士に1924年に飼われました。
上野博士が亡くなったのが、1925年なので、1年しか一緒に暮らしたことがなかったのです。
上野博士が亡くなった日から、3日間は餌を食べなかったそうで、いつも見送りに行っていた渋谷駅の前で待つようになりました。このとき、上野博士が飼っていたS(エス)とポインターのジョンも一緒に行ったそうですが、その後、2匹は、どうなったかは分かりません。
ハチ公ももらわれて行きましたが、戻ってきて渋谷駅前で上野博士の帰りを10年間待つようになりました。
初めは、周りの人に邪険にされましたが、かわいそうに思った方が新聞に記事を書いたので日本中に知られるようになり、スーパーアイドルになりました。
「アルプスの大将」という、映画にも13秒位出ています。渋谷以外に、秋田県の生家の前と駅前に銅像があり、剥製は、上野の国立科学博物館にあります。
ハチ公像は、1934年に1年間で集められた献金で作られ、ハチ公も除幕式に出席しています。
しかし、翌年1935年に、ハチ公はいつも待っていた所の反対側で死んでました。
第二次世界大戦の時、金属不足のためハチ公像も溶かされて機関車の部品となったのが、な・なんと終戦の前日の1945年8月14日でした。戦後1948年に、前ハチ公を作った安藤さんの息子さんが作られたのが今のハチ公像になるそうです。
ハチ公と上野博士は、たった1年しか一緒に暮らさなかったんですね。
「駅前の焼鳥屋の屋鳥が欲しかったから、通ったんだ。」と言う方もいますが、それは、悲しい考えだなーと私は思います。
アメリカの放送のインターネットのラジオを聞いていたら、音が出なくなりました。
時々ありますが、前は、雨の日などに聞こえなくなることがありました。
だから、途中から、Spring of LifeのCDから「エルサレム」をエンドレスにして聞いて仕事をしています。
「やすらぎの歌」では、私の中のベスト1なのです。いつか、イスラエルで歌いたいと思っています。
私は、前は、シャンソンが大好きでしたが、今はクラックのCDが多くなりました。一番好きなのは、ベートーベンの「皇帝」で、時々ベートーベン大会になります。
今は、ユーチューブで、いろんな方のベートーベンを聞いますが便利になりましたね。